第27話「テントの陰で」

 永遠と真実へと昼を食べる場所の連絡をし、応援テントに戻っていたときだった。諍うような険のある声が耳へと飛び込んできた。

 和泉先輩の一件が尾を引き、いつも以上に言い争う声に敏感になっているみたいだ。複数の声に耳を澄ませば、競技に使う道具たちが置いてある用具テントの隅にて、向き合う人影を発見する。


 まるで物陰に隠れるようにして立っているのは、女子がふたり。見覚えがあると思ったら、両者ともクラスメイトだった。

 名前は確か、木村きむらさんと田淵たぶちさんだ。襟足が外に跳ねたショートカットの方が木村さんで、ロングヘアで細いカチューシャを着けているのが田淵さんだったはず。

 女子の交友関係なんて、男子間の付き合いを把握するより更に難しいが、木村さんと田淵さんが連んでいる様は珍しく映った。

 木村さんは快活な雰囲気通りの体育会系らしく、女子バレー部に入っているとか何とか聞いた覚えがある。

 対する田淵さんは、お洒落や流行に敏感な今時JK感全開の女子に見受けられた。五十嵐くんや内山さん率いるグループより劣るものの、女子生徒の中では発言力を持つグループのリーダー格ではなかったか。

 俺でも知っているぐらいなのだ。理由は異なれど、ふたりとも目立つ女子と言っても問題あるまい。

 木村さんと田淵さんのふたりは口論しているようだった。いや、口論は語弊がある気がする。田淵さんが木村さんを一方的に責め立てているように見えた。


「めぐ、ホント何で種目変わってくれなかったワケ?」

「ごめんね、ゆづちゃん。でも、種目決め終わった後に、誰と走るかクジ引きしたから……」

「そんなこと知ってる! だけどさあ、種目換える理由なんて、いっくらでも考えられたでしょお!?」

「ゆづちゃん、徒競走が一番かったるくないって、言っていたよね……」

「そうだけど! でも、二人三脚で五十嵐くんとペアになれるのなら、ウチだって選びたかったのに!」


 目を三角に怒らせ、田淵さんは木村さんへ猛然と詰め寄っている。どうやらふたりは、個人種目について言い争いをしているらしい。

 田淵さんは徒競走ではなく、木村さんの出場していたという二人三脚に自らが出たかったと激しく主張していた。

 その理由は木村さんがペアを組むこととなった相手に起因しており、その相手の男子が五十嵐くんというのはつまり。

 田淵さんは人気者の五十嵐くんと一緒に走りたかったのか。

 五十嵐くんはクラス対抗全員リレーのアンカーを務めるほど足が速く、なおかつ一緒に走ることになってもペアの女子に気を配ってくれそうだが、それにしても田淵さんの悔しがりようは著しい。


 まさか田淵さんって、五十嵐くんのことが好きなのか。

 いや、でも、五十嵐くんには内山さんという、れっきとした恋人がいる。五十嵐くんと内山さんが交際しているのは、二年生の間では半ば周知の事実と化しており、ふたりとクラスメイトである田淵さんが知らないはずがない。

 だが、五十嵐くんに彼女がいても、田淵さんはそれでも諦められず、報われない片想いを続けているのかもしれない。


 だからこそ、少しでも接近する機会を持ちたいからと、木村さんに二人三脚の相手を譲ってもらいたかったのだろう。

 二人三脚の競技自体すでに終わっており、今更木村さんを糾弾したとして無意味なことこの上ないが、田淵さんは鬱憤を晴らしたいがために木村さんを詰っているのか。

 木村さんは怒れる田淵さんを相手に必死で詫びながら、どうにか宥めすかしている様子。散々好き勝手に喚いたせいもあってか、ヒートアップしていた田淵さんも幾分落ち着きを取り戻しているように映った。


 クラスメイトの言い争う場面を盗み見ていただなんてバレたら事なので、さっさと退却するべく踵を返して回れ右をしようとしたときだ。

 不意に鋭い視線を感じ、ハッと慌てて周りに注意を向ける。もしや、田淵さんと木村さんから、ふたりの様子をこっそり窺っていたことが露見したのかと焦る。

 しかし、田淵さんも木村さんも俺なんぞまるで眼中になく、尚もわあわあ言い合っていた。だったら一体誰が、と改めて周囲に視線を彷徨わせていたところ。


 用具テントをじいっと凝視する五十嵐くんの姿が目に飛び込んできた。五十嵐くんは来賓客用テントの支柱に身を隠しているようだった。

 うんと背が高く存在感に溢れた五十嵐くんが、他の人たちによく見つからないなと感心するが、ちょうど周囲からは死角になっている場所らしく、用具テントから挟み出た大玉が隠れ蓑の役割を果たしてくれているようだ。

