第15話「正義の味方」

 それから、公園で永遠と由芽ちゃんとは別れた。

 ふたりはもうしばらく公園で遊ぶとのことだった。暗くなるまでに家に帰るように言ったら、ふたりは行儀良く「はい!」と返事をしてくれた。

 文句ばかり垂れる上の妹とは違い、下の妹である永遠は天真爛漫なので、聞き分けが良くて助かる。まあ、真実も真実で口では色々言ってくるものの、本性は素直な良い子ではあるのだが。


 公園を後にした俺は駆け足で急ぎ、慌てて約束の場所である河川敷へと到着した。

 日曜の午後だからか、河川敷にはそれなりに人気があった。犬を引き連れて散歩途中であろうおじさんや、川に向かって小石を投げて水切りで遊ぶ小学生男子たち、寄り添い合って座る部活帰りの高校生カップルの姿などが見受けられた。

 彼らとすれ違うたび、ぎょっとしたように目を見開かれて、俺はじろじろと訝しげな視線を注がれた。この格好をしているときは決まって、そんな反応を返されるので最早慣れっこである。

 それに、いわばヘルメット越しで視界が悪いため、驚くひとたちの顔がいまいち視認できない点も助かっている。

 まあ、もしも仮に知人と鉢合わせたとしても、今の俺を見て、普段の俺だと気付く者はいないだろうけれど。


 河川敷の端、頭上を走る道路を支えている橋脚の下にある陰った場所が目的地だった。

 太陽からの陽差しがぽかぽかと暖かい陽気だが、その場所は四六時中日陰にあるため、中に入ると一、二度気温が下がったような感覚に襲われる。ひんやりとした外気に身が包まれるのだ。

 そんなじめっと暗い場所に集まらなくてもいいのではと思いもするが、雫くんは頑なにこの場から出て行こうとしなかった。

 薄暗い場所が好きと云うより、衆目からの視線が届かない静かなところを欲しているのだろう。もっとも、今の俺は日の当たる開けた場所に滞在するとなれば、人々からの好奇の眼差しを集めかねないので、人気のないひっそりとしたところが適しているともいえるのだ。


 集合場所にはすでに雫くんが着いていた。

 小学三年生になる雫くんは、柔和な顔立ちをしており、ややぽっちゃりめの体型である。また、猫背気味なのか、背中を丸めていつも縮こまるような姿勢だった。

 現に今も、道路を支える柱の壁に寄りかかるようにし、俯きがちに座っていた雫くんだが、俺の足音が耳に届いたのか、俯けていた顔をパッと上げ、すぐに腰を上げるやこちらへと小走りで駆けてきた。

 雫くんは目の前に立つと、輝かんばかりに瞳をキラキラさせて、俺を見上げて勢いよく声をかける。


「ジャスティスマン! 遅いよ。でも、来てくれてありがとう!」


 そう、今の俺はヒーロースーツを身に纏う正義の味方、ジャスティスマンなのである。


 雫くんへ遅くなった謝罪と挨拶代わりにと、スチャッと格好良く片手を挙げる仕草を返せば、彼は嬉しそうに手を振ってくれた。

 何はともあれ、ジャスティスマンとは一体何ぞやとの疑問に答えると、正義の味方、いわゆるヒーローである。

 全く答えになっていない気がするので仔細を述べるとするならば、テレビの中の特撮ヒーローを真似た手作りのヒーロースーツを纏い、街に蔓延る悪を蹴散らすべく日夜戦う正義の味方、として設定を作ったというものだった。

 この設定やヒーロースーツのデザインは俺が発案者であり主導権を持ってはいるのだが、何も一から十まで俺が考えて作っているわけではない。

 俺が小学校入学前後の頃に発案し、それから長年温めてきたヒーロー像を基に、妹の真実や最近では雫くんからも協力を得て、中学生のときから実際に形作っている最中だった。 


 真実には、ヒーロースーツの製作を主にお願いしている。真実は手先が器用で絵を描くのが得意だし、手芸や裁縫が趣味なのだが、ヒーロースーツまでも作れるとは恐れ入った。

 いや、作ってくれないかと必死に頭を下げて、真実へとお願いしたのは俺自身だけれども。実際、製作には結構な時間を要したし、洋服と違って型紙が売られているわけがない。

 テレビで観た特撮ヒーローたちの格好を参考にし、数多くの特撮群の設定資料集を読み込み、ネットで使えそうな知識や情報を漁り、ああでもないこうでもないと兄妹揃って頭を悩ませ、それなりに長い期間を経て仕上がった汗と涙の結晶ともいえる品だ。

 そのため、ヒーロースーツの出来映えには大変満足している。真実は当初、趣味でもないヒーロースーツの製作に気が進まないようで、引き受けてくれた後になってから今更のように、不満たらたら文句ばっかり言っていたが、途中からは俺以上にのめり込んで作業してくれた記憶が蘇る。

