第43話「おもり」
田代さんに立ち去られたあと、俺と子どもたちはここから距離の近いメリーゴーラウンドへと向かっていた。
男の子の名前は
歳は九歳、小学三年生だという。俺の妹の永遠より一学年上なのだが、それにしては永遠よりずっと大人びて見えた。口調もしっかりしているし、歳不相応な落ち着いた雰囲気を感じる。
他に俺が知る小学生である雫くんも、そういえば小学三年生だった。雫くんもしっかりしているが、彼は無邪気な面もあるし、そんなに年齢との乖離は感じない。
女の子の名前は瑠璃ちゃん。保育園の年中さんだ。おませで口が達者な印象を受ける。
社交的なのか甘えん坊なのかパッとは判断できないが、出会って間もない男子高校生である俺と、何のてらいもなく手を繋いできた。歩幅が小さい瑠璃ちゃんに合わせて、歩く速度を緩めるのに難儀する。
「ねえねえ、おうまさんのる?」
「え? お馬さん?」
「るりは、カボチャのばしゃにのるからぁ、ちがうのにする?」
なぜだかいつの間にやら、俺までメリーゴーラウンドに乗る流れができていた。
しかし、体調も本調子まで戻っていないので、できれば俺は乗らずに済むならそちらを選択したかった。
「メリーゴーラウンドには、瑠璃ちゃんと翡翠くんで乗りなよ。俺は見ているから」
「ボクも遠慮しとく。だって、メリーゴーラウンドって子どもっぽいじゃないか」
子どもが何を言う。
翡翠くんは澄ました表情で「子どもっぽいのには興味ないんだよね」だなんて口にしているが、小学生は小学生らしく無邪気に楽しめばいいものを。
どうしたもんかと思案していれば、メリーゴーラウンドが目前に迫っていた。ファンタジックな装飾が施された馬や馬車が緩やかな速度で曲に合わせて上下に動いて、床もゆっくりと回転している。
俺たちが到着したのをまるで見計らったかのようにメリーゴーランドは動きを止め、さっきまで遊具に乗っていたお客さんたちが一様に楽しげな顔をして、ぞろぞろと出入り口にやって来た。
出入り口に立つ係員へとフリーパスを見せれば、メリーゴーラウンドに乗れるはずだ。瑠理ちゃんも翡翠くんも乗り放題のフリーパスを持っていることだし、多くのアトラクションを楽しまなくては勿体ない。
「なあ、翡翠くん。俺もメリーゴーラウンド乗りたくなったからさ、一緒に乗ってくれないかな?」
「ええー……ボクはいいよ」
「そんなこと言わずに。俺だけだと恥ずかしいかもしれないけど、翡翠くんが隣に座ってくれれば大丈夫だと思うんだよ。な、頼む!」
身を屈め、両手を合わせて翡翠くんを拝めば、彼は満更でもない表情で明後日の方角を向いていた。
嫌そうな口振りではあるものの、断固として乗らない気はないらしく、あと一押しで陥落してくれそうだ。
わずかに翡翠くんへとにじり寄り、傍らの瑠璃ちゃんへと視線を投げる。
「瑠璃ちゃんもお兄ちゃんと一緒にメリーゴーラウンド乗りたいよな?」
「うんっ! にいにも、のってくれるの?」
「えっ……まあ、そこまで言うのなら……乗ってあげてもいいけど」
「よし、決まりな。じゃ、乗りに行くか」
翡翠くんの背中に腕を回し、瑠璃ちゃんの手を引いて、係員さんの元へと向かった。
フリーパスを確認してもらうや早速、瑠璃ちゃんはお目当てのカボチャの馬車へと駆け寄り、満面の笑みを浮かべて席へと座って準備万端だ。
翡翠くんは恥ずかしさがあるのか、きょろきょろと忙しなく視線を泳がせ、どれに乗ろうか逡巡している様子だった。
「どいつが一番格好良いかな? 翡翠くんはどれがいい?」
「この金色のたてがみのヤツは悪くないね」
おずおずと翡翠くんが見上げる先にあったのは、白馬を模したデザインの回転木馬で、彼が言うように馬のたてがみは輝く黄金色でよく目立つ。
馬の造形はどれも一緒みたいだが、デザインがそれぞれちょっとずつ異なっているようだ。
俺は翡翠くんの腰を持ち、馬に跨がる手助けを終えると、すぐ隣の回転木馬へと乗り込んで、天井から伸びる棒に腕を回す。
じきに陽気でリズミカルな曲が流れ出し、ゆっくりとした動きでメリーゴーラウンドが動き始めた。
ちょうど目と鼻の先に、瑠璃ちゃんの乗るカボチャの馬車が見えるから常に目配りができて安心する。
