第12話「緊張のランチタイム」

 羞恥にひたすら耐えながら歩いて数分。目的地であるカフェへと辿り着き、俺はやっと解放されると安堵の息を吐く。

 佐藤さんは名残惜しそうではあったが、出入り口の扉を押す直前に手を離してくれた。佐藤さんとの手繋ぎから解き放たれた開放感で、いくらか心の余裕ができていた俺だったが、カフェに一歩足を踏み入れた途端、またもや嫌な汗が噴き出して背中を伝っていた。


 ぼんやり淡いクリーム色の壁に、艶やかな赤い瓦の屋根、ふんだんに飾られた緑の植物たちといった外見からして薄々感じ取っていた恐れは、入店してから紛うことなき確信に変わった。

 店にはお洒落ポイントが満載、俺なんかが存在してはいけないような場違い感が一気に全身を襲う。

 天井が高く、窓からは陽射しが差し込み、明るく広々とした店内。テーブルや椅子、調度品は木のぬくもりに溢れ、置かれた小物にも色々凝っているのだろうことは無知な俺にでもヒシヒシと伝わってきた。


 客層もトレンドに敏感そうなお洒落女子二人組や爽やかなカップルで占められており、間違ってもキモオタ的外見の男はどこを見渡してもひとりとして発見できなかった。

 入る店、間違えたのではと佐藤さんに思わず尋ねそうになったが、俺は寸前のところで問いの言葉を呑み込んだ。

 傍らに立つ佐藤さんは店の雰囲気にごく自然と溶け込んでおり、全く違和感がなかったからだ。となれば、問題があるのは俺だけだった。


「新留くん? 入り口で突っ立っていないで、中に入ろうよ?」


 佐藤さんに促され、店員さんからも気さくな調子で「いらっしゃいませ!」と溌剌に声をかけられたら、もう小心者は黙って縮こまりながら入店する他なかった。


 席へと通され、現在俺はメニューブックを開いていた。

 対面に座る佐藤さんはふんふんと鼻歌交じりにページをめくり、思案顔で小首を傾げて実に楽しげに昼飯を選んでいる。

 反して俺は、どれを選択すれば間違いがないのかを思考するだけで精一杯だった。ここは無難に、オススメとの記載がある「今日のランチ」を頼めばおかしくはないはずと、仔細を読み込み思わず言葉を失う。


 季節野菜のスープ、穫れたて野菜のサラダとミニキッシュのプレート、焼きたてのパンが二切れ、そして食後のデザートと飲み物がメニューの内訳だった。

 こちとら、食べ盛りの男子高校生である。この内容の昼飯で、空腹が満足するはずもなかった。身支度へ予想以上に時間を割かれたせいで、あいにく朝食はあまり口にできておらず、可能であれば昼食はがっつり食べたかったのが本音だ。

 まあ、デート中の飯をがっつくなんて礼儀がなっていない気がするが、デートの暗黙の了解ごとなんて俺にはさっぱり分からない。


「新留くん、決まった?」

「ええっと……その」


 佐藤さんの声を聞き、メニューブックから慌てて顔を上げる。

 しかし、出てくる言葉はしどろもどろで、要領を得なかった。我ながら無様な反応だなあと、まるで他人事のように思う。


「こんなに一杯あったら迷うよね?」

「そう、だね……」


 あはは、と乾いた笑いを返し、これ以上の先延ばしはできないぞと焦りを募らせる。

 俺の懊悩を察したのかはさておいて、佐藤さんはメニューブックを閉じて「私は今日のランチにしようかな」と呟いた。佐藤さんに倣い、彼女と同じものを注文すれば大丈夫だろう。


 しかし、佐藤さんは以前共に昼飯を食べたときに知ったが、やけに小食なのだった。俺の逡巡は如実に表情へと表れていたのだろう。佐藤さんが不思議そうに俺を眺めていたかと思えば、途端にさあっと顔を青ざめさせた。


「……もしかして新留くん、カフェのご飯とか嫌いなひと?」

「いや、そうじゃないよ」


 そもそも、嫌いになるもならないもカフェ飯なんぞ、生きてきてこの方ろくに食べたこともない。お洒落なカフェでランチ、なんて俺の人生において、全く通らなかった道なのだから。

 私のせいだとばかりに眉を下げ、今にも謝罪の言葉を発しそうな佐藤さんが気の毒なので、俺は恥ずかしさは二の次にして、なぜこんなにも迷っているのかを馬鹿正直に答えることとした。


