龍王議会議長補佐官 ピウスローア

 それは頭上の星空を貫く、美しく輝く光景だった。

 第五龍暦二千百三十年九月二十三日深夜。リベルティーア龍王議会議長は、眼前に再現された『ステラ・トロヌス』を見上げ、その美しさに言葉も無く圧倒されていた。周囲にいる他の龍王達も同様で、海上都市を知るテュルクとユーリアのみが光に照らされた顔に笑みを浮かべていた。

(実物を残さず希望だけを残すとは、回りくどいがペルセヘルらしい…)

 クレストーアの心に微かに響く始原龍ハイマートの呟きは、海上都市の幻影と共に消えていった。


 翌二十四日早朝。緊急議会を終えたリベルティーアはテュルクとユーリアを議長室へと呼び出し、議決された龍王議会とレイヴン王国との同盟に関する覚書を交わした。正式な同盟締結にはレイヴン王の承認が必要な為、ユーリアとテュルクに出来る同盟締結へ向けての行動は、全て終了したことになる。

「この同盟が、一刻も早く正式に発足することを願っているよ」

 リベルティーアはそう言うと、目の前に立つユーリアと笑顔で握手を交わす。鱗に覆われたその手は固く、しかし大きなその右手は優しくユーリアの右手を握りしめた。議長室に集まっていた人軍派の龍王達が拍手で称える。

「この同盟は父王の望みでもあります、この覚書の書状が届けば、即発足されるでしょう」

 ユーリアの返答に軽く瞳を閉じて頷くリベルティーア。その場にいる全員が新たな同盟を祝福する中、議長室の扉が叩かれる。

 リベルティーアは一瞬怪訝な表情を浮かべたが、その叩き方が補佐官のものだと気付いた。ユーリアとの握手を終えると、扉の外へと声を掛ける。

「入ってよい」

「失礼します」

 短い言葉の後、一人の人龍の女性が入室した。両腕が鱗に覆われ、手はリベルティーアと同様に鱗に覆われ、鋭い爪が目立っている。顔は人と変わらず、大きな二つの瞳が外見に愛嬌を添えていた。背中まである髪を中程で束ねたその女性は、複数の書類を脇に抱えて、入室した直後に議長室に集まっている顔ぶれに息を呑み、慌てて頭を下げて退出しようとする。

「用事は済んだので御構い無く」

 ユーリアがリベルティーアから一歩身を引き、補佐官を呼び止めた。リベルティーアもその言葉に頷くと、真剣な眼差しで補佐官と向き合う。

「戦況の確認が終わったのだろう?この者らは味方だ…聞かれても構わん」

 その言葉に補佐官はその場で姿勢を正すと、軽く咳払いした後にリベルティーアに向き合う。

「分かりました…これまでに確認できた損害と、各地の戦況を報告します」


「ブレンナーシュ中将、ノルトウィント参上しました」

 ユーリアが議長室にて覚書を交わしていた同時刻、ノルトウィントは始原龍議場人軍司令本部に出向していた。昨日の首都防衛戦で敵機の標的となった四階建ての石造の建物は、損傷は激しかったものの、施設としてはまだ機能していた。その二階最深部、第二作戦本部室と銘打たれた部屋には、扉側に立つノルトウィントともう一人、赤い髪と整った髭の男『ブレンナーシュ将軍』が、何かの書類が散らばった机を挟んで立っていた。ブレンナーシュはその身なりからも、ノルトよりも相当高位の軍人であることが見て取れた。

 ブレンナーシュの背後には窓があるが、外はまだ暗く、部屋の照明が窓ガラスのひび割れを白く強調している。

「療養中に召喚してすまない…君に伝えるべき話が二つ程あってね」

 ブレンナーシュは力強い、しかし老いた声でそう切り出した。ノルトウィントは右肩の負傷を感じさせることの無い程に、自然に立っている。赤毛の男は表情を和らげると一つ目の話題に入る。

「先ずはユーリア王女の護衛、ご苦労だった…無事同盟締結の足掛かりを築くことが出来たのは、窮地に立たされている龍王議会にとって、数少ない朗報だ」

 その言葉にもノルトは姿勢を崩さず、頷くことすらできなかった。護衛とは言うものの、首都までの道のりに危険は無かった。そして、龍王議会領で最も危険な場所が首都であることを、ノルトも理解していた。ブレンナーシュが続ける。

