東威航空機部隊青天隊 カンビティオ

 レイヴン王国が聖地へ移住して約二年の時が過ぎ、聖地に残されていた施設と設備はその全てがレイヴン王国により復興され、第四龍暦と変わらぬ効率で稼働していた。食料の生産供給にエネルギーの生成、そして兵器の製造もほぼ当時の水準通りか、王国の技術が加わったことでさらに大量に、高性能なものが造り出されるようになっていた。

 それらの施設は二十四時間休まず稼働を続け、夜闇に覆われたこの時間でも空から眺めれば施設から漏れ出る光が確認できる。聖都『ラインハーバー』上空に浮かぶ空中要塞『スタブルム』の管制室からその様子を見下ろしていたレイヴン王国軍第三軍団長サードビーストは、管制室の扉が開いた音に振り返る。

「サ~ドビ~スト様ぁ~!お会いしたかったですぅ~!」

 入って来た女は入室と同時に猫なで声を上げながら、窓際に立つサードビーストへ飛びついた。しかし寸前で、着ている白衣の襟を掴まれる。サードビーストと共に管制室にいたソルカニスは、小柄な入室者の襟を掴んだまま溜息を吐く。

「『海鼬』(ウミイタチ)、サードビースト様は昨日の戦闘と夜通しの移動で疲れています…手短に済ませなさい」

 今は第五龍暦二千百三十年九月二十五日に日付が変わった直後。そう言う彼の言葉もまた疲れていた。部下達には十分な休息を取らせているが、軍団長サードビースト含む幹部達は、この数日の龍王議会領を往復縦断中に休める機会が無く、今になってその疲労が押し寄せてきたのだ。海鼬と呼ばれた小柄な白衣の女性は、その疲れた手を跳ね除けるとサードビーストに駆け寄り、そのまま密着すると静かに話し掛けた。

「あ、飛んだんだ、あのリム…サードビースト様がお疲れでしたらぁ、この後ぉ~私の部屋でマッサージを…」

 言葉の最初を小声で言い、心の中で喜んだ海鼬は彼を誘ったがそれが叶わないことは、今の第三軍団の状況から分かっていた。

「海鼬すまない…『新兵器』を積み込み次第すぐに東方へ出立しなければ相手の動きに間に合わない…」

 サードビーストは言葉を遮りながら言い放ったがその言葉にいつものような覇気は無く、焦点が合っていないようにも見えた。極度の睡眠不足だと海鼬はすぐに見破った。

 彼女は手で少し押し出す様に距離を空けると上目遣いで言葉を続ける。

「わかりましたぁ~…『新兵器』はまだ試作品ですけど、私の大事な大事な子供ですから、ちゃぁ~んとデータを取ってきてくださいね?」

 その言葉にサードビーストは頭を抱えながらも頷く。おそらく睡眠不足による頭痛だろうが、海鼬は溜息を吐くと覚悟を決めたようにサードビーストを見上げた。

「それで~そのぉ~試作品から完成品にグレードアップさせる為にはぁ~予算がどうしても必要でぇ~」

 その言葉にソルカニスが頭を抱える。第三軍団の兵器開発予算は彼が管理しているのだ。

「やれやれ…予算を出すか出さないかはひとまず置いておくとして、まずはどういうアップグレードなのかを教えてもらいたいですね?」

 その言葉に海鼬は両手の中指を胸の前で合わせながら答える。

「まずは~試作品だと計算上一回撃っただけでぇ~銃身内の量子加速器が焼き切れちゃうんです~それを何回でも使える様に~量子加速器自体の抜本的な構造の見直しと製造に莫大な費用が掛かってぇ~」

「一回撃つ度に銃身が焼き切れる銃ですか…」

 呆れ果てた視線と言葉を送るソルカニスに海鼬は両手を握って反論する。

「だってぇ~!サードビースト様が求めた威力を出すには~研究する時間も製造する時間も足りなさ過ぎてぇ~まともなのが作れなかったんですぅ~!」

 そう言う彼女の表情は真剣で、事実を述べていることは分かった。

「今日までに形になったのも~工場の人達にとっても無理させたんですからねぇ~?」

 そう言う彼女の表情からは、部下に無茶振りをした上司の自責の念が見て取れた。彼女は第三軍団兵器開発局総局長という立場に立ち、第三軍団の直接の兵器開発を担う第一~第十二開発局の全てを指揮している。

「全開発局をその試作品の開発に注力させたからぁ~みんなが作りたがってた他の兵器がぁ~作れなくなっちゃったんですよ~?士気ダダ下がりですぅ~」

「分かった!悪かった…試作品の話を続けてくれ」

 ソルカニスが折れ、海鼬はつんとした表情でソルカニスから視線を外し、再びサードビーストに向き直った。表情も上目遣いに戻し、中指を胸の前で合わせる。

「もう一つの問題点が~試作品だと強力な粒子波を発生させてぇ~周囲のレーダーや通信機に異常を発生させることなんですぅ~それを抑える為に装備させたいのが…」

 ここで言葉が一度途切れた。サードビーストとソルカニスが見つめる中、中指をぱっと離して首を傾けて続ける。

「…『線石』なんですぅ~つまり~抑えるのではなくてぇ~吸収してもらうのですね~」

 これにはサードビーストが呻いた。線石は聖地に大量に保管されているが、その用途は決まっているも同然だった。サードビーストが口を開く。

「線石の代わりになるものは無いか?」

 海鼬はその言葉に申し訳なさそうに微笑みながら答える。

「線石を諦めた場合~抑えるという方向性で~あるにはあるのですけど~その場合兵器自体の巨大化だけではなく~製造コストが試作品の数倍に…」

「無理だ!試作品でも新型リムを一から造るのより高いというのに…」

 ソルカニスが叫んだ。レイヴン王国軍が僅か二年で飛行型リムを量産し、革命同盟軍に戦いを挑めるほどに兵器を揃えることが出来たのは、最もコストがかかるリムの基幹フレームの殆どを旧型から使い回して飛行機関を外付けに一本化したからだった。『サード・ビースト』や『フィフス・ウィング』のような聖地に移行してから開発された新型リムは、まだ数えるほどしか配備されていない。

 しかし海鼬は努めて明るく言い放った。

「でもでもぉ~線石さえ使えれば~ほぼ試作品のコストのままで量産が可能になるんですぅ~」

 サードビーストは目を閉じて考え始めた。線石には避けては通れない本来の用途がある。そのことを知るのはレイヴン王国民の中でも相当上の人間だけであり、海鼬とソルカニスは線石が流通しない理由を知らなかった。しかし東方の動きも怪しくなってきた現状、レイヴン王国が生き残るために強力な兵器が必要だという危機感も、確かにあった。

 サードビーストがしばらく悩んでいるのを見て、海鼬は返事を待っていたが、聞こえて来たのは微かな寝息だけだった。それを聞いて安心したような表情で溜息を吐く。ソルカニスもその横で眼鏡を直した。

「じゃあ~ソルカニス…予算については~試作品の試射のデータ待ちでいいですよ~?」

 そう言うと海鼬は立ったまま寝ているサードビーストの右肩を、ソルカニスが頷きながら左肩を担いで管制室の一つの椅子に座らせた。管制室の椅子は長時間の集中して行う作業による苦痛を和らげる為に、ソファーとまではいかなくとも座り心地の良い椅子が採用されていた。その一つに座り眠っているサードビーストを見つめてソルカニスが呟く。

「第四軍団長(フォーススケイル)による暗殺未遂が起きてからというもの、眠れていないようで心配していましたが、これでまたしばらくは大丈夫でしょう」

 そんなソルカニスを見上げて海鼬が言う。

「貴方も~疲れたのなら寝る事!私の開発局では~睡眠時間が少ない人は給料減らしてますからね~?」

「それは…なんとも恐ろしい仕組みですね?いや羨ましいのか…」

 驚きながらも微笑んで答えるソルカニスを悪戯っぽく笑いながら、海鼬は管制室へ入ってから気になっていたことを尋ねた。

「そういえば黒鼠と空猫は?」

「ああ、黒鼠は龍王議会首都でとある人物の警護を、空猫は今日出撃予定があるので今の内に休んでいますよ」

 ソルカニスの答えに少し寂し気に頷く。しかしすぐに明るい表情に戻ると管制室の扉へと駆け寄った。

「じゃあ~おやすみなさ~い!私も研究室に帰って寝る~!」

 そしてソルカニスの返事を待たずに管制室を後にした。質素な通路を通り抜け、そのまま外デッキへと出ると来た時と同じように開発局の小型航空機に乗り込み、夜の聖都へと降りて行った。

 それから一時間後、試作品の積み込み作業が終わると同時に、スタブルムは偽装迷彩を展開し、南東の空へと飛び立っていった。


 目を覚ましても暗い部屋。寝転がっているベッドから左手側の窓に掛かる揺れるカーテンを眺めながら時間をつぶす。部屋全体…いや、建物全体、国全体が微かに揺れている。目的地にはまだ到着していないようだ。金髪に覆われた頭の下に手を組み、ベッドに寝転がったまま考える。国ごと海に潜る、とトキサメ様が宣言してから四日目、そろそろ空が見たい、空を…飛びたい。航空機の操縦者であり、探検家でもある私にとっては「この狭すぎる国の中で四日間も過ごしているというのは人生の無駄だ」って、昨夜航空機部隊長にそう愚痴ったけれども、トキサメ様の命令だからと答えるばかり。部隊長でさえもその理由も特に聞かされている訳でもなさそうで、私をなだめる様に応じる姿はいつも以上に弱々しく見えた。

 ベッドの上で、今夜何度目かわからない寝返りをうつ。国内で、しかも潜水移動中に飛行するわけにはいかない。しかし私は潜水直前に見たものが気になる、探検家でなくともあれを見た人ならば気になるだろう。あの巨大な姿で飛行する謎の生物。私がかつて見つけた始原龍の島よりも巨大だった。あれの後を追いたい、大陸の北の空へ消えていったあれが何だったのかを確かめに行きたい…。

「国民の皆様、おはようございます…これより東威(トウイ)は海面上へと浮上を開始します…浮上時の衝撃に伴う揺れにご注意下さい…繰り返します…国民の…」

 全ての部屋の天井隅に設置してある小型のスピーカーから、美しい女性の声が聞こえて来た。私は突然の放送に飛び起きる。一瞬で呼吸が荒くなる。私は窓へと駆け寄り、右手で引き裂くような勢いで開けた。私の部屋は、東威の中でもいい立地にある。国を覆うドームに届く『大柱』の片隅、その中間よりも上の階層の私の部屋からは国のほぼ全体が見渡せる。地上もドームの内壁も。

