第18話「気もそぞろ」


 翌日。俺は朝からずっと思いを巡らせ、気もそぞろだった。

 どうやって綿貫さんにステッキを受け取ってもらえるのか、そればかり考えこんで授業中も普段よりぼんやりしていた。座学ならきちんと着席してノートを広げさえしていれば、教師に当てられない限り、授業を聞いている体は繕える。

 ただし、体育の授業はそうはいかない。個人競技なら、まだ集中力が欠けていても、さほど問題がない。しかし、団体競技であればまた別だ。ひとり使えない奴が混じっていると、チームにも少なからず影響が出る。


「新留、ほらパス!」


 また物思いにふけっていたときだった。はっと意識を戻し、周囲の状況が一気に視界へ飛び込んでくる。

 くすんだオレンジ色のボールが真っ直ぐ一直線に、みるみる眼前へと迫っていた。慌てて手を出し、パスされたバスケットボールを受け取ったものの、次に繋がる動作ができずに右往左往と視線が彷徨った。

 判断に迷い、ボールを持ったまま、ぼんやりと突っ立っているなんて格好の的だ。すぐさま敵からボールを叩かれ、かっ攫われる。

 カットされて相手に渡ったボールは、あっという間にドリブルで運ばれて、綺麗な放物線を描いてゴールネットに吸いこまれていた。

 見事なゴールが決まり、ハイタッチを交わす相手チームを棒立ちで眺めていたら、授業中にチームを組むひとりで隣のクラス、一組の男子からすれ違い様、あからさまな舌打ちと共に、短い言葉を吐き捨てられた。


「……ッチ! 使えねーな」


 反応が遅れ、暴言を吐かれたと気付いたときには試合が再開されていた。現在、体育の授業ではバスケットボールが行われていた。五人一組になりチームを組んで、他のチームと総当たり方式で試合をしている最中だ。

 体育は男女別で、隣のクラスと合同である。女子は今、球技場でバドミントンをやっている。


 終了の笛が鳴り、各コートで展開されていた試合が終わる。結局、俺のチームは負けてしまった。

 途端、体育館は賑やかな喋り声に包まれる。壁に掛かる時計を見やれば、すでに授業も終盤だ。今日の授業で、もう試合はないだろう。

 コート中央に集まり、チームで整列して「ありがとうございました」と頭を下げる。

 各コートで挨拶が済むと、体育教師から片付けの指示が飛ぶ。

 のろのろと着用していたビブスを脱いでいれば、さっきの男子が俺の元へツカツカと、わざとのように大きく足音を立てて歩み寄ってきているところだった。彼の顔を見やれば、眉が寄って唇が歪んでいる。まさに不機嫌そのものだ。


「おい、さっきの試合負けた理由分かっているよな?」

「えっと……」

「とぼけてんじゃねーよ。お前のせいだろ、ボサッとしやがって」


 男子は聞こえるように大袈裟な舌打ちをし、イライラと貧乏揺すりを繰り返し、俺を睨んでいる。

 試合中の俺の不甲斐ない動きのせいで、負けたと言いたいらしい。彼の言い分は尤もなので、俺も殊勝に頭を下げた。衝突する理由もない。


「悪かった」

「謝って済む問題じゃねえよ。十分に反省しろよ。駄目な奴が混じっているせいで、こっちはいい迷惑なんだよ。こんなのがチームに居るから勝てないんだ。あーあー、他の人と代えてもらいてーわ。全く困るよなぁ。足引っ張る奴が居るとさあ」


 しかし、謝罪しても男子の叱責は止まらなかった。俺への不満が蓄積していたらしい。もう一度謝った方がいいのだろうか。だが、男子は謝って済む問題ではないという。

 けれど、だんまりを決め込んでも、場の状況はますます悪化の一途を辿るだろう。俺が再び謝罪するべく、口を開きかけたときだった。


「まあまあ、そこら辺にしておこう。ほら、今は片付けの時間だ。次は昼休みだから、早く済ませた方がいいだろ?」


 俺と男子の間に割り込んで来て、取りなすような声を挟んだのは授業中、同じチームを組むクラスメイトの五十嵐くんだった。

 五十嵐くんは人好きのする笑みを浮かべ、男子に「な?」と同意を求めている。五十嵐くんから声をかけられた男子は鋭い顔つきを崩し、半笑いを浮かべながら頷いていた。五十嵐くんに言われれば、反論する気は起きないようだった。

 やがて、男子は同じクラスの友人らしき連中の輪に加わり、何事かを仲間たちと喋りながら体育館の片付けを始めている。


 去りゆく男子の背中を見送っていれば、すぐ隣に気配を感じて視線を移す。立っていたのは五十嵐くんだった。困ったように眉を下げ、五十嵐くんは苦笑を口元に作っていた。 

 俺の目線に気付くと、五十嵐くんは片手を挙げて俺の肩を軽くポンポンと、まるで元気づけるかのように叩く。わあ、フレンドリー。


「気にすることないさ。負けて気が立っていたんだろ」


 そう言って、五十嵐くんは先ほどの男子の名前を告げる。そうだ、五十嵐くんのおかげで男子の絡みが中断したのだ。顎を引いて目礼を返す。


「助かった」

「つーかさ、たかが授業の試合であそこまで怒ることなくね?」


 突然、五十嵐くん以外の声がすると思えば、川元が隣に増えていた。彼もまた同じチームだ。川元は向こうで群れる男子をちらりと一瞥すると、五十嵐くんと俺を見やって破顔する。


