第44話「ヒーローショー」
賑やかな昼飯を終え、次に向かったのは園内中央部に位置する大広場だった。
この場所でヒーローショーが日に二回行われていると、遊園地のパンフレットに記載があった。午後の部がもうじき始まる頃合いだ。
ショーの内容はといえば、現在放映中の戦隊シリーズによるオリジナルストーリーが展開されるらしい。
舞台から扇状に並ぶベンチ式の座席には続々と観客が座っていた。見やすい場所を確保すべく、翡翠くんと瑠璃ちゃんを伴って、やや左端の前方にちょうど空いていた席へと滑り込むように腰掛けた。
無事に座れたこともあり、周りを観察する余裕ができた。改めて周囲を見渡すと、やはり家族連れが大半を占めている。大人はほとんどが子どもの付き添いと捉えて間違いないだろう。
特撮好きな俺のように、ヒーローショーをがっつり観戦するような大人はごく少数だと察する。
瑠璃ちゃんは可愛いものが好きな至って普通の女の子だろうし、翡翠くんも変に斜めに構えた大人ぶったガキなので、ヒーローショーを観に行こうと誘っても反応は芳しくないかと危惧していたが、予想と違ってふたりとも二つ返事で俺の提案に乗ってくれたので、喜びと同時にいささか拍子抜けして驚いてしまった。
田代さんが以前に言っていた通り、翡翠くんは特撮番組が好きなのだろう。だったら、ヒーローショーを楽しんで観てくれるはずだ。
開演までまだ時間があるようで、隣に腰掛けて舞台上にぼんやりと視線を投げる翡翠くんへと、俺は同志を見つけた親密さを隠すことなく、嬉々と話しかける。
「翡翠くんも戦隊ヒーロー好きなんだね。かく言う俺も好……」
「別に好きじゃない」
「……え?」
翡翠くんは顔を伏せて、もう一度「好きじゃない」と呟いた。
祖父の田代さん情報によれば、日曜日に絶賛放送中の特撮番組を視聴しているというのに、好きじゃないのはあり得ない。不可解極まりない。
だが、翡翠くんの見せるその横顔があまりにも頑ななものだったから、理由を聞くのは憚られた。
俺がひとり、気まずい沈黙に耐えかねている中、舞台袖から司会のお姉さんが登場してショーの幕が上がった。
舞台上に現れた司会のお姉さんの顔を一目見た瞬間、俺は驚きのあまり口をポカンと開け、しばらく思考に支障を来してしまった。
「良い子のみんなー、こんにちはー!」
「こんにちはー!」
弾けんばかりに輝く笑顔、明るく快活な挨拶によって、一瞬で子どもたちの心を掌握し、視線を一身に集める司会のお姉さんに、俺は見覚えがありすぎた。
スラリとした長身に、短く切り揃えられたショートカットの髪型と、中性的な見た目に相反するかのように存在感を放つ驚異的なバスト。白っぽいブラウスと短い丈の青いプリーツスカートが朗らかなお姉さんに、とてもよく似合っている。
「い、和泉先輩が何で……?」
「お兄さんの知っている人?」
翡翠くんの問いかけに、咄嗟に返事ができなかった。和泉先輩は俺が通う高校の三年生だ。
体育祭でのとある出来事がきっかけで、知り合った間柄なだけで、和泉先輩とさほど親交はない。
学年が違うせいもあってか、体育祭以降に校内で顔を合わせた記憶もないため、彼女の人となりを知り得る機会も訪れていなかった。
だからまあ、和泉先輩がヒーローショーで司会のお姉さんを務めていて、しこたま驚きはしつつも意外だなと感じる資格が俺にはないのだ。でも、ビックリしたのは事実で、去来した動揺はいまだに治まらない。
舞台上に立つ和泉先輩から、客席に座る俺は気付かれてはいないようで、少しだけホッとした。ぜひとも和泉先輩にはショーが終わって、舞台から捌けてくれるまで、俺の存在には気が付かないでいてほしい。
