龍王議会議長 リベルティーア
龍王議会首都『始原龍議場』(しげんりゅうぎじょう)はジョテーヌ大陸の南端、『龍の心臓』と呼ばれる地域に位置している。第四龍暦以来龍王議会の首都として栄えたこの広大な都市には、堅牢な三重の城壁に領内最大の港、そして都市名の由来でもある巨大な始原龍達が集結できる規格外の大きさの『議場』がある。
首都を南北に貫く高さ八百メートル、幅五百メートル、そして入り口からの奥行きが三キロメートルにも及ぶ細長いドーム状の議場の屋上には柱が飛び出すように十三基の塔が伸び、側面には塔に挟まれるように、百メートルを超える大型の龍が容易く出入りできる程の巨大な窓が十二個開いている。第四龍暦時代はここに全長が一キロメートルを超える始原龍達が集い、人々と共に議論を深めていたのだという。その最奥の壁面は、大陸最南端の海岸と一体化しようとしているほど海に近い。
しかし第五龍暦に時代が移ると、始原龍達は人々の前から姿を消した。後には巨大な議場だけが残され、二千年以上の時を経て始原龍という存在そのものが長生きな龍達の口から伝説として語られるようになっていた二十年前、岩山に擬態し休眠していた始原龍ハイマートが目覚めた。また航空技術の発達により、五年前龍王議会領の遥か上空を飛行していた冒険家が、空中に浮かぶ巨大な島とそれに鎮座する巨大な龍を写真に収め、それも始原龍なのではないかと、大陸中で噂された。龍王議会の人々は、唯一接触を果たした始原龍ハイマートに、他の始原龍達の行方を尋ねた。
しかしハイマートと会話することが出来たのは、一人の女性のみだった。さらにハイマートは、他の始原龍達のことは眠っていたから分からないと話し、手掛かりを得ることは叶わなかった。それから一時期の間、始原龍達の捜索を唱える学者達も多く現れた。
しかし西方で龍の排斥と人至上主義を唱える革命同盟を名乗る勢力が力を増し、龍王議会と同盟関係にあるレイヴン王国に宣戦布告を行った為国内の関心と資源は軍事力の増強に充てられ、始原龍捜索の計画は立ち消えとなっていた。
第五龍暦二千百三十年九月二十三日午前九時、時の議長『リベルティーア』は抑えきれない怒りと共に議場から議長室へ戻り、飾り気の無い古びた木製の椅子に座り、龍王議会人軍大将シュタルトから送られてきた報告書を再読していた。内容は革命同盟軍との開戦からこれまでの戦況についてだ。シュタルトと共に人軍の立ち上げに尽力し、議長へと上り詰めた彼にとって西方国境防衛陣地における人軍の活躍自体は喜ばしいことであったが、報告書の内容は決して龍王議会軍の優勢を伝えるものではなかった。
龍王議会軍は地上戦力として人軍五十万、航空戦力として飛龍軍百万を五百キロメートルにも及ぶ革命同盟との国境線沿いに配備し、敵軍を迎え撃った。敵戦力は諜報員と偵察を行った飛龍の報告によれば、機械化航空部隊五十個師団、機械化陸戦部隊五十個師団、飛行型リム部隊五十個師団、強化装甲歩兵部隊百個師団他補給・工作部隊多数の、計二百五十個師団の航空機一万機・戦車五百両・陸戦型リム五千機・飛行型リム五千機・総兵員三百万人以上の大部隊であり、報告書には総攻撃を受けた防衛陣地での攻防と被害予測なども記載されていた。
「だから私は機械化兵器を導入するべきだとあれ程…」
リベルティーアは怒りを露にしながら報告書に目を通し、呟いた。報告書を掴む手は鱗に覆われており、綺麗に研がれた黒い爪で器用に報告書を一枚ずつめくってゆく。しかしその手は怒り、同胞たる他の議員共への怒りに震えていた。
その姿は手足に胴体までが龍のような鱗で覆われており、正に『人龍』と呼ぶに相応しい姿をしていた。
開戦初日の戦闘報告では、シュタルトの思い描いた作戦通りに戦闘が続いていた。敵軍の総攻撃を、五年を掛けて用意していた『人口の山脈』と名付けられた堅牢な要塞防衛線で受け止め、国境線から防衛陣地までの地下に用意していた大空洞を爆破し、崩落させる。その作戦により敵地上軍の先鋒を壊滅させ、後続の部隊の足止めも同時に行ったのだ。これは喜ばしい報告だった。
しかしその人軍の活躍を帳消しにするかの如く、飛龍軍の戦果は酷いものだった。敵航空戦力一万五千に対して百万の軍をぶつけておきながら、ほぼ互角の戦況。さらには敵航空戦力の一部の戦線突破を許し、採掘都市アハトを始め領内複数の要衝が爆撃され、重大な被害が出ていた。
開戦から二日目に入ると、敵航空戦力による防衛陣地への爆撃が激化し、最も西海岸に近い要塞が敵の集中攻撃を受け陥落。それにより海岸の防衛線が突破され、敵地上部隊が防衛陣地を越えて前進し、防衛陣地後方の最初の要衝である『海龍議場』へと進軍した。
また陥落した要塞から要塞同士を繋ぐ要塞線を通じて、隣接する要塞内部へ敵歩兵部隊が進軍し、要塞内部で激しい白兵戦が行われた。人軍は要塞の砲台を通路に向けて直射し、かろうじて敵の強化装甲兵を食い止めていた。
そして昨夜遅く、リベルティーアが耳を疑う事態が起こった。レイヴン王国が革命同盟へ宣戦布告を行ったのだ。
レイヴン王国の宣戦布告は、大陸全土で使われている汎用通信網を通じて行われた。その中でレイヴン王国は大陸中心部に位置する聖地の占有を宣言し、革命同盟軍に対して旧王国領の返還と龍王議会領からの撤退及び龍王議会との休戦を求めた。
これに対して夜明け前に革命同盟が声明を発表し要求を棄却、そしてレイヴン王国に対しても宣戦を布告した。さらに聖地の領有を理由に大陸北部の『境界騎士団』も、革命同盟と共同でレイヴン王国に対して宣戦布告を行った。
この日、議長であるリベルティーアを中心に議会の龍王達は、連鎖して起こった大国の参戦への対応と今後の作戦の立案に追われた。前線で指揮を執るシュタルトは一連の報告を聞くと、数分と掛からぬ間にレイヴン王国軍との接触と、その後の共同作戦の素案を簡潔にだが挙げてきた。龍王議会軍の防衛線維持と王国軍による聖地側側面からの挟撃。それはまるでこの事態を予測していたかのようであったが、リベルティーアら議会は先程の緊急会議でその作戦案を了承した。
リベルティーアは議長室でこれからの自分の行動を整理する。人軍の動きは全てシュタルトに任せておけばよい。可能ならば、全く戦果を上げられていない飛龍軍の指揮権を与えることを考えていたが、議会の反人軍派の連中が許すはずがなかった。
リベルティーアは龍王議会における最高権力者の議長ではあるが、国の方針を決める会議においては他の議員である『龍王』達と権限は変わらない。国内の人がこれ以上力を増すことで、龍の優位性が脅かされることを恐れる龍軍派の龍王達の抵抗もあり、思う様に人軍の強化が進まないまま開戦してしまった現状にいら立ちを抑えきれなかった。
「何故わからぬ…座して死を待つつもりか!奴らは我ら『龍』が生き残るのを認めぬというのに!」
独りだけの議長室に響いた悲痛な叫びが静寂を呼ぶ。龍王議会の二千年以上に及ぶ龍による統治は、龍が人に対して圧倒的に優る力を持っていたからこそ成し得てきたものだった。他国からの侵略を受け付けず、国内の人を半ば飼殺すように扱えていたのも、その圧倒的な力の賜物だ。
しかし二千年以上の時を経て龍と人との力関係は逆転していた。人がその牙を剥く時になっても、龍はその力を認めようとせず、醜く言い争っているだけなのだ。
リベルティーアが爪が手に食い込むほどに拳を握り締めた時、議長室の扉がノックされた。そして議長補佐官の声が聞こえてくる。
「失礼いたします」
リベルティーアは深く息を吐き怒りを鎮める。扉の外にいる補佐官もリベルティーアの許しが出るまで扉の外で待機している。
「入ってよい」
リベルティーアが扉へ向けて言葉を掛けると、一呼吸置いて扉が開く。入室した補佐官は議長へ向けて一礼すると口を開いた。
「ハイマート様が視認できたことをご報告いたします、お出迎えの準備に入られた方がよろしいかと」
その言葉に壁時計へ振り向くリベルティーア。時間は九時三十分を示している。
「ヒューゲルからの事前の連絡では昼頃に着くのではなかったか?随分と早いな」
ヒューゲルの問いに対して補佐官も頷く。同様にわからないということだろう。しかしリベルティーアにとってハイマートの到着が早まるのは良い報せでもあった。
「わかった、直ぐに始原龍議場へと向かう」
その返事に補佐官は一礼し、議長室を去った。リベルティーアも報告書を机の引き出しにしまうと足早に議長室を出た。ヒューゲルからの報告が正しければ、龍王議会を存続させる為の重要人物がハイマートに乗っている。今はそれを頼るしかないのだ。
始原龍ハイマートが晴れ渡った青い空に浮かんでいる。龍王議会首都であり、最大の都市でもある始原龍議場は三つの城壁に守られた堅牢な都市であるが、その城壁の間にも建物が所狭しと並んでおり、中央へ向かうにつれてその建物は高く、近代的になってゆく。
街の人々はハイマートに気付くやそちらに向かって手を振ったり、頭を下げたり、各々が自らの意志で歓迎した。空を飛ぶ龍達はハイマートに近付き、隊列を組みながら歓迎の歌を歌う。
「大きい都市ね…」
『フィフス・ウィング』の暗い操縦室に、ユーリアの静かな感嘆の声が響く。大陸最南端の海岸沿いに位置する始原龍議場は、龍王議会最大の都市であり、ユーリアの記憶にある最大の都市であるレイヴン王国王都を面積に置いて優に凌駕していた。
「テュルクの時代からこんなに大きかったの?」