 よくアイデアを出してくれたし、現在でも修繕を請け負ってくれており、もっとより良いものにするべく、改善や手直しをたまに申し出てくれるのもありがたかった。


 更に興が乗ったのか関連グッズを作ろうと、真実がジャスティスマンをデフォルメしたアクリルキーホルダーまで作ってくれたのには驚いたが。このアクキーを持っているのは現在、俺と真実と永遠、それから雫くんの四人である。この四人がジャスティスマンの正体を知っているのだった。

 いや、正確には雫くんは俺の素顔を見たことがないはずだ。彼と顔を合わせるときは決まって、ジャスティスマンのスーツを着用しているからだった。それに、雫くんは俺の本名も知らないだろう。名乗っているのはジャスティスマンの名前だけだし。


 ジャスティスマンの中身がしょうもないオタク男子だと知れば、ヒーローに憧れを抱く夢見がちな少年、雫くんも落胆するのは必至。そのため、俺は雫くんには素性を明かすつもりは更々なかった。

 いや、そもそも家族以外に知られるわけにはいかないだろう。両親は俺の特撮好きを知っており、ジャスティスマンの活動に関しては、兄妹揃って何かおかしなことをやっているなあと、半ば諦観してくれている。

 まあ、社会に反するような危険で馬鹿な真似はしないことと厳命されているので、本気で社会悪と戦っているわけではない。いわゆるヒーローごっこに甘んじているのは、両親からの制止もあるためだ。


 そういうわけで、ジャスティスマンとして俺が何をやっているのかというのは、建前としてならば、友人の雫くんを筆頭にして考えている設定をだいたい基にしている。

 そのため、創作を現実に全て還元できていない点は少々心苦しいが、フィクションに嘘はつきものだ。ノンフィクションは往々にして建前を含んでいる。

 雫くんには、設定の詳細を一緒になって考えてもらっている。雫くんも俺に負けず劣らずの特撮オタクであり、初めて出会って以降ちょくちょくこの河川敷に集まっては、俺たちの考えるジャスティスマンについて話をしている。


「ジャスティンマン、今日はどうして遅かったの? いつもはすぐに駆けつけてくれるのに……」


 悲しげに俯く雫くんを前にして、何時に行くと約束はしていないにしても、やはりやって来るのが遅すぎたかと反省する。

 ただし、遅れた理由はあるのだから、ちゃんと説明すれば雫くんも納得してくれるだろう。身振り手振りを交え、木に登って降りられなくなっていた猫を助けていたと語っていたら、徐々に雫くんの顔に喜色が広がっていった。


「ほぁー……やっぱりジャスティンマンはすごいや! ぼくの考えていた通り、いろんな人を救っているんだもん! 今日は猫だけどね」


 雫くんには雫くんの、ぼくの考えたジャスティンマン像が明確にあるらしい。

 それは端的に申すなら、弱きを助け強きを挫く、いわゆる正義の味方そのものである。困っている人には優しく手を差し伸べ、世にのさばる不届き者は厳しく律してみせる。

 その雫くんの理想を丸ごと採用すれば、俺は人助けと同時に、日々暴漢や犯罪者を成敗しなければならない。だが前述通り、危険なことはするんじゃないと両親から禁止を言い渡されている。

 そのため、実際にジャスティスマンとして俺が活動している内容は、地域清掃や街の見回り、困っている人を見かけたら率先して助けるぐらいだった。ヒーロー時と普段の行動が変わらない気もするが、何も人助けは悪いことではない。


 だが、ジャスティスマンの格好で声をかけると、十中八九相手にバリバリ警戒される。高校の制服を着た俺が「大丈夫ですか?」と尋ねる方が、よっぽど役立っている点には目を瞑ってほしかった。

 そういうわけで、悪役を華麗に成敗できないジャスティスマンは、中々理想通りには上手くいかない人助けを主に行っている。

 何もヒーロースーツを着用して、悦に入っているだけではないのだ。それでは、ただのコスプレ好きと何ら変わらないではないか。


「今日はね、ジャスティスマンの新しい必殺技を考えてきたんだ! 聞いてくれる?」


 雫くんは傍らに置いていたメッセンジャーバッグを引き寄せると、中からスケッチブックを嬉々として取り出した。表紙をめくり、該当のページを探し当てると、雫くんは俺に向かってスケッチブックを差し向ける。

 そこには、雫くん直筆のジャスティスマンらしき人物が描かれていた。絵は決して上手ではないものの、ヘタウマな絵柄で味がある。数色の色鉛筆を用いて綺麗に色分けをしており、荒々しいが躍動感の伝わる絵に、雫くんが一生懸命ジャスティスマンを描いてきたことがよく分かった。


「あのね、ジャスティスマンにはキック技がそう言えばなかったなあって思って、新しい必殺技はキックをメインにしているんだ。敵に向かって鋭いキックを放って、手はこう前で重ねて、敵を警戒しつつ身を守る感じかなあ」


