第56話「猫カフェ」

「いらっしゃいませ。空いているお席にご案内しますね」


 にこやかな店員さんに連れられ、俺たちは四人がけのソファ席へと案内された。真実と架純さんが窓側で、俺と五十嵐は通路側に座る。

 猫は室内の至る所で、それぞれ好き勝手に寝転んだり、身体を丸めて座っていたり、自由に存在していた。

 積極的にお客さんと遊ぶ好奇心旺盛な猫もいれば、キャットタワーの天辺で眠りこけたり、お客さんたちから熱心に写真を撮られてもどこ吹く風といったように、そっぽ向いて毛繕いに精を出す猫もおり、自由気ままに過ごしている。


 想像通り、五十嵐兄妹はメンバーズカードを持っているほどの常連だった。

 住んでいるマンションがあいにくペット禁止の物件らしく、動物好きの兄妹はたまに猫カフェを訪れては、思う存分猫を愛でているという。微笑ましいエピソードだ。


 勝手が分からない俺は、五十嵐兄妹におんぶに抱っこでメニューやらプランやらをお任せした。

 結果、俺と真実は初めてということもあり、スタンダードなコースを選んでくれたらしい。滞在時間料金と食事がセットになったものを選択したようだ。


 メニューには、何だか意向を凝らした料理やらスイーツやら飲み物やらが種類豊富に載っている。加えて猫カフェらしく、猫のおやつやおもちゃ道具も売られているみたいだ。

 料理を選び終え、メニューを届けてもらう間に、五十嵐兄妹から猫カフェでの猫に対する接し方の簡単なレクチャーを受けた。


「このお店は猫の抱っこは禁止されているから、注意してくれよ」

「へえ、勝手に触ったら駄目なんだな」

「そうです。猫ちゃんがわたしたちにじゃれてきたり、膝に乗ってきたりする分には大丈夫なんですが、こちらから猫ちゃんにちょっかいをかけるのは御法度でお願いします。この空間は猫ファーストなんですよ」

「さっき、撮影オッケーっていったけれど、フラッシュ焚いての撮影はもちろん駄目。あと、嫌がる子を無理矢理撮るのも禁止な」

「なるほど。にゃんこの自由が第一優先なんだ。くつろいでいる子の邪魔しちゃ悪いもんね」


 ふむふむと神妙に頷く真実を見る架純さんの表情は慈愛に満ちているが、その顔つきは優しいだけではなく、どこ笑いを堪えているようにも見受けられた。

 現に架純さんは口元を押さえて、肩口が小刻みに震えている。とうとう堪えきれなくなったようで、笑みを滲ませながら真実へと頷きを返した架純さんは口を開いた。


「そういうことだよ、真実。でも、にゃんこって……ふふ、可愛いよ」

「……っ! こ、これはちょっと口が滑って! こら、架純。笑うの禁止!」


 迂闊な「にゃんこ」発言を今更恥じた真実は頬を紅潮させ、唇を尖らせて架純さんを非難している。

 対する架純さんはといえば余裕綽々の表情で、頬を膨らませて拗ねだした真実を笑って宥めていた。

 もちろん目の前の男は、ふたりのじゃれ合いを目撃し、滂沱せんばかりに感激で打ち震えていたので、俺はひとりゲンナリとしたのだった。


 程なく注文した料理が運ばれてきた。現在は昼過ぎで、もうじき三時のおやつの時間ともあって、真実と架純さんはスイーツをめいめい好きに頼んでいた。

 真実はパンケーキセットを選んだようだ。パンケーキは猫の形に焼かれており、チョコソースで愛嬌のある顔が描かれている。また一際存在感を放っているのが生クリームで、真っ白のクリームがこんもりと隅に盛られていた。


 架純さんはフルーツタルトのセット。小さめのミニタルトが数種類、皿の上に華やかに並んでいる。スタンダードなイチゴタルトの他、夏に旬を迎える果物をふんだんに使ったタルトも目に鮮やかだ。

 真実と架純さんはふたり違うデザートを頼むことで、違う味をシェアできるからと嬉しそうに語ってくれた。


 食べさせてあげる、なんて言って、クリームがたっぷり塗られたパンケーキをフォークに刺し、真実は無邪気に架純さんと食べさせ合いっこをしている。架純さんもあーんとか呑気に口を開け、パンケーキを頬張る様は実に楽しげで和やかだ。それはいい。


