第7話「初デート準備 洋服編」

 そうして、ゴールデンウィーク初日。俺は妹の真実に連れられ、近くの駅ビルへとやって来ていた。

 永遠も俺たちの買い物へと同行したがっていたが、すでに先約があったらしい。お友達家族と一緒にピクニックへ行くとのことで、朝から母親と一緒に準備に勤しんでいた。 


 連休ということもあり、駅ビル構内は客で溢れている。すれ違い様、ちらちらと俺たちを見やる人たちがいるが、真実と歩くといつも大体こうなのですっかり慣れてしまった。

 他人の視線は気になるけれども、皆が注目しているのは隣を歩く真実なので、隣に並ぶモブみたいな俺に頓着する人間はいないだろう。

 多くの視線を集めている真実はいたって涼しい顔で歩いており、内心どうかは知らないが耳目を引く格好を己がしている件は特に気にも留めていない。


 真実はいわゆるロリータファッションの服が好きらしく、好んで日常的に着用している。

 ロリータファッションにも色々系統があるようで、真実は甘ロリ?やゴスロリ?系は進んで着ないと主張していた。好むのはクラシカルロリータというジャンルらしい。

 何度聞いても分からないのだが、クラシカルロリータはえてして落ち着いた色使いで、フリルやレースといった装飾の量が抑えられた清楚で上品さが売りとのこと。


 ファッションには無頓着な俺には、どれも皆ふわふわと裾が膨らんでいて、端にリボンやらレースやらがゴテゴテと縫い付けられており、何だか着ているだけで肩が凝りそうな重量感に、何もかも気後れがするばかりで、全部が全部同じに見えた。

 こんな指摘をしたら最後、真実に一週間は口を利いてもらえなくなるため、絶対に口外はしないのだが。


「それじゃあ、お兄ちゃん。まずは服の上と下を見に行こう」


 少し前を歩く真実が、不意に背後を振り向いて、俺を見る。真実の緩く巻かれた髪が動きに沿ってふわりと顔の周りに広がり、すぐに重力に従って元に戻った。

 真実の髪は通常、まっすぐのまま背中に流しているだけなので、髪型が変わると別人じみて少々たじろぐ。まあ、格好が格好なので、家の居間でだらだらくつろいでいる妹とは雲泥の差があった。

 追いつくように隣に並んで歩き、真実へと頷いて返事に代える。底の厚いブーツでも履いているのか、今日の真実の視線はいつもより高くて、話がし辛いったらありゃしない。


「どういった感じの服を買うのか決めているのか?」

「決めるのはお兄ちゃんでしょ」

「そ、それはそうだけどな……ほら、コンセプトだよ」

「コンセプトは初デート、恋人と釣り合う格好でしょう? 大事なのは清潔感とスマートさかな? このふたつはとても大切」


 真実はレースの手袋で包まれた指を一本二本とゆっくり折り曲げ、無知の兄へと歩きながら丁寧にご教授してくれる。


「ブランドものなんか変に背伸びした服を買っても、お兄ちゃんは絶対に持て余すだろうし。着慣れてないと不格好だからね。お手頃価格でカジュアルな服を見繕おう」

「カジュアルな服なら、俺も持っていただろ?」


 何なら、カジュアルな服しか持っていないまでもあった。だが、真実は俺の反論に思いっきり嘆息して、やれやれとばかりに肩を竦めた。

 そうして、無礼にも俺の胸元をびしっと指差すと、唇を尖らせ息を吸う。あ、これは手痛い反撃が来るに違いない。


「今、お兄ちゃんの格好がそれだというの?」


 真実に溜め息混じりに確認され、俺はまじまじと着ている服を観察してみた。青と黒のネルシャツにチノパン。ごくごく普通の外を出歩く格好だ。

 だが、しきりに首を捻っている兄を見やる妹の目つきは、残念な人を見る目そのものだった。


「タンスから適当に引っ張り出してきて、アイロンもかけず、皺くちゃでも構わずにそのまま着たようなヨレヨレのシャツ。それから、全然フィット感がなくて布が余っているユルユルダボダボのパンツ。で、足下のそれ、何?」

「何って見れば分かるだろ? スニーカーだよ」

「そうだね、スニーカーだね。でも、問題はそこじゃない。それ、学校に履いていっているヤツでしょ? 履き古して汚れているのが丸分かり。これで、デートに行ったら佐藤千晴さんに幻滅されちゃうね」


