第3話「告白の返事」

 至近距離にある彼女の双眸に、困惑を顔一面に広げる情けない男の姿が映っていた。誰でもない俺自身だった。

 新留くん、と再び佐藤さんは俺の名を呼び、返事もできずに黙りこくる俺を尻目に言葉を重ねた。


「新留くんさえ良かったら、私と付き合ってほしいんだ」


 頭の中はまるで霧が発生したように白く煙り、全くもって上手く思考回路が働かない。

 佐藤さんの告白にどう切り返せば、事は穏便に運べるだろうかと考えようとはするものの、言い訳も繕いの言葉さえ何も思い浮かばない。

 困った、と思わず俯き、頭を掻いて自然と顔を上げれば、もろに佐藤さんと目線がかち合った。彼女の目が、彼女の表情が、俺の返答を欲しているのは明確だった。


「あの……佐藤さん」

「うん」

「ええっと、何で、その、俺なの?」


 思考停止を脱し、僅かに動き始めた頭脳をフル回転させ、俺はもっともな疑問をぶつけて、相手の反応を見ることとした。

 疑いは晴れていない。この呼び出しと告白が佐藤さんによるイタズラや、仲間内で課せられた罰ゲームの類いではないのかと。その方が腑に落ちた。

 だって、おかしいではないか。嘘やからかいではなく、本気で俺に告白する方が常軌を逸している。


 俺の決死の問いを受け、佐藤さんは目元を緩めて嬉しそうに、更に距離を詰めようとしてきたので、今度ばかりは危険だと咄嗟に後ろへ二、三歩退いた。

 何だろう、そんなに急に近づいて。佐藤さん、俺なんぞと抱擁でも交わす気だったのだろうか。理解に苦しむ。


「新留くんを好きなところだよね? たくさんあるよ、言っていい?」

「た、たくさん……? そんな馬鹿な」

「まずね、声が好き。新留くんの声は、落ち着いていて耳に心地いいの」

「……単にぼそぼそ喋っているだけだよ」

「次に手が好き。シャープペンを握っている指のね、形が好き。すっと長くて、少し筋張っていて。授業中に、隣の席で板書をノートに写している新留くん、いつも盗み見ていたの。知らないでしょ?」

「マジか……マニアックすぎる」

「それと、表情が好き。私と話をしていて、新留くん、たまに笑ってくれるじゃない? 少し困ったみたいな笑顔、あの表情が堪らなく好き」

「えぇ……」

「それから、友達と喋っている楽しそうなところが好き。私の前では見せてくれない顔してる。とっても楽しそうに笑っているから、新留くんの友達が羨ましい限り。でも、新留くんが楽しそうだと、私も嬉しくなるの」

「よく、見ているね……そんなところまで」

「あと、私が話しかけても、ちゃんと聞いてくれるところが好き。いつも相槌打ってくれるし、面倒がらずに耳を傾けてくれるから、私、新留くんと話せることがとっても幸せなんだ」

「いや、話しかけてくれる佐藤さんが善い人なだけだよ……」

「そしてね――……」

「え、いや、もういいよ、やめて。分かったから。お願い。お願いします……!」


 羞恥心に耐え切れず、俺はなおも言い募ろうとする佐藤さんの話を中断させるべく、懇願めいた声を上げた。

 途中で話を遮られた佐藤さんは不服そうに唇を尖らせ、俺をじろりと睨んだ。途端、彼女と目が合って、気まずさゆえに慌てて顔を背けた。

 小っ恥ずかしさから、茹で上がったように熱い頬を見られたくもなかった。


「ええ? これからなのに、全然言い足りないなぁ。でもね、新留くんのことは全部好き。今まではもちろんだけれど、これから新しく知る君のことも、私好きになるよ、絶対に」


