第28話「お昼ご飯」

 五十嵐くんの不可解な言動に翻弄され、釈然としない気持ちのまま、待ち合わせ場所であるボランティア部の部室へと向かった。

 陽キャとはやはり話が通じないのだろうか。会話術が高等すぎやしないか。

 部室の戸をノックすれば、中から複数の返事があった。すでに俺以外はやって来ているらしい。俺だって五十嵐くんに捕まらなければ、もう少し早く到着できたのだが。


「おにーちゃん、おそーい! 待ちくたびれたよ!」


 引き戸を横に滑らせ、中を覗くと、すぐさま不満が飛んできた。

 声の先を見やれば、立腹して頬を膨らませている永遠の顔が目に入る。


「ごめんごめん。でも、お腹空いていたなら、先に食べてくれていてもよかったのに……」

「永遠はそうしたかったけど、おねーちゃんと千晴おねーちゃんが待っていようって言うから。永遠はしかたなく、しかたなくだけど、おにーちゃんが来るのを待っていただけ!」


 永遠の減らず口に苦笑を零しつつ、三人の待つ机へと向かう。

 すでに四つの机がくっつけられ、ふたつずつ向かい合わせになっていた。真実と永遠は隣り合って腰掛けている。

 ならば、佐藤さんが座る横の空席が俺の場所か。背筋を伸ばして行儀良く着席している佐藤さんが、突っ立つ俺を仰いでニコリと優しげに笑いかけてきた。


「新留くん、お疲れさま」

「ああ、うん……佐藤さんもお疲れ」


 椅子を引いて腰を下ろしつつ、佐藤さんに軽く頭を下げる。予想よりずっと、佐藤さんとの距離が近くてたじろいでしまう。

 机を離して間隔を開けようにも、くっつけられた机上にはすでに弁当が広げられている。椅子を動かし、極力身体を離す程度しか取られる対抗策がない。

 嘆息を噛み殺し、居心地悪く身じろぎしていれば、向かいに座る真実と目が合った。永遠とは先ほど会っていたが、真実とは朝に自宅で顔を合わせて以来だ。

 暑さにやられて救護テントの世話になったと、永遠から聞いていた件もあり、容体は大丈夫なのか気になるがあまり、つい真実の顔をジロジロ凝視してしまった。すかさず、苦言が飛んでくる。


「なに、お兄ちゃん。ひとの顔、じっと見て。気味悪いんですけど」

「なっ……その言い方、ちょっとヒドくないか? それより、具合はどうなんだ? 暑さに参って体調悪くなって、テントで休んでいたんだろ。永遠に聞いたぞ。なあ、頭は痛くないか? 食欲は? ちゃんとお腹減っているのか。顔色優れないみたいだけど、まだ休んでいた方が……」

