第三軍団通商交易局局長 ソルカニス
第五龍暦二千百三十年九月二十二日、レイヴン王国軍は三年間の隠遁を破り、大陸西方を支配する革命同盟に対して宣戦布告を行った。大陸中央部の聖地を抑えているレイヴン王国軍は、隣接する旧王国領奪還の為に第四軍団と第一軍団が大霊峰を越えて宣戦布告と同時に進軍を開始。大陸南方の龍王議会と戦闘状態にある革命同盟軍を奇襲する形で旧王都目前の所まで電撃的に侵攻した。
しかしその時点で、北方の大国である境界騎士団領が革命同盟を救援する為にレイヴン王国に対して宣戦を布告。北方から旧王国領と現在の王国根拠地である聖地へ向けて進軍を開始した。これに対してレイヴン王国軍は、この参戦を予期していた第二軍団が北方の大霊峰に陣を構え、そして王国軍が進軍を続ける旧王国領では第一軍団が北進して境界騎士団と激突して対応し、両戦線とも膠着状態へと持ち込んだ。
そうして戦況が刻一刻と変化する中、九月二十三日明け方、レイヴン王国軍第三軍団の飛行型リム部隊は軍団長の指揮下の元、聖地南方の大霊峰を越え龍王議会領北部の都市アハトへと進軍した。その進軍作戦は秘密裏に計画・実行され、龍王議会軍はおろか王国軍の他の軍団長にも知らされることなく、進軍する部隊全機に消音機能と光学迷彩を併せ持つ『偽装迷彩』を搭載する程の徹底ぶりであった。
そして第三軍団はアハトにて、革命同盟軍飛行型リム六機編成の奇襲部隊を待ち伏せして殲滅。アハトに部隊を駐留させ、他の地方都市へも同規模の戦力を向かわせると同時に、軍団長と精鋭部隊はそのまま南進、龍王議会首都である始原龍議場を目指していた。
空中要塞『スタブルム』の管制室は要塞の最上階に位置し、機関部を除けば最も広い部屋である。その部屋には常時、空中要塞の動作や座標を確認して機関を操る四人の操縦官と、彼らの補佐をする操縦補佐官が四人、計八人体制で巨大な空中要塞の全てをコントロールしていた。
そして今、管制室には常駐する八人以外にさらに四人の軍人が集まっていた。
第三軍団長財務補佐官の『ソルカニス』は、スタブルムの管制室から始原龍議場を見下ろしていた。王国では視覚強化レンズに取って代わられ、古風にすらなりつつある眼鏡は、色白で細身の長身姿をより華奢に見せていた。
ソルカニスの眼鏡のレンズには、首都内部を駆け抜ける黒いリム、フィフス・ウィングの姿が小さく映し出されていた。その時、微かに慣性が働き、その体が前方へ引かれる。そして操縦官の一人の声が管制室に響いた。
「スタブルム、目標座標に到着しました!現在雨雲が西方より接近中で一時間程で接触しますが、スタブルムの滞空に支障は無いと思われます」
はっきりとしたその声は管制室内に響き、室内の緊張を微かに和らげる。他の操縦官達の表情も綻び、端末の操作を終えて声を上げた操縦官と同じく部屋の中央へ向き直る。
「ご苦労さん!しばらくは座標固定の自動制御で大丈夫だろうから、今の内にお前達は休んでおけ」
管制室の中央、最も高貴な椅子に座った若い男の軽い声が響く。操縦官達はその言葉に席を立ち、その男に向けてしっかりと敬礼をする。そして口々に退室の挨拶をしながら管制室を出て行った。後にはソルカニスと椅子に座った男、そしてその左右に控える二人の女性軍人が残される。
ソルカニスは中央へと振り返ると、椅子に座った男へと声を掛けた。
「サードビースト様、目的地である首都へ到着したようですが…」
「予定通りだな…俺が直接交渉に出ようか?」
椅子に座った男、第三軍団長サードビーストは即答したが、その返答に周囲の三人は溜息と共に頭を軽く抱えてしまう。ソルカニスから向かって右側に立つ背の高い女軍人が口を開く。
「ここは本職のソルカニス一人に任せましょう?ここまでの作戦が上手く行き機嫌が良いのは解りますが、現在の相手の戦力を考えると、軍団長はここで構えていた方が身の為でしょう」
「私も同意見です」
もう一人の背の低い、大きな瞳を鋭く光らせている女性が背の高い女性に同意し、続ける。
「『空猫』(スカイキャット)の言う通り、昨日の戦闘で防衛軍は我々の予想程は戦力を消耗しなかった様子…フィフス・ウィングの助勢があったにしても、それ以外に同等の力を持つ、我々の認識していない『何か』が龍王議会側に参戦したと見るべきでしょう…ここからも見える始原龍ハイマートがその『何か』であれば対応は可能なのですが、不確定要素であることに違いはありません」
彼女は外の景色、第三軍団の飛行型リム部隊と龍王議会龍軍飛龍部隊が対峙している様子を見ながら進言する。軍団長を見据えたソルカニスも同じ意見だった。
「その通りです『黒鼠』(ブラックマウス)、軍団長自ら出る幕ではありません…首都での交渉は私にお任せ下さい」
ソルカニスは眼鏡をずらし、直接サードビーストの目を見ながら恭しく、しかし有無を言わせぬ雰囲気を漂わせながら、さらに続ける。
「サードビースト様はくれぐれも、スタブルムから出ることの無いよう」
その瞳は鋭く、軍団長のサードビーストは大人しく頷いた。そして膝の上で手を組み、上体を前傾させながら口を開いた。
「危なくなったら即座に信号を送れ…救援は間に合わせるし、その時は俺も出る」
ソルカニスに負けぬ程の気迫を持ったその瞳に、しかしソルカニスは微笑み頷く。王国の玉座を狙うサードビーストとそれを補佐する彼の間には、交わした言葉以上の心のやり取りがあった。
その様子を見ている二人の女性軍人もソルカニスを見つめ、その瞳で無事を祈った。その二人を見つめ返し、口角を上げながら口を開く。
「もう片方の『取引』は黒鼠にお任せします…空猫も敵の侵入を許さぬように…では、また後程」
ソルカニスはそう言うと軍団長に敬礼する。軍団長と左右の二人も敬礼を返し、数秒後お互いにそれを解く。そして彼は管制室を後にした。
議長室に駆け込んできたユーリアと補佐官から報告を受けたリベルティーア議長は、龍王達の招集を補佐官に命じると即座に議場の前に出た。空には防衛軍の飛龍達が飛び上がり、北の空を警戒しながら威嚇の咆哮をあげていた。議場の前から見える第一城壁の上を人軍の兵士達が銃を手に走り、位置に着くとそれを空へ向けて構えていた。始原龍議場の東側には変わらずにハイマートが鎮座し、ハイマート城では避難者が匿われている。
そして北の空には無数の黒い飛行型リム、そしてその後方に巨大な空中要塞が浮遊していた。慌てふためく防衛軍とは対照的に、飛行型リム達は静かにホバリングを続け、武器を構えることも無く光粒子エンジンの光を放ちながら首都を傍観していた。
リベルティーアの命令を受けた補佐官のピウスローアが飛龍を駆り、上空の飛龍達に警戒を解くように伝達している。その必死な声が微かにリベルティーアとユーリア、テュルクの耳にも届く。リベルティーアは上空の現状を確認し、ユーリアに話し掛ける。
