第25話「クラス対抗全員リレー」

 体育館裏に戻ってきた永遠に訊いたところ、プランTの「T」は体育祭の頭文字を取って命名したのだと、妙に自信満々で答えてくれた。

 そのままじゃないかと思わず突っ込むも、えへんと胸を張って永遠は「作戦大成功!」とピースサインを返してきたのだった。


 その後、次に出場する競技の開始時間が差し迫っていたこともあり、和泉先輩と永遠に別れを告げ、集合場所の入場ゲートまで急ぐ。

 和泉先輩の腫れた頬の処置は、申し訳ないが永遠に頼もう。妹へおんぶに抱っこに頼り切りで、兄の面目丸潰れだが致し方あるまい。

 むしろ、和泉先輩への応対は俺なんぞよりずっと、愛嬌があって誰とも仲良くなれる永遠の方が適任だ。

 とやかく案じずとも、何もかも永遠が上手いとこやってくれるに違いない。永遠様々だ。あとでアイスか何か奢ってあげなければ、永遠の功労に対する感謝の釣り合いが取れない気しかしない。


 さて、クラス対抗全員リレーが幕を開ける。一年生の部が大盛況で終わり、続いては二年生のリレーが始まるのだ。

 足が速いとは到底言えず、要領の悪い俺は全員参加のリレーが憂鬱で仕方がない。

 リレーというものは、ひとりの失敗が順位へ大いに響く種目だ。

 他の走者を抜いて一位に躍り出るなんて、そんな大それた望みは決して抱かないので、無難に自分の順番を終えて憂いをとっとと取り払ってしまいたい。

 

 セオリー通り、クラスの中でも特に足の速い生徒は後半に振り分けられ、トップバッターや第二走者にもそこそこの俊足が選ばれていた。

 最初にクラスの気運を高めることとスタートダッシュを決め、鈍足が散らばる真ん中部分で万が一、順位を落とすようなことがあっても、後半やアンカーで巻き返す戦法だ。


 第一走者は五十嵐くんのお仲間のひとりである速見だ。

 クラスメイトから声援を受けても、さしてプレッシャーを感じることもないようで、満面の笑みを浮かべる速見は片足を曲げ、両手を斜めに挙げて一点を指差すおどけるようなポーズを披露して、周囲へ余裕を見せつけてくれている。

 うわあ、とんでもない強心臓。ありえもしないもしもだが、俺がトップバッターに選ばれたら、襲い来るプレッシャーで吐くか、もしくは顔面蒼白になって気を失う自信しかなかった。


 ほどなく号砲が鳴り、滞りなくスタートが切られ、トップバッターたちが一斉に走り出す。

 集団からひとり抜けだし、ぐんぐんとスピードを増してトップをひた走る速見を眺めながら、止せばいいのに去年のクラス全員リレーの一幕を俺は思い出していた。

 苦い記憶がまざまざと蘇る。バトンパスにもたつき、次の走者であるクラスメイトから大きな舌打ちを返されたのだったな。

 今年は絶対に絶対に、迷惑を掛けてはならないと改めて強く誓う。


「やっぱり、速見くん足、速いなあ……」


 レーンの内側にある待機場所で、他の生徒たちと共にレース展開を見守っていれば、なぜだか佐藤さんが近くまで寄ってきた。

 佐藤さんは速見の軽快な走りを横目に見やり、感嘆の声を上げていたかと思ったら、俺へと向き直って気楽な様子で話しかけてくる。


「ねえ、新留くんは知っているかな? 速見くんと川元くん、それから五十嵐くんって中学までは野球をやっていたんだって。それでね、速見くんは野球部イチの盗塁王だったらしいよ? だから足も速いんだね」