「昨日の防衛戦においても、実質的に戦果を上げたのは人軍龍軍の中でも君一人だけだと言っていい状況だった…軍を率いる身としては、情けない限りだがね…」

 そう言うとブレンナーシュは俯き気味に視線をノルトへと向け、沈黙したままなのを確認して続ける。

「回りくどい訊き方は止めようか」

 ノルトは頷いた。そしてブレンナーシュの訊きたい事は予想がついていた。

「君に訊きたいのは、ユーリア王女が信用に足る人物であるのかどうかだ…それでレイヴン王国が信用に足るかどうかも判断できよう…」

 窓の外が僅かに明るくなってきた。ノルトは一度深く呼吸をすると、ブレンナーシュと対峙する。

「『レイヴン王国軍第五軍団長として』であれば信用は置ける…そう感じました」

 ノルトの言葉に、ブレンナーシュは右手親指で整った顎髭を撫でながら考える。

 ノルトはその様子を確認しつつ、言葉を続けた。

「ですが『一人の人として』であれば、共にいるテュルクの方が信頼に足ると考えます」

「ふむ…軍人としては信頼できるが、ユーリア王女個人は信頼に足る人物ではない…ということかね?」

 その言葉には数秒考える。ノルトも考え無しに、ユーリアとテュルクを評した訳では無かった。しかしノルトは、ハイマート城で感じた違和感が未だに拭えずにいた。

 考えたノルトは首を左右に振って続ける。

「まだ彼女について判断できるだけの材料を得ていない、ということです」

 それが今、確実に言えることであった。テュルクに関しては伝説から事前の知識を得ており、それと乖離した人物ではなかったと結論付けていた。

 ブレンナーシュは硬い靴の音を立てながら窓へと振り返り、顎髭を撫でながら思案していたが、軽く息を吐くと話題を進めた。

「解った」

 短く、しかし重々しい言葉だった。そして再びノルトを見据え、続ける。

「その判断を心に留めて、もう一つの話を聴いてほしい」

 張り詰めた糸のように緊張感のある言葉だった。ノルトの目つきも、自然と鋭くなる。

「革命同盟軍は昨日、首都奇襲攻撃に先んじて龍王議会領各地の要衝に対しても奇襲作戦を行っていた」

 ブレンナーシュは椅子に座り、机の書類の一つへ視線を落とす。昨日の戦闘に関する報告書である。

「そして首都防衛の飛龍部隊が各地へ援軍へ向かい、戦力が手薄になった首都を叩いた…」

 そして一枚の書類を手に取ると、それをノルトへと手渡した。それは昨日の各地の戦闘報告書であり、ノルトはある都市での戦闘記録に目を奪われた。ブレンナーシュの視線に答える様に、ノルトは口を開く。

「アハトでの戦闘はこちらの損害ゼロ、敵飛行型リム六機撃墜…龍王議会の戦果ではありませんね?」

 その言葉にブレンナーシュは満足そうに頷く。

「ご明察の通りだ…アハト防衛部隊からの報告では昨日、日の出と共に大霊峰を越えて来た巨大な『飛行船』と、二十機編成の飛行型リム部隊が姿を消して敵機を待ち伏せし殲滅した…とある」

 その内容は突拍子も無く不可思議なものであったが、それを成し得るだけの存在をノルトは既に知っていた。

「レイヴン王国軍ですか…」

「その通りだ…彼らはアハトにそのまま駐留し、各地方都市へ部隊を派遣しているらしい」

 ノルトは考える。レイヴン王国とは既に同盟を結んだ状態であり、今回新たに締結する同盟には互いの防衛する防衛協定も含まれている。レイヴン王国軍の動きはそれを先取りするようなものだが、報告内容には違和感もあった。レイヴン王国軍の駐留先の都市は首都から離れている場所ばかりで、各都市に十機程度であり、総数は百機にも満たない。龍王議会への単純な援軍とは思えなかった。

「援軍にしては数が少なく、首都を避ける様に派遣されていることが不可思議です…まるで始原龍議場を包囲しているかのような配置に見えます」

 ノルトの言葉に、ブレンナーシュは溜息と共に頷く。不安や心労が隠されることなく、その表情に現れる。

「アハトへ進駐しているのは王国軍第三軍団の部隊、それも軍団長直々に率いる精鋭部隊だという」

 ブレンナーシュは疲れた表情の中でも、瞳の中の闘志だけは絶やさずに続ける。

「もうじき首都へ第三軍団の使節部隊が到着する…君にはユーリア王女の護衛、そして『監視』を続けてもらいたい」

 今度はノルトから溜息が漏れた。その言葉は予想出来ていたが、一兵卒なりに今のこの国が、悲惨な状況にあることを憂いていた。そして自分に出来ることが大したことではないことも、理解していた。

