第9話「誤解を解いて」

 そして、迎えたるは初デート当日。待ち合わせ場所は、駅前のよく分からないモニュメントの前。

 待ち合わせ時刻に決して遅刻しないよう、早め早めに自宅を出てきたおかげか、駅に到着して変なポーズで固まっている石像の前に行けども、まだ佐藤さんの姿はどこにもなかった。

 女の子に迎えられるのは絶対ダメだと、朝食を摂りながら真実より口を酸っぱくして何度も忠告されたので、用心に用心を重ねて三十分以上も前に家を出発して本当に良かった。


 真実やついでに永遠からも監視され、洗面所にて四苦八苦しながら整えた髪が乱れてやしないかと、頭部に手を伸ばして指で毛先をついと摘まんでみた。美容師の馬場さんからご教授の賜物か、幸いにも髪型は崩れていないようで安堵する。

 安心の息を吐いていれば、あくびが迫り上がってきて飲み込むのに難儀した。

 結局、初デート当日を迎える恐怖か緊張からか、昨夜は一睡もできなかった。早めに床に就いたのに、まんじりともせずこの体たらく。

 デート中にあくび連発なんて言語道断だろうから、眠気を感じても必死で堪え忍ぶことになる。


 モニュメント周辺には、俺同様に人待ち風の若者が複数名立っていた。これから彼らも友人もしくは恋人と遊びに赴くのだろうか。

 それとなく、人々の格好を観察しながら己もまた顧みる。服装は真実が吟味を重ねて見繕ってくれた真新しいものばかりで構成されており、服に着られていやしないかいささか心配だ。

 灰色がかった青のボーダーが幾重も走るシャツの上には、ネイビーのテーラードジャケットをさらりと羽織り、黒に見紛う深い紺色のテーパードパンツを穿いて、足下はスタンダードなデザインのスニーカーを合わせた。

 肩から掛けたボディバッグは落ち着いた色合いが大人っぽく、お守り代わりにファスナー部にぶら下がる手作りのアクキーが浮いていないか非常に不安ではあったが、身に纏う新品だらけの中で唯一長いこと愛用しているアクリルキーホルダーの存在は大変心強かった。


 このアクキー、真実が以前にグッズを製作するのだと一念発起して完成した代物で、いちからデザインを起こして、ひとりで作り上げた力作でもある。

 そのため、既存品と比べればやや粗も目立つが、俺はとても気に入っている。真実も製作者ゆえの愛着か、出かける鞄に括り付けている場面を度々見かけた。

 先日、一緒に駅ビルへと買い物に出かけた際も、可愛い小振りのバッグの前面でゆらゆらと動きに合わせて揺れていた。

 ロリータ趣味の甘やかなバッグには不釣り合い極まりなかった。俺もまた、使い古して真実から呆れ返られたリュックに付けていたので、偶然にも兄妹揃って同じキーホルダーを鞄に揺らしていたわけだ。


 逸る心臓を落ち着かせるべくキーホルダーの表面をつるりと撫で、俺は深呼吸を何遍も繰り返す。いまさらどう足掻いても、俺にはもうできることはなかった。

 デート中に話題が尽きないよう、ネットの海を無駄に彷徨って、耳寄り情報を必死こいて集めた。

 今、JKに流行っているファッションやスイーツも付け焼き刃じみているが、英単語を覚える以上の努力を惜しまず、懸命に頭に叩き込んだのだ。

 ただし、すでに記憶はおぼろげなので、最早どうしようもない。歴代ライダーの名前は特別編や劇場限定も含め登場する全員、一字一句違わず完璧に覚えているのに、興味がない事象になれば途端に脳味噌がポンコツ化するのは勘弁してほしい。


 ポケットからスマホを取り出し確認すると、佐藤さんからの着信が一件あった。届いていたメッセージに目を通せば、つい先ほどの時刻が表示されている。

 内容はもうじき俺の待つ駅に、佐藤さんが現在乗っている電車が到着する旨を知らせてくれていて、遅刻でもないのに律儀な人だと感心した。


 そうして、スマホから顔を上げればタイミング良く、改札口を出て駅構内から出てきたであろう佐藤さんの姿を発見する。彼女は少しばかり足早に、待ち合わせ場所のモニュメントを目指して歩み寄る。