その言葉に反応して暗い操縦室の最深部に、淡く輝く線が手の平大の直方体の表面に浮かび上がる。台座に収まっているそれから、澄んだ声が響く。
「大陸上の位置は二千百年前と変わっていません…ですが…」
テュルクと呼ばれた声は、歯切れ悪く答える。今は第五龍暦二千百三十年九月二十三日、テュルクが龍王議会議長を務めていた第四龍暦末期からの時間を考えれば、都市の様子が変わっているほうが自然だった。
「…どう、変わってるの?」
即答できないテュルクに、ユーリアは不安を隠せないが、好奇心の方が勝っていた。
「…私の時代は、始原龍議場のさらに南の海上に巨大な街がありました」
テュルクの言葉に、ユーリアは言われた箇所を拡大してよく見たが、ただ海が広がっているだけだ。
「むしろ海上都市の方が首都と呼ばれていたのです、私が勤めていた研究所もそこにあったのです…都市建造物に利用されている技術を見ても、かつての首都とは比べ物にならない程に劣っています」
そう言うとテュルクは沈黙した。ユーリアには二千年以上前の記憶も、故郷を失った経験も、ない。しかし帰る場所が無くなったらと想像すると、独りで闇へ逃げて叫びたくなる、そんな感情が沸き上がってくるのだ。
「…でも今の首都も綺麗で、私達が想像していたより発展しているみたいだし、悪くないよ」
ユーリアは正直に感想を述べた。過去の首都の姿を知らない彼女には、今の首都の姿を肯定することしかできなかった。
「そう、ですね…ユーリア?同盟締結の交渉は必ず成功させましょう」
テュルクの確認するような言葉に自然と頷く。それが首都へ来た目的であり、ユーリア自身の立場を守る為にも、失敗は許されなかった。
「当たり前でしょう?私の為にも王国の為にも、成功させて見せるから」
ユーリアの不敵な言葉は頼もしかったが、現在の首都の様子を見たテュルクには、交渉の結果が見通せずにいた。
「交渉が失敗したら、龍王議会の未来は無いでしょう…もう私の知っている国ではないようですから」
その時、鐘の音がハイマート城の塔から響き、始原龍議場を見下ろす視界の隅の桟橋から飛行船が飛び立った。ユーリア達はハイマートの尾を伝いハイマート城まで上ったが、普通の人はあのように飛行船を利用して城と地上を行き来している。あの飛行船には事情を説明するヒューゲルと始原龍ハイマートととの通訳としてクレス、そして軍への報告でノルトとベッコウが乗っていた。
「飛行船か…こういう状況でなければ、いつか乗ってみたいな」
ユーリアは飛行船を視線で見送る。航空技術が発達していたレイヴン王国では、飛行船は過去の物であり、その技術を継いで残っているのは『空中要塞』と呼ばれる、優雅さの欠片も無いものだけだ。
「ノルトの上司への事情説明、一度で済めばいいですね」
テュルクがアハトでの出来事を引き合いにして笑った。ユーリアも合わせて笑い、飛行船が降下してゆく街を穏やかに眺めていた。ハイマートがついに一つ目の城壁を越えて始原龍議場内に入った。
リベルティーアとその補佐官は、近づいて来るハイマートを始原龍議場の塔から眺めていた。龍王議会の首都である始原龍議場はレイヴン王国との同盟締結以来、重点的に都市の近代化を推し進めてきた。最も内側の議場周辺には高層ビルが計画的に立ち並び、空を飛龍が、地上を自動車が走り抜けている。三重の城壁は石造りではなくレイヴン王国製の合金に造り変えられ、その内部を鉄道が走る構造になっていた。
「三十年と少しの時で、よくぞここまで来れたものだ…『来客』達はこの街を見て、何を思うのだろうか」
リベルティーアの空に投げ掛けた言葉に、背後に立つ補佐官は少し考え答える。
「私が知るレイヴン王国の王都程ではありませんが、ここまで造り上げたことを誇れる街であると思います」
その言葉にリベルティーアは目を瞑り、力なく微笑んだ。
「『王都』か…私が人軍を心の底から支持するようになったのは、あれを始めてみた時からかもしれん」
リベルティーアは心の不安を吐き出すように、かつての衝撃を思い出した。同盟締結の際に訪れた王都の姿は、本当に同じ『人』という種族が造り出したものなのかと疑う程に、全てが違って見えたのだ。
それから僅か三十三年で龍王議会の人と龍がこの都市をここまで造り変え、それに適した生活を送れるようになったのは、技術支援を行ったレイヴン王国と、そこで数々の技術を学び戻ってきた多くの人の指導者達の努力の賜物だった。リベルティーアら龍王達が行ったのは、自分達が持っていた権利を行使し、レイヴン王国との数々の取り決めを成立させることだけだった。
視線を上空へと戻すとハイマートは城壁を超え、もう議場の目前まで迫っていた。リベルティーアは軽く握りしめた右手を胸の前に構え、その雄大な姿に頭を下げる。そしてハイマートが議場の側面へ降下を始めるのを確認すると頭を上げて振り返り、補佐官と共に塔の昇降機へと入る。そして下って行く空間の中で呟く。
「第四龍暦の終わりに、龍王議会は世界で随一の科学力を有した国だったというが、その力は絶望的な戦いの引き金となった」
それは今では伝説として語られる物語。そして龍達が人に力を与えず、支配し続ける為にかたり続けてきた歴史という名の教訓であり、武器でもあった。
しかし、実際に自分達も伝説と同様の危機的状況に置かれれば、伝説に語られる人達と同じことを、あるいはそれよりも醜いことをしているのかもしれないと、リベルティーアはそれでも伝説と同じ道を歩むことを決めたのだ。
「伝説の真相を知る始原龍達は、今の龍王議会を見て何を思うのだろうか」
言葉を言い終えるのと同時に昇降機が地表へ到着する。開いた扉をくぐり、リベルティーアと補佐官は塔の外、始原龍議場に隣接するように着地したハイマートの前に出た。
「ご機嫌麗しゅう、リベルティーア議長」
先んじて飛行船で降下していたヒューゲルが、塔から出てきたリベルティーアに頭を下げた。その後ろにはクレストーアとノルトウィント、ベッコウの姿もある。リベルティーアも右手を胸の前に置き会釈すると口を開いた。
「此度は『客人』を案内した貴殿と始原龍ハイマート様に感謝申し上げる」
そして背後に並ぶ人と龍を見て続ける。
「事前の話に有った王女と、王女が連れてきたという『テュルク』を名乗る光の人は見当たらないが…」
その問いにヒューゲルが頷き、ハイマート城を見上げる。その視線の先には伸ばされた尾を下り始めたリムの姿があった。
ハイマートの尾を伝い、一機の光沢のある黒いリムがリベルティーアら龍王達の前に降り立った。その迫力に皆が息を呑む中リムは片膝をつき、その胸部のハッチが開かれ、中から一人の女性が降り立った。
黒い強化装甲とヘルメットに身を包んだ女性は、輝く線の入った箱を持ち、腰には鞘に収められた刀と諸刃の剣を差していた。女性が慣れた手つきでヘルメットを外すと、短めの黒い髪と黒い瞳を持つ整った顔が表れた。黒髪の女性は姿勢を正し、毅然とした表情でリベルティーアと向き合う。
「リベルティーア議長、そして龍王議会を束ねる龍王の方々」
若い声だ。名を呼ばれたリベルティーアと龍王達は、彼女の言葉の続きを待つ。
「まずは此度の来訪が突然の物となってしまったことを詫び、それでも迎え入れてくれたことに感謝致します」
そう言い彼女は数秒、頭を下げた。議場の周辺は巨大な始原龍でも降り立つことが出来るように、他の建造物との間にかなり広い間が取られており、遠くから街の喧騒が微かに聞こえてくる。
「私はレイヴン王国第百十五代王レイヴンの第五子、そして第五軍団長『フィフス・ウィング』のユーリア!」
若い女性だが力強い言葉に、リベルティーアの眼光も変わる。
「レイヴン王からの命で、王国と龍王議会との新たな同盟を締結する為に参上しました」
ユーリアの言葉が一区切りすると、リベルティーアが龍王を代表して返答する。
「龍王議会へようこそ、ユーリア王女…我々が置かれている状況故に、今は特別な歓迎を催すことが出来ないことを詫びよう」
リベルティーアは丁寧に頭を下げた。背後の龍王達の中には、ユーリアの訪問を快く思わない者もいたが、同様に頭を下げる。リベルティーアは頭を上げて続ける。
「だがその状況が故に、その新たな同盟締結の話は実に興味深い、今すぐにでも議場にて詳しい話を聞かせて貰いたいものだが…」
ここで一度言葉を切り、ユーリアの持つ輝く箱『線石』(ライン・ストーン)に視線を向ける。
「もう一人…我々が無視できない人物について報告を受けているのだが…それが…?」
懐疑的で不安げな、だが期待の見え隠れする声でリベルティーアが語り掛ける。ユーリアは頷き、箱の一部を指で押し込んだ。カチッという、龍王達の不安を吸収するような音と共に線の輝きが増し、ホログラムで造られた光の女性が姿を現す。龍王達はその姿に感嘆の声を上げた。
「初めまして、第五龍暦の龍王の方々」
それぞれの顔を見渡しながら放たれたその澄んだ声は、微かに聞こえていた街の喧騒を打ち消すように響き渡った。彼女の視線がリベルティーアに向けられる。その瞳の内に微かに見えた強い意志に、リベルティーアは思わず息を呑む。
「そして…第五龍暦の龍王議会議長、リベルティーア」
議長の名を呼ぶその声は、優しさと厳しさを両立させていた。
「私は…テュルク、かつて第四龍暦の最後に龍王議会議長を務めていたものです」
「ヒューゲル、何故貴公まで付いてくるのだ」