 透明なドームの内壁から見える海中の景色、その上方が明るくなってきているのが分かった。私は窓からその輝きが強くなってゆくのを見つめ続けた。そしてその輝きが最高潮に達するのと同時に、少し激しい揺れにカーテンを掴んでいる右手に力が入る。そしてその揺れが小刻みに続いて徐々に弱まっていった時、ドーム表面上に残っていた海水がほとんど流れ落ちて、四日ぶりの空と地表の景色が眩しい日光と共に私の目を刺激した。そこに見えたのは朝日を浴びて輝く崖とそれに張り付くような形の都市、その崖と都市を覆うように立ち上る白い煙。そしてその白い煙を貫くように顔を出している巨大な龍の姿だった。

「龍王議会領!?…あれは蛇龍議場?」

 部屋に私の声が響く。何で今、龍王議会に…?その時、携帯式通信機から鋭い電子音が鳴り響いた。


 第五龍暦二千百三十年九月二十五日の朝。東威の浮上直後、私達航空機部隊の『青天隊』(せいてんたい)に集合命令が掛かった。『大柱』を貫くエレベーターでドーム外側に張り付く重力制御要塞『炎峰鳥』内部へと上ると、集合場所である格納庫には既に部隊長の『タマテ』が到着していた。彼は私を確認して軽く手を上げた。

「早いなカンビティオ、さすがエース!」

 渋い声の気のいいおじさんとしか思えない部隊長は呑気に挨拶をする。彼のおかげで青天隊は結構緩い雰囲気が漂い、気負わずに安心して努めていられる。ただ、任務が始まると人が変わることでも有名で、緩急つけろよって、行動を通して言われているようにも思えてしまうけれどもそれも良し。

 私は同様に手を上げて応える。任務外では空返事でいいのは助かるし、今回も軽く声を混ぜるだけで済ませる。青天隊は十二人で構成されているし、他の十人が集まるまでは待機しておけばいいと、そう思っていたら部隊長が不敵な笑顔で話し掛けて来た。

「では揃ったことだし、作戦説明を始める」

 いつものじじくさいボケだろうと「はーい」と、元気よく答えて他に誰もいない周囲を見渡す。しかし部隊長はいつものように笑うのではなく、不敵な笑みのまま私を見つめている。

「今日の作戦は俺とお前の二人で遂行する」

 真剣な声と眼差し、そして言葉の内容に少し驚く。私達「二人だけの任務だという事ですか?」

「そうだ、他の十人は待機…さらに上層部からは、任務参加者以外への情報提供は禁ずるとの指示だ」

 その言葉に私も姿勢を正して部隊長を見つめ直す。入隊して二年経ったけど、ここまで少人数で行う任務は初めてだった。

 部隊長は一度息を整えながら周囲を観察した。格納庫内には開口部へ向かって滑走路が敷かれていて、それを挟むように多数の航空機が出撃しやすいように滑走路向きに配置されている。

「今回の任務はこれから炎峰鳥にて龍の頭沿いに聖地国境直前まで飛行、そこからさらに私とお前の二人で複座式小型機で飛び立ち聖地領内へ突入、領内の映像と写真を撮影できる限り撮影して帰還するのが大まかな内容だ」

 内容自体はこれまでの偵察任務と同じに思えた。だけれども目的地が聖地、かつて探検家として航空機で侵入を図り、黒龍に追い返された土地。晴天時に大霊峰外から眺めた限りでは川と湖、ただの平原が広がっているだけだった。

 部隊長は私の顔を見ながら更に続ける。

「さらに今回の任務には囮の地上部隊として王国製のリムが一機、そして我々航空機部隊には偵察以外に追加で『あるもの』の聖地への運搬が指示されている…その運搬をお前に任せたい」

 「なんで私に?」と尋ねた。なぜ聖地に侵入するという重要任務なのに、部隊全員ではなく二人だけなのか、わざわざ切り札の炎峰鳥を出す必要性があるのか…いろいろと聞きたいことはあったけれども、まずはそれを訊いた。

「操縦の腕の問題もある…が、その『あるもの』を運ぶ役割を、お前自身が望むだろうと判断したからだ」

 私が運びたくなるもの…どういう意味?私はその言葉を考えるけど、そもそも何かを運びたい衝動なんて感じたことが無いのだと結論付けた。強いて言うなら「自分の体とか?」

 部隊長がその言葉を聞いてにやりと微笑む。

「当たらずも遠からず、だな…出撃までに機体の整備と起動確認を済ませておけ!解散!」

 …え?本当に、何を運ぶの…?一応敬礼を返したものの、疑問は解けない。しかし解散した以上、ここから先の部隊長は仕事モードだ。質問するわけにもいかず、格納庫の片隅に配置してある私の機体の元へ仕事内容を予測しながら歩み寄る。偵察だけならどうとでもなりそうだけれども、聖地内へ運ぶ物とは?考えても答えが出るわけも無く、私は抗塵スプレーを手に、複座式の白い機体『二十四式高速偵察航空機』の着陸爪(チャクリクソウ)から点検に入った。機体の上下に四つずつ、飛び出す爪の様に設置されたその装置が、東威の航空機の滅茶苦茶な機動力を実現させている。詳しい仕組みはわからないけれども、流し込んだエネルギーに反応して周囲の質量を自在に変化させる装置…らしい。仕組みを知らなくとも動かせるのは本当に助かる。そのよくわからない装置に抗塵スプレーを適当に吹きかける。この装置に何かが付着していたら、ただの航空機と変わらない動きしか出来なくなる。

 その後は機体全体を見回してガタが来ていないかをチェック。今回の任務でどれだけ激しい動きをするのかは分からないけれども、ちょっとでも機体に凹みや傷があったら、箇所によっては空中分解なんてことになったりする。そんな間抜けは見たことないけど、念の為。これには結構な時間を掛ける。

 そしてそれも完了したら操縦席に乗り込んで光粒子エンジンを起動させ、もう一度外へ。エンジンが問題無く起動しているのかどうかを、実際に目視して確認する。三基の光粒子エンジンは微かな光の輪を内部で輝かせ、後部の穴から蛍よりも弱く輝く光の粒子を吐き出している。このエンジンの仕組みは知っている。エンジン内部の前方と後方に質量差を発生させ、その際に発生する引力を用いて推進力を得る。エンジンから射出される光の粒子は質量を小さくする為に放出されるエネルギーであり、内部で輝く光輪は生まれた質量差を維持する為に高速で回転させている光の粒子…らしい。結局はこれもよく分かっていないのだけれども、飛べればいいのだ。

 エンジンが正常なことを確認したら再び操縦席に飛び込む。体固定用の安全ベルトに各メーターの確認、操縦席を覆う防御壁の展開・維持の確認、そしていろいろごちゃごちゃした装置の付いたヘルメットを被り、全てのシステムを『仮』起動させる。ここで完全に起動してしまうと、起動直後に飛び出してしまったりする。このヘルメットは意識と機体を繋いで思い通りに操縦できるようになる装置…東威に入ってから変な技術に驚かされてきたけど、このヘルメットが一番変なものだと思った。故郷の西方にもリムを思い通りに動かせる『操縦肢』があるけれども、航空機は相変わらず操縦棹を用いた操縦方法だ。人が人型ではないものを思い通りに動かす技術…本当によくわからない…

 整備を始めて軽く三十分ぐらい経った。外部集音マイクが外の音を捉える。微かに聞こえるのはもう一台の起動音、部隊長の機体も最終確認に入ったみたい。そして通信機から部隊長の声が響く。

「整備の早さでも負けるようになったな…次の部隊長は頼んだぞ?」

「ふぇ~部隊長なんて柄じゃないんですよ~…私はただ飛んでいたいだけなのに…」

 めんどくさいを自分なりに言い換えるとこうなる。部隊長からそう言われ続けるのも信頼されてるみたいで悪くは無いけど、平和になったら故郷に戻りたい…そういう願いが捨てられないから、ここでの責任は背負いたくない。だからそう答えながら、仮起動を終わらせる。話を変えようと「今回の任務、出発はいつになるんですか?」と訊いてみる。

「わからん…トキサメ様が直々に今回の偵察任務の計画を立案されたのだが、肝心なところが穴だらけでな、まあ…いつものことだが」

 部隊長は相手が国家元首だろうと平然と悪口を言う。そんなだから定年間近になっても現場指揮官止まりなのだと、自分で語っていたこともあるぐらいだ。私も今まさにトキサメ様の無計画さに笑っていた。

「だがそんなに時間は掛からんだろう、今交渉中らしいからな…」

「これより三十分後に東威ドームから『炎峰鳥』が離脱・出撃致します…関係者は配置に着き、備えて下さい…」

 部隊長の言葉が終わるより早く、格納庫内に放送が響いた。任務開始の目処が立ったのだと二人で理解する。

「存外早かったな、まあ相手も手段を選んでいる余裕は無いという事か…」

 部隊長の言葉がなんだか不穏な雰囲気…「あ!その『相手』が今回の運搬対象だったりします?」

「お、よくわかったな…その洞察力、やはり次の部隊長に相応しい」

 全部そこに持っていくのなら喋らない方がいいのかもとすら思えてくる。でも三十分で炎峰鳥が出発するとなると、もうこのまま機体の中で待っていた方がいいかな…

 やることが無いからまた仮起動して、今度は視覚の共有を試す。機体で遮られていた死角が補われて透明化したようにも思えるこの機能は、西方のリムにも搭載されてはいたけれども航空機に搭載しているとは思わなかった。まあ操縦棹が無いからこそ出来ることなんだろうけど…

「ああ今回の任務だが、黒龍の邪魔が入らないように超高高度まで炎峰鳥で上昇する…恐らく邪魔は入らないだろうが…」

 部隊長にしては今回の任務に対する気の持ちようというか、不安要素が多そうに感じられた。「そもそもなんで今、聖地の偵察任務を行うの?」

 通信機から部隊長の意外そうな声が聞こえた。

「そうか、お前はまだ知らされてなかったか…」

 そして悩む呻き声。恐らく一定以上の階級にしか知らせないような情報統制が敷かれているのだろうけど「知らないまま任務を遂行しろってのは、不測の事態を生みやすいんじゃない?」

 容赦なく国家元首の悪口を呟く割には、部隊長は長く悩んでいた。

「四日前…東威が潜水する直前、恐らくジョテーヌ大陸全土へ向けて、聖地内部から汎用電波波長の通信が発信された…」

 潜水する直前と言ったけど、恐らくその通信があったから潜水したんだと感じた。でも黒龍に守られた不可侵の土地からの通信…全然予想できないけれども、私は黙ったまま言葉の続きを待つ。

「その内容は二年前に滅んだはずの西の大国、レイヴン王国が聖地の占有を宣言するものだった…同時にレイヴン王国は革命同盟に対して宣戦布告を行った」

 …なるほど。内容が不穏過ぎて、この国では情報統制が敷かれるのも無理はないと思った。潜ったのもそれを隠す為かと納得する。

 ただ、それよりもなによりもレイヴン王国の存続が気になった。私が東威に来る前に、五年ぐらい活動拠点にしていた国…私の取ってきた写真が一番売れた国っていう、まあそういう思い出し方をしたくは無かったけど、居心地が良い国だった。

