第48話「宣誓布告」

「デート、どこに行こう?」

「今度は佐藤さんの行きたいところで」

「ええ? 新留くんと一緒ならどこへだって行きたいし、どこでも良いんだけど……」


 だらしなく頬を緩めて、上機嫌な佐藤さんだが、どこでもいいは流石にないだろう。

 俺は会話運びが絶望的に下手で、話題の提供もろくにできず、話が盛り上がらないのは経験済みだ。


 ということは、極力会話をせずに済む場所が適所だろうか。となれば、また映画でも観に行くか。

 しかし、映画を観て即解散なんてあり得ないだろうから、鑑賞後のランチもしくはお茶の時間が待っている。

 向かい合って会話を持続させる困難さは以前の初デートにて、まざまざと実感させられている。


 どこに行きたいのか、うんうんと唸って真剣な顔つきで悩んでいた佐藤さんだったが、行きたい場所が思い浮かんだようで、ぱっと表情を明るくさせるや小さく叫んだ。


「あっ! 夏休みの終わり頃だけど、花火大会があるのは知ってる?」

「ああ、確かに八月の終わりにあっていたような……?」


 地元では、それなりに大規模な花火大会だったような記憶がおぼろげにあった。

 確か小学五年生のときだったか、ぜひともと親友に誘われて一度だけ出かけた憶えがある。いや、幼少期にも両親に連れられて行ったのだっけ。昔の話すぎるため、どうにも記憶が曖昧だ。


 打ち上げ会場付近には出店もずらりと立ち並び、多くの見物客でごった返して、賑々しい印象を持っていた。

 あんな人混みに揉まれたいだなんて物好きも居るものだと、俺は花火大会のニュースを毎年見かけるたび、逆に尊敬の念を抱いていた。小学生の頃はよく厭わず、あの混雑の渦中へと出向けたものだ。

 そうして、あれと首を傾げる。わざわざ佐藤さんが花火大会の話題を出したのは、つまり。


「あのね、花火大会には行きたいな」


 やっぱり、そうですよね。

 ここで俺、人混み嫌いだから遠慮します、なんて口が裂けても言えるわけがない。悠然と微笑んで、「もちろん」と返すのが最適解に違いない。


「……た、楽しみだなあ」

「えへへ、嬉しい。浴衣着てくるね」


 ここまで言われては、この話はなしでとは絶対に言えなかった。

 俺はもう一度、棒読み感が拭えない声色で「楽しみだなあ」と繰り返した。


 話題が一段落し、ようやく佐藤さんも片腕の束縛を解いてくれたので、俺も落ち着きを取り戻せたような気がする。

 まだ心臓は早鐘を打っているけれど、胸の高鳴りはふたりきりの空間から解放されない限り、治まらないと知っていた。


 しかしまだ、観覧車のゴンドラは高い位置にある。もうしばらくは緊張の継続と、我慢が必要だった。

 窓から見える外の景色を眺めていたが、ふと気になって現在は頭上にあるすぐ隣のゴンドラを見上げた。柱やらで見えにくくはあったが、どうにか鴻池と古谷の存在を確認できた。


 俺と佐藤さんも会話が弾んでいるとは到底思えないが、あちらが盛り上がっている様子だとはどうも感じられなかった。

 古谷はともかく、鴻池がふたりきりできちんと話せているはずがないからだ。俺の前だと饒舌な鴻池も、片想いの古谷が相手では、元来の力が全くこれっぽちも発揮できない困った状況に陥るのだから、もうどうしようもない。