 誰にも発見されないベストスポットに隠れ、五十嵐くんは一体全体何をしていたのか。見つめていた先の用具テントに、五十嵐くんにとって興味深い何かがあったのだろうか。テントの前で田淵さんと木村さんが対峙して、揉めていたに過ぎないが。


 五十嵐くんをジロジロ不躾に注視していたのがアダとなった。こちらがあちらを見つけたら、あちらだってこちらを見つけられるのだ。

 五十嵐くんは俺を見やり、一瞬呆気にとられたように目を見開いていたが、すぐさま人懐っこい笑みを口元に湛えてみせた。

 いや、五十嵐くんが普段浮かべている笑み以上に、親しみに溢れた白々しい笑顔に思えて仕方がない。俺の見間違いに違いないと眼鏡を外し、曇った視界を払うべく目を擦って再度かけ直す。


 そうして、改めて五十嵐くんを見れば、どういうわけか俺を手招きしている。こっちに来いのジェスチャーを受け、無視を決め込むのは難しくなってしまったようだ。

 気付けば、木村さんと田淵さんはすでに、用具テントの前から去っている。ふたりに見つかる心配もなくなった今、周りを気にする理由もないけれども、用心深く五十嵐くんの元へ近寄っていく。


 じわじわと歩み寄りながら、ハッと勘付いた。

 そうだ。五十嵐くんはクラス対抗全員リレーの最たる功労者であり、しくじった俺の恩人じゃないか。お礼ぐらい言えと、五十嵐くんは俺を呼びつけたのかもしれない。

 しかし、あの五十嵐くんがそんな真似をするだろうか。でも、感謝の弁を述べるのは当然だ。何も間違っちゃいない。

 五十嵐くんの目前に辿り着くや、腰を折ってこうべを垂れた。


「リレー助かった。五十嵐くんのおかげで命拾いしたよ」

「えっと……? 何のことかな?」


 頭上から降ってきた当惑に満ち溢れた声を受け、急いで身を起こす。五十嵐くんは戸惑った笑みを浮かべていた。

 どうにも様子がおかしい。五十嵐くんは俺の発した言葉にピンと来ていないようなのだ。説明すべく口を開く。


「いや、ほら、クラス対抗のリレーだよ。途中まで二組が一位だったのに、俺がバトンを取り落としたせいでビリになったけど、五十嵐くんが一組のアンカー抜いて一位でゴールしてくれただろ。だから、そのお礼を言いたくて……」

「ああ、リレーか。そんな大それたことした覚えはないし、過剰なまで感謝される筋合いもないよ。大体、俺だけの力で一位になれたわけでもないからね。皆の頑張りがあってこそだから。それに、失敗なんて誰でもするし、あんまり気に病むなよな」


 朗らかに笑う五十嵐くんはまるで勇気づけるかのように、俺の肩をポンポンと軽く叩いてくれた。

 佐藤さんや飯島さんもそうだが、皆が寛大で恐縮の極みだった。五十嵐くんはお礼なんて必要ないと言ってくれたが、謝れてどこか心が軽くなったのは本当だ。

 そのまま気分良く五十嵐くんと別れようとして、寸前で我に返った。五十嵐くんはリレーの件で俺を呼んではいなかった。だったら、俺を呼び寄せたのは一体。

 物言いたげな視線を感じたのだろう。五十嵐くんはどこか仄暗い微笑を浮かべるや、妙に潜めた声音で話しかけてきた。


「新留くんも、見ていたよな?」

「えっ……?」

「とぼけなくてもいいって。俺も見ていたんだから」

「何を見て……あ、」


 五十嵐くんが藪から棒に言い出したのは、田淵さんと木村さんの言い合いの場面か。

 しかし、その件を今、俺たちの間で引っ張り出す意味が分からない。

 田淵さんの発言を聞き、五十嵐くん当人が「俺ってやっぱモテるでしょ?」と勝ち誇るわけでもなかろう。そんな自慢なんぞせずとも、万人が五十嵐くんはモテモテだと知っているのだから。