 程なく、彼女の円らな双眸が俺を捉えた。目が合った瞬間、彼女はぱあっと顔を綻ばせ、しかしどうしてか瞬時に表情を曇らせる。やっぱり俺の格好、しくじったのか。

 追従するかのように俺も顔を青白くして、佐藤さんをヒヤヒヤと出迎えた。


「ごめんね、待った?」

「い、いや……今来たところだから」

「そっか……」

「うん……」


 初っ端から会話の尻すぼみ感がとんでもなく、俺は一気に冷や汗を掻く。俺の何が佐藤さんの逆鱗に触れたのか。誰でもいいから教えてくれ。

 佐藤さんはぎこちない微笑みを浮かべ、手に握る鞄の持ち手を所在なさげに弄っている。佐藤さんの内心に渦巻く感情の機微を読み取るべく、不躾ながらもじいっと彼女を凝視していればハッと合点がいく。


「き、今日は、ほ、本当にかわ、可愛らしい……可愛いね?」


 真実から受けたアドバイスのひとつ、まずは彼女の格好を褒めろ。デートだからと張り切って、服を選んで来るのは何も男ばかりではない。

 むしろ、女性側がうんと可愛く着飾るのが定石らしいのだった。だからこそ、彼氏であるならば過剰が適量なぐらい褒めちぎって、声高に賞賛しろ、と。


 佐藤さんの私服なんて、初めて見るので新鮮だった。そもそも学校でしか顔を合わせないから、制服姿しか知らないのは当然だ。

 その佐藤さんの私服であるが、柔らかい色味を帯びた桃色のワンピースの上に短い丈の……確かボレロとか云った上着を羽織っていた。

 膝丈のワンピースは裾に向かってふんわりと広がるデザインで、初夏の陽射しを受けてささやかに光沢を放つ生地は見るからに触り心地が良さそうだ。ボレロの方は布が段々に重ねられ、繊細なレース模様が全体的に広がっている。

 バッグや靴も服に合わせ、清楚かつ可愛らしさに溢れていた。佐藤さんの格好を語彙力の乏しい俺がひと言で言い表すなら、何ともまあ上品な装いだった。


 俺は噛みまくりながらも、どうにかこうにか褒め言葉を探して紡いでみたわけなのだが、佐藤さんの反応はどうか。恐る恐る、佐藤さんを窺い見る。


「新留くん、フェミニンな格好が好きかなって……むしろロリータファッションがいいのかな。だから、私が持っている限り一番女の子らしくて、甘やかで可愛いと思う服を選んできたけど、やっぱり本物には敵わないね。ごめん……」

「へ?」


 佐藤さんの発する言葉の意味が掴めず、ぱちぱちと目を瞬く。なぜ、今ここでロリータ云々が登場するのだろう。

 別に俺はロリータファッションを好んでいない。好きで愛用しているのは、妹の真実の方で……あっ! そういえば、真実の余計なひと言のせいで佐藤さんに誤解が生じているのだった。


「好きな人……お付き合いしている子がいるなら、言ってくれれば良かったのに。私に遠慮していたの? でも、その気遣いはむしろ残酷だよ……」

「い、いや……佐藤さん。それは誤解で」

「新留くんは優しいね。でも、今はその優しさが少し……傷つくな」

「ちょ、ちょっと佐藤さん……話をしよう」

「うん、別れ話かな? 本当なら、私、君を諦めなくちゃいけないのに、でもどうしてだろう……わずかな可能性にも縋りたくて」


 俯いていた顔をひしと持ち上げ、佐藤さんは俺を真っ正面から見た。

 彼女の瞳にはうっすらと涙の膜が張り、今にも決壊して泣き出してしまいそうな悲しげな表情を目の当たりにし、衝撃的に胸を衝かれた。


「私の信条にも反するし、世間からも非難されちゃう悪いことなのに……新留くんさえ構わなければ、二番手でいいの。一番じゃなくても我慢するから、私の彼氏でいてくれませんか……?」


