第11話「映画の後」


 スクリーンのあるフロアから映画館のロビーへ戻れば、チケット窓口や売店はお客さんで大いに賑わっていた。グッズ売り場で、パンフレットや関連商品を買い求める客の姿も多数見受けられる。

 俺も佐藤さんも先ほど観賞した映画のグッズには興味もなく、これにて映画館からは出て行こうと人混みを避けつつ、玄関へと歩き出そうとした矢先。


 俺の目にひとりの少年が留まった。見覚えのあるキャップ帽を被った見知らぬ少年は、握り締めすぎてぐしゃぐしゃになった紙を手に持ち、うろうろと覚束ない足取りで数歩歩いては、また逆戻りを繰り返していた。

 焦点はチケット窓口に定められているものの、踏ん切りがつかないようにその場で足踏みを続けている様子が気になって、俺は咄嗟に少年の元へ駆け寄ろうとし、寸前で隣に立つ人の存在に気付いて衝動的な行動は一旦停止した。


「あの……佐藤さん」

「ん? どうしたの、新留くん。お手洗い?」


 佐藤さんの問いかけに首を振り、俺はどう答えようか逡巡した。

 真実の事前アドバイスによれば、デート中は相手のことだけを考えろとのことらしい。恋人を蔑ろにするなど言語道断だとも言っていた。

 沈黙は敵、退屈させないように会話にも気を配り、相手の気持ちを斟酌して立ち振る舞い、細心の注意を払えと真実は口うるさく教えてくれたが、俺にそうも高度なテクニックを要求するのは酷な話だ。

 できないものはできないと割り切り、俺は「ちょっと様子が気になる子がいて」と帽子の少年を示した。

 佐藤さんは俺の視線の先を見やり、少年の姿を発見したらしい。挙動が少しおかしい様を見て、「迷子かな」と心配げにひと言呟く。


「それはどうだろう。ちょっと話を聞いてくる」

「あ、新留くん……」


 呼び止める声が背後から聞こえたが、俺は軽く会釈をして詫びを入れると、佐藤さんには申し訳ない気持ちを抱きつつも、少年の元へと駆け寄った。


「おおい、ちょっといいか?」

「えっ……?」


 突然、目の前に現れた俺を見上げ、少年はにわかに顔色を曇らせた。

 このままでは確実に、不審者と怪しまれると危惧した俺は、腰を落として膝に手をつき、少年の前にしゃがみ込んだ。

 少年と視線が同じになったので、これで幾分話もしやすくなったはずだ。そのまますぐに彼の握る紙片を指で差す。


「それ、漫画雑誌の切り抜きか? 入場者プレゼントのカード、格好いいよな」

「……分かるの?」


 もちろんと頷く。少年の持つ紙にプリントされている広告には、カードが複数載っていた。そのカードとは、トレーディングカードの一種であり、ゲーセンに置いてある筐体で遊べるものだった。

 そして、映画館でのチケット確認時、館内スタッフからもらう入場者プレゼントでもある。特撮映画の公開初日、俺は一枚受け取り、小野田たちと一緒に二度目を観に行ったときにももらっている。

 奴らはカードには興味がないと言ったので、持て余すぐらいなら俺にくれと譲り受けてもいた。もっとも、もらったところでカードを観賞するぐらいしか、楽しみはないのだが。

 本来の遊び方であるアーケードゲームにまで手を広げると、収拾がつかないし小遣いを散財するばかりになる危険性もあるため、トレーディングカードのコレクションまではできていない。

 少年は話が分かってくれる同志として俺を捉えてくれたようで、顔の強張りも緩み、いくらか警戒心も薄れたみたいで安堵する。雑誌の切り抜きから視線を外し、少年へと顔を向ける。


「もしかして、カードもらえなかった?」

「うん。あのね、今日、映画を観に来たんだけどもらえなくて。映画館の人がまちがって忘れちゃったのかなと思ったんだけど」


 だから、しきりにチケット窓口を見ていたのか。しかし、自ら大人のスタッフに声をかけるのには怖じ気づき、中々踏ん切りがつかなくてきょろきょろ彷徨いていたようだった。

 年端もいかない子供がひとりで話をしに赴くのも酷だろう。ここはひとつ、俺が少年の隣で補助する形で窓口の係の人に相談に行くのが無難かと考えたところで、ふと思い当たる。

 入場者プレゼントは基本、その映画を観賞する者全員へプレゼントする。しかし、配る数にも限りはあって、確か何十万枚だか限定だったような。映画の封切りから結構日数は経っており、配布が終了している可能性の方が高いと予測する。


「ちょっとお兄ちゃんと一緒にさ、映画館のひとに話、聞きに行くか」


 まずは何より、憶測でものを語るより前にだ。係員に問えばすぐに答えは判明するのだから、迷っていることは何もない。

 ひとりで聞くのは恐れからか、渋っていた少年も俺も着いていくからと申し出たことで、気持ちが軽くなったらしい。こくりと小さく頷き、俺を伴って窓口へと足を向けてくれた。


 そして、窓口で少年と共に話を聞いたところによれば、俺の予想通り、カードの配布はこの映画館では終了していた。他の映画館ではまだ配っているところもあるかもしれないとスタッフの人が言ってはくれたが望み薄だろうし、カードを手にするためだけに他の映画館に足を運ぶのも少年にとっては難しいかもしれない。