 だったら、五十嵐くんは俺に何を伝えたいのだろう。

 五十嵐くんは更に声を小さくし、まるで隠しごとを披露するように、もったいぶった口調で切り出した。


「――あのふたり、デキていると思う」

「……は?」


 思わず、疑問符が口を衝いて出た。五十嵐くん、何をほざいているのだろう。

 素っ頓狂な発言の真意を説明してくれと、五十嵐くんを見やるも、彼は感に堪えぬといった様相で口元を片手で覆い、目を瞑って肩を小刻みに震わせていた。


 このままでは埒が明かないので、五十嵐くんの呈した言葉をもう一度思い返す。

 あのふたり、とは先ほど、五十嵐くんが固唾を呑んで見つめていた田淵さんと木村さんだろう。

 だとしたら、デキているとは一体何だ。譜面通りに捉えていいのか。

 いや、待て待て。ふたりは女子同士だぞ。五十嵐くんがそんな突飛な発想をするか?


「あの、五十嵐くん……」

「新留くんもそう思うだろ? 教室では会話を交わすような場面見たことないし、属しているグループ間での交流だって皆無のふたりが秘密裏に会っている……人目をはばかり、こっそり逢い引きしていて、それでもってお互いに愛称で呼び合う親密度合! デキているに決まっている! そうじゃなきゃおかしい!」

「いやいや、待て待て。さっきのふたりの会話に耳を澄ましていたんだろ、五十嵐くんは」

「ああ、もちろん。目をかっ開いて観察して、一音一句聞き漏らさないよう、耳をそばだてていたよ」

「うっわ……」


 思わずドン引きしてしまった。五十嵐くんの妄言なんてもう聞かず、黙ってこの場からとっとと逃走したいのも山々だったが、さすがに良心が痛む。

 それにしても、五十嵐くんって、こういうひとだったの? 自身の妄想と現実をごっちゃにするなんて、頭のイかれたオタクぐらいしかやらかさない暴挙じゃないの? 

 いやいや、何もまだ五十嵐くんが狂人だと決まったわけではない。気を確かに持て。俺まで現実逃避してどうする。


「えっとさ、ふたりの話を立ち聞きしていたなら、田淵さんと木村さんがそういう関係じゃないって、容易に気付くはずだろ? ほら、田淵さんは五十嵐くんと二人三脚走りたかったみたいだし」

「単なるカモフラージュだろ。もしくは、田淵さんが木村さんの気を引きたいだけ。俺って表面上、きゃあきゃあ騒ぐにはお誂え向きだろ」


 男前で人気者の五十嵐くんに恋しているだなんて、もっともらしい嘘だと言いたいのか、このひとは。

 たちどころに鈍い頭痛がしてきたが、これは熱中症の症状だろうか。

 もしくは、話の通じない相手を前にして気が遠くなりかけているのか。

 それとも、タチの悪い幻覚でも見ているせいで、世界が変になっているように勘違いでもしているってわけか。

 だってそうでも思わねば、おかしいではないか。あの五十嵐くんがここまで突飛な考えの持ち主だなんて、正直信じがたいのだから。


「おおーい、五十嵐クン。昼メシ食いに行こうぜ!」


 背後から騒々しい声がかかり、助け船に喜んだ俺は勢いよく振り向いた。川元と速見がお昼だと、五十嵐くんを呼びに来てくれたのだ。

 彼らは俺と五十嵐くんとを交互に見比べ、不思議そうな面持ちだ。無理もない。

 リレーで大金星を上げた陽キャの王と、あやうく戦犯になりかけた陰の者が会話しているなんて、到底信じられないもんな。

 たまたま田淵さんと木村さんの諍う現場に居合わせた同士なだけで、偶然の取り合わせなのだ。変な勘繰りはやめてほしい。

 俺は今、改めて強く実感しているのだから。パリピとは絶対に価値観が合わないと。


「……友達呼んでいるから行きなよ。俺ももう昼行くし」

「え、新留くん?」

「さっき聞いた世迷いごとは全部忘れるから。えっと、心配しなくてもいいし……それじゃ……」

「いや、まだ話したいことが――」


 こっちが一切合切忘れると言っているのだから、これ以上食い下がってこないでくれ! 

 俺は五十嵐くんの恐ろしさに音を上げ、とうとう脇目も振らずにその場から逃走を図った。

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