第40話「ダブルデート」

 迎えたダブルデート当日。

 俺は集合場所の駅へと向かっていた。目的地である遊園地へは、電車とバスを乗り継いで行くことになっている。

 駅前のよく分からないモニュメントを目の端に捉える。集合時間まではまだ余裕があるし、他の三人はまだ着ていないかもしれないなと考えながら近づいていけば、すでにひとり先客がいた。


「新留先輩、おはようございます!」

「おはよう、鴻池。今、着たところか?」


 最初に到着していたのは鴻池だった。彼女は俺の問いかけに一度は首を振ったものの、即座に頷きへと仕草を変える。もしや、結構前に辿り着いていたのかもしれない。

 今も鴻池の全身に、緊張感が漲っているのが手に取るように分かった。まだ古谷がやって来ていないのにこの有様だから、今後が心配になってくる。


「夜眠れたか?」

「ええっと、一睡はしました。夜明けぐらいに意識がなかったもので!」

「おいおい、大丈夫かよ……」

「睡眠不足は気力でカバーします!」


 ぐっと力こぶを作る鴻池の様子がまさに空元気じみており、不安が更に募ってきた。

 憧れる片想い相手とのデートだ。緊張するなという方が難しいだろうが、鴻池の無駄に力が入っている様は見ていて本当に心配を抱く。


「具合悪くなったらすぐ言えよ」

「もー、平気ですって! 新留先輩は心配性なんですねぇ!」


 ケラケラと気楽に笑う鴻池に、少しは肩の力が抜けたようでホッとした。

 だが、この鴻池の弛緩した態度も古谷が到着すれば、たちまちカチンコチンに身を固くしてしまうのだろうが。何だか世話の焼ける妹の心配をしている錯覚に襲われた。

 しかし、俺の妹は真実も永遠も大層できた子なので、兄妹間で不出来なのは実際には俺だけなのだが。


 ふと、駅前に設置された時計が目に入ったから確認すれば、集合時刻までもう間もなくの頃合いだった。時計を見るために上向いていた顔をそのままに、眼前に広がる空を仰いだ。

 漂白されたかのように真っ白な雲がいくつか浮かんでおり、しきりに形を変えながら風に乗って流れてゆく。

 太陽の陽差しは夏らしく地上へ燦々と照りつけており、気温も時間を経るに上昇していくだろう。風が吹いているからそこまで暑さを実感しないが、熱中症に罹らないように注意を怠ってはならない。 


 自宅を出発する間際、休日だから普段より遅く起床したらしき母親から、外に行くなら帽子を被っていきなさい、とまるで小学生みたいな注意をされた記憶が新しい。

 そのため部屋に舞い戻り、手身近にあったキャップ帽を被って出てきたわけなのだが、健康的には最善手を取ったとはいえ、ファッション的には問題なかったのだろうか。


 うちのファッション番長である真実は、今日も今日とて五十嵐架純さんとふたりで遊びに出かけて留守なので、助言をもらうことは不可能だ。

 正しい判断を仰ごうとするならば、出先の真実へと電話でもかければ良かっただろが、家を出る時刻も差し迫っていた時間的猶予の他、何でもかんでも妹頼りは兄としてのプライドが傷ついて余りあった点も加味し、結局電話はしなかった。

 それに、仲良しの友人と過ごす楽しい時間を、不肖の兄からの電話で邪魔しては悪いとの思いもあった。


 鴻池も確かキャスケットとか云うつばが広くて、丸みを帯びたシルエットが特徴的な帽子を被っていた。俺みたいに取って付けたように熱中症対策で被ってきたのではなく、きちんとファッション的に計算して選んだ帽子だと分かった。

