第51話「会議室」

 放課後の教室はがらんとしている。並ぶ机も授業中や休み時間に比べると、どこか他人行儀でよそよそしく感じるのは目の錯覚ではないだろう。


 自分の席に腰掛けて、机の天板に頬杖吐いてぼんやりを継続する。

 静まり返った教室に聞こえるのは、壁掛け時計の秒針が刻む音と、遠く近くから届く部活動のかけ声。外の騒がしさははるか遠く、教室内は水を打ったような静けさに包まれている。


 今頃、佐藤さんは会議に出席しているはずだ。文化祭実行委員は夏休み中も忙しいのだろうか。

 文化祭は九月の終わり、土日の二日にわたって開催される。ずいぶん先のことに思えるが、夏休みが終わった途端、あっという間にやって来るのだろう。


 そういうわけで、委員会はすでに発足しており、着々と準備を進めている。生徒会も文化祭の運営に関わるのであれば、佐藤さんと古谷が顔を合わせる機会も多くなる。

 それを嫌だと思うのは、俺の度量が狭いせいだ。けれど、胸に広がるモヤモヤを消し去る術を持ち得ていない。


 古谷の告白を一度阻止したところで、奴が佐藤さんに抱く想いが消えることはないだろう。

 むしろ、俺の邪魔立てにより、いっそう恋情を募らせる恐れだってある。けれど、むざむざと告白されては堪らない。

 誰だって、誰かが誰かに想いを抱くのを禁じることはできやしない。

 だからこそ、古谷が恋人持ちの佐藤さんに片想いしていようが、彼氏の俺が奴の感情に対してとやかく口出しはしてはならない。


 しかし、今現在恋人が居る相手に向かって告白を行い、自分と一緒になってくれるように請い、それこそ横取りするような真似を目論むのは話が別だと思う。

 俺は恋人がいわゆる「寝取られ」ることで、快感を覚えるような特殊性癖は持っていないので、古谷のやろうとしていることには単純に腹が立つ。厚顔無恥も甚だしい。


 けれども、古谷が堂々と告白なんぞできるのは、己に絶対の自信があるからだ。なおかつ、俺を下に見ているからこそできる芸当だ。自分より程度が低い相手がライバルだから。


 いや、そもそもライバルとしても見ていないかも知れない。少し片付けるのが面倒な恋の障害程度にしか捉えていないだろう。そのため、ここまで舐めた態度が取れるのだ。

 推論していて、自分で自分にダメージを与えている。何だか無性に悲しくなってきた。


 深々と溜め息を吐き、思わず机に突っ伏した。そしたら、自然と瞼が閉じてくる。

 昨晩は古谷の告白についてうだうだ無駄に色々考えてしまい、異常に目が冴えてしまって、ほとんど睡眠が取れていない。眠りに落ちたのは明け方ぐらいだったのではなかろうか。

 授業中もこくりこくりと船を漕ぐ瞬間があったが、どうにか堪えて本格的に居眠りせずに済んでいた。


 けれど、現在襲いかかる睡魔は強烈だった。誰も居ない教室、静かな空間に油断していたのだろう。とうとう俺の目は完全に閉じ、意識も急速に薄れていく。


 眠りに落ちる前覚えているのは、がくんと勢いよく頭が下がった反動で、机に思いっ切り額を打ち付けた痛みだけだった。

 ただし、ぼんやりと白濁した意識の際では、その痛みさえはっきり知覚しない。きっと起床時、じんじんと痺れる額を実感するはずだ。今はただ、眠かった。それだけだ。


 机の上に無造作に放っていたスマホの振動音で、はっと覚醒する。

 慌てて上半身を起こし、スマホを掴んで手元に引き寄せた。


「痛っ……」


 スマホを持つ手とは逆の手で、思わず額を擦ってしまう。何故だかビックリするほど、ジクジクと頭が異様に痛かった。いや、正確には額が痛みを孕んでいるような。


 どうしてだろうと頭を捻りつつ、スマホの画面を立ち上げて、思わず叫びそうになる。

 メッセージが一件届いており、送信者は佐藤さんだった。今し方、会議が終わったと連絡を寄越してくれている。

 俺はスマホを制服のポケットに突っ込むと、そのまま椅子を引いて立ち上がる。今は返事をするのさえ、もどかしい。


 本来ならば、会議が終了すると聞いていた、会議開始時刻から三十分後には、すでに特別棟の会議室前に到着しておく予定だったのに。それで、佐藤さんを出迎えて一緒に帰る手筈が、俺が眠気に敗北してとんでもなく計画が狂ってしまった。


 急いで教室を飛び出し、廊下をひた走る。今、教師と鉢合わせしたら厄介だなあと考えるけれども、駆ける足は止められない。早く佐藤さんを迎えに行かないと!


