第3話 人の肉
マントを分割して彼女たちに渡し、着ている服を脱がせた。これでひとまず、臭いで追われることはないはずだ。鞄はリーシェに預け、俺は尚もクラリスを背負って歩き続ける。
「ねぇ〇〇、私たち、どこに、向かっているの?」
俺を呼んだのだろうか。
「なんて、言ったんだ?」
「ランス。えっと……、名前がない、って意味。だからちょうど、いいかなって。ね、リーシャ」
首を縦に振ったようで、鎖が揺れた。少し気取った名前のように聞こえるが、まあいいだろう。
「とりあえず、この山の、頂上まで行く。そこから見える、一番大きな町に、俺は向かう」
「そっか、ならその町で、お別れになるんだね」
「そうだな」
道は険しい。昨日は無我夢中で気が付かなかったが、この山は上を見上げれば薄く雲がかかっている。しかし、だからと言って何も考えずに歩き回れば樹海につかまってどこへも行けなくなってしまうかもしれない。方角を決めてすすむのが吉だと思ったからだ。
しばらくして、俺の息が切れ始めた。荒く呼吸を繰り返していると。
「……ごめん、なさい」
クラリスが言う。
「お前のせいじゃ……ない、だろっ……。はぁ、はぁ。それより、後ろは……大丈夫か?」
時折、クラリスが振り返って状況を確認してくれる。今のところは、問題なさそうだ。
再び、目の前の木々に切れ目がある。崖だ。それも随分と高い。まだ世界の全貌を知ることはできないが、遠くの方に小さく町が見えた。
「……あそこ、知ってるか?」
クラリスに尋ねる。
「あれ、ペイルドレーン・ワークスだよ。あんな……、ところ行ったら、〇〇〇〇にされ……ちゃう」
意味を問わずとも、それが碌な言葉ではないことが分かった。
ペイルドレーン・ワークスは、世間を追放された魔法使いが住んでいる世界の最果ての町であるらしい。異形(合成獣をそういう)や金の生成などの禁忌を冒しても、誰も咎める者のいない闇の町。そんな場所の見えるこの辺りの治安が悪いのは、当然と言えば当然だったのだろう。つーか魔法はあるんだな。それに、リスポーン地点は優しいドラゴンのいる祠がよかったぜ。
しかし、予想以上に上が果てないな。これは一度考え直した方がいいかもしれない。
そんなことを考えていると、突然首輪が強く引っ張られクラリスごと後ろへ倒れてしまった。
「きゃあ!」
何事かと思い見ると、リーシャが倒れている。きっと、ここまで歩き通しで限界が来てしまったのだろう。クラリスの喋り口調からも、既に空腹の限界が来ているのがわかる。かくいう俺も、もう気力以外に何も残っていない。運ばれる前から、飯を貰っていなかったからだ。
「……今日は、この、あたりで……休もう」
この世界には、バカでかい木が多い。その
朝起きて、鞄の中を改めて見る。少し大きめのダガーナイフにボウガンの矢が三本。ろうそくと火打石に財布、コンパス。そして、どこかのカギと地図が入っている。
「首輪と……手錠。どうにか、しないとね」
もはや、少し喋るのにも息を切らしてしまっている。
この世界の鋳鉄技術はそれなりのようで、しっかりと鋼を思わせる硬さがある。魔法と練り合わせているのだろうか。とにかく、並大抵の力では外すことが出来ない。
「……この鍵、たぶん、連中の……アジトのカギ、だよな」
古めかし形のそれを見て、俺が訊く。だとすれば、この地図は連中のアジトの場所かもしれない。
「多分ね。でも……」
そう、仮にそこまでたどり着いたとして、果たしてこれを解くカギを見つけることが出来るだろうか。見つけられたとして、その場を生きて帰ることが出来るだろうか。不安で仕方がない。しかし。
「あの崖からは……ペイルドレーン・ワークスしか、見えなかった。頂上までは、まだ結構、ある。それなら、カギとあの馬車を……奪って逃げる方が、安全、なんじゃないか?」
リーシェを見る。彼女は何も言わなかったが、クラリスの手を握った。
「……そう、だね。そうしよう」
疲労と空腹で、俺たちの思考はめちゃくちゃだ。こんな方法、自殺願望としか思えないが、しかしもうそれしかないと思ってしまえるほど俺たちは追い詰められているのだ。……やってやる。
クタばり損ないながら坂道を下ると、割とすぐに昨日の洞窟までたどり着いた。あんだけ疲れたってのに、全然登れてなかったんだな。
死体が転がっている。真っ二つに切り裂かれ、上半身だけが転がっている。食い殺された時の恐怖の顔のまま死んでいる。臓物はあたりに散乱して、何とも耐え難い血の匂いが充満している。これが、昨日まで生きていた人間とは思えなかった。
カラスが死体を啄んでいる。そこから察するに、昨日のクマは巣穴の中にはいないのかもしれない。俺ですらあれだけ感じる気配を、野生の動物が恐れない訳がないからな。
「……死にたく、ねえな」
「な、な……に?」
俺はクラリスを下ろして膝をつくと、足元に転がっていた腕を持ち上げ、それに躊躇なく齧りついた。
「ランス……。あなた……」
クラリスは唖然としているのだろう。リーシャは信じられないだろう。しかし、俺は死にたくない。死にたくないのだ。
「俺は、生きるために奴らを殺した」
噛み千切り、肉を飲み込む。
「俺はヒトデナシだ。もう、人じゃないんだよ」
血を啜り、ゴクゴクと飲む。
「違うよ……。ランスは」
「俺は、死ぬくらいならなんだってする」
空腹が満たされていくのが分かる。生の肉は、意外と脂肪があって食べやすい。味はかなり独特だ。しょっぱいような、甘いような。普段、こいつがどれだけ不摂生な食事をしているのかが手に取るようにわかる。
「うめぇ。……うめぇ、うめぇ」
後ろで、二人が唾を呑む音が聞こえた。
俺は、転がっている足と手を差し出した。
「食人族だってよ、俺たちの事食おうとしてたんだぜ?気にすることなんてねえよ」
「だ、だって。人……なのに」
目は虚ろだ。その上もうほとんど足りていない水分を使って、ダラダラと涎を垂らしている。
「人として死ぬか、堕ちて生きるか。
そういって、動脈を食いちぎると、血が僅かに吹き上がって、俺の顔を赤く染め上げた。
言葉に、二人は我慢が出来なかった。夢中になってしゃぶり付くと、ジュルジュルと音を立てて血を飲み、骨の周りの肉を嘗め回した。泣きながら食べ続ける彼女たちを見て、俺は尚血を啜り続けた。
互いの喉の鳴る音が聞こえる。ゴクゴクと、食道を通って胃袋へ入っていくのが手に取るようにわかる。
これが食事か。……ありがてえな。
……腹を満たすと、俺たちは昨日と同じ洞窟の陰に入って眠った。そして起きたとき、今までとは比べ物にならないほどの活力を感じる。立ち上がりがスムーズで、肌の張りも格段に上がっていた。
「行こうか」
二人が頷く。昨日までは殺されるかもしれないという想いから恐れを成して尻込みをしていたが、もう違う。
俺たちは冷静に。ただ冷静に生きることを目的として、奴らのアジトで向かっている。
足は震える。怖くて、苦しくて。明るくない未来を想像すればするほど耳を塞いで立ち止まりたくて。
でも、それでも前に進むしかないんだ
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