西の境界騎士 ラスヴァルドルとイピオス
王都奪還戦の最終盤、レイヴン王国軍第一軍団が北方から合流したことにより劣勢となった革命同盟軍は早々に撤退を開始した。撤退するロードアース総帥の乗る旗艦を庇う様に他の二隻の空中戦艦が追従したが、その片方を革命同盟軍との戦線に戻ったフィフスウィング――フィフが襲撃した。対航空戦力用の迎撃兵器が満載されている空中戦艦であっても生身で防御壁を展開しながら飛び回り、レーダーにも探知されないフィフに対してはほぼ無力だった。フィフは歓声を上げながらほぼ一方的にその空中戦艦を攻撃し続け、ついにその空中戦艦は体勢を崩して墜落を始めた。
ホークビークは空中要塞アウィス・パルスの管制室からその光景を眺めていた。本物を救助に行ったユーリアとの通信は途絶え、本物のユーリアであるフィフと同時に救助されアウィス・パルスへ運び込まれたカヅラからは、第五軍団長の座が本物のユーリアであるフィフへと移ったことと、偽物のユーリアとテュルクの裏切りが伝えられた。ホークビークはその知らせに驚いたが、それを伝えたカヅラの表情には曇りも焦りも浮かんではいなかった。
彼の視界の先で革命同盟軍の空中戦艦が地表に激突し、その船体の各所で爆発が起きていることが確認できた。管制室の制御端末席に座る軍人が通信機へ向けて戦果を告げる。
「敵空中戦艦『ヴェネーフィカ』撃墜を確認!…フィフスウィング様が撤収を開始、収容準備を急げ!」
その言葉を受けてホークビークは一呼吸の後に振り返り、管制室の扉へと歩き出した。そして操作端末を操っている軍人たちへと告げる。
「大勢は決した、攻勢を中断せよ!追撃は第四軍団に任せればよい…私は“新たな”フィフスウィング様を出迎えてくる」
そして彼は管制室を後にした。そのまま空中要塞内を移動して上部甲板へ繋がる格納庫に入った。飛行型リムも航空機も全て出払っており、その場所は普段よりも広く感じられた。約二年間大きな戦闘を経験しなかった為、その広さがホークビークには懐かしくさえ思えていた。
しかし格納庫には既にもう一人の男、ホークにとって懐かしい顔であるカヅラが立っていた。彼は強化装甲服の着心地を確かめながら左腰の共振刀の位置を何度も確認していた。そして格納庫に入って来たホークビークに気付くと軽く手を挙げ歓迎した。
「久しぶりだな、ホークのじいさん?」
同時にホークビークにとって懐かしい、若い男の声が響いた。ホークビークは一息つきつつ歩み寄りながら応える。
「二年ぶりじゃな?ユーリア様の中に入っていたことを考えれば、そんなに久しぶりでもなかろうて」
ホークビークはそう言って笑ったが、カヅラは肩を落とし、首を振りながら答える。
「『記憶』は別なんだよ…もう“あいつ”はカヅラじゃないし、フィフスウィングでもない…お古の名前だが、あいつが今の“ユーリア”なんだよ」
その言葉にカヅラを目の前に見据えたホークビークは首をわざとらしく傾げながらうめくように言う。二人の会話は静けさに包まれた格納庫内でよく響いた。
「年寄りには何とも小難しい話じゃな…」
外での戦闘は既に収まりつつあり、二人の会話を邪魔するものは無かった。カヅラが右手を振りながら口を開く。
「分かりやすく呆けるなよ?あんたは一応、王位が狙える立場にいるんだからさ」
「…はっはっは!こんなじじいが王になってどうする?ワシは齢を重ねて今の地位を築いたに過ぎんよ…王の器ではない」
カヅラの言葉をホークビークは笑い飛ばした。カヅラはその表情と瞳を見て頷くと、視線を甲板に繋がる隔壁を眺めた。隔壁は最初に稼働音を建てると、静かにゆっくりと上へと開いた。その隙間から外に立つ、一つの人影が現れる。その人影はそのまま格納庫内へと歩みを進めた。
その人影に対してカヅラは姿勢を正し、静かに敬礼した。ホークビークも表情を引き締め敬礼する。人影はそれを見て微笑み、右手で前髪を払い、二人へ向けて問い掛けた。
「王都決戦の借りは返せたかな~まあ返し足りないから、逃げた二隻も墜としたいんだけど…貴方達はどう思う?」
自己紹介や再会の言葉も無しに人影――フィフは二人の前でそう言うと立ち止まった。カヅラが不敵な笑みを浮かべて答える。
「地球人主義者(アーシアン)共が黙るまで続ければいいんじゃないか?少なくとも今攻勢を緩める選択肢は無い…フィフの望み的にもな?」
その言葉にホークビークが溜息を吐いて首を振り、表情を引き締めると進言した。
「第五軍団の方針に異を唱えるつもりはございませぬが、まずはフィフスウィング様がお戻りになられたことを軍団の兵達の前で宣言し、その存在を末端の兵まで知らしめるべきでしょう」
軍団長が不在だった時期に第五軍団を維持し続けてきたホークビークの言葉に、フィフは素直に耳を傾ける。ホークビークは続ける。
「その後に第五軍団全体に休息を取らせ、今回の激戦による疲弊を除去してから革命同盟軍に挑むべきかと…敵の予備兵力は未だ健在で我々にとって脅威であることは変わらず、さらに今回の戦いでは王都決戦で見えた新型のリムは確認されませんでしたからな…その行方も探るべきかと」
ホークビークはそこまで説明すると話を終えた。フィフは数秒考えたが、その言葉に頷いた。
「分かったわ…あのリムの諜報はクロウに任せればいいし、命張ってくれる兵達に顔見せぐらいはしておくべきね?幹部達を然るべき部屋に集合させて…まだあの会議室ってある?」
「当然ですな」
口調が戻ったホークビークの返事に微笑むと、フィフは再び歩き始めた。そして追従する二人へ指示を出す。
「じゃあカヅラはいつも通り私の警護を続けて、ホークビークは各幹部に連絡をつけて会議室に集めて…私の計画を話すわ」
そして一度歩みを止めて振り向き言葉を続ける。
「その後私はちょっと出かけてくるから、戻るまでの指揮は二人に任せるわ」
その言葉に男二人は視線を合わせたが、フィフの黒い月のような瞳に見つめられるとただ頷くしかなかった。
同日第五龍暦二千百三十年九月三十日夜。龍王議会東端に位置する蛇龍議場は、その創始以来最大の混乱の中にあった。議場の眼前に広がる入り江に東威が出現した後、首都から逃れて来たヒストフェッセルら龍王達がぎこちないながらも東威との交流を主導し、その混乱が収まりかけたその時に首都から逃れて来た始原龍ハイマートが上空に現れたのである。ヒストフェッセルらが出迎える中、移動用の飛行船からハイマート城城主であるヒューゲルと、その従者でありハイマートと意思疎通の出来るクレストーアが彼らの前に降り立った。
ヒストフェッセルが真っ先に口を開く。
「ふん!事前の連絡も無しにこの地を訪れるとは、余程急ぎの用があったと見える」
その言葉にヒューゲルが大げさに両手を広げながら頭を下げ、顔を上げると語り始めた。
「此度の訪問が突然のものとなってしまったことをまずはお詫び申し上げたい、しかし事はそちらの思うよりも遥かに重大かつ深刻でありますぞ?」
その言葉にヒストフェッセルが再び鼻を鳴らしたが、それを無視してヒューゲルは言葉を続けた。
「革命同盟軍の攻撃により始原龍議場がほぼ壊滅致しました…もはや議場以外に残る建物が無いと言ってもいい程の状態であり、首都として…いや最早集落としてすら機能しておりませぬ」
その報告に出迎えた龍王達は言葉を失った。特にヒストフェッセルとピウスローアの表情が青ざめる。
「なんだと…!首都の防衛部隊は…クーデターを起こした人軍と第三軍団はどうした!?首都を守らなかったのか!!」
ヒストフェッセルが思わず叫んだ。怒りとも絶望ともとれるその叫びが蛇龍議場に響き、夜闇に消えていく。ヒューゲルはその言葉にしばらく黙考し、言葉を選びながら答える。
「我々に敵軍の動きを伝えた第三軍団の兵士によれば敵の航空部隊の数は一万を超え、第三軍団の航空部隊全軍に匹敵する数で到底防ぎ切れるものでは無いとのこと…」