「あれが第三軍団の部隊…人軍から事前に聞いていた王との通信を担うだけの部隊とは思えんな」
その言葉にユーリアも頷く。上空では補佐官の伝達が上手く行き、飛龍達の咆哮が徐々に収まり始めていた。安堵の息を吐き、ユーリアは遠い空の空中要塞を刀で指しながら答える。
「あの空中要塞は第三軍団の移動拠点としても機能してるから、恐らく第三軍団長もあの中に…」
その時、空中要塞から一つの光が飛び立った。その光は飛龍の咆哮が収まると徐々にユーリア達の元へと接近し、その前へと降り立った。それは他のリムとは頭部の形が異なる黒い飛行型リムであり、肩部に付けられた強力な照明がその光の正体であった。
三人の前でリムの胸部のハッチが開き、その中から一人の男、ソルカニスが降り立った。
その様子をノルトは、議場の入り口側面の壁に寄り掛かりながら眺めていた。
「ノルトや?わしらは配置に着かんでもよいのか?」
足元のベッコウの質問に、ノルトはユーリア達の観察を続けながら一瞬だけ視線を向けて答える。
「ユーリアの監視と警護が人軍序列二位から与えられた任務だ…お前も勝ち目の無い戦いに駆り出されるよりはましだろ?」
ベッコウは龍だが、飛行能力が無いことと本人の希望から人軍に所属している。今はノルトの裁量で共に任務を遂行させていた。
「人軍の序列二位…誰じゃったかの~?」
ベッコウは呑気に欠伸混じりにそう答えるが、その言葉にノルトは黙って頭を抱える。
「ブレンナーシュ中将だ…俺の叔父さんだよ」
降り立ったソルカニスは、目前の龍王議会議長と第五軍団長、そして光の人と正面から向き合った。
「お初にお目に掛かります、レイヴン王国軍第三軍団通商交易局局長を務めているソルカニスと申します」
飄々とした佇まいの彼はそう言うと、眼鏡越しに議長を見つめる。着ている軍服は戦闘用とは言い難く、ユーリアの着る強化装甲とは違いいかにも脆く見えた。そしてその瞳に敵意は無く、しかしその眼光からは、リベルティーアの知るどの戦士よりも強い覚悟が感じられた。
その気迫に思わず息を呑み、しかしその顔には自然と笑みが浮かぶ。それを見たソルカニスもまた微笑み、続ける。
「龍王議会議長リベルティーア殿ですね?私は第三軍団長サードビーストより、ある『取引』の交渉を任された者…ぜひともその会談の間を設けて頂ければと存じ上げます」
その威圧感のある言葉に、リベルティーアは警戒心を解かずに、強い口調で返す。
「龍王議会とレイヴン王国間の新たな同盟締結の交渉なら、既に第五軍団長ユーリア殿との間で既に完結済みである…貴公ら第三軍団は、レイヴン王国と龍王議会との間を取り持つ使節部隊としてここを訪れたはずだが『取引』とは、どういうことか?」
「新同盟の締結に関しては、私達第三軍団が責任を持ってユーリア様を本国までお送り致しましょう…『取引』に関する話は、龍王達の集う正式な場で行わせて頂きたい」
そう言うと視線をユーリアへと向ける。空には雲がかかり始め、北の空に浮かぶ空中要塞の上部が覆われ始めている。
「ユーリア様は一刻も早い同盟締結の為、直ぐにでも我々の航空機部隊でお送りしたいのですが」
「私もその『取引』とやらの交渉に同席させてもらいます」
間髪入れずにユーリアが答えた。腰に差した刀と龍剣に触れ、ソルカニスと真っ向から睨み合う。呆れたように肩を竦め、分かりやすく両手を広げながらソルカニスが口を開いた。
「ユーリア様の役割は新同盟の締結であるはずです…一刻も早く本国へと帰還して王にその書類を届けて同盟を発足させることを、優先されるべきなのでは?」
その言葉にユーリアの視線に敵意が現れるが何も言わない。代わりにこれまで黙っていたテュルクがソルカニスへと一歩歩み寄る。
「ユーリアは第五軍団長であり、第三軍団の指図は受けません…彼女の意志は第五軍団の意志です」
その口調は丁寧で内容に確たるものは無かったが、暗に第三軍団と第五軍団の対決姿勢を明示し、ユーリアの意志を曲げさせないよう後押しする力があった。
ソルカニスがユーリアとテュルクへ言葉を返せずにいると、他の龍王達が集結し始めたのを確認したリベルティーアが間に入った。
「貴殿らの思惑は会談の場で聞くとしよう…雨に降られぬ内に皆、議場へと入るがよい」
そう言うと有無を言わせずにリベルティーアが龍王達を先導して議場へ入って行く。ユーリアとテュルクも無言でその後に続く。後にはソルカニスが残されるが、大きく溜息をつくと議長補佐官の誘導に従い議場へと入ってゆく。そして最後に入ろうとしたノルトとベッコウが番兵の人龍に引き留められていた。
龍王達が普段使う議場は、始原龍議場に併設された建物内にある。始原龍議場と区別する為に『小議場』とも呼ばれるその場所に今、九人の龍王とユーリアとテュルク、議長補佐官のピウスローア、そしてソルカニスが入っている。
ユーリアは刀と龍剣、そしてテュルクの線石を隣の席に置くと小議場内部を見渡し、席に腰掛けながらピウスローアへ語り掛けた。
「…龍王は九人しかいないのに、席は三十六もあるのね」
その言葉通り、中央の円卓には十二の席があり、それを挟むように左右にさらに十二ずつの席が設置されていた。今は中央の円卓すら埋まっていない。
「小議場が建設された当時は、三十六人の龍王がいたと言われています」
ピウスローアがひっそりとした声で答える。その目は龍王達の方を気にしながら、さらに小声で続ける。
「二千年の歴史の中で併合されたり、アハトのように人の知事が土地を領有するようになってからさらに龍王の数が減り、今ではここにいる九人だけです…」
その言葉にユーリアは納得しかけたが、テュルクが小声で問い掛ける。
「何故、知事と呼ばれる人達を龍王と認めないのでしょう?」
「…龍王と名乗れるのは、私達のような『人龍』と呼ばれる亜龍だけであると、現在の議会憲法で定められています…私達はそれを未だに守り続けているのです」
ピウスローアは最後を自嘲気味に言いつつ答えた。人軍派と龍軍派という対立が生まれる前から龍と人の対立は造られていたのだと、この時テュルクとユーリアは理解した。
「…そうだったのですね」
テュルクはそれだけ言うと視線を円卓へと戻した。ピウスローアもユーリアも沈黙したまま、中央で始まろうとしている会談に耳を傾ける。
「…では時間というものも有限なので、交渉に来た私の方から早速『取引』について話をさせて頂きましょう」
会談の口火を切ったのはソルカニスだった。リベルティーアはその表情を見たが、照明の光を反射する眼鏡のレンズが彼の視線を絶妙に隠し、その心を読み取るのは難しい。
彼は両肘をつき両手を組んでいたが、それを解くと右手の人差し指を伸ばした。
「ですがその前に…この国を統べる龍王達に一つ問います」
その言葉に龍王達の視線が険しくなり、リベルティーアは視線を逸らさずに頷いた。ソルカニスは再び手を組むと言葉を続ける。
