第19話「公園でのあらまし」

 学校を出て、一旦自宅に寄った後、俺は通称タコ公園に出向いていた。田代さんを訪ねるためだ。

 公園は日曜日の昨日より、人気がなかった。広場にいる老人も数が少ない。田代さんも不在だろうかと心配になったが、すぐに目立つアロハシャツとピカピカ輝く禿頭を発見して安心する。

 複数人で集まって、田代さんたちは時折笑顔を交わしながら何やら楽しげに会話していた。しばらく様子を窺っていると、談笑は終了し集団がばらけて田代さんはひとりになった。意を決して近づき、恐る恐る声をかける。


「……あの、すみません。少しいいですか?」

「ん? お前さんは誰だい?」


 俺を前にした田代さんは、訝しげな表情を浮かべて首を捻っている。突然、見知らぬ男子高校生に話しかけられたのだ。不審がっても無理はない。

 俺は片手に持っていたゲートボールのステッキを胸元まで持ち上げて、田代さんにもよく見えるように掲げた。ステッキを目にするや、不可解そうな面持ちをしていた田代さんは驚いたように瞠目した。


「そりゃ……綿貫さんの。おい、坊主どうしてお前が持っている?」

「え、あー……その、知り合いから託されて」

「知り合い? 確かに昨日、何とかレンジャーが綿貫さんに返してくれるって……うん?」


 田代さんは言葉を止め、まじまじと俺の顔を覗き込むように注視してきた。

 俺は探るような目から逃れるべく、明後日の方角を向いて田代さんの視線を外したが、今度は俺たちを遠巻きに見つめる他のお年寄りたちの目が気になっただけだった。

 じいさんばあさん憩いの場へ単身、ノコノコやって来た高校生の姿が奇異に映るのかもしれない。


「おい、坊主。お前さん、名前は?」

「え? 新留って言いますが」


 突如田代さんから名前を訊かれ、困惑しつつも名乗ってはみた。田代さんはひとつ頷き、何やら得心すれば、ゆるゆると表情を緩めた。

 俺の名前を知って、一体何を理解したのだろう。昨日、ジャスティスマン時に本名をバラすなんて暴挙、俺は犯しちゃいないのだが。


「新留くん、お前さん。声が似ているな、何とかレンジャーと」

「うぇ!? い、いや、違います。ジャスティスマンと俺は別人で……ただの知り合いです」


 冷や汗を垂らしながら必死で否定するも、もちろん田代さんが俺の弁解を信じるわけがなく、ニヤニヤ笑いをいっそ深めて、訳知り顔でウンウンと頷いているのが癪だった。


「分かるぞ、坊主。孫が好きなテレビ番組を儂も観る機会があるんだが、そのときも何とかレンジャーは正体を周りに隠していたもんだ。じゃすちすれんじゃー?も本体を知られちゃ駄目だもんな?」

「ジャスティスマンです」

「そうそう、じゃすちすまんな。分かっとる、分かっとるよ」


 何も分かっちゃいねえ。いや、憤然としている場合ではない。

 俺は綿貫さんについての話を聞きに来た。当初の目的を失ってはならない。俺はステッキを持ち直し、再度田代さんへと掲げてみせる。


「まだ持っているってことは、返せなかったのかい。もしや、綿貫さん家が分からなかったのか?」

「いえ、綿貫さんのご自宅には伺いました……ジャスティスマンがですけれども。ですが、追い返されたみたいで」

「なに、追い返された?」


 ええ、と頷き、俺は躊躇いながらも昨日、綿貫さん宅での一連の出来事を田代さんへと語って聞かせた。

 俺の話を聞き終えた田代さんは、何やら難しそうな顔をして押し黙ってしまう。腕まで組んで悩んでいたようだが、言いあぐねるように重い口を開いた。


「ゲートボールを辞めて、道具を捨てたと綿貫さんは言ったのか……そいつぁエラいことになっちまったなあ」

「以前は綿貫さんもこちらの広場で、皆さんと一緒にゲートボールをやってらっしゃったんでしょう? どうして、辞められたんですか」


 田代さんは俺の問いかけには答えず、思わずといった調子で視線を背後に送った。田代さんの後ろには、ゲートボールに興じる老人たちの姿があった。

 田代さんと俺が話す様子が気になるのか、ちらちらとこちらを探るような顔を向けている人もいる。

 田代さんはガシガシと頭を掻くと、深々と息を吐いておもむろに目を瞑った。そうして、数刻の後、目を開けた田代さんは何やら覚悟が決まったように表情がキリリと引き締まって見えた。