 ノルトは頷き、覚悟を決めてブレンナーシュを見据える。

「了解しました、引き続きユーリアの護衛及び監視任務に務めます」

 その言葉に、ブレンナーシュは軽く瞳を瞑りながら頷いた。そして立ち上がり、話しながらノルトの前へ移動する。

「偶然とはいえ、王女と面識のある君が適任なのだ…引き受けてくれて、感謝する」

 そう言うと握手の為に右手を差し出す。ノルトもそれに応じると、ブレンナーシュは微笑んだ。

「君も逞しくなったものだ…」

 その声音は軍を率いる将のものではなく、若者の成長のみが生き甲斐となってしまった、優しく、達観した老成した響きであった。握手を終えるとノルトが答える。

「疲れて従順になっただけです」

 ノルトはあくまで丁寧に応えた。軍人となってから、ブレンナーシュと話す時はいつもそうだった。軍人になる前はもっと自然に話していたような、そんな思い出が微かに蘇っていた。

 ノルトが敬礼し、ブレンナーシュが答礼する。そしてブレンナーシュは部屋を発つノルトに向けて、最後の言葉を掛けた。

「君は君が望む人に従いなさい…血縁も所属も階級も気にせずに、言い訳は後で考えればいい…軍人としてではなく、私個人から君への『助言』だよ」

 ノルトは一瞬立ち止まり、無言で扉を開くと肩越しに短く答えた。

「了解」

 扉が閉まり、第二作戦室には再び静かな時が訪れた。窓の外は、もう、明るい。


 補佐官からの報告が終わると、リベルティーアは眉をひそめた。ユーリアとテュルクも第三軍団の行動に危機感を抱いていた。

「ユーリア殿、第三軍団の越境行動は君との共同作戦なのかね?」

 リベルティーアの問いに対して、ユーリアは目を閉じ首を横に振り答える。

「第三軍団に限らず、他軍団の動向は掴んでいません…それこそ新たな同盟の締結前に、宣戦布告を行ったことに私も驚いた程です」

 その口調は自然で、ユーリアの言葉に偽りは無いように思えた。リベルティーアが考え込むと、人軍派のプロゴネストが口を開いた。

「王国軍は一枚岩ではない…そう言うことですかな?」

 その言葉に、ユーリアは一瞬躊躇いながらも頷いた。しかし自分の口からは言い辛く、テュルクが答えを受け持つ。

「今の各軍団長は、それぞれ方針が異なるのです」

 テュルクは王国軍の現状について説明する。

「今回、革命同盟への対応を巡って第一軍団と第四軍団はレイヴン王国単独での反攻を、レイヴン王とユーリア率いる第五軍団は龍王議会と共同での反攻をそれぞれ提唱しました」