 しかしレイヴン王国の消滅で西方での雌雄は決したと思っていたけれども、まだまだ捨てたものじゃなかった、という事かな…私は王国で出会った人々の事を思い出す。学問に長けた人が多いだけでなく、未知への探求と挑戦に対して貪欲でもあった。私の探検を記した写真集は一般大衆だけではなくお偉いさん方、王族にさえ呼んでもらっていた。似合わないドレスを着たりして、結構有頂天になってた恥ずかしい記憶も蘇った。王族主催のパーティーなんて、レイヴン王国以外で呼んでもらえたことが無かったから…

 その時に人生で初めて王子様と王女様って呼ばれる人達に出会った。王様と違って人前に出てくることが多くない上、異邦人と直接話す機会なんて考えてみたらある方がおかしいか。でも第一軍団長、第一子の王子さまは鋭い目つきと渋くていい声に体格も逞しくて、特にカッコよかったな…

 第二子の王女様は美しくていい人だったけど、明らかに私を見る目がなんだかいやらしくて…絶対百合趣味だろうなって思って距離を置いちゃった。

 第三子の王子様は王族らしい気品は無かったけど、爽やかで気さくでいいお兄さんだったな~王子様じゃなくて仕事の上司とかで欲しいかも…部隊長があんな感じだったらよかったのに…

 第四子の王子様は背が低かったけど礼儀正しくて、動きの隙が無い…王子というより兵士というか、凄腕の軍人?みたいな感じで少し怖かった…

 そしてそのパーティーで初めて姿を見た第五子の王女様が…

「…おい!聞いているのか?」

 部隊長の大声で現実に引き戻された。「はいっ!」と通信機に向かって答えたが、通信機から溜息が聞こえて来た。

「とにかく、今回の主任務はレイヴン王国が占領した聖地の状況確認だ…運搬任務は着陸を要すると思われ難易度が高い、対象とお前の安全を考えればそちらの任務は無理強いは…」

「その心配は不要です」

 突然、通信に澄んだ女性の声が割り込んできた。私と部隊長は機密情報である任務の内容を何者かに聞かれていたことに驚きを隠せない。綺麗な声だけれども全く聞き覚えが無い声…誰?

「聖地上空へ辿り着けさえすれば、そこで私達を空中へ放り出してもらって結構です」

 澄んだ声はなかなか恐ろしいことを言う。つまりこの声の主が運搬対象だということだ。だから複座式なのか…私は声の主を探して周囲を見渡す。通信機から部隊長の声が聞こえる。

「あんたらが乗るのはあっちの機体だ」

 その声に私は部隊長の機体の方を見てはっとした。そこにいた二つの人影は…


 炎峰鳥は東威が有する空中要塞であり、東威を守る外郭の役割も担っている。東威を守るドームは頑強ではあるが、さらに炎峰鳥とそれが発生させる防御壁で守り、外からの都市への攻撃をより困難にしていた。

 その炎峰鳥が、まだ上がり切らない日光を浴びて東威のドームから立ち上がる様に発進した。ドームに張り付く十字架のような形状の炎峰鳥はドームとの五つの接続部を切り離し、上昇しながら龍の頭の山嶺に沿うように前進を開始する。

 その十字架の交差部分に炎峰鳥の管制室がある。そこで男性が二人に中央に女性、三人の東威指揮官が立ち、窓の上に設置された無数の通信映像を映し出す巨大なモニターを眺めていた。その中には航空機の操縦席に着いている部隊長とカンビティオの姿もあった。眼鏡に細い顎の男が、中央の女性に顔を向けながら口を開く。

「トキサメ様、青天隊の準備も完了しているようです…低質量移動へ入っても問題は無いかと」

「了解…アラオト、低質量移動の準備を」

 トキサメ様と呼ばれた女性は視線をモニターに向けたまま、しかし満足そうに答え、頷く。アラオトと呼ばれた男が頷き、もう一人の屈強な色白の男がさらに続ける。

「偽装迷彩の用意も完了、これより展開する!」

 色白の男はそう言うと、空間に映し出された操作盤を右手で複数回反応させる。映像を映し出したモニターの内、ドームから炎峰鳥を見上げた映像の中から炎峰鳥の姿が消えた。

「偽装迷彩展開完了、高度さえ取れば低質量移動してオッケーだ!」

「ゴロンドリナ、ありがとう…数百年ぶりの発進だから緊張するわね…」

 その言葉に二人の男も苦笑いする。トキサメの言葉通り、炎峰鳥が東威のドームから離れるのは第五龍暦では二度目、約六百年ぶりの事だった。

「今のところは正常に動いているからいいんだけれども…」

 独り言のように二人へと注意喚起するトキサメ。その間にも炎峰鳥は上昇を続け、既に龍の頭の山嶺が遥か下方へと霞んで見えていた。

 トキサメがモニターのカンビティオ機内部の映像を見る。カンビティオは複座式特有のもう一つの座席に座る、このカメラには映っていない相手と楽しげに会話しているようだった。音声を拾うことも出来るが、良心の呵責というべきか、盗み聞きは躊躇われてしまうのだ。

「トキサメ様?」

 突然アラオトに話し掛けられ、少し驚きながらそちらへ振り向く。アラオトは穏やかな表情で続ける。

「低重力移動の準備が完了し、高度も黒龍達が到達し得ない超高高度域に達しました…いつでも出撃可能です」

 ゴロンドリナもその言葉に頷く。トキサメは一呼吸置いて頷き、モニターへ向けて命令を発する。

「これより炎峰鳥は低質量移動を開始、目的地は聖地との境界面である大霊峰上空!そこで航空機部隊を出撃させ、我々はその帰還まで大霊峰上空で待機、それを回収次第ドームへ帰還する…」

 そこで一度言葉を切る。モニターにはカンビティオ以外にも部隊長に各砲座の砲手、各乗組員達の姿が映し出されている。その全員が指示を待っている。トキサメは長く息を吸い、モニターに向き直った。

「炎峰鳥、出撃!」「「「了解!」」」

 トキサメの号令とそれに応える乗組員達の声と共に、炎峰鳥は低質量移動状態へ移行し、聖地へ向けて飛び立った。低質量移動は炎峰鳥の構成物質を一時的に変質させることで質量を低下させ、高速移動を可能とする技術だが、防御壁は解除され機体の耐久性が脆くなり戦闘には向かなくなる。だからこそ偽装迷彩との併用が不可欠だった。

 管制室のモニターは低質量移動中は映し出されず、トキサメは静かに窓から外の空を眺めていた。遥か下の山嶺を沿うように、そして飛行型リムに劣らない速さで巨大な空中要塞が移動している。

 移動中の管制室は静かなものだ。男二人はそれぞれが担当する基軸装置の起動状況の確認に余念が無く、トキサメは一人ではやることも無くモニターを映すこともできず、ただ前方の空を見ていた。雲よりも高い場所の空は透き通っており、かなり遠くまで見渡すことが出来た。

 だからこそ視界の異変に気が付くことが出来た。大霊峰が視界の先に微かに見えると同時に、トキサメは叫んだ。

「移動停止!低質量移動解除!」

「了解!」

 アラオトは理由を聞く前に行動した。炎峰鳥の低質量移動を緊急解除し、機体の動きを制限する。同時にモニターが再起動され、画面に映し出された先の慌ただしさが伝わってきた。

「質量レーダーに巨大な質量反応有り!前方十キロメートル地点…大霊峰直上です!」

 レーダー制御室からの通信にゴロンドリナが反応する。

「質量の計算は?」

「炎峰鳥との対比でほぼ一対一…空中要塞級です!相手も偽装迷彩を展開中!」

 トキサメが手元に出現させた操作盤で、モニターの表示を外部カメラへ切り替える。そして質量レーダーの表示を合わせて表示すると、モニターの中央に縦長の巨大な建造物が青く浮かび上がった。

 ゴロンドリナが息を呑む。

「この外観は…レイヴン王国の空中要塞…!我々の作戦がばれていたというのか!」

「焦るな!レイヴン王国と事を構える気は無い…しかし相手に協力の意志があるのかどうか…」

 トキサメはそう言って彼を制すとモニターの巨大な質量表示を睨むように眺め、再び操作盤を動かして防御壁を展開した。偽装迷彩で姿を隠したままだが、これで相手に存在を知らせたことになる。トキサメは相手の出方を伺っていた。モニターに付属しているスピーカーからレーダー制御室の報告が入る。

「レイヴン王国軍空中要塞、防御壁展開…な!?複数の航空機の発進を確認!」

 その報告にトキサメは眉をひそめる。

「航空機?飛行型リムじゃなくて?」

「はい、十機の航空機です」

 その報告に他の二人も違和感を覚えた。運搬対象からの情報提供では飛行型リムの量産は完了し、レイヴン王国空軍の主力となっているはずだった。レイヴン王国にとって前世代的兵器である航空機を、戦場の要である空中要塞の護衛として戦線に出すとは考え辛かった。

