第5話 知る事
……目が覚めると、俺はリーシェの膝に頭を乗せていた。二人で運んでくれたらしく、草葉にうまいこと身を隠している。
話を訊くに、どうやら彼女は鞄に入っていた蝋燭に火打石で火をつけ、転がっていたこん棒に布を巻きゴブリンの死体の血を塗った松明を作り、更に着火剤として死体の肉を使用したようだ。
そして、オークもゴブリンなどの魔物は地獄の出身。その混じった血は、よく燃える。
「どうして、火がつけられたんだ?」
リーシェには手錠がつけられていないが、だからと言って火花を散らすのは、片手では不可能だ。そう思って訊くと、彼女は爪の剥がれた自分の手と、傷だらけになった両の内ももを見せた。……何度も打つ付けたのだろう。これは、痛いな。
「逃げてもよかったのに」
彼女は俺の手のひらに文字を書く。だから、それじゃわかんねえってのに。
「だって、あなたは私たちの……ううん。でも、リーシェはランスを見捨てて逃げたりなんてしないよ」
逆側に、クラリスもいる。その代弁に納得したのか、リーシェは首を縦に振った。
「……損な生き方だな」
俺は体を起こすと、痛む左肩を見た。不器用に布が巻かれていて、あの男たちが締めていたであろうベルトでキツく縛られていた。止血は出来ているようだ。
クラリスを起こして、鎖を割った断ビラの元へ向かう。しかし、それは華奢なリーシェには到底持ち上げられるようなものではなかった。拘束を解くことが叶わないと知ると、俺たちはふらつきながらも先を目指す。
……コンパスの示す方向へ行くと、ようやく地図に記されている大きな岩を見つけた。この地図が正しいのであれば、ここから南西に進めば目的地にたどり着くはずだ。
途中、体を洗った沢の下流を通る。そこは川になっていて、水深はそれなりに深い。俺はようやくこびり付いた血を落とすと、二人の体を洗うのを手伝った。
「ごめんね」
照れた様子はない。まあ三度も死線を潜り抜けた仲間だ。今更そういう感情も沸かないのだろう。
服を乾かしている間に夜になってしまった。辺りは暗い。目的地はすぐそこだろうから、今日は大人しくここで休むことにする。
全く、行ったり来たりで、結局最初に逃げ出した場所から大して遠ざかってねえじゃねえか。意味のないことばかりだと実感すると、尚の事疲れを感じてしまう。無駄な事はあまりしたくないんだが。
そんなことを考えながら、俺たちは川のはずれの横穴に入ると、また三人で体を寄せて目を閉じた。
そんな沈黙を、クラリスが破る。
「……ねぇ、リーシェ」
鎖が揺れる。
「〇〇って、したことある?」
彼女は横に首を振った。
「そっか。私も、したことないんだ」
リーシェは地面に文字を書いた。
「……うん。私もそう思う」
……。
「ねぇ、ランス」
「ん」
「私たちの〇〇、もらってくれないかな」
「〇〇?」
俺はたどたどしい発音でそれを口にする。
「えっと、純潔ってこと」
要は処女か。冗談でも言うモンじゃねえよ、んなこと。
「生きて帰ればいいだろ。町で恋人でも探せ」
彼女の感情は吊り橋効果と言うヤツだろう。まやかしに過ぎない。
「そんなの、無理だよ」
暗闇の中、薄目で彼女の顔を見ると涙を浮かべていた。
「無理じゃねえよ。今日だってなんとかなったじゃ」
「無理だよ!」
涙を、流している。
「無理だよ。私、走れないんだもん。分かる?私の事連れて行ったら、今度こそみんな死んじゃうんだよ?」
「わかんねえだろ。もしかしたら」
「わかるよ。ランスが分からないわけない。……今日はたまたま助かったけど、明日はそれじゃ絶対に無理だよ。だって今日の人数の何倍もいるんだよ?そこに向かっていくんだよ?そんなところに私みたいな荷物持って行ったら、みんな死んじゃう……」
のそのそと体を動かして、彼女は俺の上に覆いかぶさった。潰れているはずの瞳の端からも、涙が滲んでいる。
「お願い。私、男を知らないまま死にたくない」
つまり、彼女はここで犯して、殺してくれと言っている。
返事を待たぬまま、彼女は俺に口づけをする。俺はそれを遠ざけようと首を動かしたが、彼女は追いかけて逃さない。更に、リーシェは俺の手をつかむと、彼女は自分の胸にその手を置いて動かした。
声はなく、吐息が漏れる。
「……ほら、ランスはまだ、人間だよ」
躊躇う理性が残っていたのは、俺にとっても予想外の事だった。そして。
「俺は、お前を……」
殺せない。殺せないのだ。
たった三日程度の絆だが、俺はクラリスを殺す事なんてできない。決めた覚悟とは、その程度だったのだと、俺は思い知らされた。
「私は、ランスには生きていてほしい」
リーシェは縦に首を振る。声の出ない口を開けて、それでも何かを伝えようと動かす。
「……だめだ」
「でも」
「ダメだ。三人だ。全員で生き残る。それにリーシェ、お前は一人でもいけ……っ」
そういうと、今度は首を横に振って、俺の唇を奪った。
「リーシェは、どこにも行かないよ」
そして、クラリスは俺の太ももに自分の股を擦る。声が漏れ、さっきまで生き死にのやり取りをしていた者とは思えないような蕩けた顔をしていた。
目を、逸らせない。
……。
「……生き残るんだ。俺たち三人で。だから、力を貸してくれ」
俺は、姿勢を直して言う。
「それなら、もっと勇気をちょうだい」
その言葉を聞いて、二人を強く抱きしめた。
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