第41話「ジェットコースター」

 電車に揺られて三十分、それからバスに乗り換えて十分ほど。本日の目的地である遊園地へと辿り着く。

 電車やバスの車内で我々四人が盛り上がったかといえば、はっきり申してさほど会話は弾まなかった。

 俺は元々、喋らなくて良いなら黙っている方が楽な質だから、話題をポンポン投げられる話術は持ち合わせていない。


 今まで接して感じた鴻池の印象は騒がしいお喋り娘なのだが、古谷の存在によって彼女の特性はめっきり消え去ってしまい、ぎこちない受け答えしかできないでくの坊に成り下がっていた。

 それから、佐藤さんもなぜなのか応対に険があるというか、いつもとは真逆の取っつきにくさを醸し出していた。

 一方、古谷は相変わらず爽やかで普段通りなので救われた。車内ではいわば、古谷のワンマンショー状態だったのではなかろうか。

 俺は気が気じゃなくヒヤヒヤしっ放しで、遊園地に着く前から無駄に疲弊してしまった。気疲れが酷い。


 その中々盛り上がらなかった車内の話題は、学校生活についてが主だったように思う。

 例えば、つい先日行われた期末試験のこと。佐藤さんは大得意の英語を筆頭として、成績は全般的に優秀らしい。

 鴻池は見た目通りというか、座学が好きではないとのこと。身体を存分に動かす体育が一等得意と、想像に違わぬ回答にむしろほっこりした。

 出来の良ろしくない面白みのない俺の話は飛ばし、生徒会長に立候補するような優秀な男である古谷は、当然のように何でもそつなくこなすらしかった。話を聞く分に、成績上位者だとはひしひしと伝わってきた。


 たしか、古谷は入学式の際に新入生代表挨拶をしていた覚えがある。この新入生代表を務める生徒というのは、高校入試を主席合格した者ではなかっただろうか。

 もはや人間としての程度の差が開きすぎているので、古谷に対して恨みも僻みの感情さえ湧かなかった。


 他の話題では、今まで所属していた部活動について。

 現在、俺と古谷と鴻池はボランティア部に入部している。加えて、古谷は生徒会執行部にも籍を置いている。まだ役職持ちではないらしいが、後日開催される生徒会長選挙にて見事当選したら、生徒会長の座に納まるのだ。


 佐藤さんは何の部にも入っていない帰宅部だが、委員会であるならば文化祭実行委員会に入っている。

 今はまだ集まりも少なく、委員の仕事も取り立ててないらしいけれど、文化祭が近づくにつれて徐々に忙しくなると教えてくれる。

 大変そうだが、やりがいもあることだろう。ぜひとも、頑張ってほしいものだ。


 高校から過去に遡り、小学生の頃入っていたクラブや中学生時の部活動についても話は及んだ。

 鴻池は中学のときは陸上部にて、棒高跳びの選手だったと語ってくれた。すらりと伸びた脚には程よい筋肉がついているので、部活の練習で培った賜物なのだろう。


「練習はキツかったですよ、そりゃバリバリの運動部ですもん。顧問の先生が大学の時、駅伝走っていたらしくて、陸上経験者とあってか指導も熱心でしたしねえ」


 毎日、朝練と放課後の練習に精を出し、自主練もしっかりとこなしていたと胸を張る鴻池。

 しかし、大会での結果はあまり奮わず、入賞などにはとんと縁がなく記録も芳しくなかったせいで、鴻池は高校では陸上部への入部はしなかったらしい。

 少し勿体ないと感じはするけれど、高校でも陸上を続けていたとして、欲しい結果が出るとは分からない。

 努力は全部が全部、正しく実を結ぶとは限らないのだ。鴻池の選択を部外者も部外者の俺が断じる資格は全くない。


 佐藤さんは中学時、家庭科部に入部していたとのこと。何をする部活動かいまいちピンとこなかったら、佐藤さんから補足説明がすかさず入る。


「調理室で料理したり、被服室で裁縫していたよ。鴻池さんの入部していた陸上部みたいな体育会系とは全く違って、ゆるーい部だったなあ。活動もね、参加したい子が来るみたいな。籍だけ置いた幽霊部員も結構いたと思う」