補佐官を戦況確認へ向かわせ始原龍議場へ入ったリベルティーアが、当然のように付いてきたヒューゲルを弱く睨みながら静かに尋ねた。ヒューゲルは両手を肩の位置で広げながら答える。その背中にクレスは隠れるように立っている。
「私も人ではありますがハイマート城を持つ領主、すなわち『龍王』ですからな、歴史的会談を見届けるぐらいは問題ありますまい?」
ヒューゲルのその言葉にリベルティーアは深く溜息をついたが、追い出すことは諦め、広い議場内部を再び歩き始めた。
ハイマートのような、巨大な始原龍達が集う目的で造られたという始原龍議場の内部は、建造物の内部だと思えない程の広さだ。側面の窓が取り込んだ外の光は、議場の床に窓の形を映し込み、その一つ一つが窓という概念を超えた大きさであることを物語っていた。
「この場所はとても…懐かしいですね」
テュルクの澄んだ声が反響することなく霧散してゆく。あまりにも広すぎるその空間は、間違いなく人の手によって作られたものであったが、決して人の為に造られたものではないことも容易に想像できた。
「やはり、第四龍暦にもこの議場は存在したのだな」
リベルティーアはテュルクの言葉に感心の言葉を返す。議場に入ったテュルクとユーリア、そして龍王達は入口から少し進んだ場所を奥へ向かって歩いていた。入口の扉付近にはノルトとベッコウ、ヒューゲル、クレス、そして人龍の警備兵が四人待機し、側面の窓の一つからは外のハイマートの姿が見えた。
「私達の研究では、第三龍暦時代に造られたのではないかと言われていました」
テュルクの知識に、先頭を歩くリベルティーアは面白そうに振り返る。
「ほう、第三龍暦の歴史が残っていたのだな…残念ながら今の時代には、第三龍暦の歴史は引き継がれなかったよ」
そう言うとリベルティーアは立ち止まる。龍王達も、ユーリアとテュルクも立ち止まり、そこで言葉を交わし始める。
「記録の無さから、今では第三龍暦は闇の時代、などと呼ばれてすらいる」
リベルティーアの会話は、ユーリアの同盟締結とは関係の無い話だ。だが、ユーリアにとってはテュルクが本物であることを龍王達に信じてもらうことは、この場での交渉に置いて重要なことでもあった。
革命同盟と戦争中である龍王議会にとっては、レイヴン王国と新たな同盟を結び共同戦線を張るということは、決して不利益を生む話ではない。しかし龍軍派の龍王達にとっては、劣勢の今の戦況で新たな同盟関係を結んだとなると、それが例え龍王議会にとって利益の大きな内容であったとしても、同盟を『結ばされた』と宣伝し、人軍派が議長を務める現状を批判する材料になることは明確だった。
さらに龍軍派にとっては人軍派が実権を握る中での劣勢は、それだけでもリベルティーアら人軍派を批判する材料を得ることになる為、人軍派が生まれる要因となった王国との同盟関係を結ばせないようにする事も容易に想像できた。例えその結果、龍王議会が滅ぼされるとしても、龍軍派は盲目的に龍の優位性を信じているのだ。
「私達の時代も、人によって書かれた第三龍暦に関する歴史書はほぼ皆無でした」
テュルクも、自分の存在を証明することの重要性を理解していた。二千年以上を経て変わり果てているとはいえ龍王議会を存続させる為に、出来ることはすべてやるつもりだった。
この場で同盟を結ぶとしても『レイヴン王国の軍事力を頼りに同盟を結んだ』のではなく『聖地を領有したレイヴン王国に協力しているかつての議長を助ける為に同盟を結んだ』という形に収める方が、龍軍派の批判を躱すだけの力はあるように思えた。
「頼りは長生きな龍達の記憶と、この議場のように残されていた建造物だけでした」
テュルクは二千年以上前の記憶を辿り、リベルティーアと共に他の龍王達を信用させる糸口を探していた。しかしリベルティーアの目には少しの迷いも見られた。他の何かを気にしているような、集中力に少しの乱れがあった。人軍派のリベルティーアにとってこの場で大事なのは、目の前にいる光の人が本物のテュルクであることではなく、そう信じ込ませた状態でレイヴン王国と新たな関係を構築し、可能であれば同盟を締結させることだ。
しかしそれをどう信じ込ませるのか。そしてテュルクはともかく、ユーリアが本物であることの証明も控えているのだ。
「…それが真実であれば、第四龍暦の科学力とやらも、大したことは無かったようですなぁ?」
唐突に一人の龍王が口を開いた。その言葉と口調は明らかに嫌悪感と敵意に満ちており、リベルティーアは険しい目つきでその龍王に向き直った。
「口を慎め、ヒストフェッセル…」
ヒストフェッセルと呼ばれた龍王は鼻を鳴らし、同じくリベルティーアと正面から向き合った。リベルティーアとは違い手足が人のようで、頭が巨大な耳を垂らしたトカゲのような見た目の『人龍』である。
彼は嘲笑と軽蔑の色を隠すことも無くテュルクを見る。
「ふん!その怪しげな光の虚像が何だというのだ?二千年以上昔の、実在したかもわからん人の名を騙るそれの何を信じる必要がある?」
ヒストフェッセルの言葉にリベルティーアは激高しかけたが、テュルクが先んじて発言する。
「あなたの言葉にも一理あります、ヒストフェッセル殿」
一度そう言い、しかしすぐに反論する。
「ですが私が本物であることは、アハトで出会った黄龍のコガネと、そこに待つハイマート様が証明しています」
テュルクの反論に、ヒストフェッセルはさらに大きく鼻を鳴らす。
「ふん!コガネはアハトを守り、奮戦の末に瀕死の重傷を負い休眠に入ったと聞いたぞ?そしてハイマート様の言葉は誰にもわからんのだ!」
そして今度は、入口付近でヒストフェッセルの言葉に反応したクレスに向かって言う。
「最も龍に近い『人龍』たる我らではなく、人の女ごときがハイマート様の言葉を解するなど、信じ難い」
ヒストフェッセルの声音は汚く、聞く者を全てを不快にしていった。
突然、空気を断ち切るようにユーリアが腰に差していた龍剣を抜いて見せた。その場にいた全員が息を呑んだが、ユーリアはその剣を片手で正面に構えて口を開く。
「…私が持つこの『龍剣』は、コガネという龍が自らの牙を造り変え、私に託したものだ」
ユーリアが剣を構えた状態で龍王達を見渡す。龍剣は窓から入り込む静かな陽光を、その鋭い先端の刃で束ねたように反射している。
「これで証明にならないだろうか?」
(聞くに堪えんな…あれが今の、龍王議会の龍王か…)
クレスの頭に突然ハイマートの声が響いた。普段は集中しなければ聞き取れない程の声だが、今の声は静かだが、はっきりと聞こえた。
まるで初めて声を聞いた時みたいだと、クレスは怒りが急速に収まってゆくのを感じた。
(テュルク達の足元にも及ばぬ…比べることすら英傑達に対する侮蔑だ)
ハイマートの言葉はヒストフェッセルに劣らぬ程の攻撃性があったが、その声音は失望と悲しみに溢れていた。
(クレスよ…あのようなものの言葉に怒りを覚えることは無い…)
クレスは心の声を返す。
(ありがとう…でもこのままでは、ユーリア様とテュルク様が…)
ヒストフェッセルの口撃は、この間にも激しさを増していた。他の龍王の中にもヒストフェッセルの方に付くものが現れ始めていた。
(クレスよ…意味が解らなくともよい…これから言うことを、今の議長に伝えるのだ)
ヒストフェッセルが、ユーリアの龍剣とベッコウを示しながら喚く。
「その龍剣、コガネの牙だと言ったな?そこの裏切り者の龍軍の力を借りて、休眠中のコガネから抜き取ったのではあるまいな?」
コガネと会った証として、ユーリアは龍剣を得た顛末を話したが、それがあらぬ疑いを掛けられる口実となってしまっていた。龍軍派の龍王達の血色が変わり、ユーリア達に対し根拠の無い怒りを露にする。
「静まれ!同盟国からの使者に対して何という無礼か!」
リベルティーアがヒストフェッセルを睨みながら叫び、ユーリアを背に庇う。しかしヒストフェッセルはさらに続ける。
「そもそも、そやつが王国からの使者であるという証拠がどこにある?西の狂信者どもの間者ではないのか?コガネを倒したのももしや…」
ヒストフェッセルの喚き声は、入口を守護する四人の警備兵達の耳にも届いている。その中の二人がユーリア達の方へ歩き出すと、ノルトとベッコウ、ヒューゲルがその前に立ち塞がった。
「ここから先へ進むと、取り返しのつかないことになるぞ?」
ノルトの言葉に二人の警備兵は一瞬躊躇ったが、背中の大振りの龍剣に手を掛け、ノルトに言い放つ。
「どけ!ここは人の国ではない」
そう言うと龍剣を抜き、ノルトへその切っ先を向ける。しかしノルトは腰の龍剣に手を掛けただけでそのまま睨み合った。
ノルト達が警備兵を抑えている間に、クレスはリベルティーア達の元へ駆け寄っていた。
「詐欺師が何の用だ!?」
クレスに対してヒストフェッセルが暴言を吐いたが、その直後に窓の外でハイマートが激しく怒りの咆哮を上げた。大きな窓を通じて、その音波が議場の空気を震わせ、龍軍派の龍王達を怯ませる。
その隙にクレスはリベルティーアの耳元でハイマートからの伝言を囁いた。
「最奥の塔の『物』をテュルクに見せなさい!」
リベルティーアは驚き、クレスの顔を見つめる。
「ハイマート様からの伝言です!」
クレスがそう短く説明すると、リベルティーアは頷いた。クレスは素早くハイマートへ伝える。
(これでよかったのね?)
クレスの確認にハイマートは、かつてない程の大声で答えた。
(よい!議場でなければ、そのヒストフェッセルとやらを焼き尽くしていたのだがな!)