 俺は本日、三人とは離れて動いていたので、鴻池と古谷の進展具合は一向に分からない。

 だったら、至近距離で様子を見ていた佐藤さんに探りを入れれば、現在の状態が判明するはずだ。


「鴻池、上手くやれていた……?」

「古谷くんと?」

「うん、あいつ古谷を相手にすると、しどろもどろで見ちゃいられないから」


 佐藤さんは困ったように微笑んで、小首を傾げてしばし無言になってしまった。佐藤さんも困惑するほど、鴻池の狼狽は酷かったのか。

 まるで進展していないし、もしかして遊園地を廻ったせいで、鴻池の古谷への緊張は更に悪化しているのではなかろうか。


「ええっと……古谷くんが鴻池さんに話を振ったら、ちゃんと返せてはいたよ。何度も言葉を噛んでいたけれど」

「ああ、その情景がすぐに浮かぶわ。だったら今もヤバいだろうな……」


 頭上を見上げ、俺は深々と溜め息を吐いた。

 鴻池は本日、古谷に助けてもらったお礼と共に、好きだと伝えたいとも宣言していたが、そんな様子じゃお礼はもちろんのこと、告白なんてとても口にはできないだろう。


「もうしばらく交流を深めないことには、鴻池も古谷に緊張してろくに会話もできないだろうな。告白まで至るのは長い目で見守るしかないな」

「でもね、新留くん。告白って勢いも大事だと思うんだ」


 佐藤さんは熱を帯びた目で俺を一瞬見やり、すぐに視線を上のゴンドラへと移した。

 告白をした経験者だからこそ、口にできるひと言なのだろう。ラブレターに見せかけた果たし状を俺の机に突っ込み、体育館裏で告白をかます佐藤さんだ。入念に練られた告白にも受け取られるし、突拍子もない告白劇とも捉えられる。


 ただ、やはり頭をもたげる疑問は何故果たし状だったのかの一点だ。

 佐藤さんは俺が果たし状を好きそうだったからとか云々説明していたが、別に俺は決闘好きのデュエリストでも何でもない。

 俺が佐藤さんのトンチキな告白を思い返していれば、もうじき観覧車のスタート地点まで辿り着くようだ。すっかり外は暗くなり、あとは帰るだけだなあとぼんやり思う。


 ほどなく係員のお姉さんが扉を開けてくれて、笑顔で出迎えてくれた。促されるままそそくさと座席から降りて、大地を足で踏みしめる。

 それから佐藤さんと並んで、鴻池と古谷の到着を待っていた。俺はふたりの顔を見る直前まで、呑気に帰りのことを考えていた。

 だけれども、重そうな扉が開いて出てきた鴻池の顔を目に入れるや、言葉を失い絶句した。


「鴻池さん……」


 隣では、佐藤さんが息を呑んで躊躇うように鴻池の名前を呼んだ。

 鴻池は人目も憚らず、ぽろぽろと涙を流していた。止めどなく流れる涙をどうにか堰き止めようと、鴻池は瞼をごしごし荒っぽく拭っていたが、涙は自然と次から次に溢れ出して止まる様子はまるでない。