 散々に辛口評価を下し、俺の心をバキバキに砕いた真実は「ここでいいね。入ろう」と目前に店を構える服屋へと足を踏み入れた。

 男性向けのファッションテナントでも、躊躇なく入店できる度胸は我が妹ながらすごい。俺ならマネキンの着用するハイセンスな服に圧倒され、店の前で立ち往生し、行って通り過ぎて戻ってを繰り返して結局、店に入れず終いで肩を落とす展開なのにだ。

 真実の後を追う形で俺も足音を忍ばせ、こそこそと店の敷地へどうにか侵入することがかなった。


 まずもって俺だけ、もしくは友人の小野田や堤と一緒なら、絶対に立ち入らない種類の服屋だった。

 いや、三人で行く店はゲームショップかゲーセンにレンタルショップ、もしくはせいぜい書店ぐらいで、服屋の選択肢は端からないことを失念していた。


「お兄ちゃんはまず、身体に合った服を着るべき。せっかくの細身なのに、何でダボッとした服を買うの?」

「いや、適当に買ってきてって、母さんに頼んだ結果がこれだから」

「何それ信じらんない。試着してないの?」

「服屋って怖くないか?」

「ウキウキして嬉しいの間違いじゃない?」


 それは服が大好きな真実だから言えることであり、大概のオタク男子は大なり小なり服屋に恐れを抱いていると思う。

 兄貴の駄目さ加減を目の当たりにし、真実はこめかみを指で揉んで天井を仰いでいた。やめろ、呆れ果てて見捨てないでくれ。


「あー……お兄ちゃんに期待したあたしが馬鹿だった。もういいや。実際に選んで試着して、色々着てみよう」


 真実はハンガーラックから一着取り出し、早速俺に宛がってくる。

 それは俺だったら目にも留めないようなシャツで、薄く青みがかった色合いをしており、見た目的にフィット感のある作りだった。真実は他にも白やボーダー柄のシャツを手に取り、俺と交互に見やって頷きを繰り返している。


「インナーにはこんな感じで薄手のTシャツを着て、アウターに軽いジャケットを羽織ったら良い感じじゃない?」

「ピタッとして窮屈そう……」

「だるんだるんよりマシ。それに、そこまでぴったり貼り付くようなサイズじゃないよ。一回合わせてみて。ほら」


 ぐいっとシャツを何点か押しつけられ、俺は試着室へと気乗りしないながらも、渋々乗り込んだ。慣れ親しんだ愛用のネルシャツを脱ぎ、真実セレクトのシャツを頭から被る。

 着てみれば確かに、案外余裕はあってピチッとした窮屈さは感じない。試着室のカーテンを引けば、外には真実が待機しており、ハンガーに吊られたジャケットを何着か持っている。


「うんうん、いいね。それで、この上にテーラードジャケットを着てみよう。このネイビーのなんて合うんじゃない?」


 そう言って真実が差し出したジャケットを命じられるまま羽織った。

 サイズがぴったりだったのでもう少し大きめが良いのでは、と遠慮がちに進言するも、真実からの返事は身体に合ったジャストサイズを着用するのがスマートに映るのだと言って譲らなかった。

 実際に鏡を見て確認すれば、真実の主張はもっともで、いつもの野暮ったい雰囲気が払拭されているような気がしないでもない。


「よし、上はこれでいいとして、パンツも細めのものを穿いてみよう。スキニーなんて良いかも」


 それから、着せ替え人形ばりにズボンを何本か穿いて脱いでを経て、真実のお眼鏡に合うコーディネートが完成したらしい。

 店員さんにズボンの裾上げをしてもらい、会計を終えて店を出ると、一気に緊張感が抜けたのかどっと疲れが出た。急に肩が凝った気がする。


「ちょっと休憩しないか? 座ってさ、真実の好きな甘いものでも食べに……」

「まだ大丈夫。次は靴を買いに行くんだから。まだ休めるなんて思わないこと。ほら、さっさと歩いてお兄ちゃん」


 近くに置いてあったソファへ座り込みそうになったが、俺以上に買い物へ本気モードになっている真実が許してくれるはずもなく、腕を引っ張られ無理矢理引っ立てられた。そうして、靴屋に連行されるように連れて行かれるのだった。


 結局、スニーカーを購入した後、勢いに任せてバッグも見ていこうと真実のみなぎるやる気に後押しされ、シンプルなデザインのボディバッグも買うに至った。

 一回のデートの準備段階なのに思った以上に出費がかさみ、今月のお小遣いのやりくりに頭を悩ませる。新作ゲームを一本、泣く泣く見送る覚悟を決めた。最悪、堤に借りれば遊べるのだから、持つべきはゲームマニアの友人だ。