 幸運にも道中、教師とは遭遇せずに特別棟の二階まで辿り着いた。

 会議室は二階の奥のどん詰まりにある。階段を登り切って目前に広がる廊下を見やれば、教室から出てきたのであろう生徒が何名か見えた。


 会議が終わった開放感からか、いかにも楽しげに話す集団に佐藤さんの姿はない。まだ会議室にいるのだろうか。

 俺の到着を待ってくれているのだとしたら、申し訳ない気持ちで一杯だ。走ったせいで弾む息を整えながら、俺は会議室へと歩いて行く。


「あら、新留? どうしたの?」


 途中、今し方会議室から出てきたと思われる内山さんとすれ違った。目礼をして何と答えたらいいものかと思案し始め、緩やかに疑問が頭をもたげた。


 内山さんは佐藤さんの親友であり、学校内では共に行動する場面をよく目にする。

 連れ立って会議室を出て、先ほどの騒がしい連中のように、仲良くお喋りしながら廊下を歩いていてもおかしくないのに、内山さんはひとりで俺へと声をかけてきた。

 俺の疑問で満ちた表情を見て、内山さんは分かっているとばかりに頷きを返す。


「千晴なら会議室に残っているわ。古谷から呼び止められていて」

「え! 古谷から!?」

「え? ええ、話があるからって言っていたけれど。新留?」


 内山さんへ返事をするのももどかしく、感じが悪いとは理解しつつも、そのまま会議室へと駆け込もうとした。


「おい、お前。会議室は部外者立ち入り禁止」

「関係ない奴は入ったら駄目なんだよなあ」


 入り口を塞ぐように立っていた男子生徒たちに阻まれた。

 逸る気持ちを抱きつつ、当惑しながら声をかけてきた彼らを見やる。上履きの色からして、三年、どちらも上級生だ。

 何だか顔に見覚えがあると思ったら、おそらく彼らは今日まで生徒会役員だったはず。体育館の壇上で話す姿を見た記憶があるため、彼らの顔に覚えがあったのだ。


 しかしどうして、元生徒会の奴らから、ここまで険のある雰囲気で話しかけられなければならないのだろう。何の変哲もない一般生徒たる俺のことなんぞ、知っているわけがなかろうに。


 相手は先輩、どう返事をしたらいいものかと悩み、言葉を探して押し黙っていたら、彼らは俺が萎縮したと勘違いしたのだろう。

 にやにやと薄笑いを顔中に浮かべ、彼らの後ろに控える会議室を振り仰ぐ。


「古谷、上手くやっているといいけどなぁ」

「先輩を手足のように使うなんて、本当いい度胸しているよ。さすが新生徒会長サマ」


 彼らの揶揄するような言葉を聞き、はっと瞠目する。そうだ、古谷は生徒会長になる前から、生徒会運営に携わっていたのだ。元生徒会役員の彼らとも面識があるのは当然だ。

 だったら、こいつらは古谷に頼まれ、奴にとって邪魔者であろう俺を足止めしているのか。

 生徒会に属する生徒なんて誰しも、清廉潔白で立派な尊敬しがいのある人物ばかりだと思っていた。けれど、俺の前に立ち塞がるこいつらは、全然そうとは映らない。


 おい、小野田。現実の生徒会って云うのは、お前が憧れるようなキラキラ輝く美少女集団とは真逆の実態らしいぞ。

 厳しい現実を突きつけたら、小野田は一体どんな反応を示すだろうかと考えたところで、俺は思い至る。小野田とそんな他愛もない話をできる関係に戻れるかも分からないのに、安易に会話する場面を脳裏に巡らせる俺の阿呆さ具合に失望する。