「今日はみんな、遊園地で何に乗ったのかなー? ジェットコースターかな? それとも観覧車かな? ――うんうん、みんな色んなアトラクションに乗っているね。楽しかったー? そっかあ、楽しかったんだ。良かった良かった。ちなみにお姉さんはね、遊園地ではお化け屋敷に入るのが好きなんだ! 突然お化けがワッて驚かしてくるから、お姉さんもお化けを反対に驚かせるのが好きなんだよねー。お化け側も驚かし慣れてはいるけど、驚かされるのには不慣れだからかな? とってもリアクションが良くて、お姉さん大満足なんだよね!」
俺がひとり動揺している最中であっても、司会のお姉さん……和泉先輩による軽快なトークがしばらく続いていた。ひとりで場を回す豪胆さには舌を巻くばかりだ。
和泉先輩の軽妙洒脱な話術で、舞台上には和やかな空間が広がっていたかと思えば、突如おどろおどろしいBGMが流れ、重低音の笑い声が声がスピーカーを通して広場に響き渡った。
恐怖感たっぷりの音楽と不気味な笑い声で、散々観客の子どもたちの不安を大いに煽ったところで、これまた恐ろしい効果音と共に、舞台上にまさに悪役といった風貌の怪人と戦闘員が現れた。
「ふはははっ! この遊園地は我々が支配する!」
怪人の宣言を受け、観客席の至るところから悲鳴が上がる。怪人の怖さに恐れをなして泣いてしまった子がいるようだ。また、ビックリして呆ける子や、反して楽しげに笑う子もいて反応は千差万別だ。
翡翠くんや瑠璃ちゃんはどうだろうと隣を窺えば、ふたりとも興味深げな表情で舞台を注視している。混乱で泣き叫ぶような様子は見受けられない。ずいぶんとヒーローショーの観覧に慣れているようだった。
舞台では、逃げようとした和泉先輩が怪人に捕まってしまい、絶体絶命のピンチを迎えていた。お化け屋敷のお化けをわざわざ驚かせて笑うのが趣味という和泉先輩であっても、怪人にはあっさり捕まってしまうのか。
怪人に捕らえられて怖がる演技をしているらしい和泉先輩だが、垂れ目が完全に笑っていて怯えている様子にまるで説得力がない。
司会のお姉さんが怪人たちに捕まってしまったらもう、ヒーローがたちまち登場するのが定石だ。
案の定、和泉先輩が観客席へと助けを呼んでくれるよう、怪人に捕まりながらも必死に語りかけている。
「みんな、お願い!」
和泉先輩の言葉に続き、観客席の子どもたちが揃った声でヒーローの名前を叫んだ瞬間、ど派手なBGMが辺りに響き、舞台袖から待望のヒーローがお出ましだ。
颯爽と舞台中央へと走ってきたヒーローたちは、それぞれにお馴染みのポーズをしたのち、和泉先輩を人質にした怪人へと向き直る。これからショー見所の戦闘が開始するので、否が応でも期待に胸が膨らんだ。
「悪は俺たちが成敗してみせるっ! 行くぞ!」
スピーカーからレッド役のかけ声が届き、舞台上の演者も声と合わせるように、襲いかかる怪人たちを迎え撃つように走り出す。
「がんばれー!」
「いけー!」
「まけないで!」
観客席からは子どもたちの声援が次々に送られ、舞台上で繰り広げられる戦闘をますます盛り上げてくれていた。ショーに対して乗り気の子どもたちが多く、舞台の演者も生き生きと動いているように感じられる。
このショーは遊園地の一イベントとしては質が高く、中々見応えがあるなあと感心していたときだった。隣で熱心な眼差しで舞台を見ていた翡翠くんが「あっ!」と小さく声を上げるのが聞こえた。
翡翠くんの小さな叫びに何事だと視線を上げれば、ヒーローが振り下ろした武器のソードが戦闘員の掲げる小刀とかち合ったのだ。武器とブキがぶつかり合った衝撃からか、ヒーローの得物が空を舞っている。
ヒーローの手元からすっぽ抜けたソードはくるくると円を描きながら、観客席へと飛んできた。放物線の至る先がこちら、正確には翡翠くんの顔面へと向かっていると気付くと同時に、俺は飛んでくる武器から彼を守るべく立ち上がっていた。
「危ないっ!」
腕を広げた俺は翡翠くんの前に立ち塞がり、降りかかる武器から身を挺して守る構えを取った。できることならば、見事にソードを空中でキャッチでもしてやりたかったのだが、失敗の危険が高い。
だったら、ここは翡翠くんの前を塞いで、自分が被害を被る方が堅実だと判断を下したまでだ。