リベルティーアは気を取り直し、龍軍派の龍王達を睨みつけた。
「ヒストフェッセルよ、貴殿の持つ疑いを一度に確かめる方法がある」
リベルティーアは、咆哮の衝撃から立ち直れていない彼に対して、説得を始めた。ヒストフェッセルはふらつきながら立ち上がり、リベルティーアを挑発的に睨み口を開く。
「ふん…ハイマート様がこれほどお怒りになられる前に言えばよいものを…」
その言葉にリベルティーアは一先ず安心した。ここで言い掛かりをつけられて、それを試せなくなってしまえば、最悪の事態も有り得たからだ。
リベルティーアはユーリア達の方を振り向き、出来る限り冷静に説明する。
「この議場の最奥の塔、その最上階にあるものが安置してある」
ユーリアとテュルクの方を振り向き、その背後でノルト達と対峙していた警備兵達を鋭い眼光で睨みつける。警備兵達は仕方なく武器から手を離すと、元の配置まで引き下がった。
リベルティーアはその場にいる全員を見渡し、場の空気を掌握すると言い放った。
「まずはこの者達の真偽を確かめる!無駄な諍いはその後だ!」
同時刻、西方の革命同盟軍と龍王議会軍の戦線も刻一刻と変化していた。海岸線の防衛網を突破していた革命同盟軍は、その先にある最初の要衝である海龍議場へ爆撃を加え続け、都市諸共龍王議会軍を殲滅しようとしていた。飛龍軍の抵抗は防衛陣地の上空へ押し込まれ、海岸線の防空網は完全に破られていた。
そして海龍議場から始原龍議場へと続く海原の遥か上空を、六機の飛行型リムが横一列の編隊を組み、高速で飛行していた。背面と脚部の光粒子エンジンが光の筋を細長く残して飛ぶ様は、流れ星が空を切り裂くようにも思えてくる。
飛行型リムの遥か左手側に霞んだ海岸線が見下ろせる。六機の中の中央に位置し、先頭を飛ぶ青いリムの操縦者である革命同盟軍第八航空師団第三十八強襲部隊長ゴルドウィンは、飛行開始からの時間と微かに見える海岸線の形から目的地が近いことを察していた。通信機で部隊へ報告する。
「ソティラヴィア将軍、あと半時程で到着します」
低く、力強い声が他の五機のリムの操縦者へ伝えられる。ゴルドウィンはすぐ右を飛ぶリムを見る。相手のリムは、その視線に右手で軽く敬礼を行うと、通信が入った。
「了解した」
低く、しかし背筋が凍るような声だった。ソティラヴィア将軍と呼ばれたその声はさらに続ける。
「ゴルドウィン…貴様のアハトでの失敗は手痛かったが、おかげでレイヴン共の奇襲を察知できたのだ…そしてこの奇襲作戦の成功で、その失敗は帳消しにしてやろう」
ソティラヴィアの言葉には
「…この奇襲作戦の成功でもって、必ずや龍王議会を降伏させてみせましょう」
ゴルドウィンは、心から滲み出る言葉で答えた。アハトでの戦闘で四人の部下を失ったゴルドウィンは、国境線の拠点へ帰還し交戦した新型のリムの存在を伝えた。それをレイヴン王国の残党だと判断したソティラヴィアは聖地側の防衛へと幾つかの師団を転任させ、昨深夜のレイヴン王国軍の大霊峰越えを迎え撃った。
その戦闘は、想定より遥かに多い物量と高性能な新型リムを有していた王国軍の前に撤退を余儀なくされた。戦線が二方向かつ大霊峰方面の軍が挟撃される形になった革命同盟軍は、龍王議会を降伏させる為に精鋭部隊による首都奇襲作戦を実行することとなった。
それは既に突破し制空権を得ていた海岸線側から海上へと奇襲部隊を飛ばし、そのまま海上を海岸線に沿って南進。大陸最南端の龍王議会首都を強襲し都市機能を破壊し、龍王議会軍の戦意を削ぎ、早期降伏へと繋げることが狙いだった。
さらにこの作戦と並行して各要衝への第二次奇襲作戦も行い、首都防衛軍からいくらかの戦力を各方面へ向かわせ、さらに援軍が首都へ向かうのを妨げる予定であった。他の要衝へ向かった奇襲部隊は既に奇襲作戦を開始しており、残るはこの首都奇襲部隊のみである。
「…首都を視認、このまま超高高度を維持し、作戦通り鉛直爆撃を試みる」
ゴルドウィンがそう伝えると、他の四機の操縦者からは了解の返答があったが、ソティラヴィアだけが返答を渋っていた。ゴルドウィンが気を配りながら尋ねる。
「ソティラヴィア将軍、作戦を変更なさいますか?」
その言葉に応えるように、ソティラヴィアの低い唸り声が通信機を通して聞こえてきた。しかしその声に、微かな含み笑いが混ざっていることにゴルドウィンは気付いた。
「始原龍がいるな…」
ソティラヴィアの言葉に息を呑み、霞んで見える首都をもう一度見下ろすと、巨大な南北に長いドーム状の建造物に隠れるように、街中にあるにはあまりにも不自然な灰色の巨大な岩山が確認できた。
「何故、始原龍ハイマートが首都に…報告では戦禍を避けて東方地域へ向かったはず」
通信機から、今度は明らかな笑い声が聞こえてきた。魂がぞっとする、狂気の笑い声だ。
一通り笑い終えたソティラヴィアは続ける。
「私が始原龍の相手をしよう…龍共が神と崇める存在を討てば、奴らは失意に暮れるか、狂って殺されに来るのかだ」
ゴルドウィンはその言葉に眉をひそめる。ソティラヴィアと違い、ゴルドウィンは元ラインハーバー連邦のリム操縦者であり、革命同盟が唱える龍の排斥には懐疑的な気持ちも持ち合わせていた。
しかし今は革命同盟軍の飛行型リム操縦者であり、軍人なのだ。そして元敵軍であった自分を、革命同盟軍は迎え入れてくれた。戦う理由はそれだけで十分であった。
「お前達は都市の破壊と雑魚共の相手だ…この作戦で龍王議会を終わらせるのだ!」
そう言うとソティラヴィアは機体の速度を上げ、都市の遥か上空へ上って行く。
「作戦開始!各員、奮戦せよ!」
ゴルドウィンも四人の部下に激励の言葉を飛ばし、ソティラヴィアに続く。そして他の四機も速度を上げ、首都の直上に入るや六機の飛行型リムはソティラヴィアを先頭に次々と鉛直降下を開始した。
落ちるよりも早く首都へ突撃するゴルドウィンは、最も目立つ議場の屋上に黒い影を見て、驚愕に目を見開いた。
アハトで四人の部下を屠った黒いリム。それが屋上で海沿いの塔に向かって立っていたのだ。
始原龍議場の側面には、建造物を支える柱でもある塔が十三基建っているが、最も海沿いにある塔は他の塔と比較すると太く、高さも他の塔よりも一階分高く作られていた。その塔の中心を貫く昇降機にユーリア達と九人の龍王、そして人龍の警備兵二人が乗り込んでいた。それだけの人数が乗ってもゆとりがあるほどに、その塔だけは全てが大きく作られていた。
「ふん…この塔の最上階で、一体何が証明できるというのだ…」
ヒストフェッセルが小声で、しかし聞こえるように悪態をつく。ゆっくりと上って行く昇降機の中で、ユーリア達と八人の龍王が視線を合わせないように向かい合っている。リベルティーアはその間を、視線で貫くように間を保っていた。明らかにその隔たりは深く、リベルティーアは内心、激しく頭を抱えていた。昇降機の静かなモーター音が響く中、一人の龍王が口を開いた。
「…先程は申し訳なかった」
その言葉にユーリアとテュルクがその人物に顔を向ける。穏やかな老人の顔だが、その頭に髪は無く、鱗で覆われて二本の角が後ろ向きに生えていた。そんな龍王が丁寧に頭を下げた。
「プロゴネスト殿…」
リベルティーアがプロゴネストと呼んだのは人軍派の龍王であり、現議長を補佐し、先程の口論でも沈黙を通していた。
彼は頭を上げるとさらに続けた。
「ここにいる皆が、龍王議会に住む龍と人の未来を案じているのだ…しかし優勢とは言えぬ戦況を憂いて、不安に苛まれていたのだ」
そう言うと彼は再び頭を下げた。テュルクが彼に声を掛ける。
「いいえ、あなた方が私とユーリアの素性を疑うのは当然のことです」
プロゴネストはその言葉に頭を上げ、テュルクを見つめる。ヒストフェッセルはその言葉に鼻を鳴らしたが、今は何も言わなかった。テュルクが続ける。
「ユーリアはともかく、私は二千百年以上昔に死んだとされている人ですから、今の龍王議会の人には到底信じることは出来ないでしょう」
その言葉にノルトとクレス、ヒューゲルがテュルクへ視線を向ける。三人は既にテュルクの言葉を疑うことは無かった。
リベルティーアがふと、微かに眉をひそめ、口を開いた。
「テュルク殿…まだ本物であるという証明は成っていないが、一つ、好奇心から尋ねたいことがある」
テュルクがリベルティーアに向く。目を合わせたリベルティーアは少し言葉を考え、言葉を続ける。
「貴殿は今、二千百年以上前に『死んだ』と言ったが、伝説では聖地を目指して大霊峰を越え、帰ってこなかったとされているのだ」
その言葉に、テュルクは特に反応しなかった。しかしその瞳は微かに揺らいでいた。リベルティーアが話し続ける。
「私はテュルクの伝説が、真実に基づいているものだと考えている、故に知りたいのだ…あの時何が起きたのかを」
昇降機はゆっくりと上っている。それでももう半分ほど上っただろうか。目的の頂上の部屋まではまだ四百メートル程上らなければならない。
リベルティーアの言葉が終わってしばらくは、昇降機のモーター音だけが響いていたが、テュルクはついに口を開いた。
「私があの時、この始原龍議場から聖地にある聖都『ライン・ハーバー』を目指したのは、無音の緊急通信を最後に連絡が途絶えたからでした…」
『ライン・ハーバー』の名は、この場にいる全員が聞き覚えのある名前だった。大陸中央部の聖地に『光線の大穴』と呼ばれる巨大な穴があると伝説には語られている。その大穴の淵にある聖地唯一の都市の名がライン・ハーバーである。レイヴン王国が立ち上げた連邦の名の元となった都市でもあり、現代でも多くの人がその名を知っていた。
テュルクが語り出すと、龍王達が皆集中するのがわかった。まだ目の前の光の人影が本物であるとは限らないとしても、生まれる前より語られている伝説の真実かもしれないという好奇心は、抑えられるものではなかった。
「既に毒の時代に入り、世界を覆う毒から守られていたのは各国の首都と聖地だけでした…聖地の異変を察知した私は単独で聖都へと入り、そこで…惨殺された人々を見つけました…生存者はいませんでした」
突然の言葉にその場の空気が一変した。しかしそれは重要ではないというように、テュルクは構わず話し続ける。
「私は聖都に残された監視カメラのデータを調べ、一人の『剣を持った男』が抵抗する聖地の人々を、剣で斬り殺していったことを知りました…映像内で、今の時代では『リム』と呼ばれている兵器さえもその男は斬り倒し、警備機械兵の銃撃も効いている様子はありませんでした」
その言葉の内容は信じ難いものではあったが、ヒストフェッセルが鼻を鳴らす。
「ふん!その程度のことならば我ら人龍にも出来る!龍ではない弱々しい人と玩具の機械が勝てぬのは道理よな」
強がりにも聞こえる言葉だったが、テュルクは首を横に振った。
「現代の社会制度は分かりませんが、当時の龍王議会では龍も『人』の一種であるとみなされ、共に暮らしていました…もちろん聖地にも多くの龍が生きていました」
その言葉にヒストフェッセルは驚き、そして黙らざるを得なかった。テュルクの話が正しければ、生存者はいなかったのだから。
「その後、私は生存者を探して聖都を彷徨いましたが、見つかるのは死体と機械兵の残骸…そして光線の大穴の観測所で、その男と出会いました」
