第20話 答え

 全ての人を助けたいなどとは言わない。彼は、自分よりも不幸に陥った者を助けたかったのだ。彼が死ぬことで生きる希望を無くしてしまうような、真に後が無く、最後に縋った希望が亡霊レヴナントという平凡以下の存在であるような、そんな救われない弱者を。



 嘗ての村人と救えなかった二人の少女の違いはなんだ?……今なら解る。それは、選択肢の有無だ。体の一部を無くし、ただ怯えて死ぬ瞬間を待つ彼女たちと、五体満足で仲間のいる、まだ戦うという選択肢の残された村人たちとでは持っていた時間も行き着く答えもまるで違ったのだ。



 「おじ……さん?」



 衝撃の直前、少年が目を覚ます。その目には、亡霊を案ずるような光が僅かに灯っている。どうやら、正気を取り戻したようだ。



 亡霊は考える。この少年は、一体何をしただろうか。どこかへ遊びに行っていたのかもしれない。仕事で忙しい父親に会いに行っていたのかもしれない。サプライズだろうか、仕事で日々摩耗していく父親の精神を癒そうという、子供ながらの励ましの気持ちがあったのかもしれない。そんな無垢で無邪気な少年が、魔女のエゴで人生を台無しにされることが、果たして赦されるのだろうか。



 「そんなわけねえよな」



 そう。そんな訳がない。この不条理に満ちた世界で、亡霊は自分よりも不幸な者がいる事を許さない。どん底は一人で充分だ。だから、彼は戦うのだ。だから、彼は死ねないのだ。



 「死になさい」



 魔女が言う。その瞬間、亡霊は剣を地面に突き刺し柄を固く握りしめ、左肩を押し当てて炎を待ち構えた。



 音は、なかった。ただ火球が触れた瞬間、剣は激しく燃え盛りその熱は亡霊の体を包んだ。



 「ぐっ……。がぁぁぁああああぁぁああああ!!」



 どれだけの時間が経った?五秒か、十秒か。永遠とも思える苦痛の後、白い炎が体に燃え移りかける。その時。



 「レヴっ!!掴まるんだ!!」



 二人が野営地を監視していた高台を、モモネミは小さな体で馬の手綱を握って駆け降りる。ほとんど断崖に近いそれを走る姿は、まさに風のようだ。……いや、それどころではない。あれは風そのものだ。モモネミを包む緑色のオーラは馬をも守り、一頭の馬力を優に超えるスピードで尚、更に加速度を増していく。モモネミは、この逆境で己の力を覚醒させたのだ。



 思いがけない方向からの侵入に、魔女は一瞬視線を逸らす。その瞬間。



 (チャンスだッ!)



 亡霊は握っていた剣を地面から離して持ち上げ、それを円盤投げの様に一回転させて魔女の元へ力任せにブン投げた。そして、素早く少年の体を抱え。



 「頼むッ!モモネミっ!」



 駆け寄った馬の上に少年の体を預け、自分は腰のナイフを右手に構えて魔女へ向かった。



 「レヴぅぅぅぅうううぅ!!」



 オーラは少年の体を包んで優しく運んだ。そして、勢いに乗った馬は止まる事をしない。疾風怒濤のまま、彼方へと走り去っていった。その姿を目で追う事もせず、亡霊は馬とは逆方向へと一直線に走り抜ける。



 「……愚かな人」



 しかし、彼はもうこうする他ない。一緒になって逃げたところで、あっという間に撃墜されるのがオチだ。魔女の実力は、それを易々と成し遂げる。



 呆れたように魔女が言うと、その口元が歪み、今度は亡霊に火球が直撃した。



 白い炎は亡霊レヴナントを包む。燃え盛るその熱はやがてアーマーを溶かし、ベルトを焼き、踏みしめた土を消し去る。そして、ついに彼の皮膚をも焦がし始めた。



 「だからなんだってんだぁッ!!」



 彼の吠える姿を人々はどう見ただろうか。狂気の沙汰を畏怖して目を背けるのだろうか。本当に人なのかと疑うかもしれない。独眼にして隻腕。その異形の亡霊が持つ力は、ただ守る為だけに発揮されている事を、一体誰が信じるだろうか。……その覇気を受けたのはただ一人、黒髪の魔女だ。



 魔女の傍観するような微笑みは、いつの間にか消え失せていた。猪突を止めず、低い姿勢から眼前で高く飛翔んだ亡霊の姿を見て、奴は半ばあきらめている。それに反応する身体能力がないのは、全てを投げうって魔法に尽力してきた代償だ。



 灼けるより早く、尽きるより速く、消えるより疾風はやく。亡霊の体は魔女に飛ぶように接近し、胸に深々とナイフを突き刺した。そして、体が浮かび上がった瞬間に首に喰らいつき、その血管ごと肉を食いちぎったのだ。



 「……興味、深いわ」



 亡霊が魔女に覆いかぶさるように倒れる。そして、彼を包んでいた白い炎は、魔女の絶命と共にユラと消え去った。



 地獄の穴ブロスアイマが閉じた今、瘴気の壁が消えてそれを遮るモノはない。山から下りてくる風は、直線のこの谷を駆けて、血の臭いを乗せて遠い場所へと旅をする。



 亡霊はもう、動くことはなかった。意識の中に、あの日と変わらない姿で二人の少女がいてくれた事を思うと。



 (今行く)



 静かに目を閉じた。そして、ブレスレットの赤い光が、ゆっくりと消えた。



 ……。



 「面白いわ、本当に」 



 それから僅か数分の後、魔女は息を吹き返して亡霊の体を退けると、服を脱いで立ち上がった。



 「一張羅が台無し。……まさか、この私が二度も殺されてしまうなんてね。本当に人間なの?あなた」



 答えはない。



 「実験、久しぶりにやってみようかしら」



 彼女は後ろを向いて、禍々しい笑みを浮かべると、亡霊の体をどこかへしまってから一人優雅にペイルドレーン・ワークスへの道を歩いた。

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