第34話「ごみ拾い」
期末テスト期間がつつがなく終了し、校内には弛緩した空気が流れているような気がする。
この学校内に漂う浮ついた感じは、一ヶ月も待たず夏休みが到来することも拍車をかけているはずだ。
それに、期末試験が終了してあと一学期に残る学校行事が生徒会長選挙ぐらいなもので、ほとんどの生徒は当事者でもないし、夏休みがやって来るまでどことなくぼんやりと日々を過ごしているようだった。
ご多分に漏れず、俺もそのひとりである。期末テストの結果は可もなく不可もなく。
幸い赤点を取った科目はないものの、苦手な数学は中間考査に引き続き低空飛行で推移し、次はいよいよヤバい危うさを孕んでおり、長期休みの間にどうにか弱点克服に努めるべきだろう。
俺に関わりのある他の奴らはどうかと云えば、堤は日夜ゲームに明け暮れているくせに、意外と成績は上位陣に食い込んでいる。
小野田は得意の国語、現代文以外は大体駄目で、今回の期末も生物で見事に頓死したと頭を抱えていた。
ちなみに赤点を取ってしまった生徒は、夏休み期間にある学校の補習に強制的な参加を義務付けられている。
佐藤さんは幼少期から英会話を習っている関係もあり、テストでは英語が得点源だと前に聞いたことがある。そのため、英語は毎回全問正解、もしくは満点近い点数を叩き出すらしい。
今回の期末の英語はクラスの誰しもが難問だったと嘆いていたし、実際の平均点も低かった。
けれども、佐藤さんにはどこ吹く風のようで、結果はどうだったと尋ねてみれば「一応、満点」だと控えめな笑顔で答えてくれて、恐るべしと舌を巻いた。
そこまで英語に堪能ならば、外国に語学留学でもすれば良いのではなかろうか。
もっとも、佐藤さんの将来設計を何にも知らないので、安易に留学しろなんて勧めるつもりは毛頭ないのだけれども。
真夏の気配がじりじりと迫る七月上旬。放課後のこと。
俺は体操シャツとジャージを身に纏い、部活動に勤しむべく集合場所である昇降口へと向かっていた。
二年生の学年色は青であり、ジャージの色も当然青色だった。そのジャージの青色は色鮮やか過ぎる気がしないでもないが、着用を続けて洗濯を繰り返しているうちに、今ではすっかり色褪せていた。生地も多少へたっているような。
しかし、身長も体格も一年生時からほとんど変わっていないから買い換えを検討するほどでもないし、学校指定の品は意外と高額なので、ジャージや体操シャツ他制服類にはまだまだ現役で頑張っていただきたい。
ボランティア部は月に一度、放課後の部活動時間にて学校周辺の清掃作業を行っている。ごみ拾いやら草むしりやらに精を出すわけだ。
本日は月一の清掃作業の日。そういうわけで、放課後になるや学校指定のジャージに着替えて、部員は皆昇降口に集まっている。
ボランティア部はうちの高校において、文化系の部活動にカテゴライズされているので、三年生の引退時期は二学期の文化祭後である。ちなみに、体育系の部活であるなら、三年生の引退は総体後や主要な大会が終了してかららしい。
そのため、本日も緑色のジャージを着た三年部員の姿があった。なにぶん、部員数が少ないので、三学年全員合わせないと活動するのも心許ないためとても助かっている。
事前に決めていたごみ拾い班と草むしり班に分かれ、早速作業に取りかかろうとしたところ、ひとりぽつんと孤立したように所在なさげに佇む部員がいた。
彼女の着るジャージの色を見るに、おそらく一年だろう。一年生は赤色のジャージを着用している。
手に持つ軍手を弄って、周囲に視線を巡らせている様子を見るに、これから何をするのかいまいち分かっていない模様だ。
きょろきょろと周りを見渡す頭の動きに合わせて、彼女の腰まで伸びた細い三つ編みが左右にゆらゆら揺れていた。
その小柄な女子部員、見かけない顔だし名前も当然知らなかった。
そういや、部長か顧問が新しい子がつい最近入部したとか言っていたような。
新学期からではなく途中から入部しているならば、四月の活動初日に行った説明会にも参加していまい。だったら、班に分かれて作業をすることを知らないのも当然だ。
この辺り、部長か顧問が説明してやっていればいいのに、と周りを見渡すも、どちらの姿もすでにない。
顧問は職員会議が入っているとかで、今日は遅れての参加だったな、そういや。
女子部員の元へと歩み寄り、何と声かけしようか頭を悩ませる。佐藤さんとの交際を経て、以前よりは女子と接するのにも少しは慣れたと思うが、未だに苦手意識は健在だった。
しかし、困っている後輩を放っておけるほど、俺は精神が図太くはないのだ。