メリーゴーラウンドはアトラクションの動きとしては進行方向に回転し、それに加えて遊具の馬自体が上下運動を繰り返す単純なものだ。
けれど、曲に合わせてゆったりと進む感覚は癒やされるし、馬や馬車それからメリーゴーラウンドの遊具全体に施された、煌びやかでどこかアンティーク風の格調高い装飾は、眺めているだけでも興味深く案外楽しかった。
乗る前は子どもっぽいからとか、何だかんだと文句を並べていた翡翠くんも、顔をほころばせて馬に騎乗しているから、やっぱり乗ってもらって正解だったと安堵する。
まさか、高校生にもなってメリーゴーラウンドに乗るとは予想外だったが、中々いい体験をさせてもらった。
回転木馬の動きに身を任せ、ゆったり揺られていると、はっとした。優れなかった体調がいつの間にやら、ほぼ正常まで戻っていた。
やはり、一度胃のものを全部吐き出し、ベンチで休息を取っていたおかげだろう。
まあ、元気全開まではいかないが、翡翠くんと瑠璃ちゃんのお守り役に徹して、園内を廻る気力程度なら戻っている。
だけれども、三人の元へ合流できる気は全くしない。田代さんからの頼みもあり、今の俺は翡翠くんと瑠璃ちゃんの面倒を見る使命を帯びている。子どもふたりを連れて戻っても、迷惑をかける未来しか想像できなかった。
それに、大人数で動いたら翡翠くんや瑠璃ちゃんも遊園地を楽しめないだろうし、子どもがいらない気を遣って遠慮するようなことはあってはいけない。
仕方ないと割り切って、俺は与えられた任務を全うすることを優先すべきだ。そんなことをつらつら考えていれば、メリーゴーラウンドの曲は終盤に差し掛かっていた。
続いては足を伸ばして、翡翠くんご要望のゴーカートへ。一人乗りと二人乗りのカートがあり、翡翠くんは自ら運転してみたいとのことで、嬉々として一人乗りのカートを選んだ。
瑠璃ちゃんはゴーカートには乗りたいが一人だと怖いし、そもそも年齢制限やら身長制限やらでひとりでは乗れないので、俺と一緒に二人乗りのカートに乗り込むこととなった。
一人乗りと二人乗りはレーンが違うため、翡翠くんとは一旦別行動となる。翡翠くんが乗っている間は一人乗りのコースを見守っていればいいだろうが、俺と瑠璃ちゃんが二人乗りのカートに乗っている間、翡翠くんはひとりきりになってしまう。
翡翠くんはしっかりしているので、黙ってどこかに行ってしまう恐れはないだろう。
だが、翡翠くんひとりだけで、退屈な時間を過ごさせるのは避けたかった。乗って走って降りるまで、それなりに時間がかかりそうだったし。
だったら、同じ時間で別々にカートに乗って、落ち合った方が効率的だと思ったのだ。それに、もうじき昼だ。お腹を空かせてじっとしているのは、小学生男子にとっては酷だろう。
もっとも、ほんのしばらくの間であるけれども、翡翠くんから目を離すのは不安であった。
しかし、レーンには係員が何人も配置されているようだし、事故が起こらないようにと随時目を光らせてくれるだろう。
それに、コースも複雑怪奇ではなく、ぐるりと一周だけ円を描く単純なものだったので安心できた。
「それじゃ、行ってくるよ」
「うん、気をつけて楽しんでおいで」
「にいに、ちょっとだけバイバイね」
ひらひらと手を振って、翡翠くんと別れた後、瑠璃ちゃんと俺は二人乗りカート用のレーンへと向かった。
遊園地の一アトラクションであるゴーカートなのだからと、正直なところ子ども騙しと舐めていた。
だがしかし、実際に乗ってみると予想に反して面白かった。
係員のひとから簡単な運転の説明を受け、ハンドルを握ってアクセルを踏み込み、カートを発進させてみる。
自動車の操作を簡易的にしたものだろうが、車の運転なんぞ生まれてこの方したことがないせいで、走り出しは少々手こずり、ぎこちないスタートになった。
「もっとビューンって、はしれないの?」
もたついた走りを受け、隣に座る瑠璃ちゃんから不平不満が漏れる。
瑠璃ちゃんの座る席にもハンドルはあるのだが、くるくる回せても運転はできないので、ゴーカートを楽しめるか否かは俺のドライブテクニックにかかっているのだ。