「どれもお上品にまとまっているからさ。メニューに載っている写真を見ると、ちょっと俺にはボリュームが少ない気がして」

「……あ、なるほど。たしかに男の子には、量が少ないかもね」


 ははあと納得したように手を打ち、佐藤さんは改めてメニューを開いて熟読しだした。

 そうして程なく、俺へと開いたままのメニューブックを差し向けて提示してくれた。


「この辺りはどう? ボリュームたっぷりだって。あ、ご飯の量も調節できるみたい」


 佐藤さんが指で差した箇所を見やれば、オムライスが写真付きで載っていた。「ふんわりとろとろ卵とチキンライスが自慢です」と謳い文句が添えられており、トマトソースかデミグラスソースかを選べるらしい。

 そして、料金の増減はあるものの、量も加減ができると書いてあった。普通と小盛り、大盛りの値段が掲載されている。これなら、少量で満足できなかったと嘆く心配はしないで済みそうだ。


「これにしようかな。ありがとう、佐藤さん」

「いえいえ、どういたしまして。じゃあ、店員さん呼ぶね」


 無事に注文を終えると、ホッとして肩の荷が下りたように力が抜けた。

 やや硬質な椅子の背もたれに寄りかかり、ぐるりと周囲を見渡してみる。騒々しくはないものの、四方から和やかなお喋りの声が上がっていた。

 料理をシェアしながら和気藹々と感想を言い合う者、皿に盛られた料理を前にスマホをかざして熱心に写真を撮り合う者、これから向かうのであろう場所へのマップをスマホ画面に表示させて確認し合う者など、テーブルごとに様々な会話の花が咲いている。


 他所の席をじろじろ見ているのは、何も手持ちぶさだけが理由ではない。いや、本音を言えば、料理が運ばれてくるまで佐藤さんと何を話せばいいのか、さっぱり見当がつかなくて非常に困っている最中だった。

 映画館では映画に集中していれば良かったし、シアター内での私語は厳禁なのだから、沈黙こそが正解だった。

 しかし、今は存分にお喋り可能なカフェである。そこここで繰り広げられる会話を真似て、俺もウイットに富んでキャッチーでエモーショナルなトークを披露すべきなのだが、いかんせん話術も話題も持ち合わせがなかった。

 事前にネットで調べた知識はすでに忘却の彼方だ。せっかく調べたのに、意味がないことこの上ない。


「ねえ、新留くん」


 落ちる沈黙に耐えかねたか、あるいは痺れを切らしたのか、佐藤さんが不意に俺の名を呼んだ。

 窓の外に広がる青空を仰ぎ見ていた俺は慌てて、正面に座る佐藤さんへと視線を戻した。

 佐藤さんは組んだ両手の甲に顎を乗せ、わずかに首を傾げて俺を見上げている。口元にはうっすらと笑みが浮かび、円らな瞳はひしと俺を捉えて目線は全く外れない。

 じっと凝視され、俺の居たたまれなさは頂点へと達しそうだったが、ここで目を逸らすのはさすがに不躾すぎるので、精神力を掻き集め、佐藤さんへと向き直る。


「今日、楽しい?」

「ええっと……楽しいよ」

「ほんと?」


 ぱちぱちと目を瞬き、佐藤さんは悠然と微笑んだ。その目がまるで何もかもお見通しな錯覚を覚えた俺は、素直に本音を吐露せざるをえなかった。


「……実際のところ、かなり無理をしているかもしれない。女子とデートなんて初めての経験だから、緊張しっぱなしだし。その、ごめん」

「どうして謝るの?」

「何て言うか、佐藤さんを楽しめさせられなくて。今も退屈なんじゃない?」


 今と言わず、学校での会話だってそうではないのか。会話の主導権は常に佐藤さん側にあり、発言するのも話題を出すのも佐藤さんばかりの覚えがあった。

 こんなつまらない俺と、なぜ彼女は話をしようと試みるのか。ずっと前から疑問だった。

 好きだからと告白された今となっては、好む相手と話すことに理由は要らないのだろうと無理くり己を納得させてはいるのだが、やはり時折疑問は頭をもたげてくる。


「新留くんと一緒に居るとき、私は一度たりとも退屈だなんて感じたことないよ? 今だってそう」

「……本当に?」


 今度は俺が真偽を問い質す番だった。こくりと頷いた佐藤さんは、一層笑みを深めた顔つきで俺を見つめる。

 そのまま答えを教えてくれるのかと思ったら、佐藤さんはどうしてか一言も発さず、俺へと視線を注いでニコニコ笑むばかり。

 あまりに長いこと見つめてくるものだから、対峙する俺は一体どう反応していいのか分からない。視線を外そうにも、笑顔の圧が怖くて目は佐藤さんを捉える他ない。俺は今、何とも情けない表情で焦っているのだろう。