「ならば第三軍団全軍をぶつければよいだけの話では無いのか!!首都が壊滅など…龍王議会の工業力はほぼ首都に集積してあるのだぞ!?その意味が解っておるのか!!」
ヒストフェッセルは感情を堪えることなく再び叫んだ。その言葉にヒューゲルはあくまで、静かに答える。
「第三軍団は国境と旧王国領に分散して出撃しており、機動力で勝る敵軍の動きに対応できなかったとのこと…兵士によれば旧王国領の主力部隊の行軍を中止しアハトにて待ち伏せ、そこで決戦を仕掛けると」
ヒューゲルもヒストフェッセルと変わらぬ疑問を兵士にぶつけ、その答えを聞き出していた。その答えを聞きヒストフェッセルは絶望を深め、うな垂れた。ヒューゲルが言葉を続ける。
「我々は首都を離れて敵軍の攻撃を免れましたが、遠方から眺めていたその空爆の光景は熾烈を極め、攻撃の収まった跡地にまともに残った建造物は巨大な始原龍議場のみ…民は地下シェルターへと逃れ多くが無事だったとのことですが、シェルターに貯蔵してある食料などにも限りがあり国内の各議場の助力が必要であると、リベルティーア様からの言伝を受けてこうして他議場との交流を断つ蛇龍議場へと直接参上した次第であります」
「リベルティーア様から…」
ピウスローアがその名に反応した。ヒストフェッセルも鼻を鳴らして応える。
「ふん、その口ぶりでは今はリベルティーアが首都を治めているようだな…悪運の強い奴よ」
彼の名を呟き、自然と落ち着きを取り戻したヒストフェッセルは、一度宙に浮かぶハイマートを仰ぎ見ると視線をクレストーアへと移して口を開いた。
「ふん…して、ハイマート様は何と言っておるのだ?」
突然話を振られたクレスは、素直な口ぶりのヒストフェッセルの言葉に驚きながらも頷き、答えた。
「ハイマート様と話しますので、しばらくの間お待ちください」
そして瞳を閉じ、精神を集中させる。
(クレスに意見を求めるか…人も龍も、追い詰められれば変わるものだな…)
クレスの頭の中でハイマートの声が聞こえた。呆れたようで感心しているその声にクレスが応える。
(その言葉を伝えましょうか?)
クレスがあくまで穏やかな口調でそう尋ねると、ハイマートは笑いながら答えた。
(やめておけ、それを望む程この人龍も若くはない…そうだな…こう伝えよ)
ハイマートはそう言うと間を空け、そして言葉を続ける。
(…「私は『羽化』して戦うことを決めた…ハイマート城に住む民をこの街に受け入れよ…そして私の体から離れよ」と…)
その言葉に瞳を閉じたままのクレスは深く息を吸い込んだ。夜の細い空気が肺を満たし、彼女の心を落ち着かせる。始原龍ハイマートがその背から人を降ろして戦うと言ったのだ。彼女はその真意を尋ねようとしたが、それを遮りハイマートとは違う初めて聞く荒々しい声が頭の中に響いた。
(それでよい!“あの男”と今度こそ決着をつけようぞ!)
クレスはその声に叩き起こされるように息を呑んで瞳を開き、宙に浮かぶハイマートの姿を見上げた。そのただならぬ様子を見てヒューゲルが彼女の横顔を見つめて口を開く。
「どうした、クレスよ?ハイマート様はなんと…」
クレスはヒューゲルを一瞥し、視線を上空へと戻すと呟くように答える。
「ハイマート様は城の住民を全てこの街に降ろす様にと…」
その時、夜空を巨大な咆哮が木霊した。それは街を見守る蛇龍センタツの優しい声とは似ても似つかない、荒々しい竜巻のような咆哮だった。その場にいる全員が何事かと騒ぎ始め、初めて聞くその声の主を探して夜空を仰ぎ見ていた。やがて空気の振動する音と共にその声の主が、上空の闇の中から姿を現した。それと同時にヒューゲルは崖に張り付いている蛇龍議場中央部へと歩いて行った。ハイマート城と行き来する飛行船はその崖の中腹にある発着場に停留しており、そこへ向かったのだ。
再びハイマートの声がクレスの頭に響く。
(天から降りて来たか…始原龍『ノームメラ』よ)
ハイマート城から本来は城を照らす為の照明が天へと向けられ、降下してきたノームメラの姿を夜空に浮かび上がらせた。赤く輝く鱗に全身を覆われた蛇のように長い体から、入り江に浮かぶ東威を包み込めるほどに巨大な三対の翼が生え、その姿をより巨大に見せていた。蛇龍議場上空に現れた赤い巨大な龍はハイマートと同高度まで降下すると、彼と対峙した。
固唾を呑んで見守るクレスの頭に再び荒々しい声が響く。
(久しいな『イーラツァリ』よ)
クレスにはその名が誰のものなのか、すぐには分からなかった。しかし『ハイマート』という名前が、ヒューゲルが与えた名前であることに思い至った。一呼吸の間の後、ハイマートが答える。
(今の我が名はハイマートだ…我が人と共に生きることを決めた名だ)
その声にノームメラが長い体の先にある一対の目で地表を見下ろした。ほぼ羽ばたきもしないその巨体は静かに浮き、その瞳は息を呑んで見上げる人々を一人一人吟味しているようだった。そして視線がハイマートへと戻り、先程までと違い穏やかな声がクレスの頭の中に響く。
(ならば急ぐがよい…『あの男』の気配がする…“頭”の方からだ、貴様も感じているのだろう?我々と同じく巧妙に気配を隠してきたようだが…開戦するや隠す気も無くなったらしい)
上空を見上げ続けるクレスにしびれを切らしたかのようにヒストフェッセルが語り掛ける。
「ふん…人間よ、ハイマート様は何と言っておられるのだ?」
「今、ハイマート様は新しく現れた始原龍様と対話しています!私に伝えられたのは『ハイマート城の人をこの街に降ろす』ことだけです…ヒストフェッセル様がこの街の指導者であるならば、ハイマート城の住民の受け入れの準備をお願いします」
思わぬ反論を食らったヒストフェッセルは口籠ったが、しかし自分に出来ることを悟り再び上空の二体の始原龍を見上げ、踵を返して街へと戻っていった。
ハイマートが赤い始原龍ノームメラの言葉に応える。
(我が背から人の子らが降りるのを待て…降りた後に『羽化』し、共に西へと向かおう…)
その言葉にノームメラは微かに頷いた。クレスにはその時、赤い鱗に覆われたその顔が微笑んだようにも見えた。そしてノームメラは視線を、地表で自らを見上げているクレスへと向けた。
クレスの頭の中でノームメラの声が響く。
(我らの声が聴ける人間か…随分と少なくなったものだが、貴様は貴様の役目を果たせ…我は先に西へと向かう)
ノームメラはそれだけ言い残すと再び咆哮し、上空の夜闇へと消えていった。それと同時に崖の方から飛行船の出発を告げる汽笛が響き渡った。蛇龍議場の住民達の混乱は続いていた。
飛行船はその後、朝にかけて数度往復し、ハイマート城の住民が全て蛇龍議場へと降り立つまで蛇龍議場の混乱は収まらなかった。
同日正午。レイヴン王国軍第一軍団は、旧王都奪還戦を終えて部隊の再編成を終えると北から旧王国領内の進軍を続ける境界騎士団と交戦する為に進軍を開始した。空中要塞『ジュエラー』とそれを守護する約五千の飛行型リムからなる航空部隊が高度を取りつつ先行し、その後方に大型輸送航空機部隊、そしてそのほぼ真下の地表を約二千の陸戦型リムを含む地上部隊が行軍している。
ユーリアとノルトとベッコウはジュエラー内の整備された兵舎の一室に軟禁されていた。軟禁と言っても現状ユーリア達に出来ることは無く、ファーストストーンからは戦場に付いた時に一兵士として戦うことを提案され、それを受け入れた形だった。強化装甲服の修復を終えたユーリアが第一軍団の兵士に連れられて軟禁場所の部屋へと戻り、扉から左手側の二段カプセルベッドの下段に飛び込んだ。
