第5話「綱渡りの昼休み」

 そして、あっという間に昼休み。

 普段通りの昼休みなら、小野田や堤と共に教室の隅っこで弁当を広げているのだが、今日は佐藤さんに呼び出しを受けているので、ふたりには所用があるからと断りを告げて足早に教室を後にした。


 事前に佐藤さんから送られていたメッセージに従い、指定先の中庭に向かって俺は周囲をぐるりと見渡し、思わず顔をしかめた。

 ぽかぽかとうららかな陽射しの下、中庭では春の陽気に誘われて、多くの生徒が昼飯をそこここで摂っていた。衆目の見るところ、佐藤さんと話なんてできるわけがない。

 弁当バッグを携え、中庭に姿を現した佐藤さんへ俺はそろりと近づき「場所を変えよう」と一言提案する。

 彼女は小首を傾げて仕草で疑問を呈すが、周りに広がる雑談の声に気付いたのだろう。分かった、と顎を引いて一定の距離を保ちつつ、俺の後ろをつかず離れず歩き出す。


 ここなら人気がないだろうと俺が選んだのは、美術室や家庭科室といった特別教室が入る校舎の部室棟と半ば化している三階、その奥側にあるいち空き教室だった。

 この教室は普段、ボランティア部が放課後に部活動で使用しているぐらいで、教室の隅には部員の私物が乱雑に積まれている。


「鍵はかかっていなかったけど、勝手に入ってよかったの?」

「いいんじゃない? 俺、一応部員だし」


 言う必要も特にないとは思ったが、俺は佐藤さんへボランティア部員だと打ち明ける。

 文化系、それも部員も少ない弱小部活なので、そもそもボランティア部が存在すること自体、知らない生徒が多いと思って間違いないだろう。佐藤さんもその口のようで、どんな活動をしているのかと興味深げに問うてきた。


「別に特別なことはしていないけど。清掃活動とか駅前で募金を呼びかけたり、老人ホームや保育園を訪問したり……それぐらいかな」


 とはいっても、活動日が少ないので、今挙げたような奉仕活動を頻繁にやっているわけではない。だいたい、放課後に集まっては部員同士で、どうってことない話で盛り上がっているのが殆どだった。

 俺の話を聞いた佐藤さんはなぜか急に喜色を浮かべ、妙に機嫌が良くなった。どこに佐藤さんの喜ぶポイントがあったのか不明だが、俺に好意を寄せるほどこの人のツボはおかしかったのだ。


「私もボランティア部、入っちゃおうかな」


 正直、勘弁してくれと思った。

 もちろん冗談の類いだろうが、俺は佐藤さんのことを何にも知らないので、彼女が突飛な行動を起こし、ボランティア部に籍を置く可能性は否めない。

 それとなく佐藤さんが入部しても何にも楽しいことはない、退屈な部活だと諭してみるが、果たしてこれで「入部するな」の牽制ができたかはいささか怪しいものだった。


 窓際の机を二つ向かい合わせにし、腰を落ち着けて昼飯を摂ることとした。

 毎朝母親が朝食と共に弁当も拵えてくれるので、今日も母手製の弁当だ。母は特別料理上手でもないが、卵焼きだけはいつ食べても美味い。焦げ目なく焼かれ、綺麗な黄色の卵焼きは、少し甘めの味付けだ。

 向かいに座る佐藤さんも保冷バッグから弁当箱を取り出し、弁当包みの結び目を解いてる。


「……小さいね」


 佐藤さんの弁当箱が姿を現したとき、思わず声が出た。真四角の小さなランチボックスで、まるでデザートの果物が入っている程度の容量しかない。

 もうひとつ、これとは別におかずの詰まった容器が出てくるかと思ったが、佐藤さんの昼ご飯は全てがそこに入っているらしい。


「そう? 普通だよ」


 佐藤さんは何てことないように言い、ぱかりと蓋を外している。

 確かに女子の弁当箱は小さいと噂に聞いていたし、教室でちらりと彼女たちの弁当箱を見たこともあるのだが、それにしても佐藤さんの弁当箱はやけに小さかった。それだけで足りるのだろうかと余計な心配をしてしまう。


