第一章 ようこそ、レフトへ
第13話 フラックメルの亡霊
―――――
無数に存在する世界の一つ。レフト。そこに建国されたネウロピア王国の王都、フラックメル。その中の町の小さな酒場で、一人酒を飲む男がいた。彼はグラスを傾けると、目を閉じて琥珀色の味を確かめるように味わった。
「……もし、お客さん」
男は片目を開けて、声をかけた店主の顔を見る。すると、彼はその鋭い眼光を恐れたが、しかしたじろぎながらも言う。
「他の客がビビってしまって商売にならないんです。悪いんですが、顔の半分とない方の腕、隠すかなにかしてくれないですかね」
男は、自分の傷と焼けた頭皮を隠さない。そこに眼帯や半面、マントなどの布を被せることを嫌っているからだ。身なりも平凡な服装で、しかしやはり、その男の持つ独特の雰囲気と、欠けた体に反する体躯の大きさが人々を驚かせる。
言われて、その男はグラスの中を空ける。そして金をカウンターの上に置くと、黙って店を出た。
彼はフラックメルに存在する、とある兵団の一員だ。過去十年間、ネウロピアの兵として戦争の前線で働いていたのだが、一年程前に軍をクビになってしまったのだ。理由は、愛国心の欠如だった。
その後は、『冒険者ギルド』と呼ばれる世界の未だ見ぬ土地の調査や、金次第では国家間の戦争にも加わる私設兵団に入団。しかし、私設兵団とは言えその規律はあまりに緩く、名前を登録してギルドに依頼された仕事を好きなように受けることが出来るという自由なモノだ。
冒険者ギルドは国内最大の財力と規模を誇る大貴族、ミスティナイト家が運営する機関である。つまり民営の派遣専門のハローワークのようなモノだと覚えておけばいいだろう。無論、国家との関係は極めて親密であるのだが。
冒険者ギルドの歴史は意外にも浅く、その発足は五年前であった。噂によると、ミスティナイト家の当主に進言した者がいたとか。
閑話休題。
冒険者ギルドでは、本来『パーティ』と呼ばれる小隊を組んで仕事に臨む。理由は単純で、フリーランス同士の冒険者が互いの生存率を高めるために、そしてより質の高い仕事に臨むためだ。しかし、彼にはその仲間がいない。それはなぜか。
彼は、どんな僻地へ赴いても、どんな戦いに参加しようとも、仲間が全滅しようとも、必ず生きて帰ってくることで裏の冒険者界隈に名を馳せていた。ギルドの面々は、そんな彼を怪しみ、訝しみ、畏怖して、本当は死んでいるのではないかという噂まで流れている。そして、いつしか冒険者たちは彼を恐れてこう呼ぶようになった。
『
× × ×
「じいさん、金だ」
彼が訪れたのは、街のとある小さな診療所。ノックもなしに中へ入ると、金の入った封筒をテーブルの上に置いて診療所の主の姿を待った。
「……また生き残ったのか。悪運の強い奴じゃな」
部屋の奥から老人が現れた。
「中々死なねえもんよ」
「……ギルドで聞いた。ヒルクに行っとったようじゃな」
ヒルクは西の海岸にある、亜人種と人間が仲良く暮らす平和な町だった。しかし、ある日地底から湧き出た魔物に支配されてしまう。そして、雄は殺され、雌は子を産むためだけの存在とされてしまった。亜人の力と悪魔の魔力を持った化物が住まう立ち入り禁止区域。それが、今のヒルクの姿だ。
しかし、そんな魑魅魍魎が跋扈する地獄の片田舎に亡霊は単身乗り込んで、親玉である悪魔を撃破したのだった。
こう言った血生臭い仕事は、表舞台には出てこない。何故ならそのほとんどを、彼のような日陰者がこなしているからだ。逆に言えば、ただのモンスター討伐や素材採取の依頼は、どれだけ報酬が良くとも彼は絶対に受けない。表と裏の秩序を乱すことを嫌うのは、決まって裏の人間であるという。皮肉なモノだ。