それに、彼女が後輩であるならば、妹の真実と同い年というわけか。
妹に接するフランクさで声をかけると思い込めたら、少しは臆する気持ちも減るだろう。
「どうした? これから何するか分かるか?」
やや気後れしつつも声をかければ、女子部員ははっと弾かれたように顔を上げ、驚いた顔で背後を振り向いた。
俺を目に留め、女子部員の強張った顔がわずかに緩んだように映る。同じボランティア部だと認識してくれたのだろう。
「いえ! 昇降口に集合するようにと、顧問の先生に聞いていただけで。後は特に」
「そっか」
顧問のヤツめ。新入部員への説明を他の部員に投げてやがる。
顧問はうちのクラスの副担任を受け持っている女性教諭で、ラフな口調と気さくな雰囲気が相まって親しみやすいと生徒には評判のようだが、ボランティア部の活動で接する際は、生来の雑な性格が所々に見え隠れしていた。決して悪い人ではないのだが、少々苦手な部類の先生だった。
「俺はこれからごみ拾いに行くんだけど、良かったら一緒に行く? 草むしりの方がいいなら、他の部員に声かけるし」
「ごみ拾いの方で構いません……あの!」
「なに?」
女子部員は少し口ごもった後、意を決したように声を上げた。それから、周囲を見渡して誰かを探しているような素振りを見せる。
もしや、顧問にでも用があったのだろうか。
「先生なら職員会議が入っているらしくて、少し遅れるようだけど」
「いえ、先生は関係ないです! ……ボランティア部に古谷先輩っていないんですか?」
「古谷? 古谷って二年の?」
こくんと頷いた女子部員は再度、周りに視線を巡らせている。
「体育祭のとき、部活対抗リレーにボランティア部で出場されている姿をお見かけしたもので……部員なのかなと」
「そういや、トップバッターで走っていたな、古谷のヤツ。まあ、あいつもボランティア部ではあるんだけど……」
立ち止まったまま話している間にも、すでに他の連中は清掃作業に向かってしまったようで、俺たち以外のボランティア部の姿はない。
そもそも、古谷は本日の活動に最初からいなかったような気がする。きっと、生徒会の方に行っているのだろう。
女子部員が探している相手、古谷とはクラスこそ違うが俺と同じ二年生で、同級生のひとりである。
ボランティア部に所属する二年部員では唯一、走者として三年生に混じって部活対抗リレーに参加していた古谷だが、ここ最近は部室に顔を出す頻度が極端に少なくなっているようだと感じられる。
ボランティア部にも所属しているが、古谷は加えて生徒会役員で、もうじき選挙活動が始まるらしい生徒会長選挙にも立候補するとかなんとか聞いていたので、ボランティア部の清掃作業などは二の次にしているのだろう。
「古谷は今日、来ないんじゃないか。いるとしたら、生徒会室だと思う。あいつ、生徒会役員だし」
「そう、ですか……ありがとうございます」
小さく頭を下げた女子部員は、目を伏せて浮かない表情を作った。意気消沈している風にも見受けられる。
もしや、彼女がボランティア部に入部した理由は、古谷にあるのではなかろうか。体育祭での部活対抗リレーにて、古谷を見かけたと語っていたのだ。入部のきっかけが、古谷に関係ないわけがない。
生徒の代表者たる生徒会長に立候補するぐらいだ。ボランティア部の冴えない面々とは異なり、古谷は爽やかな雰囲気を持ち、人当たりの良さそうな顔をしている。
それに、ほとんど部活動時にしか関わる機会はないけれども、誰に対しても分け隔てなく接する様を目にしていたし、古谷は快い性格だと窺い知れた。女子人気は高いだろう。
この女子は古谷とお近づきになるべく、ボランティア部に入部したのだろうか。しかし、古谷の活動配分の比重は生徒会側に傾いているので、アプローチを図りたければボランティア部ではなく、生徒会に潜入した方が賢明だったろうに。もっとも、生徒会はおいそれと新しく加わるのは難しいのだろうか。
生徒会は委員会活動に含まれる。そのため、部活対抗リレーにおいて、生徒会の代表として出場する古谷の姿は、そもそも見れなかったわけだ。
しかし、部活対抗リレーで見かけたからと、ボランティア部に加入するのは、少々早計だったのではなかろうか。
「古谷に会いたいなら、生徒会室に行った方が手っ取り早そうなものだけど」
「部外者が会いに行って入れるものですか、生徒会室って」
「さあ? それより、清掃作業はするのかしないのか?」
「わっ、すみません! 掃除はします。ごみ、拾います!」
慌てたように返事をした女子生徒に頷きを返し、俺は余分に持っていたゴミ袋を彼女に手渡した。