 にっこり微笑む佐藤さんはそりゃもう可愛らしかったが、俺はまともに彼女の笑みを直視できやしなかった。

 どうにか平静を取り戻すべく、問いかけた質問攻撃も、怒濤の「好き」の連呼で応酬され、俺は太刀打ちできずにむしろ返り討ちに遭って、精神の摩耗は甚だしく瀕死状態さながらだ。疲労困憊、満身創痍とはこのことか。


「返事、聞かせてくれたら嬉しいな」


 最終通告とばかりに、佐藤さんの投げかけた言葉が胸に重くのしかかる。俺に猶予はないらしく、ちょっと待ったも使えないようだった。

 佐藤さんは明るくて優しさに溢れた可愛いひとであり、男子高校生の憧れる恋人像の権化みたいな女子だった。性格は言わずもがな、見てくれも申し分ない。

 加えて、俺なんかのことを過剰なまでに好んでくれてもいる。すぐさま「こちらこそよろしくお願いします」と告白の返事をする方が普通だろう。


 けれど、俺は変に疑り深いところがある。俺をこうまで佐藤さんが褒めそやす真意を探っていれば、行き着く先には「ドッキリ」「罰ゲーム」という悲しき可能性があった。

 だいたい、俺を恋人にしたとして、佐藤さんには全く利益がないからだ。おちょくって遊ぶだけなら、暇を潰すぐらいの相手にはなっただろう。

 しかし、からかう対象が恋人に昇格するとして、俺を選ぶメリットはどこにも見当たりやしない。


「あの、何というか……佐藤さんにはもっと相応しい人がいると、思う」

「そんなことない。私は新留くんがいいの。新留くんじゃなきゃダメなの」


 やんわりとお断りの文言を伝えるも、佐藤さんは即答で反論してきた。口振りに迷いはなく、表情も真剣そのもので俺は正直、困っていた。

 場に落ちる沈黙を持て余し、眼鏡のツルを指でなぞったり、気付かれないように息を吐いたり、居心地の悪さから無意味に身じろぎした。


「……もしかして、好きな子がいるの?」

「え? い、いや、そういう女子は……いないけど……」

「だったら、私じゃ駄目? 無理かな?」


 わずかに目を潤ませ、緩やかに小首を傾げる仕草は卑怯だと思う。

 佐藤さん自身はまったく悪くない。悪いのは全部小心者である俺なわけで、佐藤千晴と交際するのはハイリスクハイリターンだと恐れをなす自分が駄目なのだ。


 どうしたもんかと天を仰げば、夕焼けの茜色が空一面に広がっていて綺麗だった。ところどころに浮かぶ雲はオレンジ色を宿し、遠くには気の早い星の瞬きがうっすらと見えた。

 昼間の青空はすっかり身を潜め、空の端からは夜を告げる藍色がじわりと迫っている。暖かな晩春も太陽が落ちると、そよぐ風も冷たさを抱く。

 閑散としたうら寂しい体育館裏でまごまご時間を消費していれば、家に帰宅する頃にはすっかり外は真っ暗だろう。

 佐藤さんの自宅がどこにあるのかは知らないが、暗い夜道を女の子一人で歩かせるのはいただけない。

 俺は深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。そうして、おもむろに佐藤さんに向かって片手を差し向ける。


「……新留くん?」

「ええっと、俺で良ければその、よろしくお願いします」

「ほんとっ? 本当に? いいの!?」


 佐藤さんは即座に両手で俺の手を握り締め、ぶんぶんと勢いよく上下に振った。嬉しそうにその場で足踏みするかの如くぴょんぴょん跳ねている。

 その喜び様には呆気に取られるしかなかった。そこまで歓喜されるとは思ってもいなかったから、俺なんかですみませんと、つい謝りたくなってしまう。

 手を握り合い、距離感がぐっと縮まったせいか、いやに佐藤さんの存在を感じてしまった。肩口で揺れ動く彼女の髪から香るシャンプーの匂いやら、柔らかな手の感触やらを妙に意識して、動悸が激しくなって顔が熱くて仕方がない。