「龍王議会は革命同盟との戦いに、勝算をもって挑んでいるのでしょうか?」
その言葉に殆どの龍王達は言葉に詰まった。西方戦線の戦況だけでなく、昨日の首都での戦闘を見ても龍王議会の勝算を見出すのは困難だった。しかし、それでもリベルティーアは長として勝算はあると言わざるを得なかった。
「龍王議会単独では確かに勝算は低いと言わざるを得ないが、無いわけではない…そしてレイヴン王国の助力があれば、これまでの劣勢を跳ね返し、革命同盟軍を降伏させることは可能だ」
自信の込められた言葉であったが、虚勢であることは言葉の一部にも表れていた。ソルカニスは溜息を隠さずにそれを突く。
「『レイヴン王国の助力があれば』ですか…その言葉を人が治める都市の長が聞いたら、どう思うのでしょうな」
そう言うと彼は腰に差していた筒を取り出した。その中から丸められた紙を取り出すと、右手側の席に座る龍王、プロゴネストに手渡した。それを見たプロゴネストの瞳が驚愕に見開かれ、席を立つとリベルティーアの元へと駆け寄った。他の龍王達がその反応に驚く中でリベルティーアは紙に書かれた内容を読み、ソルカニスを睨みつけ、怒りをかみ殺した震える声で問い質した。
「『人軍派諸都市の独立とレイヴン王国による独立保障』…どういうことか、説明を願おうか」
「なんじゃと!?」
即座に反応したのはヒストフェッセルだった。叫びながら円卓を叩き、立ち上がるとソルカニスに敵意を露にする。そしてリベルティーアに駆け寄るとその手の紙を奪い取り、その内容を確認する。そこに書かれていた都市は龍王議会領の半分を有しており、正気を失ったようにさらに叫んだ。
「ふん!龍王議会の都市にそのようなことを決める外交権など無い…このようなものは無効だ!」
そして紙を破り捨てた。しかしソルカニスは平然と構え、余裕綽々に口を開く。
「破り捨てて貰って結構、それはただの写しですから」
そして怒りが収まらないヒストフェッセルを無視してリベルティーアへと向き直る。
「御覧になった通りです…昨日第三軍団は大霊峰を越えて各都市を襲撃する革命同盟軍と交戦しそれを撃退、アハトでは殲滅に成功し、その活躍を見た各都市の知事は龍王議会ではなく我らレイヴン王国の傘下に加わり、その保護下に入ることを求め、第三軍団長はそれを了承しました」
その言葉は淡々と議場に響き、龍王達の心を揺さぶった。その様子を眺めていたユーリアは葉をかみしめていた。テュルクが彼女を諫める。
「ユーリア、既に第三軍団は各都市との手続きを終えているようです…悔しいですが、同盟締結にも影響が出ることは避けられないでしょう」
二人が見下ろす円卓では、リベルティーアがソルカニスに反論するところだった。
「ヒストフェッセルの言う通り、龍王議会の都市に外交権は無い…貴殿らがそのような交渉を独自に進めたとしても、我々が拒否する限りそれは無効だ」
ソルカニスはその言葉に大きく頷きながらも、自らが進めて来たことから引くつもりは毛頭無かった。
「ええ、ですがそれは、我々が提示するあなた方への『助力』の対価なのです」
彼ははっきりと言い切った。リベルティーアは直ぐに言葉を返すことが出来ない。その様子を見ながらソルカニスはさらに続ける。
「レイヴン王国は二年前、王都を奇襲した革命同盟軍との決戦に敗れました…決戦でレイヴン王が敗北しながらも生存し、敵を撤退させることが出来たのは、そこにいる第五軍団長のおかげでした…そのことは感謝しているのですよ」
突然話に出されて龍王達の視線が一瞬ユーリアに集まる。ユーリアは過去を思い出し体を強張らせたが、それに構わずソルカニスは静かに続ける。
「ですが本来ならばあの戦争には、龍王議会も無関係ではいられなかったはず…ですが結局あなた方は参戦せず、私達は聖地へと国を挙げて逃亡することとなりました」
その言葉は静かだが様々な感情が込められ、龍王達の、特に龍軍派の心に暗い影を忍ばせていた。
ソルカニスは龍王達を眼鏡越しに睨みながらさらに続ける。
「当時の龍王議会内で龍軍派が参戦を妨害していることは分かっていました、だからこそ私達の中にはあなた方を許せないと感じる者も多いのですよ」
どん、と円卓を叩く音が響いた。右手で円卓を叩いたソルカニスの瞳に、その言葉に劣らない程の憎悪が浮かび上がる。ユーリアとテュルクだけは当時を思い出し、その瞳に絶望や諦観が混ざっていることに気が付いた。
大きく息を吐き、ソルカニスが再び両手を組み、龍王達を見渡した。
「我々第三軍団は龍王議会への技術・軍事協力に対して正当な対価を求めます…対価が支払われず、王国が利用されるだけの同盟ならば、締結しない方が国益となりましょう」
最後にユーリアを一瞥すると、ソルカニスは言葉を終えた。場の空気には様々な負の感情が入り乱れていたが、それらの感情に任せた言葉を許さぬ程の意味が、彼の言葉には込められていた。
ノルトとベッコウは小議場の外、跪いたフィフス・ウィングに隠れる様に待機していた。ベッコウは眠そうに首を上下させ、ノルトは腕を組み周囲を観察し、特に第一城壁上の人軍に気を払っていた。レイヴン王国軍がこれほど近付いているというのに、城壁の兵士達は滞空しているリムではなく、見下ろして議場や街の方を警戒しているように見えた。
人軍の思惑を思案していたその時、城壁からこちらへ向かってくる集団が目に入った。十五人の人軍部隊とそれの中心にいる二人の人物。片方はユーリアと同じ黒い鎧のような強化装甲服を着ている女性の第三軍団兵士と思われ、そしてもう片方の姿を見るとノルトはフィフス・ウィングの陰から姿を現し、敬礼した。そして気付いていないベッコウを足で小突く。
「なんじゃ?」
居眠りを妨げられ不機嫌さを隠さないベッコウに、首の動きで歩いて行く部隊を示す。
「ブレンナーシュ中将だ、敬礼出来なくとも居眠りはやめとけ」
その言葉にベッコウはその部隊の方をじっと見つめた。小議場へと向かうその部隊は精鋭揃いであり、ブレンナーシュ以外にも見知った顔が数人いた。ノルトは通り過ぎて行くブレンナーシュから目を離さずに敬礼を続ける。ブレンナーシュは一瞬だけノルトへと視線を向け、何も言わずに、しかし真剣な眼差しで頷いた。小議場へとその姿が消えると敬礼を解き、ベッコウに声を掛けた。
「叔父さんのこと、思い出したか?ほぼ三年ぶりだったが…変わってねえだろ」
ノルトの言葉に頷き、しかし先程までと打って変わって真剣な口調で返す。
「あの赤毛か…なぜ人軍の将が今、小議場へ入るのじゃ?」
ノルトは答えず、周囲の観察に努めていた。滞空していたリムが移動を開始していた。北方の空に壁を作るかの如く整列していたリム達は四方へと散り、始原龍議場を取り囲むように配置転換しようとしていた。そして人軍達もそれには全く警戒せず、明らかに城壁の内側、議場の方へと視線を向けている。
ベッコウもその異様さに気付き、周囲を警戒しながら呟く。
「ノルトや、恐らくわしらと他の兵士とでは命令が違うようじゃな?」
「貧乏くじを引かされたな…」
肩を竦めるとノルトは覚悟を決め、腰の龍剣の位置と感触を確かめた。
「ふむ…レイヴン王国の内情も知れた所で、それを無視するわけにはいかぬ…か」
リベルティーアがソルカニスを見据えながら口を開いた。彼の感情も決して静まってはいなかったが、龍王議会という国には余力が無いということを彼自身が最も理解していた。そして第三軍団がそこに付け込んでいることも。
しかしヒストフェッセルら龍軍派は激情を抑えきれない。口々に『取引』の内容を否定し、その言葉は収まるところを知らなかった。ヒストフェッセルがソルカニスを睨み、一際大きな声で叫ぶ。
「ふん!貴様らが国を追われたのは連邦内の反乱因子を排除できなかった貴様ら自身の落ち度ではないか!ふん…貴様らの腹の内は透けたぞ!さては次期王位を得る為の手柄が欲しいのだろう?」
そしてユーリアに視線を向ける。その言葉にユーリアはたじろぐ。
「第三軍団長にしろそこの小娘にしろ、要は自らが王位に就く為の功績が欲しくて、後ろ盾が欲しくて龍王議会を利用し支配しようとしている!」
「口を慎めヒストフェッセル!」
リベルティーアが制止するも、ヒストフェッセルの言葉は止まらない。周囲の龍王達は制止することもできず、その心もヒストフェッセルの言葉に動かされつつあった。
ヒストフェッセルはリベルティーアにその狂気の目を向けて続ける。
「我々龍には龍の秩序があった!それを弱く愚かな人と、それを支持する貴様らが壊した!レイヴン王国と貴様ら人軍派が今の危機を招いたのだ!」
その言葉にリベルティーアの表情が怒りに歪む。しかし他の龍王達はそれを否定しようとはしなかった。その様子を見たソルカニスは不気味にも笑っていた。
ユーリアにも場の険悪な雰囲気は痛い程に伝わっていたが、どちら側にどう味方をするべきなのかが解らなかった。隣のテュルクを見ると、線石から現れたその姿は目を瞑り、眼前の言い争いに呆れ、目を背けたがっているようだった。しかしユーリアの視線を感じて瞳を開くと、一息吐いて口を開く。
「第三軍団にしてやられたかもしれませんね…第五軍団を動かさなかった以上、私達の方があらゆる面で行動に制約が掛かっていますから、この場で第三軍団を止める術はありません」
その口調は静かで怒りも後悔も無く、その線石の中では次に取るべき行動を計算していた。ユーリアは彼女の言葉を聞くと視線を円卓へと戻し、吐き捨てる様に言う。
「大軍を率いて国境を越える、そんな戦争を仕掛けるようなことは出来ない…」
円卓では未だに言い争いが収まっていなかった。テュルクはその様子を眺めながら、静かに語る。
「ですがサードビーストも戦争をしに来た訳では無い筈です…既に西方と北方に戦線を持つ王国をさらに不利にするようなことは考えていないはず…」
ソルカニスは龍軍派と議長の言い争いを不気味な笑顔のまま眺めていたが、その表情が一瞬崩れたことをユーリアは見逃さなかった。真剣な眼差しに満足げな口元は笑顔よりも不気味に思えた。
「無意味な言い合いだけでは時間の無駄です、最初に申し上げたでしょう?時間は有限であると」
ソルカニスはそう鋭く言い場を制すと、立ち上がると龍王達とユーリアを見渡し、言葉を続ける。
「意見を総括しましょう…この場にいる龍王の中で我々第三軍団との『取引』を了承する意向の方は?」
その言葉に誰も賛同せず、真っ先にヒストフェッセルが噛みつく。
「ふん!我々は断固拒否する!我々は国土を売り払うような売国奴ではない!」
ソルカニスはその言葉に表情を変えず、リベルティーアを見据え返答を促す。リベルティーアはしばらく瞳を閉じ、気持ちを落ち着かせる。皆が言葉を待ち、議場に静けさが戻った。
そして大きく息を吐き、ヒストフェッセルとは対照的に静かに答える。
「龍王議会が貴国に依存してきたことは認めよう、しかしこの『取引』は国の指導者として承諾しかねる」
その答えに意外でも何でもないように頷き、それでもソルカニスは不敵な微笑みを崩さない。
「では龍王の皆様は『取引』に反対ということで…」
「ふん!我らの意向が龍王議会の意向だ!貴様らに渡す領土は無い!」
ヒストフェッセルは敵意を隠さずに叫ぶ。再び議場が静まり返るが、ユーリアは議場の外から複数の足音が聞こえることに気付いた。
ソルカニスにもその足音が聞こえたのだろう、リベルティーアが否定しないのを確認しつつ言い放つ。
「ですが我々との取引に賛同する指導者もいるのですよ」
そして扉へ振り向くと同時に、議場の扉が開いた。
議場の前にはフィフス・ウィングとソルカニスのリムが距離を置いて跪いていた。議場へ入ることが出来なかったノルトはフィフス・ウィングの見張りに徹していたが、そこへ三機の飛行型リムが接近してきた。
三機の接近を見るとノルトはその前に姿を現した。三機の内の一機が跪き、胸部のハッチが開くと中から鞄を右肩にかけた華奢な男性の軍人が出て来た。機体にも軍服にも三つ首の狼の紋章があしらわれている。ベッコウは足元で居眠りしている。
その華奢な軍人はノルトを見ると笑顔で敬礼し、親し気に話し掛けて来た。
「ああ、話にあった人軍の方ですね?フィフス・ウィングの見張りご苦労様でした」
ノルトは警戒していたが、予想外の相手の反応に内心驚き、しかし敬礼を返した。無言のノルトの不思議な表情を察したのだろう、華奢な軍人は続ける。
「ブレンナーシュ中将からユーリア王女が乗らないように見張りを付けていると、先程聞いたのです」
爽やかな笑顔から不穏な言葉が紡がれる。ノルトは不審に思われぬように自然と敬礼を終え、彼に話を合わせる。
「中将から…ここから先はあなたに任せても?」
その言葉に華奢な軍人は頷く。その間にも始原龍議場の上空では飛行型リムが陣形を整えつつあった。
「ええ、ですが話を聞いているのならば念の為、私達が機体を回収するまでここで周囲を警戒していてください…人軍の中にはまだ我々に抵抗のある方もいると聞きますから、不穏な動きがあれば連絡をお願いします」
そう言うと彼はフィフス・ウィングに歩み寄り、鞄を降ろすとその中から通信機のようなものを取り出した。そしてそれを操作し始めたが、ノルトには何をしているのかがわからない。
華奢な軍人は善人で暇で説明好きなのだろう、興味を持つノルトに対して説明を始める。
「これは外部からハッチのロック解除を行う機械です、全てのリムは外部からハッチを開く場合に登録してある操縦者の接触が必要なのですが、この機械を使えば時間は掛かりますが、誰でも外からハッチを開くことが出来るのです」