 それに、今は現実逃避に明け暮れるときではない。目の前の奴らを退け、どうにかして会議室へ侵入を果たさなければならないのだ。


「あ、あの……会議はもう終了していますよね。だったら、もう会議室は誰だって入れるんじゃないですか」

「はあ? 何、お前。口答えすんのか」

「帰れって言ってんの、分からない?」

「俺は古谷に用事があって……だから、」


 彼らは俺を睥睨すると、聞こえるような音量でわざとらしい舌打ちを放つ。

 それから、大仰に溜め息を吐くと、彼らは一歩前へと大股で足を進めるや、威圧に満ちた顔つきで俺へとガンを付けてきた。


「先輩に盾突いて、お前何様?」

「もしかしなくても、やっぱりお前が新留? 古谷が言ってたわ。しょうもないくせにイキがる小物だって。目障りで仕方がないって。話をするだけで反吐が出るって」

「え……古谷が」


 俺が呆然と目を見張り、思わず言葉を零せば、彼らは揃って顔を見合わせて、酷薄で残忍な笑みを浮かべた。

 それはまるで、いたぶりがいのある獲物を見つけた獣の顔つきだった。


「なあ、新留クン。君、人間にはランクがあるって知ってるか? 皆、自分が世間でどれくらいの位置にいるか、ちゃあんと把握して弁えてんだよ」

「普通、上の者には下々の奴らは従うの。逆らうなんて考えることさえ御法度なの。新留クンはさあ、自分の人間としての程度分かっている? 古谷と同等だなんて錯覚してないよな?」


 ふたりは俺を冷ややかな視線で見下し、「はい」と大人しく頷いてみせろと言外に脅している。


 古谷がこいつらに向かって、俺をどういう風に扱き下ろしていたのか。現場を見ていないので正確には判断がつかないものの、おそらく侮り蔑みひどく馬鹿にした評を俺に下していたのは間違いない。

 古谷からライバルだとさえ、認識されていないのではと勘ぐっていたが、実際はもっと露骨に酷い扱いをしてくれていたのか。これじゃまるで、虫けら以下の言い方じゃないか。


 俺が今、取るべき最良の手は尻尾巻いて逃げ帰ることだろう。

 そうすれば、こいつらもさぞや溜飲が下がって、俺を散々コケにして気分も良いに違いない。

 逆に反抗するのだけは絶対に避けなければならないと、俺の脳内で「逃げろ逃げろ」と危険信号が灯っていた。


 だが、ここで逃走したらそれこそ負け犬ではないか。

 それはつまり、ただ指をくわえて、佐藤さんが古谷に奪われていいのだと認めたと同義だ。そんなの許せない。俺はそこまで落ちたくない。

 敵前逃亡なんて、世間一般どんなヒーローだってやるわけない。

 ジャスティスマンだって、俺だって、目の前に立ち塞がる敵に歯向かう勇気を持ち合わせている。


「……どいてください。邪魔です」

「は? なあ、新留クン。てめえ、話聞いてなかったの?」

「なに一丁前に口答えしようとしているわけ? ゴミが人間に逆らうんじゃねえよ、おい!」


 俺の胸倉を掴もうと、首元に伸びてきた手を乱暴に振り払う。

 俺の反抗的な態度を受け、ふたりは更に逆上した。ギラギラと目を怒らせ、今にも殴りかからんばかりだった。


「調子乗ってんじゃねえよ、ふざけんな」

「痛い目見ないと、低脳は理解できないんだろうよっ!」


 片方が俺の顔面目がけて腕を振りかぶり、もう片方は足を回して腹を狙う姿勢を取った。

 殴り蹴られる寸前で後ろに飛び退り、奴らの攻撃を華麗に躱そうと頭の中では考えた。

 けれど、実際のところテレビ向こうのヒーローたちや、ヒーローショーで活躍するアクターのような動きを素人が咄嗟に取れるはずもなく、ダイレクトに向けられる現実の暴力に怯んで足が動かない。


