第50話「絶交」

「おーい、五十嵐クン。教室戻らねえの?」

「悪い。すぐ行く!」


 五十嵐はまだ話し足りないようだったが、友人たちから名前を呼ばれて渋々といった感じでスマホを制服のポケットに仕舞うと、颯爽と歩き出す。


「それじゃ、新留。例の件、考えといてな」

「あ、ああ……前向きに検討する」


 楽しみにしておく、と笑顔を残して、友人の元へと去って行く五十嵐を見送っていれば、隣から漂う不穏な空気を察知する。

 嫌々視線を転じると、小野田が顔を歪ませ、形容しがたい表情で唸っていた。


「……なに?」

「新留、貴様……どうして、い、い、五十嵐氏と親しげに話なんてできるんだ」


 小野田から胸倉を掴みかからんばかりの勢いで詰め寄られ、俺は思わずホールドアップをして距離を取った。

 しかし、即座に間合いを詰められて、目と鼻の先に小野田の憤怒とも焦燥ともつかない表情の浮かぶ顔が迫っていた。


 摺り足でじりじりと後退し、どうにかこうにか気が動転している小野田から離れることに成功する。

 いっそこのまま、逃走しようかと目論んだが、小野田の様子を鑑みるに、その手は使えない。後がすこぶる面倒くさいに決まっている。


「クラスメイトだろ? 話ぐらい誰だってするから」

「ダウト! 以前のお前なら、五十嵐氏と喋るなんて、もっての外と言い捨てていたはず! リア充は敵だと、我々同志一丸となって、シュプレヒコールを血気盛んに上げていたではないか!」

「勝手に捏造するなよ……」

「新留、お前変わっちまったな。最近やっぱり付き合い悪いし、なんか髪型もさ、ワックス塗りたくって、格好付けて小綺麗にしちゃってまあ、変に色気付きやがってぇ!」


 まるで、感情そのままに叫んでいた小野田は、ここで何かに勘付いたようにはっと瞠目する。

 そして、信じられないとばかりに、俺をまじまじと凝視した。


「ま、まさか、新留、貴様……女か。女ができたのか」

「は、はあっ!?」

「女が動機なら、お前の諸々の変化にも納得がいく。洒落っ気出して、己を良く見せようと小賢しく立ち回るその姿、やはり女の影がある!」


 小野田の核心に迫る物言いに目が泳ぎ、俺は思いっ切り動揺を見せてしまう。

 何とか取り繕わなければと頭を回転させるものの、この場を凌ぐための嘘や言い訳を小野田に言っていいのかとも判断に迷う。


 小野田とは高一当初からの付き合いだ。高校でできた初めての友達でもある。

 周囲がキラキラと輝く青春を謳歌する中、俺たちには関係ないと強がり言って身を寄せ合い、煌めく高校生活とは真逆の陰々滅々とした日常を、時に愉快に時に悲しく共に過ごした盟友だ。


 二次元のキャラクターしか嫁じゃない、三次元はゴミだと言い捨てる小野田が果たして、クラスメイトの恋人ができた俺を許してくれるか定かではないけれど、このままずっと黙秘を続けるのも悪い。