 行儀が悪いのは重々承知で弁当箱の中身をそれとなく窺えば、妙に茶色いご飯が半分敷き詰められ、もう半分にはブロッコリーとミニトマト、それから半分に切られたゆで卵が納められている。

 あと、隅に申し訳程度に詰められているのは、白っぽい外見からして鶏肉だろうか。味付けが施されたり、上からタレがかかっていたりすることもなく、単に茹でた鶏肉を裂いて入れただけみたいだ。


 良い方に解釈すれば素材の味を十分に生かした健康的な弁当、言っちゃ悪いがぱっと見、全然美味しそうには感じられなかった。味気ない質素極まる弁当だ。

 もしかして、ダイエットでもしているのだろうかと考えるも、対峙する佐藤さんは全く太っちゃいない。むしろ、スレンダーでもう少し肉付きが良い方が女性的らしくさえあった。


「ご飯茶色いけど、炊き込みご飯?」


 我慢できずに不可解な見た目のご飯に突っ込めば、佐藤さんはかぶりを振った。


「ううん、玄米だね。精白されていないから茶色いの。栄養素が高いんだよ」

「玄米……美味しいの?」

「うーん……味はそれなりだね。新留くんもご飯、食べたら?」


 佐藤さんに促され、俺も弁当箱の蓋を開ける。母手製の弁当はいつもと変わりないごくごく普通の仕上がりだった。もっとも、作ってもらえるだけありがたいと感謝していただくべきだろう。

 ご飯は白飯の上にゆかりのふりかけがパラパラとかかっており、おかずは酢豚、じゃことピーマンの炒めもの、それから冷食らしきエビシュウマイ、綺麗に巻かれた卵焼き。

 それと隙間を埋めるように入れられた品を目に留め、俺は慌てて蓋を引っ掴んで閉めようとした。しかし、佐藤さんにはすでに例のブツを目撃されていたらしい。


「可愛いね、かまぼこ?」


 佐藤さんはくすくすと楽しげに笑いながら、俺の弁当箱の一角を指差した。

 そこには、日曜朝八時半から絶賛放送中の女児向けアニメに登場するマスコット的キャラクターの顔が練り込まれたかまぼこが鎮座していた。

 じわじわと顔に血が集まるのを感じつつ、俺は取り繕うように弁解の言葉をまくし立てる。


「いや、これは……妹がこのアニメが好きで、関連商品も母親がよく買ってくるから、それで、単に入っているだけだから! 俺が好きなわけじゃなくって、妹がアニメを観ているだけで。俺は違うから……」


 何だか無性に言い訳じみていて、理由を口にすればするほど墓穴を掘っているようで堪らなかった。

 小野田や堤と昼飯を囲んでいたのなら、プリキュアの切れてるかまぼこが弁当箱の中に紛れ込んでいても何ら問題はなかった。奴らは気にも留めないだろう。

 堤なんかはゲーム内でのプレゼント獲得のためにシリアルコードを集めなくてはいけないからと、連日のようにポケモンパンを昼食で消費していたぐらいだ。

 俺たちの間では、アニメ・ゲームキャラの関連商品なんぞ、ごく当たり前の日常の風景として流れていく。


 だがしかし、今日一緒に昼飯を食べる相手が佐藤さんというのが致命的だった。

 母も悪気はなく、弁当箱の空きスペースを埋めるのに丁度良いからと、冷蔵庫で目に留まったかまぼこを詰めたのだろう。

 妹がプリキュアを好きなことは嘘ではないし、かまぼこを買ってきてとねだったのも妹だ。

 ただ、俺の言い訳にダウトを突きつける点があるとするなら、俺はアニメを観ていない、好きでも何でもないと否定の言葉を重ねているところだろう。本来は妹の隣に並んで座り、ヒーロータイムが始まるまでの繋ぎ、もしくは暇つぶしがてら毎週欠かさず視聴しているからだ。