「へ、へえ、そ、そうなんだ……」


 この状況下で、速見たちの部活動遍歴を告げられても、全くもって頭に入ってきやしない。

 震える声音で適当な相槌を打つ俺の異変に勘付いたのか、佐藤さんはハッと表情を曇らせ、気遣わしげな声を出す。


「新留くん、本当に大丈夫? 顔色が悪いよ」

「お、俺は……だ、大丈夫だから……佐藤さんはもう、準備した方がいいんじゃ……」

「あっ、そうだね。教えてくれて、新留くんありがとう。それじゃあ、行ってくるね」


 頑張って、と遠ざかる佐藤さんの背中へエールを送ろうとしたが、周囲の視線が急に気になりだして発しかけた声を慌てて呑み込んだ。

 俺たちが交際している事実は、何が何でも隠し通さねばならぬのだ。公衆の面前で、迂闊にお喋りに興じるなんて何たる失態。

 恐ろしいリレーを目前に控え、俺はこれまた随分と気が緩んでいるのではなかろうか。余裕なんてまるでないのにおかしな話だ。


 俺が己の失態を大いに嘆いているのを尻目に、リレーは順調に進んでいた。

 佐藤さんが前走者からタイミング良くバトンを受け取り、やがて走り出す姿が目に入った。今朝自己申告していたように、駆ける佐藤さんはスピードこそ出ていないものの、走るフォームは崩れていないし決して鈍足ではない。


 順位を落とすこともない堅実な走りでもって、佐藤さんは次の走者に上手くバトンを渡していた。

 是非とも、俺がお手本にしたいレース運びを披露してくれていたわけだ。佐藤さんに倣い、俺もああいった安定感のある走りでリレーを終えたい。


 佐藤さんからバトンを受けたのは、俺の前の走者である飯島いいじまさんだ。大きな黒縁お洒落眼鏡がトレードマークの飯島さんはショートボブの髪を揺らし、実に軽快な足取りでコースを駆けてくる。


 バトンパスの練習は、事前に体育の授業中に何度か行ってはいたのだ。しかし、不安は付き纏っていて、結局本番まで払拭ができずにいた。

 飯島さんが走る姿を確認しつつ、バトンの受け渡しをする場所、テイクオーバーゾーンに他の走者に続いて進み出る。程なく、飯島さんがやって来る間際になっていた。


 バトンパスで一番大事なのは、お互いにタイミングを合わせることだろう。

 けれども、リレーの練習において、スムーズなバトンパスができた試しはなかったのではなかろうか。俺が飯島さんから、バトンを受け取るときが一番噛み合わなかった。

 俺が走り出すのが遅いせいで、飯島さんからバトンを受け取る際にもたつき、タイムロスを起こしてしまう。だからこそ、本番では心持ち早めにスタートを切ろうと考えていた。だが、心に巣食う不安は未だに燻っていた。


 飯島さんを先頭に、前走者たちの姿がじわじわと大きくなってくる。タイミングを見計らい、俺は動き出す。

 しかし、走り出すのが想定以上に早すぎたらしい。 

 テイクオーバーゾーンへ駆け込んできた飯島さんは驚いたように目を見張り、バトンパスが苦手な俺がバトンを受け取りやすいよう、わずかに緩めてくれていたらしきスピードを勢いよく上げる羽目になってしまった。

 そうやって、慌てふためき駆けてくる飯島さんが懸命に伸ばす腕の先、左手に握るバトンを受け取るべく、俺も必死こいて右手を差し出した。


「あっ」


 手と手が交錯した瞬間、俺と飯島さん、両者の声が重なった。互いの指がかち合い、バトンの受け渡しが上手くいかなかったのだ。手と手の隙間を縫い、無情にもバトンは地面へと落下した。

 コロコロと転がるバトンを追い、慌てて拾い上げている最中、隣のコース上を一人、また一人とバトンを受け取った走者が追い抜いていく。急速に遠ざかる背中を追いかけるべく、中腰から姿勢を戻して急いで立ち上がる。

 それから、無我夢中で走り出したはいいものの、バトンミスをやらかしたせいで二組の順位は一気に下がって、結局最下位に転落した。


 そういうわけで、俺が抱いていた嫌な予感は現実のものとなってしまった。

 その後、レーン上を走っている間の記憶は曖昧だった。次に走るクラスメイトに向かって、今度は落としてしまわぬよう細心の気を配り、何とも覚束ない手つきながらもバトンを渡し切り、ようやく俺の出番は終わった。

 しかし、クラス対抗全員リレーはまだ続いている。コースの脇にヨロヨロと捌けていれば、バクバクと跳ねる心音が耳に届く。

 動悸が乱れて激しいのは、走り終わって息が弾んでいるからだけではない。己が犯した大失態が原因で、心拍数が跳ね上がっているのだ。

 視線は地を舐めるばかりで、顔を上げることはできそうにない。ただただ、周りの目が恐ろしかった。

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