部屋には扉が一つに二段式の簡易カプセルベッドが扉から見て両側の壁に一つずつ置かれ、狭い部屋をさらに圧迫している。さらに窓も無く、ベッドと扉がある壁との間にロッカーが四つ置かれているだけの不自由さだ。部屋の上部には兵士達への指令を伝える為だろう、見た目は古いが黒くて頑丈そうなスピーカーが取り付けてある。机一つ無い部屋は正に兵士が眠る為だけの部屋だった。
しかし肝心のカプセルベッドは一兵士用の兵舎の物とは思えない程寝心地が良く、三人とも久々の心地よい休息を堪能していた。特にベッコウは何度も息を零しながらふかふかの枕に頬擦りし続けていた。
「もう一人の女…イーグルアイだったか?大丈夫なのか?」
ノルトが唐突にカプセルベッドに寝転んだまま尋ねた。ユーリアはベッドから上体を起こしてノルトの寝転がる対面のベッドを見上げながら答える。
「あの程度の怪我なら再生液治療で傷一つ残らず完治するよ…多分一日も掛からないから、そろそろ治ってるんじゃない?」
「そうじゃない、立場の話だ…裏切り者は処罰されるんじゃないのか?」
心配そうなノルトの言葉に対し、ユーリアは軽く答える。
「ああそのこと…龍王議会がどうかは知らないけど、王国軍では心配ないよ」
ノルトの疑問に対して涼し気に答えると、ユーリアは再びベッドに寝転がった。それに呼応するように今度はノルトが上体を起こした。そしてユーリアのベッドを見下ろし、口を開く。
「…どういう意味だ?軍団長を殺そうとしたんだぞ!?反逆罪とかで処刑されてもおかしくは…」
ノルトは当然のように続けたが、ユーリアが寝転がったままノルトに見える様に右腕を伸ばして振り、声でそれを制した。
「そりゃ第五軍団に捕縛されてたら処刑されたのかもしれないけど、今彼女がいるのは第一軍団…他軍団の兵士を裁く権限は各軍団長にはないし、ファーストストーンが第五軍団に彼女を売らない限りは守られているし…各軍団は互いに敵対しているから売ることも無いし、それに…」
ユーリアはそこで上体を起こしてノルトと視線を交わして続ける。
「私達も同罪だから、都合がいいよ…まあスパイの可能性はあるから、こういう軟禁生活はしょうがないんだけどね」
そこまで言うとユーリアは再度ベッドに寝転がった。黙り込んだノルトに変わってふかふかの枕に夢中だったベッコウが口を開いた。
「しっかし物騒な国じゃのう?お主が始原龍議場で第三軍団に暗殺されそうになった事もお咎めなしじゃったし、さっきの戦場で第四軍団長は迷いなく第五軍団長を殺そうとし、第三軍団がその第四軍団長を殺そうとしていたからのう…」
ベッコウの言葉にユーリアが苦笑しつつ答える。
「物騒なのは否定しないけど、その物騒な軍が外敵相手に強ければそれでいいの」
ユーリアらレイヴン王国民にとってはこれ以上説明できることは無かったが、王国の普通教育は学問以外に王への忠誠と外敵に対する王国全体での共闘を軸としている。その中で生まれ育ってきたユーリア達王国民にとってそれは説明するまでも無い当然の事であったが、他の国では軍が強いだけでは国が纏まらず戦になれば売国奴が溢れ、王国領を奪還するどころか国民全体で大霊峰を越えて聖地へ脱出するなどという荒唐無稽な作戦も到底成功し得なかった。
ユーリアは顔を向かいのベッドに向けながら続ける。
「王国内で物騒なのは軍内部だけだし、普通の民が幸せならそれで…」
そう言うとユーリアは静かにベッドに身を預けた。ミゼネアの体ではあるが、寝心地の良いカプセルベッドで久しぶりに人間らしい幸福感を得られていた。
その動きを察したノルトは心の中に靄を残しつつ視線を外し、カプセルベッドに横たわり休息を続けようとしたがその時、部屋の天井の隅に備え付けられたスピーカーから会敵を告げる第一軍団特有のサイレンが鳴り響いた。
ユーリアとノルトは自然と体を起こし身構える。そして扉の外に誰かが歩み寄る気配を感じ取った。そして二人が見つめる前で扉が開く。
入って来たのは二人と同じく黒い強化装甲服に身を包んだ、細身の女性だった。彼女のことを知るユーリアは緊張を解く。入って来た女性は恭しくお辞儀をすると二人には視線を向けず、部屋の中央を見る様に立って口を開いた。
「ユーリア様とノルト様、ベッコウ様…ファーストストーン様がお呼びです…管制室へお越しください」
ファーストストーンは管制室の最前に立ち、窓から空中要塞(ジュエラー)の進行方向を見下ろしていた。彼が昼間だというのに濃い霧が立ち込めている地表の森を眺めていると管制室の扉が開き、例の女性とユーリア、そしてベッコウを背負ったノルトが入室した。
女性がファーストストーンに告げる。
「軍団長、ユーリア様をお連れしました」
「ご苦労だったグラネイス」
ファーストストーンがそう答えながら振り返る。グラネイスと呼ばれた女性は礼をすると、ユーリア達の後ろへと下がり管制室全体を監視するように佇んだ。それを確認してユーリアがファーストストーンの前に出て口を開く。
「境界騎士団と接敵したの?」
直線的な問い掛けにファーストストーンは頷く。
「広域質量レーダーが終戦の森を南下する石兵の一団を確認した、恐らくは我々第一軍団が交戦していた『ラスヴァルドル騎士団』だろう」
その言葉と同時に彼は操作盤を操る兵士に目配せすると、兵士の操作で地表を表現した立体映像が管制室中央に映し出された。質量レーダーから得た情報を記したその映像では、地表を歩く巨大な人影が無数に確認できた。
それを見たベッコウが感嘆の声を上げた。
「ほほ~う!龍の事を忌み嫌う連中だとは聞いておったが、実物を見るのは初めてじゃな…」
その呑気な言葉にファーストストーンが小さな笑みを浮かべた。ユーリアがファーストストーンを正面から見据えて尋ねる。
「ここにいる以上は私達も第一軍団に合わせて動くけど…交戦するの?」
その言葉にファーストストーンは小さく息を吐き、視線を交わしながら答える。
「当然だ…王都を奪還した以上、王国領全体の奪還も迅速に進めなければならない」
ここで言葉を切り、ノルトとベッコウの表情を伺って続ける。
「そしてお前達にもリムに搭乗し前線に出てもらいたい」
その言葉自体は予想できたことだったが、ユーリアは静かに答える。
「…私達が裏切る可能性とかは考えないの?」
「裏切りたければ裏切ればよい、だがそれは貴様らにとって利益のある行動ではないだろう?」
ファーストストーンは即答した。そして彼の視線が扉の傍で待機していたグラネイスへと向けられる。彼女は通信機から伝えられた内容を聞き、口を開いた。
「ファーストストーン様、本要塞も敵の射程圏内に入ります…急ぎ戦闘準備を」
静かだがよく通るその声に彼は頷き、視線をユーリア達に戻す。
「…フィフス・ウィングの通信規格を第一軍団に合わせることは間に合わなかったが、王国軍の戦力はどの戦線も足りていない…単独行動で構わない、出撃して欲しい」
その言葉にユーリアが口を開こうとしたその時、制御盤を操っていた軍人が叫んだ。
「敵石兵部隊のコアの発光を確認!第一斉射来ます!」
ファーストストーンが振り返り、地平を見下ろした。地表を覆う濃い霧を貫くように無数の光が零れ出し、それらが光の槍となって空中要塞を襲った。
境界騎士団は百年程前から十年前まで、ジョテーヌ大陸に存在する全ての国との交流を断っていた。南方を支配する龍とも、科学的発展を続ける人々とも異なる“使命”を持つ彼らは、ただその創始の時から続く生活を続けながら、ジョテーヌ大陸と北の海上に浮かぶ『死の大陸』との境界を塞ぎ続けていた。
その境界騎士団領の西方を守護する主騎士ラスヴァルドルは、新たにその座に就いた中央騎士団長の言葉に従い十年前、今まさに歩いている森を通り王国領へと侵攻した。兵器としてリムが一般的に利用され始めていた当時、ラスヴァルドルら西方騎士団はラインハーバー連邦のリム部隊と初めて戦い、そして敗北した。騎士団を構成する石兵部隊を遥かに上回る機動力を持つリム部隊に対して、石兵達は終始翻弄され続け補給線を断たれ、撤退を余儀なくされたのだ。