「本気で戦う気が無いのか、あるいは飛行型リムを連れていないのか…」

 アラオトの呟くような考察にトキサメは同調する。何にせよ、こちらと対峙する相手が貧弱な武装であることは有難かった。

「ゴロンドリナ!偽装迷彩を解除、相手が交渉に応じるかもしれないし、ひょっとすると『対象』を迎えに来たのかも…」

 その言葉にゴロンドリナは頷き、操作盤を動かす。

「偽装迷彩を解除、防御壁の出力を上げろ!」

 ゴロンドリナの言葉通り、炎峰鳥の偽装迷彩が解除された。数秒間の静寂が過ぎ、モニターに映し出されている景色の一部が揺らぎ始めた。

「相手の偽装迷彩が解除されていきます」

 レーダー制御室からの報告を受けながら、眼前の光景を見つめる。縦長の形で、各所に砲台と盾となる装甲輪が備わった王国製の空中要塞…その全体像が明らかとなった。

 そしてトキサメは操作盤を素早く動かして映像の一部を拡大する。そして管制室の窓の直下に記された紋章を確認した。

「『三つ首の狼』…第三軍団か」

 そう呟いた直後、レーダー制御室から連絡が入る。

「レイヴン王国要塞から通信が入りました!相手は…第三軍団長サードビーストを名乗っています」

「すぐに繋いで!私が相手をするから」

 トキサメの言葉に「了解」と返事が聞こえた直後、スピーカーから若い男の声が響いた。

「このまま領空を犯して我々と開戦するか、東威軍?」


「このまま領空を犯して我々と開戦するか、東威軍?」

 サードビーストは管制室かの窓から前方の炎峰鳥を睨みつつ、そう切り出した。管制室には幹部としてソルカニスのみが側でその様子を眺めていた。

 数秒の後に通信機から相手の声が響く。

「私は東威首相のトキサメ・キリミネ!とある人物をレイヴン王国へと送り届ける為にここまで来た」

 サードビーストにはその人物に心当たりがあったが、トキサメの言葉を待った。数秒後にトキサメが言葉を続ける。

「我々に開戦の意志は無く、その人物を無事に送り届けられるのならば、我々はすぐに退く用意がある」

「その人物にはこちらも心当たりがある」

 サードビーストは答えた。そして東威の思惑を測りながら言葉を続ける。

「ここで引き渡してもらえれば第三軍団が送り届けよう…それが東威にとって利益のある行動だ」

 あくまでも威圧的に振る舞い対話での主導権を握ろうとする。サードビーストはこの提案が東威にとって最善手だと思っていた。トキサメが答える。

「第三軍団への引き渡しは出来ない…とある人物は我々、というより私にとってそれなりの借りがある人物でね」

 その言葉にサードビーストと、彼に交渉の内容を事前に教えていたソルカニスの表情が鋭くなる。そうとも知らずにトキサメが続ける。

「借りは返せるときに返しておかなければ私個人、ひいては東威の信頼に関わる…それに国境を越える旨に関しては、既にレイヴン王国の要人に許可を得ている」

 その言葉にソルカニスは交渉の決裂を悟り、小声でサードビーストに話し掛ける。

「私は出撃の準備をしておきます、交渉は早めに切り上げて構いません」

 そして管制室を去っていった。サードビーストは溜息を吐くと通信に応えた。

「送り届ける人物がその要人か?」

「それを教える義務はない、その人物は第三軍団長(きみ)の事を信用していないからだ」

 トキサメも簡潔に答えた。通信機越しにお互いの戦意を確認した二人は、しばらくの黙考の後、覚悟を決めて伝え合った。

「我々東威に争いの意志は無い、しかし目的は果たさせてもらおう」

「そうか、残念だ」

 サードビーストの言葉は短く、冷めきっていた。彼は通信を切ると足早に管制室を後にする。そしてヘルメットを被ると通信機を起動し、外の航空機部隊へと命令を出す。

「空猫、交渉は決裂した…交戦の許可を出すが、最初に例の新兵器を試すから俺の射線に入るなよ?」

「了解しました…直撃させるのですか?」

 返ってきた空猫の心配そうな言葉に対し、サードビーストは笑って答える。

「なに、交渉の余地は残すさ!そもそも領空を犯そうとしているのは向こうだ、強く出てくることは無いだろうよ」

 そんな通信をしながら彼が向かったのは、管制室にほど近い幹部用の飛行型リム格納庫、その中に入るとソルカニスが既に自らの機体に乗り込み、起動させていた。彼は格納庫へ入って来たサードビーストを見て事情を察し、通信機越しに話し掛ける。

「交渉とは自らの意見を押し通す為のものではなく、相手の譲歩を引き出す為に行うもの…お互いに譲る気の無い交渉程、無意味なものはありません」

 サードビーストは黙って自らの機体に乗り込む。そして起動させた通信機へ向かって愚痴をこぼした。

「東威があっち側に付くか…可能性はあったが、こんなに早くとは…」

 その言葉に対し、ソルカニスはある仮定を述べた。

「先程の通信…相手は『トキサメ・キリミネ』と名乗っていましたが東威史上、少なくとも第五龍暦に入ってからは、あの国の首相の名に変化はありません」

「…俺の名前みたいに襲名制なのか?」

 『サードビースト』は素直に問い返す。ソルカニスは微かに笑い、しかし考えながら答える。

「東威の社会制度についての情報が少なすぎる為、その可能性もあります…が、もしも同一人物が第四龍暦から変わらず統治していると考えれば、彼女の事を知らぬはずもないでしょう」

「…なるほどな」

 サードビーストはそう答えて機体を立ち上がらせる。そしてその両腕を伸ばし、そこに巨大な銃を実体化させた。機体よりも巨大な銃を両腕に持ち、サードビーストはデッキへ繋がる隔壁へと歩み寄る。ソルカニスは並進しながらその銃を眺め、尋ねた。

「その銃を撃つつもりですか?」

「実地試験にはいい相手だ、当てはしないから安心しろ」

 そしてサードビーストは通信先を管制室へと変えて叫んだ。

「デッキ側の隔壁を開け!俺の射撃と共に戦闘開始だ!」

 通信機から「了解!」と反応があった後、目の前の隔壁が開き始めた。サードビーストは通信相手をソルカニスに戻すと呟くように言う。

「狙いは『あいつら』だけだ…東威軍は攻撃対象ではないが、聖地へは一機も通すなよ?」

「御意…といっても超古代兵器が相手ですから、結果は見通せないのですが…」

 二人はそう言うと開き切った隔壁から外へと歩み出た。


「王国軍空中要塞上デッキの隔壁が開口、二機の飛行型リムが内部から出現!」

 炎峰鳥の管制室にゴロンドニアの報告が響く。モニターの映像からも現れた二機の黒いリムが見て取れた。トキサメは溜息を吐くと通信機から炎峰鳥全体へ向けて命令を下す。

「各員戦闘態勢!防御壁を強化、地上部隊の囮のリムも降下!この作戦は相手への攻撃が目的ではない…あくまで聖地の偵察と対象の運搬が最優先事項であり、対象の運搬を担う航空機の護衛さえ果たされればそれでいい」

 同室の二人とモニターの通信機から次々と了解する声が入る。炎峰鳥の最下層のデッキから黒いリムが降下して行く映像も確認する。その声と映像にトキサメは気分が高揚してゆくのを感じたが、直後にレーダー制御室からの警告が響いた。

「敵飛行型リムに強大なエネルギーの収縮を確認!攻撃来ます!」

 トキサメもモニターに強力な光を確認すると叫んだ。

「防御壁最大…!」


 サードビーストは両手の銃を正面で合体させ、照準を炎峰鳥の十字架の右上空白部へ合わせると高らかに叫んだ。

「これが試作超貫通光線砲の力だっ!」

 そして引き金を引いた。だが光線は発射されず、銃は光を収束し始めた。肩透かしを食らった軍団長に追い打ちをかける様に、通信機からソルカニスの乾いた笑いが一声だけ入った。しかし銃が光の収束を開始して三秒後、その乾いた笑いを掻き消しながら、溢れるような太い光がその銃口から放たれた。

 光線銃だというのに反動でサード・ビーストが押し込まれる。光線はその周囲に竜巻のような空気の流れを伴い、照準通り十字架型の本体を逸れて右上にずれて直進した。炎峰鳥の防御壁が一瞬、視認できる程の光を放っていたが、サード・ビーストが放った光線はそれを紙を貫く槍のように一瞬で打ち破った。

 サードビーストは光線砲の光が収まると、メインカメラ越しに炎峰鳥が左下方向へと傾き、回避行動を取っているのを確認した。巨大な空中要塞が一撃で防御壁を失い、体勢を崩している様を見て高揚を隠せなかった。思わず通信機へ向かって叫ぶ。

「最高だな…ソルカニス、空猫も見たか!?東威の防御壁を一撃で突破したぞ!」

 そして操縦中であることもわすれて拳を握りしめ、喜びを表現する。しかし通信機から返答が無い。

「…どうした?ソルカニス、空猫?…管制室?応答しろ!」

 サードビーストがソルカニス機へ振り返ると、異状無く動いているようだったが機体の耳を指差し首を左右に振っていた。機体の通信系のレーダーは腰部にあるのだが、この動作の方が何が起きているのかは分かりやすかった。

「通信障害…今の砲撃でレーダーがいかれたか?…確か海鼬がレーダーがどうのこうの言ってたかな…」

 誰にも伝わらないと分かっていながらそう呟いて視線を炎峰鳥へ戻すと、二機の航空機が炎峰鳥から発艦したのを視認した。すぐさま通信機へ向けて叫ぶ。

「敵航空機を止めろ!!」

 しかしその命令は誰にも通じなかった。


 よくわからない警告通信の直後に凄まじい揺れが来た。炎峰鳥内部でこの衝撃を感じるのは…絶対にやばい攻撃を受けている…!

「大丈夫かカンビティオ!」

 「なんとか~」と返して格納庫内を見回して確認する。他の機体は一部配置が乱れていたが、起動済みの私と部隊長の機体は無事だった。

「青天隊は無事!?」

 突然通信機から入って来た女性の声に一瞬、誰だ!と思ったけど、よく聞いたらトキサメ様だった。

「問題ありませんトキサメ様、しかし今の振動は一体…?」

 部隊長が手早く返信と問い掛けを行った。ここは全部、部隊長に任せようと私は静まる。

「レイヴン王国の新兵器による攻撃で、防御壁が一撃で貫通され消失しました…現在被害を確認中です」

 その直後、レーダー制御室のものと思われる通信が横入りしてきた。

「先程の攻撃で、外部との通信に使用するレーダーがダウンしました…ドームとの通信が行えません!また周囲の観測にもかなりの障害が発生しており、現在復旧中ですが完了予定時刻は未定です…」

 その言葉にトキサメ様の鋭い呼吸が聞こえた。打開策を考えているのだろう、そう思っていると、機体の後部座席から澄んだ声が響いた。

「トキサメ、これは好機かもしれません」

 今呼び捨てにした…?澄んだ声はさらに続ける。

「今のレイヴン王国の技術では東威を越えるレーダー保護は行えません、恐らく相手は今の砲撃で炎峰鳥以上のダメージを負っているはず」

「成程…タマテ隊長とカンビティオ隊員!機体に異常は無い?」

 トキサメ様から直接声が掛かったのは初めてかもしれない、そういうことを考えながら全てのメーターと動作を確認したけど、特に問題は見当たらなかった。

「特に異常は見当たりません、任務の遂行は可能です」

 私も「問題ありません!」と答えて思わず敬礼する。格納庫バリアは結構優秀なのでは…?

