第四龍暦最後の龍王議会議長 テュルク

 第五龍暦二千百三十年九月二十九日。朝焼けを受け始めた龍王議会領中央に位置する広大な森の遥か上空を、優に一万を超える革命同盟軍の航空機と飛行型リムが無数の編隊を組み北進していた。巡航速度ぎりぎりまで加速された機体のエンジンから放たれる光の粒子は、彼らの血生臭い目的とは関係なく誰の目にも美しく見えた。

 その無数に組まれた編隊の中で最左翼に位置する飛行型リム四機編成の部隊で、旧式の通信機を使った秘密裏の会話が行われていた。四機の先頭を飛ぶリムの操縦席の通信機から他の三機からの通信が入る。

「ベネディクト、何で首都奇襲経験のある私達が全軍の先頭じゃないのよ?」

 旧式の無線機――電気を使って動くそれは、光粒子が動力源として用いられるようになってから瞬く間にその姿を消していったがその反面、現在では敵軍や標準装備の味方に傍受される心配の無い通信手段として、一部の部隊では至近距離での通信に限り用いられることもあった。

 その通信機から聞こえて来た女性の声は不機嫌さを隠そうともせず、通信を受けたベネディクトは苦笑しながら答える。

「そう喚くなラナド、一応私にも考えがあって先頭を譲ったのだ」

 その言葉を聞いたラナド機がベネディクト機へ、リム頭部のメインカメラを向ける。

「『防衛部隊の反撃で損害を受けない為』…それはもう聞いたわよ?私達の事を考えての事だってことも解ってる…でも龍王議会の都市に王国軍の防衛部隊なんてどの都市にもいなかったじゃない!次のアハトが最終目標でしょ?このままじゃ私の戦果がゼロじゃない!」

 ラナドの不満は戦果を挙げられなかったことにある。部隊のリーダーであるゴルドウィンがレイヴン王国旧王都に援軍として向かった際に同行することを拒まれ、その代わりとして龍王議会領の主要都市を焼き払う爆撃任務に参加することになったというのに、隊長代理のベネディクトは爆撃ではなく爆撃中の周囲警戒にゴルドウィン隊を当てたのだ。

 革命同盟軍兵士の評価は参加した任務で挙げた戦果によって大きく上下する。そこに不自然な面は無いのだが、爆撃中の周囲警戒任務は敵が現れなければ戦果は無く、一方的な爆撃を行い戦果を挙げる他部隊に対して若く気の短いラナドが不満を抱くのは当然だと言えた。

 さらに別の男の声が通信機から聞こえて来た。

「いたのはせいぜい首都防衛部隊の飛龍千体ぐらいだったか…ま、瞬殺で楽できたけどな」

「瞬殺じゃ私達が戦果上げられないじゃん!セニサ、あんた今回の作戦で自分が挙げた戦果言ってみなさいよ?」

「ちゃんと見張ってたぜ?それで十分だろ」

 セニサも若いがラナドとは対照的で、心の底から戦果などどうでもいいと考えていた。兵士としてある程度問題のある発言かもしれないが、ゴルドウィン隊では任務中でもこうして旧式通信機を使って、表ではできない会話をすることが日常となっていた。それはささやかなストレス解消であると共に、部隊員同士の親交を深めることにも一役買っていた。

 さらに最後の一人、大人の女性の声が聞こえてくる。

「ラナド、ゴルドウィン様の言葉を忘れたの?私達兵士は『死なないこと』が最大の戦果だって、そう教えてもらったじゃない」

 ゴルドウィンの事を様付けで呼ぶのは部隊員のメチェーリだけだ。

「えぇー…メチェーリ、あの言葉本気にしてたの?」

 ラナドの返しにベネディクトが即反応する。

「口を慎めラナド、隊長はこれ以上大切な部下を失いたくないのだ」

 ここにいるゴルドウィン隊の面々は首都奇襲作戦直前に選抜されたメンバーばかりだった。一流のリム操縦者として軍内外で評価の高いゴルドウィン隊に抜擢されて喜ぶ彼らを前にして、ゴルドウィンは数年間死線を共にした前の部下達が全滅したことと、彼らが自分の落ち度で死んでしまったということを語った。そしてその言葉の最後に四人に対して死なずに生き残ることを最優先で行動するように言い聞かせたのだった。

「兵士は戦場で殺して殺されるのが前提の仕事なのに、どんなに重要な任務であっても命に代えられるものではない…とか言われてもね…死ななきゃ守れないものもあるでしょうに」

 ラナドの言葉にベネディクトは更に答える。

「それは己が弱いからだ、真に強い兵士は死なずに任務を完遂する…ゴルドウィン隊長の以前の部下達は弱かったから死に、隊長は強いが故に生き残った」

「要は『死ぬな』っていうのは、私達も隊長ぐらい強くなれってこと?」

 ラナドがさらに尋ね、メチェーリが答えを引き受けた。

「今はそう納得しておきなさい…人が死ぬっていうのは貴女が思っている程単純なことじゃないの、年を取れば少しは分かるわ」

 メチェーリの言葉には含みがあったが、彼女は詳しくは語ろうとしなかった。

「え~おばさんにはなりたくないよ~!」

 分かり易くお茶目なラナドの言葉にメチェーリが溜息で返す。この程度のやり取りはゴルドウィン隊では日常茶飯事であり、だからこそゴルドウィンは自分の部下達のことをより愛していた。

 しかし唐突にその和やかな雰囲気は消し飛んだ。旧式ではない、リムに常備されている最新の通信機が緊急通信を示す赤い光を発していた。彼らは旧式の通信機の電源を落とす。その直後、全軍の先頭を飛ぶ偵察部隊からの通信が入った。

「広域質量レーダーが進路上に巨大な質量体を確認!予測質量と形状から王国軍の空中要塞一基と断定!対象との距離およそ十キロメートル、全軍交戦状況に入れ!」

 その言葉にベネディクトが前方を確認すると同時に、その巨大な縦長の影が偽装迷彩を解いて姿を現した。同時に視界に入っている味方機が次々と防御壁を展開する。正規の通信機を部隊通信モードに切り替え、部隊員に指示を伝える。

「あの獣の紋章、第三軍団か…全機防御壁展開!恐らく交戦することになるだろうが…空中要塞が最前線に出るか…」

 ベネディクトの脳裏を嫌な考えが過った。メチェーリがそれを察して尋ねる。

「何か心配事でも?たかが空中要塞一基ぐらい何ともないでしょう?こっちは一万の大軍勢よ」

「そうなんだが…お前達はレイヴン王国軍が強い理由を知っているか?」

 ベネディクトが逆に他の三人に尋ねた。ラナドが何も考えずに答える。

「そりゃあ兵器の技術力とか、兵士の数と練度が高い軍事大国だからでしょ?」

 予想通りの答えにベネディクトは溜息を吐いた。その溜息を遮るようにセニサも答える。

「王国軍は機械化兵器が発明される以前から、主に夜襲と指揮官の暗殺で勝利を掴んできたって、軍事教本で読んだことがある…要は卑怯だろうが何だろうが、あらゆる戦法を用いて戦うから強いんじゃないのか?」

