第4話「クラスの立ち位置」

 翌日の休み時間、あくびを噛み殺しながら友人の熱弁に耳を傾けていた。


「やっぱりオリジナルアニメにこそ、覇権を獲ってもらいたいわけですよ。原作の信者ブーストを借りず、数字を出すことこそ正真正銘の覇権と言えましょうぞ?」


 原作の付かないオリジナルアニメがいかに優れているのか力説している小野田おのだだが、奴は前のシーズンではソーシャルゲームが原作のアニメを推しており、全くもって信頼性に欠けた。

 小野田は三ヶ月ごとに嫁が変わるタイプの浮気性オタクなので、好きなアニメもシーズンごとに様変わり、信条もころころと変わるため、俺ともうひとりの聞き役であるつつみも話半分に聞き、ぞんざいに相槌を打っていた。


「っていうか、新留ぇ。オレの一押し、ちゃんと最新話まで観たんでしょーな? 感想言うって約束、忘れたとは言わせませんぞ?」

「あー……悪い。昨日観ようとして、気付けば朝だった」

「何ですとっ!? 聞きましたか、堤氏。オレがいかに面白かったか懇切丁寧に説明してあげたにもかかわらず、このコンチキショウは寝落ちしていやがった! これは重罪でしょうに!」


 机に身を乗り出し、俺がどれほど薄情なのか責め立てる小野田。弛んで肥えた腹の贅肉が机に乗り上げるほど息を巻き、額には汗まで浮かんでやけにハッスルしている。

 奴が深夜アニメにかける情熱は、にわかでライトなオタクなりに燃えているようだ。小野田の発する熱気は、奴のかけている黒縁眼鏡を曇らせるほどだった。


 小野田から怒りの矛先を向けられ、俺に代わってとばっちりを受ける羽目に陥った堤といえば、薄ぼんやりした顔を一層希薄化させ、曖昧な笑みを口元に乗せて、のほほんと頷いている。


「うーん、そうだね? でも、アニメって今何本も放送しているから、全部追うのは大変だろうし。新留だって眠いときは寝たいと思うよ」

「堤までもオレを裏切るというのか! オレは悔しいですぞ。お前たちが変わってしまってな。昔はもっと純粋に、オレの語るアニメ話に食いついてくれていたというのに!」

「小野田の説明だけで十分だもん。腹一杯。供給過多。それに僕は話題作だけ観れればいいしね。アニメを観る時間があったら、新作ゲームをやり込みたい」

「この謀反者がぁ!」


 俺を援護してくれる堤と、劣勢の立場に置かれた小野田がわいわいと傍目には楽しげに言い合いをしている中、俺は椅子に座り直す風を装って、ちらりとさりげなく教室中央に目をやった。

 真ん中の後ろの席一帯を陣取って、楽しげに喋っているのはうちのクラスでもっとも発言権や影響力を持つ連中だ。佐藤さんが属する男女混合グループでもある。

 彼らは俺たち陰の者三人衆のじめっとしたアニメトークとは比べものにならないほど、さぞや明るくパーリィーピーポー的でイケイケな話題で談笑しているのだろう。


 詳細な内容は近くに座っていないので途切れ途切れにしか聞き取れないが、現在会話の主導権を持っているのは五十嵐いがらし某くんだ。

 校則に反しない程度に明るく染めた髪や、ほどほどに着崩した制服がよく似合う俗に言うイケメンだった。彼は話に聞くところによれば、軽音部でボーカルをやっているとかいないとか。

 すかしたイケメンなんて、俺たち非モテの敵であり、極力近づきたくない人物の中でもトップに君している。


 その五十嵐くんの隣にくっつくように座る女子は確か……内山うちやまさんとか言ったっけ。

 両者の近すぎる距離感から察せる通り、五十嵐くんと内山さんはカップルだ。リア充爆発しろ!と以前までなら、後ろめたいことなどなく堂々と呪詛を唱えていられたが、今の俺は強くは出られまい。


 内山さんの傍らには佐藤さんがおり、楽しげに会話に加わっていた。陽キャ集団の中でも全く気負わず自然体で溶け込めている様や晴れやかな表情を見るにつけ、改めて感じるのは昨日の酔狂とも取れる俺への告白の不可解さだ。


 五十嵐くんの愉快な仲間たちは内山さんや佐藤さんの他にも男子がふたりおり、たぶん速見はやみ川元かわもととかいう名だったはず。今も何がおかしいのか腹を抱えて爆笑している。

 五十嵐くんは内山さんと交際しているが、速見と川元に彼女がいるかは分からない。そもそも彼らグループの恋愛事情にまるきり興味がないので、知るよしもなく今後もどうでもいいと思っていた。