「佐藤さん、あの……?」

「無理に会話しようと力まなくても大丈夫だよ。だって、私はこうやって新留くんの顔を見ているだけでも幸せなんだから」


 いや、佐藤さんが平気でも、見つめられる側の俺が苦悩しているわけで、しかし「困っています!」と馬鹿正直に申告するのは躊躇われた。

 沈黙の支配する空間を打破するかのように、注文していた料理が運ばれてきたとき、俺は給仕してくれる店員さんを天使かと見紛い崇めそうになった。


 それからの時間、盛り上がりには欠けつつも美味しい料理に救われて、何とか昼飯の場をやり過ごせた。さすがお洒落カフェ、盛り付けが洗練されており、佐藤さんは嬉しそうに声を上げて、ランチプレートをスマホで撮っていた。


 昼ご飯を食べ終えて店を出ると、これから何をするのか気になった。映画を観て、昼飯を食べた。デートプランを練ってきたのは佐藤さんだから、彼女にしか分からない。俺は何も聞かされていないのだ。


「次の予定は決まっているのかな?」

「うん、向こうに良い感じのお店があるの。ちょっと見に行かない?」


 佐藤さんの提案に頷き、少し歩いて雑貨屋へと赴く。訪れた店はこれまたお洒落で可愛らしく、いわゆるインスタ映えしそうな外観だった。

 店内も同様で「かわいい」がこれでもかと詰め込まれた空間が広がっていた。その中で商品を物色して、華やいだ声を上げているのは女性客ばかり。

 付き添いの彼氏であろう男性も少数いたが、彼らは場に溶け込む格好をしており、自然と店に馴染んでいるようだった。とすれば、場違い極まりない人間は俺だけということか。


 俺の行きつけの店には、このように甘く爽やかな香りは漂っておらず、窓から木漏れ日が差し込むような自然で麗しい空間とは乖離していた。

 掃除が行き届いていないのか妙に埃っぽくて、蛍光灯の白々しい人工的な明かりが煌々と点る陰鬱な場所が大半だ。ゲームショップにレンタルビデオ店やゲーセンに入り浸るような人間が、存在していい場所ではなかった。


 もし許されるなら、佐藤さんだけ見ておいでよ、俺は外で待っているからと、妹たちと出かける際に使う常套句を駆使し、斯様な素敵空間からとっとと逃亡を図りたい。しかし、隣で目を輝かせて店内を見渡す佐藤さんの顔を盗み見れば、逃げられないのは自明の理だった。

 何かを買うのか、もしくはちょっと見るだけなのか。目的がないと気詰まりが悪化しそうだったので、俺は恐る恐る佐藤さんへと問いかけた。


「ほしいもの、ありそう?」

「うん! 実はね、初デートを記念して何か買いたいなって思っていたの」


 出た、記念日信仰。付き合って一ヶ月記念日、半年記念日など、どうして世のカップルたちは日付にこだわるのだろう。

 佐藤さんも例に漏れず、とにかく記念を大切にするようだった。もしや、一ヶ月後には記念品を贈呈し合うイベントでも待っているのだろうか。

 交際を始めた月日を思いだそうとして、記憶を遡ってみたがうまく記憶が繋がらなかった。あとで調べておかなければ、後々面倒なことになりそうな気がして怖かった。


 人知れず身震いしていると、佐藤さんの意識はすでに記念品選びに移っていた。

 まず、彼女が手に取ったのは小振りのマグカップ。ペア品のようで、佐藤さんが手に持つピンク色と棚に置かれたままの水色のカップを合わせれば、線が繋がってひとつのイラストが完成するデザインだった。

 ふたりで日常的に使うのを想定しているのは明白で、購入者は同居している夫婦や同棲中のカップルが主だろう。何せ、カップを横に並べてくっつけなければイラストは完成しないのだ。