その言葉通り、機械はせわしなく動いているが、ハッチはまだ開かない。華奢な軍人はさらに続ける。
「本当は航空機からワイヤーを繋ぐなりして回収できれば良いのですが、このリムは飛行型ではありませんから重量が途轍もなくて…誰かが乗って回収した方が確実なのです」
ノルトは本心からその話に対して頷き、自分から尋ねた。
「ハッチさえ開けば、誰でも操縦できるのか?」
その言葉に華奢な軍人は素直に頷いた。
「当然です!リムは基本的に誰にでも使える『義体』として設計されていますから、私でも貴方でも操縦できますよ」
楽しそうに説明する男の言葉に心底感心しつつ頷くと、ノルトは周囲を警戒する振りをしながらベッコウの元へ戻り、つま先で甲羅をつついて優しく起こす。
ベッコウはいつもとは違う起こし方に無言で目を覚ますと、目の前でフィフス・ウィングに機械を向けている華奢な軍人に気が付いた。そしてノルトを見上げ小声で話し掛ける。
「…奴はなんじゃ?」
「ユーリアのリムを回収するつもりらしい」
ノルトも小声で返す。周囲を警戒すると防衛軍の飛龍部隊の咆哮が聞こえた。ベッコウが素早く、小声のままそれを聞き分ける。
「敵襲の咆哮か…!」
直後飛龍部隊が空へと飛び立ち始めた。そしてノルトはベッコウを素早く背負うと華奢な軍人の元へ戻り報告する。
「今の飛龍の咆哮は敵襲を意味するものです!」
華奢な軍人はその言葉に表情を微かに歪める。
「龍軍に勘付かれましたか…我々第三軍団も出来れば戦闘は避けたかったのですが」
「面倒なことになったな…」
華奢な軍人と話を合わせるノルトが空を見上げると既に戦闘が始まっていた。飛び上がった飛龍部隊が第三軍団のリムに襲い掛かかり、第三軍団が距離を取りながら反撃する。随伴してきていた二機の飛行型リムが飛び立ち、その戦闘に加勢した。
射撃音と飛龍の咆哮が再び首都の上空に響き渡った。華奢な軍人の耳に付けられた小型の通信機から音声が内容を聞き取れない程、微かに漏れ聞こえてくる。華奢な軍人の表情が焦燥に当てられてゆく。
上空の戦闘は激化の一途を辿っていたが、革命同盟軍との戦闘と違い、両軍ともに地表への被害を出さないように戦っているのは明らかだった。飛龍も飛行型リムも高度を増しながら戦っている。
ノルトとベッコウが激化してゆく上空の戦闘を眺めていると、華奢な軍人の歓声が聞こえてきた。見るとフィフス・ウィングのハッチが開き、軍人は小さくガッツポーズを決めていた。
しかし直後に上空で大きな爆発音が響いた。見上げると空中要塞が首都上空へ迫り、飛龍部隊がブレス攻撃を浴びせ砲台の一つを破壊していた。それを見た華奢な軍人が息を呑むのを見て、ノルトは叫んだ。
「これは俺が操縦して回収する!あんたは自分のリムに乗るんだ!」
ベッコウを背負って軽々とハッチまで登ったノルトを見上げ、華奢な軍人は慌てて答える。
「わ、わかりました!」
そう言うと自分の飛行型リムへと走り、飛び乗った。ノルトの言葉を不審がることも無い。
ノルトは操縦室に入るベッコウを操縦席の下へ滑り込ませてハッチを閉め、ユーリアがやっていたように操縦席の手すりを引き上げ、操縦肢へと体を固定する。
「うおっ!?」
そして操縦肢が両腕両脚に纏わりつくような感触に思わず悲鳴を上げる。ジェルのような液状のものが鎧を越えて皮膚に触れる感触に一瞬背筋が凍る。しかしその感触はすぐに消え、操縦室内に機械の音声が響く。
「視覚共有機器が接続されていません…メインカメラからの視覚情報を室内モニターへと投影します」
そして操縦室の壁が輝き、外の光景が映し出された。
「なんじゃあこれは…まるで外に居るみたいじゃ…」
ベッコウが驚愕の声を上げる。ノルトは状況の把握に忙しく声が出ない。龍王議会の二人には魔法のようにも思えた。
その時、二人の前で跪いていた飛行型リムが立ち上がった。ノルトもフィフス・ウィングを立ち上がらせる。顔を右手へ向けると機体のカメラも右手へ向く。思い通りに動く機体に思わず笑みが零れた。
突然操縦室内に華奢な軍人の声が聞こえて来た。
「大丈夫ですか?思わず肯定しましたけど、操縦の仕方は解りますか?」
その優しい言葉に、ノルトは自然と言葉を返す。
「ああ、ユーリアの操縦を見てたからな」
「それならばよかった…え!?」
華奢な軍人は最初は納得し、すぐに疑問を返した。ノルトは相手の反応よりも早く両脚に力を込めると議場前の地面を蹴り、目の前のリムに飛び掛かった。華奢な軍人のリムは咄嗟に両腕を前で交差させ防御態勢に入ったが、ノルトは相手の目前で左足を地面に突き立てると右の回し蹴りを放った。回し蹴りを受けたリムはあっけなく吹き飛ばされ、派手な音と共に地面へと倒れ落ちた。通信で華奢な男の悲鳴が聞こえてくる。
外で爆音と飛龍の咆哮が響き渡る中、しっとりと雨が降り始めた。操縦室の壁に映し出された映像上で大粒の水滴が流れ落ちて行く。通信機から華奢な軍人の声が聞こえてきた。
「くぁ…人軍にリム操縦者がいるなんて…」
そして本物の人のように痛そうに立ち上がる。ノルトは周囲の様子、特に小議場の出入口を気にしながら目の前のリムと会話する。
「さっきお前が俺でも操縦できるって言ってただろ?それで確信が持てたんだよ」
その言葉に目の前のリムが肩を落とす。通信機からはそれに合わせて溜息が伝わってきた。
「そう言えばそうでしたね…私はなんでいつもこんな…」
その悲壮な声を遮るように、通信機から自信に溢れた声が響く。
「ラビフェルス!反省するなら部屋に引き籠ってやれ、戦場で動きを止めるな」
同時に二人の上空を光線が横切り、急降下してきた飛龍を直撃した。飛龍は悲鳴を叫び墜落し、起き上がろうとしてそのまま倒れ伏した。
「は、はい!」
ラビフェルスと呼ばれた華奢な軍人は慌てて答えると、光粒子エンジンを起動させて上空へと飛び去った。それを追うように視線を上げたノルトの目に、光線銃(コミティス)を構えたフィフス・ウィングと同型のリムが滞空している姿が映し出された。その機体には肩部背面に四基、脚部に二基の計六機の光粒子エンジンが搭載され、重量級のリムを支えていた。
そのリムからだろう、通信機から自信に溢れた声が続けて聞こえてくる。
「上空から貴様の操縦を見ていたが、いい動きだ!人軍が貴様のような精兵揃いであるのならば、俺達第三軍団にとって今回の『取引』は大儲けだな」
その言葉でノルトは様々なことに確信を持った。そして相手の声に気迫で負けないように、通信機に向かって叫ぶ。
「第三軍団の狙いは人軍によるクーデターか!議場に入ったブレンナーシュ中将がその実働部隊だな?」
その言葉を聞いた相手のリムがにやりと笑ったように思えた。上空の戦闘は第三軍団が明らかに優勢であるが、第三軍団も飛龍へととどめを刺すことはせず、負傷させられた飛龍が次々と戦線を離脱し始めていた。空中要塞の周囲から飛龍は撤退させられ、空中要塞は今はもう攻撃を受けていない。第三軍団の力は圧倒的だった。