「佐藤さん、あの……」

「わっ、ごめんね。はしゃいじゃった。嬉しくて」


 ぱっと手を離し、佐藤さんは浮かれていた己を恥じるように俯き、それでも感情を抑えきれないのか「えへへ」と漏れ出たはにかみ笑いが耳に届く。

 しばらく喜びの余韻に浸っていたらしき佐藤さんは落ち着きを取り戻したようで、所在なくそのまま宙ぶらりんの状態で差し出していた俺の手を、今度は両手で包み込むように握り締めてきた。彼女のあたたかな手の温度にビクリと肩が跳ねる。


「私も言わなきゃ。不束者ですが、末永くよろしくお願いします」

「……こちらこそ」


 軽く頭を下げて挨拶をし、顔を上げて佐藤さんを見やれば、彼女は幸福そうに微笑んでいた。ふふふ、と堪えきれないばかりの笑い声まで漏れ聞こえた。

 そろそろ心臓が音を上げそうなので、手の拘束を解いていただきたい。しかし、佐藤さんが楽しそうならいいのかなあと眉を下げて苦笑する俺もまた、この一連の告白劇に舞い上がっていたのだろう。

 後々、我に返って現実に直面し、冷静さを取り戻したとき、己の浮かれ具合をほとほと痛感するのだった。


 帰宅し、夕飯を終え、課題も風呂も済ませた頃。自室に帰って、ベッドの上に雑に放っていたスマートフォンのランプが明滅していることに気がついた。

 手にとって確認すれば、メッセージの着信を知らせていた。何気なくアプリを立ち上げ、スマホを取り落としそうになった。

 メッセージの送り主は佐藤千晴。つい数時間前、佐藤さんに請われて連絡先を交換したのだった。一体何の用事だろうか戦々恐々としつつ内容を確認する。


『さっきはありがと。改めて、これからよろしくね』


 続けてハートのスタンプが送信されていた。送信時刻を見れば、学校の校門で別れて間もない時間を示していた。別れの挨拶を交わして、すぐに送ってきたらしい。

 俺はどうも立っていられず、勉強机の椅子に腰掛けて思わず項垂れた。続けざまに深い溜め息が零れる。


 俺は佐藤さんの願望通りの恋人役を上手く果たせるのだろうか。

 別に佐藤さんは俺に完璧な彼氏になってほしいと望んではいないはずだが、生まれてこの方彼女がいたことはもちろんなく、家族以外の女子との関わり合いもほぼ無いに等しい人間なのだ。女の子が好む振る舞いをできるわけもない。


 例えば、今だってメッセージの返信文を何と書こうか大いに迷っている。こういうSNSの類いにおいて、殊更重要なのは速度だろう。速いレスポンスが親密度や関心度の高さを如実に証明してくれる。

 だからこそ、俺はうだうだと思い悩まず、適当な返事をすればいいだけなのだが、その適当度合いが分からない。

 友人たちに相談しようと思っても、彼らは俺と同じ人種である。つまり、三次元女子との接触機会に恵まれなかった悲しきオタクたちなのだ。


 そもそも、奴らへ佐藤さんと俺が交際を始めた事実を開陳するつもりは毛頭なかった。何と言われるか想像が容易いからだ。

 俺が友人側なら、馬鹿げた妄想はやめろと、まずは虚言を吐いているのだと疑ってかかる。

 そして、何遍も何遍も確認して本当だと知ったら最後、僻んで妬んで暴言を浴びせかけるに違いなかった。お前は俺と同じ日陰者だと思っていたのに、彼女なんぞこさえて調子に乗るのも大概にしろと詰るのは想像に難くない。