「…敵のレーダーが無効化出来ていたとしても、相手と対峙している状態だから出撃が視認されて追撃を受ける…それでも出撃する覚悟が、二人にはある?」

 まあ、「こんなに高性能な機体もらって撃墜されたりはしない」でしょ?私の言葉に続けて部隊長が答える。

「はい、それに我々は今回の任務を達成するべく選別された操縦者(パイロット)です!必ず偵察と対象の運搬を成し遂げてみせましょう!」

 こういう時の部隊長の声はかっこいいなぁ~と思う。その声を聞いたトキサメ様の微笑みが聞こえた。

「…では計画通りに聖地偵察作戦を決行!青天隊は即座に出撃、眼前の王国軍第三軍団は無視して聖地へ突入せよ!」

「「了解!」」

 私と部隊長が同時に応えて早速機体を滑走路へ動かし、出口である開口部へ機首を向ける。飛び立つ際は部隊長が先頭を切るという暗黙の了解があるから、部隊長機の後ろに付いて発進を待つ。

「では出撃する、遅れるなよカンビティオ?」

 「だ~れに言ってるんですかね?」って軽口で返す。部隊長から小さく笑い声が聞こえてきたかと思うと部隊長機が急発進した。私も「発進するよ!」と背後の人物へ声を掛けるのと同時に急発進させる。返事は聞く気はないけれど…空に飛び出した瞬間、操縦肢からぞくぞくとした感覚が全身を駆け巡る。

 楽しい!たった四日間だけだったのに、空を飛ぶ感覚に飢えていた。機体を急上昇させて加速させ、部隊長機の左翼側に位置取り無駄にぐるぐる軸回転しながら並進する。前方十キロメートルには巨大な敵空中要塞が浮いて待ち構えている状況だけれども、高揚せずにはいられなかった。

「カンビティオ!このまま旋回しながら上昇し、空中要塞の射程を出来る限り避けつつ前進する、敵航空機部隊は俺が相手にするが、数機はそちらに流れるだろう」

 つまり部隊長が囮になるから、主任務は全部私が引き受けろってことか…どっちが楽かなとか考えると微妙だけど、私の方に運搬対象が乗ってる時点で選択肢ないんだよね…「撃墜はしないんですよね?」

「ああ…直接的な被害を出すと今後の関係修復が厳しくなる、出来れば避けてくれ」

 絶対じゃないんだと思いながら「了解」と返答する。その間も機体は上昇を続けているけれども、レイヴン王国らしく黒色の敵機体も上昇しているのが確認できた。

 王国にいた頃を思い出す。王国軍の機体は航空機も戦車もリムも全部黒くて、航空ショーにゲストで参加させてもらった時は、私の機体以外全部黒くて目立っていたことを覚えている。そしてその時に一緒に飛んだから機体の形状で分かる。「空猫隊…」私は呟いていた。

「カンビティオの知り合いか?」

 部隊長の言葉に「まあね?」と短く答える。よく思い出してみたら、彼女は確かに第三軍団所属だったかもしれない。私は操縦肢に突っ込んだ両手に力を込める。

「高度は十分だろう、この高度で聖地上空まで前進する!」

 炎峰鳥が稼いでいた高度からさらに上空、もう黒龍達は到達し得ない程の高度で、後方下を見ると二基の空中要塞が睨み合っているのが見えた。睨み合っているけど撃ち合ってはいない、ちょっと不思議な光景だけど…

 部隊長と足並みを揃えてどんどん前進する。まだ空猫隊は高度が足りないけれども、上昇速度を見るにじきに追いついてくるのは分かる。レイヴン王国の航空機、というかエンジンは性能がいいから…

 そしてしばらく無言で進んだ後、その時はやってきた。空猫隊が下方で機首を上げたのを見て私と隊長は回避行動に移る。直後、光線が至近距離を次々と通過した。「これって新兵器?」と、通信機を介さずに背後へ聞いてみる。

「はい、第四龍暦末期に開発された『光線銃』(コミティス)を光粒子エンジンの技術で再現したもので、弾丸の代わりに高密度の光粒子を生成して射出します」

 内容はよくわからないけど澄んだ声は聴き心地がいいな~。とにかく私はエンジン出力を上げる。操縦肢による操作では、頭の中で念じた通りに機体が反応してくれる。空猫隊は上昇しながら距離を詰め、光線銃を撃ち上げてくる。それを微かに見下ろしながら弾道を予測して回避し続ける。軸で機体を回し続けて機首を上下左右に、蛇が森を滑り抜けて行くようなイメージで前進する。部隊長もまだほとんど並進していたけれども、やっぱり通信が入って来た。

「ではな、カンビティオ!これ以上追いつかれる前に私が仕掛ける…この空でまた会おう!」

 激しい回避行動をしながら部隊長機は軸を微かにずらし、一気に機首を上げた。「まだ部隊長とかなりたくないから、無茶しないでねー!」と通信機へ向けて叫び、私は逆に一気に機首を下げて急降下する。当然距離的に接近してくる私の方を空猫隊は狙ってくるけど、風の渦を造り出す様に軸ごと旋回しながら上下運動を加えれば、上昇中の空猫隊と高度が交差する瞬間でも回避できる。

 そしてそこへ宙返りを終えた部隊長機が襲い掛かった。機銃で威嚇射撃を行いながらニアミスどころじゃない距離を一気に下り切る。部隊長機が間髪の距離を通り抜けてから反応したのを見て確信した。敵機はレーダーと通信機が全て機能不全を起こしている…!レーダーがあれば今のは反応できたはず。

「レーダー抜きで我ら青天隊を捉え切れると思うな!」

 部隊長のかっこいい独り言が通信機から聞こえてくる。もう五十越えてるじじいなのに操縦中だけ三十ぐらい若返ってるんだよね…その瞬間の私は確かに油断していた。回避中の私の機体の右翼、危うい距離を光線が掠めた。一瞬で射撃した敵機を把握して、その機体を対象に回避行動を行うように機体の軸をずらす。黒いのは共通だけれどもその機体だけ、翼の前後に突起物が見える。まるで蝙蝠の翼のようにも見えるその突起物は着陸爪のようにも見えた。背後に付いてくるその敵機を確認しながら「ねえ!着陸爪ってレイヴン王国にあるの?」と澄んだ声へ尋ねる。

「第四龍暦及び第五龍暦時代の技術は全て『ある』と思って下さい」

 東威が持つ技術の大半、下手すりゃ未知の技術も持っているという事だろう。機体制御の機動力でマウント取れないとなると、長期戦は厳しいかも…こっちの動きに相手が慣れれば慣れる程経験の差が埋まって行くことになって、いずれ追い付かれる。通信機へ向けて「敵機に着陸爪持ちが一機!そいつ任せられないですか?」とお願いしてみたけど…

「こっちに残りの九機が付いてきている、今私がそちらに接近するのは危険だ!」

 そうだろうな~と、遥か後方に引き離した部隊長機を見上げて思った。九機を相手にしながら接近戦を続けてかつ相手を翻弄し続ける姿はかっこいいけど、中身がじじいなんだよな…まあそれだけしてもらってこっちが一騎打ちで負けるわけにはいかないか!

 私は急上昇しながら回転し、敵の弾を回避する鳥の姿を思い浮かべて機首を急激に上げた。そしてエンジン出力を加減しながら着陸爪を最大限に発動させ、鉛直に急旋回して相手の背後に食らいつく。相手もそれに反応して急上昇し、お互いに敵機体を真上に見上げて操縦席を確認する。外からは黒くて確認しづらいけれども、そこにはすらりとした長身で女性の操縦者が見えた…お互いのヘルメット越しに目が合って、ふふって思わず微笑んだ。『空猫』だ…!


「カンビティオ…大体三年ぶりぐらいかしら?」

 一瞬の視線の交差。それだけで相手の正体を知るには十分だった。知り合いであれば、尚更見間違えるはずも無かった。ヘルメットを被っていたがあの目は、二年前にレイヴン王国から強制退去させられた女性操縦者兼探検家。今は東威で暮らしていたのかと空猫は声を零し、思わず微笑んでいた。

「彼女とやり合うのならもっと万全な状態で戦いたかったけど…サードビーストが原因だと、諦めるしかないわね」

 空猫は変な値で止まった電子メーターの値と、反応しない通信機を眺めて呟く。操縦席の前方にある周囲を映すはずのレーダーは停止していた。

 しかしそうしている間にも彼女の手と足は休まず動き続ける。それはまるで工場で組み立て作業を行う機械のように正確で、それにより動かされた機体は正面にカンビティオの駆る二十四式を捉える。右手で持つ照準球で照準を合わせ、左手で操縦棹側面に付いたボタン式の引き金を引く。しかしその瞬間には彼女の機体は照準はおろか機体の正面から消えている。まるで超音速で飛ぶ燕のように変幻自在に、空猫の視界を縦横無尽に飛び回る。

「経験の差…かな?機体性能はこっちの方が圧倒的なはずなんだけど、自信無くしちゃうわ…」

 空猫の乗る『ウェザー・バット』は両翼と本体前方に光粒子エンジンを搭載し、出力では飛行型リムと同等、そして機体の重量で飛行型リムを遥かに凌ぐ軽さで既存の航空機を亡き者にするほどの機動力を獲得していた。レイヴン王国ではまだ試作段階の着陸爪も両翼に三つずつ設置され、恐らくジョテーヌ大陸一の潤沢な機動力を与えられた航空機だという自覚が空猫にもあった。

「彼女は空を飛ぶ為に生まれて来たってことなのでしょうね…」

 一対一での戦いで気分は高揚していたが、圧倒的な操縦技術の差を見せつけられている現実が彼女に冷静な判断を続けさせていた。レーダーが使えず外部との通信も断たれている状況は絶望的でもあるが、空猫は既にカンビティオに戦意が無いことを感じ取っていた。そして相手を確認した私からも戦意はかなり削がれていた。命令だから戦う、まさに機械のような理由でカンビティオを狙い続けているのだ。しかしその全ての光線がことごとく躱される。間近で見ている空猫にも彼女の動きは美しく見えた。

「空を飛ぶ為に造られた機械もどきの私が敵うわけもないってことかしら…」

 自らそう呟いたのに、彼女の手が、腕が震える。そしてその震えさえも修正するように体が勝手に操縦する。飛行型リムの台頭で不要となった航空機部隊ごと第三軍団に編入して、空猫という名前と称号、そしてこの機体を私に授けてくれたサードビースト様にまで捨てられてしまったら、もうこれまでのように空は飛べない…この機体も用済みで退役させられてしまうだろう。それは…可哀そうだ…

 空猫の目に鋭さが戻る。まだ飛びたい、そんな欲望を持つのは機械ではなく人間だけだと自分自身を鼓舞する。レーダー類の故障はあとでサードビースト様に責任を取らせればいい。今回に限ってはサードビースト様も言い訳出来ないはず…ソルカニスが予算立案がどうのこうのと、頭を抱えてもがく姿が思い浮かぶ。ふふっ…ああ笑える。だからこそ、その横で一緒に頭を抱えずに済むように戦果を、この戦いで何かを掴まなければ…!カンビティオ…「お前を撃ち落とす!」


 急に空猫機のエンジンが爆発的に出力を上げた。そしてすさまじい加速で私を追い抜いてさらに前方へと飛んで行く。どうしたんだろ…?その行動の目的はすぐに分かった。遥か前方で宙返りで反転した空猫が光線を乱射しながら猛烈なスピードで突っ込んできた!

 「怖いって!!」と叫びながら軸回転させながらの急降下で光線と機体を回避したけど、空猫機は三基のエンジンと着陸爪をフルに活用しながら、後方でさらに側方に急旋回して私の背後に付いた。同時に光線を撃ちまくる。

 急降下で機体の速度を稼ぐ。出力で負けているから追い付かれるのはしょうがないし、追い抜かれるのもしょうがない。でもこうも前後から一撃離脱のように撃たれっぱなしというのは怖ろしい。狂気のようでいて、腕の差を機体性能で埋めるという手段では効率的でもある。速度を稼いで攻撃の方向を後方からに限定させたい…しかし凄まじい勢いで高度が失われ、既に龍が飛行可能な領域に突入していた。戦闘開始前には遥か下に霞んでいた地表が、緑色の木の一本一本が辛うじて確認できるまでになっている。

「カンビティオ様、そろそろ聖都外縁部が視界に入る距離です」

 澄んだ声が響いて「もうそんなに進んでたの!?」と叫んでレーダーの座標を見ると、大霊峰を越えてから聖地中央部までの三分の一を既に進んでいた。知ってたけど戦闘機ってやっぱりはっや!と思いつつ、ほぼ全速力のまま前進していればそれぐらい進むか…と、時計を見て冷静に考える。作戦開始から既に一時間近く飛んでいる。このまま大陸横断できちゃうんじゃないかな…?