 だが、俺は目の前に座る男を不快感を全く隠さず、じろりと睥睨した。五十嵐は真実と架純さんを見やっていた視線を、煩わしそうに俺へと向ける。

 そして、あの人当たりの良い「五十嵐くん」をかなぐり捨てたような不機嫌さマックスの声音で、ぼそりと俺の名を呼ぶ。


「新留……何かな。邪魔しないでくれる?」

「五十嵐こそ、平和な空間を邪魔すんな」


 頬杖をついて口元を巧妙に隠しているようだが、五十嵐の唇がだらしなく緩んでいるのは明白だ。

 なまじっか顔が整っているだけ、変質者めいた表情を作っても取り繕える分、質が悪い。


「今の俺は壁とか天井みたいなものだから。存在していても気にも留められない」


 この男、またおかしな論理を述べていやがる。

 だが、五十嵐のような存在感の塊が気配を消し、視界に入らない存在になろうとしてなれるものか。今だって、隣の席から熱視線を感じる。

 若々しい服装や髪型、ハッキリとしたメイクからして女子大生っぽい女性ふたり組が、店の売りの猫ではなく熱心に見ているのは、明らかに五十嵐だった。

 あわよくば声でもかけて、お近づきになりたいと女性たちは思っているのだろう。


 それほど容姿が整っている男が目立ってないから大丈夫なんて、よく言えたものだ。

 気配を消したいなら、まずは自然と醸し出すオーラを消してからにしてもらおう。


「……ねえ、お兄ちゃん。全然、グラスの中身減ってない。ちゃんと飲んで」


 五十嵐と静かに諍い合っていれば、先ほどまで和気藹々と架純さんと談笑していた真実が俺を咎めるような目で見ていた。架純さんも手を止め、気遣わしげな視線を送っている。


 俺の前には注文した飲み物が注がれたグラスが置いてあるが、真実の指摘通り全く中身が減っていない。

 注文時、何か食えと真実や五十嵐にせっつかれたが、食欲が全然湧かなかったので、飲料なら多少無理しても飲み干せるはずと苦し紛れに頼んだのだ。


 真実が健康そうだから、とフルーツアンドグリーンスムージーなる、果物と野菜をミキサーにかけてドロドロに撹拌した飲み物を半ば勝手に注文していた。

 どろりと粘度のある緑色した液体が注がれた見た目からして、いっそう食欲が減退したが、義理で一口だけでもと、ストローで啜ったのだ。

 量の減りから分かる通り、二口目は訪れていない。口内には未だ青臭さが残っている。


「ほら、真実。あげるよ。クッキー好きだろ?」


 俺はスムージーと一緒についてきたクッキーを小皿から摘まみ上げ、真実へと一枚差し出す。

 猫の形に型抜きされたクッキーは、アーモンドが練り込まれたチョコレートクッキーのようだった。実際に食べていないので、チョコかどうかは判断に迷う。

 真実は一瞬ぱあっと目を輝かせ、嬉々としてクッキーを受け取ろうとしたが、すぐに我に返って手を引っ込めた。そして、すぐに険しい顔つきへと戻る。


「それはお兄ちゃんの分でしょ。最近、食が細いってお母さんも嘆いていたじゃん」

「今言うことじゃないだろ」

「今だからこそ言うの。皆の前で恥掻けばいい」

「はあ……?」


 真実は頬を膨らませて、わざとらしく腕を組む。

 立腹しているとこれでもかとアピールされても、俺は真実が何に対してそれほど怒っているのか釈然としないから、謝ろうにも謝れない。


「ご飯食べないと元気にならないし、また風邪引いて寝込んだらどうするの? あたしはもちろん、家族全員心配しているんだよ。迷惑ばっかりかけて。どう思う、架純? 五十嵐さんも」

