第16話「持ち主のお宅」

 雑草に埋もれて転がっていたゲートボールに使う用具らしきハンマー状の棒、誰かが忘れていったに違いあるまい。

 忘れ物であるならば、持ち主に届けるべきであろう。雫くんも俺と同意見のようで、必殺技の練習は切り上げて河川敷を後にする。


 そうして向かったのは、先ほどまで猫を救出すべく木登りをしていたタコ公園。公園の広場にて、お年寄りたちがゲートボールに興じている様を目撃していたので、持ち主あるいは持ち主に心当たりのある人物がいそうだと当たりをつけたのだ。

 タコ公園へと舞い戻れば、幸いにもゲートボールは継続されていた。


 早速、休憩しているひとや、ボールを打つ順番待ちをして暇そうにしているひとに話しかければいいのだが、ここで問題が生じた。

 現在、俺はジャスティスマンに変身している。この状態はたいそう話がしづらいのだ。声を発せなくはないものの、いわばフルフェイスのヘルメットを被っているようなもので、声はくぐもって聞き取りにくい。

 永遠や雫くんといったジャスティスマンを知っている相手であれば、会話や意思疎通も少々難儀しつつもできる。

 だが、これから話をしようと声をかけるのは、じいさんばあさん連中だ。お年寄りは耳が聞こえにくい人も多い。間違いなく聞き返されるだろうし、そもそも俺自体が警戒されるに決まっている。老人からすれば、突拍子もない格好をした不審者にしか映らない。


 であれば、雫くんに頼ればいいだけの話なのだが、これにも少し懸念があった。雫くんは人見知りの気があり、初対面のじいさんばあさんを相手に上手く説明ができるのかは怪しい。現に人が多い公園へ辿り着いた途端、忙しげに周囲に視線を巡らして落ち着きのない様子で辺りを窺っている。

 引っ込み思案で口下手な雫くんへ質問役を受け持ってもらうのは無理そうだ。しかし、手伝ってはもらわないと。俺だけでは落とし物の主に辿り着けそうになかった。

 雫くんへと合図を送り、ゲートボールに興じる中へとお邪魔する。躊躇いがちにだが、雫くんも俺の後を隠れるように歩いてついて来てくれていた。


 じきにおじいさんやおばあさんが闖入者に目を留める。中にはプレイ中の手を止め、ステッキ片手に「なんだありゃ」と声を上げる者まで居た。

 誰か話しやすそうな人がいないかと、こちらを見てくる顔を順繰りに観察してみた。視界が悪いので人相までは分からないが、及び腰な人や警戒心を露わにしている人を避けるのは無難だと分かる。

 ポカンと口を半開きにして、呆けたように俺を見上げているおばあさんへと足を向けようとしたときだ。おばあさんの背後から、頭の禿げたおじいさんがひょいと顔を覗かせた。


「おい、何モンだ? 孫が好きな何とかレンジャーって奴か、お前さん」


 前に出てきたじいさんはてらいなく、正体不明の俺へと声をかけてくる。立ち振る舞いも堂々としているが、喋り方も自信に満ち溢れ、声量も老人にしては大きかった。

 かくしゃくとした禿頭の爺さん、ヘルメットのせいで見えづらいが、派手な柄のアロハシャツを肩から引っかけるように羽織っていた。他の老人たちが大人しく地味な洋服を着ている分、おじいさんの服装が一際目立っている。

田代たしろさん、ちょっと……!」「おい、たまちゃん。急に話しがけやがって」「危なくないかい?」などと他の人からやんわり注意されているが、「田代さん」とか「珠ちゃん」とか呼ばれているその老人、周囲の声など意に介さず、俺たちに向かって問いを重ねてきた。


「何か儂たちに用かい? 言いたいことがあるなら言いな」


 雫くんはじいさんのしゃがれた大声にすっかり竦み上がってしまっており、声が出ないようで口だけをパクパクと呼吸するように開閉し、地面を摺り足でじりじりと後退している。

 これでは埒が明かない。俺は手に抱えていた棒をじいさん、田代さんにも見えるように掲げてみせた。皆の注目は俺の手に集まっていた。


「それはスティックか。見せてみろ」


 田代さんはぐいぐいと俺の元へ近寄ってくると棒、いやスティックをまじまじと凝視した。

 そんなじっくり観察しなくとも、田代さん他ここにいる老人たちが使っているそれを変わりないだろうに、と思ったが、巻いてあるテープや素材が使用者ごとに違うのかもしれない。