 今日は母親と一緒に映画を観に来たと教えてくれて、お母さんは少年とはまた別の映画を観賞しているとのこと。依然として姿は見えないので、母親が観ている映画はまだ上映中なのだろう。


 欲しいものがあるならば、絶対に目当てを確保するためにも迅速に動くことは鉄則だ。確実に入場者プレゼントを手に入れたいなら、公開初日、もしくはそれに近しい早い段階で映画館に来るべきだった。

 しかし、少年はまだ小学生。ひとりで遠出をできるような歳でもない。ゴールデンウィークで家族の休みに連れて行ってもらうことでしか、映画を見に行けなかったのだろう。遅く来たのが悪いと少年を責めることはできない。

 今日、この場で初めて会った小学生だ。残念だったねと気休めの言葉をかけ、別れても少し後味が悪いぐらいで俺には何の支障もない。


 だが、さぞや読み込んでいたのか、皺だらけになってくしゃくしゃになった切り抜きを目にすれば、カードを楽しみにしていたことが強く伝わってきた。

 カードの配布が終わっているとスタッフから聞き終え、少年は現在、肩を落としてえらく消沈している。俯いた横顔には悲しみの陰がかかっており、眉も唇も下がりきっていた。気の毒に思えて仕方がない。 


 少年のために俺ができることはないだろうかと頭を捻って、ボディバッグから財布を取り出した。新しく購入した鞄とは異なり、昔、親友からクリスマスプレゼントで贈ってもらった財布は長いこと使っているせいか、ずいぶんと色あせて薄汚れている。

 ポイントカードを雑にねじ込んでいるポケットをひとつひとつ検めていき、俺は適当に突っ込んでいたポイントカード群の中から目当ての品を探し当て、まだ財布の中に居てくれてよかったと胸を撫で下ろした。

 俺が立派なコレクターであったなら、カードをきちんとスリーブやケースに仕舞い、財布に突っ込んで放置なんて真似は絶対にしなかっただろうが、今回ばかりはずぼらな性格が助かった。

 俺は四枚のトレーディングカードを取り出し、少年へと広げて見せた。


「一枚、好きなやつを選んでいいぞ」

「いいの?」

「ああ、お兄ちゃんは四枚も持っているからな。ほら、どれにする?」


 少年は四枚をじっくりと吟味した上で、一番右のカードを抜き取った。本編で主役を張っているライダーの写真が載っている。


「これ、もらっていい?」

「もちろん」

「ありがとう、お兄ちゃん。大事にするね!」


 ぺこりと殊勝に少年が頭を下げて、感謝の言葉を口にする。

 丁度そのあと、少年はぱっと顔を上げて視線を奥へと投じた。少年の目の先には、ひとりの女性が立っている。少年の名前を呼びながら近寄ってきているので、母親だろう。


「お母さん、映画観終わったみたいだな」

「うん。ばいばい、お兄ちゃん。カード、本当にありがとうね」


 少年は手を振って、こちらを振り返っては何度もお礼を言いながら、母親の元へと駆けていった。

 このゴールデンウィークが少年にとって、俺の些細な申し出により、少しでも良い休みになったのならいいのだが。


「……新留くん」

「あ、佐藤さん」


 はっと背後を見やれば、佐藤さんが至近距離に立っていた。

 密着具合にたじろいで、わずかに横へとずれつつ、今の今まで佐藤さんの存在をすっかり忘れていた失態に、ようやく気がつき青くなる。

 ろくな理由も示されずに放っておかれていたのだから、さぞや立腹しているに違いないと、恐る恐る佐藤さんの顔を窺えば、なぜかニコニコ満面の笑みを浮かべていた。


「ご、ごめんね、何か」

「ううん。私は平気」


 気遣いで言ってくれたのだろうと思ったが、それにしては佐藤さんはやけに浮かれていた。上機嫌で、今にも口笛を吹いて歌い出しでもしそうな雰囲気が漂っている。俺が少年と話している間、何か楽しいものにでも遭遇したのだろうか。


「ふふ、良いもの見ちゃった」

「良いもの? 何かあったの?」

「うん。私はずっと、新留くんを見ていたから」


 佐藤さんの物言いは、たまに理解が追いつかないときがある。俺を観察していて、一体どこに佐藤さんがご機嫌になれる要素があったのだろうか。

 ただ、小学生男子と会話をして、カードを贈っただけなのに。しかし何にせよ、臍を曲げられるよりずっと良い。


「映画観終わった後の予定は何かあるの、佐藤さん」

「もちろん。そろそろお昼時だから、ランチを食べに行こう」


 目当ての店があるらしく、佐藤さんに言われるがまま映画館を後にした。

 薄暗い館内から外に踏み出すと、初夏の陽射しの明るさにチカチカと眩んで、一瞬目の奥が痛くなった。

 空を見上げれば、雲ひとつない快晴だ。少し歩いただけでうっすら汗ばむ陽気なのに、なぜか佐藤さんは俺の隣にぴったりと並び、どういうわけかごく自然な動作で手を差し伸べてきた。


「ええっと……?」

「お昼ご飯を食べるカフェまでは少し歩くの。だからね?」


 何が、だからなのだろうか。俺は気後れしつつも佐藤さんの圧に屈し、恐々と彼女の手と自身の手を重ね合わせた。

 すぐに指と指が絡み、途端に恋人繋ぎの完成と相成った。本日二度目であるが、やはり無性に恥ずかしい。

 こんなところを知り合いに目撃されでもしていたら、軽く死ねる自信があった。

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