 買い物はひとまず終了となり、本日の駄賃を支払うため、俺は真実へとアイスクリームを奢っていた。

 ご要望通り、ワッフルコーンに盛られたアイスの数は三つ。三段重ねのあまりの迫力に見ているだけで胃もたれしそうだが、真実は嬉々としてアイスに齧り付いている。


「お兄ちゃんは食べなくてもいいの? 美味しいよ?」


 季節限定フレーバーを謳う限定商法にまんまと乗せられた真実は、イチゴヨーグルト味のほんのりピンクがかったアイスを一口、顔を綻ばせて頬張りながら俺へと尋ねてきた。

 アイスを買う余裕がないのもさることながら、見ているだけで腹が一杯になっているので大丈夫だと返したら、真実は購入時についてきた小さなスプーンで、まだ口をつけていないバニラ味らしきクリーム色のアイスをすくい、俺へと無言で差し向けてくる。


「なに? くれるのか?」

「バニラ、好きでしょ。お兄ちゃん。はい、あーんして。あーん」


 周囲の目をものともせず、大胆な行動をよく取れるものだと感心しつつも、俺は妹たちには強く出られない性分の情けない兄貴なので、真実の命令にも従わざるを得なかった。

 恥ずかしさを感じながらもぐっと顔を寄せ、スプーンに盛られたアイスを口に含む。冷たく濃厚で、滑らかな舌触りのバニラアイスは安心する定番の味がした。


「どう?」

「うん、美味い」


 じゃあ良し、と微笑む真実は再びアイスの消費に戻った。パクパクと調子良く食べ進めるスピードを見るに、真実はアイスをじきに食べ終わりそうだ。

 傍らに突っ立って、妹の幸せそうな顔を見ているのも悪くはなかったが、時間がある内にトイレを済ませておこうと真実にひと言断って、お手洗いへと向かう。


 ひとりで歩けば、当然のように誰も俺を気にしない。やっぱり注目されるのは真実、というか妹の格好故だ。

 真実が何を着ようが俺は口出しするつもりは毛頭ないし、家族も同様の見解を持っていた。永遠に至っては、お姫様みたいで可愛いと自分も同じような格好をしたいとねだるぐらいだ。

 ただ、他人様に迷惑をかけないことと、TPOを弁えることだけは母親が真実にしっかり説いていた。もちろん真実も心得たもので、着て出かける時と場所は選んでいるらしい。基本的にしっかりした妹なのだ。


 お手洗いから帰ってくると、そのよく出来た妹はすでにアイスを食べ終えて、俺の帰りをアイス店に備え付けられた椅子に座って待っていた。

 背筋をすっと伸ばし、椅子にちょこんと行儀良く腰掛ける妹の様子は遠目から見れば、真実の着ているドレスのごときワンピースのせいでお人形さんじみて映る。


「お兄ちゃん、お帰り」

「ああ、ただいま。どうした? 何だか楽しそうだな」


 アイスを食べていたときも、真実は嬉しそうな笑顔を浮かべていたが、現在俺を見上げる瞳もまた楽しげに輝いて見えた。俺が不在の間、何か楽しいことでもあったのだろうか。

 真実はふふふ、と口元を手で押さえながら含み笑うと、悪戯っ子の笑顔のような表情をいっそう深めた。


「さっき、会ったの」

「誰と? 学校の友達?」

「ううん、初対面」

「……まさかナンパでもされたのか?」


 真実をひとり残してトイレに行くべきじゃなかったと悔いている俺をよそに、真実は見当違いだとばかりに呆れた素振りで首を横に振る。なんだ、どこぞの馬の骨にナンパされてはいないのか。良かった。

 だったら、何故初対面の人と会って嬉しげなのかが分からない。お手上げだと暗に答えを促せば、真実はニヤニヤと笑みながら、おもむろに唇をそっと開く。


「佐藤千晴さん」

「えっ、佐藤さん!?」

「そう、佐藤千晴さん。お兄ちゃんに写真見せてもらっていたからさ、前から何か見覚えのある人が歩いてくるなあってぼんやり眺めていたら、声かけてこられてびっくりしちゃった」