 セニサの回答は模範的ではあったが、ベネディクトは以前ゴルドウィンに聞いた話を思い出しながら答えた二人へと返信する。

「二人共一般的な考え方で正しい…だが、奴らの本質は…」

 ベネディクトが二人へ答えようとした時、再び全機隊へ向けた緊急通信が入った。

「敵空中要塞後方より無数の飛行型リムが出現!敵空中要塞との距離およそ七キロメートル、敵飛行型リム空中要塞を越えて両翼へと広く展開し我が軍へ接近中!数は…およそ三千!」

 その通信に全員の気が引き締まる。ベネディクトが呟いた。

「やはり後続がいたか…気を抜くな!接敵まで二分と無いぞ!」

 三人が口々に「了解!」と叫んだ。特にラナドは嬉しそうに続ける。

「あの数で挟撃してくるつもり?三千機だけなら空中要塞があっても流石に覆らないでしょ!ね?」

 その言葉にメチェーリとセニサが明るく応えた。

「そうね、これぐらいなら何とでもなりそう」

「流石に三つの戦線を持つとレイヴン王国軍もきついんだろうな…」

 しかしベネディクトは沈黙で返した。静けさが四人の間に訪れ、その間も両軍は接近を続ける。リムの先頭同士の距離は既に五キロメートルを切っていた。ついにベネディクトが口を開く。

「王国軍が強い理由だが…奴らはそもそも『勝てる戦いしか挑まない』からだ…歴史的に見て王国軍は常に勝算の低い戦いを徹底的に避けて来た」

 ベネディクトはメインカメラに映し出された敵の飛行型リムを見て違和感を感じていた。敵軍は防御壁を展開しておらず、機体の至る所に謎の装甲を施していた。見るからにすぐに外れそうな、装甲としての機能を果たしそうにない装甲…ベネディクトの目にはそう映った。そして言葉を続ける。

「勝ち目の薄い防衛戦も挑まずに逃げに徹してきた…逆に挑んだ防衛戦はほぼ勝利してきた」

 重苦しい言葉を中和するかのように、ラナドが軽く尋ねた。

「じゃあ何さ?『隊長代理』は敵軍に、何かこの数の差を覆せるだけのものがあるっていうの?」

 ラナドが『隊長代理』を強調して言い放つ。

「ああ…確実に『何か』があるだろうな…それが何かは知る術も無いが」

 ベネディクトの本気の声音に、答えを受けたラナド以外の二人も警戒心が高まった。防御壁を展開しながら接近を続け、左腕に内蔵された銃と右腕のサーベルの動作を目視しながら確認する。

 そして次の瞬間、空中要塞の両翼に展開していた敵機が射程圏外であるにもかかわらず一斉に停止して滞空し――防御壁を解除した。その異常な光景を見たベネディクトは得体の知れない恐怖に駆られ、本能的に叫んだ。

「来るぞ!回避行動!」

 突然の言葉に他の三機が思わずメインカメラをベネディクト機へ向けた直後、空中要塞上部から一筋の光線が放たれた。その光は革命同盟軍の中央を貫き、至近距離の飛行型リムを凄まじい衝撃波で瓦解させながら吹き飛ばした。

 衝撃波は革命同盟軍を飲み込むように広がり、最左翼のゴルドウィン隊まで届いて彼らの機体のバランスを崩した。王国軍も衝撃波に飲み込まれてはいたが、空中要塞の正面を空けた上で滞空してバランスを維持していた為その被害は最小限に抑えられていた。

「ぐおおおおおおっ!?」

 叫びとも呻きとも取れる声を発しながらベネディクトは何とか機体の体勢を戻し、前方の敵軍を睨みながら通信機へ向けて叫んだ。

「部隊全機応答せよ!これより反撃に入る!」

 しかし正規の通信機は沈黙したままで返答は聞こえず、ベネディクトはメインカメラで周囲を確認して他の三機を見つけると、再び通信機へ向けて叫んだ。

「応答せよ!ラナド、セニサ、メチェーリ!どうした!?」

 すると旧式の通信機の受信ランプが点灯した。ベネディクトが即座に旧式通信機を立ち上げると、メチェーリの声が聞こえて来た。

「聞こえる!?誰か応答して!」

「メチェーリは無事か!正規の通信機は繋がらなかったのか!?」

「ベネディクト!ええ、正規の方はうんともすんとも…でも旧式の方はなぜか電源が入ったから…」

「隊長!防御壁が消失しました、再展開も不可能です!」

 メチェーリの言葉を遮ってセニサの焦った声が聞こえて来た。皆メチェーリの通信に反応して旧式の通信機に切り替えていたがその声は混乱し、ベネディクトにもそれを諫める余裕は無かった。

「何だと!?」

 ベネディクトはすぐさま自機の防御壁を展開しようとしたが、確かに機体は何の反応も示さなかった。さらに機体の周囲の状況を映し出す簡易レーダーも停止していることに気付くと、ヘルメットに覆われたベネディクトの頬を汗が伝った。

「今の攻撃は防御壁ジャミングだとでもいうのか…」

「くっそ…そう何度も大切なリムを壊されてたら給料と評価が下がっちゃうじゃない!!」

 ラナドの復讐の怒りに震えた声が入り、ラナド機が突撃しようとするのをベネディクトが文字通り機体の体で遮った。

「止まれラナド!味方全体の状況確認が先だ!」

 そう言ってラナドを停止させると直ぐに敵機へと向き直った。敵の飛行型リムは武器を構えた状態で滞空していたが、その体についていた不自然な装甲が次々とパージされてゆくのが確認できた。

 続いてベネディクトは奇襲軍全体を目視した。通信は未だに繋がらず操縦者達の状況は確認できなかったが防御壁が消失した状態でも尚、あるものは進み続け、あるものは困惑したようにその場に滞空する様子を見て、全機が今の自分達同様に通信機能とレーダーを無効化されていることが察せられた。

「先程の光線一撃で全機の光粒子装置を無効化させたのか…!?」

 ベネディクトが呟くと他の三人も息を呑んだ。そして通信は沈黙した。滞空して状況確認を続けるベネディクトだったが、旧式通信機の受信ランプが再び点灯したことに気が付いた。

(我々以外に旧式通信を行っている者が近くにいる…?)