 それでも、活動はとにかく楽しくて部員は総じて仲が良かったと、佐藤さんは昔の思い出を懐かしむように微笑んだ。進路が分かれて異なる高校に進んでも、とりわけ仲良しだった数名とは、今でも交流があるという。


 クリスマス時期には部の皆で大きなホールケーキを作って頬張ったり、文化祭で売る手芸品を完成させるべく放課後に被服室に居残って、夜遅くまでかかってどうにか全て作り終えたり、夏休みには顧問の家庭科教諭がわざわざ山から竹を刈ってきて手作り流しそうめん会を催したり、と中々充実した活動を送っていたようだ。

 部活動内容的に、ほとんど全員が女子生徒だったらしく、さぞやキャッキャウフフと和気藹々活動していたと想像できる。男子禁制のその空間、絶対いい匂いがするに違いない。


 古谷は小中学校のときは空手クラブ、空手道部に入っていたらしい。

 爽やかな風貌からして、てっきりスマートにテニスなんぞ嗜んでいるような印象があったが、実直な武道にて心身の鍛練に励んでいたのだ。

 何か理由があっての空手なのかと思ったが、近所に道場があったことと、兄が先に習いに行っていたこともあり、弟の古谷もつられて道場に顔を出していたら、気付けば道着を着用して練習に参加していたという。


「始めてみれば案外楽しくて、小学校卒業まで道場に通っていたよ。それで、中学で部活を決めようとしていたら、経験者なら大歓迎だと空手道部から熱心に誘われてね。必要とされているなら力を試してみようと、入部した経緯があるのさ」


 幼少期より空手を続けていたため実力もあり、すぐにレギュラー入りを果たした古谷は、大会に出場してはそれなりの成績を残した。大会で表彰を受けることもあったらしい。

 ではそんなに輝かしい経歴を持つ古谷が何故、高校では空手を続けていないかといえば、高校の部活に空手がなかったからに他ならない。

 これこそ、勿体ないと声を上げたいが、当の本人は至ってあっけらかんとしていた。今更外部の道場に入ってまで、続ける気概は持ち合わせていないという。


「ただ、ずっと空手をやって来たから、時々無性に身体を動かしたくて仕方がないときがある。そんなとき、持て余すことはあるね。心の持って行き方を」


 さぞや、古谷は腕っ節が強いはずだ。だったら、燻る心を解き放つため、世にのさばる悪党を成敗すればいいのでは? 

 もっとも、古谷は武術に覚えがあるから、己の力をむやみやたらに使うような真似はしないだろう。自身の拳が武器になると知っているからだ。


「それで、新留は中学時代は何か部活動をやっていたのかい?」

「え? お、俺の話なんて面白くないから……」


 古谷の問いかけに首を振って受け流そうとするも、そうは問屋が卸さなかった。


「私はぜひとも聞きたいな。新留くんの中学生のころ。ねえ、教えてほしいな」

「佐藤さん……」


 にっこり笑顔を向けられ、期待のこもった眼差しで見つめられたら、ノーコメントは貫けまい。佐藤さんの催促に負けた俺は、恐る恐る唇を開けた。


「中学の時は生物部に入っていて……」

「へえ、新留くんは生物部だったんだね。生物部って、例えばどんなことをするの?」

「えっと、理科室で飼っている生き物の世話とか、まあ色々……」


 佐藤さんは興味津々に話を聞いてくれているみたいだが、そう熱心に耳を傾ける価値もない。大体、生物部に入っていたと言っても、俺は途中で退部したのだから。

 当時一緒に活動していた部員たちと今でも仲良くしている佐藤さんとは違い、部員との交流はもちろん皆無だった。彼らが今、どこの高校に進み、何をやっているかだなんて、まるで見当もつかない。あまり思い出したくない過去だった。


 少々盛り上がりに欠けた道中を経て、遊園地へと俺たち一行は辿り着いた。

 電車やバスでの息が詰まる思いはもうこりごりだ。できれば、遊園地では穏やかな気持ちで過ごしたい。

 もっとも、これからは遊園地を楽しむという目的があるので、気詰まりで窒息死するような事態には陥らないだろう。


 入場ゲート入ってすぐにあるチケット売り場に、まずは向かう。ここでも俺はどのチケットを買えばいいのか狼狽したのだが、古谷がすぐに入園料とフリーパスが一緒になったチケットを購入すべきと提示してくれたので助かった。