昇降口前で悠長に喋っていたせいで、他の部員に後れを取ってしまっている。早いところ、ごみ拾いに向かわなければならなかった。
学校周りの道を歩きながら、道端に捨てられたごみを拾う途中、女子部員と軽く自己紹介を交わし合った。
一年生の彼女の名前は
鴻池が古谷に執心している理由は、何でも以前困っているところを助けてもらったからだという。
「というわけで、そのときのお礼を直接言いたくて……どうにか顔を合わせて、お話できる機会を窺っているんです! それに……」
「それに?」
途切れた言葉を促すように問いをかけるも、鴻池は恥ずかしそうに微笑んでそれ以上口を割らなかった。
おおかた、古谷と関わりを持ってそれを切っ掛けとして、お近づきになりたいとか何とか抜かすつもりだったのだろう。
「新留先輩は古谷先輩と仲は良いですか?」
「え? いや、特段親しいわけじゃないけど。部室に来たら話をするぐらい」
クラスが一緒になったこともなく、古谷と俺の接点はボランティア部に入部しているぐらいだ。
それに、古谷のキャラクターからして、俺なんか陰の者と親しく付き合ってくれそうにない。誰に対しても優しい人間であったとして、友人は選んでいるものだ。
それぞれが己の程度を自覚して、密に交流する相手を選ぶ。
だからこそ、友人としてつるむ者は誰しも、姿格好や性格なんか似通っているはずだ。
友達関係だけではなく、恋人だってその定義に当てはまるだろう。ひとり、例外を知っているが、佐藤さんなんて酔狂な類いだ。
あのひとの真意は未だに図りかねている。誰か答えを教えてほしい。佐藤千晴の本当の目的を。
鴻池の話を聞きながらも、清掃作業中だと念頭に置いていた。道端に転がっている空き缶を拾い上げ、ゴミ袋へと放り入れる。
今日は幸い雲が多いから、夏の太陽に焼かれる苦痛はあまり受けずに済んではいるが、夏の外気が暑苦しいのに変わりない。こめかみを伝う汗の気配を感じ、思わず眉をひそめて息を吐く。
隣を歩く鴻池も暑さに辟易している様子だった。ゴミ袋を握っていない方の手で顔を扇いでいる。
「ボランティア部の活動って、基本苦行なんですか?」
「苦行って何だよ……今日は清掃活動だけど、他にも色々しているから」
「例えば?」
「ええっとそうだな……募金活動とか老人ホームへの慰労訪問とか」
「ボランティアですね!」
「ボランティア部だもの」
なるほど、と一旦頷いた鴻池は俺を見上げて、どうにも腑に落ちないとばかりに小首を傾げた。
「新留先輩はボランティアが好きだから、この部に入ったんですか?」
「……まあ、そうだな。ひとの役に立つのは悪いことじゃないしな」
善行を積んでいる自覚はないが人を助けるのは好きだし、こんな俺でも人の役に立てるなら、何にもない己にも少しぐらいなら価値があるのでは、と錯覚することぐらいはできる。
この自己満足めいた思いを抱いて、せっせと人助けに勤しんでいるのだから、薄っぺらな偽善だと罵られても仕方はあるまい。
だが、他人のために動くことは、何にもできずに役に立たない人間よりいくらかマシだと思い込み、俺は行動しているに過ぎない。
誰かに許しを請うわけでもないけれど、そう信じて、そう願って、困っている人がいたら率先して、声をかけているだけだった。
「じゃあ、新留先輩は人助けなら喜んで、引き受けてくださるんですね!」
「なに? 困りごとでもあるのか?」
話の水を向けるも、鴻池はにんまり笑ってそれ以上口を割らなかった。
訝しさからつい懐疑的な視線を向けていたら、鴻池はジャージのポケットに手を突っ込んで、中からスマホを取り出した。
「新留先輩、連絡先を交換しましょう」
「えっ? 俺と?」
「ええ、もちろんです。同じボランティア部の部員同士ですもの。おかしくも何ともないでしょう?」
連絡先を交換するのがさも当たり前のように主張されれば、異を唱えて渋るのも難しい。軍手を外し、スマホを出す。
そうして、鴻池に促されるままに連絡先を交換したのだが、一連の行為が腑に落ちなかった。鴻池は古谷と知り合いたかったはずじゃ。
それがどうして、俺なんかの連絡先を手に入れて喜んでいるのか不可解だ。
連絡先を交換した後、鴻池は余計な無駄話もせずにごみ拾いを全うしてくれたので、部員としては優秀だったが、意味深な発言やら行動をされたこっちは堪ったもんじゃなかった。
鴻池が部を辞めない限り、また部活で会う機会もあるだろうし、その際に今日の話の続きをすればいいだけだろう。
だが、鴻池との再会は意外と早くに訪れた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます