蛇龍 センタツ

 ユーリアは纏わりつくような不思議な風を短めの髪に感じながら、飛龍を駆るピウスローアの肩越しに前方の星空を眺めていた。首都脱出時に降っていた雨は当の昔に止み、その満点の星空の下半分を覆う闇が現在の目的地、『龍の頭』と呼ばれる龍王議会領の東方国境線でもある大山脈だった。ギザギザに区切られた星空が、その山脈が高く険しいものであることを、闇の中でも証明していた。

 誰も何も言わない。ただヒストフェッセルを先頭に九体の飛龍が闇の中を高速で飛び続け、飛龍の翼が羽ばたく音、体が風を切る音、地表からは飛龍に追いつこうと走るノルトが駆るフィフス・ウィングの足音が微かに聞こえてくる。

 そして上空から音楽を奏でるような特徴的な光粒子エンジンの駆動音が聞こえる。見上げるとテュルクの操る大型のリム『タクスィメア』の優しく輝く機体が、満天の星空に無数の光の筋を残しながら併進していた。首都脱出後すぐに追いついてきたテュルクは、こうして上空から敵機の索敵を行っていた。

「美しい光景ですね」

 ユーリアの耳に突然、ピウスローアの声が優しく入ってきた。長い沈黙に慣れていたユーリアは一呼吸置き、微笑んで答える。

「星空のこと?それとも上を飛んでるタクスィメア?」

 ピウスローアは右肩越しに笑顔でユーリアを一瞥しながら、首を上に傾ける。

「ふふっ機体の方です…星空も綺麗ですが、あの機体は『タクスィメア』という名前なのですね」

 リムの話が出来て嬉しいのだろう。微笑んだ声で話を続ける。

「リムのような機械にも、龍や人と同じように個別で名前が付けられているというのは面白い文化だと思います…本当に一緒に暮らしている仲間のようで、羨ましいかもしれません」

 その言葉はユーリアにとって当然のことではあったが、地表を走るフィフス・ウィングを眺め、リムの名前の意味を考えると直ぐに答えることが出来なかった。

 ユーリアが思考する中、前方の飛龍の上から少し耳障りな声が聞こえて来た。

「ふん!…あんな目に遭ってもなお人の機械が恋しいか?あれはただの兵器じゃ…!」

 ヒストフェッセルはそう諭したが、声にいつものような覇気は無く、後悔の響きが強く出ていた。ユーリアも既にヒストフェッセルという人龍のことが理解できつつあった。だからこそ反論はせず、再び沈黙の時が流れた。

 そうしてまた数時間の沈黙が過ぎた。突然、飛龍達が右へ方向を変え始める。闇で分かりづらいが龍の頭の岩石の地層が剥き出しになった山肌が近付き、それに沿うように海岸方面を目指しているようだった。飛龍の周囲は空気の流れが独特であり、ユーリアはその時になって初めて、飛龍の飛行速度の速さと自分達が飛んできた距離の長さに気が付いた。テュルクの話にあった、飛龍は空気を操り空を飛ぶというのは事実なのかもしれないと、今自分が跨る飛龍の背中の温かい感触や、自分の体を包んでいる不思議な風の正体を今更だが知ったような気がした。

 上空から駆動音が近づいて来た。ユーリア達が見上げる中でテュルクはタクスィメアを飛龍達と高さを合わせ、ユーリアの乗る飛龍へと接近した。

「ユーリア!山脈に入った影響でノルトが遅れています、このままでは完全にはぐれてしまうのも時間の問題だと思われますが…」

 その言葉に地上を見下ろすと、既にかなりの距離を引き離されたフィフス・ウィングの月明かりを反射する光沢が辛うじて確認できた。

「ふん!人軍の兵士がはぐれようが問題は無い!そもそもこれから向かう場所は、人が足を踏み入れてよい場所ではない…我ら龍の、最後の楽園なのじゃからな」

 答えたのはヒストフェッセルだった。テュルクはその言葉に一度黙考し、再度ユーリアに話し掛けた。

「では私がノルトを案内しますので、皆様は敵を警戒しながら、このまま目的地を目指して下さい」

「ふん…向かう先の目星はついとるようじゃな?」

 ヒストフェッセルがテュルクへと一目振り返り、答えを促すように言った。テュルクは頷く。

「『蛇龍議場』…山脈の名の由来となった街でしょう?第四龍暦でも『彼女』は、その場で誰かが訪れることを待っていましたから」

 その答えにヒストフェッセルは鼻を鳴らし、黙って前方へと向き直った。予測が合っていたと判断したテュルクはユーリアへと右手を振り、速度を落としてさらに高度を落としていった。ユーリアも手を振り返して答える。

「…人の身で蛇龍様のことを知っているとなると、やはり本物のテュルク様なのだと信用出来てしまいますね」

 ピウスローアは離れて行くタクスィメアを眺めながら呟くように話した。ユーリアはその言葉に笑顔で頷き、さらに尋ねる。

「ピウスローアもその場所と、その蛇龍様については知ってるの?」

 その言葉に直ぐに頷いたが、答える前に一度黙考し、ユーリアの目を確認しながら口を開いた。

「場所はあと一時間程、夜明け頃には見えてくるでしょう…蛇龍様はその名を『センタツ』と言います、きっとユーリア様のことを歓迎してくださるでしょう」

「センタツ…」

 ピウスローアの言葉に頷き、ユーリアは静かにその名を呟いた。


「ようやく…計画が成就したか…」

 同時刻、龍王議会西方国境防衛陣地で陣頭指揮を執るシュタルト大将の元に、首都でのクーデターが伝えられたのは九月二十五日へ日付が変わった直後であった。国境線全体に及ぶ防衛陣地は各地を突破され、戦線の維持は限界が見えてきていた。開戦から革命同盟軍による連日の空爆で、龍王議会人軍はその全残存戦力を要塞内部に抑え込まれていた。人軍は要塞からの砲撃による迎撃と、要塞内部での決死の白兵戦により分断された戦線を持ち堪えさせていた。

 そして、クーデターの成功の知らせを聞いたシュタルトは、闇に染まった防弾ガラス越しに外を眺めていた瞳を閉じて、重々しく、そう呟いたのだ。時間稼ぎを続けて戦線を維持し、レイヴン王国の参戦と人軍のクーデターを待つ。戦力的に勝ち目の無い戦いで二年前から秘密裏に進めていた計画は、戦線崩壊寸前で成功を収めたのだった。