その苦い記憶と共にラスヴァルドルは霧の濃い森を歩き続ける。しかしその肩には十年前にはいなかった一人の女性従騎士の姿があった。騎士団の主力はラスヴァルドルら石兵となった主騎士達だが、従騎士と呼ばれる、いずれ石兵となり未来永劫騎士団領とその使命を守り続ける人も少数だが配備されていた。
石兵となり言葉を発することも出来なくなったラスヴァルドルには、その従騎士に意志を伝えることは出来ない。だが彼女の持つ槍がラスヴァルドルの肩、体を構成しているコアが露出している部分に突き立てられている間だけ、言葉を伝えることが出来るのだ。
濃い霧の中をラスヴァルドルは騎士団の先陣を切り歩いている。その巨体は森の木々を上回り、その足音は森の湿った土であっても緩和できるものでは無く、霧を越えて周囲に響き渡っている。
(敵の『波』を感じる…我らの光が届く距離だ)
ラスヴァルドルがそう念じると、瞳を閉じ肩に槍を突き立てていた彼女が目を開き、立ち上がった。
「…ふぅ、この霧だと全然見えないけど了解した…衝撃には備えてるから、いつでも始めていいよ」
頭からつま先まで、全身を隙間なく覆い尽くした鎧を着こんだ彼女の緊張した言葉に、ラスヴァルドルは心の中で優しく微笑んだ。
(死を恐れるな…従騎士のお前は既に、この戦での生死に寄らず我らと同じ主騎士となり、騎士団領を守る栄誉に就くことが約束されているのだ)
その言葉はラスヴァルドルの本心であった。人の寿命は定められているが、石兵の身となった彼には寿命は無く、既に長い時を生き続けているのだ。その間に彼に従騎士として仕えた人を数え切れない程主騎士へと成長させてきたことに、彼自身楽しみとやりがいを感じていた。そしてもう一つ、彼が主騎士として大成した理由があった。
彼がゆっくりと右腕を上げた。石兵はその大きさも形も様々だが、人型であることとコアの露出部分だけは一致している。胸部と肩部、そして両掌だ。彼は掲げた右手を一際大きく感じる『波』の発生源へと向け、その掌を開いた。そこに露出するコアが輝きを増し、彼に追従してきた石兵達も同様に各々の手を掲げ始める。
(始めるぞ…我々の戦いを…)
その言葉に従騎士が身構え、突き立てた槍を持つ手に力を込めた瞬間、右掌から炸裂するように光の筋が放たれた。それは霧をかき乱しながら突き抜け、狙い通りの方向へと直進する。
そして発射の衝撃に耐えた従騎士が着弾音に上空を確認すると、霧は無数の光線によって晴らされ、今の時間に相応しい日の光が上空から感じられた。
そして彼女は青い空を夜闇が切り裂いたかのように浮かぶ、黒く巨大な空中要塞の姿に息を呑んだ。石兵の光線をものともせずに空中に浮き続けている空中要塞から次々に黒い飛行型リムが出撃する様は、引き裂かれた空間から偉業のものが湧き出てくるのを目の当たりにするようなおぞましい光景でもあった。
従騎士の恐怖を感じ取り、ラスヴァルドルは落ち着いた声を掛ける。
(安心するのだ『イピオス』…お前の鎧も槍も、奴らを倒す為に造られたものだ…勝てぬ相手ではない)
イピオスと呼ばれた従騎士はその言葉にラスヴァルドルの顔を見上げ、そして頷いた。そして槍を肩から引き抜くとそのまま構えた。
「…私は勝つよ…勝って、生きて帰って…それから…」
その言葉を遮るように空中要塞が反撃を開始した。主砲から光線が放たれ、地表を進む石兵達に無差別に浴びせられる。ラスヴァルドルら石兵は光線では傷付かないが、これは従騎士達を殺す為に放たれているものだということは明白だった。イピオスは咄嗟に肩から跳び立った。
跳び立ったイピオスの鎧の表面に先程まで見えなかった光の筋が現れる。彼女は重力を無視しているかのように遥かな高度まで跳び上がり、一気に森の木の一つへ向けて降下した。ラスヴァルドルは彼女が鎧を着こなしていることを確認すると、上空から迫る飛行型リムに精神を集中した。
手に持つ銃から光線を乱射し急降下してくるリムに対して、石兵達も両掌から光線を撃ち出し続けて反撃する。戦場となった森の木々が戦闘の余波を食らってなぎ倒されていくが、未だ地表付近を覆い尽くしている霧の影響で火災には至らなかった。
そしてついに第一軍団の飛行型リムが石兵達の攻撃をかいくぐり、先頭に立つラスヴァルドルの眼前に迫った。リムは間合いを詰めながら乱射していた光線銃を脚に格納すると、異様に巨大な装置を付けた右腕をラスヴァルドルの頭部へ向けて突き出した。
そしてその巨大な装置の正面が開き、内部から瞬時に実体化された巨大な杭が撃ち出された。第一軍団兵器開発局が開発した対石兵用新兵器の『砕石槍』は、第一軍団との緒戦でラスヴァルドル騎士団の石兵達の不意を突き、多くの石兵達を撃破していた。
ラスヴァルドルはその攻撃を読み、その巨体からは似合わぬ速さで動くと紙一重でそれを躱し、石兵に特有の関節を回転させた動きでリムの胴体に左手の甲を打ち付けた。そしてその反動で腰の関節を反転させつつ右手に石の剣を出現させるとそのままリムへと横薙ぎに叩きつけた。飛行型リムの胴体部分が質量にものを言わせたその攻撃に圧し潰され、森の霧の中に消えていった。ラスヴァルドルが体勢を整えると自らの左手の甲を見た。強固な装甲のリムを殴り飛ばしたため多少表面に傷が付き欠けていたが、その表面は輝きながら瞬く間に再生し、元の形に戻った。石の剣も光となって消える。
これが騎士団を構成する石兵の強さでもあった。表面を覆う石部分をどれだけ破壊しても砕け散った欠片は光の粒となって消滅し、欠けた部分は瞬く間に光と共に再生する。さらにそれを応用して石の武器を出現させる。王国軍が用いるホログラフィックウェポンの技術と根幹を同じくしたものである。
他の石兵達はラスヴァルドルほど素早く動くことは出来ないが、一方的に攻撃を受けている様子では無かった。そしてその間を縫う様にイピオスら従騎士達が不規則な軌道で跳び回り、リム頭部に埋め込まれているメインカメラをその槍で狙っていた。従騎士が王国の主力兵器であるリムに対抗するには、リスクを伴ったとしてもこう戦う他なかった。
ラスヴァルドルは空中要塞目掛けて前進した。主砲の攻撃は硬い石の体に効かなくとも、それが地面に着弾して巻き上げる土や煙が視界の邪魔であることに違いは無かった。主砲の死角である要塞下に入り込めれば飛行型リムが相手であったとしても白兵戦で互角に戦える目算があった。しかしその動きを察知した空中要塞は死角を減らす為に降下を始めていた。同時に陸戦型リムを少数降下させ始める。
ラスヴァルドルの全身から溢れるコアがその輝きを増した。その動きを察知したイピオスがラスヴァルドルの肩に戻り、着地と共に肩の露出したコアに槍を突き立てる。ラスヴァルドルは念じた。
(走るぞイピオス、振り落とされるな)
イピオスが無言で頷いた直後、ラスヴァルドルのコアが一際激しく輝いて周囲の霧を吹き飛ばした。そしてラスヴァルドルが大地を蹴り、その巨体では信じ難い素早さで駆け出した。蹴り飛ばされた大地が背後へと抉り蹴飛ばされてゆくが、それが大地から離れる前にラスヴァルドルは次から次へと足を踏み出し木々をなぎ倒しながら高度を落とした空中要塞へと迫った。
(油断したな、ファーストストーンよ…)
開戦時に直接対決した敵軍の将の名を思い出しながら、ラスヴァルドルはそのまま主砲の死角へと潜り込むと大地を鉛直に蹴り、空中要塞へと飛び掛かった。森の地面が激しく崩壊し、それに見合った勢いでラスヴァルドルの体は跳び上がり、空中要塞最下部の格納庫へと迫った。その隔壁が開いていることを確認してラスヴァルドルは念じる。
(このまま格納庫へ突っ込むぞ!)