 反撃はおろか、逃げることさえできないなんて、と己の不甲斐なさをまざまざと実感し、大人しく暴力の餌食になる間際。


「――会長、副会長。少しお時間いいかしら」


 凜とした声が流れる時間を一瞬止めた。

 突然呼びかけられ、ふたりの動きが僅かに停止した隙を突き、俺はどうにかこうにか気力を奮い立たせて一歩後退し、力の限り振られた腕と回し蹴られた足をギリギリ回避することができた。前方より俺を仕留め損ねた苛立ちからか、露骨な舌打ちがふたつ届いた。


「会議中に訊き損ねた質問がありまして。ぜひ、おふたりに助言をいただきたく。お邪魔だったかしら?」


 ひりつく空気を問答無用に切り裂いて、優雅な足取りで俺とふたりの間に割り込んで来たのは、穏やかな笑みを湛える内山さんだった。

 突然の内山さん登場に、ふたりも毒気を抜かれたように立ち尽くしている。

 そして、可憐な微笑みを向けられるや、ひどく締まりのない顔で急にデレデレし出した。

 美人相手だと、こいつらの威圧的な態度も鳴りを潜めてしおらしくなるらしい。


「おいおい、困ったなあ。実行委員長ちゃんってば、もう俺たち会長でも副会長でもないんだけどなぁ」

「あら、失礼。けれど、あたしにとってはお二人こそ、会長と副会長だから。ご気分損ねちゃいました? ごめんなさい」

「いいっていいって。むしろ、嬉しいっつーか、誇らしいっつーか」

「ふふ、ありがたいわ。でしたら、あたしの力になってくださいません? 少しお話聞いてくださるだけで構わないですし」


 ね?とにっこり微笑し、内山さんはあっという間に彼らを手懐けると、会議室前から移動させてしまう。

 ふたりに離れた場所で話そうと請いつつ、内山さんは奴らに気付かれないよう、そっと俺へ目配せをしてきた。

 今のうちに会議室に入れと彼女の目は言っている。


 内山さんの機転に感謝の声を上げたいが、礼を述べるのは後にしろと言われるだろう。今は一刻も早く、会議室へと入らなければ。

 会議室の引き戸を横に滑らせ、室内へと足を一歩踏み入れる。すると眼前に、一定の距離を取って向き合う佐藤さんと古谷の姿が飛び込んできた。

 突然の闖入者に、ふたりの頭がぐるりと動き、扉へ視線が注がれる。


「新留くん……!」

「新留なんで……」


 俺に向けられた顔は両極端だった。

 佐藤さんは安堵に満ちた笑みを浮かべており、対する古谷は苦虫を噛み潰したような渋面を広げている。

 元会長と元副会長の足止めの失敗を悟り、古谷はさぞ落胆しているのだろう。そして、邪魔者がノコノコ空気も読まずに乱入してきた現状に怒りを募らせている。


「佐藤さん、遅れてごめん。迎えに来たから一緒に帰ろう」

「うんっ! 新留くん、ありがとう。一緒に帰ろう!」

「ちょっと待て! 話はこれからなんだが!」


 俺へと駆け寄る佐藤さんの腕を無理に引き、古谷は憮然とした表情で叫ぶような声を上げる。

 だが、佐藤さんは腕を掴む古谷の手を振り払い、今度こそ脇目も振らずに俺の元へと駆けてきた。


「佐藤くん! 話は終わっていない!」

「新留くん、ごめんね。うるさいでしょう?」 


 佐藤さんは眉根を下げて謝罪を述べ、一度俺の手を両手でぎゅっと握ってすぐに離すや、背後を振り返って古谷を鋭い目つきで見据えた。


「この話、とっくの昔に終わっていると思うけれど。第一、私には古谷くんと話すことなんて、何にもないから。新留くんともう帰るね」

「仕切り直しと言ったじゃないか。告白の件、改めて考えてくれと。そもそも何故、僕じゃなく新留なんかを選ぶんだ? 正気じゃないだろう、新留なんかと付き合うなんて」


 古谷のなりふり構わない物言いに、俺は唖然としつつも、先ほど元生徒会の二人から話を聞いていたおかげで、それほど動揺はしなかった。想定通り、古谷は俺を過剰なほど見下してくれている。

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