第13話「デートを終えて」
無事にペアキーホルダーも買い終え、雑貨屋を後にした俺と佐藤さんは続いて駅へと向かい、ちょうどホームへやって着た電車へと乗り込んだところだった。
帰りの電車は空いており、車両をひとつひとつ確認せずとも、すんなりと空席を発見することができ、佐藤さんと並んで腰をかけた。
そう間を詰めなくても悠々と座れるほど車内はガラガラなのだが、佐藤さんとの距離は異様に近かった。
気付かれないようわずかに腰を浮かし、密着度合いを軽減すべくできる限り佐藤さんから離れようと四苦八苦していたところ、「新留くん」とすぐ隣から呼ばれて息が止まった。
俺の姑息な隠密行動がバレていたのか、と身を固くしていれば、佐藤さんはまるで数刻前の再現かのように手の甲を見せつけてきた。ヒラヒラと手を振って、存在感までアピールしてくる始末。
「ええっと……?」
「手、繋ごう?」
「なぜ、今?」
互いに着席しており、すぐ近くに居るのだから、手を繋がずとも離ればなれになる心配はどこにもない。
手繋ぎの必要性は全くないのでは、と不審がりつつ佐藤さんを見やるも、彼女は一向に手を下ろしやしない。にっこり微笑み、「手を繋げ」と無言で圧力をかけてくる。
俺はほとほと根負けし、佐藤さんの手に自分の手を絡めた。本日何度目かの恋人繋ぎだというのに未だに慣れず、途端に赤面してしまうのが甚だ悔しく情けなかった。
そんな中、電車は確実に走り、最寄りの駅へと進んでゆく。この馬鹿ップル状態で、クラスメイトや知り合いにもし鉢合わせでもしたら。全くもって弁解のしようがない。
そんなことを考えていたときだ。電車が駅へと停まり、ドアが開いて乗客が車内へと入ってきた。
ふと顔を上げ、何気なしにドアへと目をやり、俺は硬直した。俺と目が合った乗客もまた、目をまん丸に見開いて唖然としている。
「真実……」
「お兄ちゃん……」
友人らしき女の子とふたり、電車内に乗り込んだ真実は顔を俯けて、兄とかち合った視線を逸らそうとしたようだったが、落とした視線の先にはこれまた衝撃的な光景が広がっていたらしい。
瞬時に声を詰まらせる様を目撃し、俺は恐る恐る妹の目線の先を辿って己の犯した失態に驚愕した。
「佐藤さん、手離して! すぐ!」
「え、なんで?」
「なんでって緊急事態だから!」
「緊急……? あ、真実ちゃん」
ぐいぐいと手を引っ張り、絡んだ指を解こうと躍起になる俺などお構いなしに、真実を発見した佐藤さんは繋いでいない方の手を振って「こんにちはー。朝はゴメンね」とか何とか謝りつつ、挨拶なんぞをしている悠長さ。
真実はぎこちなく佐藤さんへと手を振り返えしつつ、友人を伴って俺たちの前へと歩み寄ってきた。
今日、友達と一緒に遊ぶと電話口で話していたが、真実の隣に立つ長身の女子がそうなのだろう。彼女は真実と同じくフリルとレースがふんだんに縫い付けられたロリータファッションに身を包んでいる。類は友を呼ぶと言うヤツか。
真実の友人にロリータファッションを愛する同好の士がいて良かったなあと安堵の息を吐き、現実逃避する兄とは裏腹に、妹はこの状況下に頭を悩ませ眉をひそめて困惑している真っ最中だった。
妹よ、お兄ちゃんもこれから何をどう説明すればいいのか困っている。佐藤さんは早く、繋いだ手を離してほしい切実に。
「お兄ちゃん。デート楽しめているようで何より」
「そりゃどうも……。隣の子は友達か?」
こくりと小さく頷き、真実は傍らに立つ女子に目をやった。友人の彼女は俺と佐藤さんの顔を交互に眺めた後、佐藤さんをまじまじと凝視して頭を捻っている。
見つめられる側の佐藤さんもまた、彼女を見上げて怪訝そうに首を傾げて、何かを思い出そうとしている様子。先に口を開いたのは、真実の友人の方だった。
「あの、佐藤さんですか? わたしのこと、覚えています?」
「うん、もちろん。五十嵐くんの妹さんだよね? 去年の文化祭以来かな?」
ふたりは知り合いらしかった。五十嵐、と何だか聞き覚えのある名字が耳に入り、俺は咄嗟に妹の友人を見上げた。
少々化粧を施しているらしき顔立ちはうんと整っており、クラスメイトのスーパー陽キャ五十嵐某くんとどことなく容貌、雰囲気が似通っていた。
俺の抱いた印象を裏付けるように、彼女は佐藤さんの問いかけに首肯する。
「兄のバンドを観に来たときだから、そうですね。お久しぶりです」
ぺこりと佐藤さんにお辞儀をした彼女は続いて俺へと視線を移した。俺が真実の兄だとは気付いている様子だが、ここはひとつ互いに自己紹介を交わす流れができているのだろう。
困ったことになってしまったと頭を掻きたいところではあったが、当惑して溜息を吐いていては年長者として駄目だろう。
「どうも、はじめまして。俺は真実の兄貴です」
「それで、私の彼氏なんだ」
わあ、佐藤さんこのヤロウ。言わなくてもいいことまで開示しやがって。俺は佐藤さんへ鋭い眼差しを向けそうになったが、寸前のところで必死に耐えてみせた。
以前、クラスメイトに対して俺たちが交際している旨をバラさないでと、佐藤さんへ箝口令は敷いていた。だが、それ以外の人間に言うなと口止めまではしていなかった。
しかし、真実の友人はどうやら五十嵐某くんの妹というじゃないか。妹経由で、佐藤さんと俺が付き合っていると五十嵐くんに漏れたらどうなる。五十嵐某くんが口が軽い奴とは限らない。
いいや、限らないが、彼はコミュニケーション能力に長けた、まさに友達百人居るタイプの勝ち組であろう。吹聴する気がなくとも、ついうっかり周囲の人間に口外する不安はなくもなかった。
俺はこれから、佐藤さんがバラす脅威に加え、五十嵐某くんが秘密を漏らしてしまう可能性にまで怯えて、学校生活を送らなければならないのか。何だこの詰みゲー。ゲームオーバーまっしぐらだろう。
俺が内心恐怖で震えていることなど知らない妹の友人は、改めて俺へと向き直り折り目正しいお辞儀をしてくれた。俺も慌てて頭を下げる。
「真実のお兄さんでしたか。わたしは五十嵐
嬉しそうに口元を緩める五十嵐さん、そして彼女の言葉を聞いて満更でもない様子で目尻を薄ら和らげている妹。
どうやらふたりは大仲良しの友人らしい。美しい友情を築いているようで結構だが、お兄ちゃんにはもっと他に懸念事項がある。
「あー……五十嵐さん。つかぬことを訊くんだが、お兄さんと仲良かったりする?」
「兄とですか?」
きょとんと目を瞬く五十嵐さん。佐藤さんも真実も俺の繰り出した質問の意図が分からないようで、五十嵐さんとほぼ同じような表情を浮かべている。
ここでぶっちゃけて「五十嵐家がうちみたいに、家族兄妹間で何でも言い合うような仲良しだと困る。なぜって、俺と佐藤さんが交際しているって、君お兄ちゃんに露呈させるでしょ? それ、やめてくんない?」と言えたら最高なのだが、俺にそんな度胸があるはずもない。
俺が説明を言いあぐねて返事を選んでいたら、気を利かせた風の真実が出しゃばるように口を挟んできた。
「分かった。お兄ちゃん、架純のお兄さんと仲良くなりたいんでしょう? だから、架純に仲を取り持ってくれるように頼みたいわけ?」
「はぁ!? 何で俺があんな陽キャの王と親交を深めなきゃいけねーんだよ」
「……王? 兄はクラスで君主制でも治めているんですか?」
素っ頓狂な発言を聞くに、五十嵐さんは彼女の兄貴と違って面白そうだったが、まず俺は自身の妹のトンチキな誤解を解かねばならない。
あのね、と前置きをしてから言葉を重ねようとしたときだ。また余計な邪魔が、今度は隣から入ってくる。
「そうなんだ。新留くん、五十嵐くんと友達になりたいんだね。私も協力するよ。何でも言って。何なら休み時間、会話に加われるように取り図るし」
ぐっと両拳を固めて身を乗り出す佐藤さん。どうしてそんなロクでもない発想を思いつくのか、皆目見当がつかなかった。
そもそも、俺と五十嵐某くんでは生きる世界が違うのだ。それを言ってしまえば、五十嵐くん側の佐藤さんとも俺は相容れない話になるのだが。
「それで、本当に兄との仲を取り持ってほしいんですか?」
「いや、違うよ。仲良くなりたければ自分で動くし、妹さんの手を煩わせるような真似はしないって。大丈夫」
仲良くなる気は更々ないけどな。むしろ、五十嵐某くん側が願い下げだろう。俺みたいなオタクと喋れば品位が下がると敬遠されそうだ。
「なるほど? 先ほどされた質問に答えると、わたしと兄はそこまで仲良しじゃないです。真実とお兄さんみたいな関係には憧れますけれど。おふたり、とても仲良いですよね。真実はよくお兄さんや妹さんのことを、わたしに話してくれますよ」
「なっ! そんな四六時中言ってない! べ、別にあたしもお兄ちゃんと仲良くないし! むしろ、険悪だし!」
「そ、そうなのか……?」
ガーン、とショックを受けつつ、驚愕の眼差しで真実を見やれば、「違う! 口が滑っただけ! 言葉の綾!」と一刀両断されてそっぽを向かれてしまった。
真実は頬をぷくーと膨らませて眉を吊り上げているので、間違いなく確実に臍を曲げられた。これはご機嫌斜めが長引く恐れが大いにあった。自宅に帰って真実と顔を合わせるのが非常に辛い。
話題は真実の立腹で流れてしまった感は否めないものの、確かに収穫はあった。
五十嵐さんは、兄貴とそれほど仲が良いわけではないらしい。この様子では今日の出来事を詳細に話す家庭ではなさそうでほっと安心した。
そうこうしているうちに、電車は俺と真実が降りる駅へと到着した。佐藤さんと五十嵐さんは、もう何駅か先が最寄り駅だそうだ。
そういえば、俺は佐藤さんがどこに住んでいるのか知らない。どうやら電車通学らしく、今朝待ち合わせする場所として、高校へ行く際に降りる駅を指定されたのだが、佐藤さん宅の最寄り駅は教えてもらっていなかった。
しかし、今日は初デートなのだし、ここはひとつ家まで送っていくよと言った方が良いのだろうか。いや、俺に自宅を特定されたら、佐藤さんは嫌がるだろう。
ホームに停まるべくゆるゆると電車がスピードを落とし始めたところで、俺は腰を上げて真実へと目配せをした。
真実はすでに五十嵐さんとまた学校でね、帰ったら電話すると別れの挨拶を済ませていた。俺も佐藤さんへ帰ったら電話するよと言えたらスマートだろうが、未だにこちらから電話をするのもメッセージを送るのも慣れないチキン野郎なのだ。
「お兄ちゃん、今日の夕飯カレーだって。お母さんから連絡来てた。誰か帰りに福神漬け買って来いだって」
「マジで? あ、本当だ」
真実に言われてスマホを確認すれば、家族グループに母親の発言が上がっていた。父は帰宅が遅くなるそうで、子供たち任せたと返信がある。そのままスマホの画面を眺めていると、真実からの返事が届く。
『お兄ちゃんが買って帰るって』
何を勝手にと隣を見れば、真実がスマホを鞄に戻している最中だった。兄貴をパシらせて自分は悠々と帰宅しようなんて許すまじ。
俺は反論するかのように『真実も一緒に買いに行くみたいでーす』と文字を打ち込むが、そういえばコイツすでにスマホを仕舞ってやがる。
「帰り、スーパーかコンビニ寄るぞ。逃げんなよ」
「逃げないし。じゃ、アイス買ってよ」
「図々しいな」
「スーパーのファミリーパックで我慢したげるから」
「何が我慢だ」
「いいでしょ、ケチ」
「こんにゃろ」
はっと気付いて、周りに目を向けるが時すでに遅し。佐藤さんはなぜか無性に寂しそうな笑みを浮かべて黙りこくっており、五十嵐さんは目を丸くして「やっぱり仲良しなんですね」と、得心が行ったように深く頷いている。しまった。自宅と同じ要領で、真実と軽口の応酬をするのではなかった。
気まずくて思わず横に視線をずらせば、真実がまるで虫けらを見るような目で俺を睨んでいた。更に追撃のごとく口パクで「バカ」と罵りやがったので、アイスと福神漬けの代金は割り勘にしようと今決定した。奢ってなどやるものか。
佐藤さんに弁解しようにも、何を言えばいいと逡巡していると、程なく電車のドアが開く。駅のホームに着いたのだ。真実に続いて、車外へ降り立つ。
デートの終わりがこんな締まらなくていいはずはないが、今更格好つけようにも決まりが悪いことこの上ない。
俺は苦笑いじみた下手くそな笑顔を浮かべ、佐藤さんへと声をかける。
「それじゃ、また、あの……学校で」
「うん。今日はありがと。とっても楽しかった」
「えっと、こちらこそ……」
まだ言い足りない気分だったが、次ぐ言葉を探しているうちにタイムアップ。無情にもドアは閉まり、電車はホームから離れ出す。
佐藤さんが俺を見つめたまま別れを惜しむように手を振るので、俺もそれには応じるべきだと手を必死に振り返す。
そして、電車が見えなくなったとき。隣から盛大な溜め息が聞こえた。
「ロマンチックの欠片もないね」
「仕方ないだろ……俺だもの」
「それはそうだけれど。別れ際には熱い抱擁でも交わせばよかったのに」
「兄がそんな真似をしているところを見たいのか」
「死んでも嫌だ。っていうか、お兄ちゃんが佐藤千晴さんと手、繋いでいるだけでも、ウエッてなったし」
「何それひどい」
その場面を思い返し、じわじわと羞恥心が蘇る。真実の言う通り、親類の前で恋人といちゃつくのはハードルが高すぎる。
普段の俺なら絶対にやらないし、佐藤さんは何をもってして電車内で手を繋ごうと思い至り、実行に移してなかなか手を解いてくれなかったのか。やっぱり理解に苦しむ。
「ま、あたしたちと鉢合わせしたのは災難だったね。さっさと車両移るべきだったかも。ごめんね」
「過ぎたことはもういいよ」
「そうは言っても記念すべき初デートだったんでしょう? 恋のABCまで進まないと」
「分かって言ってないだろう、それ」
ずいぶんと古くさい単語を引っ張り出してきたものだと呆れて肩を竦めれば、途端に真実は唇を尖らせる。馬鹿にされて癪に障ったらしい。
「分かるし。Aはキスでしょ? それでBは……」
うっと言葉に詰まり、真実は頬を紅潮させて顔を伏せる。赤面するぐらいなら、最初から発言しなければいいものを。
それに、初デートで恋のABCを全て達成できる猛者がいるなら見てみたい。いや、ごく軽いノリで現代の若者は済ませてしまうのだろうか。俺とは価値観がまるで違う、世に蔓延るパリピの方々ならさくっと経験してしまわれるかもしれない。
「と、とにかく! お兄ちゃんはムード作りを頑張ること。夕飯のカレーの話なんてすべきじゃなかった」
「話題を出したのは真実、お前だろうに……」
「あたしも悪い。でも、話に乗っかってくるお兄ちゃんもお兄ちゃん」
「理不尽だなあ」
嘆息しつつ俺は帰路に就くべく、まだぶーぶー文句を言っている真実を急かして駅から歩き出す。
帰る途中で、スーパーに寄るのも忘れないようにせねば。何せ今日の晩飯はカレーだ。福神漬けがないと妙に締まらないだろうから。
スーパーに向かう道すがら、俺は真実と何てことない話題でぽつぽつと会話を交わしながらも、頭の中では今日の出来事をひとつひとつ振り返っていた。
初デートは端的に言えば、失敗の部類に入るだろう。楽しくなかったかと言えば嘘になる。ただ、浮かれて喜び幸せに浸るときよりずっと、気が動転して己の至らなさに滅入った時間の方が長い。
対する佐藤さんは果たして今日を楽しめたのだろうか。口では楽しいとか何とか漏らしていたようだったが、俺に気を遣って言ってくれた場合だってあるのだ。
佐藤さんは優しいから、「退屈」だとか「最悪」だとか嫌悪の感情をそのままぶつけるわけがない。
生きてきて今まで彼女がいなかったので、どんな風に佐藤さんと接すればいいか分からない。それに昔から、己のどうしようもなく臆病な性格上、女友達はできなかったため、普通の女の子が何が好きなのか掴めない。
妹がいるアドバンテージはあるのだが、風変わりな真実は世間一般的な女子からは乖離しているし、永遠はまだ小学生だ。
純然たる女子高生であるところの佐藤さんの思考は複雑怪奇で、そう簡単には紐解けない。思わず空を仰いで息を吐く。
「……難しいな」
「何が?」
「えーと……恋愛?」
疑問符をつけて真実へと答えれば、妹はウンザリとした顔をして肩を竦めてみせた。見るからに、兄貴の恋愛話など付き合い切れんと辟易とした雰囲気を漂わせていた。
もし、俺が真実の立場に立ったと仮定してみた。そしたら、冴えない兄から恋の悩みを聞かさせるなんて、それ一体どんな苦行だよと堪らず顔を顰めたのだった。
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