 俺の無知が露見するのと反比例するかのように、古谷の頼もしさが増している気がする。

 しっかりしているなあ、とただただ感心するばかりで、同じ男としての度量の大きさを比べるのさえおこがましいほどだった。


「さて、それじゃあまず、何に乗ろうか?」


 チケットと一緒にもらった園内マップにざっと一通り目を通して、どんなアトラクションがどこにあるのか確認していたらしき古谷が顔を上げて問うてくる。

 そうだ、遊園地にやって来たらアトラクションを楽しまなければならないのだ。

 俺みたいに、本日野外ステージで行われるヒーローショーの時間を確認し、どうにかして観覧できないかなと胸を高鳴らせるのは邪道だった。


 しかし、俺にとっての遊園地とは幼少期から一貫して、ヒーローショーを観に行く場所だったので、さほどアトラクションに興味をそそられないし、どれに乗りたいかなんて希望も特にない。

 いや、絶叫系のアトラクションはできれば遠慮しておきたい。ジェットコースターなんて本当に駄目だ。高い場所から急に落下するなど、正気の沙汰だと思えない。死にたいのかと。


 パンフレットに掲載されていたジェットコースターの紹介文を読み、思わず戦慄した。

 この遊園地目玉のジェットコースターの売りは急降下と猛スピード、大カーブ、大ループと、これでもかとスリルがぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。恐怖が大渋滞を引き起こしている。


「やっぱり遊園地に来たら、まずはジェットコースターに乗らないと始まらないよね。そう思わないかい、鴻池くん」

「えっ、は、はい……そ、そうですね、そ、そうおも、思いますっ。の、乗りたいです!」


 古谷からの問いかけを受け、どれだけ噛めば気が済むんだとばかりの鴻池の返事はともかく、いつの間にやらジェットコースターに乗る流れが作られていた。

 嘘だろ、と慌ててパンフレットから目線を引っ剥がし、返答のない佐藤さんの反応を窺って絶句した。佐藤さんもジェットコースターに乗ることには異論がない様子。

 むしろ、今まで浮かべていたつまらなそうな表情から一変、口角も上がって頬もわずかに上気しているような。もしやこの人、見かけによらず絶叫マシン大好きなのでは!?


「異論なしのようだね。それじゃ行こうか」

「え……?」


 思わず漏らした呟きに、三人の視線が俺の顔へと突き刺さる。

 緊張で表情の強張っていた鴻池がたちまちニヤリと相好を崩して、絶好の獲物を見つけたとばかりに目を爛々と輝かせた。


「おやぁ? もしかして、新留先輩ってジェットコースター苦手なんですか?」

「え、いや苦手じゃなくて、あまり得意な部類ではない程度で……」

「駄目なわけじゃないんだよね?」


 ニヤニヤ顔が憎たらしい鴻池のからかいに、何故か佐藤さんまで加わってきたので面食らう。

 そんな確認をしてくるということは、佐藤さんはもしや俺をジェットコースターに乗せるつもりなのか。じょ、冗談じゃない!