そう念じた瞬間イピオスが槍を抜き構え――同時に格納庫の中から一機のリムが飛び出してきた。機体胸部に五翼の鳥の紋章を持つそのリムは一直線にラスヴァルドルへと飛び掛かり、瞬時にその右手に刀を実体化させて目前の敵に斬りかかった。ラスヴァルドルも再び右手に石の剣を出現させて振り下ろす。
凄まじい質量同士、そしてその勢いを乗せた攻撃が空中でぶつかり合い、地表の霧を吹き飛ばすほどの衝撃波が発生した。その衝突の直前にイピオスは跳び上がったが、そのまま衝撃波で上空へと吹き飛ばされた。それでも輝く鎧の力を使って態勢を整えるとラスヴァルドルと鍔ぜり合い、弾き合った敵のリムの頭部へと狙いを定めて槍を構えると獲物を狙う鳥よりも早く急降下した。弾かれた体勢のリムは上空のイピオスを見上げて咄嗟に防御壁を展開した。背部に装着されている二基の小型の光粒子エンジンが激しく光の筋を放ち、リムの姿勢制御と滞空を辛うじて保っていた。
そこにイピオスは突撃した。防御壁を石兵のコアから造られた槍で突き、小さな穴を開けるとそれを勢いのままにこじ開けた。こじ開けた防御壁の穴を通りイピオスの槍がリムへと迫る。リムは迫りくるイピオスをのけ反りながら睨んでいたが、体勢を戻すには至っておらず回避できそうにも無かった。
イピオスが攻撃の成功を確信した瞬間、リム胸部のハッチが勢いよく開かれた。そしてリムと同じく黒い強化装甲服に全身を包んだ男が飛び出した。その手に片刃の剣を構えながらイピオスへと迫るが、イピオスは一瞬開かれたハッチ内から見上げる人物を見た。飛び出してきた男と同様に全身を強化装甲服に包み、操縦肢に体を預けている女性と一瞬だけ目が合い、ハッチが閉じられた。
そしてその直後にイピオスは槍を穂先で素早く円を描くように振り、自分へ向けて突き出された龍剣を軽く弾くとそのまま男の頭部を狙い槍を突き出す。しかし龍剣の男はヘルメットの装甲でそれを受け流し、左手で槍を掴み取った。そのまま龍剣が弾かれた反動を利用し、掴んだ槍を後方へ送り出す様に体を回転させるとその勢いのままに龍剣で斬りかかった。
イピオスは槍を持つ手に力を込めた。そして体をのけ反らせて龍剣の軌道から体を逸らすと、自らの眼前を過る龍剣を見切りながら男を思い切り蹴り飛ばした。龍剣の男はあっけなく蹴り飛ばされたが、イピオスは追撃を止めて鎧の力で体を急上昇させた。
その体を掠める様に光線が空を切った。左手に光線銃を出現させたリムがイピオス目掛けて発射したそれは青い空へと吸い込まれるように消えていった。イピオスが見下ろす中、体勢を立て直した黒いリムとラスヴァルドルは森へと落下しながら互いを確認し合い、着地した直後に森の土を蹴り上げながら突撃した。ラスヴァルドルの石の剣と黒いリムの刀がぶつかり合い、周囲の霧が衝撃波で揺らぐ。
龍剣の男は鍔ぜり合う黒いリムの背後で龍剣を木の幹に突き立て、勢いを殺しながら着地した。幹から龍剣を抜き取るとリムの元へと走った。鍔ぜり合う二機の上空で既にイピオスが槍を構え直し、黒いリムへと狙いを定めていた。龍剣の男は走り出しながら通信機へ向けて叫んだ。
「ユーリア、空だ!」
「分かってる!あの従騎士、動きがおかしい…!」
龍剣の男――ノルトの警告にユーリアの焦った声が答えた。しかしラスヴァルドルの力はフィフス・ウィングの力でも押し切れるものでは無く、そしてユーリアが刃を引けば逃げるにしろ構え直すにしろ、先に石の剣に薙ぎ払われることもここまでの動きで理解していた。
その状態のフィフス・ウィングに上空からイピオスが迫った。霧が飛び散った空気を円形に貫きながら正確にその頭部、透過装甲に守られたメインカメラを狙う。ユーリアは分かっていても目の前のラスヴァルドルとの鍔迫り合いを止められず、駆け寄るノルトも到底間に合いそうにも無かった。
ついにイピオスの槍が間近まで迫った時、ユーリアは視線をイピオスへと向けた。リムよりもはるかに小さな従騎士の全力の一撃が目前に映り、そして視界が黒く消えた。
イピオスの槍が轟音と共にフィフス・ウィングの頭部を貫いていた。透過装甲が割れて内部のメインカメラは完全に機能を停止した。一歩遅れてノルトがイピオスへ斬りかかったが、イピオスは上空へと逃れ、龍剣は空を切った。
メインカメラを貫かれたフィフス・ウィングは一瞬視界を途切れさせ、左右肩部に付けられたサブカメラによる天球モニター状態に移行した。ユーリアのヘルメットへと送られていたメインカメラの映像も遮断され、いつも通りのベッコウが残された操縦室の光景が視界に入った。その間もユーリアはフィフス・ウィングを操りラスヴァルドルと鍔迫り合い、対峙し続けていた。
しかし天球モニターに映し出される映像はカメラの位置の都合上、操縦肢での操作にはあまりにも不向きであり、ユーリアはただ正面の敵と鍔迫り合い続けるほかなかった。
それを察したノルトはラスヴァルドルへと斬りかかったが、頭部の露出したコアから光線が放たれた。ノルトは咄嗟に龍剣と強化装甲服で受け止めたが、後方の霧の中へと吹き飛ばされた。
「ノルト!」
ベッコウが叫んだ。ユーリアはその光景をただ歯を食いしばりながら眺める他なかった。上空を見上げるとイピオスが槍を再び構え直し、今度はメインカメラでは無く胸部の操縦室にいるユーリア本人に狙いを定めていた。石兵のコアから作り出されたイピオスの槍はその輝きを増し、槍を補強するように鋭く輝く刃を穂先に実体化させた。螺旋状のドリルのようなその穂先の狙いを定めると、輝きと共にイピオスは急降下を開始した。
その槍が迫った時、ついにユーリアは刀を消滅させると同時に背後へ飛び退いた。そして瞬時に実弾式のレールガンを両手に実体化させると、眼前のラスヴァルドルの胸部へ四発立て続けに撃ち込んだ。弾速の速いレールガンを回避することは出来ず、ラスヴァルドルは追撃が遅れた。その隙にユーリアはさらに距離を取ろうとしたが、ラスヴァルドルとの間に降下してきたイピオスがその槍を地面と水平方向に構え直し、そのままフィフス・ウィングへと突撃した。
(やっぱり革命同盟軍の重力制御と同じ…!)
