第31話「体育祭の終わりに」

 今度こそ全てのプログラムが終わって、体育祭の幕が下りた。

 それに伴って肩の荷が下りた心地もして、その場で背伸びをしていると、背中を突如、ツンとつつかれた。


「ひっ!?」


 素っ頓狂な声を上げ、慌てて後ろを振り返ると、人差し指をピンと立てて、イタズラが成功したみたいにケラケラ笑う人物が歩み寄ってきていた。


「え、あっ、清住きよすみ……?」

「びっくりしたー?」

「そ、そりゃあ、当たり前だろ」


 突然、戯れめいたからかいを仕掛けてきたのは、去年同じクラスだった清住だ。

 猫っ毛の髪を揺らし、くすくす忍び笑うと隣に並んできた。「行こ」と目配せされ、周囲の生徒に倣って校舎へと歩く。


「そういやさ、フォークダンス、一緒に踊れなかったね」

「はあ? そりゃ、お前……」

「前に新留が居るなって、気付いたときに曲がちょうど終わったから。残念」


 わざとらしく肩を竦ませ、両手の平を天へと向けている。やけに芝居がかった大袈裟なまでのジェスチャーだ。

 清住は演劇部で役者をしているらしく、仕草がいちいち大仰だった。


「そういえば、部活対抗リレー見たぞ。清住、アンカーで目立っていたな」


 王子様風のジャケットを見事に着こなした女子からバトンを受け、ステージ衣装であろう色鮮やかなドレスを身に纏って颯爽と駆ける清住の姿は、場違い極まりない格好ながらもグラウンドに良く映えた。


「おっ! ちゃあんとボクの活躍、目に焼き付けてくれたんだね。感心感心、良い心がけですな」

「どういうキャラだよ……」


 おどけた物言いに乾いた笑いを返せば、清住はニヤリと唇の端を吊り上げて、含み笑いをしながら詰め寄ってきた。


「そうだ。目立つと言えばさ、新留も目立っていたね。見てたよ、クラス対抗全員リレー」


 ギクリと表情が強ばる。清住はパッチリとした猫目を細め、愉快げに唇へと弧を描く。からかう気満々のようだ。


「何その反応。もしかしてー、クラスメイトから怒られた?」

「逆、逆。クラスメイトは優しかったよ。誰も俺を責めなかったし、むしろ励ましてくれて……」


 俺の失態を軽くなじったのは永遠と真実、妹ふたりだけだった。

 クラス対抗全員リレーの後、俺が接したクラスメイトたちは皆、犯した罪を咎めることもなく、そう過剰に謝ることはないと一様に寛大だった。


「優しかったなら良かったじゃん。じゃあさ、何でそう不満げなの?」

「不満なんて、そんなこと……」


 モゴモゴと言い訳めいた弁解を口にしていたら、隣を歩いていた清住が急に目の前へと躍り出た。そうして、鼻面に人差し指を突きつけられる。

 俺を見上げる清住の双眸は三角に吊り上がり、口はへの字に歪められ、明らかな怒りの色が発せられていた。


「ふざけるな! 無様にバトンを落としやがって!」

「えっ……」

「クラスのみんなで繋いできたバトンなのに! アンタのせいでビリっけつだ!」

「責任取れよ!」

「謝りなさいよ!」


 突如、声を荒げて詰られ、鋭く糾弾され、口汚く罵られ、睨みつけられ、失望され、落胆され、嫌悪感を露わにされ、身体中が震えて思わず顔を伏せてしまう。

 わななく唇から気付けば謝罪の言葉を吐いていた。


「ご、ごめんなさい……。俺が、俺のせいで、皆の努力を無駄にして……本当にごめん」

「――はい、おっけー。迫真の演技、新留ナイスアクトじゃん」

「……え?」


 パチパチと呑気に手を叩く音がする。顔を上げると、清住が拍手をしていた。目が合った途端、サムズアップを繰り出してくる。

 先ほどまで清住が纏っていた怒りの空気は、すっかり掻き消えていた。清住はケラケラ腹を抱えて笑いつつ、再び隣に並んで歩き出す。

 清住に続き、覚束ないながらも足を一歩前に踏み出した。


「満足かね?」

「えっ?」


 目を瞬く。清住は口元に手を当て、漏れ出る笑いを堪えているように見受けられた。


「だってぇ、新留ってば、実際のところ、クラスメイトから優しく気を遣われたくなかったんでしょ? むしろ、怒られたかったんじゃない? 許されるぐらいなら、ちゃんと断罪してほしかった。そんな顔、していたよー?」


 クラスの皆から「大丈夫」「ドンマイ」と声かけされ、安堵していたのは事実だけれども、それで犯した罪が帳消しになるだなんて思っていない。

 一発勝負のクラス対抗全員リレーにおいて、ヘマをしたら挽回する機会は訪れない。だから、胸にくすぶるモヤモヤが晴れることはなく、心苦しさは継続したままだった。

 それならいっそのこと、怒りの矛先を向けてほしかったと願っていたのは事実だった。


「ありがとな、清住」

「コテンパンにディスったら、感謝されるだなんてね。新留って、もしかしてマゾっ気があるの? 薄々そんな気がしていたけれど、今はっきり確信したね。それじゃあ、ご褒美にビンタ一発、いっとく?」

