第15話 牢獄の妖精
「……いっ」
亡霊は、自分の胸板を見ると血を拭って傷の深さを見た。筋肉を切り裂いてはいるが、内臓や骨には届いていないようだ。致命傷を与える技ではないのかもしれない。そう考えると、勇者の底が知れず、亡霊は思わず首をすくめた。
スキルを唱える時、勇者は亡霊の過去の記憶にある言語を使っていた。即ち、元の世界の言葉だったのだ。それは、彼が転生する際に与えられたモノであることを意味している。
「ありゃ、ズルすぎる」
どうして同じ転生者でこうも違いがあるのか。亡霊は思わずそんな事を考えてしまいそうになる。しかし、生き残った事を思えば些末な事だと思い直すと、彼は鉄格子の前に置かれていたパンと冷え切ったスープを食べて、小窓から青黒い空を見上げた。
(バーンドゥの話では、奴は少なくとも俺が転生して来た頃には勇者をやっていたはずだ。なのに、容姿はまるで十代の若者だった。その辺りも、奴の能力が働いたおかげなのか?)
亡霊は自分の腕を見る。手の甲に、傷の他に深いシワが刻まれている。名前同様自分の年齢は不明だが、恐らく三十歳前後であるだろうと予測できる。無論、そんな事は亡霊にとって重要な話じゃない。
(今の俺じゃ確実に勝てねえ。あれは人の形をした何かだ。ひょっとして、神なのかもな)
そんな時、小窓の鉄格子の隙間から、小さな妖精が入ってきた。
「あ、いたいた。やっほ〜」
その妖精は薄ピンクの羽をはためかせて宙を舞い、羽と同じ色をした伸ばしっぱなしの髪の毛を揺らしている。妖精は光の軌跡を残しながら亡霊の膝の上に止まって、足を組んだ。体のサイズは亡霊の手のひら程で、オーバーサイズのTシャツを羽織った姿は、さながら絵本のおばけのようだ。そして、足には不器用に包帯が巻かれている。
「やっと見つけたよ。さっきの君の戦い、上から見てたんだ。いや〜、見事なやられっぷりだったね」
ケラケラと笑う妖精に、亡霊は見覚えがあった。
「お前、ヒルクの……」
「お前じゃないよ。僕にはモモネミって名前があるんだってば」
モモネミと亡霊は、彼がヒルクから帰る道の途中で獣用のトラップに引っ掛かっていたのを助けたことでフラックメルまでの道を共にした関係だ。……共に、という言い方は語弊があるだろうか。正確には、妖精が亡霊の後をついてきていたといった方が良いかもしれない。
「いや〜、勇者様って凄いね!初めて君の戦いを見たときもびっくりしたけどさ、勇者様には相手になってなかったよね。ぷぷぷ」
モモネミは口元に手を当てて笑う。それを見た亡霊は寝返りをうって壁を向くと、目を閉じて眠る準備をした。
「あ〜、拗ねないでよ。別に怒らせるつもりじゃなかったんだってば〜。……さっき、看守の人が言ってたよ。君の保釈金が届いたから、朝には開放されるんだってさ」
誰が。そんな事を聞くほど彼は野暮ではない。恐らく、保釈金を払ったのはドクだ。
「よかったね〜。世の中君みたいな変な奴でも助けようとする人がいるなんでさ。……ちょっと、聞いてる?ね〜え!」
そして、いつの間にか夜は過ぎていった。
……。
「おい、起きろ」
看守の一人が鉄格子を叩く。亡霊はその音で目覚めると、立ち上がって看守の前に立った。部屋の隅では、モモネミが気持ち良さそうに眠っていた。看守がそれに触れないのを見るに、あそこはちょうど影になっているのだろう。
「ふっ、さしもの亡霊とはいえ、勇者には勝てなかったか。まあ、あの人は別格だ。気にすることはない」
そう言って笑うと、看守は扉を開けた。
「釈放だ。引受人は匿名希望。釈放金は元々お前の金だと言ってたよ。心当たりは?」
亡霊は首を横に振る。
「そうか。まあいい、あまり無謀な事はしないこったな」
言われて、彼は牢獄から出ると建物の外へ向かった。
外はすでに明るい。それだから切り裂かれた服と滲む血の後が目立ってしまう。彼は途中の銀行で金を下ろすと服を買い、その足で冒険者ギルドのホールへと向かった。
今日も彼は仕事を求める。生きる為に。
「いらっしゃいませ、冒険者ギルドへようこそ。ご用件は?」
彼が一番右端の暗いカウンターを訪れると、受付嬢が機械的に訊く。
「仕事を受けたい。高額の報酬が貰えればなんでもいい」
「お客様の現在のランクは?」
ランクとは、下からアイアン、ブロンズ、シルバー、ゴールド、ダイヤ、ミスリルからなるギルド内の序列の事だ。その上にはマスターという特権階級もある。ちなみに、勇者がそれに該当する。
「ダイヤだ」
そう言って、首のプレートを見せた。裏の仕事を受ける人間は、自らのプレートに傷を付ける。それが、暗黙のルールだ。
亡霊は現在ダイヤの階級にいる。登録名はあるが、受付嬢にはいつも二人称で呼ばれていた。
「そうですね。あなた様ですと、現在受けられる高額の依頼はこのようになっております」
何枚かの依頼書を見繕い、亡霊の前に提示する。その中の一番高額な依頼の書いてある紙を持つと、「これにしてくれ」と言って受付嬢に手渡した。
「パーティは……、いませんよね」
彼女は、この瞬間だけ人の顔をする。マニュアルにない言葉なのだろう。気を利かせてくれる事はありがたい。そう思って、亡霊は首を縦に振った。
「この依頼、五人のパーティを前提にダイヤの階級を付けています。一人のあなたでは危険です。それでも、行きますか?」
「あぁ」
そう返事をすると、受付嬢は「かしこまりました」と言って手続きを開始。数分後にはそれが終わったようで、受注の証となるブレスレットを亡霊に手渡した。
このブレスレットは、装備している者の生命を感知していて、死んでしまった時にはブレスレットを通じてギルドへ知らせが入るようになっている。他にも依頼を達成した時には今は赤いこの色が緑色になる。人間の深層心理にある真実の感覚を受けてそうなるようだ。ただ「終わった」と思い込むだけでは、色は変わらない。
「それでは、行ってらっしゃいませ。期限はお忘れなく」
そう言って、彼女は礼をした。
彼はギルドホールに借りている倉庫に向かうと、自分のエリアから分厚い鋼のプレートをあしらったアーマーを取り出し、身につける。それは彼専用のアーマーで、右には肩を守るパッド、左には丸みを帯びた蓋をした独特な形をしている。
右腕に肘当てを嵌めてグローブを口で引っ張る。防刃性能のあるズボンを履いて、膝を守る防具を身につけ、脛まで覆う耐熱性のブーツを履いた。
腰に巻いたベルトには、口で弦を引けるよう改良したボウガンと、その矢筒。多機能のダガーナイフに、水筒。そして、小さなバッグの中には、少量の金を入れた財布と筒が伸び縮みする海賊望遠鏡、地図とコンパスが入れられている。
そして最後に、幅広の鉄の塊に柄を付けて、申し訳程度に刃を磨いただけの剣を背中に背負った。
あまりにも慣れた手付きでそれを済ませると、彼はそのエリアに鍵をかけ、倉庫を後にした。
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