「大袈裟。過保護。鬱陶しい」


 真実はズバズバ端的に吐き捨てると、忌々しいとばかりに俺を睨みつけた。相変わらず、兄に対して容赦がない。

 ただ、普段の不機嫌なときの真実より、威勢がなくて反抗的な態度も弱々しく感じた。色白の肌はいつもより青ざめて映るし、生気がないのが気懸かりだ。


「真実、本当に大丈夫なんだろうな……?」

「もう平気だから。心配するのも大概にして。そんなことより、早くご飯食べない? 永遠、お兄ちゃんを待ちくたびれて、ずっとグチグチ文句言っていたんだから」

「そーそー。このままだと永遠、お腹と背中がくっついちゃうよ」


 真実と永遠、妹ふたりに揃って急かされ、なおも口を衝いて出そうになっていた小言は慌てて飲み下す。

 佐藤さんもこの場には居るのだ。延々と妹の心配にうつつを抜かしていては、呆れ果てられるに違いない。シスコンキモいと嫌悪感を示される恐れだってある。

 俺が意気消沈して黙ったのを見て取るや、笑みを浮かべた永遠がパンと両手の平を重ね合わせた。


「それじゃっ、みんなそろったから、いただきますしよ。せーの、いただきます!」


 永遠の音頭に従い、いただきますと手を合わせる。佐藤さんもくすぐったそうにはにかんで、そっと手を合わせていた。


「おにーちゃん、永遠見てたよ。リレーでバトン、落っことしたでしょ!」

「うっわ……傷、抉りに来るなよ」


 食事を始めて早々、永遠からイタいところを的確に突っ込まれて、思わず渋面が広がる。

 飯が喉を通らなくなりそうだと苦情を呈するも、「ジジツを言ったまでじゃん!」と、永遠は追及の手を緩めない。

 佐藤さん他、クラスメイトたちは揃って皆優しかったのに、身内はまるで情け容赦ない。真実もまた、永遠の繰り出す鋭い指摘にうんうん頷いている。


「つくづくお兄ちゃんって、本番に弱いよね。緊張しいって言うか、プレッシャーに弱すぎ」


 妹ふたりに寄って集って責められ、兄は涙目になりそうだ。


「本当に君ら、辛辣すぎない? お兄ちゃん、そろそろ泣いちゃうよ? 少しは慰めの言葉かけてくれても、罰当たんないだろ?」

「あまえないでよ、おにーちゃん。ねえねえ、千晴おねーちゃんはどう思う? おにーちゃん、カッコ悪いよね?」


 ここで佐藤さんに話を振るとは永遠のヤツ、鬼畜過ぎやしないか。永遠からの問いかけを受け、佐藤さんは困ったように微笑んだ。

 ほら見ろ。反応しづらい質問をされ、佐藤さんも返しに困っているではないか。


「ミスは誰でもしちゃうわけだから、新留くんが悪いって非難することは、私にはできないかな。私だって、もしかしたらバトン落としていたかもしれないって考えたら、ね。でも、新留くんがリレーの前に緊張していたって、私は事前に気が付いていたわけだから、緊張を解せるような、何か気を紛らわせるひと言をかけられていたら良かったかも。それだけは心残りかな」


 片頬を掻いて、苦笑う佐藤さんはどれだけ聖人なのか。心持ちが清らかすぎて、眩しさに目が焼かれてしまいそうになる。

 それに加えて、佐藤さんの励ますような言葉を耳にし、リレーでの失態に対する申し訳なさがぶり返してきた。息苦しくて胸まで痛くなってきた。

 佐藤さんからの返答を受け、永遠は目をまん丸に見開いて、大いに驚いていた。


「千晴おねーちゃんってさ、なんて言うか、とってもいい人なんだね。どーしよーもないおにーちゃんには、もったいないかも!」


 実の兄を扱き下ろすとんだ言い草には呆れるが、永遠の主張には全面的に同意する。

 佐藤さんは俺とは不釣り合いなほど、人間が出来たお方なのだ。どうしてそんな人が、俺なんかに告白してきたのやら。やはり今でも理解が及ばなかった。


 佐藤さんの気遣いに溢れた発言により、永遠と真実も兄を苛めるのは止めにして、昼飯に関心が移ってくれたようだ。

 俺たち兄妹三人の弁当は、弁当箱の容量は異なれど、母が朝早くから拵えてくれたおかずが詰められた同一のものだ。

 一方、佐藤さんの弁当はといえば、前に昼をご一緒した際に見た弁当容器より更に一回り小さなタッパーに入れられた蒸し野菜と、ラップに包まれたこれまた小振りなおにぎりひとつだけだった。

 俺は佐藤さんがやけに食わないと知っているが、妹ふたりにとって佐藤さんの昼食の量の少なさは、あまりに衝撃的なものだったようだ。案の定、永遠がすかさず口を挟む。


「千晴おねーちゃん、お昼ごはんそれだけなの?」

「うん、そうだよ?」

「えっ……たりなくない?」

「ううん、そんなことないよ」

「う、うそだあー! 今日は体育祭なのに、それぽっちしか食べないなんて、たおれちゃうよ」


 永遠から悲痛めいた指摘をされ、佐藤さんは苦笑を漏らし、「いつもこんな感じだよ?」と付け加えている。

 永遠の隣に座って、黙って弁当を賞味していた真実が、ちらりと佐藤さんを一瞥した。それから、自身の弁当箱からひょいと唐揚げを箸で摘まむや、佐藤さんのタッパーの蓋の上に載せたのだ。