ユーリアは迫りくるイピオスの動きを見て悟ったが、既にその槍はリムの胸部へ突き立てられていた。イピオスの雄叫びと共にその槍はリムの外部装甲とフレーム、そして操縦室の天球モニターまでも貫き、操縦肢に組み込まれ身動きが取れないユーリアの体に迫った。
操縦室内に残されていたベッコウが何かを叫んでいる。その叫びを消し去って余りある、槍がリムを貫く音が最後に聞こえて、ユーリアの体を美しい穂先が貫いた。
(倒せるのならば私が緒戦で倒していた…ラスヴァルドルとその従騎士はリムを食らうのだ)
自らのリムに乗り、上空を飛行しながらフィフス・ウィングとラスヴァルドルの戦いを眺めていたファーストストーンは戦いの結果を見届けると、心の中でユーリアを嘲笑った。第五軍団長と戦っていたことは王都奪還戦で自ら視認していたが、それは第五軍団だけではなく王国軍全体に対して反逆を起こした際にも起きうる行動であった。その為ユーリアを単独行動させてラスヴァルドル騎士団に対して挑ませた。生き残ればそのまま第一軍団に同行させてもよいと考えていたが、
同時に第五軍団を裏切ったアイは治療を施した後に要塞内で軟禁しており、ユーリア亡き後に正式に第一軍団へと編入させる予定であった。そして龍王議会から来たノルトは最初から死なせるつもりだった。
(今の龍王議会軍がどうであれ、私は二年前の裏切りを決して忘れん…)
そして彼は地上の霧を眺めた。ラスヴァルドルとユーリアの激闘で僅かに晴れていた霧は再び地上を覆い尽くし、その下を動く石兵の足音が響いていた。森の各地で第一軍団のリムとラスヴァルドル騎士団の騎士の戦いが激化する中でファーストストーンは獲物を見定めると、その右手に長銃身の光線銃を出現させた。
そんな彼に空中要塞で指揮を執るグラネイスから通信が入った。
「ファーストストーン様、広域質量レーダーに反応があります…後方から低質量状態の空中要塞級の反応が高速で接近しています…形状から王国軍のいずれかの軍団のものと思われますが、こちらからの通信に応答がありません」
そこで一度言葉を切り、暗い声で続ける。
「第四軍団からの援軍か、あるいは…」
彼女の言い淀んだ言葉の続きはファーストストーンにも容易に想像がついた。即座に機体を百八十度振り向かせると、全部隊に対して通信を繋げると叫ぶように指示を下した。
「全部隊騎士団への攻撃を中止し反転!ジュエラーは通常高度まで上昇し、主砲の充填を完了させて後方より迫る空中要塞との戦闘に備えよ!騎士団からの攻撃は、高度を上げ防御壁を張れば無視できる、接近する空中要塞を優先して攻撃せよ」
その言葉が伝えられ即座にジュエラーは反転を開始した。その直後、グラネイスから緊迫した声で通信が響く。
「対象の速度増大!主砲射程距離内に突入、反転間に合いません!」
「飛行型リム部隊が前進して時間を稼ぐ!」
そう答えた瞬間、低質量移動を完了したもう一基の空中要塞が姿を現した。ファーストストーンが真っ先に確認した紋章には五翼の鳥が描かれていた。
「第五軍団…早速動いたか!」
慌てて戦列を整え始める第一軍団の前に、第五軍団の空中要塞アウィス・パルスが姿を現した。通常質量へその姿を戻し通常航行へ戻るや否や、即座にその主砲を未だ低空域から上昇し切れていないジュエラーへ向けて撃ち下ろした。ジュエラーは防御壁でそれを防いだが、アウィス・パルスから無数の飛行型リムが飛び立ち、第一軍団の飛行型リムが戻るより早くジュエラーに襲い掛かった。
ファーストストーンは接近しつつ長銃を構えてスコープを覗き込み、飛び立った第五軍団のリムを狙い撃つ。しかしそのスコープの先でリムとは違う軌道で飛ぶ小さな影を見た。強化装甲服に全身を包んでいたが、顔を見らずともその正体を彼はよく知っていた。
「本物のユーリア…いや、新たなフィフスウィングか…!」
フィフは高速でファーストストーンへ接近した。ファーストストーンも前進を続けながらフィフに狙いを定めて容赦なく引き金を引く。しかし不規則な軌道で射線から身を翻し続けるその動きに翻弄され、ついに長銃を格納すると刀を展開し直接斬りかかった。
フィフは振り下ろされる刀を回避せずに防御壁で受け止めた。両者とも反動で弾き合うことも無く、至近距離で睨み合う。そしてフィフが防御壁を急拡大させ刀を弾くと、両掌から光線をファースト・ストーンへ撃ち込み、その機体を吹き飛ばした。落下して行くファースト・ストーンに追撃しようとしたその時、ジュエラーと追随してきたリム部隊がフィフへ光線銃を撃ち込んで介入した。フィフは防御壁を展開しながら回避し、上空へと逃れた。
「ファーストストーン様!ご無事ですか!?」
グラネイスの声が操縦室に響く。彼はそれには応えず、再び長銃を出現させると上空へと放った。フィフは多少掠るように撃ち込まれた光線を軽々と回避しファーストストーンを見下ろしたが、上空で響いた爆発音に振り向いた。その視線の先でアウィス・パルスの主砲が爆発炎上しているのを見ると、フィフは迷わず空中要塞の護衛に戻った。
「どうやら…フィフスウィングはただの暴君では無かったらしいな」
ファーストストーンはそう呟きながら上空を確認すると、第一軍団の飛行型リム部隊がジュエラーの防衛に間に合い、第五軍団のリムと交戦しているのが見て取れた。ジュエラーも反転を完了し、高度を上げつつ主砲を放ち応戦できていた。彼は加勢しようとしたが、光粒子エンジンの損傷を伝えるアラートが点滅しており、上昇することもままならなかった。辛うじて機体の体勢を整えると着地姿勢に入る。
ファーストストーンはジュエラー管制室へ通信を繋げ、現状を報告した。
「こちらファーストストーン、主エンジンが損傷した為不時着する!上空の戦闘が片付いたら援軍を寄こしてくれ」
「了解しました!すぐさま救援へ向かいますが、霧に潜む騎士団に注意してください!」
グラネイスの声が響き、通信はすぐに切れた。恐らくグラネイス自身が出撃してくるのだろうと考えながら彼は霧の中へと飛び込み、湿った森の地面へ着陸した。霧が着陸音を吸収し、彼は静かに周囲を確認した。機体に搭載されている簡易質量レーダーが周囲の地形と木々、そして背後から急速に接近する巨大な影を探知すると、ファーストストーンは機体の両腕にホログラフィックウェポンの砕石槍を出現させ、振り返りざまに右腕の槍を射出した。
接近する巨大な影――ラスヴァルドルは体を腰の部分で九十度のけ反らせて回避すると、そのまま地面を滑りながら右腕を回して殴り掛かった。ファーストストーンは損傷の無かった光粒子エンジンを起動させて後方霧の上まで飛び退くと、左腕の砕石槍を撃ち込んだ。しかし光の槍は地面を直撃し、激しく土を抉り出した。
寸でのところで跳び上がったラスヴァルドルは右手に石の剣を出現させ、それを眼前を飛ぶ機体へと投げつけた。ファーストストーンはそれを防御壁で防いだが、ほぼ同時に上空からイピオスが突撃した。
イピオスの槍がユーリアを貫いた時と同じく激しく発光しながら防御壁を貫いたが、ファーストストーンは彼女を右手で払いのける。イピオスはその衝撃に呻きながら霧の中へと落下していった。
(イピオス!)