ドクは封筒の中を覗くと、「さすがじゃ」と言った。彼は過去に亡霊の命を救ったことがあり、その治療費として亡霊は仕事のたびにこうして金を届けに来ているのだ。
「しかし、まだ足りん」
「ったく、がめついな。一体いくら払えば気が済むんだよ。金はあの世に持っていけねえんだぞ」
「ふん。いくらあっても困らんわい。それに、ヌシの借金はまだまだ終わらんよ」
「終わらんって、もう五年も払ってるじゃねえか」
「金利ってモンがあるんじゃ。それに、どうせヌシは金を持っていても使わんじゃろ。ならワシが持ってた方が世の為になろうて」
「……けっ。あんた、ロクな死に方しねえよ」
「その為の金じゃ。地獄の沙汰も金次第というじゃろ」
「知らねえよ……、そんじゃな。長生きしろよ」
「ヌシもな」
そういうと、
彼は、自分の家を持っていない。だから毎日の寝床を、街の一番安い宿にて取っている。今日もその宿に帰ろうと街の中を歩いていると、とある料理屋の前で数人の若い女に囲まれて困った様子を浮かべている中性的な容姿の青年の少年が目に入った。
「タクミ様。なんだか酔ってしまいました。どこか休めるところに行きたいです」
「あーっ!アウラ!抜け駆けなんて許さないわよ!ちょっとタクミ!あんたも何か言い返しなさいよ!」
「別にみんなで行けばいいのよ。何をそんなに怒っているのよ」
「えっと、タクミ様。あたしも、その……」
「困ったな。はは……」
道の真ん中でわいわいと盛り上がるあのグループは、生ける伝説の勇者パーティだ。以前、亡霊も参加した戦線に、彼はいた。
魔法や剣技に優れた人間、エルフ、半人の女のメンバーと、何より魔法とは別の概念を持つ超ド級の技を使う事で有名な勇者は、敵と味方に圧倒的な力を見せつけてその戦いの勝利に貢献していた。
――あいつのどこが!俺様とちげえってんだよぉ!
亡霊は、嘗て戦った敵の言葉を思い出していた。それだからだろうか、足元への意識が散漫になっていたのは。
「いっ……ちょっと!あなたどこ見て歩いてんのよ!」
道の端を歩いていたのだが、勇者パーティの一人が走り出してぶつかってしまった。普段なら、こんなことはないはずだと亡霊は思ったが、首を横に振って女に一瞥をくれるとそのまま歩き出した。
「待ちなさいよ!一言くらい謝り、なさ……」
彼の前に立ちふさがり、そしてその姿を見たようだ。すると彼女は言葉を失い、そして下を向いてしまった。
そんな彼女を見て、仲間を大切にする勇者が黙っているはずはなかった。
「おい、あんた。俺の仲間を困らせないでくれ」
困らせた、というのはどういう意味なのだろうか。亡霊には、それがわからなかった。ひょっとすると、彼がちょっかいをかけたのだと勘違いしているのかもしれない。
女を避け、宿へ向かおうとする。しかし、勇者は彼が逃げ出したのだと思ったのだろうか、人とは思えない俊足で亡霊の前に姿を現すと、「彼女に謝るんだ」と言った。
「……ガキだな」
亡霊が呟く。すると、勇者はそれに腹をたてたのか、片手で亡霊の体を押した。すると、九十キロを越えている彼の体が吹っ飛んで、店の横に積んであった箱の山に突っ込んだ。音を立てて崩れ、彼の上に箱が落ちる。
「あれ、やりすぎちゃったかな?」
勇者が言う。すると、道を往く町民たちは暴漢から彼が女の子を救ったように見えたのだろう。歓声が上がり、そして彼を慕う女たちが駆け寄って勇者を褒めたたえていた。
黄色い声援と拍手の音を聞きながら、亡霊はため息をつく。そして。
「……まいったね、どうも」
夜空を見上げながらそう言った。
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