第33話「厄介先輩」

「なあ、清住。あの三年生ってさ……」


 特別棟を出て渡り廊下を通り、二年生の教室のある校舎へ戻る道すがら。

 少し前を行く清住に向かって、遠慮がちに声をかけた。清住はその場で立ち止まり、こちらをゆっくりと仰いだ。顔には困ったような笑みが広がっている。


「演劇部の先輩……いや、元先輩だね」

「元? 三年の引退時期って、まだ先じゃなかったか?」


 体育会系の部活は夏の大会後、文化系の部活は文化祭が終わってから、三年生が部活動を引退することがうちの高校では一般的だった。


「うん、演劇部の引退時期だって文化祭後だよ。あの先輩は自分から辞めたんだ。何でも高校の演劇部なんかじゃ、自分の才能が発揮できないらしいんだって」

「なんだそれ……」


 やれやれと肩を竦め、苦笑を広げる清住が話して聞かせるところによれば、例の三年生は演劇部において、いわゆる監督的な役割をやりたかったらしい。

 しかし、彼は部長を務めるわけでもなく、演出を担っていることもなく、脚本書きでもないという。

 ならば、役者でもやっていたのかと問えば、清住はそれも違うという。


「あれこれ口ばっかり挟んできて、でも部員全員、何かしらやることになっている裏方的な作業は、色々とおかしな理由をつけて一切やらなくてね。発声や柔軟、筋トレとかの基礎練も疎かにしていたな。ぶっちゃけ、居ても居なくても問題ない人というか、むしろ口出しするせいで練習が中断するから、いわゆる厄介な人扱いだったな。そういう雰囲気って部全体にも漂っていて、空気読めない先輩もさすがに勘付いて気まずくなったのか、退部届提出したみたい。退部の表向きな理由は、演劇部じゃ自己実現が望めないかららしいけどね」


 三年生、厄介な質の先輩は演劇部を自主退部、本人曰く勇退のあと、早めの受験勉強に励んで大人しくしていたのかと思ったら、どうやら違うらしい。


「先輩は先輩なりに将来に向けて努力しているって、部のみんなに示したかったらしくてね、小劇団の演出家か誰かが主催しているって言うワークショップに参加したって、自慢げに語ってくれたけど。それも途中で行かなくなったみたい」


 やることなすこと全部空回って、何もかも上手くいかない厄介先輩が次に目をつけたのが、どういうわけだか演劇部の後輩たる清住だった。

 人気Youtuberの清住に取り入れば、恩恵を受けられると踏み、短慮な考えに至ったらしい。動画の撮影に、編集作業やら企画立案などの制作業務をやってあげてもいいと、厄介先輩はやけに上から目線で清住へ提案をしてきた。


 清住は特に親しいわけでもなく、尊敬するに値しない先輩に大事な仕事を任せるのは遠慮したいし、何より下心見え見えの頼みだったので、当然きっぱり断った。

 だが、厄介先輩はしつこい性格のようで、諦めずに交渉の機会を虎視眈々と窺い、先ほどのように清住がひとりのときに狙いを定めて、迷惑なんて考えもせずにガンガン話しかけてくるという。


「――っていうか、ボクは動画の編集作業が辛いとか一ミリも思っていないし! 動画撮影だって、仲良い友達がちゃんと協力してくれるしね。先輩の出る幕なんか、どこにも存在してないんだよ!」

「それ、伝えたのか?」

「もちろん! 一応先輩だからさあ、オブラートに包んでだけど、ちゃんとしっかり言っている。それなのに、あの人無理しているのは良くないとか、さもボクを心配している風なこと言って、強引に介入してこようとするから、本当に迷惑なんだよね」


 あけすけな物言いをする清住だが、年上の先輩相手には強くは出られないみたいで、本来の勝ち気な態度も発揮しづらいのだろう。

 それに、申し出をきっぱり拒絶した場合、厄介先輩が逆上する恐れだってある。清住が逆恨みされぬよう、憎まれ役だって買って出たいのは山々だった。

 けれど、清住と今年は違うクラスなもので、すぐ近くから注意を払うのもなかなか難しい。どうしたら、厄介先輩を清住の元から遠ざけることができるだろうか。


「いっそのこと、一回受注してみるとか?」

「先輩に?」

「そう。お願い聞いてあげたら、満足してくれないか」

「あり得ないね。一回こっきりで満足するわけないよ。調子に乗って、ますます付け上がるだけだと思うし、それにあの人には一ミクロンたりとも利用されたくない。実績作りの駒になんて絶対なるもんか」

「そりゃそうだな……」


 清住の言うとおり、厄介先輩の振る舞いを見るに、彼の提示する要求を呑んで受け入れた場合、思い上がってますます増長するのが目に見えている。

 「星ちゃんはおれが育てた」とか何とか抜かし、清住自身が得た賞賛も名声も、手にした高評価も功績だって全部が全部、自分のおかげで自分のものだと錯覚し、のさばる危険性があった。