「……小野田、ずっと言ってなくて今更なんだが、お前の指摘通り、彼女ができた」

「ひゃいっ!? う、嘘でしょ……誰、相手は!」


 今にも泡を食って卒倒しそうな小野田は、先ほどまで俺を厳しく詰問していた奴と同一人物だとはにわかに信じられない恐れ様だ。

 ガタガタと身を震わせ、俺の顔を呆然と見ており、まさか肯定されるとは思ってもいなかったと、困惑と絶望が広がる表情が雄弁に物語っていた。


「同じクラスの佐藤さん、佐藤千晴って知っているよな?」

「ふえっ!? さ、さ、佐藤殿だとぉ!? 知っているも何も、クラスの全女子から居ないもの同然として扱われているオレなんぞに、優しく話しかけてくれる女神だぞ!」

「え……?」


 それから小野田は、女神と崇め奉る佐藤さんと交わした会話を詳細に語ってくれた。

 曰く、俺が休み時間に席を外しているとき「新留くん、どこ行っているか知らないかな?」とにこやかに尋ねられた。


 曰く、調理実習で同じ班になった折、別の班で包丁捌きに手こずる俺を遠くに見やりながら「少し危なっかしいから、思わず手伝いに行きたくなるね」と同意を求められた。


 曰く、俺が遅刻した際に何か知らないか問われて「新留くんが遅刻なんて珍しいし、心配だね」と心細そうに話しかけられた云々。

 話を進めていくうち、小野田の顔には焦りが生まれ、それから何事かに確信を持ち、不安に駆られた悲壮感が漂い始めた。


「あれ……? あれあれ? もしかしなくても、佐藤殿は新留の動向を、オレに訊いてくれただけ……?」

「……話を聞く分には」


 重々しく頷けば、小野田はにわかに怒りを募らせた。

 ワナワナと肩を震わせ、顔一面をカッと真っ赤に染めると、俺をしかと睨みつけ、くわっと口を開くや大きな声を出す。


「勝ち誇るなぁ! 自信満々の顔をよせぇ!」

「いや、俺は別に勝ち誇ってなんか……」

「謙遜はやめろ、オレが惨めになるぅ! はっ、勝者の余裕か、羨ましいもんだなあ! 自信みなぎらせてよお!」

「自信……?」

「彼女持ちだ、さぞかし自信があるだろうよ」


 けっと吐き捨てるように言い放った小野田の言葉に引っかかりを覚えて、はてなと首を傾げる。

 俺にとって「自信」とは、どんなに渇望しても持ち得ない代物だ。

 生きてきてこの方、自己肯定感が高かった試しがない。いつだって抱える不安を払拭できずに、足りないものが次々に膨らんで、己を見失ってばかりだった。


 そんな俺に自信があるなんて、小野田は一体何をほざいているのだろう。

 佐藤さんという恋人ができた一点だけで、生じる自信なんてそもそもたかが知れている。

 俺が言い返しもせず押し黙ったからか、小野田はむっと唇を歪めて、こちらへ無言で歩み寄るや、俺の肩をドンと強めに押しやった。途端、肩口に鈍い痛みが走る。


「もう新留なんか知らん! 二度と話しかけるな! 女にうつつを抜かしたボンクラなんぞ、こっちから願い下げだ! 絶交だ、絶交!」

「おい、小野田っ!?」


 そして、追い越し様に捨て台詞を吐き、引き留める間も与えてくれずに、小野田は走り去ってしまう。

 取り残された俺は呆然としたまま、小野田の消えた先を見つめることしかできなかった。


 投票後、すぐに選挙管理委員による開票作業が行われ、生徒会長の当選者が発表された。

 教室に備え付けられたスピーカーから聞こえてくる放送に耳を傾けていれば、生徒会長に任命されたのは、予想通り古谷であった。

 他の候補者の健闘による大番狂わせも起きず、順当な結果が開示されたわけだ。


 古谷は他のクラスのため、教室内は至って平常通りだが、交わされる会話の声に耳をそばだててみれば、「やっぱりね」「だと思った」など、古谷の当選は当然のものとして受け止められ、誰しもおおむね好意的な印象を抱いている様子だ。


 選挙管理委員会による放送が終了し、帰りのHRが始まる最中、俺はといえば頭を抱えて途方に暮れていた。

 古谷は生徒会長になったら、佐藤さんに告白すると告げていた。無事、生徒会長に当選してしまったわけで、遅かれ早かれ奴は実行に移すだろう。


 どうにかして告白を阻止したいが、俺に何ができるというのか。古谷関連の悩みに加え、俺にはもう一つ頭を悩ませる懸念事項があった。

 小野田の座る席へと目を向ける。小野田は担任の話を殊勝に聞いており、俺が背中に視線を送っているとは露とも知らないだろう。


 先ほど、小野田が俺へと見せた怒りは改めて考えるに、とんでもなく理不尽だった。八つ当たり以外の何でもなく、なぜ俺が責められなければならないのかと正直腹が立つ。

 だが、小野田の心境が分からないわけでもないので、感情のままに奴を詰ることは難しい。


 小野田側に立ってみれば、自分と同じモテない冴えないしょうもない男と侮っていた友人が、恋人をこさえて勝ち組を気取っている。裏切られたと逆上しても仕方あるまい。


 けれども、絶交だなんて小学生じみた行動を、果たして小野田は実行に移すのか。小野田の向こう見ずで極端な性格を思えば、奴ならやりかねないと恐怖で震えた。

 でも、俺から謝るのは納得いかない。先に腹を立てたのは小野田だろうし、反省すべきなのも小野田だ。


 そりゃ、彼女ができたことを今の今まで黙っていた俺にも非はあるだろうが、別に早々にバラしていたところで、小野田の爆発が早まっただけに過ぎない気がする。

 HRが終了し、各自帰り支度に勤しむ中、俺は意を決して小野田の席へと歩み寄った。

 アニメキャラがプリントされた缶バッチがずらずらと付けられていくつも並ぶリュックサックへと、やや乱暴に教科書や筆記用具を次々に放り込んでいる小野田へ恐る恐る声をかける。