テュルクの声には悲しみも怒りも、恐怖も無い。ただ淡々と語り続ける。
「私がその男へ向けて護身用の拳銃を発砲すると、弾は当たりませんでしたが、私と同様に聖都の異変を調べに来ていた黒龍が私に気付き、援護してくれました」
この時、淡々と語っていたテュルクの表情に、少しの感情が入った。その瞳は和らぎ、顔が僅かに俯いた。
「しかし黒龍は劣勢で、私は最後の手段として観測所内へ逃れました」
リベルティーアは考える。龍が生身の人を圧倒するのは当然のことだ。だからこそ人は武器や起動兵器を作り、第五龍暦の今、龍を圧倒しているのだ。しかしテュルクの言葉が正しければ、生身のその男は一振りの剣で龍を圧倒したのだ。今の常識とはかけ離れた内容に、違和感を覚えたのはリベルティーアだけではない。
「そして私はその男を斃す為に、内部から観測所ごと崩落させ、光線の大穴へ落下していきました」
テュルクが言葉を区切り、一度誰ともなく頷いて見回した。
「私はその時に『死んだ』と、自らの死を認識しています」
彼女の話が終わった。彼女の話を聴き、各人の心の中には、目の前にいるテュルクを名乗る光の人に対する安心感と、さらなる疑念が浮かび上がっていた。
昇降機が止まった。扉が開き、目的の最上階へと辿り着いた。最上階は昇降機を囲う様に通路があり、壁には何もはめられていない窓があり、始原龍議場の南に広がる海が一望できた。
「テュルクよ、ここまでの貴殿の話は理解できたが、そこから先の話は証明してから聞くことにしよう」
リベルティーアがそう言いながら昇降機から降り、他の人々に対して流れるように手を動かし、海とは反対の進行方向を示す。そこには窓の代わりに、黒い光沢のある重厚な扉が、周囲の壁から浮くように設置されていた。その扉だけ塔とは別の時代に付けられたのだろうと、容易に想像できた。
「それでも貴殿がテュルク本人であることを証明するには至らないが、この扉の先にあるものがそれを証明できるだろう」
リベルティーアが扉に両手を置き、扉を押した。その扉はかなりの重さがあるように見えるが、それをリベルティーアは容易く押し開ける。扉は滑らかに開き、外から光が零れる様に侵入してきた。
扉の先は当然塔の外壁側面であり、議場の屋上まで扉と同じ素材の黒い階段が左右に続いている。リベルティーアが先頭に立ち、話しながら階段を下る。
「ここから先は空を飛べる者か、こうして案内された者以外は立ち入ることが出来ない」
塔の扉から議場の屋上までは三十段以上あり、全員がそれを下り終えた。階段から屋上に着いた途端にヒストフェッセルが悪態をつく。
「ふん、何故神聖なる議場の上に、このような異境の、素性も知れぬ奴らを上がらせねばならぬのだ」
リベルティーアはその言葉を無視して振り返り、しかしその疑問の答えになる言葉を続け、視線の先を指さした。
「そして何があるのかは、歴代の議長のみが代々語り継いできたのだ」
リベルティーアの指さす先、左右に分かれた階段の下部には塔と同じ黒い扉があった。全員がその扉を見つめる中、ユーリアはその扉の材質がフィフス・ウィングと同じであることに気が付いた。
「私のリムと同じ…」
思わず呟いたその言葉がユーリアに視線をを集めたが、テュルクだけはユーリアに頷いた。
「その通りです、貴方のリムもこの扉と会談も、第四龍暦時代の装甲素材で造られています」
テュルクはリベルティーアに視線を移して続ける。
「これは第四龍暦…私の記憶に無いことから、私が死んだ後に造られたものですね?」
リベルティーアは頷く。
「そうだ、ここにはテュルク亡き後に議長の座を継いだ『ペルセヘル』が、後の世の人々の為に残した『あるもの』が保管されている…『ペルセヘルの記憶』と伝え聞いている」
その『ペルセヘル』の名にテュルクが僅かに目を丸く開き、表情を綻ばせた。リベルティーアはその反応を確かめつつ話を続けながら、扉へと近付く。
「残念ながら我々後世の者には、この残された『あるもの』の使い方すら解らないのだ…」
そう言いながらもその瞳には力が宿り、両手で扉を掴む。
「だが貴殿らにはこれの使い方がわかるはずだ…!」
そして力強く扉を開く。光が差し込んだ扉の内部には部屋があり、全体が扉と同じ素材で造られていた。扉を開いたリベルティーアは振り向くと、視線と手で部屋へ入るようにテュルクに促す。
テュルク、ユーリア、そしてリベルティーアの順番で部屋に入ると、部屋の中央にはその『あるもの』が安置されていた。
「これは…『線石』(ライン・ストーン)…」
テュルクが驚きながら発した言葉の通り、それは巨大な線石であった。ユーリアも息を呑み、リベルティーアは静かに頷く。他の者達も部屋へと入り、その巨大な線石を見つめる。
「ここまで巨大な線石が造られていたなんて…私が死んだ後に一体何が…」
呆然と呟いたテュルクに対して、リベルティーアが沈黙した線石を見ながら口を開く。
「貴殿の姿を見た時…輝きこそ失われているものの、この受け継がれてきた『ペルセヘルの記憶』と、君を映し出しているものは同じものであると気付いたのだ」
その言葉通り、その巨大な線石の線は輝きを失い、部屋の闇を増殖するかのように沈黙していた。リベルティーアは更に尋ねた。
「私達龍王議会の者にはその線石とやらを知る者がいなかった…故に今日までこうして、意味も解らずにただ保管してきたのだ」
その言葉は感情を押し殺していた。何かを考えていたテュルクは、リベルティーアに尋ねる。
「これを再起動させることが、私の身の証明になる…ということなのですね」
リベルティーアは視線を動かすことなく頷いた。
「私達には再起動の方法は継承されなかったのだ…ただ歴代議長が伝える話では、ペルセヘルはいずれ人々が線石の使い方を知る時が来るまでこの線石を封印することを決め、意図的にその情報を伝えなかったのだという」
テュルクはその言葉に僅かに顔を俯かせ、数秒瞳を閉じた。そして瞳を開くと『ペルセヘルの記憶』に歩み寄った。そして線石の右手側に何か台座のようなものを見つけるとユーリアを呼んだ。
「ユーリア!この操作端末に貴方の右手を置いて下さい…私では触れることができません、ですから操作の方法を教えます」
ユーリアは頷き、言われるがままにテュルクが見つけた操作端末に歩み寄り、開いた右手をかざす様に密着させようとした。
「待ってくれ…それは私ではいけないのかね?」
リベルティーアが尋ねると共に、ユーリアの右手を掴んでを制止した。ユーリアは右手を収めたが、テュルクは首を横に振った。
「この操作端末は、操作する人の情報が入力されていなければ反応しないのです」
そして少し間を空けて説明を続ける。
「…ユーリアは既に聖地で情報を入力しています…私の情報も保存されているはずですが、先程言った通り私では触れることすら叶いません」
テュルクの言葉にリベルティーアは「そういうことか」と小さく呟き、ユーリアに向けて軽く頭を下げた。ユーリアは微笑んで軽く頭を左右に振って返す。
「ではユーリア、手をかざして下さい」
ユーリアは一度息を吸うと、右手を台座の上部、薄く描かれている円に合わせる様にかざした。するとその円が白く、一瞬激しく、その後は淡く輝き、巨大な線石に向かってその淡い光が流れ込むように床を伝い、線石の線が微かに視認できる程度に輝き始めた。
「成功です…次は線石の起動スイッチを押して下さい」
ユーリアは大きく息を吐いて線石に歩み寄る。そしてテュルクを表示している線石と同じ形のスイッチを見つけた。
そしてそれを右手で押した瞬間、ユーリアは自らの体に流れ込んでくる衝撃を受けた。
その衝撃にユーリアの瞳が限界まで開かれる。右手の平から右腕、そして胴体へ伝わる衝撃はしかし、痛みは全く伴わずに、全身へと瞬く間に伝播していった。その衝撃への抵抗の仕方も解らず、ただ彼女の異常に気付いたテュルクとノルトが駆け寄り、凍り付いたように背後に倒れ込むその体を支えた。
周りの人々が驚き、彼女の名を叫ぶ。しかしユーリアは言葉を返す間も無く、全身を伝播する何かに体から押し出されるような感覚の中で意識を失った。
ユーリアは暗く、黒い場所で目を覚ました。目を覚ますと同時に深く、勢いよく冷えた空気を吸い込み、仰向けになっていた体を起こす。地面は黒い、フィフス・ウィングと同じ材質で、自分が今いる場所が、巨大な線石のある部屋と同じだということに気付いた。だが周囲に人影は見当たらない。
「テュルク?…ノルト…?リベルティーア議長…?」
ユーリアの問い掛ける言葉に誰も、何も答えなかった。
部屋の中央には線石は無く、開かれた扉の外から柔らかい陽光が差し込んでもいなかった。ユーリアは腰の刀を抜こうとしたが、そこに使い慣れた刀は無く、アハトで得た龍剣だけがあった。動揺しながらも龍剣を抜き、辺りを警戒しながら開かれた扉へ歩み寄り、龍剣を構えながら外へ出た。
首都へ陽光を容赦無く注いでいた青い空は暗く、代わりに白い満月と星々の光が、静かに浮かんでいた。やはり今立っているのは議場の屋上であり、ユーリアは龍剣を降ろし、音の無い世界で塔の方に振り返った。
「龍剣を持つ『ミゼネナ』とは、変わった組み合わせだね」
ユーリアは咄嗟に龍剣を正面に構えながら、声の聞こえた方向、塔の扉を見上げた。
「それとも外の世界では、それが当たり前になったのかな?そうだとしたら、時代は変わったものだね」
澄んだ男の声だった。塔の扉の前に立つその男は、ユーリアの言葉を待つように静かに佇んでいる。
男の背は決して高くも低くもないが、体は細く、見た目は小柄な、そして親しみのある印象を受けた。しかしその声から聞き取れる、対象を観察する冷静な感情を、ユーリアはテュルクの言葉からも感じ取ることがあった。
だからこそ少し警戒感が解かれた。龍剣を降ろしてユーリアは口を開いた。
「その言葉に答える事は出来る…だが、その前に名乗ってもらえないか?」
ユーリアの当然の問いに、男は深く息を吐き、首を横に振る。
「僕はただ伝えるべきことを伝える役者なんだ、役者の本名なんて無価値なこと、知ってどうする?」
男は軽く答えた。ユーリアはすぐに答える。
「私の名はユーリア、私は私の名もこれまでに出会った人の名も、無価値だと感じたことは無い」
男はその言葉に軽く驚いた。そしてユーリアを手招きして言葉を続ける。
「気を悪くしたなら許してくれ、君が初めての来客なのさ…そして君に早く伝えなきゃいけないんだ」
ユーリアは龍剣を腰に納めて階段を駆け上る。男は警戒せずに上る彼女に少し微笑みながらも、先に塔の中へと入り導く。階段を上り切ったユーリアも後に続く。
塔の内部も構造は変わっておらず、通路に囲まれて中央に昇降機が止まっている。男は通路を回り込み、海が見えるはずの窓の前に立ち、ユーリアを待っていた。ユーリアは男の隣に立つと窓の外の光景に驚き、思わず窓枠に手を掛けながら息を呑んだ。
「その反応を見るに、現実ではこの都市のことは伝えられていなかったようだね」
ユーリアは答えない。窓の外に広がる光景に目を見開き、声を発することも頷くことも出来なかった。窓の外に広がる光景に、ただただ圧倒されていた。