 要塞の外から響いてくる爆発音にシュタルトは瞳を開く。外では暗闇の中、分断した要塞陣地を包囲する革命同盟軍地上部隊と、要塞に立て籠もる人軍を救援に来た部隊との間で熾烈な戦闘が繰り広げられていた。深夜零時の漆黒の闇の中、偽装迷彩まで展開して革命同盟軍を奇襲した救援部隊は各地で圧倒的な戦果を上げ、各要塞の解囲作戦を完遂しつつあった。

「救援が間に合ったようで何よりだ…こうして直接会うのは、王都以来か…?」

 シュタルトは報告してきた男に向き直ると、その顔を正面から見据えて男の言葉に力強く頷いた。

「二年前の出会いは奇跡だった…そして成功する確証の無い私が建てた計画を、君が信じてくれたからこそ今日の奇跡がある」

 シュタルトの言葉に報告してきた男、サードビーストは満足げに頷いた。そして微かに肩を上下させると左手を腰に当て、微笑んだ。

「俺は十分に働いた、部隊と代わりの将軍は置いて行くから、この戦線はあんたが主体で頼むぜ」

「分かった…北の戦線へ行くつもりなのか?」

 言い捨てて去ろうとしたサードビーストの背中に、シュタルトは問い掛けた。サードビーストは一瞬立ち止まったが振り返らず、右手をひらひらと挙げて再び歩きだしながら答えた。

「ここの開戦と同時に島国の東威が『消えた』らしい…東で何か動きがあるかもしれないな?」

 そう言い残してその部屋、第一作戦本部を出て行った。扉が閉まる音が響くと、シュタルトはその言葉の意味と、それを前提とした今後の作戦計画を思案し始めた。

 そのシュタルトの篭る要塞の上空で、撤退を開始している敵部隊への追撃を行っていた空中要塞『スタブルム』が聖地方面へ移動を開始し、偽装迷彩を展開して夜の闇へと溶けて消えていった。


 上空の星の輝きが薄くなり始めていた。山嶺から溢れ出す光の滝が、飛龍達の上空をオーロラのように覆っている。闇が解かれ、ユーリアの目に山脈の終わりとなる海岸線が見えてきていた。

 沈黙していたユーリアは、ようやく見えて来た終わりと上空の幻想的な光景に、少し興奮気味にピウスローアへ話し掛けた。

「目的地も近そうね?」

「ええ!恐らく山を越えたら見えますよ!」

 ピウスローアもその土地に思い入れがあるのか、楽し気に答える。先頭を飛ぶヒストフェッセルはその様子を片目で見ながら軽く鼻を鳴らすと、飛龍の方向を急に変えると山嶺を一気に飛び越えた。他の龍王達もそれに続き、ピウスローアが最後に続く。若干強引な方向転換に、ピウスローアの背中に置いた手に力が入った。

 そして山嶺を越えた時、その先に広がっている光景を見てユーリアは思わず息を呑んだ。

 山嶺の上空から見えたのは入り江を挟んだ先のもう一つの半島。そして今越えた山嶺の半島と、対岸の半島の付け根の海岸に張り付くように作られた城塞都市は、海岸の港から始まり崖を覆うように山嶺の頂上まで伸び、頂上には山嶺の両側を見張ることが出来る塔が建てられている。

 その城塞都市の各所からは白い湯気の煙が上がり、港付近から上がる湯気が崖を覆う街をうっすらと包み込み、街の上部へ登るにつれ各所からの湯気が合流してより濃く街を隠していた。

 ユーリアが街の全景を把握した時、無意識の内に歓声を上げていた。その反応に感化されたかのようにヒストフェッセルが珍しく微笑んでいる。

 九体の飛龍達は都市を守る飛龍達と咆哮を交わしながら、目的地の蛇龍議場へと降下していった。

 龍王議会領東側の国境線である『龍の頭』は、大陸中央を囲う大霊峰から大陸南東へ延びて、その先にある半島を形成し、見事に大陸を仕切っていた。半島は根元の部分から二手に分かれ、龍王議会では山脈の名前になぞらえて南側を『龍の下顎』、東側を『龍の上顎』と呼んでいる。蛇龍議場はその半島の根元の部分に、はるか昔から存在していた。

 龍の頭は言葉通り龍王議会の中でも多くの龍達が暮らす地域であり、険しい地形と気候条件が人を含む龍以外の生物が住むのを困難にしていた。しかしそれ故に天然の要塞として、龍王議会領を東方の人々による侵攻から守り続けてきた。

 山脈の終着点でもあるその場所では、切り立った岸壁や入り江に繋がる僅かな平地から熱湯が沸き出し、龍達にとっての温泉街としても機能して、第五龍暦以降、人龍を中心とした龍達の楽園となっている。そして街の中腹に開いた巨大な横穴から、山脈の名前の由来ともなっている巨大な龍が頭だけを出して、街の眼前に広がる海を見据え続けている。

 ユーリアは白い湯気から覗くその巨大な顔を見つめる。その顔は湯気が立ち上っているせいで怒っている鬼のようにも見え、また湯船に浸かり眠ってしまった子供のようにも見えた。そしてその龍がピウスローアの話に出た蛇龍なのだと直感的に理解した。

「あれがセンタツ様…?」

 ユーリアの問い掛けにピウスローアは頷いて説明する。

「ええ、街の守り神様…本当かどうかはわからないけれど、第一龍暦からずっと、あのように頭だけを出して生きているそうよ」

 その言葉にユーリアは素直に感嘆の声を上げた。二人が会話している間にも飛龍達は都市へと接近し、その最も低い平野部分にある広場、一際大きな木造の建物の前に降り立った。広場には既に数人の人龍達が、来客を歓迎しようと待ち構えていた。

「お帰り、フェッセル!あまりにも急なもんだからびっくりしたよ!…後ろのはお客さん方かい?」

 先頭で降り立ったヒストフェッセルに、広場で待っていた女性の人龍が両手を広げて親し気に話し掛けた。その姿はヒストフェッセルと同じく頭が龍、袖口から出た手が人のものである。ヒストフェッセルは軽く鼻を鳴らし、背後にいるユーリアと龍王達を示しながら口を開く。

「ふん…事情は後で話すが、まずは安心して会話ができる大部屋と風呂の用意を頼む…流石に半日以上飛龍で飛び続けるのは老体に堪えるのでな」

「あら…もしかして首都から一気に飛んできたのかい?大変ね…一階の大部屋が空いているから、そこを使ってちょうだい」

 女性の人龍は不思議そうな表情をしながらも、背後の木造の建物へ全員を案内した。そして玄関を上がる時になってユーリアが人であることに気付き、驚きの声を上げた。

「あらまあ!人の、しかも女性のお客さんだなんていつぶりかしら…気付いてなくってごめんなさいね?部屋にご案内したら人でも食べられる料理を用意してくるから、楽しみにしていてくださいね~」

 女性は早口かつ大きなよく通る声でそう言うと、ユーリアに満面の笑顔でお辞儀をして建物の奥へと駆けて行った。ユーリアは慌ててお辞儀を返していたが、その様子を見たヒストフェッセルは建物に足を踏み入れながら肩を竦める。

「ふん…大部屋まで案内する、ついてこい」

 ヒストフェッセルはそう言うと、迷うことなく広い建物の中を進んでゆく。ユーリアは彼の後に続く龍王達のさらに後ろについて歩く。ユーリアにとって珍しい構造の建物を進む間、彼女の視界が休まることなかった。木造の空間は狭くとも開放的で、辺りから水の流れる音や龍達の咆哮が聞こえてくる。

 経験したことの無い不思議な感覚に、ユーリアは思わず前を歩くピウスローアに尋ねた。

「ねえ?この建物は一体…?」

 ピウスローアはその言葉に、一瞬ヒストフェッセルの顔を伺った。しかし彼は鼻を鳴らしただけで何も語らず、ピウスローアがユーリアの隣まで下がると話し始めた。

「ここは蛇龍議場の『旅館』で、ヒストフェッセル様のご実家でもあります…先程出迎えて下さった方は『ヒストラシーヌ』様で、ヒストフェッセル様の姉に当たる方なのですよ」

 再びヒストフェッセルが鼻を鳴らしたが、何も言わずに木造の廊下を歩き続ける。ユーリアは説明に少し感銘を受けた。未だに人龍という存在がよく分かっていなかったが、姉がいるということは、家族という概念があるのだろうと憶測している。

 ヒストフェッセルが突然立ち止まると、すぐ横の襖を開いた。襖を知らないユーリアだけは壁が開いたことに驚いていたが、龍王達は当然のように入り、ピウスローアはユーリアの反応に声を抑えて微笑んだ。

 その部屋は三十畳ほどの和室だった。ヒストフェッセルが最奥にあぐらをかいて座り、龍王達も順番に座る。ピウスローアは最後に入室し、ユーリアをヒストフェッセルの正面へ誘い襖を閉め、そのまま襖へ寄り掛かり外を警戒するように立っていた。

 ユーリアが座ったことを確認すると、ヒストフェッセルがいつものように鼻を鳴らした。

「ふん!革命同盟軍の侵略に乗じた人軍共のクーデターはまんまと成功し、我ら龍王達は首都を追われた…問題はこれからわしらがどう動くのかだ、現状の確認も含めてな」

 視線を落としながら発した、その怒りよりも諦めの響きが強い声は、他の龍王達の心に影を刻み込む。ヒストフェッセルは視線をユーリアへと向け、視線を交わらせる。

「ふん…ユーリア王女よ、貴様が無能だったわけではない…今回のクーデターは、どうにも手際が良すぎる」

 その声は彼女が聞く、初めての落ち着いた声であった。彼に考察された言葉は続く。

「恐らくだが、人軍と第三軍団は開戦以前から連絡を取り合い、開戦の混乱に乗じてわしら龍王から政権を奪い取るつもりだったのであろう…ついでに貴様も葬り去ることが出来れば、第三軍団にとって国内の強力な政敵が消せたわけだ…愚者の利害が一致していたのだ」

 その言葉にユーリアは言葉を返すことが出来ない。代わりに話を聞いていた龍王、プロゴネストが問い掛けた。

「ユーリア殿はレイヴン王の娘…同じく王の子である第三軍団長と次期王座を争う政敵といえど、レイヴン王はこの戦乱の中、身内での争いを黙って見過ごすのだろうか?」

 その言葉にヒストフェッセルは軽蔑の眼差しを隠さない。

「ふん!人軍派は王国との同盟を重視しながら、その実態を何も知らないのだな?」

 ヒストフェッセルはそう言い放つと、溜息を吐き、視線をさらに上げて遠くを見ながら話し始めた。

「三十年前、レイヴン王が王位を継ぐ際にも内乱が起こり、それを好機と見た複数の隣国から侵略を受けた…だがレイヴン王は内乱と国外からの侵略の両方を平定して王位を継ぎ、国土を拡張した…」

 そして視線をユーリアに戻し、いつもの口調で続ける。挑発と挑戦の響きが混ざった口調だ。

「ふん!奴のことだ…どんな手段を使ってでも最後まで生き残り、北と西の敵国を黙らせた奴こそ次期国王に相応しいと考えているに相違ない」

 その乱暴な言葉をユーリアは否定しなかった。サードビーストは次期王になる為に龍王議会を利用して国内外に支持者を増やし、対抗者となる他の王子を斃そうとしている。それはユーリアも同じだった。

 ヒストフェッセルは、黙っているユーリアを確認するように眺めながらさらに言葉を続ける。

「ふん…『王国』の王になるのは外交で成功を収めたものばかりだ、血塗られた王国の歴史が証明している」

 他の龍王達も黙っている。ユーリアは何かを言わなければならないと考えてはいたが、これまでの自らの行動を考えると口にし辛かった。

 それを見透かしたようにヒストフェッセルは語気を強めて続ける。

「ふん!貴様も王位継承に龍王議会を使うところまでは、第三軍団長と同じ腹積もりだったのだろう?クーデターまで考えていなかった分わしらには都合が良いが…今のままでは王にはなれんだろうな」

 その言葉にユーリアは拳を握り締める。そしてついに口を開いた。

「…龍王の皆様は、私が王になった方が良いと考えているのですか?」

 その声は小さかったが力があり、その場にいる全員に届いた。しばらくの間、皆が黙り水の音が微かに響いていた。人軍派のプロゴネストが最初に口を開いた。

「身勝手な考えだと分かっている…しかし私は、龍王議会に味方する人が王になってもらいたいと思う」

 その言葉は嘘偽りの無い言葉なのだろう。そしてその言葉に他の龍王達も頷く。その様子を見たユーリアは安堵の息を吐くが、ヒストフェッセルは溜息を吐いた。

「ふん、軟弱ものどもめ…だがそれが正しい為政者というものだ、敵対するものを支持することは無い」

 そして続けてユーリアへ向けて、いつも通り挑戦的な響きで言う。

「龍王議会に味方する王であれば貴様でも構わん、そしてサードビーストとやらでもな…」

 その言葉に他の龍王達が驚き、その顔を見つめた。ユーリアもヒストフェッセルの目を見つめ、その言葉に頷いた。さらに他の龍王達が驚く。

「なんと!他国のクーデターを扇動するような輩が王になってもよいと申すのか!?」

 一人の龍王が前のめり、叫ぶようにヒストフェッセルに問い掛けた。他の龍王達の表情も戸惑いと驚きが消えない。ヒストフェッセルは彼らを見渡し、右手を軽く上げて制してさらに言葉を続ける。

「ふん、第三軍団が来なくとも、クーデターは遅かれ早かれ発生していただろう…」

 その言葉に覇気は無く、後悔の念が勝っていた。戦争において、明らかに劣勢となった国で政変が起こることは珍しくない。ヒストフェッセルは長い命の中で他国が何度も混乱に陥るさまを見て来た。

「人軍の力だけでは到底成功はしなかっただろうが、やつらが龍王議会各都市に進駐していたおかげで、クーデターの隙を革命同盟軍に突かれる心配がないことは事実だ」

 その言葉に龍王達は言葉に詰まった。今、龍王議会を革命同盟軍から守っているのは、龍軍でも人軍でもない。ヒストフェッセルはユーリアに真剣な眼差しを向ける。

「貴様ら王国軍にとって最大の敵は革命同盟軍のはず…龍王議会領で身内同士の争いをしている場合ではない、というのが心根であろう?」

 ユーリアもその視線を受け止めながら考えることを止めない。ヒストフェッセルはユーリアの表情を読み取りながら続ける。

「ここで貴様に出来ることはもう無い…アハトと首都での助力には感謝しているが、今のわしらが貴様に対して出来ることも無いのだ」

 ユーリアはその言葉に歯を噛み締め、しかし瞳を閉じて頷いた。そんなユーリアの様子をピウスローアが心配そうに見つめていたが、廊下から複数の足音を感じると襖を開けて確認した。そしてその足音の主を部屋へ迎え入れる。

「大変お待たせしました!人向けの料理なんてひさ~しぶりに作ったものだから…」

 明るい笑顔と声で入って来たヒストラシーヌは、対照的に暗い部屋の雰囲気に一瞬言葉を切った。その両手にはこの入り江で取れたものだろうか、様々な魚の料理が載せられた巨大な盆が絶妙なバランスで持ち上げられていた。さらに彼女の後ろから二人の人龍が同様に、しかし一枚ずつの料理が満載された盆を追加で運んできていた。

 龍王達とユーリアの視線が集中する中、それを気にするわけでもなくヒストラシーヌは部屋へと上がり込み、喋り続ける。

「も~せっかく可愛らしい人のお客さんを連れてきたと思ったら、じじいで囲んで黙~って気持ち悪いったらこの上ない!」

 その言葉に龍王達が慌てふためくが、彼女の言葉は止まらず、手際よく料理の皿を皆の前に並べつつさらに喋り続ける。

「首都で何があったのか知りませんが、こんな部屋に籠って暗くなった所で何もいい方向に進んだりやしませんよ?あ、お嬢さんに言ってるんじゃなくてフェッセルの阿保に言ってるから安心してくださいね?」

 最後の言葉はユーリアに向けて発せられたが、流石にヒストフェッセルが顔を赤くして立ち上がり、指さしながら口を開く。

「議会の副議長に対して阿保とはなにか!」

「千年以上生きて女と一度も出来ない男は阿保と相場が決まっとりますだからいつまでたっても『副』が取れないことに次の千年が過ぎる前に気付いて下さい」

「女は関係無いわい!わしは女ではなく国に仕えとるんじゃ!」

「女も国も時が経てば変わる点では一緒です、経験の無い阿保はそのことが解らないからいっつも貧乏くじを引かされるのです」

 言い終わる前にヒストラシーヌはさらに言い返していた。ヒストフェッセルは怒りが収まらない様子ではあったがこれ以上反論せず、黙って座り込んだ。その間にヒストラシーヌと二人の部下は料理を並べ終わり、来た時と同じ襖の前へ下がり頭を下げる。

「お騒がせしました…美味しい料理はたくさんありますから、暗い雰囲気のまま食べるのだけは堪忍して下さいね?食べられる食材達も浮かばれませんよ」

 そして一連のやり取りを大人しく聞いていたユーリアに向かって言う。

「人のお客さんは本当に久しぶりだったから、料理も人のものを頑張って作ったけど口に合わなかったら遠慮なく言ってね?あ、お代はフェッセルのへそくりから取るから安心して頂戴」

 その言葉はヒストフェッセルへ向けられた言葉とは似ても似つかない優しい口調で、ユーリアは自然と笑顔で答えた。

「あ、ありがとうございます」

 ヒストラシーヌはその言葉に満面の笑顔で答えて退出していった。ユーリアはその姿を見送り、襖の閉まった音の後にしばらく見つめていた。ピウスローアは変わらず襖の傍に立ち、外の警戒を続ける。

「ふん…千年経っても相変わらず口の減らんやつだ、だが飯は上手くなっているようだな」

 ヒストフェッセルの言葉にユーリアは振り向く。彼は彼女の顔を見て頷くと、目の前に並んだ数々のご馳走を示した。綺麗に切り分けられた刺身に、濃いタレがしっかりとしみ込んだ煮魚、巨大な焼き魚は焦げた皮が一部剥がれ、中の油を帯びた白身が覗いている。そしてその魚料理の間を縫うように様々な野菜が彩り良く配置されていた。

「今は飯を食え!今後の事は飯を食いながら、そして食った後に考えればよい!」

 そして宴が始まった。


 宴が始まってしばらく後、突然左肩に手が置かれた。外に神経を向けていたピウスローアは驚いて振り向くと、ユーリアが様々な魚の刺身が載せられた皿を左手に持ち、複雑そうな笑顔でこちらを見ていた。

「はい、貴女の分…見張り続けてるのも大変でしょ?」

 彼女の声には少しの疲れが見えていた。その理由は彼女の背後、活発に議論を続けている龍王達にある。今後の方針について、龍の頭を中心地に龍が主導する新たな国を残すことで龍王達の意見は一致しているが、龍軍派はクーデターはあくまで龍王議会内の問題であるとして龍が独立しての反抗を主張し、人軍派は第三軍団に対抗する為ユーリア率いる第五軍団との同盟を望んで対立し、言い争っていた。

 ユーリアは第五軍団単体での同盟締結は自分の一存で出来るとして了承したが、その言い争いには参加せず彼らが答えを出すのを待っていた。ピウスローアは状況を理解すると、彼女と同じく複雑な笑顔で応えて皿を受け取った。

「圧倒的戦力を持つ国に攻め込まれ、クーデターで首都を追われ…状況だけ見れば絶望的なはずですが、食事の時だけは気持ちも紛れますね」

 ピウスローアはそう言うと真剣な表情を戻して料理を頬張る。その食欲は旺盛で皿の刺身はみるみる減っていった。龍のような手で器用に箸を用いるその様子に感心しながら、ユーリアは彼女に尋ねた。

「…リベルティーアの事が心配?」

 その言葉にピウスローアはしばらく間を置いて、表情を和らげて口を開いた。

「心配ではない…といえば嘘になりますが、議長は龍王の中でも一番の人軍派で、元々人軍の兵士でしたから酷な扱いを受けることは無いでしょう」

 その言葉にユーリアは少し疑問を感じ、率直に質問した。

「人龍が人軍の兵士になることもあるんだ?」

「いえ、人龍は軍に入っても全て龍軍に配属されます…人軍だったのはまだ議長が人だった頃の話です」

「…えっ!?議長って元人間だったの?」

 『議長が人だった』という発言にユーリアは驚いた。ピウスローアはその反応に逆に一瞬驚き、そして納得したように頷くと説明を始めた。

「『人龍』は人が死ぬときに『龍剣』と融合を果たした姿…その存在自体が人と龍の共存の証であり、それ故に龍王議会の支配階級として政治の実権を握り続けてきました」

 彼女が語る話は、人龍という種族が存在するものだと考えていたユーリアには衝撃的で、真剣に話に聞き入っていた。ピウスローアは説明を続ける。

「人軍の標準装備として龍剣が配られているのは、人軍から人龍を輩出して人の地位を向上させようという狙いもあります…ですが人龍となれるのはごく一部で、その条件も解ってはいません」

 ユーリアは自らの腰に視線を落とした。そこにあるコガネの牙から造られた龍剣を見つめ、人軍のノルトが龍剣を振るう姿が思い出された。

「リベルティーア様は三十年前に西方の国境紛争で命を落としましたが、その時に人龍となり、紛争で勝利を呼び込んだ英雄として議長の座を勝ち取りました」

 ユーリアが全く知らなかった話が語られ、衝撃と感心から思わず声が零れた。

「じゃあ龍王達とピウスローアも同じように一度死んで人龍に…?」

 その言葉には少し瞳を落として頷いた。その反応を見てから質問の酷さに気付いたユーリアは慌てて口を開いた。

「ごめんなさい、死んだ時の事とか思い出したくないよね?」

 ピウスローアは微笑んで首を横に振ったが、外から足音が聞こえると視線を尖らせ、襖を開き外を確認した。そして安心すると同時に足音の主、ヒストラシーヌを部屋へ通した。

「あらあら、ピウスローアちゃんもユーリアさんも見張りお疲れ様ね?男共は全く好き勝手に食って喋って…私が見張りを代わるから、二人は先に温泉に入ってきなさい!ピウスローアちゃんなら人用の温泉の場所が分かるでしょ?ユーリアさんを案内してあげなさい」

 その言葉にユーリアは驚いたが、ピウスローアは嬉しそうに頷くとすぐに立ち上がった。そして龍王達が議論に夢中なことを確認すると、ユーリアの手を取って襖の外へ連れ出す。二人で出て襖を閉じると、龍王達の議論にヒストラシーヌも参戦し、議論がより活発になっているのが聞き取れた。

 しかしピウスローアはユーリアの手を引き迷いなく歩いて行く。部屋からの声が聞こえなくなった頃にようやくピウスローアは振り返り、悪戯を成功させた子供のように微笑んで見せた。そんな笑顔を見せながら彼女はユーリアの手を引き、都市の上部へと至る階段を上っていった。

「ねぇ…本当に私も入るのか?」

 ユーリアはようやくたどり着いた温泉の脱衣所の前で、渋るように言った。その言葉からは到底王女らしさは感じられなかったが、ピウスローアは脱衣所の内側からユーリアの手を掴み、中へと引っ張り込んだ。脱衣所の中は壁に四つの開放感のある大きな棚が設置されていた。その内の二つの棚に白いタオルが置かれて、ピウスローアはその中で最も出入口に近い棚の前に立ち、自らの服に手を掛け始めていた。

「ユーリア様は始原龍議場に着いてからお風呂に入っていなかったでしょう?ずっとリムに乗って、会談して、戦闘して、復興作業して、雨に濡れて…私もそうですがその…不潔ですよ?そんな重たそうな強化装甲も着ていますし汗も…あんまり匂ってはいませんが、洗い落とすべきです」

 その言葉にユーリアは自分ではまったく気にしていなかったが、龍王議会領に入ってからシャワーも浴びていないことを思い出し、反論する言葉を失ってしまった。ピウスローアは彼女のばつの悪そうな表情を見て、さらに言葉で促す。

「この街の温泉は何度も入ったことがありますが、疲れが取れて…入って損はないですよ?」

 そう言うと彼女は手を掛けていた服をはだけさせた。ユーリアは恥ずかしそうに視線を手で隠し、その様子を見てピウスローアが可笑しそうに笑う。

「そんなに気にしなくてもいいのに…タオルは巻きましたから、もう大丈夫ですよ?」

 何が大丈夫なのか解らなかったがユーリアが手を退けると、タオルを体に巻いたピウスローアが立っていた。ユーリアはその体を見て驚く。腕と足だけだと思っていた人龍の鱗部分は体の広範囲に及んでおり、ピウスローアの人に見える部分は首から上だけのように見えた。

「思ってたよりも龍なんだな…」

 その反応にピウスローアは更に笑った。そしてユーリアに促す。

「昨日から鱗の間に汚れが詰まっている感じがしていて…早く洗い落としたかったんです!」

 その声は心の底から歓びに満ちていて、その笑顔は声に劣らず輝いていた。それに相反してユーリアの表情は暗く、複雑な感情が入り乱れているように見えた。そして諦めたように口を開く。

「分かった、温泉には入るけど…驚かないで?」

 そう言うとユーリアは刀と龍剣を風呂側の棚に降ろし、強化装甲服の胸に埋め込まれた球体に触れた。強化装甲服から機械音が微かに響き、服が開き始めた。全身を覆い尽くしていた強化装甲服に隠されていた体が露になり、ピウスローアが驚く顔を見て、ユーリアが手を広げ得意げに言う。

「どう?これが私の体…『ミゼネア』よ」


 それからしばらくの後、ピウスローアとユーリアは白く濁った温泉に入っていた。崖の中腹にあるその温泉は蛇龍センタツの頭の右側に位置し、すぐ横を見るとその巨大で長い龍の頭が崖から突き出しているのが恐ろしく、しかし守り神であると考えればこの上なく頼もしく感じられた。センタツは眠っているのか瞳を黒い瞼で閉じて動かず、微かに空いた口から長い息が風となって漏れ出ていた。

 ピウスローアは黙ってお湯に浸かっていたが、温泉に沈んでいるユーリアの体を改めてまじまじと見つめ呟くように、しかし嬉しそうに話し掛けた。

「レイヴン王国の技術力は凄まじいのですね…まさか体そのものが機械だなんて…」

 彼女が温泉に入る前に見たユーリアの体は形こそ女性のそれであったが、銀色の金属質な部品が体の各所を形作っている。そして体の状態を表しているのだろうか、首元と腰、そして背中に光の線が短く刻まれていた。

 ユーリアは少し悩ましそうに右手を振りながら返す。

「私の体は聖地に残ってたものをそのまま使っただけ、王国の技術じゃないよ」

 ユーリアは正直に答えると、かつてノルトにして見せたように右腕を外して見せた。ピウスローアは口に手を当てて驚き、右手を戻すと安堵したように胸をなでおろした。その反応を見て、今度はユーリアが笑う。

 その笑顔を見たピウスローアがふと尋ねた。

「ミゼネア…でしたか?ユーリア様のこれまでの動きを見ていれば普通の人と同じ動きが可能なことは分かりますが…その顔はどうなっているのでしょうか?もしかして頭だけ本物…?」

 後半は少し怯えた声音を作っていたが、ユーリアは一度笑って頬を軽くつまみながら説明する。

「全部機械だって!顔のこれも機械の皮膚らしいし…本物の肉体みたいに動かせて、不自由は無いかな」

 ピウスローアはその答えに感心し、思わずその頬に触れるが、その感触は本物のように思えた。続けて明らかに機械な右腕を触ると、それは金属の感触。温泉で温められてはいるが、頬と違って柔らかさは感じられなかった。

 その時、ピウスローアのものではない感嘆の声が聞こえて来た。

「懐かしいね…本当に懐かしい…」

 その声は老いていたが美しく、温泉の湯煙をかき分けるように二人の耳へと優しく届いた。二人が声の方を見やると、巨大な龍の頭が僅かに動き、右目の瞼が開いて現れた黒い瞳が二人を見つめた。

「センタツ様…!」

 ピウスローアがその頭、センタツの方へと向き直り頭を下げる。ユーリアもそれに倣って頭を下げるが、センタツの笑い声が聞こえて頭を上げた。

「一年ぶりだねローア…それに機械のお客人も、ここではかしこまる必要は無いよ…ここは人と龍の楽園、外の奴らが決めた礼儀だのしきたりだの、面倒な事はここにいる間ぐらいは忘れても…この場所の主である私が許すから、誰も咎められやしないのさ」

 そう言って巨大な龍は更に笑った。その言葉に二人も微笑みで返す。センタツはユーリアへと視線を向けるとさらに続ける。

「そこの機械のお客人…ローアがユーリアと呼んでいたね…君はその体について、どれほど知っているんだい?」

 突然の問い掛けに、そしてその内容にユーリアは目を見開いた。その反応を見てセンタツが微笑んだように見えた。ユーリアは様々なことを考えながら、ただ口早に答えた。

「ミゼネアについてですか?テュルクからは第四龍暦末期に毒の時代を生き抜く方法の一つとして開発されながらも、結局は失敗に終わった機械人体だと聞きました」

 その答えにピウスローアは感心したが、センタツはすぐに優しく聞き返す。

「テュルクの名も懐かしいね…確かに彼女に説明させればそうなるだろうね…だがね、私が今聴きたいのは、その『ユーリアの体』に入っている君自身がユーリアについて、どれほど知っているのかという事なんだよ」

 その言葉の後、しばらくの時が流れた。温泉が流れる音と海の方からは波の音が聞こえる。ユーリアはセンタツを見上げたまま硬直し、ピウスローアはセンタツの言葉を考察し、視線をユーリアへと向ける。センタツは変わらず、優しくユーリアを見つめている。その二つの視線を感じながら、ユーリアは口籠った。

「その…この、体は…」

 上手く言葉が繋がらず、ユーリアは俯いた。センタツはその様子から察して、寝ている子供を起こさないように話す母親のように優しい声で進言する。

「隠しているのならば、無理に答えなくていい…だがね…『彼女』は、もうすぐ目覚めるんだよ…大地と繋がった私の体が『彼女』の声を感じているんだ」

 ユーリアは突然冷たい水を首筋に浴びせられたように顔を上げ、センタツの黒い瞳を見つめた。センタツはその見えない涙を浮かべた瞳を見つめ返す。

「やはり『彼女』の事を知っているんだね…『彼女』は強くて頑固者で責任感が強くて…多くの人から好かれて、そして同じぐらい多くの人から疎まれていたんだよ…」

 その言葉にユーリアは表情を陰らせた。センタツの言葉は続く。

「君が『彼女』の事を好きだという人でなら…じきに目覚める『彼女』に会いに行ってくれないかね?」

 ユーリアは言葉で答えることはなく、静かに頷いた。その時、空から複数の光粒子エンジンの音が聞こえて来た。ピウスローアが警戒して空を見上げたが、特徴的な駆動音はテュルクの乗るタクスィメアのものだ。ユーリアは全く警戒せず、大きく息を吐いて視線を正面の海へと戻した。同じくセンタツの瞳も正面を向いたが、その視線はこれまでと違って鋭く、海面を睨みつけていた。そして牙を剥くように口を開く。

「何かが…海にいるね」

 その言葉にユーリアとピウスローアも海面を注視する。その瞬間、入り江の入り口の海水面が微かに盛り上がり始めた。

 そしてほぼ同時にセンタツが咆哮を上げ、テュルクのタクスィメアが都市の上空を越えて二人の視界に入り、直後に入り江の海水面が山のように急激に盛り上がった。

 ユーリアとピウスローアは反射的に温泉から飛び出し、体を手早く拭くとそれぞれの服を着こんだ。そして再び外へ出ると、タクスィメアがセンタツの前まで降下してきていた。そして海水の山が流れ落ち、その下にあるものが露になった。その異様な光景にユーリアとピウスローアは絶句し、センタツは荒い息を零す。タクスィメアからテュルクの澄んだ声が響いた。

