第17話「閉ざされた心」

「おい、何だこいつらは」


 威圧的な態度と厳しい口調に、咄嗟にビクリと肩が跳ねる。纏う雰囲気も似通っていたが、喋る言葉までも祖父にそっくりだ。

 俺は逃げ帰りたくなる気持ちを静め、片手に握るステッキを目前に掲げた。更に、俺の行動を助けるようにおばあさんが「届けに来てくれたんだよ」と言い添えた。

 これで多少空気も和むかと思えばまるきり反対で、ますますおじいさんの吊り上げる眉の角度が上がっただけだった。おじいさんの険悪な顔つきは強固になっている気がしてならない。


 自然と恐怖心から首を縮めそうになるが、今の俺はジャスティスマンだ。祖父に怯える孫ではない。

 震える心を落ち着かせ、動揺なんておくびにも出さず、真っ正面からおじいさんと対峙した。俯きそうになる顔を上げ、おじいさんへ一直線に視線を向ける。

 おじいさんは一向に肩を怒らせたままだったので、ちゃぶ台の周りに配置された座布団に座るのは躊躇したが、おばあさんが遠慮なくとしきりに勧めてくるので、無下にはできずに恐る恐る腰を下ろした。引っ付くように雫くんが俺のすぐ隣に正座する。


「お茶ぐらいしかないけど、用意してくるから少し待っておいとくれ。寛いでくれていいからね」


 おばあさんは居間から姿を消し、お茶の準備のために台所へ向かったようだ。友好的なおばあさんなしに、不機嫌なおじいさんの相手をするなど、どだい無理な話だ。

 雫くんは見事に人見知りを発動させており、端から頼りにできやしなかった。ビクビクと身体を縮こまらせ、雫くんは顔を伏せている。仕方あるまい。

 できればおばあさんの戻りを待っていたかったが、このまま張り詰めた空気を耐え忍べそうになかった。俺はステッキをおじいさんへと差し出した。


 だが、おじいさんは一向に受け取ってくれなかった。逆に俺の存在を無視するかのごとく、テレビへ視線を注いでいるようにも見受けられた。

 テレビ画面にはローカル旅番組らしき映像が流れており、熱心に見入るような趣旨の番組ではないだろう。むしろ、ながら観するタイプの番組筆頭だろうに、おじいさんはしかめ面のまま、まるで仇を見るような目でテレビを睨んでいた。


「待たせちゃったねえ。はい、ちょっと熱いから火傷しないように気をつけとくれよ。あんたも飲めるかい?」


 おばあさんは人数分の湯飲みとお茶の入った急須、それから菓子盆を手に戻ってきた。そして、あんたと呼んだのは俺のことだろう。ヘルメットを脱がないことには、食べ物や飲み物は口にはできない。自宅でもないのに変身を解く真似はしない。

 よって、俺はおばあさんのせっかくの厚意を心苦しいが受け取れない。申し訳なさは感じるが、無理なものは無理なのだ。勘弁してほしい。


 お茶の準備も整ったところで、おばあさんも腰を落ち着かせた。本題に入るならば、今からしかないだろう。

 おじいさんには一度、ステッキを渡したが無視されてしまったので、再び俺から行動は移せそうにはなかった。


「ほら、お父さん。せっかくわざわざ届けに来てくれたんだ。受け取ってくださいな」


 おばあさんの言葉に続き、今回こそはとステッキをおじいさんへ差し伸べた。

 だが、おじいさんは身じろぎひとつせず、当然ステッキを受け取ってもくれやしない。頑とした態度はいっそ清々しいほどだが、対峙する相手は困惑するだけだ。

 俺はのろのろと伸ばした腕を降ろし、畳の上にステッキを一度置く。ああもう、一体どうしたらいいのだろう。


「おや、無視することないだろうに。お父さんのだろう、それ」


 おばあさんは非難のこもった目つきでおじいさんを見やり、俺の傍らに置かれたステッキを指差した。

 おじいさんは面倒くさそうにおばあさんの指先へと視線を向け、ちらりとステッキを一瞥した。しかし、そちらへ手を伸ばすこともない。ただ、かぶりを振って吐き捨てるように声を出す。


「ゲートボールは止めたと言っただろう」

「……ねえ、あんたたち。それをどこで拾ったのかい?」


 河川敷だと答えれば、おばあさんは「やっぱりね」と納得したように頷いて、おじいさんへ再度向き直った。


「ひとりコソコソ、また練習しに行っているんだろう? それで置き忘れてくるなんて、案外そそっかしいねぇ」

「違う……捨てただけだ」

「おやおや、ゴミを不法投棄するなんて良くないよ」


 ぶっきらぼうに否定の言葉を繰り返すおじいさんに怯むことなく、おばあさんは諭すような口調で言い返している。長年連れ添った夫婦なのだろう、面倒な夫の扱いにも慣れたものだ。

 しかし、おじいさんも強く出て後には引けないようで、ステッキには目もくれず、ますます表情を硬くする。そうしておばあさん相手だと分が悪いと思ったのか、攻撃の矛先はこちらへと向かった。