そこには巨大な建造物が、白い輝きと共に海の上に浮かんでいた。白い素材で出来たその建造物は、光沢が無く、むしろその素材そのものが微かに白く発光しているようだった。そしてその不思議な素材で造られた建造物は、高さが今ユーリアのいる始原龍議場の塔よりも高く、幾つもの塔が複雑に絡み合ったように捻じれながら、上へ行くほど夜空に突き刺さるよう剣のように細くなってゆく。そしてその絡み合う塔には窓と思われるものが至る所に設置してあり、根元の部分の入り口らしき扉を見ても内部に入ることが可能であることが分かった。
ユーリアはその幻想的な建造物をしばらくの間呆然と見ていたが、テュルクの話に合致するものがあることを思い出した。
「龍王議会首都の海上都市…」
その言葉に男が驚き、嬉しそうに口を開く。
「残念だが伝わっていたのか…やはり歴史は完璧に残すのも、完全に消し去ることも難しいものだね」
残念だと言いながらも、声音は嬉しさを隠すそぶりも無く、平原を走る子供のように好奇心に満ちていた。ユーリアは窓枠に手を置いたまま男に向き直る。
「ここは…昔の始原龍議場なの?」
ユーリアの問いに、男は数秒掛けて頷く。
「ここは第四龍暦…君の時代にそういう言葉が残っているのかは分からないけど、その最後の時を保存した疑似空間さ」
男は少し早口に説明する。そういう癖でもあるのか、他に理由があるのか、ユーリアは男の言葉と動作を確認しながら聴いている。
「君がここに来たということは、君達の時代の科学水準が僕達の時代のそれに追いついたのだと考えて大丈夫かな?」
男はユーリアに問い掛けたが、その視線は海上都市の方、正確にはそのさらに先の水平線を見つめていた。ユーリアは答える。
「私は第五龍暦に生きる人…あなたの言葉が正しければ二千百年ちょっと先の人、ということになる」
その言葉に男は心の底から喜んでいるようだが、視線は水平線を眺めたままだ。ユーリアもその視線を追うと、水平線が徐々に近付いてきていることに気が付き、全身に寒気が走るのを感じた。
「この空間は君の意識を間借りして形成している『夢』のようなものさ…君の意識が戻ればこの空間はあのように、消える」
男はついに視線をユーリアの瞳に向ける。ユーリアも水平線から視線を逸らす様に見つめ返す。
「時間が無い、線石を起動させた君にやってもらいたいことがある」
男が視線を逸らさずに左手で外の海上都市を示して続ける。
「あの海上都市…『ステラ・トロヌス』を復活させて欲しいのさ」
しばらくの沈黙。ユーリアは必死に思案し、男はその様子を微笑みながら眺めている。
「…具体的にはどうすればいい?基礎から作り直せばいいの?」
ユーリアの言葉に、男は肩を竦めながら答える。
「でっかい線石があっただろう?それにステラ・トロヌスの設計図は保存してある…線石の事も知らずに再起動させたのか?」
ユーリアは男に図星を突かれ、弁明するように答える。
「いや、その『テュルク』が線石のことは全部やってくれていたから…」
正直にテュルクの名前を出したが、男は目を見開いて驚き、時間が止まったかのようにしばらくの間ユーリアの口を凝視していた。その間にも水平線の闇は近づいて来る。
「テュルク…それは本当なのか?本物のテュルクなのか!?」
男の口調が激しくなる。しかしそれは攻撃的なものではなく、奇跡を知った驚愕、そう表現するべきものだった。ユーリアは近付いて来る水平線を気にしながらも答える。
「ああ、線石が映し出すホログラムでしか見たことが無いけど、澄んだ声の…とても優しくて賢い女性よ」
ユーリアの言葉に男から焦りが消え、瞳と口元が優しく綻んだ。そして瞳を閉じて大きく呼吸し、同時に言葉を吐き出す。
「ああ、ああ…分かった…なら何も伝えなくても、僕が造った線石を確実に起動できるだろう…だが、こうして二千年以上、伝える為に待っていたのが無駄になったな…」
男は言葉の節々から歓びと脱力感を滲ませながらそう言うと、視線をユーリアからステラ・トロヌスに迫る水平線へと移す。
「天才は存命だったか…僕の最後の仕事まで奪っていきやがって…」
捻くれた言葉だったがそれこそが、力の抜けた、本来の男の姿を正確に写しているのかもしれない。窓にもたれかかる男の姿を見つめ、思い出したようにユーリアが尋ねた。
「名前は?貴方と会ったこと、テュルクに伝えるよ?」
水平線が眼前の白い海上都市を飲み込み始めた。男は瞳を閉じて考えていたが、最早水平線と呼べなくなる程に闇が近付いてきた時、ユーリアを横目で見つめて呟くように言い放った。
「僕は『ペルセヘル』…僕の事、テュルクによろしく言っておいてくれよ?」
その言葉にユーリアは笑顔で頷くと、闇に飲まれながら答えた。
「ペルセヘル…絶対に無駄にしないから」
そして、二人は闇に飲み込まれた。
「…ユーリア!?」
澄んだ声にユーリアが目を覚ますと、目の前にテュルクの半透明の心配そうな顔が見えた。ユーリアは仰向けになった体の感覚を確かめながら上体を起こす。冷たい床の感覚が着いた手の平に心地よく伝わってくる。周りを見渡すとテュルク以外の人達も揃っており、ノルトとクレス、リベルティーアもテュルクほどではないが、近くでユーリアの様子を確認していた。
「ユーリア殿、体に異常は無いか?必要ならば医者を手配させる」
リベルティーアの真剣な言葉と眼差しが向けられる。テュルクはユーリアが動いたことを確認すると深く息を吸い、いつもの優しげな表情に戻る。
「よかった…迂闊でした、起動時に動力を逆流させる仕掛けが施されていたなんて…」
二人の言葉にユーリアは首を左右に振り、立ち上がると口を開いた。
「私は大丈夫です、すぐに作業に戻れます」
そう言うと台座の前に立ち、テュルクの方を見る。テュルクが慌てて制止しようとするが、ユーリアは台座に右手をかざし、端末を難無く起動させた。
「テュルク、ここからどうすればいいの?」
再び倒れてしまわないか心配していたテュルクはその様子を見て安堵し、説明を再開する。
「まずはメイン画面を召喚してください…次に保存データフォルダ…そして動力画面を…」
テュルクの言葉通りにユーリアは端末を操作し、端末上部の空間に複数の画面が浮かび上がる。保存されたデータ数は膨大で、動力に至ってはほぼ空の状態であった。この端末が動いているのは緊急事態用の予備の動力が働いているからに過ぎない。
手際よく操作を続けていたユーリアだったが、保存データフォルダの展開を行う際に話し始めた。
「倒れている間に、ある人と会ってきました」
端末の画面を眺めて考えていたテュルクが、自分に語り掛けているのだと悟り反応する。
「人に会ってきた…?」
「うん、ずっとこの線石を再起動してくれる人を待っていたんだって…」
ユーリアは画面から視線を上げて巨大な線石を眺める。データの展開が完了し、膨大な数のデータ名が画面に表示される。テュルクはそれを目で追いながらその言葉に耳を傾ける。
「その人は『ペルセヘル』って名乗って、貴女にその名を伝えると約束しました」
テュルクの目の動きが止まった。周囲の龍王達も反応したが、ユーリアは構わず話し続ける。
「この線石に保存してある『ステラ・トロヌス』を復活させて欲しいって…テュルクのことを話したら、テュルクならできるだろうって」
テュルクは無言のまま、データを見つめて解析している。しばらくの沈黙の後、データを全て確認したテュルクが口を開いた。
「その話に間違いは無いようです…この線石に保存されているのは、ステラ・トロヌスのホログラフィックデータに間違いありません」
テュルクの言葉を待っていたのだろう、リベルティーアが口を開く。
「少しいいだろうか?その『ホログラフィックデータ』やら『ステラ・トロヌス』やら、我々にはそれが何のことやらまるで分からないのだが…」
リベルティーアの言葉にペルセヘルの「歴史を消し去った」という言葉を思い出す。龍王議会には海上都市の存在自体が伝わっていないのだ。
テュルクは龍王達の方へ振り返り、彼女の知識を語り始めた。
「『ステラ・トロヌス』とは第四龍暦の終末期、始原龍議場の南の海上に造られた、人工の海上都市の名前で、当時の私の研究所や工場なども保存されていることを確認しました」
リベルティーアは真剣な表情で聞き入っている。
「『ホログラフィックデータ』は…私の姿がその答えとなるでしょう」
テュルクは自分の胸に手を当てて頷いた。半透明の霊のような姿。それこそが線石に保存されるホログラフィックデータそのものに他ならなかった。
リベルティーアは改めてその姿を眺め、自らを納得させる。
「成程…つまりこの『ペルセヘルの記憶』を起動させることで、第四龍暦に存在した都市が、君のように半透明な姿で再現されるということ…そういうことだな?」
テュルクは頷き、さらに補足説明する。
「ええ…ですがこれほどの大きさがあれば含有している『ホロフィウム』を使い、都市そのものを『実体化』させることも出来るでしょう」
テュルクの言葉にリベルティーアは息を呑む。この線石の復活が成れば、龍王議会がどうなるのかを予測出来ていた。興奮を隠し切れない様子で口を開く。
「ならば再起動させれば、今すぐにでもその海上都市が、第四龍暦の遺物が手に入ると…?」
しかしその言葉にテュルクは瞳を閉じて俯き、首を振った。
「今すぐには不可能です…何故なら…」
突然、聞く者を不安にさせる警報音が部屋の外から飛び込んできた。部屋の闇を波立たせるように響くその音に、即座にノルトが反応して叫ぶ。
「空襲警報だ!私は首都防衛部隊と合流し、対応に当たります」
そう言うと敬礼し、ベッコウを背負って飛び出してゆく。
「もちっと優しく扱わんか~い!」
部屋の外からベッコウの不満そうな声が響いてきて、部屋は一度静寂に包まれた。ユーリアはテュルクと視線で合図を交わし、リベルティーアに話し掛ける。
「私達もリムに乗って戦います!この線石はその後です」
リベルティーアは勇ましい言葉に不意を突かれたが、頷き口を開いた。
「状況はこれから確認するが、その言葉自体はありがたい…できれば我が軍だけで対応できれば良いのだが…」
その言葉にヒストフェッセルが噛みつく。
「ふん!たかが小娘一人と、よくわからんホロ何とかというものの手助けなど不要!始原龍議場には常時三千の飛龍部隊が防衛にあたっている、貴様らの出しゃばる幕は無いわい!」
その言葉に周りの龍王達も困惑しながらも頷く。龍軍派にとっては手助け無しに撃退できれば戦果として発表出来、人軍派にとってもレイヴン王国王女を戦闘に駆り出すのは避けたい話でもあった。
しかしリベルティーアは、敵が戦線を突破しないまま首都を襲撃してきたことに違和感を感じていた。大規模な首都防衛軍の存在は予測出来ているはずであり、それを押してまで首都奇襲作戦を行ったのには、何か確実な勝算があっての事ではないかと、不安が彼の心の余裕を奪っていった。
クレスは瞳を閉じて意識を集中させる。
(ハイマート!警報音が聞こえてる?敵が来るそうよ)
クレスはノルトが出ていくタイミングでハイマートに話し掛けていた。
(聞こえている…このタイミングで首都攻撃とは敵ながら見事だ)
クレスはその言葉に不安を覚えたが、まず優先するべき事を伝えた。
(今、議場の屋上、最南端の塔内部にいるの!そこにユーリアのリムを運べないかしら?)