「えっ、真実ちゃん?」

「永遠の言う通りです。おにぎりひとつと野菜だけじゃ、体育祭の終わりまで持ちませんよ。食べてください」

「永遠もあげる! はい、たまご焼きどーぞ。おかーさんの作るたまご焼き、あまくてとってもおいしいんだよ」


 真実と永遠からおかずのお裾分けをされ、佐藤さんは戸惑った様子で目をしきりに泳がせていた。

 カロリーが、などとモゴモゴ呟いて佐藤さんが中々、おかずに箸を伸ばさないことに痺れを切らした永遠が動いた。

 椅子を引いて立ち上がり、蓋の上に置いた卵焼きを自分の箸で掴むと、机の上に身を乗り出して正面の佐藤さんへと迫った。


「千晴おねーちゃん、口開けて」

「え? 永遠ちゃん……?」

「いーからいーから、ほら、あーんして。あーんだよ」


 永遠の圧に負け、佐藤さんは命じられるがまま、そうっと唇を開けた。すかさず、永遠が佐藤さんの口の中へと卵焼きを放り込む。

 たちまち佐藤さんは目を白黒させ、永遠をポカンとしたまま見つめていたが、口の中に入れられたのなら吐き出すのは無理だと悟ったのか、卵焼きを無言で咀嚼し始めた。


「おいしかったでしょ?」

「えっと、はい……」


 永遠からの有無を言わせぬ確認に、コクコク頷く佐藤さんが不憫で、気付けば口を開いていた。


「おい、永遠。食べてもらいたいからって、無理やり食わせるのは違うだろ。乱暴なヤツだな、まったく……」

「なーに、おにーちゃん? おにーちゃんは千晴おねーちゃんが全然食べないの、気にならないワケ?」


 永遠に詰められ、「気になるはなるけど、食べる量は人それぞれだろ……」と弱々しい反論を返す。佐藤さんが三食通してあまり食べていないのか、昼食しか一緒にしたことがないので分からなかった。

 そのため、食事に関してあーだこーだ口出しするのは躊躇われた。そりゃ、栄養が足りているのかとか、授業中空腹にならないのかとか、心配ごとは多い。

 しかし、当の佐藤さん本人が大丈夫だと言っているのなら、もはや俺には何も言えないのだ。永遠みたく、強硬手段に打って出る度胸は俺にはない。

 佐藤さんはにわかに緊迫した空気を断ち切るように明るい声音でもって、


「ごめんね、みんな。せっかくの楽しいランチタイムに、余計なことで悩ませちゃって」


 と、相手を変に気負わせない柔らかな声のトーンで謝罪を口にするや、真実が寄越した唐揚げを箸で摘まみ上げ、小さく一口囓ってみせた。


「うん、美味しい。お母さん、お料理上手なんだね」

「そうでしょ? そうでしょ? おいしーでしょ? ほら、おにーちゃんもさ、何かおかず千晴おねーちゃんに、あーんしてあげなよ」

「はあっ!? 永遠、お前何言って……」

「あーんぐらい、付き合っているなら、よゆーでできるでしょ?」


 できるか、と永遠の無茶振りを突っぱねるべく、口を開きかけたときだ。横に座る佐藤さんから強い視線を感じた。

 目と目が合い、途端に挙動不審に陥った。妹ふたりの前で、佐藤さんにおかずをあーんして渡すなど、とんだ拷問以外の何でもない。

 できるわけがないだろうと、即座にかぶりを振ろうとしたものの、佐藤さんは固唾を呑んで俺の一挙一動を見つめている。

 永遠の期待に満ちた眼差しにたじろぎ、真実は呆れた顔つきながらも小声で「ほら早く」と急かしてくるので、これはいわゆる後に引けないってヤツなのか。


 ここで断ったら、佐藤さんからは間違いなくガッカリされるだろうし、妹たちからは情けないヘタレ兄貴の烙印を捺されるのは必至。

 この場においては前進しか許されず、逃げ道はもはやどこにもないらしい。

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