とはいえ、一本道を真っ直ぐ進むだけなので技術はとんと必要なかった。もう少し、アクセルを踏んでスピードを出しても問題ないだろう。
「きゃー! はやいはやい! たのしぃ!」
すぐ隣でけらけらと甲高い笑い声が上がる。瑠璃ちゃんはようやくスピードをお気に召してくれたらしい。
どうにかこうにか要領を掴み、徐々にスピードを上げて加速していく。向かい風が顔を叩きつけるように吹き、髪の毛がさらわれ後ろへと流される。
速度が上がれば少しハンドルを動かしただけでも、思った以上の距離を動いてしまうので、より一層慎重なハンドル捌きが求められた。
風を受けてきゃあきゃあと叫ぶように笑うご機嫌な瑠璃ちゃんとは対照的に、俺はゴーカートの運転をゴール地点まで神経を尖らせながら継続したのだった。
「想像よりは速度が出なかったけど、まあまあ良かったかな」
「それはなにより……」
「るりもたのしかったよ!」
ゴーカード乗り場を離れ、ちょうど昼時に差し掛かったこともあり、俺と瑠璃ちゃん、合流した翡翠くんとで屋外のフードコーナーへと赴いていた。
テーブルや椅子が並ぶ休憩場所は昼食を楽しむお客さんで賑わっていたが、何とか一角のテーブルを確保し、めいめい好きなメニューを選んで売店で食べ物を購入していた。
当然、翡翠くんと瑠璃ちゃんの昼飯代は田代さんからもらった二万円から捻出している。
仮にふたりの親御さんがジャンクフードを毛嫌いしているようなひとであったなら、昼飯は園内にあるちゃんとしたレストランで摂るべきだったかもしれないが、幸いふたりは好きなものを好きなように食べていいらしく、ホットスナック類を楽しげに選んでいた。
もっとも、日頃は食べ物に気を遣っていても、遊園地という非日常でアレを食べるなコレは健康に悪いなどと目くじらを立てることもあるまい。
一食くらい、子どもの好きなものを好きなように食べても支障はないだろう。
何を食べようがとやかく言われない高校生の俺は、もちろん好き勝手に食べたいものを購入していた。
ジェットコースターを降り、胃のもの全てを吐いた直後のグロッキー状態からは逸しており、空腹も感じていた。胃が空っぽなのだ。
まあ、体調が完全に回復したとまでは言い切れないので、軽めを心がけるべきだが。
もしも、佐藤さんと一緒に昼飯を食べていたならば、何を食べるべきかメニューに頭を悩ませていただろう。あのひとは小食で、どこかカロリーを目の敵にしている節があるからだ。
間違っても、ケチャップとマスタードがこれでもかと振りかけられた巨大ウインナーが挟まったホットドッグとLサイズコーラなんてチョイスはしちゃいけない。
佐藤さんのことが頭に過ぎり、三人も今頃昼食を食べているのだろうかと思い至る。現在、俺たちのいるフードコートには、三人の姿は見えなかった。
今更合流するのは無理だろうな、と眼前に広がる光景を眺めた。
お守りを言いつけられた子どもふたりを引き連れて、一緒に遊園地を巡ろうとは流石に言い出せない。田代さんにお願いを頼まれたのは俺だけだし、子どもを預かる責任を他三人に押しつけるのは具合が悪い。
しかし、ずっと音信不通でいるのも駄目だろうとスマホを取り出し、佐藤さんにひとこと詫びのメッセージでも送ろうかとしたときだった。
「あ! るり、ソフトクリームたべたい。あれあれ! ね、かってー」
「え? ちょ、瑠璃ちゃん。まずは手にしているアメリカンドッグを食べ終えてからね」
「えー……ちぇ。わかった。たべる。たべるからね、だから、たべてからはいいでしょー?」
隣に座る瑠璃ちゃんがシャツの裾をぐいぐい引っ張ってせがんでくるので、佐藤さんへ連絡を入れるのはひとまず中断せざるを得なかった。
結局、目をキラキラ輝かせてねだる瑠璃ちゃんや、文句を言いつつも結局は食べると言い出した翡翠くん分のソフトクリームを買いに走った。
「とけちゃう」
「早く食べなきゃ」
「わっ! こぼれた」
「拭くから動かないで!」
などと、ふたりとわあわあ騒ぎながら溶けかかるソフトクリームを急いで食べさせている中で、連絡の件はすっかり忘却の彼方へと飛んでいったのだった。
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