 鈍い俺でもはっきり分かる。鴻池は古谷に告白して、振られた。


 鴻池の後から顔を覗かせた古谷は困ったように眉根を下げて、所在がないようにゆっくりと俺たちの元へやって来ていた。居心地が悪いのは言わずとも伝わった。

 しかし、今は古谷の心配なんてする余裕がない。


 鴻池はたった今、俺と佐藤さんに気がついたようで、一瞬目を丸くして、無理に笑おうと表情を作りかけた。

 けれど、唇は歪に曲がり、頬を伝う涙が一筋流れ、出来損ないの笑顔はすぐに崩れて消え去った。


 鴻池は縋るような表情を浮かべ、俺と佐藤さんを順に見やった。泣く後輩を前にして、どうしていいのか判断に迷う俺を尻目に、佐藤さんはすぐさま行動に移した。

 地面を蹴って勢いよく鴻池の元に駆け寄ると、佐藤さんはぎゅっと力一杯抱き締めた。鴻池の泣き顔を誰にも晒さないべく、顔を覆い隠すように抱擁したのだった。


 俺はよろよろと覚束ない足取りで佐藤さんの背後に近づき、何と声を掛ければいいのか戸惑った。

 更に鴻池の啜り泣くような声が漏れ聞こえ、ますます話すタイミングを失ってしまう。


「……新留くん、少し私と鴻池さんだけにしてくれないかな?」

「え、あ、うん……」

「ごめんね。ちょっと落ち着くところで話をしてくるから、待っていてほしいの」

「分かった……その、頼む」

「うん、それじゃ、鴻池さん。少し歩こうか」


 佐藤さんは鴻池を優しく促し、人気の少ない場所へと誘導しだした。

 同性の佐藤さんと一緒ならば、鴻池も安心して思い切り泣けるだろう。俺がついて行ったところで、邪魔になるのは明白だ。

 であれば、今俺がすべきことは。


「何だか申し訳ないね」


 俺は乾いた笑い声を上げる古谷を振り返って見た。奴を詰っても無意味なことは重々承知だ。

 しかし、鴻池の想いが届かなかった事実には変わりなく、やるせなさが襲う。だが、古谷が悪いわけじゃない。

 けれど、やっぱり鴻池側に心は傾いているわけで、古谷を咎めたい感情は湧き上がってしまう。


 観覧車から少し歩いて、俺と古谷は言葉少なに出入り口のゲートを目指した。

 閉園が迫る中、人の気配は少なく、日が落ちて外灯の明かりが灯ってはいるものの、やはり物寂しさは拭えない。


「……鴻池くんの想いは嬉しかったけれどね」


 ぽつりと、古谷は声を漏らした。俺は俯く顔を上げ、敷かれた石畳から古谷へと視線を移した。

 言葉を区切った古谷だが、話はまだ続くようで、俺は声を発さず目線で話すように促した。


「僕も好きな子がいるから仕方ないんだ」


 古谷が足を止めたので、つられるように俺も歩みを停止して立ち止まる。

 対峙するように俺と古谷は互いを見つめ、しばし互いに無言を貫いた。

 落ちる沈黙を先に破ったのは、古谷だった。


「誰かって訊かないのかい?」

「……訊いても、きっと俺知らないだろう?」


 所属する部活は同じだが、ボランティア部以外に俺と古谷は接点がない。友達も交友関係も多い古谷のことだ。

 俺の知らない人脈のどこかに片想いの相手がいるに違いなく、その古谷の想い人を知ったところで、どう反応を返せばいいのか戸惑うのは明白だ。

 古谷はわずかに唇の端を吊り上げた。それは確かに笑みと称する表情ではあったが、笑顔というには、なぜだか異様に嫌悪感が勝った。


「いいや、新留も知っている子だよ」

「え……?」


 一瞬、ぶるりと背筋が震えた。夜を迎えて日が落ちて、気温が下がったせいかと思いたかった。

 だが、悪寒は違う要因で起きたのだと、古谷の告げる単語で思い知る。


「佐藤くんだよ」


 古谷の顔がまるで宵闇に紛れたかのように、表情が掻き消えて見えなくなった。

 俺は二の句が継げず、ただ押し黙って呆然と、古谷を見つめることしかできやしない。


「僕は佐藤千晴くんが好きなんだ。一年生の頃から、いいや、入学式の時からずっとね。一度告白もしたけれど、振られてしまったよ。好きな人がいるって。今日、鴻池くんへ言った僕の返答と同じだね」