 急降下中も後方…上方?から光線が乱射され続ける。確実に当てに来ているから回避行動は怠らないけど、速度をもっと稼ぎたい…ここから聖地中央までずっと空猫には後ろに付いていてもらいたいけど、水平飛行中の速度に差がある以上、どこかで必ずさっきと同じ状況に陥る。この加速で勝負を付けたい。

 ん?「そういえば聖都外縁部が見えるって言ってたけど…どこ?」地表は視界の限り延々と、普通の平原と丘や岩が点在する光景が続いている。

「聖都は第四龍暦時代から、偽装迷彩でその都市自体を覆い外部からの視認を妨げてきましたが、偽装迷彩の内側に入れば視認できるはずです」

 澄んだ声が答える。よーく目を凝らしてみると、確かに数キロ先の空間に景色の歪みというか、そういうものが見えた。視線を前…というか下に戻して、近付いて来る地面との距離、そして機首を引き上げるタイミングを見極めて…その時を空猫も狙ってくるはず!

 私は撃った。眼前に広がる地面に着弾した弾は、大げさな白煙を撒き散らして地表へと続く空間に立ち上る。そこへ飛び込みながら機首を上げる。偵察任務機には必須の煙幕弾、相手のレーダーが機能していないなら、視界を塞がれるのは絶対に避けるはず…!私は質量レーダーの情報を基に煙幕の中地表すれすれを飛ぶように機体を操る。

 機首を水平に合わせてからも、回避行動を取っている間も弾を撃ち続ける。着弾しなくとも一定距離飛ぶと炸裂する煙幕に機体を巻き付けるように飛び続ける。空猫が視界に頼っているのなら、これって凄まじい嫌がらせだろうな~と思いながらも撃つのを止めない。稼いでいた高度は全て速度に変換し切ったけど、これで空猫機とほぼ同じ速度…しばらくすると速度が落ち始めるから出来ればさっさと任務を終わらせて逃げに入りたいんだけど、後ろへ向けて「どの辺りで放り出せばいいの!?」と尋ねた。

「聖都上空に入ったらすぐでいいよ!そこからはそれぞれ奮戦を祈るってことで…!」

 彼女の声が返ってきた。少しドキッとするのは、友達がやっぱり特別な存在だからかな…そう思いながらも操縦は自然と続けている。煙幕弾の軌跡を辿りながら進んできたけど、あれ?煙幕弾が消えた…!?

「偽装迷彩に突入します!」

 澄んだ声に納得した直後、途切れた煙の下をくぐる様に回避しながら偽装迷彩を突き抜けた。すぐに分かった。緑の平原だった地表の姿が一気に書き換えられた!「これが…聖都『ラインハーバー』!」

 眼下に広がる街並みに心を奪われる。東威のドーム内やかつて住んでいたレイヴン王国王都も美しくて近代的だな~って思ったけど、この都市は時代も規模も遥かに違う…塔を中心に八角形に区切られた区画も、中央の塔から延びてそれを分ける道路や橋は車用とリム用で分けられている…?

 そして聖都の中心へ向けて高くなって行く建造物は、最も高いものが高さ数千メートルのものもありそう…東威だとドームを突き破っている高さだから絶対に見られないし、たぶん世界のどこでもそんな建造物見たこと無い!それが何十も建ってる…「すごい…」そう呟きながらパシャパシャと、ガンカメラのシャッターを切り続ける。右手の人差し指でキーを叩くような動きでシャッターが切られるようになってるから、偵察任務直後って右手人差し指が死んでるんだよね…

「下から来てます!」

 澄んだ声の呼び掛けで我に返ると、体が勝手に反応して回避していた。いつの間にか私よりも下へ降りていた空猫が撃ち上げて来ていた。都市上空で上から撃ち下ろすわけにはいかないからだろうけど、あんな地面すれすれ飛べるんだ…エンジンを踏み直して少し高度を稼いで、追尾してくる空猫機を吊り上げる。同時に背後へ向けて「これから高度を稼いで背面飛びするから、その時に放り出すよ!」と伝える。

「分かった…ここまでありがとう!第三軍団にはこのあと私が鉄槌を下しとくから!」

 彼女の声が私に届くけど「私は全然気にしてないから~!」とだけ伝えておく。なんだかんだ空猫との戦闘飛行は楽しかったから、憎しみも恨みもないし…

 機体を急上昇させて高度三千メートルぐらいまで到達した時、機体を水平に戻して予告通り背面飛行に入った。下から撃ち上げてきていた空猫機は、一度私を追い抜いて上空へ…「準備オッケー?」

「いつでも!テュルクも出てすぐにリム出してね」

「わかっています」

 彼女と澄んだ声のやり取りを聞くと同時に、風防の後ろ半分を開いた。一瞬だけ風が私達を包み込み、すぐに落ち着く。着陸爪付き機体は機体周辺の気圧が制御されてるからこういう時に便利なのよね~そう思いつつ叫ぶ。「行ってらっしゃい、ユーリア!」

 そして後部の副座席を射出した。そしてすぐに風防を閉じながら機体の向きを戻すと上空へ飛び上がる。ユーリア達から空猫を引き離さないと…!


「カンビティオー!またねー!」

 ユーリアは射出されると同時に手を振りながら叫んだ。しかし言い終わる時には二十四式から百メートル以上離れていた。その後を空猫のウェザー・バットが追う。光の筋を残しながら飛び去って行く二機の姿を眺め、右脚に収納していたテュルクの線石を右手に持ち、上空へと放り投げた。

「テュルク!展開ついでに第五軍団へ私達のこと通達して!」

「通達は既に完了しています!『タクスィメア』展開開始!」

 体を撫でる風の音と共に嬉しそうなテュルクの澄んだ声が響く。その声を聞いて微笑みながら、ユーリアは一緒に落ちていた座席を右手で側方へ放り出す。そして体を大きく広げて空気抵抗を増やし、眼下の都市を見つめて着地点を見定める。

「…どこに着地しようか?」

「『タクスィメア』展開完了!」

 ユーリアの言葉を遮るようにテュルクの声が再び響く。体を反転させて見上げるとタクスィメアが、ユーリアを覆い、守る様に飛行していた。ユーリアは体を反転させて上空へ向き直り、一応テュルクに尋ねる。

「その機体って私を抱えたりできたっけ?」

「エネルギー体であればこちらの機体と反発させる形で疑似的に触れることは出来ますが、ミゼネアや強化装甲服のエネルギーでは、斥力により落下方向を少しだけ変えられる程度でしょう」

 その言葉にユーリアは落下しながら顎に右手を当てて考える。テュルクが一応計算上のデータを出す。

「そのまま着地しても強化装甲服とミゼネアの体があれば問題は無いですが、鉛直に近い角度で着地した場合、都市内に着地跡(クレーター)が出来上がるでしょう」

 ユーリアはその言葉を聞いて再び反転し、眼下に見える八角形の区画中央の区画管理塔に素早く視線を向けた。そのまま体勢を整えてその塔に接近するように向きを調整する。

「塔の側面を蹴って道路に着陸する!」

「下手したら塔が倒れますよ…」

 そう苦笑しつつタクスィメアが急降下してユーリアへ接近し、その両手で包み込む。ユーリアはその両手から微かな斥力を感じ取り、そしてそのまま塔へ向けて降下して行くが、ただ自信無く呟く。

「管理塔は無人のはずだし…たぶん」

 塔の上空へ辿り着いて落下軌道調整が完了した時、その手から解放される。ユーリアは足を下げ、管理塔へ狙いを定める。中央側へ伸びる道に面した壁面を目掛けて強化装甲服に包まれた両足を伸ばした。

 両足が塔に触れた瞬間、その衝撃を吸収するように足を曲げ、右足を先へと伸ばしバランスを取る。そのまま角度が浅くなって行く壁面を削る様に滑り降りる。陽光を浴びる聖都に金属が擦れ合うような音が響く。

 しかし想定した以上の速度が保たれ、ユーリアは更に壁面を蹴り飛ばしてその先の道路へと飛び出した。道路へは最初から右足を先に伸ばして接地し、明らかにその表面を削り破壊しながら更に百メートル程滑り、止まった。元通りに静まり返った聖都の道路の上で、ユーリアは大きく息を吐いた。その強化装甲服の足は白い傷だらけになったが、辛うじて着地の衝撃を耐え切った。

 そして腰の刀と龍剣に触れて両方の無事を確認する。そしてヘルメットを外して上空を見上げ、降りてくるテュルクの操るタクスィメアと、そのさらに遥か上空、機体自体は遠くて見え辛いが、二機の航空機が作り出している光の筋を確認した。カンビティオと空猫は未だ交戦中だった。テュルクが周囲を警戒し、タクスィメアを展開したままユーリアの横へと降り立つ。

 ユーリアがテュルクへと視線を向けて口を開いた。

「『アウィス・パルス』に通信を繋いで」

「既にあちらから通信が入っています」

 そう言うとテュルクが素早くユーリアの正面の空間に映像を映し出した。

「ユーリア様!よくぞ…よくぞご無事で…!」

 まるで神の奇跡を目の当たりにした信者のような声と共に、彫りが深く、縦長で頑強そうな老人の顔が映し出された。皴は刻まれているが、その目には強い力と輝きがあった。画面には肩部までしか映されていないが、ユーリアと同じく強化装甲服を着ているのがわかる。ユーリアはその画面へ向かって微笑む。

「『ホークビーク』!私はそう簡単に死なないって…でもただいま!第五軍団は全軍ちゃんと聖都で待っててくれたんだよね?」

「当然でございますぞ!出発前のユーリア様の命令通りに、実戦を想定した戦闘訓練と王の警護を欠かさずに全軍態勢で行っておりました…我々第五軍団の練度は他の軍団に決して劣らず、私のような老兵から開戦後に志願してきた新兵まで全兵士が頼れる戦力として、今すぐにでも戦場へ出撃することが出来ますぞ!」

 ホークビークと呼ばれた老兵の言葉は熱く、戦意に満ちていた。龍王議会領でテュルクと共に少数での行動を行ってきたユーリアの心に、その頼もしい言葉が乾いた大地を潤す雨のように染み渡った。