 ベネディクトが意を決してその対象との通信を繋ぐと、部隊の誰とも違う、女性の美しい声が響いてきた。その声ははっきりとした口調で、ベネディクト達が置かれている絶望的な状況を宣告した。

「全機の光粒子装甲のパージと防御壁の正常な展開、及び電波式通信機の起動完了を確認しました――軍団長(サードビースト)様、攻撃の指示を!」


「やっぱ中毒性があるな、この兵器…」

 レイヴン王国軍第三軍団空中要塞『スタブルム』の正面離着陸甲板で超光粒子砲を放ったサードビーストは、自機のリム操縦室内部で嬉しそうに呟いた。そして攻撃の衝撃波を受けた敵機体が通信手段を失い統率を失ってゆく様を見て満足そうに頷いた。

 そして操縦室内の台座に明らかに後付けされた電波式通信機の受信ランプが点灯した。彼は内部アームを操作してその電源を入れる。

「今回は武器名を叫ばないのですね」

 女性の美しく、そして冷静な声が響いた。サードビーストは笑って答える。

「聖都に戻った時、海鼬から『私の可愛い新兵器にダセぇ名前付けるな』って怒られたからな」

 空猫は予想通りの返答に溜息を吐いたが、直属の部下から辛辣な批判を受けても笑い飛ばして反省する寛大さに感謝していた。軍団長がそういう性格だからこそ第三軍団は結束し、落ちこぼれ軍団と呼ばれながらも他の軍団に対抗出来ていると言っても過言では無かった。

 空猫は咳払いと共に気を取り直し、本題に入る。

「全機の光粒子遮断装甲のパージと防御壁の正常な展開、及び電波式通信機の起動完了を確認しました――軍団長(サードビースト)様、攻撃の指示を!」

 指示を仰ぐその声は美しかったが、少しの不満も含まれていた。数十年前から線石を用いた通信が発達し、もはやただの趣味の域に達していた電波式通信を一度に三千機分中継する為にレーダーとアンテナを満載した空猫部隊の機体は機動力をすべて失っていると言っても過言では無く、今回は戦闘に参加することが出来ず、それが不満なのだ。

 しかし超光粒子砲の副作用を越えて軍団全体が戦闘を続ける為には必要な犠牲でもあった。サードビーストは正面に装着していた試作二号砲を機体からパージし足元に落下させると、上空の航空機部隊へ向けて敬礼して見せた。そして通信機へ向けて叫んだ。

「了解!…ではこの場にいる全機へ命じる!その手に武器を構えよ!敵軍の数は我々の三倍以上かつ龍王議会との戦線で戦い続けた猛者揃いだが、恐れることは無い!」

 サードビーストは全軍を鼓舞する為に言葉を続ける。

「敵飛行型リムの洗練された装甲と基本フレームは我らのそれと比較すると遥かに脆弱であり、それを補っていた防御壁はたった今、無効化された!さらに我々と違い敵の通信は完全に遮断されており、新兵の如く互いの連携もままならない…」

 サードビーストは自機を飛び立たせた。そしてその両腕に大型の光線銃を出現させるとそれを掌で回転させ、敵軍へ向けて叫んだ。

「我々が敗北する理由は無い!全部隊突撃!一機たりとも逃さず殲滅し、王国と龍の空から奴等を根絶やしにせよ!」

 そして光線銃から光を放った。そして敵軍へ向けて飛ぶ光線を追う様に第三軍団の飛行型リムが一斉に前進を始めた。サードビーストの通信機には各部隊の出撃を告げる勇ましい声が次々と届き、それを聞いたサードビーストも操縦室内で微笑んで光線銃を構え直してポーズを決める。

 その各部隊からの彼に向けて上空の空猫から通信が入った。美しい声が響いてくる。

「出撃前に格納庫で光線銃を展開していたのは、銃を回転させる練習ですか?」

 少し呆れたような言葉に、サードビーストは得意げに答える。

「皆を鼓舞する為さ、かっこよかっただろ?」

 その言葉に頭を抱える様子が容易に思い浮かぶ程の溜息を吐き、空猫が答える。

「見下ろせる私達はともかく、肝心の兵達は敵軍と対峙していたので見えていなかったと思いますが…」

 その言葉にしばらく沈黙した後、サードビーストは機体に取り付けられた六基の光粒子エンジンを起動した。機体が静かに浮き上がったのを確認して光粒子エンジンの出力を急上昇させ、他の味方機を追い抜きながら呟くように言う。

「…ま、俺も前線に出るから嫌でも見せつけてやるさ」

「光線銃、落とさないで下さいね?」


 その言葉で通信は沈黙し、ベネディクトは敵軍との通信を切断した。他の三人も通信を聞いていたらしく、メチェーリが口を開く。

「…敵軍にも優秀な指揮官がいるみたいね?傍受されていることに無警戒なのも可愛げがあって、ちょっと会ってみたくなっちゃったじゃない」

 その言葉にベネディクトは真剣に答える。

「馬鹿を言うな、会う時は敗北して捕虜になった時だけだ」

「分かってるわよ?…でも何となく若い頃のゴルドウィン様に似てる気がするわ」

 メチェーリのその言葉には答えず、ベネディクトは指示を出す。

「それよりこの戦場は完全に敗北するだろう、そして味方機を救う手段も無い…我々だけでも戦線を離脱し、敵の新兵器に関する情報を持ち帰る」

 向かってくる敵軍に背を向けるベネディクトにセニサが叫ぶ。

「おい!情報を持ち帰るって…この数の味方を見捨てるのかよ!?この数が壊滅したら、戦線が維持できなくなるんだぞ!」

 セニサの言葉は当然で、しかしベネディクトは強く言い放った。

「我々が生き残る為には一刻を争う!幸い機動力では我々に分があるのだ、敵指揮官が言う通り我々の装甲は脆い…防御壁が無い今、被弾は即撃墜に直結する」

「だが撤退命令は出ていない!」

 それでもセニサは食い下がったが、ラナドの声が響いた。

「…今私達が帰還して新兵器の情報を持ち帰ったら、それは私達の戦果になるよね?」

「ラナドまで…!」

「死んだら戦果も給料も関係無いわ」

 あっけらかんとしたその言葉にセニサが怒りを増し、彼の荒い呼吸音が聞こえた。ベネディクトは右腕の刃を展開し、それで敵軍方面を指し示した。

「セニサ!前線を見ろ…あれが現実だ」

 刃の先では無謀にも第三軍団へと突撃し、次々と一方的に撃墜される味方機の姿があった。動きのいい機体は回避しつつ攻撃を行っていたが、その決死の攻撃は防御壁に防がれ、連携も取れていない為攻撃は分散し死角を突くことすらできない。逆に敵からは突出した機体を集中攻撃されていかに動きが良かろうとも回避し切れず、被弾して一度バランスを崩すと完全に爆散するまで光線を浴びせられた。

 その様はもはや戦いとは言い難く、三倍の戦力差をもってしても戦況は覆らないことは明らかだった。

「レーダー機器も機能停止しているのだ、私達でも死角からの攻撃をいつものように回避できるとは思えん…加勢するだけ被害が増すだけだ、故にゴルドウィン隊は撤退する!この場の指揮官は私だ、セニサも従え!」

 そう言うとベネディクトは朝の陽光を背面に受けながら全速力で戦場を離脱した。ラナドとメチェーリがすぐに続き、セニサも逡巡してその後を追った。会話している間に間合いを詰められてしまったが、機動力で勝り後方で足止めをする味方がいる以上、逃げに徹した彼らが追い付かれることは無かった。

 このレイヴン王国軍第三軍団と革命同盟龍王議会領侵攻軍の航空戦力が激突した第二次アハト会戦は、第三軍団が侵攻軍をほぼ全滅させて圧倒的勝利を収めた。侵攻軍はその航空戦力のほぼ全てを消失し、龍王議会側の戦線を維持することがほぼ不可能な状況となった。しかし龍王議会が奇襲攻撃によって受けた被害も計り知れず、龍王議会人軍も物資不足を理由に戦線を維持することが困難な状況に陥っていた。