「大体なんだ、こいつは。おかしな格好をして」

「さっきから、言っているじゃないか。お父さんの忘れた……捨てたんだったかい? ゲートボールの道具を届けに来てくれた親切な子だよ」


 おばあさんの擁護には耳も貸さず、おじいさんは俺をじろりと睨めつけた。鋭利な目つきでひと睨みされ、肩が跳ねて背中に冷や汗が伝う。

 おじいさんの怒りを内包するのに、ぞっとするほど冷たい双眼は、在りし日の祖父の目を連想させて俺は堪らず唾を飲み込んだ。


「脇に置いているソレを持って、とっとと帰れ。家に変な輩を招き入れるつもりはない」

「ちょっとお父さん……言葉が過ぎるよ」

「お前は黙っておけ。ほら、何を座ったままでいるのか。家主が帰れと言っているんだ。さっさと出て行かんかっ!」


 おじいさんの発した怒号に、雫くんが小さく悲鳴を上げて竦み上がった。確認すれば、両眼に溢れんばかりの涙を溜めている。俺のせいで、何にも悪くない雫くんまで怒りを買っているのは耐え切れない。

 俺はステッキを握って腰を上げると、狼狽える雫くんに手を貸して立ち上がるのを手伝った。戸惑った表情で俺を見上げる雫くんを安心させるように頷き、俺はおじいさんとおばあさんの顔を見やる。

 何を言えばいいのか咄嗟に言葉が出てこなかったので、俺はふたりに向かって深く頭を下げた。今日はもう帰った方がいいだろう。


「……失礼します。また、来ます」


 小さく呟いた声は、きっとくぐもってしまって、おじいさんの耳には入らなかったことだろう。


「ジャスティスマン……どうするの?」


 心配そうな顔をしたおばあさんに見送られて家を辞した後、河川敷へと繋がる道をとぼとぼ歩きながら、雫くんが遠慮がちに声をかけてきた。

 雫くんはジャスティスマンにせっかく憧れてくれているのに、みっともない様を晒してしまった。だが、忸怩たる思いは胸の内に秘め、俺は努めて明るく笑う。発する声も極力大きく、を心がけた。


「心配するな。ステッキは無事、おじいさんに届ける!」

「ほんと? それならいいんだ。ごめんね、ジャスティスマン。力になれなくて」


 目を伏せ、謝る雫くんのしょげ返った顔が見ていられなかった。俺は安心させるように、雫くんの頭を髪が乱れるのも厭わず、わしゃわしゃとわざと豪快に撫でる。

 雫くんは髪の毛がグシャグシャになったと抗議の声を上げたが、落ち込んでいた表情もわずかに和らいでいてホッとする。


 さて、持って帰ってきたステッキをどうしようか。おじいさんは捨てたなどとうそぶいていたが、間違いなく嘘に決まっている。

 だったら、ステッキはやはり持ち主であるおじいさんに返さなければならない。けれど、返却しようにも拒否されていてはどうしようもない。何とかして、頑なに閉ざされたおじいさんの心を開く手段を講じなければならない。

 手がかりはある。タコ公園の広場ではなく、人目につかない河川敷で練習していたのかが気になった。真相が分かれば、ステッキを返す取っ掛かりになるかもしれない。手がかりを集めるべきだろう。


 雫くんと河川敷に戻り、必殺技の練習を再開したものの、互いに気もそぞろで早々と特訓は打ち切りになった。

 別れ際、雫くんは気丈な笑みを浮かべて「またね」と手を振ってくれた。今日に留まらず、雫くんは別れるときは決まって寂しそうな顔をする。

 できればもっとふたりで遊びたいのだと、声を出さずとも表情や仕草が雄弁に、雫くんの心情を語ってくれていた。


 ただ、俺がジャスティスマンに変身し、雫くんと会える機会はそう多くない。ジャスティスマンは世界の平和を守るべく、日々悪を退治するため奔走している設定だ。正義のために昼夜身を粉にして戦っている多忙なヒーローなのだから。

 それに、フィクション的忙しさ以外に、リアルな事情を鑑みても、雫くんだけに構い通しは無理な話だった。

 休日は基本的に暇な俺だって、毎週末のように変身して雫くんの相手ばかりをしてあげることはできない。友達や家族と遊びに出かけたり、大量に出された学校の課題をこなしたり、最近じゃ佐藤さんとのデートだって予定に加わった。


「明日は朝早く起きれるかな……」


 雫くんは独り言のような呟きをぽつりと漏らした。実際、俺に聞かせる類いの発言ではなかったのだろう。返事を待っている素振りはない。

 虚ろな目で空を見上げ、雫くんはゆるゆると溜め息を吐いた。

 日曜日の午後だ。明日は月曜、一週間の始まりだ。学生、いや社会人にとっても憂鬱な曜日である。

 休日が終わる寂しさや、明日を迎える倦怠感が全国至る所に漂っているはずだ。


 雫くんも他の小学生同様、休日の終わりを憂い、気乗りしない明日を嘆いていると捉えてもいい。

 だが、雫くんには特別な事情があった。彼は学校に登校できない、いわゆる不登校児だ。不登校の理由や原因など、詳しい話はしてくれない。

 だが、教室に行けなくなったこと、学校が怖いことは雫くんが以前語って聞かせてくれた。月曜日を迎える度、身体が怠くてベッドから起きられない苦しみは知っている。


 雫くんは学校に行く代わりに今はフリースクールに通っているらしい。そこはいじめや金銭的要因などで学校に行けない子が通う場所だという。

 小学校より登校時間は遅いらしいが、朝起きて着替えて、支度を整えて家を出ることには何ら変わりない。

 雫くんは穏やかに晴れる空を眉根を下げて、ぼんやりと見つめたまま黙っている。元気づけるような言葉を投げかけても、無意味だとは理解していた。むしろ逆効果だとも分かっている。


 けれど、どうしても放っておけず、俺は雫くんの隣に並んでそっと頭に手を載せた。今度は荒い手つきで頭を撫でるのではなく、ただただ傍に居ることが伝わるように手を置いたまま無言を貫いた。

 少しでも、雫くんの焦りや不安が減るようにと祈りながら。

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