ノルトは相手のリムの周囲を四機のリムが飛び回りながら警護していることに、ふと気が付いた。機体の形が違うだけでなく、搭乗者の位も違うことが見て取れた。
「…私は龍王議会人軍ノルトウィント…お前は、誰だ?」
その言葉にその機体が降下してくる。ノルトは警戒して身構える。そして着地すると同時に相手からの通信が入った。
「俺はレイヴン王国軍第三軍団長のサードビースト、ユーリアの兄の一人って言い方が解りやすいか?」
開いた扉から武装した人軍の兵士達が飛び込んできた。そして二人の兵士がそれぞれ扉の左右に立つ人龍の兵に殴り倒して銃を向けて制圧し、残りの兵は前衛六人が龍剣を抜き、後衛七人が銃を中央の円卓へと向けて龍王達を制圧する。ユーリアの反応は素早く、テュルクの線石を右脚の格納スペースに収め、刀と龍剣を構えながら立ち上がる。隣のピウスローアも立ち上がると腰に収めていた短剣を抜き取った。
「クーデターか!」
龍王達は不意を突かれたがリベルティーアの叫びで彼をを中心に円卓を挟んで人軍兵士達と対峙する。そして兵士達の後ろからブレンナーシュ中将が現れた。その姿を見たヒストフェッセルが叫ぶ。
「ふん!ブレンナーシュか…生身の人が人龍たる我らに適うと思うてか!」
「ヒストフェッセル様…今レイヴン王国と手を組まない手はありません、時代は…変わっているのだ!」
最後は叫ぶようにブレンナーシュは答えた。そのあまりの気迫に龍王達は息を呑む。ブレンナーシュ中将を一瞥したソルカニスがユーリアへと向き直る。
「ユーリア様、これは第三軍団と龍王議会との間の『取引』です」
ソルカニスの静かな言葉が響く。そして同時に開かれた扉から銃撃音や飛龍の咆哮が聞こえて来た。ソルカニスはユーリアを見つめ、あくまで冷静な口調で続ける。
「第五軍団長とはいえ邪魔をするのであれば、こちらも相応の対応を取らせていただきますよ?」
「我ら第五軍団もレイヴン王国と龍王議会間の同盟締結を確約している!クーデターでそれを消滅させるわけにはいかない!」
言葉を被せる様にユーリアは叫んだ。その鋭い声と表情は、今にも刀を抜く覚悟があることを物語っていた。
しかしその時、扉の外から人龍の兵士が文字通り飛び込んできた。扉の外を守っていたその兵士は円卓を挟んで睨み合う人軍の兵士達と龍王達を飛び越え、部屋の最奥の壁に背中から叩きつけられてようやく止まった。そして呻き声も無くどさっと鈍い音を立てながら床へ落ちる。
「『人龍』ってのがどれほど強いのか期待してたんだけど、案外人と大差ないのね?」
そう言いながら背の低い女性が入って来た。彼女はユーリアと同じくレイヴン王国製の強化装甲服に全身を包んでいる。そしてその右手で、もう一人の番兵の胸倉を掴み持ち上げていた。
その様を見たソルカニスは溜息を吐く。
「黒鼠、もう少しいい人に見えるような登場は出来ないのですか?」
「クーデター誘発させたあんたが何言ってんだ?」
黒鼠と呼ばれた女性は呆れた声で返す。しかしその直後にヘルメット越しに笑い声が響くと、右手に持った人龍兵士を同じように放り投げる。
そんな中リベルティーアは真剣な眼差しで、冷静にブレンナーシュへ語り掛ける。
「既に我々はユーリア王女と新同盟締結について合意していた…知らなかった訳ではあるまい?」
その言葉にブレンナーシュは重々しく頷き、努めて冷静に、淡々とした口調で答える。
「はい、しかし今の首都防衛軍では眼前の第三軍団を抑えることは出来ず、また龍王議会側の前線の崩壊は時間の問題であり、聖地側からのレイヴン王国軍の攻勢をもってしても前線で戦う人軍と龍軍が包囲殲滅される恐れもあります…」
言葉の節々にブレンナーシュの苦悶が滲んでいた。ソルカニスも黒鼠も二人の会話を邪魔せず、二人の会話の行く末を観察していた。
静けさの中、ブレンナーシュが続ける。
「今、龍王議会北方に展開している王国軍第三軍団が龍王議会側の戦線に参戦すれば、人軍龍軍に関わらず多くの同胞の命を救うことに繋がるのです…そして我々戦争における『弱者』が戦いに身を置く以上、痛み無くして勝利することなどありえませぬ」
ここまで言うとブレンナーシュはユーリアに向き合い、頭を下げた。
「ユーリア王女には新同盟の締結交渉だけでなく、アハトの防衛に昨日の首都防衛戦でも助力頂いた恩がある…しかし最前線で戦う我が戦友達を救う為には、一刻の猶予も残されていないのだ…」
頭を下げたまま声に綴られた言葉に、ユーリアも反撃の言葉を失った。外から漏れ聞こえる咆哮も小さくなる中、ソルカニスが口を開く。
「新政府との同盟締結交渉は我々第三軍団が行います、ですのでユーリア王女はもう…用済みです」
そう言うと眼鏡の淵を微かに触った。それが合図にだったのだろう。黒鼠が一瞬身構え、ユーリアに飛び掛かった、その両手に無骨な機械の爪を生やしながら。
ユーリアの反応も素早く、引かずに同様に黒鼠に飛び掛かった。右手に刀、左手に龍剣を握りしめ、間合いに入ると同時に振り抜く。黒鼠が爪でガードした瞬間を狙いその胴体を左足で蹴り飛ばし、再び向き合う。二人は視線が銀の針で縫い合わされたかのように睨み合った。黒鼠が叫んだ。
「もう外は制圧済みだ!あんたのリムも回収してある、王位は…諦めろ!」
「そうはさせん!」
リベルティーアが右手をかざすとその掌底から、龍のブレスと同じ光が射出された。黒鼠は咄嗟に右腕で防御するも衝撃で吹き飛ばされ、壁に激突する。
ソルカニスがリベルティーアを睨みつけ、席から立ち上がり囁くように言い放つ。
「余計な手出しは身を危険に晒しますよ?」
しかし次の瞬間ヒストフェッセルがブレスを吐き出し、ソルカニスは間一髪で円卓の陰に隠れ躱した。
「ふん!まるで既にクーデターが成功した体で話しおって…人の本質はまさに今の貴様らのように、卑怯かつ愚かで醜悪だ…昔から何一つ変わっておらんわ!だからこそ我ら龍が統べるのだ!」
その二人の行動に他の龍王達も覚悟を決めたようだった。次々とクーデター軍にブレスを射出し、龍剣でブレスを受け止める兵士達をじりじりと後退させてゆく。混沌とし始めた議場にブレンナーシュの声が響く。
「撃つな!ユーリア王女にも手出し無用!」
後衛の銃を構えた兵士達はブレンナーシュに制されて発砲せずに議場の外へ退去する。
「ブレンナーシュ中将、どういうつもりですか?」
ソルカニスの言葉に、ブレンナーシュは場の雰囲気に合わない程に至って冷静に答える。
「龍王議会は新政府になろうとも龍との共存の道を歩み続ける、罪無き国民と救世主に武器を向けるわけにはいかないのでね」
「…成程、信頼の置ける新政府のようですね」