 戦争は自らの主張を相手に認めさせる為に、企業が利益を得る為に、国や宗教の政治的なプライドを守る為に始まり、得られる利益に見合わない損失が出れば終わる。この段階で両軍とも損害が勝って疲弊しきっており、終戦させる絶好の機会だと思えた。事実革命同盟軍側はこの会戦ののちに停戦条約締結の仲介をレイヴン王に対して要請していた。

 しかし無数の同胞を殺され怒りに狂った龍達が、この戦いを終わらせることを認めはしなかった。



 レイヴン王国軍第一軍団の空中要塞ジュエラー。その最下層の格納庫内へ黒い機体に五つの光粒子エンジンを背面に装着した『ファースト・ストーン』が降り立った。その格納庫内にはフィフス・ウィングと第五軍団の紋章が付けられた偵察に特化した装備のリムが静かに跪き、そして第五軍団長ユーリアと龍王議会の男、白い亀型の龍がリムの搭乗者を待っていた。

 入って来たリムが跪き胸部のハッチが開く。その中から降り立った第一軍団長(ファーストストーン)はすぐにユーリア達の心情に陰りがあることを見抜いた。そのユーリアが敬礼と共に口を開いた。

「ファーストストーン…今回の助力に感謝する、第一軍団の助力が無ければここにいる誰も生き残ってはいなかっただろう」

 その言葉にファーストストーンは一度瞳を閉じて微かに俯き、瞳と共に口を開く。

「私も第一王子である以上、第五軍団長(フィフスウィング)との対決は遅かれ早かれ避けられないのだ、ならば彼奴らと戦うだけの理由を持つ味方を増やすのは当然の事」

 そして一度言葉を切り、目の前に立つ全員を一瞥して続ける。

「気負う必要は無い、礼はこれからの行動で示せばよい」

 その言葉にユーリアは頷き、ノルトは彼の放つ威厳に感心していた。ベッコウが口を開く。

「この威風堂々たる佇まいで一介の王子とは、お主らの上に立つ『レイヴン王』は余程の威厳を持つ人物なのじゃろうな」

 その言葉にユーリアとファーストストーンは目を見開き、何故か笑みをこぼした。しかしその笑顔からは馬鹿にするような印象は感じられず、その人にしか分からない家族との思い出を回想した、一人の子供の無邪気さだけが感じられた。

 ユーリアが慌てて笑顔をしまい込んでベッコウに答える。

「聖都で会わせれば良かったな…まあ、威厳はあるとは言っておくけどね?」

 そのユーリアの言葉にベッコウが首を捻り、ファーストストーンは我関せずと言わんばかりに顔を逸らす。そして話題を変える様にユーリア達の暗い心情の原因であろう質問を突き付けた。

「ところで先程の戦闘に参加していた新型のリムについてだが…外見の特徴から察するにテュルクの機体だろう?彼女はどうしたのだ」

 その質問は真っ直ぐにユーリアの心を貫いた。ユーリアは呼吸を止めたまま俯き、静かにファーストストーンと向き合い大きく呼吸をすると、視線を合わせて呟くように言った。

「…『線石』の光が消えたの、フィフの攻撃を受けて傷付いて…」

 その泣きそうな言葉にファーストストーンが微かに驚きに表情を崩した。ノルトが右手に持っていた物を見せて口を開く。

「拾った直後はまだ光ってたんだが、ここに乗り込むときにはこうなっていた」

 その右手に握られていたのは線が光を失い、黒くなった線石だった。その下部には大きくヒビが入り、ファーストストーンもその痛ましい傷付きように息を呑んだ。

 ユーリアが言葉を続けた。

「テュルクが…姿を現さないの」

 その言葉が格納庫に冷たく響いた。ノルトの手に乗る線石はそれが当然だという様に、全身を覆う強化装甲服と同化するように黒く沈黙していた。



(『彼』を寂しくさせてしまう…悲しませてしまう…でも、もう伝えることは出来ない…)

「…ごめんなさい、ユーリア」

 テュルクが線石の損傷に気付いた時には既に大半の内蔵エネルギーが損傷箇所から流出し、音声を発することもホログラフィックを展開させることさえも出来なくなっていた。じりじりと見える範囲が狭まり闇が迫ってくる恐怖の中で、テュルクはユーリアへの懺悔の言葉を口にしていた。自らが生み出したユーリアという歪んだ存在に対して、生み出した親としての責任を果たせなかったこと。そしてこれから来る第五龍暦の『毒の時代』から人々を守るという責務を全て背負わせてしまったことに、正義感の強い彼女は負い目を感じずにはいられなかったのだ。

 既に周囲に光は無く、テュルクは自分が落ちているのか浮いているのか分からない重力を感じながら、ただ瞳を閉じていた。第四龍暦の終わりに聖都にある『光線の大穴』に落ちて一度死んだ時も同様の感触を経験した。しかしあの時は大穴の底に満ちる光に包まれて、目を空けていられない程の眩しさを感じていたことを思い出した。もう二千年以上昔の記憶を思い出し、テュルクは瞳を開いた。

 しかしやはり眩しさは無く、自らの右手を胸の上に置いて心音が『無い』ことを確認した。

(心音がないから、私は死んでいると確信できた…このまま暗闇の中でずっと…ずっと過ごすの)

 彼女はせめてユーリア達との思い出を忘れないように、第五龍暦での経験を回想していた。忘れるのは嫌だと強く心に願う自分の気持ちに、ふと疑問を感じた。

(何故…私は今、忘れると思ったの?)

 忘れるはずないのに、と涙を流したその瞬間、彼女の体を四肢が弾けるのではないかという程の衝撃が襲った。同時に視界に鈍い光が差し込んだ。


「うっ……――」

 瞼を開く時の横一閃のその光にテュルクは呻いた。凄まじい衝撃が襲った体は、涼しささえ感じるほどの快調ぶりを目覚めたばかりの脳に信号として送り続けている。

 テュルクははっと息を吸うと体を起こし、両手を見つめた。白くて細い、しかし武器と機械の操縦棹を握り続けた彼女の人生を物語る鍛えられた自分の手を見て、気を抜かずに視線を周囲へ向けた。上下に黒い服を着た彼女は、広い窓のある部屋の大きなベッドに上半身を起こしていた。

 部屋のつくりは単純で家具らしいものは触り心地のいい生地のベッドと、部屋の角に置かれた小さな花瓶と、それを置く小さな木製のテーブルのみだ。花瓶に花は生けられていない。そして白い壁が三面を囲い、残りの一面に巨大な窓とそれを隠している白いカーテンが一面を覆っている。巨大な窓と接している彼女の視線の先、向かい側の壁にカードキーだけで開くことが出来る扉が見えた。

 それらは第四龍暦でも、第五龍暦の技術体系のものでもない。初めて見るはずのものに既視感を覚えた理由を、彼女はすぐに考察し始めた。

(見ただけでカードキーで開くことが分かった…私はあの技術体系の扉を知っている…『日記』は?)