「じゃあ、他に外注しているからって断れば。編集作業とか請け負ってくれる制作会社とか、フリーランスのクリエイターに頼んでみるとかは?」


 素人編集ではなく、ちゃんと本物のプロの手を借りていると知ったら、自信過剰な厄介先輩だって、さすがに引っ込まざるを得ないはずだ。

 恐ろしくプライドが高そうな先輩だし、端から負ける相手と分かってもなお、果敢に勝負を挑んでくるとは思えない。

 良いアイデアじゃないかと勇んで提案してみたが、清住の反応は鈍かった。たちまち渋面を広げ、頭を横に振ってみせた。


「そんな潤沢な資金、ボクにはないよ」

「清住人気だから、スパチャとかバンバン飛んでくるんじゃ? 他にもほら、メンバーシップや広告収入とかで、しこたま稼げているだろうに……」

「いや、ボク高校生で未成年だから、チャンネル収益化していないもん。それにねえ、衣装代、ヘアメイク代、ゲームソフト代、マイクとかの機材代とか結構お金が要るんだよ。その上、編集を外注するなんて到底無理。前にざっと調べたことがあるんだけどさ、外注の料金ってなかなか高額なんだよね。いち高校生が支払える金額じゃないし」


 清住の言い分はもっともだ。しかし、プロに頼るというアイデア自体は悪くないはずだ。

 清住側にも十分な利益が生まれる提案をすれば、もう少し乗り気になってくれるかもしれない。頭を捻る。


「うーん……それならあれだ。事務所に所属するって手はどうだ? それなら、編集作業だって会社に所属しているクリエイターが行ってくれるし、他にも企業案件とか回してくれるんじゃないか。なあ、事務所からスカウトとか来たことないのか?」


 清住はそこそこ有名だし、見栄えのする容姿を持っており、軽妙な喋りが持ち味で濃いキャラクター性も申し分ない。

 是非とも我が事務所に引き入れたいと、興味関心を示す会社だっていくつも存在していよう。

 清住は乾いた笑い声を立て、俺渾身のアイデアを一蹴しにかかる。


「胡散臭いところからなら、いくつもね。ちゃんとした有名どころじゃないと、話を聞く気にもなんない。それに、事務所に入ったら今までのように自由には色々やれないでしょ。あれするなこれするなってたくさん規制されて、がっちり拘束されるのも嫌だしさあ」


 あれもダメこれもダメ、清住から続けざまに考え出した提案を否定され、俺は少々自棄になっていたのかもしれない。

 続いてイチかバチかで口にした発案は、清住の神経を逆撫でするには十分すぎるほどだった。


「……じゃあ、お兄さんに頼むのは?」

「――却下。それだけはありえない。兄貴の手は絶対に借りない」


 瞬間、清住の纏う雰囲気がガラリと劇的に一変した。声のトーンは如実に低くなって刺々しく、顔つきにも強張りが見て取れた。

 清住にとって、とある大人気グループYoutuberであるお兄さんの話題は厳禁、御法度なのだ。口を滑らせたと気付いても、後の祭りだった。


「悪い、そうだったな……変なこと言ってごめん。申し訳ない」


 失言を詫びると、清住は黙って頷きを返した。今回は許されたらしい。

 清住の態度が豹変したときは、思わず肝が冷えた。清住の天敵であるお兄さんの話題は、今後一切口にしないよう気をつけねば。

 でないと厄介先輩のように、俺だって清住から蛇蝎のごとく毛嫌いされるかもしれないのだし。


 二年生の教室が並ぶ階へと辿り着く。俺は二組で清住は三組だから、程なく別れる。

 打開策は見つからず、忸怩たる思いが拭えない。これっぽっちも役に立てずに意気消沈していれば、清住がいやにさっぱりとした口調で宣言する。


「まあ、先輩飽きっぽいし、しばらく適当にあしらっていたら諦めてくれるでしょ。時間が解決してくれるよ」

「……本当に大丈夫なのか?」


 納得しかねて怖ず怖ず問いかけると、清住は目を細めて、何てことないように笑う。


「うんうん、平気平気。こんなの全然余裕だよ。でもまあ、心配してくれてありがとね、新留」

「また何かされそうになったら、ひとりで抱え込まずに相談しろよな。いや、俺にじゃなくても、撮影とか手伝ってくれているっていう仲良い友達にだっていいし」

「分かっているって。ボク、人に甘えるの得意だから、助けてってすぐに泣きつくよ。そのときはよろしくね?」


 清住はくすぐったそうにはにかむと、芝居じみた調子で右手をさっと差し出した。

 戸惑いつつも腕を伸ばせば、すぐに清住の手が俺の手をぎゅっと握り締める。廊下の真ん中で握手を交わしつつ、清住へと返事を寄越す。


「ああ、すぐ駆けつける」

「頼むよー? 新留のこと、頼りにしているからね」


 ふふん、と勝ち気な笑顔を浮かべた清住は握っていた手をパッと離すや、自身の教室へと跳ねるようにスキップしながら駆けて行くのだった。

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