第19話 黒髪の魔女

 「うっ……っ!」



 貫かれた足は、まだ動く。ブーツによって何とかダメージを抑えることが出来たのか、それとも魔女が力を抜いたのか。



「この顔、結構気に入っているの。それなのに、あなたったらこんな穴をあけてしまって台無しよ」 



 額に開けた穴から流れる自分の血を拭うと指ごと舐めて、黒髪の魔女が更に笑う。それを見て、亡霊は初めて恐怖を顔に出した。



 「そんなに驚かなくてもいいじゃない。まさかあなた、命が一つしかないだなんて常識を語るつもりではないでしょうね」



 その可能性を排除したのは、亡霊の洞察力が不足していたからに他ならない。なぜ一度死ねば動かないなどと決めつけてしまったのか。それを、彼は酷く後悔した。



 「……モモネミ」



 鞄を叩く、すると妖精は「なに?」と言って鞄のフチから顔を出したが、状況を見て再び籠ってしまった。



 「乗ってきた馬を連れてくるんだ。出来るか?」



 「で、出来ないよ……」



 力のない声が返ってくる。



 「それはやべえな。このままだと、俺たち死ぬぞ」



 そう、この一連の電撃作戦はそもそも魔女に魔法を使わせない事を目的に行ったモノだ。こうして対峙してしまっては、亡霊レヴナントの分が悪いのは明らかである。ましてや、相手は一撃で人を焦がす雷の使い手の長。実力の差は、本人である彼が一番よく解っている。



 「でも、恐いんだ!だって!」



 「……なら、俺が死んだあとでバレない様に鞄から出るんだ。いいな?」



 言われて、モモネミは涙を流しながら訊く。



 「レヴは、必ず生きて帰る冒険者なんじゃないの?」



 「さあな。でも、一応別れは言っておく。……パーティも、悪くなかった」



 言って、横たわる少年を背に剣を構える。彼には、仲間に別れを告げられなかった過去があるからだ。……しかし、まだ諦めた訳ではない。なんとか魔女を視て突破口を探す。



 「動かないのね。結着を急がないのは懸命だわ」



 魔女が手を空へかざすと、突如として空の色が暗く変わっていく。



 「……ダメだよ」



 モモネミが呟く。



 「ダメだっ!レヴは死なせない!僕だって、冒険者なんだ!」



 言うと、妖精は勢いよく鞄から飛び出し、一目散に馬の元へ飛んで行った。



 「あら、本当にそこにいたのね」



 言って、魔女は標的を変え、モモネミへ雷を放とうとする。しかし妖精は振り返らない。魔女の姿を見てしまえば、恐怖で体が動かなくなってしまうと解っていたからだ。魔女が手をかざし、口元を。



 「させねえよ」



 剣を落とすと、亡霊は一瞬でボウガンの弦を引き、魔女目掛けて矢を射出。当然、それは魔女に届くことはなかったが、気を取られた隙にモモネミは遠ざかっていった。



 「うふふ。立派なこと。でも、私はあなたのような醜い見た目の人間を生かしておく気はないわ。それに、その子も返してもらわないと」



 額から汗が滲む。魔女の口元が歪むと、またも突然雷が亡霊へ落ちた。



 「ぐぅ……っ」



 体に雷が滞留するその刹那、彼は剣を拾って地面に先端を付け、アースのような役割を持たせて地面に電撃を逃がした。そのおかげで助かったが、しかしダメージは甚大だ。手足のしびれは、確かに力を奪っていった。



 (詠唱破棄か?……いや、違う。異常に詠唱スピードが速いんだ)



 詠唱破棄とは、魔法を唱える際にある詩を詠む行動を省いて唱える事だ。それ故に詠唱破棄は言葉そのものに力を持つ者にしか行う事が出来ない。もしも魔女の言葉に力があるのであれば、無駄口を叩いた瞬間にその力が暴走してしまう。



 しかし、だからこそ魔女は、ひいてはこの世界の人間は魔法との共存が出来るのだ。



 「今ので死なないなんて、恐ろしい人。あなた、名前は?」



 「ねえよ。んなもん」



 言って、彼は唾を吐き捨てる。髪が焦げた臭いが、亡霊の鼻孔をつく。



 「名前がないなんて。うふふ。ちょっと素敵かしら」



 魔女は終始微笑みを張り付けている。それが、亡霊にとっては不気味でしかなかった。



 ……瞬間、結界と同じ白い炎が魔女の手のひらに現れた。どうやらあれは、火球として扱う事もできるらしい。炎をあの形に保つのには辺り一帯が燃え尽きる程の温度が必要になるのだが、その法則を無視しての魔法である。陽炎が周囲をユラユラと揺れる火球は、妖しい光を放っている。



 「さて、やりましょうか」



 魔女が人差し指で火球をはじくと、猛スピードで亡霊の元へ飛来する。避け、いやダメだ。それでは後ろの少年に直撃してしまう。……だからなんだ?自分が生きるためだ。ここで彼が避けたとして、それは彼の信念に基づく行動のはず。「避けろ」。彼の本能もそう言っているではないか。では、なぜ?



 思えば、彼はいつだって背中に誰かを背負って戦っていた。確かに、全ての者を守れる力は彼にはない。その役目を果たすのは、勇者のような巨大な力を持つ者だ。亡霊には、特別な力など何一つないのだ。



 しかし、それでも目的を失わないように戦ってきた。いつも背中にあるモノは、一体なんだっただろうか。あるいは少女を、あるいは忘れられた里を、あるいは要人を。それは果たして、亡霊にとってどんな戦いだったのだろうか。



 ――あなたは、私たちの。



 「……王子様、か」



 不意に出たその言葉。そして、彼はようやくモモネミの問いの答えに辿り着いた。

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