 記憶に出て来たカードキーについて考察を続ける。既に彼女はこの部屋がどこなのかなどを考えようとはしていなかった。そこから考えるべきではないと彼女の勘が告げていた。元よりテュルクは些細なところから考えを巡らせるタイプの研究者だった。

(とても薄いものだったはず…カード自体は極薄でもそれを保護する外殻が多少厚く、実体弾で撃っても破損しない程の耐久性を持たせたはず…「持たせた」?私が作ったの…?)

 彼女は考えながらベッドから立ち上がった。裸足の足に床は硬く、一瞬ひんやりとしたがすぐに自然な温度に感じられるようになった。さらに扉へ向けて足を進めても冷たくも無く温かくも無い、ただ硬いという感触だけが伝わってくる床に彼女の思考が移る。

(床の温度が私の体温に合わせて変化している…そう考えるべき…私の足の行く先を予想して温度を変化させている?)

 床は私が設計したものでは無い。そう考えた彼女の足が扉の前で止まった。自然に左手の袖に右手を入れ、そしてカードキーを持っていないことに気が付いた。その動作でさらに考察を進める。

(私はカードキーを左袖に入れて生活していた…体が覚えてしまう程に長い間、そうしてここで…)

「違う…この部屋じゃない」

 テュルクは混乱しないように、声を出して自らに言い聞かせた。そして注意を向けないようにしていた巨大な窓とそれを覆い隠すカーテンに向き直る。

 カーテンの外から音は聞こえない。光が差し込んでいる様子も無い。しかし既に彼女はこの部屋の意図に気付きつつあった。

(眠っている私を守る為にここに寝かされていた…私が自ら眠りについたのかもしれないけれど、確証はない…このカーテンの向こうの光景も知らないはずなのに、きっと私は憶えている…)

 彼女は左手をカーテンの端に掛けた。触り心地の良いカーテンの感触はしかし自然の素材とは思えなかった。その理由にも心当たりがあったが、記憶の答えだけが白く塗りつぶされたように思い出せず、そのもどかしさを払う様にカーテンを静かに退けた。

 テュルクはその先に広がっていた光景に心の底から驚き、そして安堵を覚えた。黒く塗りつぶされた世界に浮かぶ青い星。第四龍暦にも第五龍暦にも『星』という概念はあった。自らが立つ世界も球形の星なのだと理解しながら、しかしついにその姿を見ることは叶わなかった。

「ここは…距離的に『月』なのね…驚くべき状況なのに…おかしい…です…なんで…」

 概念を持つことと、それを視認することは同一ではない。人は視認できないものであっても概念を持ちそれに沿って認識することは出来る。そして今、第四龍暦と第五龍暦の人々が視認できなかったものを彼女は目の当たりにしていた。

「『地球』…誰かがそう呼んでいた青い星…見たことが無い筈なのに…月に行けるはずないのに…どうして…」

 テュルクは呆然と地球を眺めていた。目の前の現実から目を背けまいと強い意志で眺め続けたが、膝から力が抜けて床に座り込んだ。床は心地よい温度で彼女の体を受け止めた。


 テュルクは時間を忘れて肩幅ほど開いたカーテンの向こうの光景を眺めていた。思考はほぼ停止し、ただ徐々に照らされる範囲が広がって行く地球を眺めて座り込んでいた。そしてその足がしびれを訴え始めた頃、突然扉が開いた。

 驚いたテュルクが飛び上がり、扉へ向かって身構えようとしたがしびれた足がもつれてベッドへと倒れ込んだ。さらにベッドの上で転がり、しびれた足を庇う様にうつ伏せて犬のように身構えた。

 テュルクは警戒心を露に睨みつけていたが、入って来た中年の男はきょとんとした様子でその様子を数秒間見つめていた。彼の黒い服に隠された引き締まった体は、皴が入り始めた顔と違い老いを感じさせない。全身を覆うような黒服はどこか王国の強化装甲服を彷彿とさせたが、素材は戦意で出来ており、とても戦闘向きには見えなかった。

「…目を覚ましたかテュルク…二年ぶりの目覚めだが、その様子を見るに体に異常は無さそうだな」

 入って来た男は目の前で突然激しく動いたテュルクを眺めてそう言うと微笑んでみせた。その笑みに悪意は微塵も感じられず、さらに男は手に持っていた飲み物のボトルを見せた。テュルクはそのボトルに書かれた文字を見て、記憶が呼び覚まされるのを感じながら微笑んだ。

「と、突然入ってくるからです『タクスィメア』!」

 テュルクは自然と彼の名を呼んでいた。自分が呼び出したホログラフィック・リムと同じ名前が自然と発せられたことに、彼女は自分でも驚いた。そんなテュルクの驚きを察することなくその男、タクスィメアは微笑んだまま続ける。

「私の名前を覚えていたか…ありがとう」

 タクスィメアはそう言うとテュルクに歩み寄り、右手に持っていたボトルを手渡した。テュルクはその言葉と動作で目の前の彼が敵では無いことを確信した。はっきりと覚えているわけではないが、かろうじて残っている糸をなぞる様な記憶の中で、彼の名前は確かなものとして残っていた。

 受け取ったボトルには『七ツ味ジュース』と書かれたラベルが張られており、怪しくも不思議とテュルクの食欲をそそった。記憶の糸を引っ張られるようなその感覚に彼女は戸惑う。

「あ、ありがとう…でも『七ツ味』って…?」

 ボトルを受け取ったテュルクが念の為尋ねると、タクスィメアが可笑しそうに笑いながら答える。

「私達の『日記』にこの飲み物について書かれているのだ…記憶を取り戻す為の特効薬だと」

 彼の言葉にボトルの蓋を開けて匂いを嗅ぐ。おいしそうな匂いでは無いが、危険な成分が含まれていないと判断すると中の水分を飲んだ。一口飲んで口の中に含み、舌の上で転がすと彼女の表情が歪み、そして思わず笑い出した。しかしジュースを含んだ口を開くわけにもいかず、恨めしそうにタクスィメアを睨んだ。彼は無邪気に笑っていた。

 テュルクは口の中のジュースを飲み干すと直ぐに口を開いた。

「この味で思い出しました…確かに私はこの飲み物が好きでしたね」

「『日記』の文字は君のものだった…私も覚えていた訳では無いが、嘘が書かれていた訳では無くて安心したよ」

 タクスィメアは静かに、穏やかに微笑むとベッドのテュルクの隣に腰を下ろした。口元に髭を蓄える優しそうな顔で微笑まれると、混乱しかけていたテュルクの心も和んだ。彼女は今度は味に翻弄されないように注意しつつ、再びそのジュースを口に含んだ。

 甘いと感じた瞬間に苦さが上書きされ、辛さとしょっぱさが同時に襲い掛かってくる。そして酸っぱさを旨味が打ち消す美味しいような不味いような…七ツ味の名に相応しいその味を舌で感じながら彼女の記憶は覚醒していった。