そう言って外へと逃れた言葉は皮肉か本心か、眼鏡で表情を隠すソルカニスの真意を読み取ることは、その場にいる誰にも出来なかった。しかし黒鼠が倒れた隙を突いて龍王達が攻勢に出て、リベルティーアがユーリアへ向けて叫んだ。
「ユーリア王女!我らが退路を開く!王国へ戻るのだ!」
ユーリアはその言葉に頷き、ピウスローアと共に龍王達に続いて扉へと駆け出す。よろめきながらも立ち上がった黒鼠が再びユーリアに飛び掛かろうと身構えると、その前にリベルティーアが立ち塞がった。
「我々人龍が弱いと不満を言っていたな?」
そう挑発すると正面から右掌のブレスを浴びせ続ける。黒鼠は両腕を交差させ、それを防ぎ続ける。強化装甲に守られた両腕は赤熱することなく、リベルティーアのブレス攻撃を受け流す。
ユーリアは退路を開く龍王達の後を追いながら振り返り一瞬立ち止まったが、ピウスローアがその右腕を力強く掴むと外へと連れ出していった。
「番兵が雑魚だから見た目だけだと思ってたけど…」
熱は強化装甲で防げても、ブレスの衝撃を両脚の踏ん張りで耐えている黒鼠の声には言葉程の余裕が無かった。ブレスが途切れるとすかさず爪を構えて飛び掛かったが、その反応を予測していたリベルティーアは入れ替わりに左掌底を突き出し、黒鼠の小さい体の勢いを殺し、そのまま押し飛ばした。
黒鼠は再び壁に叩きつけられたが、強化装甲のおかげで体にダメージは無く、すぐに立ち上がるとリベルティーアと睨み合う。リベルティーアは未だに傷一つ追わずに余裕の表情である。既に二人しか残っていない議場の中で、黒鼠は溜息を吐くと目の前の議長に話し掛けた。
「何故、逃げない?何故、あんたが私と戦っている?議長は戦うのが仕事ではないだろう?」
リベルティーアはその問い掛けに軽く鼻を鳴らし、微笑みながら、しかし真剣に答える。
「私が逃げては、新政府への政治の受け渡しが難しくなるだろう?私はブレンナーシュ中将、そしてシュタルト大将を信頼している…彼らにならば今の龍王議会の舵取りを任せられる」
話し続けるリベルティーアからは諦めや後悔といった負の感情は微塵も感じ取ることが出来なかった。
「ならば政権を私自ら譲渡することで、国内の混乱も多少は抑えられるのではないかと思ってね」
その言葉に黒鼠は自らの右手を眺め、しばらくすると首を振り、爪を手の甲に格納した。戦意を失った黒鼠に対してリベルティーアは穏やかな口調で続ける。
「君と戦ったのは王女が逃げる時間稼ぎもあるが、人龍の力を第三軍団に多少なりと見せつけて、新政府が同盟を結ぶ際に龍王議会側へ有利に運ぶ材料を増やしたかった…というのが本音だ」
黒鼠はその言葉に微かに笑い声を漏らした。そしてもう戦意は無いと言わんばかりにヘルメットを取り左脇に抱えると、その微笑みをリベルティーアに見せながら言葉を返した。
「サードビーストには、あんたが滅茶苦茶に強かったって報告しといてやるよ」
「『サード・ビースト』!全く、あれほど待機しておくように念を押したというのに…」
議場から出たソルカニスは降りしきる雨も気にせず、フィフス・ウィングと対峙する機体『サード・ビースト』を見上げて呟く。その間も足を止めることは無く、自らのリムのハッチを開けると飛び乗った。
「サードビースト様!ソルカニス帰還しました!」
操縦肢に体を固定すると通信機を起動して報告する。そして眼前のフィフス・ウィングから逃げる様に機体を飛び立たせた。その後を追うように小議場からユーリアと龍王達が人軍の兵士達を押し出すように脱出したが、小議場を取り囲むリム部隊を前に立ち竦む。
「お疲れさん!『取引』は…万事上手くいった、というわけではなさそうだな?」
サードビーストは議場の前に立つ龍王達を眺めながら言葉を返した。その言葉にソルカニスは議場内部で起きたことを簡潔に説明する。
「クーデター自体は上手く行きましたが、新政府には龍王達を取り締まる気も無ければ、ユーリア様の身柄を巡って我々と協力する気も無いようで、議場内で仕留め損ないました…黒鼠が内部で前議長と戦闘状態にあります」
「人軍の協力があったとしても生身でユーリアに勝つのは無理だ」
その声には驚きも焦りも無い。予想通りの事柄を受け止め、当然のことを話しているだけの口調だった。今度はサードビーストが報告する。
「外でも予想外の介入でフィフス・ウィングの確保に失敗した、乗っているのは人軍の兵士だ」
「…ノルトウィントって名前教えたけどな?」
「はっはっは!まあそういうことだ」
突然通信にノルトの声が割り込んできた。ソルカニスは驚いたが、サードビーストが対峙する敵に親しげに笑って答えたことに苦笑いし、溜息を吐いた。そして咳払い一つで調子を整え、通信機に向かって冷静に話し掛ける。
「…軍団長のお遊びはそこまでにして、その機体を今すぐに引き渡して頂けますか?」
その言葉にサードビーストの素早く息を吸い込む音が聞こえた。それを気にせずにノルトは答える。
「後ろの第五軍団長にか?」
その刹那、サードビーストの機体が地を蹴り、六基の光粒子エンジンが爆発するかのように光を噴出した。そして間合いを一瞬で詰めて右脚を突き出し、フィフス・ウィングに蹴りかかった。
ユーリアと龍王達の目の前で王国製リム同士の戦闘が始まった。サードビーストの初撃の飛び蹴りをフィフス・ウィングは右掌で蹴りの軸を逸らしながら反動で体を傾け、軸から外れるとそのまま右掌で相手を弾き飛ばした。フィフス・ウィングもそのまま反動で右へと体を転がし身構える。サードビーストは六基の光粒子エンジンを全起動させて無理矢理空中へ飛び立ちながら体勢を整え、議場の目の前まで迫っていた空中要塞を軸に旋回し、再びフィフス・ウィングへと迫った。
二機の拳が激突したその時、突然ヒストフェッセルが上空へ向けてブレスを吐き出した。ユーリアがそれを見上げると、街の各地から飛龍の咆哮が上がり、戦意を失っていた飛龍達が再び飛び立ち、議場の上空へ殺到した。
「ふん!こんなところで龍の治世を終わらせてたまるか!今は逃げるが…わしは最後まで、死ぬまで抵抗する!」
上空で再び飛龍とリムの戦いが始まり、九体の飛龍が龍王達の元へ駆けつけた。八人の龍王が次々と飛龍に跨る中、ピウスローアは小議場の扉を見つめていた。そんなピウスローアにヒストフェッセルが叫ぶ。
「ふん!奴なら来んぞ!人へ政権を売り渡す算段でもしとるのじゃろうて…それがあの無能な議長が最後に出来る大仕事じゃ!その飛龍はお前が乗る為のものじゃ、ピウスローア!」
その言葉にピウスローアは残された飛龍の背に飛び乗った。そしてユーリアへ向き直り叫ぶ。
「ユーリア様も共に脱出しましょう!こちらへ!」
「わかった!」
ユーリアは即答して駆け寄る。しかし上空からの銃撃を察知し、議場側へと飛び退いた。そしてユーリアを狙った銃撃が爆ぜて水しぶきを上げて地面を抉り、ピウスローアが驚いて悲鳴を上げる。