(了解した…少し難しいが尾で何とか運ぼう…事態は急を要する)
珍しく即答してくるハイマートに、違和感を感じたクレスは問い質す。
(貴方がこんなに早く話せるなんて、首都に雪でも降るのかしら?)
(雪ではなく、弾丸が降り注ぐことになるだろう…少し前に首都から二千五百以上の飛龍が他の土地へ飛び立ったのを確認した…首都には四百程度の飛龍しか残っていない)
クレスは言葉を失った。思考が停止して、体温が下がっていくように感じられた。そんなクレスにさらにハイマートが追い打ちをかける。
(接近中の敵機は六機…西方戦線で百倍の飛龍をぶつけながら制空権を取れぬとなると…厳しいかもしれんな)
リベルティーアを先頭に一同が部屋を出ようとした瞬間、議長補佐官が部屋に飛び込んできた。部屋の内部と外部の光量に差がありすぎてお互いに視認できず、リベルティーアは補佐官を抱きとめる形で制止させる。
補佐官は慌てた様子で姿勢を正し敬礼すると、情報を語り始めた。
「ほ、報告します!現在飛龍が届かぬ超高高度を六機の飛行型リムが首都へ向けて急速に接近中!防衛軍が出撃しましたが、数的に優勢を取れるのかは西方戦線での戦況を見る限り不透明な状況です…!」
リベルティーアは視線を強張らせる。
「なんだと!?首都には三千の飛龍による防衛軍がいたはずだ!それでたかが六機の敵に劣るなど!」
「それが、正午前から各都市で敵軍の奇襲攻撃が始まり、その援軍として首都防衛軍からも総勢二千六百の飛龍が派遣され、現在四百足らずの飛龍のみが残っている状況で…敵も果たして六機で全軍なのか…」
リベルティーアの怒声に補佐官が必死に弁明する。しかしその言葉はリベルティーアの怒りを激しくするのみであった。
「派遣した防衛軍をすぐに呼び戻せ!首都を落とされるわけにはいかん…!」
鱗に覆われた拳を握りしめて叫ぶ。補佐官は敬礼すると走って部屋の外へ出て行った。リベルティーアも苛立ちを隠さず、大股で部屋を出る。
ユーリア達も外へと出ると、始原龍議場の空を多くの飛龍達が巡回しているのが見えた。しかしリムに乗るユーリアとテュルクの目には、六機を相手にこの飛龍軍だけでは勝ち目がないのは明らかだった。
その時始原龍議場の東側方面からハイマートの巨体が浮かび上がり、その尾が伸ばされてその上に乗せられていたユーリアのリム『フィフス・ウィング』ごと一行の眼前に降ろされた。ユーリアがクレスを見ると彼女は微笑みながら静かに頷く。
「ハイマート様にここまで運ぶよう、お願いしておきました」
クレスの言葉にヒューゲルが拍手する。
「流石の手際の良さ!ハイマート様と心を通わせておかねば、ここまで流れるような行動は出来ますまい?」
後半はヒストフェッセルを横目で見ながらの言葉であったが、ヒストフェッセルはただ鼻を鳴らしただけだった。
リベルティーアがユーリアに歩み寄り、頭を下げた。驚くユーリアに対して、リベルティーアは頭を下げたまま口を開いた。
「事は一刻を争うようだ…龍王議会議長としてユーリア王女、貴殿に此度の戦への正式な助力を要請したい、これは古き同盟による最後の共同戦線、そして新たな同盟による最初の共同戦線としての要請である」
ユーリアとテュルクが頷くと、テュルクは線石の内側へと戻り、ユーリアはフィフス・ウィングの操縦席へと飛び込む。同時に十体の飛龍とハイマート城の飛行船が屋上へ到着した。ヒューゲルとクレスは飛行船へ飛び乗り、ハイマート城へ向けて飛び立った。その飛行船の操縦席から、二人の敬礼する姿が見えた。
飛龍の内先頭の一体には議長補佐官が乗っており、他の九体を誘導して一行の右側面に着地させた。リベルティーアが補佐官に敬礼して飛龍の背に騎乗し、他の龍王達も自らの相棒となる飛龍に跨り、飛び立って行く。
「へぇ~龍王達は飛龍に乗って戦うのね」
ユーリアは線石を台座に設置し操縦肢に体を固定すると、飛び立って行く飛龍達を眺めて感嘆の声を上げた。ユーリアには飛龍や人龍に対する偏見も、知識も無い。だからこそアハトで出会った身を挺して街を守っていたコガネの印象が強く、龍というものに対して非常に好意的な印象を抱いていた。
最後まで残っていたリベルティーアが起動したフィフス・ウィングに対して敬礼し、不敵な表情で口を開く。
「そうだ!我らとて龍!人の兵士のみを戦わせ、他国の盟友に縋るだけの弱者ではないのでな!」
そう言うと乗っている飛龍の背を素手で叩く。飛龍は待っていたと言わんばかりに力強く羽ばたくと、風に巻かれた木の葉よりも速く、華麗に青い空へと上昇していった。
ユーリアがその様子をうらやましそうに見つめていると、テュルクの澄んだ声が響いた。
「ユーリア!武装の展開を行いますから機体を立たせてください」
「はいよ~!」
ユーリアはマイクを切ると同時に機体を立ち上がらせる。操縦席にテュルクの言葉が響く。
「『ホログラフィックウェポン・光の銃』(コミティス)展開開始」
ユーリアはその間、全ての感覚を四肢へと集中させる。これから先の戦いで自らの意志で武器を展開しようとするのであれば、テュルクが武器を展開する際に送られてくる微妙な信号を体で感じ取り、それを自ら再現できるようにならなければならないのだ。
「『ホログラフィック』展開完了、『ホロフィウム』展開開始」
目を閉じたユーリアの心の中に、手足を通じて見たことの無い武器の姿が送られてくる。この武器を次からは自らの頭の中でイメージし、こちらから機体へと伝えなければならない。
ユーリアは確かな形となったその武器に右手を伸ばし、掴み取る。
「『ホロフィウム』展開完了、『ホログラフィックウェポン・光の銃』(コミティス)展開完了!」
ユーリアは瞳を開き、右腕に握られたその銃をしっかりと見つめる。心の中で見たものと同じ姿で展開されたそれは、やはり黒い光沢を持ち、その造形は曲線的で美しかった。
「これで三つ目…ユーリア、全て自分でも展開できそうですか?」
「うん…多分…」
テュルクの確認を曖昧な返事で誤魔化す。しかし突然の警報がそれを簡単に打ち消した。
「上空!『防御壁』(レピ)展開!」
テュルクが咄嗟に防御壁を展開するのと、敵弾の着弾がほぼ同時だった。炸裂弾が黒煙を伴って爆裂し、防御壁の外が視認できなくなった。しかし爆発音とハイマートの咆哮が聞こえて、足元の尾が動き始めた。
「黒煙の外に出る!」
ユーリアは叫び、右側へと飛び退いた。黒煙はすぐに途切れ、外の様子がカメラ越しに確認できた。始原龍議場屋上に炸裂弾が着弾し、ハイマートも被弾していた。そして炸裂弾を乱射しながら、首都上空を高速で飛び回る六つの機影が見えた。
「あの機体…!」
ユーリアは一瞬でその中の一機、青い飛行型リムを確認すると瞬時に狙いを定め、光の銃を発射した。
「あいつも私を狙ってくるか…『防御壁』も確認できた」
ゴルドウィンは黒いリムの攻撃を躱しながら呟いた。敵の弾は光の筋を描いて直線的に飛び、その弾道は重力の影響を受けている様子がまるでなかった。
「しかしなんだ、あの武器は!?」
続けて発射された二発目と三発目を回避した為、ゴルドウィンは単機での低空飛行を余儀なくされていた。ソティラヴィアが通信を入れる。
「あの機体が報告にあった機体か?」
高度を取り戻しつつある他の五機は、城壁からの対空砲火を躱しながら既に一撃離脱の攻撃態勢に入っていた。ゴルドウィンが回避しつつ答える。
「武装は異なりますが間違いありません、アハトで交戦した敵の新型リムです」
「ならば貴様が奴を殺れ、アハトでの不手際を清算しろ」
ソティラヴィアの言葉に、ゴルドウィンは敵弾を回避しながらも大きく息を吸う。アハトで四人の部下の命を奪った相手への復讐心と、絶対に失敗出来ない作戦であることが彼の戦意を高揚させる。
外部の音を拾うマイクからは、飛龍達と始原龍の咆哮が途切れることなく飛び込んできており、音による周囲の状況確認を困難にしていた。主力は西方の最前線に出払っていると思っていたが、首都防衛軍の練度は予想以上に高かった。
「ベネディクト、ラナド、お前達二人は飛龍共の相手を!セニサ、メチェーリは重要施設の破壊に向かえ!人軍の対空兵器は旧式にも程がある、我らの装甲は抜けん!」
ゴルドウィンの命令を各隊員が了承し、ソティラヴィアが黙認する。ゴルドウィンが通信を切り、低空を旋回しながら議場方面を確認すると、最も危険な相手である始原龍にソティラヴィア機が突撃していくのが見えた。
しかしそれでも黒いリムの狙いはゴルドウィンから外れておらず、旋回中を狙って続け様に三発撃ち込まれる。ゴルドウィンは強引に機体を捻り、上下に回避させつつ旋回し切り、左腕から炸裂弾を撃ち込み、煙幕として利用しながら仇敵に向けて突撃した。