 夏らしい鮮やかな色味で統一し、元気の良さが伝わってくるボーイッシュな服装も鴻池に似合っていた。

 ショートパンツから伸びるすらりとした脚が視界に入り、なるほど確かに、脚には自信があると言っていたのは嘘でも誇張でもないなと納得する。


「新留先輩、なーにジロジロ見ているんですか? 佐藤先輩に言いつけますよ?」

「はあ!? な、何も見てねーし!」

「嘘ばっかり! 今、自分の脚線美に見惚れていたくせに!」

「なっ! そんなわけあるか! 自意識過剰も大概にしろよ!」


 鴻池とぎゃーぎゃー騒がしく、程度の低い言い争いをしていたところ、不意に背後へ気配を感じてビクリとおののき、すぐさま後ろを振り返る。

 その瞬間、ふわりと甘い香りが鼻を掠めた。

 この匂いを俺は知っている。甘やかで落ち着かなくなる香りの正体、それは佐藤さんの髪の匂いだ。


「新留くん、それから鴻池さんも。お待たせ。楽しそうだね」


 いつの間にやら到着し、至近距離に立っていた佐藤さんがニコリとゆっくり微笑んだ。

 間合いの詰められ具合に気が動転し、俺は「ぎゃあっ」と一声、情けない悲鳴を上げるや、勢いよく飛び退ってしまった。

 俺の驚き様を目の当たりにし、ざっくりと傷ついたように佐藤さんの表情がたちまち陰った。


「え、いや……ごめん。あんまり近くにいたから、ビックリしただけで」

「……ほんと?」

「本当だって、佐藤さん。あの、ええっと、それより……そのワンピース、似合って、似合っています」

「ほんとっ?」


 コクコクと必死に首を縦に振る。すると、佐藤さんの顔には血の気が戻って、頬もほんのり赤く色づいた。

 以前、デート相手を喜ばせるにはとにかく格好を褒めろと、初デートに挑むに当たって真実から口を酸っぱくして言われていたことを思い出し、即座に実行に移したおかげで、どうにかこうにか危機的状況を乗り切れたようだった。初デート時の失態が今、ようやく活きた。


 しかし、俺だって口から出任せを言ったのではない。

 佐藤さんの身に纏うワンピースが彼女に似合っているのは本当だった。本日の佐藤さんの服装は、わずかに青みがかった白色の膝丈ワンピースだ。日焼け予防のためかワンピースの上から、半袖カーディガンを羽織っている。薄手のカーディガンのおかげで、ワンピースがノースリーブだとも分かり、うっすらと生地を透けて見える白さ眩しい二の腕にドギマギした。

 直視し続けるのはまずもって無理なので、慌てて佐藤さんから顔を逸らして明後日の方角を見やり、どうにか心臓の悲鳴を落ち着けることに成功した。


「佐藤先輩、危険ですよ! 新留先輩、やらしーこと考えてます!」

「か、考えてねーよ! 失礼な奴だな!」

「はい、嘘-! さっきからずっと目が泳ぎっぱなしです。説得力がまるでありません!」


 ビシッと鼻先に人差し指を突きつけられ、俺は鴻池から激しい糾弾を受けた。

 一応否定はしてみるものの、鴻池に強く出られないのは、下心という後ろめたく邪な感情が芽生えているせいだった。

 鴻池のすらりと引き締まった脚を見ても、健康的だな程度にしか感情は動かなかった。

 だが、私服姿の佐藤さんを見たらどういうわけか、平常心を保てないほど狼狽えている。


 佐藤さんの私服姿は、初デートのときに見ているから耐性はあるはずだった。それに当時は今ほど、心をクリティカルに揺さぶられた記憶はない。佐藤さんによく似合う清楚な格好だなあ、と感心していたぐらいだ。

 それなのに、現在は動悸で心臓が痛くなっているのは何故だろう。

 俺の挙動不審さしか感じられないみっともない様子を前にしても、佐藤さんは恥じらうように笑うばかりで不可解だ。鴻池から「自衛したほうがいいのでは!?」と肘でつつかれても、佐藤さんははにかむように笑んで首を横に振る。


「新留くんになら、じっと見られても嬉しいから」


 ひえー! どこかに逃げ込める穴はないだろうか! いっそのこと、洞窟でも構わない。天岩戸に閉じ籠もってしまいたい、今すぐに!