 テュルクの説明にユーリアが頷く。リベルティーアら人軍派の龍王達は、テュルクの言葉にしんとして耳を傾けている。テュルクは続ける。

「第二軍団と第三軍団は立場を明確に示しませんでした…今回の第三軍団の動きは、ユーリアの意志とは関係ありません」

 テュルクははっきりとした口調で説明し、言葉を終えた。龍王達はレイヴン王国の現状を知り、驚き、一部失望してすらいた。

 リベルティーアはテュルクの説明を聞き、思案を巡らせていたが、やがて口を開いた。

「レイヴン王の求心力も自らの子らと並ぶ程に落ちたということか…」

 しかしこの言葉に、ユーリアがすぐに反論した。

「それは違う!」

 突然室内に響いた大声に、龍王達だけでなくユーリア自身も驚き、呆然としていた。リベルティーアはその声に驚きながらも、慌てて言葉を続けた。

「すまない、軽率な発言だった…しかし今回の同盟締結は、王国の総意だと思っていたのだが、その認識は改めた方がよいのだろうか?」

 その言葉にはテュルクが答える。

「王が同盟を望む限り、それは王国の総意とみなされます…王と各軍団長の意見の隔たりがあるのは、あくまで革命同盟との戦争における戦略についてです」

 ユーリアはテュルクの説明を、赤く高揚し緊迫した表情で、ただ聞いていた。リベルティーアが険しい表情で思案する中、プロゴネストが落ち着いた声で会話に割って入る。

「王国の真意がどうであれ、龍王議会はその力を頼らざるを得ない…我らとて此度の戦争、痛み無く終結できるとは考えておらんよ」

 その言葉に他の龍王達も頷く。リベルティーアも間をおいて頷くと、ユーリアとテュルクを見つめる。

「アハト防衛部隊から第三軍団の使節部隊が今日、始原龍議場に到着すると報告を受けている」

 その言葉にユーリアの視線が鋭くなる。その反応を見たリベルティーアは言葉を止め、ユーリアが歯切れ悪く口を開いた。

「使節部隊の派遣は、聖地を発つ際にサードビーストとの間で決めていました…だから不自然な話では無い筈ですが…」

 その言葉の意味を汲み、リベルティーアも応じる。

「第三軍団の真意を知るまでは我々も油断はしない…安心したまえ」

 ユーリアはそれでも納得は出来なかったが、無理矢理頷いた。施設部隊が到着するまで、ユーリアに出来ることは何も無いように思えた。

 リベルティーアはその場にいる全員を見渡し、他に意見が無いことを確認すると表情を引き締めた。

「ではこの場は閉幕としよう…使節部隊が到着するまで状況は動かぬだろうから、我ら龍王はこれからの防衛計画や首都の復興計画をまとめよう」

 議長の言葉に他の龍王達が静かに頷く。そしてテュルクへ視線を向けて続ける。

「テュルク殿、貴女にはステラ・トロヌスについて尋ねたいことが山ほどあるので、今しばらく私に付き合ってもらえないだろうか?」

 その言葉にテュルクがユーリアの方を確認すると、ユーリアは軽く頷いた。

「分かりました、私に分かる事であれば答えましょう」

 テュルクの返答に、ユーリアが付け加える様に続ける。

「私はそれについては何も答えられないし…フィフス・ウィングに戻って、許可さえ貰えるのなら街の復興作業の手伝いとかしてくるよ」

 右手を胸に当てながら自然と発せられたその言葉に、リベルティーアら龍王達が彼女の顔を見つめ驚く。ユーリアはその反応に動きを止め、テュルクはその様子を見て微笑んだ。

 リベルティーアが気を取り直し、ユーリアの言葉に答える。

「ユーリア王女の申し出は構わない…いや、リムの力を考えると有難いが…そうだな、彼女を連れて行くといい」

 そう言うと、報告を終えて部屋の隅に移動していた補佐官を目で示した。補佐官は突然の指名にも動じず、頷くとユーリアへと歩み寄り、頭を下げた。

「議長補佐官の『ピウスローア』と申します、以後お見知りおきを」


 同日正午過ぎ。ユーリアはフィフス・ウィングに乗り始原龍議場を囲う三つの城壁の内、第二城壁と最も外側の第三城壁の間にある『第三区』と呼ばれる場所に立っていた。第三区の建造物は首都内で最も建築様式が古く、その殆どが石造か木造、レンガ造りであった。北側を第一城壁、南側をより高い第二城壁に挟まれ、第三区全体が暗い雰囲気に包まれている。

 昨日の革命同盟軍機の攻撃をその建築物が耐えられるはずも無く、弾が着弾したと見られる箇所は全て崩れ、倒壊した瓦礫が至る所で道を塞いでいた。木造建築物では火災も発生していたが、既に全てが鎮火された後だった。燃えた跡だけが黒く残り、被害を受けた街並みをより一層暗く彩っていた。

 その惨状を目の当たりにしたピウスローアは、自らの心に悲しみや怒り、恨みや憎しみといった黒い感情が沸き上がってくるのを感じていた。鼻を突く臭いも灰や火薬、血の匂いが混ざった酷いものだった。

 マスクを抑え無言の彼女を気にしながら、ユーリアが機体のマイクを使って確認する。

「この道を塞いでいる瓦礫を運べばいいのね?」

「そうです…恐縮ですが、お願いします…」

 ピウスローアの暗く沈んだ声とは対照的に、ユーリアの声はあくまで淡々としていた。フィフス・ウィングの腕が瓦礫を一つ一つ丁寧に掴んでは、背後の人軍の大型輸送車へと積み込んでいった。第三区は人の居住区であり、壊れているのもその殆どが住宅である。周囲の壊れていない家には人が戻っている所もあり、その窓からフィフス・ウィングの動きを興味深く眺めている人々が見えた。