 妹のように目を輝かせて主人公の活躍を応援してはいないものの、画面の向こうの彼女たちがピンチに陥れば、固唾を呑んでストーリーの展開を追いかけている自分がいるのは事実だった。


「妹さんがいるんだね。今、何歳?」

「え……? あ、妹はふたりいて、上が高一で下がちょっと離れて小二」


 佐藤さんの興味はかまぼこから逸れ、俺の妹へ移ったようで内心安堵した。このままかまぼこのことは忘却の彼方に去ってほしい、切実に。


「へえ、そうなんだ。上の妹さん、高一ってことは、うちの学校の一年生?」

「いや、妹は私立の女子校に通っていて」


 妹が通う中高一貫の女子校の名を告げれば、佐藤さんは驚いたように僅かばかり瞠目した。その女子校、地元では偏差値の高い学校として有名で、難関大学に合格する生徒を毎年輩出している輝かしい実績もあった。

 ご多分に漏れず、俺の妹も地頭の良い秀才であり、新留家の期待を一身に背負う頑張り屋でもあった。長男である俺への期待とは比にならぬほど、妹の方が将来を嘱望されていた。

 もっとも、妹は妹で進路をすでに決めているらしく、誰かの言いなりになんてなるものかと信念を貫くようで、兄は立派な妹に頭が上がらない。


「会ってみたいなぁ、新留くんの妹さんたちと」

「へえ……」


 承諾とも拒否ともつかない気の抜けた返事をしながら、俺は佐藤さんと妹たちが対面する場面を想像してみた。

 下の妹は兄とは正反対の社交的な性格をしているから、明朗な佐藤さんともすぐに打ち解けるだろう。しかし、上の妹は難儀な性格の持ち主で、人見知りの気もあるため少々心配だ。

 まあ、佐藤さんと妹たちが会う機会なんてないだろう。佐藤さんも社交辞令で言ってくれているのだろうし。


「私はふたり姉弟。小学生の弟がいてね。とっても良い子なの」

「ああ、仲良しなんだね」

「うん……」


 すぐに首肯した佐藤さんだが、浮かべる表情はどこか寂しさが見え隠れしている。実際のところ、あまり姉弟仲は良くないのかもしれない。俺が詮索するようなものではないが。

 きょうだい話に花を咲かせていたが、はっと我に返り、教室の壁に掛かった時計を見やって昼休みが結構な時間経っているので大いに焦った。

 これでは、ごくごく普通の楽しいランチタイムで終わってしまう。佐藤さんは何やら俺に話したいことがあったようなので、ここはひとつ水を向けてみよう。


「佐藤さん、それで本題は?」

「……え?」

「何か言いたいこと、あるんじゃない?」


 佐藤さんは俺と同様、焦ったように目を丸くして「忘れるところだった……」と頬を掻いた。お喋りに夢中だったのだろうか。

 食べ終えた弁当箱を片付けた佐藤さんは居住まいを正し、こほんと咳払いを一つ。そうして、じいっと俺の目を凝視する。佐藤さんの突然の行動に俺は泡を食い、すぐさま目線を逸らすことで難を逃れたが耳が熱い。きっと顔が赤くなっている。

 真っ正面から見つめられると、どういった反応を返せばいいのか判断に困るのだ。相手の視線をしっかり受け止めて、笑顔でも返せばスマートなのか。無理だろ、そんな高等テクニック。


「付き合っているって友達に言うのはダメ?」

「……駄目、です」

「なんで?」


 ちらりと背けた顔を佐藤さんへ戻せば、彼女は少し怒っており、同時にとても困惑しているようだった。俺の述べた回答が不服で、大層不可解だと表情が如実に物語っている。

 しかし、佐藤さんを納得させるような理由を俺が伝えられるだろうか。無理難題に頭を抱えて思わず唸りそうになる。


 クラスのヒエラルキーを持ち出して、佐藤さんと俺とでは住んでいる層が違うのだと説明しても、彼女は到底納得できまい。

 カーストなんてもの、現代社会の高校に存在なんてしているはずがないと突っぱねられるのが関の山だ。最上位に居る者ほど、自分が置かれた立場に頓着しないのだ。だって、彼女は誰とでも分け隔てなく交流できるスキルを有しているから。