「お兄さんっ!」
翡翠くんの悲鳴のような呼びかけを聞いたとき、ごりっと骨を抉るような鈍い衝撃が背中へと走る。
どうやら幸いにも、飛んできた武器は翡翠くんや隣の瑠璃ちゃん、他のお客さんには衝突しなかったようだ。意外と痛みや衝撃が大きくて、一瞬顔が歪む。けれど、今は痛みに悶絶している場合ではない。
俺の背中にぶち当たって地面に転がっているソードを拾い上げると、慌ててこちらへと駆け寄ってきた係のひとへと手渡した。
「大丈夫ですかっ!」
「え、ええ……俺は平気なので、早くショーの再開を……」
係員さんの切羽詰まった声かけを取りなしながら、俺は早いところハプニングで中断してしまったショーの再開を願っていた。
舞台に注がれていた視線が今は全て、俺へと向いている。困ったことに、やけに注目を浴びていた。背中を嫌な汗が伝う。
思わず俯いてしまいそうになるが、気丈に振る舞って笑みを浮かべて、俺は再度、係員さんへとショーの再開を訴える。
元気を装う俺の様子を見て安心したのか、係員のひとは舞台へと駆け寄り、ヒーローへと武器のソードを届けると再び、戦闘用の熱いBGMが鳴り出した。
中断を余儀なくされていたショーが仕切り直して始まり、俺へと向いていた目は次々に舞台へと戻っていく。
ほっと安堵の息を吐き、俺は座席へと座り直す。じろじろと一心に視線を受けるのは、やはり心臓に悪い。
「……お兄さん、本当に大丈夫なの? 怪我とかしていない? ねえ」
翡翠くんはショーを見ず、俺なんかの心配をしきりにしてくれていた。瑠璃ちゃんも「いたくない? いたくない?」と囁きながら不安そうに眉を下げている。
俺は背中に一度手をやり、首を横に振って笑顔を作る。痛みは多少和らいだけれど、まだじわじわと熱い痛さが燻っている。確実に痣ができているはずだ。
しかし、そんな不甲斐ない様をふたりに見せるわけにはいかない。ショーを尻目に、心配させるなんて論外だ。
「俺は平気だから、ふたりはショーを見てね」
「でも……ボクをかばって……お兄さんが……」
「大丈夫だって。ほら、今はヒーローを応援してあげなきゃ。頑張れって俺と言おう」
翡翠くんはまだ俺をちらちら気懸かりそうに見やっていたが、ショーも終盤に至り、ますます盛り上がっていく舞台へと徐々に視線を奪われていた。
無事に怪人はヒーローに成敗され、遊園地の平和は守られた。壇上の演者へと惜しみない拍手が送られ、ショーは幕を閉じた。
その後、有料ではあるが握手会と撮影会が予定されていると、司会のお姉さんである和泉先輩からアナウンスがあった。
さっきのちょっとした騒動のせいで、確実に和泉先輩から俺は見つかっているだろう。ショーの間、壇上で喋る和泉先輩の視線がチラチラと何度が俺の方を向いていたのは、おそらく錯覚ではないはずだ。
握手会と撮影会が終わるまで、和泉先輩は司会のお姉さんを全うしなければならないはずだから、アクターの誘導や子どもたちの対応を担っているようで、舞台上で忙しそうに動いていた。
今すぐ広場を去れば和泉先輩には見つからずに済みそうだが、翡翠くんや瑠璃ちゃんの意見を無視してはいけない。
ふたりに握手会と撮影会に参加するかどうか訊けば、瑠璃ちゃんは嬉しそうに首肯し、翡翠くんも渋々といった風を装って頷いたので、舞台に続く列へと並ぶ。
そうして前の親子連れ同様、ヒーローとの握手と記念撮影とを終えたのち、傍で控えていた係のひとから呼び止められた。
「先ほどは誠に申し訳ございませんでした。お怪我などされていませんか」
「ああ、いえ。問題ないです。だからその、頭を上げてもらえると」
大人の人から深々と頭を下げられ、謝罪されるのはどうにも居心地が悪い。俺は慌てて係員さんに面を上げるよう頼み込み、面倒なことにならないように祈った。
握手会と撮影会を終えた今、できればこのまま広場から帰りたかったのだが、それではあちら側の溜飲が収まらないらしい。
「これから少しお時間ありますか?」