 スケッチブックにうんと顔を寄せ、不明瞭な視界でどうにかこうにか絵を改めてじっくりと見てみた。 

 紙上のジャスティスマンは片足を上げ、腕をクロスしたポーズを取っている。なるほど、雫くんの説明通りだ。


「実際にやってみようよ、ジャスティスマン!」


 雫くんに急かされ、俺は腰を上げた。コンクリの壁を背に立ち、さきほど目にしたポーズを再現してみた。どうだろうかと傍らを見やれば、雫くんは腕を組んで思案顔だ。


「うーん……悪くはないんだけど」


 どうやら納得の行く出来ではないらしい。雫くんから言われるまま漠然と動いているだけで、きっと本腰据えてポージングをしていないせいだろう。今はまだ緊張感が足りず、もっと真剣さを帯びないといけないのかもしれない。

 ならばと、ぐっと腰を落とし、腕を伸ばし、指の先まで神経を研ぎ澄ませて停止する。目前に現れた仮想の敵を成敗するべく、助走をつけて相手の間合いまで踏み込んだ。

 そうして、足を思い切り蹴り上げ、敵を振り払うように上から下へと踵を叩き落とす。着地の際、わずかに軸がぶれてしまい、たたらを踏んでよろめきそうになったが、どうにかその場に踏み留まる。


「うんっ! いい感じだよ! ジャスティスマン。じゃあ、もう一回やってくれる?」


 雫くんは見た目に似合わず、意外と鬼教官である。完璧なポーズを目指し、必殺技の精度を上げるべく、俺は雫くんから「よし」の声がかかるまで、何度も何度もキックを繰り返すこととなった。

 一体何回、仮想敵に向かって足を宙へと叩き込んだのだろうか。

 これぞ、と渾身の蹴りを放ったところで、必殺技の習得を傍で見守っていた雫くんに視線を送れば、彼は腕を組んだまま厳かに頷いた。


「いいんじゃない? 様になってきたと思う。格好いいよ!」


 雫くんからの肯定の声を聞き、ほっと安堵の息を吐く。

 そのまま思わず、その場にへたり込みそうになり、寸前のところで気力を振り絞って背筋を伸ばして起立する。くたびれてしゃがみ込むヒーローなんて、地球上のどこを探しても恐らくいないだろう。

 えてして正義の味方という者は超人ばかりなので、誰しもが疲れ知らずなのだろうけれども。俺は普遍的一般人のため、身体を酷使すれば疲労は蓄積する。


 先ほど、思わぬ木登りをして予想外に体力を消耗してしまった件もある。だが、ジャスティスマンに憧れを抱く雫くんの前では、決してみっともない姿を見せるわけにはいかなかった。

 ただ、少しは休憩しても構わないだろう。雫くんだって、お前はヒーローなのだから突っ立っていろと命じるような鬼軍曹ではない。

 スケッチブックを開き、何やら必死に書きつけている雫くんに断りを入れ、俺はコンクリの壁に背を預けて、しばし休むこととした。


 地面に体育座りをして、しばらくぼーっと雫くんの姿を眺めていた。雫くんの背中は依然として丸まっているが、ひとりきりで俺を待っていたときとは異なり、弱々しさや自信のなさはどこにもない。脳内のアイデアを形にすべく、熱心に白紙へと鉛筆を走らせる様はイキイキとしており実に楽しげだ。


 しばしぼんやり弛緩していたら、弾んでいた呼吸もバクバクとうるさかった動悸も落ち着き、倦怠感が纏わりついていた身体もずいぶん楽になった。

 雫くんは未だにスケッチブックと顔を突き合わせて、アイデアの捻出に夢中のようだった。


 立ち上がり、組んだ手を上げ、うんと背伸びをする。それから膝の曲げ伸ばしをして、少し歩いてみることにした。

 河川敷は業者による清掃の手が入っているのか、掃除や手入れが行き届き、綺麗に整備がされている。

 しかし、俺と雫くんがいる場所は陰に隠れており、奥まっているせいか鬱蒼とした雑草が刈られることなくそのまま生い茂っていた。

 そのため、打ち捨てられた空き缶が、伸び放題の草の間に分かりづらく落ちている。俺は目についた缶を拾い上げ、他にもゴミが落ちていないか周囲を見渡した。

 そうしたら、ゴミは見つけられなかったが、草に埋もれるようにして転がっていたハンマー状の棒を発見する。


「……何だこれ?」


 テープがぐるぐると巻かれているグリップ部分を掴んで、目の高さまで持ち上げて掲げてみる。一見、ゴルフのパターにも見えるそれは、どことなく見覚えがあった。

 一体どこで目にしたのだろうかと頭を捻れば、つい先ほどタコ公園の広場で見かけた光景が脳裏に広がった。

 そうだ、ゲートボールに興じる老人たちがこのステッキを銘々手に持って、カツンカツンとボールを打っていたのだ。

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