「…私達は『日記』に全てを記してきたのですよね?」

 テュルクの問いにタクスィメアが静かに頷いた。片端だけが開かれたカーテンを前に二人の間にしばらくの沈黙が流れた後、再びテュルクが口を開いた。

「私は『日記を書いていた』という記憶を持っているだけで、中身の記憶はありません…最後の記憶は二千年以上昔の、第四龍暦の記憶です」

 それを聞いたタクスィメアはゆっくりと頷き、そして重々しく口を開く。

「そう、だろうな」

 その表情は暗いというよりも無力感に苛まれているようだった。諦観したその表情のまま彼は言葉を続ける。

「この『偽物の世界』での記憶は一年ごとに失われる…君が『本物の世界』に旅立ってから既に二回、私は記憶を失っている『はず』だ…その都度私は日記を読み返し、君とこの世界の事を思い出してきた」

 タクスィメアの言葉にテュルクは外面で反応はせず、思考を巡らせていた。しかしその思考はすぐに一点で帰結した。彼の横顔を見つめてその答えを告げる。

「その日記を見せてもらえますか?」

「…君は変わらないな、君は二千年以上前にもこの部屋で同じように私に訊いてきた…そして私の答えも変わらず、決まっている…これが君の日記だ」

 彼はそう言うと胸ポケットから小さな物体を取り出した。テュルクにはそれが何なのかが一目で分かった。彼女が入っていたものより小さいが、紛れもない線石(ラインストーン)である。

 小型の線石から光が放たれ、二人の正面の空間に光の文字が浮かび上がった。テュルクが本物の世界で見て来た文字とは違うが、読むことが出来て、書き方も瞬時に思い出していた。

「この二年間は私が代わりに書いていたが、君のように上手くは書けなかった…すまない」

 タクスィメアの謝罪はテュルクの目と思考は、映し出された膨大な量の文字に魅せられ、支配されていた。次々と流れて行く光の文字は日付と内容に分けられ、その日付は第一龍暦初期から続いている。

 その内容は日記らしく日付によって様々で、最初は言い聞かせるような文章が続く。そしてその最後には今日の日付で「テュルクが目覚めた」とそっけない文章が書かれていた。テュルクはその日記の文章群を眺めて、しばらくして息を吐いた。

 タクスィメアがなおも黙考を続けるテュルクに語り掛ける。

「我々が彼女の意志の元で生きている以上、記憶のリセットからは逃れられない…しかし月面基地『ミュート・フォートレス』は、あの女の世界再生の影響を受けないから日記を残すことが出来る…」

 彼は右手の線石を操作すると日記の文章を閉じ、代わりに一つの図面を映し出した。テュルクがその図面を見て息を呑んだ。そこには『タクスィメア』の名と共に一機のリムの設計図が描かれていた。それは彼女が本物の世界で線石から出現させた機体そのものでもあった。

「君が考えた『リム』の設計図だ…覚えがあるか?」

「もちろん知っています…私がこれを考えたのですか?」

 テュルクはその機体と同じ名前を持つタクスィメアに率直に尋ねた。彼は口髭を綻ばせながら答える。

「君が考えたんだ…君は二年前、本物の世界で起動した線石に、自分の精神と共にこの設計図を送ったのだ」

 その言葉に彼女のこの世界の記憶が補完され、さらに細かい所を想像で埋めてゆく。テュルクは第四龍暦に光線の大穴に落下した後、この『偽物の世界』で二千年以上の時を過ごしていた。先程の日記の内容を見るに、恐らく第四龍暦以前もこの世界にいたのは間違いなかった。そして二年前にこちらの世界で眠りにつくと同時に本物の世界の線石に精神を移し、レイヴン王とユーリアの手助けをした…

 考えを進めるにつれて根本的な謎が思考を妨げていることに、彼女は気付いていた。

「私達は何故記憶を失うのでしょうか…日記には『明日記憶が無くなる』など抽象的にしか書かれていなかったと思いますが」

 テュルクの問い掛けにタクスィメアが穏やかな視線を返す。その内に一抹の寂しさが含まれていることに彼女は気付いた。タクスィメアが口を開く。

「今の日記を正確に読み取るのも君が変わらない証拠だな…実は今日も『明日記憶が無くなる』日なんだよ」

 彼はそう言うと立ち上がり、カーテンを全て開いた。外に見えるのは地球だと思い出していたが、テュルクは地球に迫る巨大な『それ』に気付いた。本物の世界ならば大陸に匹敵する大きさのそれに、テュルクは見覚えがあった。

 息を呑むテュルクにタクスィメアが外を見たまま言葉を続ける。

「“あれ”が明日には地球を食らい尽くす…その時この世界は終わりを告げ、一年の時を遡ったこの世界で私達は再び目覚める…それを何千、何万回と繰り返してきた」

 彼はそこで一度言葉を切り、彼女に向き合って続ける。

「その時に記憶もリセットされる…地球上では物体もリセットされ日記すら残すことが出来ないが、この月面基地はその物体のリセットからは外れている…恐らく月が“あれ”に喰われなかったからだ」

 彼女はその言葉を聞いてはいたが、視線を外の巨大な影から外せずにいた。さらにタクスィメアが説明を続ける。

「かつて本物の世界が経験した滅びを、この『偽物の世界』は永遠に繰り返し続けている…」

 最後の言葉に込められていた感情は絶望や怒り、そして諦めだった。テュルクはその言葉が終わると彼に向き合った。

「失われる記憶の範囲はこの世界の記憶だけですね?」

 その言葉に彼は驚きの表情を浮かべた。そして答える。

「その通りだが、流石に理解が早いな…恐らくこの世界を創り出している“あの女”の影響の及ぶ範囲の記憶は全て消されているのだろう、本物の世界に戻る際に記憶が失われるのも、この世界を出る際にあの女が我々の記憶を消すからだ」

 テュルクは視線を落として自らの右手の平を眺めた。そしてそれを握り締めるとタクスィメアの瞳を見つめた。彼の瞳も彼女の気持ちを察してだろうか、優しく、そして少し寂し気に彼女を見つめ返した。

 テュルクが口を開いた。

「すぐにもう一度『本物の世界』に行きます…行く方法はあるのですよね?」

 彼は瞬きと共に頷いた。この基地に恐らく彼以外の人は私以外にいないのだろうとテュルクは記憶に頼らずとも考えていた。そしてその考えは正しかった。

 タクスィメアは線石を元通りに胸ポケットにしまうと、大きく呼吸をして話し始めた。

「君が本物の世界に帰りたいと願ってくれるのは有難い…だが…いや、それでいい…」

 彼の途切れた声にはやはり惜別の念が込められていた。しかしその言葉を考えたテュルクはその目を伏せて呟くように言う。

「私が望んでこの世界に戻ってくるのは…難しいでしょう、今回戻ってこられたのは線石が破損して送り返されたから…本物の世界に戻る際にここでの記憶を失うのなら、ここでの会話に価値は無いのかもしれません」

 彼女の言葉をタクスィメアが微笑みと共に受け取り、言葉を続ける。

「そうだな…明日には私はきっと君のことを忘れていて、君も私の事を忘れているだろう…そしてそれは本物の世界に戻らなくとも一年毎に繰り返される」

 彼は一度言葉を切り、窓の外の地球に視線を向けて言い放った。

「君の言う通りこの世界で記憶は…大した価値を持たない」

 窓の外では宇宙に浮く巨大な何かが地球へ向けて口らしきものを開き始めていた。その口から様々な色の光の線が現れ、海月の触手のように伸びるとある光線は地球の表面を流れ、別の光線は地表や海面に突き立てられた。突き立てられた箇所からはまるでヒビが入るかのように光線が地球の表面を侵食する。