 が、速見と川元の内どちらかひとりでも、同じグループの女子である佐藤さんのことを好いていたとしたら話が違ってくる。

 速見も川元も五十嵐くんほどではないが見てくれは悪くない。佐藤さんとは十分釣り合いが取れていると言えよう。俺なんかよりずっとだ。


 盛り上がっていた話題が一段落したのか、女子ふたりでじゃれ合うように笑っていた内山さんが傍の佐藤さんへ意味深な目配せをした。

 円らな瞳が細められ、唇はゆるく弧を描いて何とも愉快げな表情を作っている。


「ねえ、千晴。今日はやけにご機嫌ね」

「えっ、そう? そう見えるかな?」


 佐藤さんは照れるようにはにかんで言葉を濁すも、全身に纏うそわそわと落ち着かない雰囲気は、どう見ても何かを言いたくて堪らない様子だった。

 佐藤さんの浮ついた態度を目の当たりにし、生じる危機感から思わず、俺はふたりの会話に耳をそばだてた。

 内山さんが「見える見える」と焚きつければ、佐藤さんは「実はね……」と前置きをした後、


「昨日、良いことがあったの」


 なんて言うものだから、俺は額に尋常ではないくらい汗を掻き、背中に冷や汗が幾筋も伝った。脳内には、マズいマズいと警告音がひっきりなしに鳴り響く。


「良いことって何? もしかして、前から言っていた気になる男子にアタックして、色好い返事がもらえたのかしら」


 内山さんのまるで見透かしたかのような問いかけに、佐藤さんは頬を赤らめながらコクリと頷いた。

 一方、彼女たちのやり取りを遠くから見ている俺は、顔面蒼白になっているだろう。とうとう、襲い来る悪寒で身体が震え始めた。


「なになにー? 千晴ちゃん、誰かに告白したん?」


 速見か川元かがからかい混じりの軽い口調で尋ねれば、佐藤さんはそりゃもう嬉しそうに「うん!」と肯定しやがった。

 脳内で響き渡る警告音はタガが外れたようにわめき、警報が大音量で俺へと必死に危険性を伝えてくるが、だからといって現状何ができるというのか。

 俺の異常はすでに小野田や堤にもバレているらしく、若干引き気味のふたりから心配の声が上がっている。

 しかし、俺にはもう彼らに返事をする余裕さえ持ち合わせていなかった。


 かたや、あちら側は仲間内でわいわいと盛り上がりを見せている。

 ひゅーひゅーと茶化す男子ふたりから一歩離れ、成り行きを見守っていたらしき五十嵐くんが「そいつって誰?」と核心を突くような質問を繰り出した。五十嵐、この野郎! 余計な真似をしやがって!


 佐藤さんは不意にきょろきょろと視線を彷徨わせ、あろうことか俺に目を合わせてほんのりと淡く微笑みかけてきた。目線の先を辿った誰かに勘付かれたらどうする! というか、この状況は本当に崖っぷちだ。どうにか打開策を早急に見つけないと、取り返しの付かないことになる。

 ぜえはあと呼吸困難に陥りながら、酸素の行き渡っていない脳をフル回転させ、俺は危機的状況を脱する手段を必死に模索する。考えろ考えろ考えろ!


「それはね、」


 佐藤さんの唇が人名を紡ぎ出す刹那、俺は突如勢いよく立ち上がった。

 椅子もろとも起立したため、当然のごとく後方へと椅子は倒れ込み、激しい音を鳴らして床へと派手に転がった。


 前触れもなく、教室に響き渡った騒音に誰もが驚き、俺はクラスメイトたちの注目を一身に集めた。

 向けられる幾多の目に一瞬怯むが、今は従順にへいこらと平謝りをして皆の溜飲を下げるに限る。

 平身低頭、ぼそぼそと「すみません」を繰り返せば、集まった視線は徐々に霧散していった。


 ホッと胸を撫で下ろし、倒れた椅子を元に戻しつつ、座り直した俺はすぐさま次なる手段を講じる。制服のスラックスのポケットからスマホを取り出し、フリック入力を駆使し、目にも留まらぬ速さで文字を画面に走らせる。

 そうして、すぐさまメッセージを佐藤さんへ送信。昨晩、懊悩的長時間熟考ののち返信をした人物とはまるで別人のように、俺の送信速度は一線を介していた。


 ほどなく、佐藤さんは手に握っていたスマホの着信に気づき、ちらっと画面を確認する。

 彼女に送った文面は『俺たちが付き合っていることは口外しないで!』の一文だ。

 すぐに読み終えたらしき佐藤さんだが、俺から送られたメッセージの内容は不可解のようで、しきりに首を傾げながらも、スマホの画面に指を滑らせている。


 そうして、数十秒後。俺のスマホにランプが明滅する。佐藤さんから返事が届いたようだ。

 『どうして?』

 たった一言。彼女の純然たる疑問が画面上に表示され、佐藤千晴は現状を全く把握しておらず、俺なんかと付き合っている旨を口外する憂慮など、端から持ち合わせていない事実が浮き彫りになった。

 この調子では、再び佐藤さんが失態をいつ犯してもおかしくない。俺は一瞬気が遠くなりそうになりながらも、必死にスマホへ文字を叩きつけた。


『色々支障があるでしょ!』

『私にはないよ?』

『俺にはあるの!』

『私が彼女って恥ずかしい?』

『滅相もない!』

『だったらどうして?』

『俺と佐藤さんの立場考えて!』


 一連のやり取りを終え、佐藤さんの疑問まみれの表情はますます深刻になり、はっと俺は悟る。この女、何も分かっちゃいねえ。

 ここからどう展開すれば、俺たちの間に惨然と横たわる溝を埋められるのだろうか頭を抱えていると、四限目開始の予鈴が鳴った。


 教室に好き勝手に散らばって、休み時間を過ごしていた生徒たちがバタバタと自分の席に着いていく。俺も例に漏れず、自らの机へと舞い戻り、次の授業の準備にかかる。

 ふと隣に気配を感じると思ったら、佐藤さんもまた席に座る最中だった。不用意にじっと見ていたせいか、佐藤さんが俺に気付く。と思ったら、急にぐっと耳元に顔を寄せ、小声で囁くように声をかけてきた。


「昼休み、ちょっと時間作って」

「……え?」

「一緒にお昼、食べようね」


 喋り方は柔らかいが、有無を言わせぬ圧を感じる佐藤さんの物言いに、俺はただただ黙って頷く他なかった。

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