第30話「フォークダンス」

 昼休憩が終了し、体育祭午後の部がスタートした。

 まずは部活動対抗リレーが始まった。去年同様、体育会系部活が出場する回では真剣勝負が白熱し、文化系部活のネタに走った格好での激走に観客は大いに盛り上がった。

 ちなみにボランティア部においては、第一走者の古谷が募金箱片手に快走してトップに立って一瞬だけ場が湧いた以外、これといって目立つ様子もなく地味にバトン代わりの募金箱を繋いで中途半端な順位でゴールしていた。


 部活対抗リレーの後は、騎馬戦や棒倒し、綱引きなどといった団体競技が続く。個人競技であれば、ヘマしても自分が恥を掻くだけで済む。

 だが、団体競技はひとりの失敗が勝因に大きく関わるのだ。そう、先の己が犯したクラス対抗リレーの失態のように。

 だからこそ、競技中に失敗した生徒を見たら同情で胸が痛んだ。他の競技を楽しんでなんか観戦できやしなかった。


 そうして気付けば、永遠お待ちかねのブロック対抗リレーまでプログラムは進んでいた。得点が加算される競技はここまでで、閉会式後に行われるラストのフォークダンスは余興みたいなものだ。

 だからこそ、リレーへの出場選手はもちろん、応援する側にもたいそう熱が入っているようだった。

 出場する生徒たちは皆、クラスを代表して走る強者揃いだから、熾烈なデットヒートを繰り広げる。

 順位付けがなされ、得点が加算される最後の競技である団対抗リレーは、それはもう大いに盛り上がるのが常だった。俊足自慢が揃い踏み、それぞれが己のプライドをかけて競うのだ。

 それに加え、ブロック対抗リレーは加算される得点も高く、今現在の総合順位が引っ繰り返る可能性が残されていた。


 ただいまどこの団が優勝してもおかしくない僅差で競っており、声援を送る団員たちも熱が入っているようだ。

 皆が声を張り上げ、喉を涸らさんばかりに、走者たちへと声援を送っていた。

 場を盛り上げるテンポの速い曲がスピーカーから流れ、高揚感を掻き立てる。実況を務める放送部員のアナウンスも熱を帯びていた。

 ブロック対抗リレーは想像以上に白熱した争いが繰り広げられ、大盛り上がりのうちにゴールテープが切られたのだった。


 ブロック対抗リレーが終わると、閉会式が執り行われ、優勝旗が授与される。旗を両手で掲げ、男泣きする応援団長につられ、もらい泣きする生徒も多々見受けられた。

 いかにも感動的な光景であり、まさに青春の一ページにふさわしい思い出になることだろう。もっとも、当事者たちにとってみればの話と限るのだが。

 俺自身、クラス対抗全員リレーにて犯した失態により、運動会と体育祭に関する苦い記憶がまたひとつ増えたに過ぎなかった。

 来年もまた例年通り、憂鬱で朝からどんより気分を落ち込ませるのだろう。面倒くさい奴だな、俺って。


 閉会式がつつがなく終了し、観戦客がぞろぞろとグラウンドを後にしていた。このまま生徒も流れ解散となればいいのだが、まだ最後のプログラムと体育祭の片付け作業が待っている。