当事者たるヒーローを演じたスーツアクターが謝りたいとも申しているらしい。俺ひとりなら何とでもなるが、翡翠くんと瑠璃ちゃんを預かる身だ。ふたりの有意義な時間を潰すのは申し訳ない。
ここは大丈夫だからとゴリ押しして、とんずらを決め込むかと考えていた矢先、翡翠くんが俺のシャツの裾を引っ張った。翡翠くんは眉根を下げて、不満げな表情を作っていた。やはり、翡翠くんたちに負担を強いてしまっている。
「ごめんな、俺のせいで時間取らせて。次は何に乗ろうか?」
「ちゃんと謝ってもらおうよ。わざとじゃないけど、お兄さんは嫌な目にあったんだし」
「そうそう。ごめんなさいしてもらお?」
兄妹から一斉に頼まれれば、強くは出られない。渋々、俺は係員さんの申し出を受け、案内されるまま演者の控え室へと連れられていった。
舞台裏を知れるのは嬉しい反面、翡翠くんや瑠璃ちゃんにヒーローたちの本当の姿を見られるのは複雑な心境で、控え室へと向かう足取りは重かった。
今回のショーを演じているのはもちろん、TVに登場するヒーローたちでも、彼らのスーツアクターでもない。遊園地側で雇ったアクターだ。
もっとも偽物とは言い切れないが、れっきとした本物でもないからと、ぐるぐる考えつつ、係員さんの後に続く。
控え室はざわめきで溢れてはいるものの、ショー終わりで弛緩した雰囲気がどことなく漂っているようだった。ひりついた緊張感はない。
係員の先導で、俺たちが通された先には、パイプ椅子に腰掛ける中年男性がいた。ヘルメットは取り外しているものの、まだヒーローのスーツを纏っている。いわば、中途半端な状態の演者が待ち受けているわけで、俺は内心ハラハラと落ち着かず、全く動揺が隠せずにいた。
翡翠くんや瑠璃ちゃんの夢がぶち壊されてしまう。
ヒーローの中身がただのおっさんだとバレると焦りで混乱を極める俺をよそに、瑠璃ちゃんはパイプ椅子に座るおっさんに向かって、軽やかな足取りで近寄っていくではないか。
「パパ!」
「おお、瑠璃!」
「……ぱぱ?」
瑠璃ちゃんはおっさんの胸に勢いよく飛び込む。対する男性も優しげな笑みを浮かべながら、瑠璃ちゃんを迎えて抱きかかえている。
突拍子もない展開を受け、目を白黒させて驚き固まる俺を尻目に、翡翠くんまでもがとんでもない行動に移る。
男性の元へすたすたと歩み寄ると、抱きつく瑠璃ちゃんを無慈悲に引っ剥がし、背後を振り向くや俺へと視線を投げかける。
「お父さん、ちゃんとお兄さんに謝って」
「……おとうさん?」
ぱちぱちと目を瞬き、俺は翡翠くんと瑠璃ちゃん、それから男性の顔を交互に眺める。
ふたりがおっさんを呼んだ呼称を鑑みるに、このヒーローを演じたスーツアクターは翡翠くんと瑠璃ちゃんの父親なのか。田代さんが批判していたあの、家族を顧みず仕事ばかりにかまけるあの駄目な父親?
困惑のまま無遠慮にじっと凝視していれば、男性はおもむろに立ち上がるや、俺の目の前に歩いてきた。そして、きっちりと腰を折って、謝罪のお辞儀をしてみせた。
「申し訳ない。安全には十二分に気を遣っているはずが、不注意で君に痛い思いをさせてしまった。本当に申し訳なかった」
「いや、あの……ハプニングですし。その、そこまで謝っていただかずとも……」
「いいや、防ぎきれる事故だった。だからこそ、君にはきちんと謝罪しなければならない。怪我はしていないかい?」
「はい……大丈夫ですから。その、今は他に詳しく話を聞かせてもらいたいことがあってですね」
「何かね? 何でも言ってくれたまえ」
顔を上げた男性を見上げ、どことなく翡翠くんや瑠璃ちゃんの面影があるような、やっぱりないような不思議な感覚に襲われる。
俺は困惑で揺れる瞳をどうにか落ち着かせ、男性と視線を合わせたまま、思い切って切り出した。
「あなたは翡翠くんと瑠璃ちゃんの父親なんですか?」
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