「『東威』(トウイ)!国境を越えてくるなんて…!」

 蛇龍議場と睨み合うように入り江に現れた、透明で巨大なドームに囲まれた都市。ドーム内部にはビル街が数か所見られ、特に後方はドームまで届くほど巨大な建造物が支える柱であるかのように立ち並んでいる。透明なドームを後方からさらに覆うように、美しい曲線で造られた白い屋根のような十字の建造物の各所にある窓からは光が零れ、そこに人が暮らしていることを容易に想像させた。そしてその巨大建造物は船のように海面を動いていた。

「ユーリア!ノルトが既に到着しています、下まで降りてフィフス・ウィングに乗って下さい!」

 テュルクがユーリアへ向けて叫ぶと、ユーリアは頷いてピウスローアと共に蛇龍議場へ入った。それを見届けたテュルクへセンタツが話し掛ける。

「今日は懐かしいお客人が多いねぇ…死んだと思っていた人が飛んできたり、別の場所で眠っているはずの人が尋ねてきたり…」

 センタツの言葉にテュルクは微笑んで自信を持って答える。

「龍が思うよりも、人間は存外しぶとい生き物だという事ですよ」


 同時刻、第三軍団が合流した龍王議会西方戦線は、龍王議会軍が劣勢だった戦況をどうにか五分にまで回復させていた。戦線各地を突破していた革命同盟軍を撤退させ、要塞線での戦線を張り直したシュタルトは、作戦会議室で配下の指揮官達と共に次の作戦行動計画を練っていた。

 議論が飛び交う中、突然扉が開き、一人の大柄な男が入って来た。突然の入室にシュタルトが扉の方を見ると、男を案内してきたと思われる兵士が慌てて申し開きをする。

「しゅ、シュタルト将軍!先程レイヴン王国第三軍団から新たな将軍としてこちらの、」

 大柄な男は兵士を右手で押し退け言葉を制した。その体は黒い強化装甲服で覆われ、左胸に王国軍第三軍団を表す三つ首の狼の紋章が付けられている。

「自己紹介ぐらい自分で出来る、案内が終わったのなら自らの配置に戻れ!」

 大柄な男の言葉に人軍の兵士は敬礼して部屋を出て行った。溜息を吐いてその背中を見送った男は白い長髪をなびかせながらシュタルトに向き直った。

「あんたがシュタルト将軍だな?サードビーストから特殊前線部隊長を命ぜられた『ティグモルテ』と申す、革命同盟軍を叩きだすまでよろしく頼む」

 シュタルトはティグモルテの姿を素早く眺めた。白いうねりのある長髪に浅黒い肌、そしてシュタルトよりも大柄な体躯が特徴的でその目つきは常に鋭い。

「龍王議会軍人軍大将のシュタルトだ、こちらこそこれからの共同作戦では頼りにさせてもらうことだろう」

 そう言うと握手の為に右手を差し出す。ティグモルテも右手で受け取り固く握り合う。そして握手を終えた彼は部屋の中央に置かれた机の上の地図に気が付いた。

「おお、丁度作戦会議中か?俺も混ぜろ」

 その横柄な態度に他の指揮官達は不信感を露にするが、サードビーストをよく知るシュタルトは彼が率いる将軍ならば些細なことだと、視線で彼らを制した。

 地図上の駒で表された敵味方の戦力配置と、一緒に置かれていた作戦概要の書かれた紙を見て、ティグモルテは短く鼻を鳴らした。

「ふん、防衛作戦案としては及第点だな…だが、お前らの作戦には致命的な欠陥がある」

 そう言い放ったティグモルテに指揮官達が冷たい視線を向けるが、シュタルトはあくまで冷静に尋ねる。

「ほう、こんなに短い時間で見つかる程の欠陥とは…それは何かね?」

「情報の少なさと不正確な戦力把握だ」

 ティグモルテは即答した。そして作戦概要の書かれた紙を手に取り放り投げる。ひらひらと舞って机の下へと落ちて行った紙を見下ろし、指摘する。

「先ずは情報の少なさだが、決定的な情報が二つ欠けている、即ち革命同盟中央軍の動きと東方の神託国家群(スンイ)の動きだ」

 そう言うと質問する隙を許さずに地図を指差して続ける。

「中央軍は敵のくそったれ総帥が率いる主力軍だがそれが昨日、旧レイヴン王国王都に進駐したという情報が入った」

 地図上の旧王都を示し、そこに革命同盟軍を示す青い駒を複数置いた。

「その数、兵士百万にリム三万、おまけで空中要塞三基だ…航空機と戦車は不明だが、リムと同数以上は揃えているだろうな」

 その言葉にシュタルト達は息を呑んだ。現在国境線で対峙している敵軍の数は兵士三百万人にリム一万機である。それだけの兵力を国境線配置してなおそれだけの予備戦力を持っていることに、改めて敵国軍の強大さを感じずにはいられなかった。しかしティグモルテは味方を示す白い駒をさらに配置した。

「で、正しくないのは味方の戦力配置もだ…今日俺が率いてきたのが、第三軍団特殊前線部隊の兵数一万飛行型リムの数も一万という超極端な戦力…歩兵は流石に足りてるだろ?」

 その言葉にシュタルトは頷いた。開戦から常時人軍を集結させ続けた結果、現在の国境線に配備されている人軍兵士は開戦当初の二十万人から五十万人近くまで膨れ上がっていた。要塞を用いた防衛戦であることを考えれば決して劣勢ではなかった。シュタルトの頷きに微かに微笑み、ティグモルテはさらに駒を置き続ける。

「そして旧レイヴン王国領南部に最強と名高い第四軍団ほぼ全軍の兵士五万リム一万が入り込んで、その保護者として第一軍団も同数で王国領内北部へ進軍…境界騎士団の数不明くそ岩兵共が北から進軍…」

 『最強と名高い』の部分に皮肉を効かせてそう言うと、彼の手によって南の龍王議会国境とジョテーヌ大陸中央の聖地から革命同盟を追い詰める様に地図の戦線が拡大してゆく。

「これが今の『正しい』戦線の姿だ…俺なら防衛に回らずに、王国南部を進軍している第四軍団と合流する為に大霊峰沿いの戦線を北上させる」

 ティグモルテの言葉に指揮官達は呻く。地図に新たに加えられた敵軍と友軍の数を見ても、リム同士の戦争を知らない彼らには今の戦況の優劣が予測できず、これまで防戦ですら危うかった龍王議会軍が戦線を上げられるのかという疑念が心の中を渦巻いていた。