 体育祭のラストを飾るのは、生徒全員参加のフォークダンスだった。団対抗の緊迫した空気は霧散し、和やかな雰囲気の中で学年ごとに輪になって踊るのだ。

 体育祭で活躍した生徒なら、楽しかった今日の時間を振り返りつつムードを存分に味わいながら、フォークダンスにも乗り気で参加できるだろう。

 しかし、フォークダンスは絶対参加とはいえ、他の競技のように入場ゲートで点呼を実施されるわけではない。

 つまり、ここで黙って抜け出して先に教室へと戻るのだって、片付けをブッチしてとっとと帰宅の途に就くのだって可能ではあるのだ。

 参加したって何一ついい顔をされないのなら、輪に加わることなく帰ってしまおうと、校舎へ踵を返そうとしたまさにそのとき。


「おにーちゃん!」


 トンズラをこく現場をバッチリ押さえられ、驚くままに背後を振り返ると、永遠と真実がこちらへ寄ってきた。


「リレー、スゴかったね! どんどん順位が入れかわってさ、ぬいたと思ったら、またぬき返してハラハラしちゃったよ!」


 永遠が興奮した面持ちでベラベラと捲し立ててくる。心待ちにしていたブロック対抗リレーを楽しめたようで何よりだ。

 鼻息荒くリレーの感想を伝え終えたら満足したのか、永遠は隣に立つ真実を見上げて発言権を譲った。

 テンションの高い永遠とは対照的に、真実はグッタリげっそりしている。暑さに相当参っているようだ。早く帰ればよかったのに。

 もっとも、妹の永遠を残して、姉である自分だけが帰宅するのは気が咎めたのだろう。


「真実、具合悪いなら、母さんに迎えに来てもらったらどうだ? 今日は休みだから家に居るだろ?」

「……大丈夫だって。帰ったら速攻でシャワー浴びて、水分摂って部屋で寝るから。それより、お兄ちゃん。これからフォークダンスなんだよね? それなのに、何で戻ろうとしてんの?」


 ギクリと動きが止まる。真実から図星を突かれたせいだった。だが、ここで肯定してはならない。俺は無謀にも、空とぼけることにした。


「は、はあ? そっ、そんなわけないだろ……」

「目ぇ、泳いでいる。お兄ちゃんは嘘が下手だね、相変わらず。お昼にさ、お兄ちゃんが来る前に話していたときなんだけど、千晴さんが言っていたよ。お兄ちゃんとフォークダンス踊るの楽しみって。去年はクラスが違ったせいで順番が回ってこなくて踊れなかったから、今年リベンジするんだって。ニコニコ笑いながら楽しそうだったけど。千晴さんのこと、まさか裏切る気?」

「そ、そんなわけ、ないだろ……?」

「また目、泳いでいるし。さっき、永遠とアイス買って帰ろうって話していたんだよ。お兄ちゃんの分も買って帰るから。これはあたしからのお願いなんだけど、フォークダンス参加しなよね」


 真実は額に浮く汗の玉をハンカチで押さえつつ、お願いという名の命令を下すや永遠を伴って、帰宅する他の観客たちの流れに続いてグラウンドから出て行った。

 永遠も離れていく直前、「参加しなかったら、おにーちゃんのアイスも、永遠がぜーんぶ食べちゃうもんね!」と人差し指を突きつけてきた。

 アイスを二本も食べたら、永遠の奴、絶対に腹を下すだろうに。永遠を腹痛で泣かさないためにも、ここは腹を括って輪の中へと加わるべきなのだ。


 グラウンドには、学年ごとに分かれた二重の輪が三つできていた。内側に男子、外側に女子が並んでいる。 

 教師陣は適当なところを見つけて間に入っているか、生徒に呼ばれて中へと割って入っている。


「おっ、新留クンじゃん。おつかれー!」

「げっ……」


 過剰に陽気な声かけを受け、恐る恐る背後に視線をやると、大袈裟なまでにブンブン手を振る川元と、片手を挙げてフランクな挨拶をする速見が立っていた。

 空いているところにと、ロクに前後の確認もせず、輪の中に入ってしまったのが運の尽きだ。

 こんなことなら、面倒でも小野田か堤を探して間に加えてもらうべきだった。


「白組、優勝マジ嬉しいわあ。これも五十嵐クンと世奈チャンのパねえ活躍のおかげっしょ!」


 川元の言うとおり、ブロック対抗リレーにおいても、五十嵐くんと内山さんは八面六臂の働きを披露してくれていた。


「マジそれな。北小の伝説バッテリーは、いまだ健在って感じだったわ!」

「なー!」


 互いに笑い合って同意を示す速見と川元だが、彼らが何を言って盛り上がっているのか分からないので、俺はただひたすら反応に困るばかりだ。

 グループ間の内輪話ならば、ちんぷんかんぷんでも仕方あるまい。ぎこちない笑顔を浮かべて、適当にやり過ごそう。

 いや、待て。クラスメイトたる川元と速見のふたりにも、ちゃんと謝っておかねばならぬだろう。頭を下げる。


「えっと、その、ふたりとも。クラス対抗全員リレーでさ、バトン落として申し訳ない。一位で走ってきてくれたのに、俺が良い流れを止めて最下位に落としちゃったし……」


 トップバッターの速見は勢いよく一位で駆け抜け、川元も懸命な走りで内山さん、五十嵐くんへと続くバトンをしっかり繋いでくれたのだ。

 自分の役割をきちんとこなしたふたりは、不甲斐ない俺に対して怒っていても何らおかしくない。

 空気が読めないにも程があるだろ、マジテンション下がるわ云々、なじられても致し方がないと怖々頭を上げるも、不思議そうな面持ちで首を傾げる川元と、困惑気味の表情で苦笑を漏らす速見がいた。


