第29話「口止め」

 俺は観念し、弁当箱の隅に詰められたちくわのキュウリ詰めをひとつ、箸で摘まみ上げた。

 カロリーに気を遣っている佐藤さんを考慮したおかずのチョイスだ。ちくキュウの構成物は練りものと野菜なのだ、揚げものより幾分マシだろう。

 緊張感と羞恥心からか、箸を握る手が異様に震えてしまい、今にもちくキュウを取り落としそうで焦りが募る。


 さっさと「あーん」を完遂し、早いとこ楽になってしまいたい。箸で摘まんだちくキュウが佐藤さんの唇に触れんとした、まさにそのとき。

 ガラリと勢いよく引き戸が開いた。驚きのあまり、咄嗟に腕を引いてしまった結果、哀れにもちくキュウは机の上にポトリと落下した。


「おや、鍵が開いていると思ったら。先客が居たのか」

古谷ふるや……」


 引き戸を開け、教室内へと入ってきたのは、同じボランティア部に所属する同学年の男子生徒だった。

 彼の名前は古谷と言って、部活動が一緒の間柄ではあるものの、さほど親しい関係性を築いているわけではない。古谷と俺じゃあ、見目も性格もまるで異なるのだ。仲良くなれるはずがない。


 その古谷だが、彼はボランティア部の他にも、生徒会活動に精を出しており、最近では生徒会の仕事が忙しいのか、部室で見かける回数もめっきり少なくなっていた。

 もっとも、ボランティア部は地域の清掃作業や募金の呼びかけ運動などの真面目な活動を行う日以外だと、放課後の部室でダラダラくっ喋るなんて、いかにも非生産的なことしかやっていないので、無理に部活へ顔を出す必要なんて皆無なのだ。


 ところで、古谷は部室に一体何の用だろう。机に落ちたちくキュウを拾い上げつつ、そっと古谷の動向を探る。

 ボランティア部の部室である空き教室には、部員たちの私物が雑多に置かれてあるので、自分のものを取りに来たのだろうか。

 しかし、体育祭の日にわざわざ、部室に出向いて取りに来る理由が不明瞭だ。古谷は教室後方に備え付けられた棚へと歩み寄り、棚の上に無造作に置かれていた木箱を抱え上げた。

 それは、募金活動の際に用いる木製の募金箱だった。


「ほら、午後イチに部活対抗リレーがあるだろう? その際に持って走る部活動にちなんだ備品として、募金箱が入り用でね」


 俺たちの注ぐ訝しげな視線を受けてか、古谷は端的に説明してくれた。

 昼休憩直後に始まる部活動対抗リレーは、体育祭の中でも盛り上がる種目のようで、体育会系の部活と文化系の部活が区別され、それぞれ別々のカテゴリーでリレーが執り行われる。

 体育会系の部活動が集ってしのぎを削る部門では、皆が己の秀でた運動神経を競いたいのか、お遊び要素一切なしのガチレースが大体展開される。


 一転して、文化系部活動の部門においては、ネタに走る部が多かった。

 去年見た中で印象に残っているのは、小柄な部員がスーザフォンを携えて懸命に走っていた吹奏楽部、片や胸像を抱えて軽快に走っていた屈強な美術部。

 他にも、演劇部はこの暑い中、舞台衣装であろう古めかしいデザインのロングドレスを着て裾を持ち上げ走り、服飾部も負けじとばかりに、これからファッションショーにでも出場するのかといった突飛な出で立ちで駆けていた。


 ところで、我らがボランティア部は代々、募金箱を小脇に抱えて走るのが恒例らしい。走者はほとんどが三年生の先輩で、二年生で参加するのは確か古谷だけではなかっただろうか。

 うちの部活は揃いも揃って地味で根暗な、目立つのを嫌う小心者の集まりゆえ、体育祭で部を背負って走るのだなんて、御免被りたいのが普通なのだ。

 そんな中、古谷だけはリレーを走ってくれと部長から打診を受けても、嫌な顔ひとつせず快く面倒な役目を引き受けていた。

 古谷は目立ちたがりと言うより、単に善い人なのだろう。


 目当ての募金箱を回収した古谷は、そのまま部室を後にするかと思えた。だが、古谷は引き戸の前で足を止め、背後を振り返った。

 まず佐藤さんに目をやり、続いて妹たちを順繰りに眺め、古谷の視線は最後に俺へと定まった。


「なあ、新留。ふたりは君の妹さん?」


 古谷が言っているふたりとは、真実と永遠のことだろう。

 急に振られた話の展開が読めないが、ここはひとまず頷いておこう。


「ああ、そうだけど……」

「ふうん、そうかい。でもね、保護者や家族の方が昼食を摂る場所は体育館と決まっているから、部室に学外の無関係者を連れ込むのは良くないね」

「それは、えっと、その……すまん」


 こちらを咎める古谷からの目線を受け、決まりの悪さに頭が自然と下がった。非は俺にあるので、古谷から苦言を呈されても反論のしようがない。


「まあ、騒がず静かに昼食を摂るだけなら、先生に告げ口することはしないよ。ただし、今度からは軽率な真似は謹んでほしい。物騒な世の中だ。むやみに部外者を学内に入れるのは、防犯上よろしくないからね」

