第49話「生徒会長選挙」

 もうじき夏休みが始まる七月下旬。

 本日は午後の授業がなく、生徒会長選挙に時間が充てられる。

 推薦者の応援演説と立候補者の立会演説、それから投票と開票が行われ、生徒会長が決まるのだった。


 立会演説会が開かれる体育館へと向かう他の生徒たちと同様、教室を出て渡り廊下を進む。

 俺は候補者の演説を聴く気乗りがしないせいか、歩みは遅々としてろくに進まず、幾人にも追い抜かれていた。

 眠くなる午後の時間、授業がないのは正直嬉しい。だが、候補者のひとりと顔を合わせたくなかったのだ。


 ダブルデートが終わってから、古谷と直接会ってはいない。

 クラスも異なり、部活動でも顔を見ることはなかった。生徒会長選挙の準備が忙しく、ボランティア部の活動まで手が回らないのだろう。

 それに、ボランティア部には奴の振った鴻池や俺がいる。何てことない顔をして、今まで通り部活に参加できないのは無理からぬ話だった。


 実はここ最近、俺も古谷との鉢合わせを防ぐため苦慮して学校生活を送っていた。選挙運動期間中、朝は昇降口に候補者と推薦者が並んで挨拶運動に精を出すのだが、俺はわざわざ正門ではなく、遠回りになる裏門から登校をしていた。

 けれど、これくらいの面倒、古谷の顔を見ずに済むなら楽勝でこなせた。


 今日だって、丸一日もしくは午後から仮病でも使って、休んでしまおうかと思っていたぐらいだ。それほどまでに、古谷と遭遇したくなかった。

 気まずさはもちろんのこと、古谷の発言にとんでもなく嫌悪感を抱いていたせいだ。いや、嫌悪よりもっと大きな恐怖感で震えているのだ。


――お前は、佐藤くんに相応しくない。


 そんなこと、誰よりも自分自身が痛感している。わざわざ言われなくとも知っている。

 佐藤千晴がなぜ、俺を恋人として選んだのかは未だに謎だ。もっと他に釣り合う相手が何人もいるだろうとは常々思っていた。それなのに。


――生徒会長になれた暁には、佐藤くんにもう一度告白しようと思っているんだ。


 古谷の言葉に無性に反駁したくなった。

 人の上に立てるような立派な人物。爽やかで人望もあり、見てくれも申し分ない。俺にはないものを数多く持っている。

 それに、俺がずっと羨望して止まない、自信を持ち合わせる古谷。佐藤さんの恋人としては奴以上の適任はいない。

 だけれど、俺は立ち塞がる純然たる事実を否定したくて仕方なかった。佐藤さんを古谷に渡したくなかった。


 今だって、佐藤さんが好きかも分からないというのに、誰か他のものになるのは嫌だと声を上げるのはほとほと間違っている。自分勝手が過ぎる。我儘で矛盾めいている。

 けれど、理論的に考えるより先に、本能で心が確かに叫んでいた。佐藤さんは俺の彼女、だと。

 恋人がいる相手に告白するなんて、非常識だと言ってやりたい。


 だが、古谷の再度の告白を受けて、佐藤さんが靡く可能性だって捨てきれない。現在の恋人である俺の不甲斐なさに呆れ果て愛想を尽かした結果、頼りがいのある相手に乗り換えるのは果たして不誠実だろうか? 


 佐藤さんの与えてくれる「好き」ばかりを享受して、かたや俺は彼女に何にも返せていない。

 「好き」のひと言さえ、口にできない弱虫が離れないでと、引き留めるのは如何なものか。虫が良すぎる話だろう。


 もっとも、古谷は生徒会長になれなければ、佐藤さんに告白できないのだ。今日、選挙で敗れれば良いだけなのだが、奴の対抗馬になれるような相手がいない。

 そもそも、高校の生徒会長選挙なんて、いわば人気者選挙みたいなものだ。

 それぞれが生徒会長になったら取り組む公約も掲げているが、美化活動の強化や挨拶運動の活性化など、取り立てて魅力もさしてない。それも似たり寄ったりで、たかが知れているものばかり。


 公約で候補者を選ぶより、候補者自身の人柄や学校での立ち位置を汲んで、投票先を決める生徒が多いだろう。

 その点、古谷は他の候補者より優位だと考えられる。候補者は古谷を合わせて三名いるが、他二名は勉強が取り柄のようないわゆるガリ勉真面目くんで、リーダーシップを発揮するようなカリスマ性は見えない。


 溌剌とした明朗快活な性格や、誠実そうで自信溢れるオーラを持つ古谷を選ぶ生徒が多くを占めるだろう。冷静に判断すれば、古谷が生徒会長に選ばれるのは火を見るより明らかだった。


 だから、生徒会長選挙が決する今日は学校に行きたくなかったのだ。

 古谷が自信満々に演説する姿を見るのも嫌だし、選挙に勝って生徒会長に任命される様を知るのも遠慮したい。


 だけれども、奴は宣戦布告じみた発言を俺にしてきた。生徒会長になったら、佐藤さんに告白するのだと。それだけは何としても阻止したかった。いつ、奴が佐藤さんに告白するのかは分からない。

 けれど、本日の放課後が最も危険ではと予測を立てている。選挙に勝利した高揚感や生徒会長になれた成功体験が背中を押し、古谷を告白に搔き立てる恐れは大いにある。


 だが、流石の古谷も俺と佐藤さんが一緒にいれば、割り込んで来てまでして、告白を一発かましやしないだろう。

 そういうわけで、気分は最悪ながらもきちんと登校して、途中で帰らずに生徒会長選挙も見届けてやろうと体育館へ向かっているわけなのだが、やはり気が進まないせいで歩みが重くてありゃしない。

 正直、教室で惰眠を貪っていたい。いっそ、このまま踵を返して教室に戻ってしまおうか、と足を止めたときだ。


「新留先輩! 早く行かないと始まりますよ?」


 ぽん、と軽く肩を叩かれ、聞き覚えのある声に呼びかけられて背後を振り返れば、鴻池が笑顔を浮かべて立っていた。


 ダブルデートの日は、鴻池とふたりでろくに話をできないまま解散になってしまっていたので、ずっと心残りがあった。

 鴻池に頼られダブルデートの機会を作ったというのに、当日の俺は瑠璃ちゃんと翡翠くんにかまけて、後輩のフォローを全て佐藤さんに押しつけるという暴挙に出ていた。


 だから、鴻池には一度きちんと謝りたいと思っていた。周囲を見渡すと、他の生徒の大勢がすでに体育館の中らしく、すっかり人気がない。

 話をするなら今だろう。俺は姿勢を正し、鴻池と改めて向き合うと頭を下げた。


「鴻池……その、色々悪かったな。すまない」

「えっ! 何ですか、急に。やめてください! ちょっと、頭上げてくださいよ!」


 ぐいぐいと無理矢理、鴻池から頭を持ち上げられて、俺は納得いかないながらも渋々顔を上げた。

 正直謝り足りないものの、鴻池が謝罪を望んでいないなら仕方あるまい。


「新留先輩が謝る必要なんてどこにもないです。むしろ、感謝しているぐらいですし!」

「いや……でも、俺何にも役に立たなかっただろう。当日も迷惑かけてさ」

「何言っているんですか! 新留先輩の働きかけがなかったら、ダブルデートもできなかったし、それに一生、古谷先輩へ感謝も告白もできませんでした。だから、新留先輩が気に病むことは何にもないんですよ」


 鴻池は白い歯をキラリと覗かせ、明るく元気に朗らかに笑っている。その満面の笑みが吹っ切れたから浮かべられる本心からの笑顔なのか、無理に作った痛々しい作り笑いなのかは判断できない。