 真実が言うには、佐藤さんは髪の長い同級生っぽい女子と連れ立って歩いてきたという。髪の長い子とは、たぶん佐藤さんと仲の良い内山さんだろう。

 ふたりは俺がトイレに立ってから間もなく、真実へと近寄ってきたのだとか。


「……それで何話したんだ?」

「別に? ……世間話とか、当たり障りのないことだよ」

「嘘だな。人見知りのお前が初対面の人間と、世間話なんてできるわけがないだろう」

「同世代の女の子にビビらないってば」

「本当か?」

「……疑り深いな、お兄ちゃんは。いいよ、白状したげる。佐藤千晴さんたちはお兄ちゃんとあたしが一緒にいるところから見ていたみたい」

「声かけてくれたら良かったのに……」


 と、思わず呟いたが、交際している旨は学内の連中には秘密にしておこうと提案したのは、紛れもなく俺だった。

 俺と佐藤さんが教室外でも親しげに喋っていたとしたら、さすがに内山さんもおかしいと勘付くだろう。迂闊に声なんてかけられるわけがない。


「それでね、お兄ちゃんが席を立って、あたしひとりになったでしょう? だから、意を決して話しかけに来たんだって。佐藤千晴さんが言っていたよ」

「で、何の話をしたのか?」

「新留くんとはどういった関係ですかって訊かれちゃった。面白いね」


 くすくすと笑い声を噛み殺す真実は大層愉快な様子だったが、俺は眉根を寄せて押し黙るほかなかった。きっとややこしいことになっている、絶対にだ。


「……真実は何と答えた?」

「秘密です、って」

「……どうして妹って正直に言ってくれないんだ」

「だって、佐藤千晴さんがね、あまりに切羽詰まった顔をしていたから。ちょっと冗談でも言って場を和ませようと思ったの。すぐに妹だって白状するつもりだったのに、佐藤千晴さん、どっか走って行っちゃった。悪いことをしちゃったみたいだね?」

「みたいだね、じゃねーよ。完全に悪いことだろ、それ」


 大仰に嘆息すれば、真実もようやく自らの犯した失態を自覚したらしい。目をまん丸に見張って今更、顔をさあっと青くしている。


「……誤解された感じ?」

「面倒なことにな」

「……ごめんなさい」

「いや、別に謝らなくても」

「でもさ……」


 真実は母親似、俺は父親似で、兄妹にしては顔の造形が似通っていない。そのため、昔から一発で兄と妹だと言い当てられたことはないのではなかろうか。

 佐藤さんも真実から伝え聞いた情報から考えるに、俺たちを兄妹だと認識していない可能性が高い。

 

 次に佐藤さんと会った際の説明の手間を思い、憂鬱を隠しもせずに再び大きく溜め息を零せば、真実から訝しげな視線が届く。

 一体何だと首を傾げれば、真実もまた不快感を隠すこともなく深々と息を吐いた。


「あたしが対応をマズったのは悪いと十分反省しているけどさあ、お兄ちゃんの反応が何だかこうね、素っ気ないというか……もっと狼狽えるべきなんじゃ? 佐藤千晴さんのこと、好きなんでしょ? 恋人なんでしょ?」


 真実の追求に対し、俺はうーんと唸り、しばらく黙り込む。

 佐藤さんからの告白を受け、俺はそれを承諾して、晴れて恋人同士になったとは認識している。迫る初デートに関しても、緊張や不安がありつつ、若干楽しみな気持ちもなくはない。


 しかし、まだ拭いきれぬ疑惑が俺の中に存在しており、佐藤さんの言動を全て信じられはしなかった。さすがに懐疑心が過ぎるとは重々承知している。

 だが、俺なんぞを彼氏役に選ぶ佐藤さんの真意を測りかねている。だから、嘘や冗談、罰ゲームとして、無理に交際していると真相を提示された方がしっくり来た。


 そして、もっとも肝心なことであるが、果たして俺は佐藤さんを好きなのだろうか。告白されたのは驚き慌てたが、嬉しかった覚えも確かにあった。可愛い女の子と付き合える、これほどの幸運を喜ばない男は稀だろう。

 けれど、可愛い恋人が佐藤千晴である必然性はどこにも存在していないわけで、彼女でなければならない理由はなかった。その事実に思い至り、俺は思わず絶句した。何だかひどく不誠実で、佐藤さんを裏切っている気がしてならなかった。


 月日を経て交際を深めていく中で、これから恋を自覚すればいいのだと思い込めば、どうにかこうにかモヤモヤと晴れない気持ちを丸め込むことはできそうだったが、それが最善だと言えるのか。

 なにぶん、俺には圧倒的に経験値が足りていない。ただ、経験不足を盾にして、デリカシーの無さの言い訳にするのは確実に間違っている。

 結局、真実の問いかけに俺は上手い返しができやしなかった。

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