 なに、これ。あまりの展開に思考が全く追いついていない。

 何で俺なんぞが、ハーレムラノベの主人公へとヒロインが言うような台詞を放たれているのだろう。これなんてラノベ、案件じゃないか。

 ろくに回っていない頭で考えたのは、そんな至極どうでも良いことだった。


「……あの、佐藤さん、話を聞いてくれ。誤解なんだ、その件は」

「ゴールデンウィークの初日、新留くん駅ビルにあるアイス屋さんにいたよね? 一緒に可愛い彼女さん連れていたよね? 悪いとは思ったけど、新留くんが席を外したとき、彼女さんに訊いたの。新留くんとの関係」

「……うん、色々違うね、勘違いの度合いが過ぎているね。あー……真実の奴、余計な真似しやがって」

「あ、彼女さんの名前、真実さんって言うんだ。私は佐藤さん呼びなのに、彼女さんは名前で呼ぶんだね。当然かぁ」

「ふぁ!? 違うから! ちょっと佐藤さん、いったん落ち着いて! 深呼吸!」


 とうとう佐藤さんの瞳から涙が零れ、堰を切ったようにぼたぼたと涙の雫は止めどなく溢れ出し、地面に黒い点々が次から次へと作られる。

 もう辛抱ならず、俺は咄嗟に佐藤さんの肩に手を置き、ガクガクと彼女の細い身体を強引ながら揺らして正気に戻そうと躍起になった。

 大声を発して佐藤さんを正面から見据え、恥ずかしさもかなぐり捨てて、決して目線を逸らさないよう努めた。

 滴る涙でまつげを濡らしながらも、どうにか佐藤さんは現実世界へと戻ってきてくれたようだった。


「吸って!」

「えっ?」

「吐いて!」

「ええっと……」

「はい、すーっ、はー……」


 必死過ぎる俺の実演に倣うよう、佐藤さんも恐々としつつも深呼吸をしてくれた。

 吸って吐いてを一体、何回繰り返しただろうか。佐藤さんもようやく落ち着いてくれたみたいだった。

 外聞もなく泣いた事実が恥ずかしいらしく、目元を抑えて縮こまっている佐藤さんの姿は正直、非常に庇護欲をそそられて仕方がない。もしも、俺に度胸があったなら、大丈夫だからと掻き抱いていただろう。

 しかし、実際の自分はヘタレなオタクなので、佐藤さんの肩に置いていた手は、すでに引っ込めていた。


「ごめん、取り乱しちゃって……」

「こっちこそ、ごめんだよ……いちから説明する。佐藤さん、これ見て」


 俺は握るスマホを佐藤さんへ画面が見えるように差し向けた。液晶画面には一枚の写真が映っている。

 それは自宅前で撮影した家族写真だった。両親と妹ふたり、そして俺の五人が並んでいる。俺はにこやかに笑う両親を指し、続いて口元に淡い笑みを浮かべる真実と無邪気に満面の笑顔を披露する永遠を示し、そして唇を下手くそに曲げてぎこちない笑顔を作り損なう自分を最後に指で叩いた。


「こっちが父親で、隣が母親。前方の左が上の妹の真実、真ん中が下の妹の永遠。あと、これが俺な。これで新留家全員、五人家族なんだよ」

「あ……」


 佐藤さんの視線は真実の顔に注がれ、戸惑うように小さく声を漏らした。やっと、勘違いに気付いてくれたみたいだ。

 佐藤さんの頑なな強ばりが弛緩する様を見届け、俺はふっと表情を和らげてスマホを手元に引くと、素早く発信ボタンをタップして耳に押し当てた。呼び出しコールは数回鳴って、ほどなく電話は繋がった。


