第47話「観覧車」

 恐怖の連絡先交換を経て、翡翠くんは更なるダメージを俺に与えるような話題を振ってきた。


「あのさ、お兄さん。今になって訊くけど、今日はボクたちと遊んでいてよかったの?」

「え? どうして?」

「いや、お兄さんにも一緒に来た人いるんじゃない? ひとりで来たのなら、余計なお世話かもしれないけどさ」

「……いいや、ひとりなわけないだろう。ひとり遊園地は流石に虚しいよ」

「だったら、ごめんね? ボクたちに付き合わせちゃって」


 俺はかぶりを振り、傍らを歩く不安げな顔をした翡翠くんを見下ろす。


「翡翠くんが謝る必要は全くないし、君たちに付き合ったのは俺の意思でもあるから。まあ、同行者には悪いことをしたとは思うけど……」


 最早怖くてスマホの通知は確認できやしなかった。

 間違いなく、佐藤さんや鴻池、古谷は俺に呆れ果てている。怒りも通り越し、ただただ失望しているだろう。思えば、行きから三人には迷惑を掛け通しだ。何だかやるせなくなってきた。


 夕焼けのオレンジ色を背に、のんびりと石畳の道を歩いていれば、ゲームセンターの建物が目前に見えた。ゲームセンターは入り口近くにあり、隣には土産屋の建物が建っている。

 自動ドアが開き、ちょうど買い物を終えたらしきグループが出てきたところだった。何気なくそのグループに目をやっていれば、彼らの顔には見覚えがありすぎた。


「……あっ! 新留くん!」


 俺を見つめ返して驚きの声を上げたのは、紛れもなく佐藤さんだった。

 ぎくりと顔を強張らせ、俺は腰が引けそうになったが、どうにか遁走だけは押しとどめた。隣には翡翠くんもいるし、背中には眠る瑠璃ちゃんがいるわけで、逃げるわけにはいかない。


「お兄さん……?」


 怪訝そうな面持ちで俺を見上げる翡翠くんは、俺に説明を求めている。

 もごもごと言葉を濁してうだうだ時間を浪費しているうちに、どういうわけか佐藤さんが軽快な足取りでこちらへと駆けてきたではないか。


「新留くん……今までどこに? 電話を掛けてもちっとも繋がらないし、心配したんだよ?」

「その、ごめん……なさい」

「そんな謝らなくていいけど、体調はもう大丈夫?」


 不安げに俺を上目遣いで窺う佐藤さんは、本心から俺を心配しているように映った。

 何と言い訳すれば角が立たないかと、並べるご託を脳内で必死こいて考えていた己の浅はかな思考を恥じた。


「先輩! 探したんですよ。どこをひとりでほっつき歩いて……おや? ひとりじゃない? 背中の女の子とお隣の男の子は一体どちら様?」


 佐藤さんを追いかけるようにやって来た鴻池が好奇心をちっとも隠そうとせず、興味津々といった瞳で俺を仰いで問いかけた。

 何から説明すればいいのやら、と頭を掻いて押し黙ったそのときだ。


「おうおう、みなさんお揃いで。翡翠に瑠璃よ、今日は一日楽しかったかい? 新留くんも助かったねぇ……おや? 他のひとらはどちらさんで?」


 ゲームセンターから田代さんが出てきて、いっそう混沌を極めたのであった。

 調子の良い田代さんと物怖じしない鴻池が先導し、わいわいと互いに紹介を終えた後。空模様が夕焼けから夜へと様変わる頃、田代さんからお守りの任を解かれた。要するに、翡翠くんたちは帰路に就くらしい。

 ちっとも起きやしない瑠璃ちゃんを背中から降ろし、田代さんへと預けた。そうして、にんまり笑顔を向けられて今日一日の労を労われた。


「いやあ、ありがとうよ。新留くんのおかげで、翡翠も瑠璃も遊園地楽しかったろう? 儂もゆっくり休めて、体力も気力も万全ってもんよ」

「お母さんにはしっかり言いつけておくからね、おじいちゃん。ボクたち放って、ゲームセンターにこもりきりだったってね」

「おいおい、翡翠坊……それだけは勘弁しておくれよ」


 泡吹いてにわかに狼狽えだした田代さんを華麗に無視し、翡翠くんははにかむような微笑みを浮かべると、改まった仕草でもって俺へと向き直った。そうして、ぺこりと小さく頭を下げる。