 そんな心象を隠す様にユーリアは聖都の中心方面へ視線を移しながら言う。

「アウィス・パルスごと私達を迎えに来てくれる?今聖都の南東方面第八十二区画にいるんだけど、出来るだけ早く来て!」

 その言葉にホークビークは画面の向こうで不敵な微笑みを返し口を開く。

「ユーリア様、聖都中央側をご覧ください!」

 その言葉に反射的に振り向くユーリアの視線の先で、空間が一瞬揺れて巨大な空中要塞が偽装迷彩を解き姿を現した。形状は第三軍団の『スタブルム』とほぼ同じだが、管制室のすぐ上の部分には第三軍団の三つ首の狼と違い、四枚の翼と大きな尾翼を広げ左向きに飛ぶ『五翼鳥』の紋章が象られていた。その空中要塞『アウィス・パルス』は、既にユーリアとテュルクへ向けて一直線に向かってきていた。

「はっはっは!テュルクから最初の通信が入ってからすぐに座標を割り出し全速力で向かっておりましたからな!御二方とも、今すぐに迎えに行きますぞ!」

 その言葉についにユーリアは安心した。龍王議会との同盟締結は果たせなかったけれども、我が家へと帰ってきた安堵が表情からこぼれ出ていた。日はまだ高く姿を現した空中要塞の影を色濃く地表へと刻み込み、そして上空を飛ぶ二機の航空機を変わらず照らしていた。


 私は空猫と雌雄を決するべく、遥か上空へとほぼ垂直に上り続ける。高度計を見るともう既に最初に高度を稼いでいた時よりも遥かに高い、航空機の限界高度が近付いてきている…

 前世代のエンジンでは周囲の空気の濃度やらなんやかんやでエンジンが動かなくなっていたらしいけれども、光粒子エンジンが開発されてからはエンジン性能によるの高度限界が無くなったらしい。今の航空機の高度限界はずばり、生命維持の限界だ。私が乗る二十四式も空猫機も操縦席を外部から遮断しているのは同じのはず、つまりその遮断機能が正常に動作しなくなる高度が生命維持の限界。二十四式は安全が保障されているのが大体高度四十~五十キロメートル。そろそろその高度に到達するけれども、空猫機がリタイアする気配は無い。流石レイヴン王国の新型機と内心驚きながら、ついに機体を一度水平に、そして下降へ転じさせる。この高度では大地も雲も遥か下方で、そして私は遥か遠方まで見渡すことが出来る。そう…水平線が丸く見えるぐらいに遠くまで…

 この光景を見ることが出来るのは本当に一部のパイロットのみだろう。普通の航空機には操縦席と外部を完全に遮断するような機能は高価すぎて付けられない。その機能が付いている戦闘機が、下降時に空中分解の危険性もあるこの高度まで上昇するのも普通は有り得ない。戦闘はもっと下方で行えばよいのだから。だからここまで上ってくるのは、下降時に空中分解しない飛び方を知っている戦意の無い操縦者が乗った戦闘機という事になる。今の…東威に移ってからの私のような…

 「遥か上空を飛ぶとね、今まで知り得なかったものまで見えてくるんだよ」と、航空機の操縦者だった私の祖父は楽しそうに語った。水平線が丸みを帯びて見えるとか、北の海の先にもう一つの大陸が存在するんだとか…航空機が一般的じゃなかった祖父の時代に、祖父がどれだけ説明しても周囲の人達が信じてくれなかったことを「先に知ることが出来た!」って酒に酔った勢いで自慢気に話してくれた。

 私の眼前に今、祖父が話していた通りの光景が広がっている。昼間のはずなのに上空が暗くなっているように見えた。その分地表が明るくて、ジョテーヌ大陸の北端の先に、祖父の言っていた通りに黒い大陸が見えた。大きさはたぶんジョテーヌ大陸と同じぐらい。北の大国の騎士団領ってずっと鎖国してるから合法的に空を飛べないんだよね…私は恨めしそうにその大陸を眺めた。空を飛び続けてからずっと見ているだけの大陸…そこに行ったら多分死ぬと分かっていても、憧れに近い感覚が沸き上がってしまう。

 だからこそ気付いた。これまでも偵察任務中に勝手に上昇してこの光景を眺めては写真に収めて持ち帰り、みんなに見せびらかしていたけれど、黒い大陸のさらに北の海の水平線が今の高度からは微かに見える。見えるはずなんだけど…あれは…!?

 でもそれ以上考えていられなかった。徐々に高度が落ちて来たことで余裕が出来たのか、空猫が光線を撃ってきた!まだ高度三十キロメートルあるのに元気ね…流石に私でもこの高度での戦闘経験は浅いけど、機体を回避運動させながら炎峰鳥を目指す。世界地図が眼下に広がっているようなものだから、竜の頭と大霊峰の交差地点へ向かって大まかに降下して、地表が近付いてきたらレーダーと通信を頼りに戻ればいい。

 再び飛んでくる光線を滑る様に左右に移動して回避する。着陸爪と光粒子エンジンの性質を合わせて使いこなせば、一応後ろ向きに飛ぶことも出来なくはない…それを応用した飛び方だ。レーダーが無い相手なら機首の向きに照準が自然と引っ張られてくれるからこれだけで騙せたりもするけど、空猫は二発目から正確な射撃を行ってくる。この高度だと回避行動にかなりの制限が掛かる、ならば…

 機首を急激に、ほぼ鉛直になるまで下げてエンジン出力を最大まで高める。今回の任務だけで相当エンジンに負担を掛けている気がするけど相手が悪い!帰り着くまで持つことを祈りながら急降下を続ける。外と遮断されてるから大丈夫だけど、風防の外はすさまじい勢いで気圧と温度が変化していく。そんな私の機体の後ろには空猫機がぴったりと付いてくる。時々光線を撃ち込んでくるけど流石にこの急降下、この速度下で正確に狙うのは私でも無理…まあだからやってるんだけれども。

 そしてついに高度が十キロメートルを下回った…!機体をすぐに水平に引き起こして、ここからまた行きと同じように回避主体の接近戦かなって思ったけど、空猫機は機体を水平に戻すと後ろに着かず、右斜め後ろを並進するように飛び始めた…諦めたのかな?そう思った瞬間、空猫機が機体軸で一回転したかと思うと聖地側へ反転していった。

 目を凝らして周囲を見ると、空猫機が飛び去って行った方向に風景の歪みみたいなものが見えて…空猫機はそれに吸い込まれるように消えていった。一瞬驚いたけどそういう事かと納得した。だって炎峰鳥もレーダー上でこれだけ近付いて見えないんだから…

「カンビティオ機、応答せよ…カンビティオ機、帰還したなら報告せよ…」

 通信機からタマテ部隊長の怒ったような声が聞こえて来た。やべ…と思いつつあくまで明るく応える。「こちらカンビティオ~聖都の写真撮影は無事完了、さらに運搬任務も完遂!ボーナス支給を求む!」

 その言葉にトキサメ様の声が応えた。

「ボーナスは高級料亭の食事とかでもいいかしら?貴女が撮ってきた写真を眺めながら、私と楽しくお食事とか…どう?未来の航空機部隊長さん?」

 「質より量でお願いしまーす!」後半の言葉を聞かなかったことにして応えると、目の前の空間に炎峰鳥が姿を現した。恐らく第三軍団の空中要塞も近くにいるはずだけど、警戒していないという事は停戦に合意したってことかな…報告しなきゃいけないことも今回はたくさんあった。証拠写真も撮りまくったし、トキサメ様に直接話せる機会があるのなら、ボーナスが食事でもいい。きっとその後に慌ただしくなるだろうから…


 空猫が管制室へ入ると、そこにはいつもの何かを話し合っているサードビーストとソルカニスのコンビ。黒鼠がいないのは寂しいけれども、私は中央へと歩いて行く。今回の任務中に自分が見た情報を早く伝えなければならなかった。

「サードビースト様、今すぐ私から報告しておきたいことがあります」

 ソルカニスとの会話に割り込むように話し掛ける。無礼を承知だが、記憶に鮮明に残っている内に報告を済ませたかった。

「わかった、空猫続けろ」

 サードビースト様はすんなりソルカニスとの会話を打ち切った。何の話をしていたんだろうと一瞬考えてしまったが、姿勢と思考を整えて口を開く。

「はい!先程の戦闘中に私はカンビティオの乗る二十四式と戦いました、その過程で私を振り切ろうとしたのか、二十四式は遥か上空へと鉛直に飛び上がっていき、私もそれを追尾しました」

 二十四式の限界高度は確か五十キロメートル程、ウェザー・バットは六十キロメートルだから計器が動作しなくとも安心して追って行けた。そしてその限界高度付近で二十四式が機体を水平に安定させた時…私は見たのだ。

「その時に遥か北方、ジョテーヌ大陸の北に浮かぶ大陸…通称『死の大陸』を見ました」

「ああ、それなら俺も見たことあるぜ?写真と地図上で…だけどな…ここに表示できたはず…」

 サードビーストの言葉にきっとカンビティオの写真だろうなと思いつつ、表情で答えて報告の本題に入る。サードビースト様は管制室のモニターを出すと、そこに死の大陸を含めた世界地図を表示させた。それは五年程前、連邦内部がきな臭くなってきた頃に軍事作戦における情報収集の一環として様々な写真を組み合わせて作られた死の大陸の全体図だ。その南にジョテーヌ大陸が存在している。

 死の大陸という名前はその土地を目指した航空機や飛行船、海上船の全てが返ってこなかったことに由来する。それはかつてはおとぎ話だと言われていたけれども、近年実際に国が組織した大規模な探検隊が返ってこなかった事件を境に、あっという間に真実としてジョテーヌ大陸中に伝播した。そこに何が『ある』のか…もしくは『いる』のかは誰も知らない。

「ええ、ですが私は今回遥か上空から直接見下ろし…直接『それ』を見ました」

 私はその全体図のさらに北を指差す。そこは世界地図の外側。でもこの辺り、死の大陸にほど近い海に浮いていた…

「この辺りに…確かに見えたんです…」

 サードビースト様もソルカニスも何も言わない。しかし恐らく私の言葉の予想はついているのだろう。そう願いつつ私は言葉を続ける。

「死の大陸の先に…『三つ目の大陸』が…」


 同日夕方、西進するアウィス・パルス内の会議室でホークビークら第五軍団幹部十二人は縦長い机に座り、ユーリアとテュルクからの報告を受けていた。二人は龍王議会での戦闘と人軍のクーデター、旧政権の龍王達が蛇龍議場を拠点に抵抗を続けることも第三軍団による暗殺未遂も含めて全て報告した。

 ユーリアに最も近い席に座る、第五軍団の軍務長官として作戦立案などを任されているホークビークは、報告を聞き終えると険しい表情で一度視線を落とした。結果的にユーリアの龍王議会への遠征は失敗に終わった上、第三軍団が龍王議会との同盟を結び多くの成果を挙げた事実に、第五軍団の今後の舵取りが格段に難しくなっているのを感じていた。

 沈黙する幹部達の前でユーリアが口を開いた。テュルクはその横に静かに立っている。

「今回の失敗の責任は、全て私の未熟さにある…アハトでの龍王議会軍の戦闘を見た時点で革命同盟軍との戦力差を把握できたにもかかわらず、盲目的に既存の政権との同盟締結を重視し、全てを無に帰してしまった…」