「俺にそんな趣味はない」


 きっぱり否定しておかねば後が怖い。なおも笑いが後を引いているのか、肩を小さく揺らしてご機嫌な清住を一瞥する。

 おちゃらけているようで清住は案外、人のことをよく見ている。侮れない奴なのだ。

 だから、俺の深層心理だって見抜いたのだろう。俺のために怒りの演技をぶつけてきてくれたのだ。


「よく分かったな」

「ほらボクってば、役者だからー。感情の機微には敏感なんだよね。役を演じているときって、キャラクターの気持ちを動きや表情、全身で表さないとだから。彼や彼女が何を考えているのかって、いっつも思考していると、他人の感情にも自然と興味が湧くもんだよ」

「凄いんだな、清住は」

「ふっふーん。もっと褒めてくれてもいいよ? ボクは新留みたいに怒られて奮起するんじゃなくて、褒められて伸びるタイプだから。ほれほれ、ドンドン褒め称えたまえよ」

「調子に乗るな」


 すげない対応を返すも、清住はクツクツと喉を震わせている。清住と話をしながらダラダラ歩いていても、気付けば昇降口に辿り着いていた。

 靴箱へと砂にまみれたスニーカーを入れて、上履きを取り出す。自宅に帰ったら必ず、薄汚れたスニーカーを洗わねば。真実あたりに苦言を呈されるに違いない。

 上履きを履き終えた清住が姿を現し、そうだとばかりに柏手をポンと打つ。人差し指を真っ直ぐに立て、やけに芝居がかった調子で問うてきた。


「ねえ、明日って体育祭の振り返り休日だよね?」

「ああ、うん……そうだけど」


 確認のような質問に意図が掴めないながらも首肯すると、清住は胸の前で合わせた両手を組んで、コクンと大きく頷いた。


「よっしゃ、きーめた。今晩ゲーム配信するから」

「元気だな。俺は体育祭でクッタクタだから、今日は早く寝ようと思っていたのに……」

「ダメ、観て。星ちゃんからの命令だよ」


 清住はネット配信者なのだ。また、顔出ししている強者でもある。以前、銀盾もらったよと興奮気味に教えてくれたので、チャンネル登録者数も多く、配信や動画もよく視聴されている結構有名な人気者なのだと実証されていた。

 主にYouTubeをプラットフォームにしており、平日の夜分や学校が休みの日などに『星ちゃんねる』でライブ配信を行う際は、ゲーム実況をしていることが多かった。

 投稿動画においては、商品レビューやらメイク講座、モーニングルーティンだのとYouTuberらしい企画を色々試しているらしい。


「……で、何のゲームすんの?」

「そうだねえ……マリカーとか? 体育祭中ずっと思っていたんだけどさ今日日、自力で走るなんて時代遅れもいいとこでしょ。レースは車に限るっしょ。視聴者参加型にするから、新留も参加すること。いいね?」

「いや、俺早めに寝るって言っただろ……。明日にでもアーカイブ視聴して、ちゃんと感想送るから。それで許してくれよ」

「ゲームソフト持っていたよね? オンラインサービスにも入っているって、前に聞いたから諸々大丈夫でしょ?」

「ねえ、話聞こうよ……」


 勝手に話を進めないでほしい。少なくないファンと一緒に和気藹々、レースゲームで遊べばいいものを。清住が猫撫で声でちょっとお願いすれば、画面の向こうの視聴者たちは喜んで接待に応じて、気持ちよくレースで連勝だって重ねられように。

 俺がどれだけ疲労困憊しているか切々と説くと、清住は途端に唇をツンと尖らして、如実に機嫌を損ねてしまった。じろりと上目遣いで睨みつけられる。


「ちえー……新留、付き合い悪いってば。最近、つれなくない?」


 ビクッと肩が跳ねる。清住は別のクラスではあるものの、佐藤さんと交際している旨を開陳する気がなかったせいだ。

 どこから漏れるか定かではないので、学校の奴らにおいそれと知られてしまう危険は冒さないに越したことはない。

 ここ最近の夜は、佐藤さんから律儀に毎晩届くメッセージに返事をするのに時間を割いており、清住の配信をリアルタイムで視聴して感想を送るのが滞っていた。

 以前まではきちんとこなしていた行為を急に理由なく取りやめたら、不審に思われても仕方がない。後頭部に手を当て、「分かったよ」と不承不承頷いた。


「配信ちゃんと観るから。ゲームに参加できるかどうかは分からないけどさ。清住、人気だろ」


 視聴者参加型と銘打っても、観ている全員が全員レースで清住と遊べるわけじゃない。  

 目の前でニコニコ笑っている姿は一介の高校生に過ぎない清住だけれども、時には配信を数万人が同時視聴する人気配信者、星ちゃんなのだ。


「ちゃんと来てよね? いい?」


 清住の確認に頷いた。どうせ明日は休みなのだ。夜更かしして少しくらい寝坊したって、さしたる問題ではないのだから。

 俺とは違って明日が休みではなく、ちゃんと学校がある真実や永遠に、朝寝坊だと諫められる程度だろう。

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