 俺は瞬きを繰り返し、耳から届く古谷の声を理解しようと必死になった。

 古谷が鴻池を振ったのは、佐藤さんが好きだから。まさか、そんな素振り一切見せなかったではないか。


「ずいぶん驚いているようだね。寝耳に水って感じかな? なあ、新留。僕はね、一度振られた身だけれど、諦めるつもりは更々ないんだよ」


 気付けば、古谷は俺を鋭い視線で射貫いていた。まるで、睨みつけるように厳しい顔をして、俺を見ている。

 人当たり良く、誰にでも分け隔てなく接する古谷が社交性をかなぐり捨て、俺を憎悪のたぎる目で見ていた。


「僕はずっと思っていたよ。お前は佐藤さんに相応しくない。きちんと自覚した方がいい」


 俺は目の前の人間が誰だか分からなくなっていた。あの古谷がこんな厳しい口調で、俺を責め立てるような言葉を吐くとは到底思えなかったからだ。

 だが、現実を直視しないで目を瞑るわけにはいかない。俺は半ば必死になって、こちらを睨む古谷から視線を逸らさなかった。


「もうじき生徒会長選挙があるって知っているだろう? 当然、僕は出馬するつもりなんだ。それでね、選挙に勝利したら決めていることがある。知りたいかい、新留」


 酷薄な笑みをうっすらと浮かべ、古谷は正々堂々と宣言するように言い放つ。


「生徒会長になれた暁には、佐藤くんにもう一度告白しようと思っているんだ。佐藤くんには僕のような人間が相応しい。生徒の頂点に立つ生徒会長になり、僕を立派な人物だと大々的に知らしめて、佐藤くんの眩んでしまった目を醒ましてあげるのさ」


 古谷はぐっと笑みを深め、俺を嘲笑うような表情をわざわざ形作る。

 今まで古谷と接してきて、初めて見るような顔だった。目が人をコケにするような色をしていた。総毛立つように侮辱的な笑顔だった。


「新留、お前も目を醒ませ。不相応だって自覚するんだ。それが身のためだ。理解しろ」


 ゆっくりと噛んで含めるように、死の宣言のごとき言葉を吐いた古谷は俺へとつかつか歩み寄る。

 そうして、ぐっと強く両肩を掴むと、一度二度と乱暴に揺すぶってきた。

 肩に鈍い痛みが走って、思わず古谷の腕を振り払う。後ろに下がって距離を取ると、非難がましく睨みつけてやった。


 しかし、俺の反抗的な目線なんぞ、古谷にとっては脅威でも何でもないらしい。

 せせら笑ったかと思えば、吐き捨てるように言ってのける。


「お前は、佐藤くんに相応しくない。お前なんて、僕の手にかかれば一捻りだと、思い知った方がいい」

「……何だ脅しか」

「脅しじゃない。れっきとした事実だ」


 互いに睨み合って一歩も引かない一触即発の空気を破ったのは、こちらへ歩いてくる佐藤さんと鴻池の足音だった。

 古谷は殺気立つ空気を一瞬で消し去ると、至極穏やかな微笑を浮かべて、ふたりを出迎えてみせた。


「やあ、もういいのかい」

「ごめんね、新留くん」


 古谷の声かけも、存在をもさらりと無視した佐藤さんが、俺へと話しかけてくる。

 慌ててふたりの方へと向き直り、改めて佐藤さんと鴻池を見やった。

 鴻池は目を腫らしてはいるものの、すでに涙は引っ込んでいるようで安心した。佐藤さんの慰めを受け、散々泣いてスッキリしたようにも映る。


「雰囲気壊してすみませんでした! さあ、もう遅いですし、帰りましょう!」


 鴻池の声は捨て鉢のやけっぱちの空元気にも聞こえたが、指摘するなんて野暮な真似は決してしない。

 鴻池なりに張り詰めた場を和ませるべく、賑やかし役に徹しようと気丈に振る舞っているのだ。

 今はただ、鴻池に乗っかって、息が詰まる空気を取り払ってやるだけだ。


「閉園ギリギリだからな。急いで帰ろう。よし、ダッシュするか?」

「ふふん、先輩。自分、中学時代は陸上部だって言っていたじゃないですか。いい度胸ですね?」

「何言ってんだ、鴻池お前、棒高跳びの選手だったろ? 棒飛ぶ奴が足の速さ、関係ないだろ?」

「走り込みは短距離や長距離の子たちとやってましたから、見るからに足が遅そうな先輩に負けるはずないですし。よし、勝負です! よーい、ドン!」 

「こらっ、フライング禁止だ!」


 ゲートに向かって一直線に駆ける鴻池を追って、俺もがむしゃらに走り出す。

 今はただ、胸のモヤモヤを消し去りたくて、何も考えないように走るのが最善だと思った。


 短いようで長かった遊園地での一日は、もうじき終わりを迎える。帰りの電車で、果たして俺は平常心のまま古谷と過ごせるのだろうか。激しく不安だった。

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