ラスヴァルドルはその声が届かないと知りながら心の中で叫び、激情と共に両腕から光線を放った。ファーストストーンは防御壁で受け止め、再び霧の中へと降下した。霧の中で防御壁と砕石槍を再展開すると簡易質量レーダーが送ってくる周辺の状況を注視する。前方にラスヴァルドルと思われる影が降下し、少し離れた地点に先程の従騎士と思われる影が確認できた。
(逃げることは叶わないか…ならば戦うのみ!)
正面の巨大な影が接近するのを見てファーストストーンは防御壁を縮小させた。そして霧の中から現れたラスヴァルドルへ向けて左右腕部の砕石槍を続け様に撃ち出した。
ラスヴァルドルはそれを避けず、両腕に石の剣を出現させそれを盾に砕石槍を受け止めた。剣は砕け散ったが、ラスヴァルドルはそのままファースト・ストーンへ右掌を突き出した。防御壁に掌が衝突した瞬間、掌のコアから光線を放出した。防御壁の表面で爆発が起こり霧が吹き飛ばされた。
ラスヴァルドルは防御壁が砕け散ったのを確認すると胸部コアから光線を射出した。それを受けたファーストストーンは吹き飛ばされ、後転しながら向き直る。
「人であることを捨てた石人形共が…!」
目の前に立つラスヴァルドルへの敵意を隠さずにそう呟いた瞬間、ラスヴァルドルは上空を見上げ後方の霧の中へと飛び退いた。そしてその地点にレールガンの弾が着弾したのを見てファーストストーンは静かに息を吐いた。
「救援が遅れましたことをお許しください、ファーストストーン様」
通信機からグラネイスの淡々とした声が聞こえると、ファーストストーンは上空に現れた飛行に特化したグラネイス専用リム『ガーネット』を見上げ応える。
「救援のタイミングは完璧だったと褒めておこう…戦況はどうなっている?」
その言葉にグラネイスは優しい声で説明する。
「第五軍団からの攻勢は続いていますが、敵空中要塞の主砲を破壊したことにより全体的に優勢に推移しています…戦況という意味では騎士団の攻勢に対して地上部隊が苦戦を強いられており、かなりの劣勢となっておりますので、早期の撤退が必要かと思われます」
その言葉にファーストストーンは即座に全部隊へ命令を下した。
「全軍へ優先命令を伝える!騎士団側の戦線は撤退、侵略者を排除しようとする我ら第一軍団の後背を突いた第五軍団の処罰を最優先せよ!」
グラネイスの力を借りて上空へ戻って行くファーストストーンを確認すると、ノルトは登っていた木から霧の中へと飛び降りた。地表に着地すると周囲の音に細心の注意を払いながらフィフス・ウィングの落下地点へと走った。
フィフス・ウィングが従騎士に貫かれた後、ノルトは従騎士とラスヴァルドルからの追撃を受けた。しかし霧を利用して森の中に隠れ潜むとラスヴァルドルらは次の敵、ファーストストーンへ目標を変えノルトの元から離れていった。そして彼は状況を確認する為に高い木に登ると、上空で交戦する第一軍団と第五軍団の空中要塞、そしてファースト・ストーンを発見し偵察を続けていた。
彼が強化装甲服の光粒子探知機能を用いてフィフス・ウィングを見つけた時、機体は胸部を貫かれ、仰向けに倒れて動かなくなっていた。しかしその中からベッコウの情けない声が聞こえてくる。
「ノルトや~…早く来るんじゃ~…この狭い部屋で残りの余生を過ごすのは絶対に嫌なんじゃ~…」
ノルトは胸部に登ると声が漏れ聞こえてくるその穴を覗き込んだ。そしてその先の光景に絶句した。
「…っユーリア!」
「おお!ノルトか!?」
ノルトの声にベッコウが歓喜の声を上げた。しかし今のノルトにはベッコウの事を気にしている余裕は無かった。すぐさまハッチを開こうとしたが胸部に開かれた穴が干渉して開かず、ついに龍剣を使ってハッチを強引に切断し操縦室へと侵入した。
操縦室は暗く、胸部の穴と無くなったハッチから差し込むやわらかな光がその内部を映し出していた。ベッコウは床と操縦席の間に挟まり身動きが取れなくなってじたばたともがいていたが、それよりもノルトは操縦肢に組み込まれたままのユーリアに手を伸ばした。
「…ユーリア?」
普通の人であればすぐに死んでいると判断したであろう程に損傷したユーリアに語り掛けたのは、彼女の体が機械であることを知っていたからだった。しかしそれでもユーリアは瞳を閉じたまま答えなかった。その胸部の強化装甲服はリムと同じく激しく抉られ、ミゼネアの金属の体ごと穴が開けられていた。血は流れておらず、彼女が人外の存在だということをノルトは再認識した。
ノルトは一度ユーリアから視線を逸らすとベッコウを助け出した。ベッコウはやれやれと大きく息を吐いた後、ユーリアの姿を確認して静かに黙祷した。
「勇敢な戦士じゃった…二千年以上のワシの生の中、出会った人の中で間違いなく最も苛烈に生きた人物じゃろうて」
弔辞を述べ始めたベッコウを無視して、ノルトはユーリアの体を操縦肢からゆっくりと外した。冷たい機械の体に触れ、この体は生きていた時から冷たかったのだろうかと操縦席へと優しく寝かせ固定した。ユーリアの腰に差してあった刀と龍剣を操縦席の下へとしまった。
その時彼はようやく機体がまだ起動した状態であることに気が付いた。簡易レーダーも通信機も機能しており、機体はまだ生きていた。
「…動く、か?」
ノルトは操縦肢に体を固定した。操縦肢も問題無くノルトの四肢を認識し、ノルトが立ち上がる様に意識を送ると、フィフス・ウィングは霧の中で静かに立ち上がった。操縦室内の天球モニターも同時に起動したが、肝心の正面は従騎士に開けられた穴のせいだろう、天球モニターは起動せずに開けられた穴と外されたハッチの部分からしか外部を確認出来なくなっていた。
しかしノルトは簡易質量モニターが伝える外部の地形情報をもとにこれからの行動計画を考える。ベッコウがその顔を眺めて尋ねた。
「頑丈な機械じゃのう…して、これからどこへ向かう?第一軍団の助けを待つか、どこか別の場所へ逃れるのか…」
「どうするかな…霧の中に潜伏も有りだと思うが、第一軍団は俺達に味方する気が無さそうだからな…龍王議会まで逃げるか?」
ノルトは溜息と共に応える。ベッコウが続ける。
「間違いなく見つかるじゃろうて?よしんば第一軍団を撒いた所で、南には第四軍団と第五軍団が構えておるじゃろう?」
「…敵だらけだな…ある程度は覚悟していたんだが、こんなにきついことだったのか…守るってことは」
ノルトは動かないユーリアを見てブレンナーシュの命令を思い出していた。龍王議会人軍としての命令だったのかもしれないその言葉に、ノルト自身踊らされていたのかもしれない。しかしこの状況を諦める理由は一つも無かった。
「恐らく一手間違えればそのまま死ぬだろう…最前の行動を考えるんだ…」
「じゃな…」
そして二人が黙った時、通信機に友軍機から通信が入った。ノルトは警戒しながら通信を繋げるとこの状況で最も信頼における声が聞こえて来た。
「ユーリア様、あとおまけの龍王議会人と亀いる…?」
彼女の声は緊迫していた。ノルトは素早く応答する。
「アイ、無事だったか!ノルトだ、ベッコウと…ユーリアもいる」
その応答にアイの安堵の吐息が聞こえたが、ノルトは言葉を続けた。
「ユーリアが敵に胸部を貫かれて、普通の人なら死んでいる傷を受けて動かなくなっている…」
その言葉を聞いたアイが沈黙した。ノルトはさらに続ける。
「リムは動かせるし各種レーダーと通信機は動いているが、メインカメラと胸部前面が大破、天球モニターも肝心の正面が機能していない」
「状況はわかった…リムの胸部正面には装甲しかないから、前がどうしても視認出来なければパージして大丈夫だよ、やり方が解らなかったらリムの手で剥がして!諸刃の剣だけど視界の確保が先決だから…」