「アイツさ、バスケ部らしいんだけど、万年補欠みたい。隣のクラスの友達から聞いてさ。偉そうなこと言っているくせに、自分はレギュラー落ちしてんだぜ」


 なるほど、だから男子は俺の覚束ないプレーに怒りを覚えたのだろう。経験者なのだから、素人の目に余る動きが気になって仕方がないのだ。

 やはり悪いことをしてしまった。上手く動けないのだから、余計に集中して取り組まないとならない。ぼんやり他のことを考えて、反応が遅れることはあってはならない。


「あんまり気に病むなよ。新留くんは悪くない」


 俺が人知れず反省していれば、男子に厳しい言葉を放たれて落ち込んでいるとでも思ったのか、五十嵐くんが気遣うような声をかけ、また肩を優しく叩いてきた。陽キャはボディタッチが無駄に多い。


「そーそー、五十嵐クンの言う通り。体育のバスケなんて、適当にやっててもいいんだよ。手、抜いたって問題ないっしょ」

「川元はもっと真面目にやろうな?」

「ちょ、五十嵐クン、目が怖い。マジ怒?」

「いや、怒ってないから。ただ、川元の不真面目さに呆れているだけ」

「え、ちょ、見捨てないで。新留クンも笑ってないで、助けてよ。オレ、捨てられるって!」

「もともと川元なんて拾ってないから」

「五十嵐クン、ひどくね?」


 川元はオーバーなリアクションで五十嵐くんに縋り付いている。対する五十嵐くんはすげなく川元の手を払い除けているが、気心の知れた同士での戯れめいた小競り合いだ。

 俺は目前で繰り広げられる茶番じみた寸劇に、戸惑うように笑い声を上げる。この居たたまれない空間から、早く脱出したかった。

 

 気懸かりのせいで、今日は一日集中力を欠いた。ぼんやりを継続したまま、気付けば放課後だ。

 帰りのHRが終わり、教室は帰り支度で騒がしい。部活に急ぐ者が忙しげに教室から出て行く中、俺はのろのろと鞄に教科書や筆記用具を放り込んでいた。

 すでに隣の席には、佐藤さんの姿はない。これから委員会の集まりだそうで、先ほど鞄を肩にかけるや内山さんと連れ立って教室を後にしていた。佐藤さんは文化祭実行委員会に所属しているらしく、放課後までご苦労なことだ。

 その文化祭、実施されるのは九月末だと記憶している。委員が決まったのは四月だから、随分と前から準備は始動しているのか。

 今日は部活動日でもないし、俺には急ぐ用事もないので、のんびりと帰り支度に勤しんでいたわけだが、いざ教室を出て行こうとしたところで小野田と堤に声をかけられた。


「新留、これから時間ある?」


 堤から朗らかに問われ、何だろうと首を捻った。ふたりは今からハンバーガーチェーン店に行くらしい。

 小野田がもったいぶった身振りで鞄からスマホを取り出し、俺へと画面を掲げて見せてきた。アプリの画面が広がっている。


「ちょうどポテト半額クーポンが手に入ったのでな。話し合いの場には、うってつけではないか?」

「話し合い?」

「なぬ? よもや忘れたわけではなかろうな」

「前に言っていたじゃん。夏休みの旅行について」


 堤の言葉を受けて、俺はようやく思い至る。三人がリアルタイムに視聴していた深夜アニメがあり、ぜひとも聖地巡礼に夏休みにでも行きたいなと話をした覚えがあった。アニメの舞台になった地を巡るのは楽しそうだと大分盛り上がった。

 その際は漠然と行きたい場所をつらつら挙げていただけであったが、内容を詰めるべく話し合いの場を設けるのは賛成だ。小野田の恩着せがましいアプリの見せつけは癪に障るものの、特に予定もなかったので「行こう」と頷きかけた。


「あ、ごめん、今日はちょっと行くところがあって……」


 けれど、俺は首を横に振っていた。綿貫さんへステッキを返却する予定を思い出したからだ。

 どうにかせねばと、脳内でうだうだ悩んでいても何にも進展はない。迅速に自ら行動しないと道は打開できない。


「そっか、予定があるなら仕方ないね」

「……なあ、新留。最近、付き合い悪くないか?」


 小野田の問いかけに、俺は動きを一瞬だけ止めた。俺は基本的に暇な人間で、そんなわけがあるかと一笑に付すつもりだった。

 だが、小野田はやけに深刻な表情で、俺を見つめている。せせら笑って場を流す様な空気ではない。

 とは思ったが、真面目に返答しようとしても、やはり俺はスケジュールに追われるような忙しい身ではなかった。かぶりを振って、俺は小野田に苦笑を返した。


「誰かと間違えてないか? 予定が合わないのは今日だけだろ。次はちゃんと参加するから。悪いな、小野田。堤も」

「……それならいいが」


 俺の返事を聞いても、小野田は依然として釈然としない表情を保っていたが、堤に促されて教室から去って行った。小野田の背中を見送りながら、俺は首を傾げる。 

 やっぱり、忙しさに追われているような多忙な日々を送っている記憶はなかった。以前、遊びに行こうという小野田からの誘いを断っただろうか。思い出せなかった。

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