 田代さんは一点を見つめ、「ちょっと貸してみろ」と俺からスティックを引ったくるように奪うと、注目していた箇所へ更に顔を近付けた。俺も見えづらい視界ながらも、田代さんの見やるスティックの手で持つ部分を凝視した。

 そこには薄らと消えかかった文字で名字らしき漢字二文字が書いてあった。


「……こりゃ綿貫わたぬきさんのだな。あの人……まだゲートボールしていたのか」


 田代さんはどこか寂しそうな声音で呟くと、ステッキに落としていた視線を俺へと向けた。


「持ち主は分かった。お前らこれ、どこで拾った?」


 田代さんの尋問するような口調に怯え、雫くんはぴゃっと俺の背中に隠れてしまった。まくし立てるように問われれば、小心の雫くんは怖がってしまう。

 俺は声が通るように、心持ち息を深く吸いこみ、顎を広げて大きく口を開いて返事をする。


「河川敷です」

「おお、何とかレンジャー、お前さん喋れたのか」


 ジャスティスマンです、という抗議の主張は声量が小さすぎて、田代さんたちには聞こえなかったようだ。

 後ろに控える他の爺さんばあさんと何かを話し合い、振り返った田代さんはスティックを俺へと手渡す。


「何とかレンジャーと後ろの坊主。これ、持ち主に返してやっちゃくれねえか」


 元からそのつもりで、持ち主の手がかりを探すためにタコ公園の広場へと出向いたのだ。

 田代さんが持ち主に心当たりがあり、居場所を知っているのならば是非とも聞いておきたい。俺は大袈裟なほど大きく頷き、分かりやすいよう承諾の意を示した。


「こりゃ綿貫っていうじいさんのモンだ。家の住所を教えるから聞いてくれ」


 田代さんは綿貫さんというスティックの持ち主の住まいを口頭で伝えてくれた。口だけの説明では心許ないと思ったのか、近くのばあさんにメモ用紙とペンを借り受け、わざわざ地図まで書いてくれた。

 顔や格好は厳ついのに、見た目を裏切り、親切で気の良いおじいさんだった。差し出された地図を受け取り、俺は田代さんへと頭を下げる。


「頼んだぞ、何とかレンジャー。ああ、それと」


 田代さんは一度言葉を切り、何かを躊躇うように数秒黙り込んだが、すぐに口を開いた。


「綿貫さんと話ができたらよ、言付けてくれ。また広場に出てこいって。前みたいに一緒にゲートボールを、試合をしようって儂が言っていたってな。頼む」


 田代さんの頼みの声を聞き、周囲の老人はわずかにざわめいた。戸惑うような不穏な空気を受け、どうやら綿貫さんとやらは皆に快く思われていないらしいと察する。

 ゲートボールを楽しむ老人がたむろする広場に出向けないような何かを、綿貫さんはしでかしてしまったのだろうか。老人たちが動揺する理由が今は分からないし、申し出た田代さん本人も教えてくれはしないはずだ。

 しかし、頼まれたのであれば、ちゃんと責任は果たすつもりだ。


 俺は田代さんにもう一度頭を下げると、雫くんの肩を叩いて公園を出て行こうと身振りで示す。

 俺の意を汲んだ雫くんは見るからにほっとし、早足で公園の出口へと歩き出した。見た目の怖い田代さんや見知らぬじいさんばあさんから、じろじろと不躾な視線を浴びるのが苦痛だったのだろう。

 俺のせいで要らぬストレスを雫くんに与えてしまったのならば、申し訳なかった。


「ジャスティスマン、地図見せて」


 公園を出てから、雫くんがそう言って手を伸ばしてきた。言われた通り、二つに折りたたまれたメモ用紙を雫くんへと手渡す。

 手書きの地図を確認した雫くんは「うん」と小さく頷くと、俺を見上げて微かな笑みを浮かべた。


「ついて来て。ぼく、案内するよ」


 公園にいたときとは打って変わって、明るく心強い雫くんの声に安堵する。やはり知らない大勢の老人に囲まれ、雫くんは萎縮していたのだろう。

 今の俺は視界が悪く、道を先導してもらえるのは心強かった。もっとも見えにくいのであれば、ヘルメットのシールド部分をもっと透明感のあるものに変更すればいいのだが、レンズをクリアにしてしまえば顔面が丸分かりで変身の意味がまるでなくなってしまう。ヒーローのプライド丸潰れだ。


