第45話「ヒーローの夢」
俺たちは控え室でしばらく話をすることとなった。
本日のショーの主役であるヒーローのアクターを務めたおっさんは、やはり翡翠くん瑠璃ちゃん兄妹の父親だった。
男性は喜多方だと名乗った。翡翠くんと瑠璃ちゃんの名字も喜多方であるから、この男性がふたりのお父さんであることは違いない。
喜多方さんは武器を飛ばして俺へと当てた責任を、こっちがもう止してほしいと言っているのに何遍も謝り、加えて俺が田代さんからふたりの子守を仰せつかっていることを知るや、またもや何度も何度も頭を下げた。
俺は必死に頭を上げてくれと、喜多方さんに懇願しまくり、変なところで妙に消耗してしまった。
「お義父さんは豪快なひとだからなあ……それで今はどこに?」
「じいじはゲームセンターにいるって、いってたよ!」
本当のところを言っていいのか逡巡する俺を知ってか知らずか、隣に座る瑠璃ちゃんがぴしっと手を挙げて、田代さんの居場所を言い放ったのには恐れ入った。
「全くあの人はもう……」
眉根を揉んで嘆息する喜多方さんは、どうやら日頃から田代さんのゴーイングマイウェイな性格に振り回されているようだ。義理の父だから強くは言えないだろうし、色々とご愁傷様である。
「新留くんには沢山世話になってしまったね。何とお礼を言っていいものか……」
「いやもう大丈夫ですって。顔を上げてください」
「でもさ。元はと言えば、お父さんのせいだよね」
またもや喜多方さんが頭を下げる機械に成り下がる危機を阻止したのは、翡翠くんの言葉だった。
俺は翡翠くんへと視線を移し、喜多方さんもまた、顔を上げて険しい息子の顔を戸惑うように見やった。
「お父さんがしっかりしていれば、お母さんは家を出て行かなかったし、おじいちゃんの面倒もいらなかった。だったら遊園地にも来ていないし、お兄さんに迷惑をかけずにすんだんだ。全部お父さんが悪いんだよ。そこのところ、分かっている?」
「翡翠……」
翡翠くんは座っているパイプ椅子からひょいっと降りると、部屋の隅に置かれたヒーローヘルメットをきつく睨んだ。まるで敵を見るような鋭い目つきだった。
そうして、剣呑な雰囲気そのままに、喜多方さんを今度は睥睨する。
「お父さんはさ。いつまで夢を見続けているの? お母さんも瑠璃も……ボクら家族を放っておいて、ヒーローになりたいっていつまで言い続けるんだよ! お父さんは大人なのにおかしいよ!」
ぎゅっと拳を握り締め、翡翠くんは叫ぶように声を放つ。
その叫びは確実に、喜多方さんを傷つけていた。喜多方さんは目を見開き、まるで捨てられた子犬のように気弱な表情で押し黙っている。
息子からの必死の訴えを受け止めきれず、喜多方さんはとうとう顔を俯かせてしまった。
緊張感が張り詰め、なおかつ重苦しい空気が漂う空間に居続けるのは、息が苦しくて窒息しそうになる。部外者たる俺はできれば退散したいところだが、ひとり逃走するのは許されまい。
それに、翡翠くんの悲痛な叫びを受け止め、誰かが正しい返事をする必要があった。その重要な役割は父親である喜多方さんが担うべきなのは重々承知だ。
しかし、喜多方さんはすでに息子の言葉に心を抉られたのか、押し黙ったきり何も口にできずに顔を伏せたままだった。
「ねえ、翡翠くん。お父さんの夢を否定しなくてもいいんじゃないかな」
「何さ。お兄さんには関係ないでしょ」
「……まあ、そうだけど。俺は翡翠くんのお家の事情も知らないし、どこまで喜多方さんが家庭を蔑ろにしているかも分からないからさ、その、ひどく見当違いなことを言っているかも知れない。でも、ヒーローになる夢って、何歳になっても持ち続けていいと俺は思うんだよ」
おそらく喜多方さんはスーツアクターとして、アクションスタジオかイベント会社かのどこかで働いているのだろう。
俺の手作りであるスーツとは比べものにならぬほど、しっかりした衣装を身に纏い、今日の遊園地のショーやショッピングモールでのイベントなどに出演しているはずだ。
そりゃ、テレビに登場する俳優や彼らのスーツアクターではないけれど、イベント会場で活躍するヒーローであることには違いなく、訪れたお客さんたちに夢を与える存在として、立派な役目をこなしていると容易に想像ができた。