 その視線を感じながら黙々と瓦礫を片付けていたユーリアだったが、リムの拳大の瓦礫を掴んで持ち上げようとした時、その感触が今までと違うことに気付き、思わず手を止めた。リム越しに右手に伝わってきたのは、瓦礫の下にある柔らかいものが短く糸を引く、生々しい感触だった。音が聞こえたわけではなかったが、その感触は気味の悪い音のようにユーリアの頭に入り込み、背筋が震えた。

 作業の傍らでその様子を見つめていたピウスローアが、不思議そうにユーリアを見上げる。

「どうかしましたか?」

 ピウスローアの問い掛けに、瓦礫の下にあるものを想像していたユーリアはマイクに向けて囁いた。

「…この下にあるものは、多分直視しない方がいい」

 そう言うとユーリアは瓦礫を持ち上げる。その赤い光景にピウスローアは思わず目を逸らした。


 議長室にはリベルティーアとテュルクが残っていた。テュルクの線石は壁際のソファーの上に置かれ、テュルクもソファーに座った状態で現れていた。その姿は気を抜くと見惚れてしまう程に美しかったが、リベルティーアはあくまで龍王議会議長として、かつての議長に尋ねた。

「君の正体について、今更疑うようなことはしない…だから私の問いにそのまま答えて欲しい」

 真剣なその言葉にテュルクは頷いた。リベルティーアはテュルクを見つめたまま続ける。

「最初にステラ・トロヌスについてだが、もしもあれを再建させた場合に具体的に我々が何を得るのかを分かる範囲で教えて欲しい」

 昨夜突如として、幻影とはいえその姿を一時的に現した海上都市について、龍王議会に残された情報は皆無だった。ステラ・トロヌスについての情報が無い以上、現在の龍王議会はそれの再現にコストを掛けられる状況ではない。だが龍王議会が最早手詰まりであり、状況を打破する手段となるのであれば伝説にでも縋りたいというのが、リベルティーアの本心でもあった。

 テュルクはその本心を見透かしたように答える。

「『ステラ・トロヌス』は第四龍暦終末期における、聖都と並ぶ最新の研究施設が備えられた学術都市でした…毒の時代に備える為の研究や、外敵の脅威に対抗する為の兵器の開発も行われていました」

 『兵器』という言葉にリベルティーアは反応してしまう。

「その兵器は革命同盟軍のリムとも渡り合える程のものだろうか?」

 テュルクは正直に頷いた。現代の兵器の技術水準は、第四龍暦終末期の当時と比較すると少し劣るように感じていた。

 リベルティーアはテュルクの言葉と反応を元に考えていたが、さらに問い掛けた。

「…ステラ・トロヌスを再建する方法は、既に察しがついているのか?」

 テュルクは微笑んで頷き、はっきりと答える。

「はい…昨夜はフィフス・ウィングの光線銃(コミティス)を使い、ホログラフィックを一時的に展開させましたが、出力を数百倍に引き上げたエネルギーをあの線石に与えれば、都市を実体化させ、ステラ・トロヌスを再建することも可能なはずです」

 リベルティーアはその答えを聞いて考え込んだ。龍王議会にそのような高出力なエネルギーを放出する装置は、無い。彼にはそのような装置に関する知識が無く、考えに詰まっていた。

 テュルクが彼を助ける様に澄んだ声で語り掛ける。

「第四龍暦にもそのような装置は造られていませんでした」

 その言葉にリベルティーアは驚いた。その出力を出せるからこそ、ペルセヘルはあの線石を造ったのではないのかと、喋らずとも表情に出ていた。テュルクは優しく言葉を続ける。

「ペルセヘルもそのような装置が存在しなかったことを承知の上で、あの線石を造ったのでしょう…彼は人の進歩を信じ、現在の人を否定し続けた科学者でしたから…」

 テュルクは瞳を閉じ、ペルセヘルを思い出しながらそう言った。リベルティーアは歴史上の人物としてのペルセヘルしか知らず、しかし彼が巨大な線石を残した理由をすぐに理解した。

「人への試練、ということか…」

 テュルクは「恐らくは」と、呟きながら頷いた。自らが生きていた時代では成せなかったことを次代に託したペルセヘルの心を思うと、リベルティーアは自らの心が奮えるのを感じた。