 及び腰になった俺は口をパクパクと開閉するばかりで、言葉が続かず出てこない。

 しかし、佐藤さんの発言に何と反応したら正解か、全然思いつかないのだから仕方あるまい。どんな台詞を告げたとて、俺の株が著しく下がる予感しかしなかった。

 息の詰まる膠着状態を壊したのは、後方から聞こえる朗らかな声だった。


「いやあ、待たせたね。おや、女性陣はいつも以上に可愛らしい。佐藤くん、ワンピース姿よく似合っているよ」


 古谷が姿を現していた。スチャッと片手を挙げ、妙に芝居がかった動作で挨拶をすると、古谷は俺たちの元まで颯爽とやって来る。

 格好を褒められた佐藤さんであるが、俺が似合っていると述べたとき同様の、ニコニコとした満面の笑みは浮かべてはいなかった。

 まるで、向けられる古谷の眼差しから逃れるように、やや俯きがちで地面へと視線を落としていた。


「……どうも」


 普段の愛想の良い佐藤さんからしてみれば、やけにつっけんどんな返事だったが、古谷は意にも介さず笑顔を保っている。

 ぎこちない空気が流れる中、俺は初っ端から躓いては困ると大いに焦った。どうにか居心地の悪さを打破すべく、何かないかと周囲を見渡し頭を抱えそうになる。

 傍らの鴻池は古谷が場に現れた途端、先ほどまでの騒がしさはどこへやら、小さく縮こまって押し黙ってやがる。


「ええっと……もうじき電車来るよな? ほら、切符買ってホームに行っておこう」


 柄にもなく場を主導するような言葉を放って、判断は間違っていないかと冷や汗を掻く。

 これが気心の知れた相手、家族や友人であれば適切な対応や言葉も自ずと見えてくる。

 だが、三人のことはろくに分からない。押しつけがましくないか、出しゃばってやしないかと恐る恐る反応を窺う。

 佐藤さんはにっこり頷き、鴻池はコクコク同意しているが、古谷は顎に指を添えて思案顔だ。やはり俺が言い出すのは間違ったか。


「そうだね、そうしよう。切符はどこの駅まで買うのか分かるかい? 途中で遊園地に直通のバスに乗り換えるんだろう」

「あー……どこまでだったっけ? 今、スマホで調べるから」

「いいや、大丈夫。すでに確認済みだからね」

「え、すまん。悪いな」

「問題ないよ。さあ、買いに行こうか」


 俺の覚束ない声かけに不安を抱いたのか、もしくは見ちゃおられないと逆に刺激されたのか、爽やかに笑って突っ立っていただけの古谷が急に動き出す。

 売り場に向かうや、迷う素振りも見せずに行き先までの切符をさっと人数分購入し、たちまち淀みのない指揮を執り始めた。テキパキと動く元来のリーダーシップを発揮しだしたようだった。

 俺は慣れないことはするもんじゃないと反省し、古谷が進んで動いてくれるらしい様子に心底安堵した。これで、俺がぼーっと腑抜けていても、古谷のおかげで遊園地に無事辿り着く。


 改札を抜け、乗り場のホームでしばらく待っていれば、ほどなく電車が滑り込む。車内は休日ということもあり、乗客の数もそれなりに多く見受けられた。

 乗った電車はボックス席タイプであり、ちょうど運良く四人分空いている席を見つけたが、ここで少々考える。座る席をどうすれば良いのかだ。


 電車に揺られる時間は約三十分。短くない乗車時間だ。本日のダブルデートの目的を改めて思い出す。

 鴻池たっての願いで、古谷との仲を取り持つのではなかったか。いや、恋仲になりたいのは願望で、できるだけ親睦を深めて、仲を近付けたいのが本音だったはず。それに加え、四月に助けてもらったお礼も言いたいという。


 ええい、まどろっこしい、とっとと好きだと言っちまえと、若干思わなくもなかったが、想いを伝える難しさはよく分かる。

 だからこそ、今日一日をかけて古谷と一緒に遊園地を廻り、どうにかこうにか距離を縮めたいのだろう。

 であれば、席順はなるべく話がしやすいように向かいで座る方が良いだろうかと、俺があれやこれや考えを巡らしていた矢先、席の直近に立つ古谷が口を開いていた。



「女性陣は窓際の席で構わないかな。今日は天気も良いから、窓から見える景色も良いだろうからね」


 そう言うや、古谷はささっと佐藤さんと鴻池を席へとエスコートした。口を挟む隙もなかった。

 だったら、ふたりが隣になれるようにと、俺が佐藤さんの隣に座って先に選択肢を封じることで、自然と古谷を鴻池の隣の席に導けるだろうと、目当ての座席に足を向けた途端。


 視界の端からにゅっと伸びた手に、ぐっと腕を引っ張られて、そのまま勢いでストンと着席してしまった。

 誰が一体、顔を上げて目を見張る。横から鴻池が青い顔をして俺を見ていた。


「……なんで。せっかくのチャンスを潰すな」


 声を潜めて文句を言うも、鴻池は震えるままに目を伏せた。そして、こそこそ小声で反論してくる。


「無理です、隣なんて。だから、新留先輩ここに居て」

「ええ……」


 困惑を引きずったまま視線を前に移せば、すでに古谷が席に収まっていた。今更席を変えようなんて持ちかければ、古谷から不審に思われるに決まっている。

 内心溜め息を吐いて、成り行きで座った席に深く腰掛け直す。斜め向かいに座る佐藤さんへちらりと目を向ける。発車してホームから離れ始めた窓の外の景色を、ぼんやりと頬杖を吐いて眺めている。

 佐藤さんが何を考えているのか判断ができないけれども、その横顔にはあまりにも目を奪われてしまう。そのとき生まれた自分自身の感情が一体どういうものなのか、俺はてんで分からなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る