 テュルクはその捕食としか思えない光景に息を呑んだ。あれは星を食べているのだ。

「始まったな…戻るのなら早く眠りにつくがいい」

 タクスィメアがテュルクへと向き直り、そう優しく告げた。テュルクがその瞳を見つめ返すと、彼は優しく続けた。

「本物の世界に戻る方法だよ、眠るだけでいい…私と君は眠らなくとも生きて行ける、だが眠ることが出来る理由がそれなのだ」

 彼の言葉にテュルクははっと自らの右手を見つめ直した。開いて握り直すその感触を確かめ、微かな溜息と共に微笑んだ。

「…意識しないと気付かないものですね」

 彼女の驚きを隠した声にタクスィメアが答える。

「我々はそう造られているからな…分かったのならば急ぐがいい、記憶が保持される時間はあまり残されていないだろう」

 窓の外の光景を一瞥しながら彼は続けた。既に地球の表面は三分の一程が光線に覆われ、原形を留めていなかった。

 テュルクはその見方によっては美しい光景から目を逸らし、ベッドに横たわった。自らの脳に対して眠りにつくように命令を下すと、全身の感覚が徐々に失われてゆくのが感じられた。そして彼女はその感覚に対して思わず口にした。

「私もユーリアと同じだった…のね…」

 タクスィメアがその言葉に反応し、視線を窓からベッドの上に移した時には既に彼女は眠りについていた。その静かな寝顔を見て彼は安堵の息を吐いた。そして再び地球へと向き直る。

「今回はすぐに戻ったか…本物の世界が、少しは良くなっていっているということだろうか…」

 地球は既に半分を光線に包まれ、地球を食らう存在に吸収され始めていた。地球が欠けてゆくにしたがってそれは巨大化してゆく。

 彼はその光景を眺めながらベッドへと腰掛け、再び線石を取り出すと日記を壁に映し出し脇に置いた。凄まじい速度で流れて行くその文字群を、彼もまたテュルクと同じく読み取ることが出来ていた。これが彼の、長年の経験から編み出した『記憶を失う日』の越え方だった。次に目を覚ました時に直ぐに日記の内容を読み取り、この状況を理解する為の準備だ。

 地球を飲み込み、その大きさを増してゆく巨大なそれを見つめて彼は呟く。

「お前は、いつまでこの『偽物の世界』を維持し続けるのか…『ジョテーヌ』よ…」

 彼の言葉は誰にも届かず、その視線の先で地球が光となってそれの中へと消えていった。同時に彼の体から力が抜け、俯いた。その瞳は開いたままで、呼吸すらしていなかった。

 部屋の中では線石が映し出す日記の文字だけが音も無く高速で流れ、ベッドの上ではテュルクが静かに横たわって眠り、タクスィメアが瞳を開いたまま力なくうな垂れてしばらくした後、その姿勢を戻した。

 その瞳には力が戻っており、彼は視界に真っ先に入った窓の外を見た。

「ここは…あの星は…地球?」

 彼の驚いた言葉が静まった部屋の中に響いた。それに応える人はおらず、彼が見つめる窓の外には漆黒の宇宙に浮かぶ青い星が元通りに浮かんでいた。

 そして彼は壁に映し出された光の文字を自然と読み始めた。これまで何千回と繰り返してきたその流れを彼は憶えていない。やがてベッドに眠るテュルクに気付いたとしても、それがテュルクであるということを日記から知るしかなかった。



 第五龍暦二千百三十年九月二十九日正午。レイヴン王国軍第三軍団主力部隊は、地表に散らばる敵機の残骸を回収していた。アハト平原南部上空が主戦場となった会戦で勝利を収めた第三軍団はその後アハトに駐留し、残骸を回収しながら王都奪還作戦に参加していた飛行型リム部隊の合流を待っていた。

 特に兵器開発局総局長である海鼬からの強い要望で、敵飛行型リムに搭載されている新技術を解析する為に全ての機体を回収するように全部隊に軍団長命令が下されていた。その命令に従い主力部隊のほぼ全てのリムが回収作業に割り当てられ、アハト平原を飛び回っていた。

 その要望を出した当人である海鼬は、アハト上空に滞空するスタブルムの甲板から回収作業を行うリム達の動きを見下ろしていた。

(圧勝、ね…予想してたとはいえ敵がここまで素直に戦ってくれるなんて、敵も龍王議会の各都市相手に連戦連勝で油断してたのね…私達は同じ轍を踏まないようにしないと)

 彼女が思案しているその時、後方の格納庫から現れたソルカニスが彼女に歩み寄り口を開いた。

「勝利に不安がありますか?」

 心を見透かしたようなその言葉に思わず頬が緩んだ海鼬は、表情を悟らせまいと振り返らずに答える。

「当然でしょ?第三軍団は勝ち過ぎてるのよ…流石に旧王都側の部隊は消耗があるけど、連勝は兵達の士気が緩む原因にもなる…」

 ソルカニスは「そうですね」と軽く答えた。そして海鼬の背にさらに話し掛ける。

「ふむ、高速輸送艇での酔いは醒めたようですね?試作品の回収と分解が終わり結果の報告書が上がったのですが…ここで読みましょうか?」

 海鼬は風で乱れた前髪を右手で払うと振り返り、彼が何も持っていないことを確認して口を開く。

「ここで、線石の報告だけでいいわ」

「…他の内容は粗方貴女の予想通りでしたからね、では簡潔に」

 そう前置きするとソルカニスは報告を続ける。

「銃身内に埋め込まれた線石のエネルギー吸収作用は貴女の想定以上で、今回の発砲による味方側通信機及び防御壁展開装置への損害はゼロ…そして吸収に用いた六つの線石の内一つの起動にも成功しました」

 ソルカニスは軍服の右袖から線石を滑り落とす様に取り出した。その右手に掴まれた線石は線の部分から淡く青い光を放ち、海鼬の視線を誘った。

「へぇ…線石の起動にはもう少し膨大なエネルギーが必要だと思っていたけど…『個体差』みたいなのがありそうね」

 その言葉にソルカニスが右手の線石を見つめる。生き物のような表現をされた後に見ると、それが放つ淡い光が何かの鼓動を放っているように感じられた。

「…ただの蓄光池兼通信機だと考えていましたが、その口ぶりだと実は線石が生きていると?」

 彼は視線を戻すと海鼬に尋ねた。その口調は重く眼鏡越しの目つきも真剣だった。

「あくまで仮定だけど、テュルクの例もあるからね」

 ソルカニスの問い掛けに対して、海鼬は右手人差し指を右耳の通信機に当てながら答えた。彼女はその個人用通信を聞き終えると「了解!慎重に運んでね?」と言ってスタブルム管制室へ向けて左手を振った。そして通信機を切るとソルカニスへと向き直る。