躱し切ったユーリアが刀を構えて上空を見上げると、周りの戦闘を意に介さずにユーリアと龍王達を見下ろすソルカニスの機体が、右腕に内蔵された銃口を地上へと向けていた。降り注ぐ冷たい雨を滴らせながら、二人は睨み合った。
「生身で戦闘用、しかも飛行型のリムと戦うなど自殺行為…ですが、貴女だけは例外として認めざるを得ません…」
ソルカニスの震える声が機体の外部スピーカーから響き渡る。その銃口は龍王達にも向けられており、龍王達も飛龍に跨ったまま飛び立てずにいた。
雨の音を貫くように、サードビーストとノルトがリム越しに拳をぶつからせる音が響いている。そんな中、ユーリアの右脚に収納されたテュルクが姿を現さずに囁く。
「ユーリア、私がリムを実体化させて脱出を援護します、動きは昨日と同様に…分かりますね?」
ユーリアは敵機を見上げながら微笑み、静かに頷いた。
ソルカニスはユーリアと対峙しながら、二年前の王都決戦の光景を思い出していた。革命同盟軍の飛行型リム部隊が王都を奇襲し、レイヴン王と防衛軍が敗れた戦いで人のまま戦い、重傷を負いながら敵部隊を撤退させたユーリアの姿を。
ただ、溜息が零れた。自らが正しいと考える行動の残酷さは耐え難かった。
「貴女は我々の救世主です…ですがサードビーストが王位に就く為には、この上ない障害なのですよ」
その溜息が、言葉が、スピーカーを通じて外のユーリアへと伝わって行く。彼女はこの絶望的な状況でもその顔に笑みを浮かべていた。ソルカニスは銃口をユーリアの顔へ定める。そして心の中で微かに願った。
(…再び奇跡が起きてくれるなら、彼女はまた、生き残れるでしょうか…)
「始原龍ハイマートに複数の高濃度光粒子反応!」
それは全機に向けて発信された、空中要塞で待つ空猫の悲鳴のような報告だった。ソルカニスの視線がユーリアから議場東側の始原龍に移る。同時にサードビーストが全機向けの通信で叫んだ。
「全機攻撃中止、防御壁展開!」
ソルカニスも反射的に防御壁を展開した。同時にハイマートの岩のような表面から無数の光線が放たれ、的確に第三軍団のリムへ着弾した。サードビースト、ソルカニス両機にも着弾し、防御壁ごと吹き飛ばす。その隙を龍王達は見逃さなかった。
「飛べ!東へ…『龍の頭』まで飛ぶのじゃ!」
その声を合図に九体の飛龍が一斉に飛び立ち、あっという間に上昇してゆく。ピウスローアの駆る飛龍だけが低空に留まり、ピウスローアはユーリアへ手を伸ばし叫んだ。
「ユーリア様、早く!」
ユーリアは右脚からテュルクの線石を取り出し、飛龍へ向けて跳び出すと同時に線石を空中へと投げた。ユーリアがピウスローアに抱き留められるのと同時に線石が一際強く輝き、テュルクの声が響く。
「『タクスィメア』ホログラフィック展開!」
線石から延びた光の線が光粒子エンジンの翼を持つ巨大なリムの姿を一瞬で形取り、さらにテュルクの声が響く。
「ホログラフィック展開完了、ホロフィウム展開開始!」
光の線が濃度を増し、巨大な機体が薄い光の膜で形作られた。そして機体の操縦席に当たる場所にテュルクは姿を現し、半透明な機体越しにサードビーストを見下ろす。
「『タクスィメア』展開完了!私が相手をします!」
そう宣言し、翼から無数の光線を射出した。サードビーストは飛び立ちそれを回避すると、右腕に光線銃(コミティス)を出現させて放った。しかし光線はタクスィメアに当たるとそのまま吸収され、機体の濃度が増したように見えた。
飛行しながら距離を取るサードビーストにノルトから通信が入った。
「じゃあ、俺は王女と一緒に逃げるから…またな!」
「ああ!再戦するまで死ぬなよ?そして死なせるなよ!」
もはや好敵手となった二人はそれで通信を終えた。ノルトは東へと走り出して城壁を飛び越えて見えなくなり、サードビーストはテュルクの相手でそれどころではなかった。防御壁で直撃する光線を防いではいたが、重量級の機体を無理矢理飛ばしていることによる機動力の差と飛行時の操縦技術の差が大きく、そう長くは持たないことは明らかだった。
空中要塞を盾にするようにその周囲を旋回しながら上昇するサードビーストを、テュルクは執拗に追撃した。他のリム部隊も軍団長を見捨てるわけにはいかず、テュルクへ殺到した。
「ふぅ、これだから軍団長は空中要塞に居ろとあれ程…」
始原龍議場の屋上へ退避していたソルカニスは、飛龍達が東の空へ逃亡する様子を眺めながら呟いた。空中要塞の周囲を回りながらテュルクに追い回されているサードビーストに聞こえる様、通信機は繋げてある。雨はいつの間にやら止んでおり、通信を阻害するものは何も無かった。
「わーるかったなー!」
通信機から第三軍団長の反省していない声が聞こえた直後、爆発のような音と共に通信が途絶えた。見るとサード・ビースト肩部背面の光粒子エンジンが一つ輝きを失い、黒煙を上げているのが確認できた。バランスを失ったサード・ビーストが首都への墜落を免れようと、北の平原へ向かって直進してゆくのを最後に、その姿は城壁の向こうへと消えていった。救援に向かうリム以外はテュルクの機体へ攻撃を仕掛けるが、主兵装の光線銃は効いている様子は無く、機動力にものを言わせて追撃部隊を振り切って東の空へと飛んでいった。
ソルカニスは再び溜息を吐くと相手に聞こえているのかわからないが、通信機へ向けて話し掛ける。
「あの重量の機体を無理矢理飛ばそうとするからそうなる…これに懲りてロマンに溢れた兵器製造計画も諦めてくれれば、軍団の財布を預かる私にとって有難いのですが…」
その口調は優しく、それが無理な話であることは、サードビーストとの付き合いの長いソルカニスには解っていた。東の空を見ると既に飛龍達の姿は確認するのが困難な程遠く小さく見え、ユーリア達が無事に落ち延びたことを証明していた。それは仕事上は失敗であったが、第三軍団の誰もが望んでいた最高の失敗でもあった。
ソルカニスは頭を振って気持ちを切り替えると機体を飛翔させ、これからの龍王議会との交渉や本国への報告内容などに頭を働かせながら、空中要塞スタブルムへと帰還していった。
ハイマート城の操舵室から外での戦闘の一部始終を眺めていたクレスは、瞳を閉じてハイマートに語り掛けた。
(ハイマート、無茶なお願いをきいてくれてありがとう…)
クレスは心に歓喜と罪悪感を同時に抱きながらも、願い通りに戦ってくれたハイマートに、心の底からの感謝を述べていた。クレスの心にハイマートの得意そうな笑い声が響く。
(はっはっは…案ずるな、これはユーリアと敵として対峙していた者の願いでもあった…誰も死んでおらず、咎める者はおるまいよ…だがやつらから訊かれる時の説明は、全て任せた…)
その言葉にクレスは「はい…」と呟きながら、涙を一筋流して頷いた。
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