「お兄さん、今日は色々ありがとう。家に帰ってお父さんに会えたら、今までずっと言えなかったこととか、お父さんとボクの夢についてとか色々いっぱい、もっとたくさん話をするつもり。あと、お父さんには、ちゃんとお母さんにも謝ってもらわないといけないしね」

「うん、沢山自分の思いを聞いてもらえよ」


 にっこり笑う翡翠くんがすっと手を差し伸べたので、すかさず俺も手を出して、がっちりと握手を交わした。その後、手を振り合って別れの挨拶をしたのだった。


 出入り口へと向かう翡翠くんと、瑠璃ちゃんを背負った田代さんの背中が小さくなるまで見送り、俺はそこでもう十分満足したのだが、これから地獄の弁解の時間が幕を開けるのだと思い出して、途端顔が青くなった。


「なるほどなるほど。先輩は自分たち三人を放って、子どもたちと遊園地を満喫していらっしゃったと」

「あ、いや……それは全く否定できないが、あのじいさんから半ば強制的に頼まれて、断れずになあ」


 からかうような口調で絡んできた鴻池に、情けなくも言い訳めいた言葉を零し、思わず視線を地面に落としそうになる。佐藤さんや古谷の顔が申し訳なさで見れそうにないからだった。


「新留くんは悪くないよ。でも、私に連絡くれたら良かったのに。だったら、子どもたちのお守りのお手伝いもできたでしょう?」


 佐藤さんが俺の肩を持つようなことを言ってくれたが、居たたまれなくてますます肩身が狭くなるだけだった。

 何か他の話題を、と周囲を見渡して閃いた。日が落ちて閉園時間が迫る頃だが、あとひとつぐらいであればアトラクションにも乗れるだろう。

 灯る明かりに照らされ、薄闇にぼんやり浮かぶ観覧車が見えた。


「ええっとさ、もう観覧車には乗った?」

「ううん、まだ乗っていないよ」

「おお! 最後に乗りますか?」

「なるほど。最後に乗るには良いかもしれないね。それじゃあ行こうか」


 全員の意見が一致したところで、俺たちは足早に遊園地目指して歩き出した。

 会話もそこそこに、歩き出しながら思いを巡らす。俺は全然貢献できやしなかったが、この一日で鴻池と古谷の距離は果たして縮まったのであろうか。

 先ほどから、ちらちらと注意深く二人の様子を探ってはいるけれども、鴻池と古谷だけで会話を交わす場面は一度として訪れていなかった。


 ここはひとつ、最後ぐらい鴻池のために働いてやらねば、先輩としての顔がない。面目躍如にはほど遠いが、少しは力添えしないと後で文句を言われそうで怖かった。

 観覧車の乗り場へと辿り着き、ゴンドラがやって来るまでの短い時間が勝負だ。俺は何気ない風を装って、話を切り出した。


「ところで、乗る順番はどうする?」

「乗る順番、ですか? 先輩……観覧車って、ひとりずつ乗るものじゃないでしょうに……あっ」


 途中までは勘の鈍さを発揮し、ズレた発言を述べていた鴻池も俺の真意に勘付いたようで、口を噤んで急に黙り込む。

 佐藤さんはすでに思惑は気付いてくれているらしく、にっこり微笑んで俺の隣へと並んでくれた。


「私は新留くんとふたりで乗りたいな。恋人同士だもの、最後ぐらいワガママ言ってもいいよね?」

「そ、そうですね。新留先輩ずっと不在でしたし、うん。さ、最後ぐらい佐藤先輩とふたりきりになられても文句、な、ないですよ」


 動揺か緊張か、言葉にまるきり不審が表れている鴻池の不自然な発言には頭を抱えそうになるが、古谷はさして不可解には感じていないようで、さらりと「いいんじゃないかな」と同意してくれて安堵した。