 ユーリアの言葉を責める者はいない。皆ユーリアが聖都を発った理由を知っていた。ホークビークの正面に座る白髪で背の曲がった老婆が口を開いた。

「第四軍団(フォーススケイル)による暗殺未遂さえなければ貴方が独りで聖都を追われることも無かった…その絶望的な状況の中、貴方は一機のリムとテュルクの手助けを武器に、落ち延びた先の龍王議会で出来得ることをやろうとして、無事に聖都まで戻ってきた」

 老婆は静かに、優しく語り続ける。

「これから先は反撃の時…第四軍団長に同じぐらいの辛酸を舐めさせるまでは、私も死ねませんね」

 その言葉に集まった幹部達はそれぞれ頷いたり、口角を上げたりして応じる。第四軍団との対決はここに集まる人全員の総意だった。

 老婆の二つ隣、ここに集まる人の中で最も若く見える長い金髪の女性が口を開く。

「お婆様の言う通り、あの自己中心主義者には早々に退場してもらわないと…あんなのが次期王様だなんて、私(わたくし)は絶対に嫌ですわ!なのになぜ私達は第四軍団の援護に向かっているのやら…気乗りしませんわ!」

 その甲高い声からは言葉通りの嫌悪感が滲み出ていた。その女性の正面に座る強化装甲服を着た大柄な短く刈り上げた黒髪の男が微笑み、挑発的な目で女性と老婆を一瞥する。

「『アウルビーク』と『スワンビーク』の言葉に反対はしない…だが他の軍団は第四軍団も含めて各戦線で戦っている、今我々第五軍団が内乱を起こしてはユーリア様が民の支持を得られない!」

「その戦争も、第四軍団が王の同意も無しに勝手に宣戦布告して開始したという事をお忘れなく『イーグルビーク』?」

 金髪の女性・スワンビークは目の前の大柄な男・イーグルビークへ負けじと視線を返す。そんな二人を黙らせるようにホークビークが机を叩きながら立ち上がった。

「第四軍団に対する恨みを高め合うのも結構だが、わしらはまず革命同盟軍を叩きのめさなければならん!それが第四軍団長の計略の一部だとしても、旧王都に集結する敵軍を相手取るには我々第五軍団も動かなければ王国の敗北も有り得る…それだけは阻止しなければならんのだ!王国の存続がユーリア様が王位を継ぐ為の最低条件であろう!」

 その言葉に言い合っていた二人を含め、全員が沈黙する。空中要塞は高速で移動していたが、エンジン音も揺れもほとんど無く、静寂が彼らを包み込んだ。


「私が…『本物』だったら、あの時第四軍団に後れを取ることも無かった…」

 突然、ユーリアの鎮静した声が響いた。その言葉に幹部達は心の内に様々な感情を浮かばせたが、ホークビークが真っ先に口を開いた。

「ユーリア様、今は貴方がレイヴン王国王女であり、第五軍団長(フィフスウィング)でもあるのです…弱気に囚われてはなりませぬぞ」

 さらにホークビークの隣に座る若い男が呟くように続けた。

「今我々に必要なのは、眠れる本物より目覚めた偽物…たとえ偽物であっても、貴方が目覚めなければ我々第五軍団もまた眠ったまま、他の軍団の謀略により更なる弱体化を免れ得なかったでしょう」

 彼らだけでなくその場にいる全員が今、目の前にいる『ユーリア』を慕い、必要としていた。ここでついにテュルクが口を開いた。

「『本物』の体も旧王都の地下にあります…第五軍団が『ユーリア』を長とする以上、旧王都の奪還をこれ以上先延ばしに出来ません」

 その言葉の内容を知る者もいれば、今初めて聞いた者もいた。知らなかったスワンビークは怪訝な顔でテュルクを見つめ、知っていたホークビークはテュルクを見つめて頷いた。

「第四軍団が旧王都の奪還に執心する理由も、恐らくはその『体』が目的です…本物の体を殺してしまえば、ここにいる偽物の『ユーリア』も王位継承争いから自主的に脱落する…そうでしょう?」

 続くテュルクの言葉に幹部達がユーリアを静かに見つめる。ユーリアは黙って視線を落とす。そして瞳を閉じて口を開いた。

「私は本物が目覚めた時に、今の私の立場をそのまま明け渡す為に動いている…本物が目覚めなければ私の存在価値は無く、目覚めた後も存在価値は無いでしょう?」

 ユーリアの諦めた言葉にスワンビークが反応する。

「お言葉ですが…私は今の貴方の方が気に入っております」

 その言葉に幹部達の表情が険しくなる。しかし彼女は気にするわけでもなく続ける。

「偽物というのがどのような状態を指すのかは分かりませぬが…少なくとも先日に再び姿を現してからのユーリア様は二年前までとは違い、私達に対して的確に指示を出して下さっていると感じていますわ」

 スワンビークは顔は正面を向けたままだが、視線はユーリアから離さない。

「だから『存在価値が無い』などと自らを卑下するのはお止めなさいな?せっかく良くなったと思っていたのに、そんなことを言われては私達の士気にも関わりますから…」

 スワンビークは話は終わりだというように視線を正面に戻した。ユーリアは俯き気味に瞳を閉じて聞いていたが、目を開くと同時に立ち上がった。その目に迷いが無くなった訳では無いが、大きく息を吸うとその場にいる幹部達に命じた。

「そう遠くない未来に本物の私が目覚める!それまでに旧王都を第五軍団の手で奪還し、本物の私を回収する…第五軍団はそれだけを考えて行動してくれ」

 それだけ言うとユーリアはテュルクの線石を右手に持ち、会議室を後にした。後には十二人の幹部達が残され彼らもまたしばらく考え、一人、また一人とそれぞれその場を後にしていった。

 そして最後にはスワンビークと、ホークビークの隣に座っていた若い男だけが残っていた。

「さて、私も参謀局長としてユーリア様最後の作戦立案に入りましょうか…」

 椅子にもたれかかり虚空を眺めていた若い男が立ち上がると、スワンビークが声を掛けた。

「『クロウビーク』…貴方は知っていたのですか?ユーリア様が偽物とは…どういう意味なのです?」

 若い男・クロウビークはその言葉に頷き、一度振り向いて口を開く。

「偽物というのはユーリア様の体の事です…『ミゼネラ』という第四龍暦の龍王議会が生み出した義人体…とでも言いましょうか、今のユーリア様の体は機械であり、そこへ精神が移された状態なのです」

 その言葉にスワンビークは絶句する。しかし心のどこかで納得できる部分があるのか、さらに尋ねた。

「そのミゼネラというものは…中に入れられた精神を変えてしまうものなのでしょうか?」

 この問い掛けにクロウビークは虚空を見上げてしばらく考え、そして肩を竦めた。

「我々にはミゼネラに関する情報がまるで無く、断言することは出来ません…ですがどうにも目覚めた後のユーリア様は、以前の彼女を知る身にはいささか…暴力性に欠けると表現するべきか、全くの別人であると言うべきか…私も先程貴女が表現したような感覚を味わっていたのです」

 その答えにスワンビークも安心したように頷く。

「やはり私だけではないのですね…私が気付いているのであれば、他の十人もそう感じているはずよね」

「ええ、そうですね…ユーリア様のことは本人とテュルク様に任せましょう…私達は私達の成すべきことを成すのみです」

 クロウビークはそう言って微笑み、右手で空を撫でる様に手を振り会議室から去っていった。スワンビークは一人残り、やがて決心したように立ち上がり優雅に歩いて会議室を後にした。


 ユーリアは会議室を出た後、アウィス・パルス内のリム格納庫へ移動した。数多くのリムが収容され、膝をついて眠っている中、彼女はフィフス・ウィングの前で立ち止まり、その頭部を見上げた。龍王議会での戦闘で付いた傷は全て修復され、頭部には新しくセンサーと通信を強化するパーツが側頭部に装着されている。そして背面には光粒子エンジンが四基搭載されていた。

 ユーリアがフィフス・ウィングに向けて微笑むと、突然眼前から男の声が聞こえて来た。

「それ、飛べるのか?」

 ユーリアはその聞きなれた声に微笑んだまま瞳を閉じ、その声に対して話し始めた。

「長距離の飛行が目的じゃ無い…短距離の飛行と跳躍距離・高度を伸ばして地上戦での優位性を高めるのが目的だから」

 そう言うと目を開いて一瞬視線を下ろした。そこに立つ男を確認する。

 リムの脚の向こうから浅黒い肌の男とその足元にやたらとごつごつした白い亀が現れ、ユーリアの前に立っていた。男はこれまでと違い、レイヴン王国の強化装甲服を着て腰に片刃の龍剣を差していた。背負っていた長銃は無く、首後部に直ぐに被れる様にヘルメットが装着してあった。

 そして強化装甲服を着ているノルトの姿を眺め、自然と微笑んだ。

「また見張ってくれてるの?ノルト…装備も意外と似合ってるね」

 ノルトもそれに応じて笑顔で口を開く。

「この鎧、意外と軽いんだな…こいつに丸一日乗り続けたからな、疲れた体には助かる」

 そう飄々と答え、左手を腰に当ててさらに続ける。

「さっき会議室前で聞いていたが…本物とか偽物とかってなんだユーリア?」

 その問い掛けに対してユーリアは再び視線を落とす。しかし今度はすぐに顔を上げる。

「盗み聞きしてたの?…この体は『ミゼネラ』っていう機械の体…こうしたらわかりやすいか」

 そう言うとユーリアはいつかしたように左手で右腕を掴み、肩の部分で取り外した。断面からは機械的な部品が見え隠れしており、ノルトも流石に息を呑んだ。ユーリアはその状態でさらに声を掛ける。

「私は意識をこの体に移しただけ…だから私は偽物、本物が目覚めたら不要な存在…それだけだ」

 ユーリアは冷めた感情で言葉を紡ぐ。そして右腕を元に戻すとノルトが首を傾けて口を開く。

「偽物だったらなんだ…お前は本物が目覚めたら自殺でもするつもりか?」

「デリカシーの無いやっちゃのう」

 ベッコウが突っ込む通り、ノルトの言葉は容赦が無い。しかしその言葉に軽蔑のような印象も無い。ただ問い掛けているのだ。ユーリアは視線を逸らして答える。

「死ぬつもりは無い…だけど本物が目覚めたらこのままではいられない、少なくとも『第五軍団長』の座は本物のユーリアに返さなければ…」

 ユーリアはそう答えるとそのままフィフスウィングの前から歩き去ろうとする。ノルトはその場に立ったままその背中に向けて語り掛ける。

「俺達龍王議会の人が知っているのは『今のお前』だ!龍王達も人軍も『今のお前』を信じて送り出したんだ…お前がレイヴン王国と龍王議会を繋いでいることを忘れるな」

 ユーリアは一瞬立ち止まったが、俯き気味に両手を握りそのまま立ち去って行った。格納庫は静かなまま、空中要塞の微かな稼働音が聞こえるだけだった。

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