その説明を聞いてノルトは右手を動かし、胸部の装甲に爪を立てるように動かした。ノルトとベッコウの目の前、胸部の穴からリムの黒い指が操縦室内に侵入するとそのまま装甲に指を立て、正面の装甲と天球モニターを引きはがした。元からそう設計されていたのだろう、正面だけが綺麗に引きはがされた。
装甲が剥がれる音と地面に捨てられる音を霧が吸収し、二人の視界が開かれた。ノルトが報告する。
「装甲を剥がした、これからどうする?第一軍団も第五軍団も、ましてや騎士団に見つかるわけにもいかない」
「わかってる…私が上空から誘導するから、東北東に向かって進んで!一応当てはあるから…」
霧の中へと消えて行くように語気が小さくなっていったことが気になったが、ノルト達に選択する余地は無かった。ノルトは答える。
「東北東だな?分かった、信じるぜ」
そしてすぐにフィフス・ウィングは走り始めた。霧がその動きを辿る様に流れ、その足音を吸収する。動き始めたのを見てアイが通信で周囲の状況を伝える。
「周囲と前方に石兵の影は無いよ、一気に駆け抜けて森を抜けて!」
その言葉通りにノルトは走り続けた。アイの言葉に嘘は無く、騎士団の石兵達と出くわすことなく森を、そして深い霧を抜けた。
ノルトは真っ先に上空を確認した。そして後方上空で空中要塞同士が撃ち合っているのを視認すると続けてアイに話し掛ける。
「アイ、森を抜けた!どこにいる?」
「見つけた~かなり上空で偽装迷彩掛けてるからそっちからは見えないと思うけど…」
そして小声で「見えてたら困るけど」と付け足すのを聞いて通信は終わった。ノルトは上空を確認したが、青い空が広がっているだけでリムは一機も確認できなかった。しかしそれはノルト達にとって都合の良いことでもあった。
アイは咳払いと共に通信を再開した。
「私の事はともかくこのまま東北東に直進、大霊峰まで一気に駆け抜けて~」
アイは簡単に言ったが、霧の森から大霊峰までリムで駆けても半日は掛かる距離だった。しかしノルトは足を止めることなく、視線の遥か先にそびえる山麓を睨むように見つめ進み続けた。
ベッコウがノルトを見上げて話し掛ける。その表情は他の人には分かりづらいが、ノルトには微笑んでいることが良く解った。
「ノルトや~一先ず窮地は脱出かの?そして次はあの山に行くのかの~」
「お前、楽しんでるだろ?」
ノルトの言葉にベッコウは隠すことなく頷いた。そしてユーリアを見つめながら言う。
「人はいつかは死ぬ…わしも命を軽んじてはいないが、それなりに人の死は見て来たからのう…悲しむのは刹那、目の前の楽しみに目を向けるのが幸せに長生きする秘訣じゃよ」
そう言うとベッコウは視線を正面に戻し、外の風景を楽しみ始めた。ノルトはベッコウの言葉に何も答えなかったが、ユーリアのことを諦めてはいなかった。
蛇龍議場の小さな港は物で溢れかえっていた。それらを保管場所へ運ぶ人々の慌ただしい声が、蛇龍センタツとその顔の傍に立つクレストーアの元にも届いていた。「センタツ様が呼んでいる」と、ヒストフェッセルに伝えられ、ここに来た彼女は巨大で黒光りするセンタツの横顔をまじまじと眺めた。センタツはまるで照れているかのように瞳を細め、クレストーアを見つめ返していた。そして巨大な口が動く。
「お前が始原龍の言葉が分かる人かい…前も女の子だった気がするけど、何か法則でもあるのかねぇ…」
そう言うと長い息を吐いた。人には少し熱く感じられるその吐息がクレスに向かわないよう、正面へ向けて細く勢いよく吐き出している。
その長い吐息が終わる頃、クレスはセンタツの巨大な横顔に話し掛けた。
「センタツ様は…始原龍ではないのですか?」
センタツは微笑んで見せたが人のクレスには表情が伝わらず、ただ笑い声がその口から零れた。
「違うねぇ…私はただ図体がでかいだけの蛇龍だよ…始原龍はお前達が乗ってきたイーラツァリやノームメラ達のことを指す言葉さね」
センタツの視線を追う様に、クレスは眼前の入江上空に浮かぶイーラツァリと呼ばれたハイマートを眺めた。東威は入り江内から退避し、外洋に出ている。その東威には及ばないまでも巨大な岩山のようなハイマートが始原龍であり、それよりも巨大に見えるセンタツは始原龍ではないということにクレスは疑問を抱いていた。
それを見透かしたようにセンタツが続ける。
「私達ただの『龍』と『始原龍』との間には、『人』と『龍』と同じぐらいの違いがあるのさ…」
「…それが何かは教えてもらえないのでしょうか?」
クレスの問い掛けにセンタツは再び微笑んだ。
「年を取ると若者の成長を見るのが楽しみになってしまってね…それに…お前はテュルクに会ったかい?彼女も探していたのさ…自分で見て、聞いて、考えて…そうして人生を掛けて努力して答えを探す人がいるというのに、簡単に答えを教えるわけにはいかないのさ」
センタツの言葉にクレスは自らを納得させる。その時、クレスの心にハイマートの声が響いた。
(クレスよ…人と物資の移動は済んだのだな?)
クレスは視線をセンタツからハイマートへ戻し、瞳を閉じて答える。
(はい、既にハイマート城内の人と物資の移動は半時前に完了しました…ハイマート様の周囲からも東威の避難も完了しています)
センタツはその様子を静かに眺めていた。そして視線をハイマートへと向けるとゆっくりと頷いた。
ハイマートは言葉を続ける。
(そうか…センタツも私が何をしようとしているのかを理解しているらしい…その許可も得た…)
覚悟を決めたその声にクレスは一つだけ尋ねた。
(…ハイマート様、私は今後も…ハイマート様とヒューゲル様の元で生きて行くことが出来るのでしょうか?それとも私はもう…)
(案ずるな…クレスよ…私はこれまで以上にお前を頼ることになるだろう…)
その言葉が終わると同時に、大気が震える音がクレスの耳に聞こえて来た。クレスは集中力を途切れさせないように瞳を開くと、その振動源がハイマートであることを確認した。
そしてハイマートの声が聞こえて来た。クレスがこれまで聞いたことの無いような、威厳と決意に満ちた声だった。
(『羽化』を始める、我が真の姿を見よ!)
そして蛇龍議場にハイマートの巨大な咆哮が響き渡った。港で物資を運んでいたハイマート城の住民達も、通常通りに過ごしながらその様子を眺めていた蛇龍議場の人々も一斉にその声の方を見た。
見上げる人々の前で、ハイマートの岩山のような外見にひびが入り始めた。巨大な建造物が倒壊するような音と共にそのひび割れは広がり、ついにその全身を覆った。そして再び咆哮が響き渡るとその岩山は崩れ始めた。
巨大な岩のような白い欠片が、次々と雪崩のように入り江へと落下して巨大な水飛沫を立ち上げた。そして表面が全て崩れ切った時、ついにハイマートはその真の姿を現した。
体を覆う様に丸めていた四枚の鳥のように羽を生やした白い巨大な翼を一斉に広げ始め、その中に守られていた細身の体と長い首、そして赤く輝く一対の瞳が露になった。ハイマートは翼を広げ斬ると同時に咆哮し、自らの存在を誇示するかのように入り江上空を旋回した。そして一周するとセンタツとクレスに向き直った。
あまりの雄大な姿に言葉の出ないクレスの隣で、センタツが笑いながら呟いた。
「白龍達の始祖と言われる『イーラツァリ』…第四龍暦以来だけど、相変わらず美しい姿だね…」
ユーリアが会いに来た! イシヤマ マイマイ @maimaiishiyama
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