「そんな……乗ったことないから、好きとか嫌いとか分からないし……」

「乗ってみたら楽しいよ! ね、新留くん、私の隣に乗ってくれないかな?」

「そうですよ。実際乗ったら案外楽しいですって。爽快感を味わいましょうよ、新留先輩!」


 ぐいぐい引き下がる佐藤さん、弄るのが楽しくて仕方がない様子の鴻池、ふたりを止める気のない余裕綽々の古谷。

 この空気、むやみに嫌だ、乗らないと突っぱねる方が悪者になる。逃げ道は塞がれ、俺は絶体絶命のピンチに陥っていた。

 助けを求めようにも、俺の周りに味方はいない。四面楚歌、万事休すとはまさにこのこと。

 俺は悲鳴をぐっと呑み込み、眼前にそびえるジェットコースターへと乗るべく、三人の後に続いて重い足取りで向かうのだった。


 安全バーを係員のお姉さんがにこやかに降ろし、きちんとロックがかかったことを確認し終えた。

 俺は顔面蒼白のまま、ジェットコースターが動き出す裁きの時間がやって来る恐怖に、ただひたすら無言で怯えていた。

 視界を遮るものは一切ない。佐藤さんが嬉々として、最前席へと一目散に向かったときは、彼女の裏切りに絶望した。

 何て真似をしやがるこの悪魔!と詰りたかったが、罵倒の声も口を衝いて出なくなっていた。

 隣においでの手招きに導かれるまま、佐藤さんの隣に座らざるを得なかった。瞬時に死を覚悟した。


 背後からは、楽しげなお喋りの声がいくつも聞こえてきた。待ち受ける拷問を前に、呑気によくもまあ、他人と話せるものだなと無性に怒りが沸々と湧いてくる。

 ただし、ここで怒り狂って喚き散らしてみろ。一瞬で俺は頭のおかしい人間に認定だ。

 乗客全員の安全確認が終了したのだろう。係員のひとたちが陽気な声でカウントダウンを開始する。

 一方、俺は歯の根が合わないぐらい、ガタガタ震えが止まらない。


「さん!」

「新留くん、大丈夫……?」

「にー!」

「ごめん、佐藤さん……」

「いち!」


 佐藤さんの返事の声は、ジェットコースター発進の動作音に掻き消えて、全く聞き取れなかった。

 急速に車両が加速を始め、座席にグンッと体が押しつけられた。このまま一気に急勾配のレールを登り、コースターはスピードを一切落とすことなく、頂上まであっという間に辿り着く。


 ぱっと開けた視界。腹の底から湧き上がる恐怖で瞼も閉じられず、ガン開きした両眼に映るのは、はるか遠くまで広がる遊園地の全景だった。

 そして、頭上には青い空、白い雲、夏のぎらつく太陽。空は紛うことなく快晴で、見渡す景色はとても綺麗だった。

 ただし、俺に景色を楽しむ余裕なんて一ミリも存在していない。心と頭を支配するのはただただ恐怖。怖い怖い死ぬ死ぬ!


 天辺でコースターが停止したのは、ほんの一瞬であったのだろう。だが、俺の体感的には悠久に思えて仕方がなかった。

 しかし、どれだけ長い時間が経ったとしても、時は必ず動き出す。

 落ちる、と思ったその瞬間。ふわりと体が宙に浮いた錯覚に襲われた。それから間もなく、コースターは一気にレールを駆け下る。

 スピードは落下の勢いで加速的に上昇し、呼吸もできないほどだった。


「きゃーっ!」

「うわああ!」

「ぎゃあー!」


 レールを疾走する車輪の音に混じり、次々に聞こえる叫び声たち。悲鳴、歓声、絶叫。実に様々な声がする。

 俺だって、できることなら悲鳴のひとつぐらいあげたかった。心中に蠢く恐れを叫びに変えれば、少しは恐怖も軽減できただろうに。

 しかし、口を開いて声を出す力さえ、削ぎ落とされていては、最早どうしようもない。


 地面に叩きつけられる!と思ったそのとき、再びコースターはレールを走って上昇し、グングンと高度を増す。

 勢いを緩める温情なんぞ知らぬとばかりに加速をつけたまま、ぐるりとコースターは一回転。

 大きく大きくレールは回り、身体はぐるんと宙返り。天と地がひっくり返って、脳内は底知れぬ浮遊感で支配される。胃のもの全部を口から一気に吐き出しそうな心地がして、気持ちが悪くてただただ目が回る。


 地獄に叩き落とされ、死んだと思った。むしろ今、何で俺は生きている? 

 生きていたら、まだこの恐怖と立ち向かわないといけないじゃないか! いっそ一気に楽にしてくれよ! 何だってんだコンチクショウ!


 その後、レールは右にカーブし、左にカーブし、コースターもその都度ガクンガクンと勢いよく揺さぶられ、よもや身体が左右に引き千切られてバラバラになり、一気に霧散するのではとおののいた。

 コースの終盤はあまり記憶がない。とうとう、恐怖で思考が停止したのかもしれなかった。

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