 もし仮に、俺なんかと交際していると露見して、身に降りかかる不利益を全くもって予期できないでいる。

 こんな悲壮で退屈な理論を切々と訴えたところで、佐藤千晴の心には響かないだろう。だったら、俺がとるべき方法は感情論で諭すぐらいしか残されていない。


「……ねぇ、佐藤さん。俺と佐藤さん、ふたりだけの秘密じゃダメかな?」

「ふたりだけの秘密?」

「そう、秘密の関係って妙にドキドキしない? クラスの皆には内緒でさ、付き合っているっていうの」


 ぱちくりと目を瞬かせ、佐藤さんは強張らせていた表情をふっと和らげた。よし、釣れた。

 妹の所持する少女漫画からの知識で心許なかったけれど、女子というものはロマンチックな環境に弱いらしい。ふたりきりの秘密、なんて甘美な言葉をちらつかせてみせれば、心が揺らぐのではないかと踏んだのだ。

 案の定、佐藤さんの瞳は迷うように左右に揺れ動いている。あと、一押し。


「……それに俺、ちょっと恥ずかしくて」

「恥ずかしい? 私と付き合うことが?」

「いやいや、違うから。ただ、彼女ができるなんて初めての経験で、今でも佐藤さん相手にどう振る舞えば良いのか分かっていないのに、他人の目まで増えたら……どうしたらいいか分からないんだ」


 俺がペラペラと口から出任せのように言っていることは半ば本心だ。佐藤さんとふたりきり、今この空間で何をどう喋ればいいのかも、実はよく分かっていない。声は上擦り、頬は赤く染まっていることだろう。

 経験値が圧倒的に足りていないので、何が正解なのかさえ判断できないのがひどく心細く、とんでもない恐怖でしかなかった。適切な態度で佐藤さんに向き合えているかも分かっていないのに、今他人に俺たちの関係を開示されでもしたら、もはや動作不能になるのは目に見えていた。


 だから、秘密でいようと一縷の望みを託すように、決死の表情を顔に浮かべて佐藤さんを恐る恐る窺った。

 俺の怯えるような双眸と対面して、佐藤さんは何を思ったのかは知らない。

 だが、彼女の纏う雰囲気が様変わったことだけははっきりと肌で感じた。怒りの気配がふっと消え、佐藤さんは照れたように眉を下げた。


「それも、そうだね。私も新留くんが初めての彼氏だから、君と一緒に成長できたらいいな。でも、いつかは皆に教えてもいい? 新留くんが私のたいせつな人ですって」


 俺は曖昧に微笑んで、どっちにも取れる角度に顎を引く。

 佐藤さんの言葉に嘘はないか、真相は定かではない。

 だが、だけれどもだ。佐藤さんの初めての彼氏が俺っていうのは、何だか信憑性に欠ける。こんなに可愛い子が高二になるまで恋人の一人や二人、できたことがないなんて現実味がない。


 まあ、佐藤さんが友人やクラスメイトたちに、俺らの関係性を言いふらす危険は一応回避されたわけだ。これから先、佐藤さんが何かの拍子につい、ぽろっと零さない保証はない。しかし、もしもを恐れて佐藤さんを疑ってかかるのも彼女に悪いだろう。

 とはいっても、俺はまだ信じちゃいないのだ。佐藤さんが本当に俺を好きなのか。

 イタズラやドッキリ、罰ゲームでしたと後々、暴露されても無駄に傷つかないよう、俺は心に何重にも予防線を張った。

 そうでもしないと、浮かれて己を見失いそうだったから。俺と佐藤さんは釣り合わない。それは今でも本気で思っている。

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