「そうだ、お前さんの言う通り、以前はな、綿貫さんは儂らとゲートボールをやっていた。他の町内会の連中との試合にも出場するぐらい、実力も意欲もあった人だ」

「そんな方がどうして……?」

「どうしてなぁ……実力も意欲も人一倍あったんだよ、綿貫さんはな」


 田代さんは一瞬だけ苦笑いを浮かべるものの、すぐに笑みだけを消し去った。

 顔に残るのは、苦み走った辛そうな色合いだけだった。その苦しげな表情で見つめるのは、お仲間であろうゲートボールを続けるじいさんばあさんたちだ。


「試合に出るからには、勝ちたいのが人間の性ってもんだろう? 勝つために、綿貫さんはそれ相応の努力をしたのさ。練習も真面目にやっていたよ、大真面目にな。で、他の奴にも努力を強制させちまった。自分にも他人にも厳しい人なんだな。でだ、やる気がある奴らにとっちゃ、綿貫さんの熱意も通じたんだ。だがな」


 田代さんは言葉を切り、顰めた顔で天を仰いだ。俺もつられるように空を見る。

 雲で覆われた曇天が広がっていた。雨は降りそうにないけれど、太陽の姿は隙間から窺えそうにもない。


「趣味、暇潰しがてら、集まって交わす会話のついでにやっている人にゃ、綿貫さんの努力なんて届かない、むしろ煩わしい類いのもんだろ? こちとら緩く楽しくやっているのに、どうして色々命令されなきゃならんのかって、綿貫さんに食ってかかるモンも出てきちまったのよ」


 いわゆるエンジョイ勢とガチ勢の衝突が起きてしまったわけか。現在、広場の情勢がどうなっているのかは、ざっとお年寄りたちの様子を見てみたところで窺い知れない。

 だが、綿貫さんが広場から出ていき、もしくは追い出されて、ゲートボールを辞めたと言っている件から鑑みれば、どちら側が勝利したのかは明白だった。


「……あの、田代さんはどちらの肩を持ったんですか」


 訊いたところで何になるかは分からなかった。だが、田代さんは昨日、俺に……いや、ジャスティスマンに頼みごとをしていた。綿貫さんにまた広場に来てくれと、言付けてほしいと請うていた。

 だが、田代さんは広場にたむろする老人たちからは、随分慕われているような印象を受けた。リーダー格のような扱いを受けているとも映る。

 田代さんは困ったように目を細め、禿頭を片手でつるりと撫でた。背後から好奇の視線が注がれている今、言いにくいことかもしれない。無理には聞きませんと、俺が発言しようとするのを遮り、田代さんは口を開いた。


「儂はどっちにもいい顔をしちまったんだよ、後悔してももう遅いがな。どちらの言い分も聞いて、折衝して妥協点を探っていたんだけどな、結果は綿貫さんを悪者にして追い出す形になっちまった。ずいぶん昔のことじゃねえ、数ヶ月前のことだな。お前さんに言っても無意味だけどよ、悪いことをしちまったと反省している。謝りたいんだが、どの面下げて会いに行けばいいのか分かんねえ」


 自嘲気味に笑う田代さんは自分の行いを悔いているのだと、部外者極まる俺にも強く伝わってきた。綿貫さん宅に田代さんが出向いたら、さすがに俺のように出て行けと怒鳴られない様な気がするが、実現は難しいのだろう。

 どちらにも面子があり、見栄がある。他人の目だって怖い。ましてや、田代さんはリーダー格として広場の皆から信頼されている。その田代さんが悪者の烙印を捺されている相手の家に向かったとしたら、反逆以外の何物でもない。広場の秩序は瞬く間に崩壊する。


「……お話聞かせていただき、ありがとうございました。もう一度、これから綿貫さんのお宅を訪問してみるつもりです。それで、ステッキをお返しします」

「また組んで綿貫さんとゲートボールをしたいのは本心だと、伝えられるなら言っちゃくれねえか。虫がいいのは重々承知よ。だがな、儂は楽しかったし、他にもちゃんと居るんだ。綿貫さんと同じ組で、一緒に試合できることを心強く思う奴らがな。……悪いな、坊主。変なことに巻き込んじまってよ」

「いえ、首を突っ込んだのはこちらですから。それでは」

「おう、じゃすちすれんじゃーにも、よろしく言っといてくれ」

「ジャスティスマンです」

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