「家族間の話をふたりにしても意味ないだろう。迷惑かけるな」

「今はお兄ちゃんに聞いていないでしょっ」


 真実の癇癪にはほとほと参るし、言わなくていい家庭の事情をベラベラ吹聴されて、恥ずかしくて顔から火が出そうだ。

 クラスメイトや妹の友人に知られるようなものではないから、もう本当に勘弁してほしかった。

 今朝のしおらしかった真実は一体どこへ行ってしまったのか。今日は労ってもらえる日ではなかったのか。


 おかしくなった空気をどうにか打開すべく、周囲に視線を走らせるものの、五十嵐も架純さんも俺を哀れむような目で見ているから、居たたまれないこと甚だしい。

 まるで悪いのは俺みたいじゃないか。助けを求めるように五十嵐を一瞥するも、わざとらしく肩を竦めてゆるゆると息を吐いた。


「悪いのは新留だろ」

「なんでそうなる」

「あの日から思っていたことだけれど、君は周囲への配慮が欠如しているところがあるよ」


 五十嵐の言葉に俺は目を剥いた。コイツは一体何を言っているのか。

 俺はいつだって、他人の迷惑にならないように過ごしてきたはずだ。

 俺の戸惑いを受け、五十嵐も説明を加える気になったようだ。五十嵐は鋭い双眸でこちらを見据えると、おもむろに口を開く。


「自分を蔑ろにしすぎだよ」

「そんなこと……」

「あるんだよ。あのときだって、おおごとにしたくないって君、ひとりで帰ろうとしていたじゃないか。怪我して酷い有様だったのに。他人の手を煩わせるのは、申し訳ないとでも思っていたのか。新留、君は自分自身を過剰なほど、下に位置づけている気がするな? 違う?」


 俺は慌てて首を横に振ったが、咄嗟に「違わない!」と声が上がる。発言者は真実だ。


「自分をいつも後回しにしているよね? それでお兄ちゃんは自分勝手。いっつもひとりで決めて実行して、ひとりで解決した気になっている。大事なことほど話してくれない。中学のときだって――」

「真実」


 俺は真実の話を遮るように、名前を呼んで強い視線を向けて黙らせた。

 昔の話など、ここで話すようなことではないし、その内容だって話して聞かせる部類のものでもない。俺のことなんて、本当にどうでもよいのだから。


 俺はメニューを開き、ちょうど近くを通りがかった店員さんを呼び止めた。

 そうして、猫のおやつを一皿注文した。俺の突拍子もない行動には、三人も首を傾げて一様、頭上に疑問符を浮かべている。


「猫ちゃんたちに、大好物のおやつを食べさせてあげましょうってさ。真実と架純さんでやってこいよ。俺は少し、五十嵐と話をするから」


 俺はメニュー表の説明を読み、真実と架純さんへ離席してくれるように頼んだ。

 真実は俺が古谷に暴力を振るわれたという詳細は知らないし、怪我を負って学校から帰ってきた理由を今後も吐露するつもりは毛頭ない。

 だから、今から五十嵐と話をする場に居てほしくはなかった。


 真実は俺の勝手な指図を受けて不服そうに唸っていたが、架純さんに諭されて渋々席を立ち、猫カフェの中央部にある開けたエリアへと向かって、集まりだした猫たちにこれからおやつをあげるようだ。

 真実と架純さんが店員から皿を受け取り、しゃがんで猫たちを構う様子をちらりと確認するや、五十嵐へと再度向き直った。


「……余計なことを言ってくれたな。お節介はやめてくれ」

「本当のことを指摘したまでだよ。俺と新留は軽い付き合いでしかないけど、もっと近しいひとのことはちゃんと考えてやれよ。真実ちゃんはもちろんそうだし、佐藤のことも」


 突然五十嵐の口から発せられた佐藤さんの名前に、思わず渋面を作ってしまう。


「新留から庇われた佐藤、君が古谷から殴られたのは自分のせいだと、自分自身を責めているらしいよ」

「なんで……」

「世奈から聞いた。連絡も滞っているんだって?」


 世奈、内山さんは五十嵐の彼女であり、なおかつ佐藤さんの親友でもある。

 佐藤さんが内山さんに相談した情報は、五十嵐に筒抜けっていうことか。プライベートもあったものじゃない。


 俺は情けなくも、いまだに佐藤さんの謝罪と身を案じるメッセージへ返事をできていなかった。

 既読スルーなんて無礼たる暴挙だが、佐藤さんへ返信を打とうとすれば指が震えて、上手い返しが全く浮かばないのだから仕方がないだろう。

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