だからこそ、息子に詰られて肩を落とし、落ち込んでいるヒーローの姿は決して表に出してはいけない。
夢を持つのは誰にも縛られず自由であるべきだが、自由に夢を見るためには、それ相応の責任も伴うのだとは思っている。
「喜多方さん、顔を上げてください。それから、翡翠くんとちゃんと話してあげてください。このままだと、翡翠くんはお父さんを信じられなくなる。それと、ヒーローに夢を見られなくなります。喜多方さんの目指すヒーローはそんなに弱気なんですか?」
「……いや、ヒーローは常に正しく強くあるべきだ」
「でしょう? 俺もそう思います。だから、ほら。顔を上げて、背筋伸ばしてしゃんとして」
喜多方さんはようやく俯かせていた顔を上げ、目の前でふて腐れた表情を保つ翡翠くんを見た。
すでに喜多方さんは目を泳がせ、動揺するような無様さは晒していない。真っ直ぐに息子を見ていた。
「翡翠、話を聞いてくれ」
呼びかけられた翡翠くんはぴくりと肩を跳ねさせたが、すぐさまそっぽを向いて無視を決め込んでいる。強情を崩すつもりは更々ないようだ。
「お父さんは確かに父親失格かもしれない。休みも翡翠や瑠璃と一緒に遊ばず、仕事や稽古にばかり行ってしまって、忙しい忙しいと言い訳を重ねて、お前たちとちゃんと向き合えずにいた」
「ボクと瑠璃だけじゃないでしょ……お母さんだって」
「ああ、お母さんにも苦労をかけてしまっている。家族みんなに嫌な思いをさせ続けてしまったな。本当に悪かったと思っている。すまなかった」
喜多方さんは翡翠くんに向かって腰を折って、深々と頭を下げた。
翡翠くんは喜多方さんの様子をちらりと見やって、わずかに目を丸くした。父親が息子に対し、ここまで平身低頭して詫びる姿は滅多に見られるものではない。
喜多方さんは威張り散らして、家に君臨するような頑固親父には到底見えないが、父としてのプライドはあったのだろう。
だから、何もかもかなぐり捨てて、謝る姿勢は翡翠くんにも届いてほしかった。
「これからは家族のための時間を今までより多く作ろう。翡翠や瑠璃も言いたいことがあったら、何でも言ってくれ。不満でも何でもいい。お母さんにも同じように伝えるから。だから……」
翡翠くんはとうとう喜多方さんを正面から見据え、続く言葉を促すように「だから?」と首を傾げた。
対する喜多方さんは、表情をきりりと引き締めて真剣な眼差しを翡翠くんと瑠璃ちゃんに投げかけ、祈るように願うように頭を下げた。
「お父さんの夢を応援してくれないか」
「お父さんの、夢……」
「ああ。ヒーローになって、家族はもちろん、色んなひとを守るひとになりたいんだ」
瑠璃ちゃんが喜多方さんに駆け寄り、ぎゅっと抱きついた。
「るり、パパをおうえんする! かっこいいヒーローになってね」
うん、と力強く頷き、瑠璃ちゃんをしっかり抱き締めた喜多方さんは、もうひとりの我が子を見やる。
翡翠くんは踏ん切りがつかないようにその場で足踏みをしていたので、そっと背中を押してやった。
「翡翠くんもほら」
「ぼ、ボクは別に……まだお父さんを許していないし……」
「まあまあ。今日のところは勘弁してやりなよ。それでさ、これからもっと家族で話して、お父さんの夢も、翡翠くん自身の夢も言い合えばいいよ」
「ボクの夢……?」
後ろを振り仰ぐ翡翠くんへ俺は頷きを返し、彼の背中に添えた手の平に力を込めた。
「翡翠くんにだってなりたいもの、あるだろう? 夢を応援してもらえれば、きっと勇気になる。お父さんだって、だから翡翠くんや瑠璃ちゃんに、ヒーローの夢を応援してほしいって頼んだんだよ」
翡翠くんは小さく顎を引いて納得したように頷いた。
そうして、俺に聞こえるぐらいの声量で呟くように声を出す。
「……ボクだって、ヒーローに憧れているんだから……」
「うん。男は誰だって、ヒーローになりたいもんだよな」
「お兄さんだって?」
もちろん、と俺は笑う。
自前でヒーロースーツをこしらえて、正義の味方「ジャスティスマン」を名乗るぐらいには憧れている。
翡翠くんは躊躇いがちではあるものの、恐々と喜多方さんの元へと歩み寄り、父の腕の中に飛び込んだのだった。
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