 続いて佐藤さんが目を向けたのは、アクセサリーの置かれた一角。ペアものも豊富に陳列されており、ペアリングやペアネックレス、ペアペンダントと佐藤さんが手にして吟味するのは総じて一対の商品ばかりだった。

 おそろいか、と俺は佐藤さんには見えないように細心の注意を払いつつ、それでも思わず嘆息してしまう。

 普段はペアルックなんて阿呆らしいと悪態を吐いている側の人間なのに、このままでは佐藤さんに押し切られて、お揃いを身に着ける羽目になる。

 しかし、ここで異を唱えてみろ。佐藤さんは確実に落胆するはずで、彼女を大いに悲しませてしまうだろう。


 朝から今までを振り返り、何度佐藤さんに嫌な思いを抱かせたのか指折り数えてみた。ろくでもない失態の数々を思い返し、俺は自分で自分に大ダメージを食らわせ、穴があったら入りたい心境に陥っていた。

 今度こそ、佐藤さんに不快な思いを抱かせてはならない。となれば、彼女が提案する記念品はどんなものが来ても、大らかな気持ちを持ってして購入に賛成を示さなければ。


「新留くん、これはどうかな?」


 そうして、佐藤さんが目の高さに掲げてみせたのは、果たしてペアものだった。

 レザー調の星を模したキーホルダーで、大きさも形も同じだが色味がやや異なっていた。片方が濃い赤色で、もう片方が紺色。

 革製品らしいが変にテカってもおらず、マットな質感で安っぽさは感じられない。佐藤さんは紺色の方を俺へと手渡し、照れたようにはにかんだ笑みを浮かべた。


「新留くん、真実ちゃんとお揃いのキーホルダーバッグに下げていたでしょう? それが羨ましくて」


 佐藤さんが指しているのは、真実手製のアクキーのことだろう。現在も俺のバッグで呑気にゆらゆら揺れている。

 羨ましいなら真実に言えば、ひとつぐらい残っているはずだからすぐに渡せるのに、と考えたところで俺はすぐに思い違いに勘付く。

 別に佐藤さんはアクキーを欲しがったのではない。お揃いのキーホルダーをバッグに下げている状態を羨んだのだ。 

 佐藤さんは赤い方の星を指で撫でながら、やや俯き加減のまま呟くように小さく声を出す。


「それでね、新留くんさえよければ……あのね、通学鞄に着けてほしいなって」

「それは……」

「分かってる! 新留くんが私との交際を隠したがっているのは、ちゃんと心得ているから。でも、色も違うし、その、バレないと思うから……ダメかな?」


 恐る恐る顔を上げ、上目遣いで俺を仰ぐ佐藤さん。やめてくれ、潤んだ目で俺を見上げないでくれ。正常な判断ができなくなるじゃないか。

 俺は佐藤さんから注がれる視線に耐え切れず、思わず手元に目線を落とす。握っている星形のキーホルダーはものを言わないが、訴えかけてくるかのようだった。我を買え、と。


 ここで佐藤さんの提案を受け入れなければ、どういった結末になるのかは容易に想像が付く。佐藤さんはみるからに意気消沈するだろうし、初デートは間違いなく大失敗の烙印が捺されるに違いない。

 俺は佐藤さんの手の平から赤い星のキーホルダーを摘まみ上げ、そのままレジへと足を向けた。


「記念だから……その、俺に買わせてほしい」

「ええっ! そんな悪いよ。ワガママ言ったのは私だから、私に買わせて」


 そう言うが早いか佐藤さんはにゅっと腕を伸ばし、俺の手元からキーホルダーを奪おうと躍起になる。

 対する俺はと言えば、奪い取られないように身を翻して佐藤さんと距離を取る。幸いにもレジには客が並んでおらず、精算はすぐに済ませられそうだった。


「今日はほら、俺色々失敗しちゃったから……その分、取り返させてよ」


 キーホルダーのひとつやふたつ買ってあげたところで、俺の重ねた失態たちが全て帳消しになるとは到底思わないが、ほんの少しは胸のわだかまりも解けそうな気がした。

 佐藤さんは眉を下げているが、キーホルダー奪還の動きは止めてくれたみたいだった。


「……別に新留くんは失敗なんてしていないよ? 私、今日すっごく楽しかったもの」

「それはなにより、です。でも、俺が納得していないからさ。じゃ、ちょっと買ってくるから待っていて」


 そう言い残し、不満の色を隠そうともしなくなった佐藤さんを一瞥して、俺はレジへと足早に歩み寄った。

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