第12話 ランス

 ……夜が明ける。丘の向こうに太陽が昇っている。そこを登ると、眼下には光に照らされた連続性のある造形の家々と、確立された美術品のような建物。そして、街の至る所に水路が張り巡らされた美しい景色が広がっていた。



 「クラリス、着いたぜ」



 ……。



 「よく、頑張ったな」



 ……。



 「本当、足もねえのによ。よく歩いたよ」



 ……。



 「……それじゃ、俺行かねえと。最初に言ったとおり、ここでお別れだ」



 道の外れの草の上に、彼女をそっと置く。



 「腹減ったからよ、指、もらっていく」



 片膝をついて手を持ち、指を切って喰らう。そして、次に懐から取り出したリーシェの指を見て、再び喰らった。これで、あそこまで歩けそうだ。



 骨を砕いて飲み込んだ時、とても甘酸っぱい味がした。



 ……人通りが多くなってきた。まだ早朝だというのに、道を往く数は多い。彼らは俺の腕を見て不気味がっているのだろうか。潰れた目を見て距離を置いているのだろうか。でもどうしてだろう。気配はあるんだけど、なんの音も聞こえねえし、視界も狭すぎて。だからもう、何が何だかわかんねえ。



 そういえば、背中がやけに軽いな。あれ、俺は何かを道しるべにして歩いていなかったっけか。



 ……生きなきゃ。

 


× × ×



 「……ここは?」



 見上げたのは、知らない天井。ズキズキと痛む頭を押さえて体を起こすと、俺はベッドに寝かされているようだった。左腕には、やはり何もついていない。しかし、その断面には適切に見える処置が施されていて、痛みは大分和らいでいた。



 左を向くと、壁側に鏡が立てられている。そこには顔半分を包帯でぐるぐる巻きにして、体の至る所にガーゼのような布を貼っている男の姿があった。言うまでもない。俺だ。



 「ひでえね、これは」



 言って、水がないかと探していると部屋の中に一人の年老いた男が入ってきた。



 「……目を覚ましおったかい」



 そういうと、彼は俺にコップを渡す。俺はその中身を少しも疑わずに飲み干した。



 「あんたがやってくれたのか」



 訊くと、めんどくさそうにそっぽを向いた。



 「好きでやったんじゃないわい。治療費は必ず取り立てる。慈善事業だなんて思わないことじゃぞ」



 いうと、彼はテーブルの上に持っていた書類を置いた。関係の間に金があったほうが、俺としてもありがたい。



 話を訊くと、どうやら俺は門を通ってからすぐの場所で気を失ってしまっていたようだ。それを見ていた行商人の男が通報し、しかし素性のわからない男を介抱する病院は中々見つからず、最後にこの場所へ流れ着いたというわけだ。それから二週間は寝っぱなしで、ようやく目が覚めたのだと男は言った。



 「迷惑かけたな」



 「動けるならとっとと出ていくんじゃぞ。泊まるなら、その分の料金は追加するからな。おっと、あのナイフは手付金として貰うぞい」



 そういって、彼は部屋から出て行った。俺はその言葉に甘えてもう一晩ベッドの上で過ごし、借用書を書いてからその小さな診療所を後にした。



 出るとき、清潔な服の一式と、伝票に借用書の控えを受け取った。(服も請求されているが、これは本当にありがたい)書かれている数字を読むことはできないが、きっと法外な金額が記されているのだろう。なんとかして稼がなければ。



 そんなことを考えていると、いつの間にか都の大通りへと出た。そこでは何やら祭りが行われているようで、異常な盛り上がりを見せている。パレードを行う雑技団と、それを挟むように並ぶ色とりどりのテントがより一層楽し気な雰囲気を醸し出す。……そういえば、転生した頃はこんなのを羨んでいたっけ。



 「お待たせいたしました!それでは第二王子、レイン=フォン=ネウロピア様の登場です!皆様!盛大な拍手を!!」



 司会の声が街中に響き渡る。しかし、その言葉は俺の脳みそに楔を打ち込んだ。



 「お、おい。あんた」



 近くの男に訊く。



 「なんだよ、今いいところだろう」



 動揺を隠せない。



 「今、司会はあの人の事をなんて紹介した?」



 「何って、レイン王子の事か?」



 王子。この世界の言葉でそれを意味するのは。



 「……ランス」



 「うん?変な兄ちゃんだな」



 言って、男は王子を見上げた。



 直後、思い出す。そして、俺はその場に膝から崩れ落ちてしまった。



 「あっ……あぁぁっ……っ」



 ――だって、あたなは



 「あぁぁぁああぁぁ……っ」



 ――私たちの



 「クラリス……っ!リーシェ……っ!」



 ――王子様だもの。



 涙があふれて、止まらなかった。どうしてだろうか。こんなに悲しいのは。拭いても拭いても涙は止まらず、辛いはずだった二人との出来事で、頭がいっぱいになった。しかし、二人の笑った顔を思うと、胸がどうしようもなく苦しかった。体の傷とは比べ物にならないほどの、とてつもない痛みだ。



 「ひっ……くっ……」



 俺は、この先永遠にこの思いを抱いて生きていくのだろう。ならばせめて、この思いを守れる力が欲しい。繋がれた指を離さない為の、強い力が。



 「うわああぁぁぁぁああぁぁぁぁあぁぁぁ!!!」



 叫び声は喧噪に掻き消され、誰の耳にも届かない。後ろを振り向く者はおらず、だから人目を憚らずに俺は泣き続けた。



 ――ランス。 



 風に乗って二つの声が聞こえた気がした。



 二人との時間をどこかへ閉じ込めて、ずっとそこにいられればいいのにと、心の底から思った。


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