『もしもし……? どうしたの? 今はデート中でしょ、お兄ちゃん。もしかして忘れ物? ごめん、あたしも今出先で。友達と遊びに行くから、届けられそうにはないよ?』

「忘れ物はないから安心しろ。ところでさ、真実。お前、佐藤さんに弁明と贖罪を果たしたくはないか? 今、デートの出発地点なんだ。目の前には佐藤さんが居てな」


 通話相手の真実を一旦放っておき、俺はスマホを佐藤さんへと再度差し出した。

 わけも分からず受け取った佐藤さんは、当惑はそのままに耳へとスマホを近づけた。


「あの、真実さん……なのかな? 私、佐藤千晴、です」


 遠慮がちに名前を名乗った佐藤さんは、画面の向こうからも自己紹介を受けたのだろう。真実には見えやしないのに、わずかに頭を下げる仕草を挟みながら、先日のやり取りを話題に挙げて謝罪の言葉を述べていた。

 すると、真実からも詫びの声が返ってきたらしく、大仰に目を見張ってぶんぶんと首を振って見せた。電話口でも反応が顕著で、端から見守っているとたいへん面白い。


 しばらく、佐藤さんと真実のふたりは通話をしていた。電話を終え、スマホを俺へと返す佐藤さんの表情は晴れ晴れとしている。

 憂いごとがすっきり解決し、まるで重荷が外れたかのような開放感に満ちた笑顔だった。


「ごめんなさい、新留くん。君を疑ってしまって」

「いや、元はといえば悪いのは俺の妹だから。佐藤さんが罪悪感を抱く必要はないし」

「でも、新留くんを信用せずに、勘違いのまま突っ走ったのは事実だから。ごめんなさいは言わせてほしいな」

「……分かった。それじゃ、ええっと……仕切り直しといこうか」


 佐藤さんはコクリと頷き、まじまじと俺の全身に視線を走らせた。突然、つぶさに観察されると、どうすればいいのか皆目見当がつかない。

 一体全体、今度は何だと混乱状態に陥っていれば、佐藤さんがほんのり頬を染めて俺を仰いだ。向けられる目つきの熱っぽさにドキマギする。


 佐藤さんの視界から外れるべく距離を取ろうと、目を伏せて後ろに二、三歩下がってみた。

 だがしかし、ちらりと上向けば佐藤さんは依然として俺を真っ直ぐに見ていた。

 一向に俺の顔から目を逸らす気配がないので、じわじわと羞恥心が迫り上がり、顔の火照りを余計に自覚して、ますます焦って赤面が激しくなった。顔が赤いの、目敏い佐藤さんにはバレている。


「うふふ、言い遅れたけど、今日の新留くん一段と格好良いね。髪も切った?」

「あ、うん……おかしくない?」

「全く! とっても似合っているよ。でも、格好良すぎてドキドキしてさ、心臓が保ちそうにないかも」

「ははは……大袈裟な。冗談もほどほどにしてよ、佐藤さん」

「失敬な、本心だってば」


 からかうような語調で言い切り、佐藤さんは及び腰の俺にうんと近づく。

 そして間合いを詰め、急につま先立ちをして背伸びをしたかと思ったら、一瞬の早業で耳元にぐっと顔を寄せてきた。

 彼女から密やかでも、とびきり甘い匂いがふわりと薫り、頭は呆けたごとく思考を放棄し、まるで酒でも浴びたみたいにクラクラと酩酊しそうになった。

 白昼堂々、一体何を!?と固まる俺をよそに、彼女はそっと消え入るように囁いた。


「私のためにお洒落してくれたの? ……そういうところ、すごく好き。大好き」

「ひえっ!」


 言葉と共に耳に吹き込まれた息がこそばゆく、ぞくりと背筋が粟立った。我に返った俺は慌てて耳を押さえ、なるべく佐藤さんと距離を取る。

 またパーソナルスペースに侵入されないよう、佐藤さんを警戒しながら窺っていれば、彼女から醸し出されていた蠱惑的な雰囲気はすっかり鳴りを潜めて朗らかに笑っていた。


「びっくりした?」

「こっちこそ、心臓が保ちそうにないんだけど……」

「えへへ。いつも私ばっかり、新留くんにときめくのは不平等だからね。たまには新留くんにもドキドキしてもらいたくて」


 佐藤さんと接する際はほぼほぼ全て、ドキドキと心臓は跳ねているのだが。しかし、彼女にとっては俺の驚き様が足りないみたいだった。

 もっと派手なリアクションでも取るべきなのか。分からない。

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