「現在の世界にその装置は存在しないのだろうか?」

 リベルティーアは期待せずに訊いたが、テュルクは即答した。

「現在の世界情勢については話に聞いた事しか知り得ていませんが、他国に存在する可能性はあると思います」

 その答えに思わず身を乗り出した。咳払いをして興奮した心を抑えると、さらに尋ねた。

「その国はどこだ?」

 テュルクはここで少し考え立ち上がると、線石からジョテーヌ大陸の地図を空中に映し出した。大陸には線が引かれ、それが現代の国境線を現していることがわかる。

 その地図を手で示しながらテュルクは説明を続ける。

「…第四龍暦から続いている国が、現在もいくつか存在します…『龍王議会』もその一つですが、それらの国は第四龍暦から技術を受け継いでいる可能性があります」

 先ずは大陸南方の龍王議会を右手の人差し指で示す。そしてその指を大陸北方へ。

「北方の大国『境界騎士団領』…」

 指を大陸東へ動かす。

「東方地域の『大図書館領』(スキエンティア)、『神託国家群』(スンユ)、そして…」

 大陸東方の海上を指差す。

「海上都市国家『東威』(トウイ)…」


 ユーリアは三時間程の作業を終えた。輸送車を運転する人軍の兵士が、窓から顔を出して笑顔でお礼を言う。その言葉をスピーカー越しに聞きながらフィフス・ウィングの右手を軽く振り返すと、ユーリアは自らが瓦礫を片付けた道を歩き出す。リムの重さに耐える道は重たい足音を響かせる。

 ユーリアは操縦肢で一息つくと、操縦席に座る同乗者に声を掛けた。

「これから議長室へ戻ります…ピウスローアさん?」

 反応が無いのを心配して名を呼ぶと、ピウスローアは慌てて反応する。その顔色は悪く、呼吸も微かに乱れていた。

「はい!?大丈夫です…」

 ピウスローアは議長補佐官という責任ある立場の人ではあるが、人であることに違いは無い。原型を失った人の姿を見るのは初めてであり、ピウスローアが死体を見る度に血の気を失ってゆく様子を見ても、ユーリアも、一緒に作業を行った軍人も何も責めなかった。

 ユーリアは空を見上げた。作業を行った道は第三城壁沿いの道であり、視界の北側は城壁で塞がれ、風もあまり通らず、その道には自然と閉塞した雰囲気が漂っていた。ユーリアは城壁の入り口に立つ若い人軍の兵士に声を掛けた。

「すみませーん!この城壁の屋上に人はいますか?」

 突然巨大なリムに話し掛けられた番兵は、驚きながらも敬礼して答える。

「い、いえ!屋上は昨日の爆撃で装備が破壊し尽くされ、瓦礫と兵器の残骸で危険ですから見張りの人員はいないはずであります!」

「ありがとう!ちょっと上らせてもらうから」

 若い兵士の慌てた反応を面白がりながら、ユーリアはそう言うと力を貯め、フィフス・ウィングを跳び上がらせた。そして城壁の上に着地させる。

「うっわあ!?」

 突然の衝撃にピウスローアが恐々とした叫び声をあげる。城壁はリムの着地の衝撃も問題無く耐え、ユーリアはフィフス・ウィングを跪かせた。突然の行動にピウスローアはユーリアを見上げる。

 ユーリアは操縦肢から体を外し、ハッチを開けると見下ろしながら口を開いた。

「議長室に戻る前に風でも浴びていこうか?」

 先に降りたユーリアに手を引かれ、ピウスローアは城壁に降り立った。城壁の上は兵器の残骸と弾痕で荒れ果てていたが、確かに風がよく通り、地平線まで広がる青空と首都の外に草原のように広がる麦畑が、ピウスローアの目から心を癒していった。

 城壁の外を眺めるピウスローアの隣で、ユーリアは崩れていない胸壁のくぼみに背中を預けて、反対側の光景を眺める。始原龍議場を守る三つの城壁の中で最も外側にあり、最も背の低い第三城壁からは、第三区以外の土地を見ることが出来ない。この場所から見ることが出来るのは、始原龍議場ぐらいだろう。

 ユーリアは隣で大きく呼吸するピウスローアに話し掛ける。

「ま…吐かなかっただけ頑張った方だろ?貴女、途中からふらついてて、見てるだけでも可哀そうだったし…」

 明らかな励ましの言葉だったが砕けた口調で、議長室での印象との違いに驚く。しかし遥かに親しみやすく、驚きよりも安心感の方がピウスローアの心の中に広がっていた。微笑みを作り、無邪気なその瞳を見つめ返す。