「なあ、小野田。ちょっと話が……」


 けれど、小野田は俺へと振り向きもせず、何の返事も反応も示さない。

 それどころか、手早く荷物をまとめ終えると、そそくさとファスナーを閉めてリュックを背負い、席から離れるではないか。


「おい、小野田。無視するなんて酷いじゃないか。小野田ってば!」


 遠ざかる小野田の背中をどうにか引き留めようと、思わずリュック目がけて腕を伸ばした。

 けれど、俺の手は小野田に届かず、横から伸びてきた別の手に阻まれてしまう。


「新留、ストップ」

「堤……?」


 追いすがる俺に制止をかけてきたのは、困ったように微笑む堤だった。

 出入り口の扉からさっさと出て行く小野田をそのまま見送り、堤はようやく俺の腕から手を離して拘束を解いた。


「どうして止めたんだよ。俺は小野田に話があって……」

「うん、そうだね。でも、今は一旦ふたりとも距離を取って、頭を冷やすべきだと思う。小野田のことは僕に任せて。新留が相手だと、小野田を下手に刺激しちゃうだろうしね」

「でも……」

「夏休みさ、三人で旅行に行こうって計画立てているでしょ。僕は楽しみにしているんだけど、新留はどう?」


 堤の提示に納得いかずに臍を噛んでいた俺は、突如話題に上がった夏休みの旅行に対し、一体コイツは藪から棒に何を言い出すのかと目を瞬く。

 しかし、堤にとっては地続きの問いかけのようで、返事をしないと話は進まないみたいだった。俺は当惑を滲ませながらも、首を縦に振る。


 前々から、夏休みに入ったら三人で旅行をしようと話をしていた。

 小野田はもちろん、俺や堤も好きなアニメ作品の聖地を廻る旅の計画を練っており、実行に移すべく着々と準備をそれこそ、春頃から始動させていた。


 最近では、放課後にあまり集まれなくて、詳細を詰める作業が滞っていたような。そこで俺は己の失態に思い至る。

 小野田は俺に、このところ付き合いが悪いと何度も苦言を呈していた。

 その原因を探れば、友人たちを蔑ろにし、恋人である佐藤さんばかりにかまけていたせいではなかろうか。


 いや、ここ数週間は鴻池の頼みを叶えるべく奔走もしていた。違う、そうじゃない。悪いのは俺だ。

 佐藤さんが、鴻池が、と他人に責任転嫁する姿勢に愕然とする。周囲を顧みず、自分勝手に動いていたのは俺のせいだ。他の誰が悪いのではなく、俺が駄目だから。


「悪い……堤。俺のせいで」

「ううん、大丈夫。たださ、旅行には楽しい気分で行きたいってだけだから。それまでには仲違い、解消させよう」

「ああ、必ず。楽しい旅行にしよう」

「うん、分かってくれたらいいんだ」


 それじゃ、また明日。小野田のフォローはバッチリやっておくからと、手を振って教室から出て行く堤に、弱々しく手を振り返して俺は自分の席へと戻った。


「どうかしたの、新留くん」


 すると、帰り支度中の佐藤さんに躊躇いがちに話しかけられた。先ほど、俺と小野田のやりとりを見ていたのだろう。

 何と言えばいいか悩み、口を開きかけて言うべき言葉が見つからず、最終的にはかぶりを振った。


「大丈夫? 小野田くんと喧嘩でもしたの?」

「喧嘩なんかじゃなくて……俺のせいだから。ええっと、佐藤さんが気にすることはないよ」

「そう……?」


 なおも心配げな表情を浮かべて、俺を窺っていた佐藤さんであったが、何やら急ぐ用事があるらしい。俺と話している間も手は止めず、すでにスクールバッグを肩から提げて、帰る準備万端の様子。

 鞄をじっと不躾に見つめていたせいか、佐藤さんはこれからの予定を話してくれた。


「放課後ね、文化祭実行委員と新生徒会合同の会議があるの。何でも、夏休み中の予定とか色々話し合うんだって」


 新生徒会となれば、会長に任命された古谷も当然出席するわけで、思わず渋面を作ってしまう。

 俺が勝手に意気消沈していれば、戸惑うのは佐藤さんだ。

 俯く俺を覗き込むように見やると、周りに聞こえないよう気を遣ってくれたのだろう小声で問いかけてくる。


「新留くん。何か私に用事あった?」

「……用ってほどじゃないけど、放課後一緒に帰れたらと思ってて」


 俺の返答もおのずと小さくなったが、佐藤さんにはしっかり聞こえていたらしい。

 ぱあっと喜色を浮かべたかと思えば、佐藤さんはやや上擦った口調で言葉を続けた。


「私も一緒に帰りたい。会議、そんな時間かからないと思うから、そのね……」


 だがしかし、最後まで言い切らないうちに、佐藤さんは申し訳なさそうに目を伏せて沈黙してしまった。

 佐藤さんの言わんとしていることは分かるし、言葉尻を濁した理由も伝わった。会議の間、俺を待たせることに対し、心苦しさを感じているのだろう。


「会議が終わるまで待っているよ。俺、暇だし」

「えっ、いいの?」

「うん。終わったら連絡して」

「分かった。終了したらすぐメッセージ送るね」


 夏休み中の予定を打ち合わせるだけなら、三十分程度で終わるだろうと言い残し、佐藤さんは意気揚々と特別棟の二階にある会議室へと出かけていった。

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