 そうこうしているうちに順番が回ってきたようで、係員さんに誘導されるまま、まずは俺と佐藤さんがゴンドラへと乗り込んだ。


「それじゃ、行ってくる」

「は、はいっ! ではまた後ほど、です」

「鴻池さん、頑張ってね」


 佐藤さんからエールを送られた鴻池はたちまちカチンコチンに固まってしまい、これから数分、古谷とふたりきりだろうに大丈夫かと甚だ心配になってしまった。

 係員の手により、扉がきっちり閉められて、俺たちを乗せたゴンドラはゆっくりと頭上を目指して昇り始める。


「新留くん、高いところは平気?」

「し、下を見なければ……」


 絶叫マシーンはてんで駄目だが、ゆっくり回転してくれる観覧車は何とか、どうにか乗れる。

 猛スピードで天辺に到達しない限り、安全だから大丈夫。不意に高所から突き落とされなければ、死んでしまうかもしれないという恐怖に支配される心配はないのだ。


 俺の震える声音での返答を聞いて、佐藤さんは楽しげにくすくす笑い声を漏らすと、急に立ち上がってみせたので大層驚いた。

 佐藤さんが突如動いたので、わずかにゴンドラがぐらりと揺れて、上がりそうになった悲鳴を慌てて呑み込んだ。


「ごめんごめん」

「いや、平気だから……あの、佐藤さん?」


 唐突に起立した佐藤さんはどういうわけか、俺の向かいから真横に席を移動した。

 前が空いているにもかかわらず、どういうつもりか窮屈だろうに、隣へ座ってくるのか分からない。


 密着度合いが増し、俺はもちろんしどろもどろになり果てた。

 かすかに肌が触れあいそうで、俺は極力窓際に寄ろうと躍起になるが、目敏い佐藤さんが俺の動きを見逃すはずもなく、すぐさま間合いを詰めてくる。


「えいっ!」

「佐藤さん!?」


 とうとう腕を掴まれ、佐藤さんからぎゅうと身を寄せられて、俺はもう飛び上がらんばかりに驚いた。

 間違いなく頬は赤く染まっているだろうし、顔から火が出そうだった。


 ピタリとくっつかれ、腕に柔らかな感触がするのだが、深く考えたら駄目な気がする、絶対に。

 佐藤さんは華奢で肉感的とは対極にいる人だけれども、ささやかな胸の膨らみは確かにあるようで、もう、思考回路がしっちゃかめっちゃかで本当に勘弁してほしい。


「私ね、新留くんの困っているひとを放っておけなくて、実際に行動に移して助けちゃうところ、本当に尊敬しているし、大好きなんだけど……今日はちょっぴり寂しかった」

「……それはその、申し訳ないです……」

「謝らなくていいんだけど、ただ私が言いたかっただけだから。……私ね、心が狭くて。こっちこそごめんだよ」

「いやいや、佐藤さんは何にも悪くないし。謝る必要はそれこそないから、本当……な、なので、少し離れてほしいなって」

「そこは別、だよ? 離れちゃだーめ」


 心底甘ったるい声で言い放ったかと思えば、佐藤さんは俺の腕にわざと押しつけるように身体をますます寄せてくるもんだから、際限なく湧き出す邪念を追い払うように、俺は頭の中で素数を数えて心を落ち着かせようと躍起になった。

 だが、数学がまるきり駄目な頭だ。すぐさま、知っている素数が底をついた。おっぱいって、柔らかいんだなあ!


 俺が思考を放棄し、馬鹿丸出しな感情に支配される中、佐藤さんは眼下に広がる遊園地の景色を楽しんでいるようだった。

 俺から離れたらもっと視界が開けるし、綺麗に見えると思うけど!


「もうじき天辺だね。あと半分か……」


 ぽつりと呟く佐藤さんの声音が寂しげで、俺は今更今日一日、別行動をとり続けた失態を改めて恥じた。

 翡翠くんと瑠璃ちゃんの面倒を見た後悔はない。ないけれども、さすがに連絡の一本は佐藤さんに入れるべきだった。


 それが最低限の礼儀というもので、俺の無礼さには呆れ果てるばかりだ。佐藤さんを心配させてしまったし、呆れられて愛想を尽かされても文句のつけようがない。

 今、ここで失った信頼を取り返さねば、後々きっと確実に恐ろしいことになる。


「今度はふたりでどこか行こう」

「えっ……本当?」

「うん。休みの日にでも」


 信用を挽回できるか定かではないが、贖罪の意味を込めて次のデートは早ければ早いほうがいいだろう。

 佐藤さんの様子を恐る恐る窺えば、彼女は喜色満面の笑みを浮かべて、そりゃご機嫌そうだった。良かった、今は捨てられずに済みそうだ。

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