「悪い……」

「――何もそこまで責めなくてもいいよね」


 古谷による真っ当な文句にぐうの音も出ないでいると、佐藤さんが急に口を挟んできた。


「教室に他校の友達呼んでいる生徒だって、たくさんいるのに。今日ぐらい大目に見ても問題ないよね。新留くんばかり悪く言うの、止めてくれる?」


 古谷は「おや?」と声を上げると、目を怒らせた佐藤さんを一瞥した。

 いつもは温厚な佐藤さんが、古谷を前に珍しく怒りを露わにしていて驚く。


「教室に他校の友人を招く生徒がいる点は、留意すべきだろうね。ただ今回、新留を注意したのは、たまたま部室に居合わせたからに過ぎないよ。特別、新留を糾弾しているわけではないさ」


 佐藤さんは古谷の弁解を聞いてもなお、険しい表情を緩めなかった。


「それでも言い方に、どこか棘があるように思えるけど」

「そう聞こえたのなら、申し訳ない。それより、佐藤くんはどうしてここに? 新留と親しかったのかい?」

「えっと、それは……」


 途端、さきほどまで毅然として古谷にものを言っていた佐藤さんが、たじろぐように視線を左右へ泳がせた。

 佐藤さんは俺との約束を律儀に守ってくれているのだ。俺と佐藤さんが付き合っている旨は、クラスの連中には黙ってくれと伝えていたので、別クラスの古谷は条件に照らし合わせれば、箝口令の適用外だがヤツは顔が広い。

 俺たちが交際していると古谷に判明したら、誰にどこまで広まるか分からないのだ。


「千晴おねーちゃんは、おにーちゃんと付き合っているんだよ」


 だがしかし、佐藤さんせっかくの気遣いを無下にするひと言を放ったのは永遠だった。

 ギョッと目を剥き当惑しつつも、永遠をたしなめるべく口を開く。


「おい、永遠。お前、余計なこと言うなって……」

「ほんとーのことじゃん。おしえてなにが悪いの?」

「俺と佐藤さんが付き合っているのは、学校の皆には内緒にしていてだな……」

「ええー? かくす意味が分かんないよ!」

「色々あるんだよ!」


 俺と永遠がぎゃあぎゃあ言い争いをしている最中、「なるほど!」と古谷が発した出し抜けな大声に、ビクリと肩が跳ねた。

 慌てて古谷を見やれば、得心がいった様子で何度も深く頷いている。


「えっと……古谷?」

「いや、悪いね。まさか佐藤くんが新留と交際しているだなんて、思いもしなかったもので」


 そりゃ、俺と佐藤さんじゃまったく釣り合いが取れていないわな。しかし、何もそこまで殊更に反応しなくても。

 まあ、それだけ俺と佐藤さんの組み合わせが奇異に映るのか。古谷が大袈裟なまでに驚くのも無理はないのだろう。


「それじゃあ、邪魔して悪かったね」

「あの、古谷……」


 今度こそ部室を後にしようと、引き戸に手をかける古谷を躊躇いがちに引き留めた。

 後ろを振り返った古谷は不思議そうな顔つきで、まだ何かといった風に首を傾げて、俺が言い淀んだ話の続きを待っている。


「何かな?」

「ええっと、このことは……」

「このこと?」

「あ……、その、俺と佐藤さんが付き合っているって、他の人に言い触らさないでもらえると助かるんだが……」


 大いに口ごもりながら頼めば、古谷は一瞬瞠目したかに見えたが、すぐさま鷹揚に頷く。

 にこやかな笑みを浮かべて俺を見やり、それから佐藤さんへと視線を定めた。


「どうやら、ふたりが交際していることは大っぴらにしたくないみたいだね。黙っているのは別に構わないよ」

「そうしてくれると、ホントありがたい……」


 顎を引いて、古谷に向かって小さく頭を下げた。

 俺が佐藤さんと付き合っていると、隠したい理由をあれこれ詮索することもなく、口外しないと古谷があっさり承諾してくれて安堵した。


「……ねえ、お兄ちゃん。あの人って誰なの? 知り合い?」


 古谷が部室を出て行き、ホッと胸を撫で下ろしていれば、真実が訝しげな声音で尋ねてきた。

 真実は内弁慶の引っ込み思案なので、見知らぬ人間と出くわすと、いつもの減らず口がすっかり鳴りを潜め、めっきり大人しくなるのだ。

 さっきまで身体を小さく縮ませ、無言で俺と古谷のやり取りを見ていたようだ。


「ああ、古谷な。クラスは違うけど同じ二年生で、ボランティア部なんだよ」

「ふーん……佐藤さんもあの人と知り合いなんですか」

「えっ、私?」


 俺から視線を外して真実は、戸惑ったような顔つきの佐藤さんをじっと見つめている。

 佐藤さんと古谷、二人の一連のやり取りに何か引っかかりを覚えた様子だ。


「はい、何だか……おふたりの話している感じが、あたしの目には親しそうに見えたので」

「……去年、一年生のときね、同じクラスだったの。でも、特別親しいわけじゃないよ。古谷くんは単なるクラスメイトで、今年はクラスも違うから会話したのだって、久しぶりだしね」

「そうですか……それなら別にいいんですけど……」


 真実は納得したような口振りなものの、浮かべる怪訝な表情で得心がいっていないのが丸分かりだった。気付けばつい、口を開いていた。


「なあ、真実。古谷の何がそんなに気になるんだよ?」

「……別に? その古谷さんとかいう人自身には、これぽっちも興味がないよ」


 真実の奴、どうにも含みのある言い方をする。真実が佐藤さんへと繰り出した質問には、真意がまた別にあるのだろうか。

 もっとも、真実をこれ以上つついても、喋ることはないだろう。だったら、真実の放った意味深な物言いについて、あれこれ考えても仕方あるまい。

 しかし、佐藤さんが晒す曇り顔が不意に視界へと入り、どことなく不穏さを感じてしまい、心が妙にざわついたのだった。

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