 けれど、鴻池は気落ちする俺を元気づけようとして、にこにこと笑ってくれているのだ。

 後輩に気を遣われ、俺はますます自身の不甲斐なさを痛いほど実感する。


「……だけど、俺は俺のことが許せなくて」

「義理堅い人ですね、新留先輩って。いや、案外引きずるタイプですね? 根に持つ重い人でもありますね。ずばり、面倒くさい!」


 ビシッと指を突きつけられ、俺はぐうの音も出ずに黙り込む。大ダメージを食らい、よろめいて思わず地面にへたり込みそうになるぐらいだ。

 俺の消沈を目の当たりにした鴻池は、はあっと肩を竦めて、やれやれと云わんばかりに苦笑しながら歩み寄る。

 そして、ぽんぽんと、俺の両肩をまるで元気づけるように叩いてきた。


「先輩が後ろめたさを感じているのでしたら、その良心の呵責につけ込ませていただきますがよろしいですか?」

「なんだ? 俺にできることなら何だってさせてほしい」

「やけに素直ですね。でしたら、何をお願いしようかな?」


 ううん、と腕を組んでしばし思案する鴻池。

 良いアイデアが浮かんだのか、組んだ腕を解いて柏手を打つや、にっこり笑顔で俺へとひとつ提案するのだった。


「今度、一緒に白玉あんみつを食べに行きましょう。もちろん、新留先輩の奢りです!」


 俺はお安いご用だと、力強く頷きを返す。一回だけ、鴻池へ好物を奢ったぐらいで贖罪にはならないだろうし、俺の気も晴れない。

 だが、これから先、鴻池とはボランティア部で何度も一緒に活動をしていくだろう。

 なにせ、鴻池は退部届も出しておらず、次の活動日はいつなのか訊いてくるぐらいだ。

 また、部室でなんてことない談笑に、他部員と共に興じるのだって楽しみだった。


「なあ、新留よ。もしも、生徒会長になったらですぞ? 生徒会執行部はどんな子を任命したいか」

「はあ? 万が一にもないもしもの話をして、一体何になるんだよ……」


 演説会が終了し、投票場所の教室へと向かう道すがら。小野田が近寄ってきて、突拍子もない問いかけをしてきた。

 俺も小野田も生徒会なんぞに、今まで全く縁がない人生を歩んできた。それなのに、なぜあり得ない仮定の話題を持ち出してきたのだろう。

 怪訝な表情で小野田を睨んでいれば、奴は取り繕うようにブンブンと手を振る。


「いやな、生徒会長候補が揃いも揃って男子ばっかりじゃないか。アニメだと美少女生徒会長が普通なのに!」

「ええ……俺に憤慨されても」


 一般的ではない普通を持ち出されて俺が引いていても、関係なしに小野田は熱弁を振るう。


「カリスマ溢れる気高き美少女生徒会長を支えるのは、クールビューティーかつクーデレな生徒会副会長。他にもたおやかで母性の塊の書記や、生真面目でツンデレな会計、もちろん全員美少女で頼む! それでだな、オレは庶務として彼女らからこき使われつつも、全員に何かしら想いを寄せられているんだ。つまり、そう! ハーレム状態ってわけだ。で、毎日朝から晩まで仕事頑張っているわねって、ご褒美だからと頭を撫でてもらったり、嬉し恥ずかしのスケベハプニングが起こったりだとか、な!」


 「な!」と大威張りで出っ張った腹と胸を張られ、自信満々に同意を促されても、俺は一体どう反応していいのやら。

 というか妄想において、小野田自身は雑用をこなす庶務の役職に収まるのか。トップである生徒会長をイメージしない辺り、さすがに己の能力を少しは弁えているのだろう。


「どうだ、羨ましいだろう!」

「……哀れで見ていられない」

「何でだっ!?」

「欲望丸出しの妄想を聞かされる身にもなれよ……。大体、女子ばかりの生徒会があったとして、小野田がその花園に紛れ込めるわけがない。すぐさま追放待ったなし」

「想像でぐらい、夢を見させてくれても良いじゃないかぁ!」


 地団駄を踏む小野田へ、憐憫と蔑みの混じる眼差しを注いでいたときだ。

 背後に人の気配を感じ、咄嗟に目線を後方に投じて、思わずギクリと身を固めてしまう。


「――生徒会の花園イメージは最高に良いけど、一点大きな不満があるとすれば庶務の人選かな。全員女子生徒で纏めた尊い空間の中に、どうして男子生徒をひとり紛れ込ませるの。意味が全く分からない」


 突如、オタクふたりの気持ち悪い会話に割り込んできたのは、一陣の爽やかな風、もとい五十嵐の声だった。

 何で急に話しかけてくんの、と胡乱な目つきで五十嵐を振り仰ぐも、彼は俺の不躾な態度なんぞ意に介せずとばかりに、人好きする微笑みを絶やさない。


 一方、五十嵐から唐突に話しかけられ、狼狽して慌てふためいているのは小野田だった。

 無理もない。クラスの頂点に君するトップオブ陽キャに話しかけられ、毅然とした態度で接するのは、カーストの底辺に這いつくばる俺たちにはとんでもなく難しい。


 もっとも、五十嵐の実態を知った今ならば、俺にとっては恐るるに足りず。

 連絡先を交換し、時折メッセージを交わすようになってあからさまに判明したのだが、この五十嵐という男、外見と内情のギャップが激しすぎる。

 送られてくるメッセージの文面がことごとく限界オタクじみていて、俺の抱いていた五十嵐のキャラクター像が音を立てて崩れていった。


 顔が良くて勉強もスポーツも音楽もできて、加えて性格も良い。その前提は覆っていないのだが、彼を知って得た情報によって、甚だしく五十嵐のイメージが書き換えられた。


「そうだ、言い忘れるところだったよ。新留、写真ありがとう。ツーショット本当しんどい……」

「……そりゃ良かった」


 瞳を潤ませて感極まる五十嵐はスマホを両手で持ち、それを額に押し当てて肩を小刻みに震わせている。まるで神に拝むような姿勢だった。

 真実と五十嵐の妹である架純さんが遊びに行った際に撮ったという写真を俺が真実から転送してもらい、ふたりのツーショットを所望する五十嵐へと送ったわけなのだが、どうしてそこまで感動で打ちひしがれているのかは不可解だ。


 五十嵐は聞いてもいないのに、真実と架純さんが一緒に楽しそうにしているのを、遠くから見守るのが至高だと力説していた。

 是非ともいずれ、新留兄妹と五十嵐兄妹で遊びに行こうと熱心に誘われているのだが、俺は五十嵐の得体の知れないしつこさが恐ろしいので返事を渋っていた。


 真実と架純さんを端から眺めるのが駄目ならば、佐藤さんと内山さんでも可と言っていたので、五十嵐の節操のなさは著しい。

 この男は女の子同士が仲睦まじい様子を固唾を呑んでつぶさに観察し、悦に入って喜ぶロクでもない癖を持っているらしかった。


 体育祭での奇行を目撃し、薄々怪しんではいたのだが、五十嵐と交流を持って確信に変わった。コイツ、真正ではないか、と。

 イケメンのくせに業が深くて大変だ。いや、モテモテのイケメンだからこそ、自身を介入せずに紡がれる関係にときめくのかも知れない。

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