「敵の残骸から故障していない重力制御機関が発見できたみたい…これから回収するって、サードビースト様がすごい嬉しそうに通信入れて来たわ」

 そこまで言うと彼女は振り返って再びアハト平原を見下ろし、溜息を吐いて言葉を続ける。

「にしても…な~んで軍団長が自ら残骸回収なんかやって、第一発見報告入れてくるのやら?他にやることないのあの人は…」

 その言葉を聞いたソルカニスが彼女の背中に語り掛ける。

「…軍団長は自分がいなくとも軍団が機能するようにしているのです、王位の継承も王国の戦況も未だ安泰というわけではありませんから」

 それを聞いた海鼬が再び溜息を吐く。吹き抜ける風に言葉を載せる様に呟く。

「…そんな人こそ私達の『王』になって欲しいんだけどね」

 海鼬はしみじみと言葉を終えて振り返った。そして腕を組み、真剣な眼差しで口を開く。

「王国の戦況、悪いの?」

 彼女の言葉に彼は肩を竦めて答える。

「西方の旧王国領戦線は王都奪還作戦が成功したことで好転するでしょうが、龍王議会はもはや死に体…さらに東の神託国家群(スンイ)神都で地球人主義者(アーシアン)達のクーデターが発生、国を治めている神託官達の大半が処刑されたと報告がありました」

 海鼬が眉をひそめた。ソルカニスは右手の線石を眺めながら淡々と説明を続ける。

「主神神託官も処刑され、スンイ僧軍も革命同盟の兵器で武装したクーデター軍の前に敗走したと…数日は国内の混乱が足止めするでしょうが、それが治まれば大霊峰と接しているスンイ国境にも戦線が引かれることに…なりますね」

 そこで彼は言葉を終えた。情報を受け取った海鼬は右手を顎に当てながら頷き口を開く。

「報告ありがとうソルカニス、新兵器の開発も全力で進めてるから東部戦線で使えると思う…サードビースト様がそろそろ回収品をここまで持ってくるから、私は受け入れの準備に入るわ」

 そしてソルカニスへと詰め寄り顔を近づけてさらに続ける。

「結果は出したんだから完成品の『予算』…ちゃんとつけといてね?」

 その言葉に彼はしぶしぶ頷いた。そして視線を外さないようにして言う。

「一日でいいから私の仕事を体験してもらいたいものですが、一基分ぐらいなら何とかしましょう…その為にアハトを抑えたのですから」

 ソルカニスのその答えに海鼬が満足げに顔を離した瞬間、彼の右手が持つ線石が一瞬だけ強く輝いた。海鼬が咄嗟に飛び退きつつ線石を見つめると、激しい光が収束し人の姿を成し始めていた。二人はその光景から目を離せずにいた。

 彼との間に俯き気味に立つ光の人影は完成し、そしてその姿に見覚えがあった。

 そのホログラフィックで形作られた人影は憂いを帯びながらも優しげな瞳を開き、目の前の海鼬と視線を交わすと口を開いた。

「ここは…貴女は、第三軍団開発局長の…私はユーリアと…」

 その澄んだ声に海鼬が驚きを抑えながら左手を自分の胸に当てて応える。

「貴女…テュルク?!」

 そこへ軍団長のリム『サード・ビースト』が甲板の下から急上昇し飛来してきた。その爆音と強風に海鼬が振り返り、外部スピーカーから流れる気障っぽい台詞と共に現れたその姿を見上げる。

「持って来たぜ海鼬!」

 追加装甲で六基の光粒子エンジンを覆い耐久面が向上されたその姿は、黒い翼を広げた悪魔のようにも思えた。そしてその右手には先程の通信にあった重力制御機関と思われる装置が握られている。

(貴重なサンプルなんだからもっと丁寧に運びなさいよ…)

 海鼬は内心で悪態をつきながらリム頭部のメインカメラを睨みつけた。それがサードビーストに通じたのかは定かでは無いが、サードビーストは視線をテュルクへと向けた。そして外部スピーカーから声が聞こえてくる。

「…その姿、テュルクか!」

 その声からは彼が満面の笑顔を浮かべているのが容易に想像できた。テュルクも視線を海鼬からサードビーストへと移したが、始原龍議場で戦った記憶が脳裏をよぎった。彼女は慎重に目の前のリムへ声を掛ける。

「やはりここは第三軍団の…私はフィフスウィングに撃たれて…」

 テュルクは少し混乱しながらも記憶を整理しながら周囲を確認し、そして首を振って目の前のサードビーストに集中した。サードビーストはリムを甲板に跪かせるとハッチを開き、三人の前に降り立った。

 そして強化装甲服のヘルメットを外すと

「海鼬、目当ての物は回収してきたんだ…お前は今から解析に入れ、格納庫までこいつを使って運んでいい…ソルカニスは残れ」

 自らのハッチを開いたままのリムを右手の親指で指し示すサードビーストの声は、いつになく真剣だった。普段の軽い口調と違う雰囲気を感じ取った海鼬は口答えすることなくリムへと乗り込む。

(変なサードビースト様…)

 操縦肢に体を固定した彼女は機体の右脇に置かれた重力制御機関を丁寧に抱えると格納庫へと運び込んでいった。彼女が格納庫へ入ったことを確認してからサードビーストは口を開いた。

「…親父があんたを目覚めさせた時も突然だったって聞いたぜ?何の前触れも無く王城の地下に残されていた線石の一つが起動して、あんたが現れたらしいな?」

 テュルクはサードビーストよりも線石を手に持つソルカニスの動きを気にしていた。最後の記憶にあるのはフィフの攻撃を受けて線石が傷付き、暗闇と静寂に包まれたことだ。ソルカニスがその気になれば線石を破壊することも出来る。

 だからこそテュルクは慎重に、しかし挑発的に言葉を選ぶ。

「…私がリムを展開できると知っていて自らリムから離れるのですね、始原龍議場で戦った私の前で」

 視線に力を込めたテュルクとは対照的に、サードビーストは次の言葉をあくまで友好的に切り出した。

「過去の事だ、まあ手合わせしたい気持ちはあるが『本物のユーリア』が第五軍団長になったって情報もあるからな…俺達はもう敵同士じゃない」

 その言葉にテュルクは僅かに反応した。ようやく記憶と現在の時間の差があることに気付いたのだ。

「テュルク、あんたが適役な仕事を俺達は抱えている…それを受けてくれれば王国と龍王議会両方の利益になる」

 彼の言葉はどこまでも無邪気だった。必要なものをすぐに欲しがり、与えられるものを後先考えずに与える子供と同じような無邪気さだ。

「――どのような仕事でしょうか?」

 テュルクは自然と応えていた。サードビーストは返事を待っていたとばかりに微笑んで、すぐに言葉を続けた。

「『新生龍王議会の初代議長』…そしてその立場を利用して龍王議会の連中を説得して、俺達第三軍団が新しくアハトを首都として立ち上げる『連合国家』に参加して欲しいのさ」

 その言葉にテュルクとソルカニスが同時に息を呑んだ。その言葉を発した本人だけが平然とその場に立ち、テュルクの瞳をまっすぐに見据えていた。

 その口が開く。

「この仕事、受けてくれるか?テュルク」

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