「別に俺ら、全然気にしてねえっての。バトン落としたのはドンマイだけど、最後は一位で終わったしな」

「そーそー! 新留クン、そんな落ち込むことねーから。つーか、途中でビリになっていたおかげでさ、世奈チャンのヤベえ追い上げと、五十嵐クンの劇的逆転大勝利が見れたワケだし、逆に感謝的な? あのときマジ盛り上がったしな。結果オーライってことで!」


 川元から背中をバシバシ強く叩かれる。俺なんぞに気を遣ってくれているのかと、ふたりの様子を窺うも、彼らは普段通りに騒いでいるように見えた。

 何にせよ、これ以上気を落とすのは良くないらしいので、いつまでも鬱々落ち込むのはやめておこう。胸に詰まった罪悪感は膨らむばかりだったが。


 ようやく輪の調整が終わったようで、ぐるぐる周回して前へ前へと進まされていた足を止める。

 スピーカーから程なく、のどかな音楽が流れてくる。かかる曲はフォークダンスの定番であるオクラホマ・ミキサーだ。

 斜め前に立つ女子の手の平に手を添え、共にステップを踏んで前進し、重なる手を掲げてお辞儀をした後、テンポ良くパートナーが変わっていき、色んな人と次々に踊り楽しむダンスである。


 川元や速見をパートナーに踊る女子は、ふたりがおどけているのか時折笑い声を上げて、実に楽しげに踊っている。

 しかし、俺の番に移ると、女子の漂わせる弾んだ空気は一気に萎み、あからさまな塩対応をなされるのだ。

 無表情であっても手を取り、業務的ながらもステップを踏んでくれるだけでありがたい。露骨に顔をしかめて手を載せることもせず、空中で繋いだ風を装ったまま、一瞥もくれずに次へと移っていく女子には、ただただ閉口して精神的大ダメージを食らってしまう。

 またもや溜め息交じりにダンスを終えられ、そこまで如実に嫌な態度を取らなくてもと、すっかり気落ちしてしまった。

 こんなに惨めな思いをするぐらいなら、アイスなんかに釣られず、あのまま脇目も振らず校舎へまっすぐ帰るべきだったのだ。

 そうやって、内心絶望に暮れていたとき。


「あ、新留くん」


 続いて手を結んだのは、佐藤さんだった。

 佐藤さんはわざわざ身を捻って俺を仰ぎ見ると、ふんわりにこやかに笑いかけてきた。

 添えるように置いた右手をぎゅっと掴まれ、上向く左手にわざわざ指を絡ませてくる。

 こんな過剰な接触をしたのは、もちろん佐藤さんとだけだった。他の女子は皆、むしろ触れたくなさそうにしていたぐらいなのに。


 手の平から伝わってくる佐藤さんの体温にドギマギしてしまう。

 手汗を掻いていないか、今更のように心配になってきた。挙げ句の果てには距離感の近さまで気になりだし、体操服に染み込んだ汗くささが佐藤さんに伝わってやしないか不安になり、冷や汗まで滲んできた気がする。

 心中穏やかではない俺を嘲笑うかのごとく、佐藤さんはますます指を強固に絡めてきた。

 佐藤さんの過激とも取れる手の握り方に動揺している最中であっても、曲は当然のように流れ、輪は順調に進んで回っていく。


 佐藤さんに遅れるようにステップを踏み、ぎこちなく踵を地面に着けて爪先で地を叩く。

 アタフタとぎこちない手取りで腕を掲げ、たどたどしく回転しながら向き合うと、佐藤さんは目を細めてはにかんだ。顔へ急速に熱が集まるのを自覚する。

 手を離し、次のパートナーに移る直前、佐藤さんがぽつりと呟いた。


「幸せな時間はすぐ終わっちゃうね」

「え……?」

「でも念願叶った。嬉しい」


 にっこり微笑んだ佐藤さんは名残惜しそうに、新しいパートナーの元へと移っていった。

 気付けば曲が終わり、フォークダンスも終わっていた。佐藤さんと踊った後の記憶はぼんやりとしていて、あっという間に終わってしまったという印象だけが残っていた。

 さっさと終わってくれと懇願していたぐらいなのに。佐藤さんには翻弄されっぱなしだ。体育祭の終わりに、よりいっそう気疲れしてしまった。

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