「いえ…不甲斐ない所をお見せしてしまい、失礼いたしました…」

 ピウスローアはあくまで丁寧に応対する。そして眼前の大草原へと視線を戻し、再び大きく息を吸った。体に溜まっていた重苦しい気のようなものが、呼吸の度に軽くなってゆくのが感じられ、表情に余裕が取り戻されていった。

 ピウスローアが落ち着くのを待って、ユーリアが再び話し掛ける。

「苦手な方面の仕事増やしたみたいで悪かったな」

 その口調は男勝りで、初めて聞いた人は誰でも驚くだろう。だがこれはユーリアにとって、信頼を表す話し方でもあった。ピウスローアは心を落ち着かせて答える。

「お気になさらず、これからはあのような光景を見ても問題無く作業を進行できるよう、己の心を鍛えなければと奮起する良い機会となりました」

 そう言うとユーリアに合わせて街の方を振り返り、目の前のリムを見上げた。傷一つ無い黒光りする装甲は、昨日の戦闘を感じさせない程美しい。軽々と瓦礫を持ち上げ、戦時には飛龍が太刀打ち出来ない程の戦闘力を発揮するそれに、心の底から見惚れていた。

 ユーリアはその姿を横目で見ると、一度息を吐いた。そしてウインクと共に言い当てる。

「かっこいい、でしょ?」

 その言葉に驚き、小さく開いた口から思わず声が漏れた。そして照れたように口を右手で隠すと、微笑んで言葉を返す。

「そう思います…見た目の良さだけではなく、戦争という非常時以外でも先程のように用いれば、十二分に活躍できる所も他の兵器と違う魅力だと思います」

 ユーリアはその言葉をとても嬉しそうに、頷きながら聴いている。そして何かに気付いたようにピウスローアの顔を見つめた。そして明るい微笑みと共に尋ねる。

「あの議長の下で働いてるから当然だろうけど貴女、人軍派なんだ?」

 その言葉に一瞬体を震わせると、少し視線を下げて答える。

「ええ…おっしゃる通り、私は人軍派ですが…」

 少し鼓動を高鳴らせながら答えると、ユーリアはさらに笑顔を湧き立たせて続けて訊く。

「どうして人軍派になったの?人軍派は肩身が狭いってノルト…人軍の兵士さんから聞いたけど」

 その問いに苦笑しつつも頷き、一呼吸置くと自然と口が開いていた。

「…私がまだ幼い頃に一度、両親と共にレイヴン王国王都へ旅行へ行き、龍王議会では見ることの出来ない数々の機械を、私は仕組みも分からないままに見せられ、魅入られていきました」

 すらすらと言葉が溢れてきた。議長補佐官として働く彼女は、自然と人龍相手の仕事が多くなり、普通の人の知人は軍人以外には少なかった。人龍にはまだまだ龍軍派の方が多く、人の技術や機械について気兼ねなく語り合える相手はいなかった。唯一話の合いそうな議長相手だと委縮してしまい、本音で語り合うことなどできなかった。

 目の前にいるユーリアも友好国の王女であり、立場的には委縮してしまいそうだったが、自らリムを駆り戦場に立ち、復興作業を行った後でとても親密に話し掛けられてしまうと、警戒心も立場の壁もどこかへ消し飛んでしまったかのように、自然と会話することが出来たのだ。

「龍王議会の為、国民の為…なんて立派な理由ではなく、私は私の為に機械が欲しいと願いました」

 話を続けるピウスローアの言葉をユーリアは真剣に、しかし微笑みは絶やさずに聞いていた。風は絶えずに吹いていたが、その音は静かで、周辺の空気も一緒にその言葉を聞いているようだった。

「龍軍派が危惧するように、龍王議会の人がリムを扱えば、これまでの龍が人を統治する世は崩壊するでしょう…ですが、それは龍の滅びを指すわけではなく、レイヴン王国の人々のように機械と共存する新たな世が訪れるだけに過ぎないと…そう思うと、龍軍派の言うような脅威は実は存在しない『偽物』なのではないかと思えてきて…私が人軍派としてこの国に仕えているのは、本当にそれだけの理由なのです」

 ユーリアは彼女の告白に瞳を落とす。『偽物』という言葉に、昨日のヒストフェッセルの言葉が思い出された。彼女は自らを本物だと証明することの困難さと、自らにとって都合の悪い他者を偽物と断じることの気楽さを理解していた。そしてそれぞれの反対も同じであることも理解していた。