 しかしシュタルトはしばらくの思案の後、頷いた。

「分かった、戦線を上げよう…」

 その言葉に指揮官達が顔を上げ、ティグモルテもその顔を見つめる。シュタルトはその様子を確認し、ティグモルテと対峙して続けた。

「だが、我ら人軍にも龍軍にもその力はない…第三軍団が主体とならなければ戦線は上がらないだろう」

 ティグモルテは白い歯を見せて笑い、右手で自らの胸を叩いた。

「任せろ!防衛に残せるのは半分の五千だけになっちまうが、敵もこっち側ばかり気にしてられねえ状況だからな…何とかなるだろ?」

 そう言うと再び地図と向き合う。その表情は険しい軍人のものに戻っている。

「で…東方の動きだが、神託国家群内部で革命同盟に協調する動きが出ている…『地球人至上主義』(アーシアン)とかいう、革命同盟と同じ思想が広まっているそうだ」

 部屋の中に不穏な空気が流れ始めた。その空気を否定せずにティグモルテは言葉を続ける。

「東方に新たな戦線が生まれるかもしれん…サードビーストが残りの軍を率いて聖地東方国境へ向かっているが、神託国家群まで敵に回るとなると…」

 静かだが力のある言葉にシュタルトら人軍の将校達も言葉を失う。龍王議会軍は都市の防衛部隊以外の全戦力を革命同盟軍との戦線に投入している為、東方は無防備であった。

「…第五軍団の動きは?」

 シュタルトが苦し紛れに言った。首都でクーデターを率いたブレンナーシュ中将から、第五軍団長であるユーリア王女もクーデターに巻き込まれ、その後の行方が分かっていないとの報告が入っており、協力を受けられる見込みは限りなくゼロに近かったが、今はなりふり構っていられる状況ではなかった。

 ティグモルテは腕を組み、明らかに悩ましそうに答える。

「第五軍団は今、聖地で治安維持と王の警護、そして無駄に訓練してひたすらに軍団全体の練度を高めている…戦争中だってのに訓練ばかり、傍から見てたら不気味なぐらいだ」

「第五軍団長と連絡は取れないのか?」

 必死なシュタルトの言葉に対してあっけなく答える。

「第三軍団は他の軍団と連携していないからこそ、今回援軍に来られたんだ…だから第五軍団はおろかこれから共闘の可能性がある第四軍団や第一軍団とも全く持って連絡を取り合っていない」

 シュタルトら龍王議会人軍の将校達は驚く。同じ軍の中でここまで独立して動き、それを咎められないことが不思議でならなかったのだ。その様子を気にせずにティグモルテはさらに続けた。

「第三軍団が龍王議会の戦線にいることすら、向こうは知らねえだろうな」

 シュタルトは彼の言葉を黙考する。それが正しければ第四軍団との連携の取れた挟撃は難しく、戦線を上げるのは危険な賭けであるようにも思えたのだ。

 しかし目の前にいるティグモルテは第四軍団との連携などまったく気にしていなかった。

「東方でさらなる動きがある前にこっちの戦況を確定させたい…俺はもう行くぜ」

 そう言うとシュタルトらに背を向け、扉へと歩み寄った。シュタルトはその背に声を掛ける。

「第四軍団と連携せず、挟撃が成功する見込みはあるのか?」

 ティグモルテは振り返らず、扉を開くと肩越しに答えた。その答えにシュタルトは老兵ながら身の毛がよだつ感触を味わった。

「成功させるさ…第四軍団長、あいつにはサードビーストを暗殺されかけた借りがあるんでね…連携しない方が俺らにとって都合がいい」

 そして彼が部屋を出て扉が閉まった。外からは戦闘音も聞こえず、龍王議会軍にとって数日ぶり、しかしとても長い雨が明けた後の晴れ間のような、平和な時間が過ぎていた。


 同日深夜。始原龍議場に残ったリベルティーアは使い慣れた議長としての寝室ではなく、人軍が用意した質素だが不自由しない部屋で眠りについていた。軟禁生活と言ってしまえばそれまでだが、三十年にも及んだ議長としての執務に追われる日々の後では、その部屋での生活が平穏で静かな安寧の時間にも感じられていた。

 その時、部屋の鍵が静かに開いた。そして音も無く扉が押し開かれ、黒い影が部屋に入り込んだ。そして素早くベッドの隣まで近付くと、腰から音も無く剣を抜き取り、一瞬で構えるとそのまま突き刺す様に振り下ろした。

 振り下ろされた剣が反発するような感触で止まる。黒い影が息を呑む音が聞こえ、リベルティーアは龍のような手で掴んだ剣をはね除けながら飛び起きた。

「くそ!売国奴が!」

 はね除けられた龍剣を手に体勢を崩した黒い影、人龍の男が叫んだ。しかしリベルティーアの左手の爪がその喉を掻き切り、それ以上の言葉を発することは出来なかった。

 部屋の明かりがついた。首から血を流して倒れた人龍の男を見下ろすリベルティーアに対して、明かりをつけた本人、扉の横に最初から佇んでいた黒鼠が口を開いた。

「一撃か…全く、護衛のし甲斐が無い程強いのも考え物だな」

 その言葉にリベルティーアは一度血の付いた左手を見て、彼女と視線を合わせることなく答える。

「貴様が怠け者なだけだ…処理は任せていいか?」

 大きな溜息一つ、黒鼠は頷くと死体の両手を掴んで外へと運び出し、耳元の通信機に小声で連絡を入れた。しばらく待つと人軍の兵士が三人やってきて、二人は持ってきた黒い袋に死体を入れて運んでいき、一人は部屋と廊下の血痕を掃除し始める。

 そして掃除を終えた兵士にねぎらいの言葉を掛けて部屋から送り出すと、黒鼠はベッドに寝転がったリベルティーアを心配するように声を掛けた。

「今の…議場の見張りしてた人龍だろ?あんたぐらいの力があったら、殺さずに取り押さえることぐらい…」

「奴が一人で来たという確証はどこにもない…龍王議会は変わり、私も変わった…民も変わらなければならないが、今の私はもう民を守る為政者ではない…彼と同じ、ただの『民』だ」

 彼女の言葉を遮るようにリベルティーアは話す。言葉は無気力で、議長として龍王議会を率いていた議長としての威厳は、全く感じられなかった。

 黒鼠はその姿を扉の横に背を預けて見下ろす。

「…元凶の一つでもあるあたしらが言えたことでもないけどさ、あんたは…もう守らないのかよ?」

 リベルティーアはその言葉にはしばらくの間答えられなかった。眠りについたのだと思った黒鼠が明かりを消すと、リベルティーアの声が暗闇の中から聞こえて来た。

「議長として守るべきものは守った…これからは人として守るべきものを守るさ」

 その言葉は黒鼠にのみ聞こえて、闇の中に溶けて消えていった。

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