 しかし、返信をしないのも佐藤さんに悪いだろう。既読スルーで明日を迎えれば、顔を合わせたときに何と言われるか。

 いや、佐藤さんは優しいので、きっと怒らないだろう。しかし、俺の据わりが悪い。


「えーい、もう知らねえ。行ってこい!」


 決して押しつけがましくなく、軽やかで親しみも内包する文章を、と画面を睨んで十数分。

 俺は書いては消しを繰り返し、ようやく納得のいく一文を打ち込んで精神的に激しく消耗しつつ、返信を送ることに成功した。


『こんばんは。返事が遅れてごめん。こっちこそありがとう。今後ともよろしくお願いします』


 以降、こんな日々が続くのか、と恐怖に打ち震えていれば、スマホが小さく振動した。すぐにランプが点り、メッセージの着信を知らせてくれた。

 反射的にビクッと肩が跳ね、スマホを放り投げたい衝動に駆られたが、どうにか気を静めて画面を覗けば、もちろん佐藤さんからの返信だった。

 さすがの速度、怖すぎて背中に冷や汗が伝っている。恐々と内容を確認することとした。


『こんばんは! お返事ありがとう。すっごく嬉しいです。新留くん、今何してた?』


 何って、そりゃお前、一行の返事の内容を打つのに何十分も頭を悩ませて唸っていただなんて、暴露できるわけがないだろう。

 それに佐藤さんの返信を見るに、これから少しお話したいな、という雰囲気が画面越しにもビシバシ伝わってきて戦慄が走った。正直言って、勘弁してほしい。

 俺はこれから、明日提出の課題も無事に終わらせた開放感の下、録り貯めていた深夜アニメを消化しようと思っていたのに。


 明日こそ、春アニメの感想を言い合い、今期の覇権予想を議論するぞとアニメ好きの友人から息巻かれていたこともあって、どうにか視聴未遂群のアニメたちの視聴を終えなければならなかった。

 しかし、この精神状態でハーレムアニメを粛々と消化できる気がしない。いや、むしろ逆に視聴することにより、可愛いアニメキャラに癒やされるのでは、と逃避を打ちそうになるが、佐藤さんへの返信に「アニメ観てブヒブヒ言っていました! ツンデレロリっ子最強だぜ!」なんて、決して口が裂けても言えない。いや、書けない。

 そもそも、俺は幼女キャラに興味なんてまるでない。好きな属性は不憫幼なじみ枠です! もしくは、快活で世話好きな元気娘……あ、佐藤さんのことがちらりと頭に過ぎり、ますますアニメを視聴する気が失せてきた。


『さっきまで数学の課題を終わらせていた。佐藤さんは宿題終わった?』

『今、古文の訳に手こずってる最中! 難しい!』

『がんばれ。応援してる』

『ほんと?』

『本当本当。ガンバレー』

『新留くんに応援されたら頑張れそう。それじゃ、今から集中します!』


 数回やり取りすれば、佐藤さんも満足したようで、これから課題に本気で取り組むらしく、今晩はもう返事をしなくていいだろう。通話しながら一緒に勉強しようだなんて、恐ろしい提案をされずに心底助かった。

 はあ、と息を吐き、俺はベッドにごろりと横になった。

 今日は色々ありすぎて、脳味噌が疲弊している。朝、病院に送ったおばあさんは大事なかっただろうか。元気でいてくれたら良いのだが。


 それに何より、机に忍ばせてあったラブレターに振り回された一日だった。

 そもそも、どうして佐藤さんは果たし状を送りつけたのだろう。俺が喜ぶと思って、だとか何とかほざいていた気がするけれども、ラブレター兼果たし状のセンスは如何だろうか。

 今、巷の女子の間では果たし状ブームでも巻き起こっているわけがないし、佐藤さんの面白がるポイントが謎すぎる。俺を好きという時点で、センスが他の女子とは異なっていることは明白だが。


 寝転がってつらつらと取り留めのない考えを展開させていたが、じきに瞼が重くなり、じわじわと眠気の波が俺を襲ってきた。

 アニメを観なくてはと思ってはいるものの、テレビを点ける気力が湧かない。もう無理。眠い。

 とうとう瞼が完全に閉じ、俺は最後の力を振り絞り、部屋の照明を消して意識を手放した。

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