 しかしユーリアは、そういった考えを頭を軽く振って追い出し、ピウスローアに微笑み、言葉を返す。

「ほんと、昨日到着した直後の龍軍派の妄言には頭にきたからね~命懸けで首都防衛したら態度変えて『同盟だけなら結んでやる』とかあのトカゲ頭脳味噌入ってるのか?って思ったからな」

 ピウスローアの言葉が終わると、ユーリアが瞳を閉じて腕を組み、大きく頷きながら早口で言う。その動作と言葉が解りやすくて、思わず笑ってしまうのだ。城壁の上を過ぎる風に、二人の笑い声が流されていった。

 その時、二人の間を過ぎる風が強くなった。そして同時に聞こえて来た音にユーリアが表情を凍らせて振り向き、ピウスローアも一瞬遅れて振り返る。聞こえて来た音、それは王国製光粒子エンジンの駆動音だ。振り返った二人の目前、城壁の外の空間に今まで音も無く浮いていた『それ』から、男の太く低い声が聞こえる。

「龍王議会を牛耳る『人龍』共…ろくでもない存在だと思っていたが、直接見聞きしなければ実情は解らんものだな」

 外部スピーカーから流れた言葉と同時に偽装迷彩が剥がれ、フィフス・ウィングと同型の黒いリムが姿を現す。しかしその背には大型の光粒子エンジンが三基搭載され、その胸部には三つ首の狼、第三軍団の紋章があてがわれていた。光粒子エンジンを黒い翼が包み込んだ、レイヴン王国製の飛行型リムだ。

 ユーリアはその紋章を見ると、警戒は解かずにリムへ語り掛ける。

「第三軍団!…貴方達が使節部隊かしら?随分と大部隊に見えるけど」

 その口調は王女らしいものに戻っており、ピウスローアは不思議そうにユーリアを見る。リムから男の笑い声が響いた。男は剛毅な気質のようで、その笑い声は平原と首都に響き渡る。

「流石は第五軍団長様だ、いい目をしている!…あんた相手だと偽装迷彩もあてにならないか」

 リムから響く男の力強い声には、常に相手を威圧するような不気味な響きがあった。ユーリアも負けじと不敵な笑みを浮かべ、あくまで高圧的に言葉を返す。

「いると分かったら見えるのよ…さっさと全部隊の迷彩を解きなさい」

 外部スピーカーから男の微笑みが聞こえた。そして二人の目の前から上空へ飛び立つと、風が二人の髪を巻き上げる。二人の視界に次々と黒い飛行型リムが姿を現す。その数にピウスローアの表情が引きつり、息を呑んだ。

 平原の上空に光粒子エンジンの光と黒い人影が増えてゆく。十機編成で空中に佇む姿は威圧的で、しかし神々しくもあった。首都防衛軍の飛龍達もそれに気付いて飛び立ち、二人の上空を境界に飛行型リムの大部隊と対峙する。昨日の戦闘の記憶からだろうか、飛龍達は咆哮を上げながらも明らかに怯えていた。飛龍の数も徐々に増え、空中に防衛陣を築きつつあった。

「…百機ぐらいいるわね、早くリベルティーア議長の所へ戻りましょう」

 飛龍の咆哮をかき分ける様にユーリアの言葉が聞こえてくる。ピウスローアはただ呆然と空を見上げていたが、背後でフィフス・ウィングが起動した音を感じて驚いて振り向く。ユーリアは既に乗り込み、ピウスローアに機体の右手を差し出し、開いたままのハッチから顔を出し手を振る。

「早く乗って!このままだと無駄な戦闘が始まりかねないから!」

 差し出された機体の右手を伝って登るピウスローアを操縦室まで引き上げると、ユーリアはリムを発進させ、城壁を飛び降りると復興途中の街中を疾走する。その上空では集結し続ける飛龍部隊と、静かに空中に佇む飛行型リム部隊の睨み合いが続いていた。

 その時、背後から飛行型リムとは違う巨大な駆動音が響いてきた。第二城壁に到達していたユーリアは城壁に飛び乗ると振り返り、その音の正体を視認した。

「大軍だと思ったら軍団長自ら来てたって訳か…!」

 首都北方の平原に立つ塔のような巨大な影、第三軍団が有する空中要塞が偽装迷彩を解き、その姿を現していた。

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