 雫くんの案内と田代さんから教えてもらった言葉を頼りに、俺たちは一軒の住宅に辿り着いた。

 例のお宅は瓦葺きの平屋建て、いかにも昔ながらの一軒家だった。誤解を恐れずに言うならば、まさにおじいさんが住んでいそうな家だ。

 門扉に表札があり、「綿貫」と達筆の文字が掘ってあった。この家で間違いない。握っていたステッキを握り直し、玄関を見据える。引き戸の先に渦中の人、綿貫さんがいる。

 傍らに立つ雫くんが不安そうな面持ちで俺を仰いでいた。さすがに年下の雫くんに先に行ってくれとは言えない。俺は一歩一歩地面を踏みしめるように慎重な足取りで、門から玄関まで歩く。そうして、ブザーを押して訪問を知らせた。


「はぁい。どちらさま?」


 ほどなく、引き戸がガラリと音を立てて開く。中から顔を覗かせたのは、小柄なおばあさんだった。

 たしか田代さんは綿貫さんをじいさんと称していたはずだ。であるなら、目の前のおばあさんは綿貫さんの妻だろう。

 目を丸くして驚いたような面持ちで、俺を見ているおばあさんに、どことなく見覚えがあった。

 はて、どこかで会ったことがあるだろうかと頭を捻っていれば、ジャスティスマン姿の俺を凝視するのは止めにしたらしいおばあさんが、目を細めて優しげな表情をして、俺と俺の後ろに隠れるように立つ雫くんを交互に見やっていた。


「おや珍しいお客さんだこと。うちに用かい?」


 顎を引き肯定し、俺は手に持つステッキをおばあさんへと示してみせた。おばあさんはステッキを目にした途端、わずかに双眸を見開いた。もしかして、ずっと探していたのだろうか。

 であるならば、河川敷で発見できて持ち主の元まで返却に出向いて来て正解だ。

 おばあさんは「ありがとうねぇ」と柔和に表情を和らげて礼を述べるも、俺が手渡すステッキを受け取ることはせず、なぜか背後を手で指し示す。


「立ち話も何だから、上がってちょうだい。ええっとステッキだったかい? それは持ち主に返してやっとくれ」


 それから、ついてくるようにとばかりに、おばあさんはくるりと背を向けて突っかけサンダルを脱ぎ、上がり框に足をかけた。

 慌てて俺と雫くんも靴を脱いで玄関から廊下へと向かう。ただし、俺の足元はぴっちりと密着したブーツなので脱ぐのに少々手こずった。ブーツも変身の一部なので、脱ぐと格好がつかないことこの上ないが、さすがに土足で他人の家には上がれない。 俺が焦りながらブーツを脱いでいる間、おばあさんは急かすことなく、ニコニコと様子を見守ってくれていた。


 廊下から続く部屋の戸を横に滑らせ、おばあさんは中へと入った。おばあさんに続いて室内へと足を踏み入れれば、その部屋は居間のようだった。

 畳敷きでちゃぶ台とテレビが鎮座している。ちゃぶ台の一角はすでに埋まっていた。座椅子に腰掛け、テレビを観るおじいさんがいたためだ。

 この人がステッキの持ち主である綿貫さんで違いない。白髪をびしっと撫で付けた隙のない髪型に、銀縁眼鏡をかけており、老人にしては背筋がすっと伸びている。それと、どこか気難しそうな空気を漂わせている。

 現に顔つきも唇が歪んで、鋭い目つきをしているので実際に機嫌が悪いのかもしれない。俺はおじいさんの持つ雰囲気に、思わず姿勢を正してしまった。綿貫さんを見て、厳しい祖父の面影を感じたせいもある。


 おばあさんの後ろから居間へと入り込んできた俺と雫くんを、おじいさんはテレビから視線を外し、じろりと睨むように見た。全く歓迎されているようではない。

 ここまで露骨に眉をひそめられれば、綿貫さんが俺たちに警戒心を抱いているのは明白だ。いや俺たちではなく、俺個人だけだろうが。特撮ヒーローものを認知している年配の人は、それほど多くはいまい。

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