ノルトは首都を囲む三つの城壁の中で最も内側にあり最も高い、第一城壁の上を駆け抜けていた。対空砲が高速飛行する敵リムを狙っているが、人軍の練度が低くて当たらず、また弾が直撃しても効果が出ているようには見えなかった。そして動けない対空兵器は敵にとって格好の的でもあった。
「我が軍は雑魚いの~う!」
近場の対空兵器が爆発四散した音に紛れて、ベッコウが言ってはいけない正論を叫ぶ。龍王議会人軍の対空兵器が時代遅れなのは、国内軍事技術の遅れが根本的原因であるものの、龍軍派が飛龍部隊の優位性が損なわれることを恐れて対空兵器の調達を妨害したという政治的な理由もあった。
ノルトは爆発した対空砲から吹き飛ばされた射撃手へ駆け寄り、まだ息があることを確認すると肩を貸して近場の塔へ引きずる様に運んでゆく。人軍の標準装備である龍の鎧は耐熱性に優れており、革命同盟軍が使う強化装甲とやらと比類出来る程の耐久性も兼ね備えていた。その為敵の爆発兵器程度では致命傷にはなりにくく、唯一龍王議会人軍が革命同盟軍に対して優っている装備でもあった。
「兵器が弱いのは仕方がない、空中戦は飛龍部隊に頑張ってもらうしかない」
しかしその飛龍部隊も敵の炸裂弾を浴びると飛行能力を奪われ、城壁や建造物の屋根に不時着する個体が増えてきていた。空を飛ぶ飛龍の数は明らかに少なくなってきている。城壁に配備された対空砲もほとんどが破壊され、残る人軍兵士達は長銃で対抗するしかなくなっていた。そして敵機はそんな兵士には目もくれずに都市への爆撃と飛龍部隊への攻撃を続けていた。
根本的に機動力が異なる敵機に対して飛龍部隊も有効打を与えることが出来ずに、ノルトにはただただ航空戦力を消耗しているように見えた。無事に塔へ入ると衛生兵に重傷の兵士を預け、再び屋上へと走り出る。
「アハトでは不甲斐ないどころじゃないってぐらいのボロ負けだったからな、人軍の名誉挽回と行きたい所なんだが…」
ノルトは敵機が急降下からの爆撃を行い上昇する、一撃離脱を行っていることには気付いていた。その動きを予測して、長銃を構え雷光弾を撃ち込んでみるが、直撃しても相変わらず効果が出ているようには見えなかった。
「雷光弾はもう効き目無さそうだな…」
ノルトはついに長銃を投げ捨てた。腰の龍剣を抜くと再び城壁を走り始める。
「ノルトや、気でも狂ったか?」
「いや、正直お前を投げつけるのが一番効き目がありそうなんだが…」
ベッコウの言葉を間髪入れずに封殺すると、ノルトは一機の敵に狙いを定めた。それは前方で城壁沿いに飛び込み、城壁をなぞる様にノルト達の方へと迫ってきていた。ノルトは背負っていたベッコウをその場に乱雑に降ろす。驚くベッコウにノルトは片手で軽く敬礼した。
「ちょっと賭けに出る、ここで待ってろ」
そう言うと、ベッコウの目の前でノルトは城壁の胸壁を飛び越えた。
「なんじゃと!?」
あとに残されたベッコウは背が足りずに、ノルトがどうなったのかを確認することが出来なかった。
「うおおおおおおお!」
ゴルドウィンが雄叫びを上げながら黒いリムへ突撃する。そのリムの右腕にはブレードを展開し、側面を飛び抜けながら、刃を右腕ごと振り上げる。しかし黒いリムは間一髪で見切り、急上昇するゴルドウィンへ向けて銃を乱射する。
ゴルドウィンは機体を回転させながらそれを回避する。ゴルドウィンの腕だからこそなせる業だが、それ程の腕前でなければ相手にならないということを物語っていた。機動力で圧倒的に上回る飛行型リムを相手にしながらも優位に立ち続けるその機体性能も脅威であった。
(これが量産されていないことを祈るしかないか…)
距離を取ったゴルドウィンは、黒いリムを見下ろしながらこれからの戦況を思考する。しかし突然通信が入り、焦燥した声が聞こえて来た。
「嘘…っ右腕部をやられました!ブレードが展開できません!」
「ラナド、施設への爆撃に専念しろ!セニサが飛龍部隊との戦闘に入れ」
「了解っ」「了解!」
ラナドとセニサが命令に従うと、ソティラヴィアが割り込んできた。
「今のやられ方は面白かったねぇ…油断大敵だよラナド君?」
ソティラヴィアの言葉は激しい戦闘中とは思えない程に、纏わりつくような粘度があった。ラナドの焦った声が続く。
「はい…有難く肝に銘じておきます」
高度をさらに上げたゴルドウィンは首都全体を見渡す。残り少ない飛龍達の追撃を振り切る様に上昇するラナド機を見つけると、その右腕部が激しく切り裂かれているのが見て取れた。
「飛龍の接近を許したか…各員飛龍への攻撃は炸裂弾を主として行うことを徹底せよ!主目的は首都機能の破壊であることを忘れるな!」
「ゴルドウィン…ラナドをやったのは飛龍ではない…君もまだ周囲の確認が足りんな」
ゴルドウィンの言葉に対して、ソティラヴィアがいつも通りの話し方で答える。ゴルドウィンはその言葉に驚きつつ、光線を回避しながら再び黒いリムへと迫った。通信機からソティラヴィアの言葉が聞こえてくる。
「人軍など敵ではないと思っていたが…やはり龍よりも人の方が優秀だということか…」
始原龍ハイマートは一機の白いリムを相手に、思わぬ苦戦を強いられていた。巨大な体のあらゆる箇所からブレスに相当する光線を放っていたが、それは防御壁を展開している敵への有効打とならず、一方的な戦いが続いていた。
龍王達が乗る飛龍達もハイマートを守ろうとその周囲で陣形を組み戦っていたが、次々と炸裂弾を受けて撤退を余儀なくされ、残るはリベルティーアとヒストフェッセルの二人のみである。
二人は左右に並び飛び、ヒストフェッセルが遠くへ上昇してゆく白いリムを睨みながらリベルティーアへ話し掛ける。
「ふん!人軍に力を回せと喚く割には、人龍と飛龍の力を上手く使うではないか若造!」
リベルティーアの右手の平から放たれたブレスが、白いリムが放った炸裂弾を迎撃する。その黒煙を抜けてからリベルティーアも負けじと叫ぶ。
「我らの人軍に同様の兵器を配備していたならば、ここまで不利な状況には陥らなかったということを忘れるな!」
二人は反転してきた白いリムの攻撃をブレスで撃墜しつつ、進路を予測して距離を詰めようとするが機動力の圧倒的な差は埋められず、攻撃を加えられない。それでも二人の騎乗センスは他の飛龍と龍王達を凌駕しており、言い争えるだけの余裕があった。
「ふん!あんな兵器をこの国に導入したらどうなる?力を得た人が龍と争い合う!たとえ我らが懸命に統治したとしても、奴らの甘言は止めどなく国内へと流れ込んでくる!『龍を滅ぼすべき』と喚き散らす北と西の奴らの計略をどう止める!」
北とは大陸北部の大国『境界騎士団』のことであり、西は革命同盟のことである。その両国は今回の戦争において「龍の圧政からの解放」を掲げていた。
「これまでの龍が人を守ってきた時代が、これからは人が龍を守る時代に代わるだけだ!」
リベルティーアは叫んだが、ヒストフェッセルの意見は変わらない。
「ふん!そんな戯言は別の時代に叫んでいろ!龍との共存を望むのは今や龍王議会ただ一国のみ!大陸全体で圧倒的少数派の我々の意見が、いつまでも押し通せると思うな!」
リベルティーアはその牙よりも鋭い言葉に返すことが出来ない。
「ふん!遅かれ早かれ龍を守ろうと言う少数派は排除される!それが人という生き物だと、私は千年の生の中で飽きる程見て来たわい!我ら人より賢き龍が!大多数の人を導く理を貫かねばならぬのだ!」
ユーリアは光の銃の独特な弾道と弾速にようやく慣れ始めていた。青いリムが最も脅威度が高いと考えて集中攻撃していたが、首都上空へと飛び立ったハイマートを襲撃している白いリムの動きも、青いリムに劣らずハイマートを守護するように戦う龍王達を翻弄していた。
「ちょこまかと面倒な…!」
苛立ちを隠さないユーリアだったが、テュルクがユーリアに進言した。
「ユーリア、もう飛龍部隊の残存数が百体を切っています…ですが敵機はまだ一機も落ちていません」
ユーリアは炸裂弾を乱射しながら四度目の突撃を行ってきた青いリムを回避し、光の銃を放ちながら答える。
「分かってる…でもあいつを落とさないと!」
「ええ、ですから私に考えがあります」
ユーリアはテュルクの言葉に周辺の状況を確認しながら耳を傾ける。
「私も戦います…私の線石を外へ投げて下さい」
突然のテュルクの言葉に光の銃を撃つ手が止まる。青いリムは急上昇してゆく。
「え…外にって…」
テュルクが消していた姿を現し、ユーリアを見つめて語り掛ける。
「『フィフス・ウィング』の操縦は貴方だけでもできます…一人でリムを操縦できないようでは、立派な王にはなれませんよ?」
テュルクの澄んだ声が外から聞こえてくる爆音をかき分けるように、優しく操縦席に響く。ユーリアは息を吸うと、反転してくる青いリムを見つめながら答えた。
「…分かった!次の攻撃を凌いだ瞬間に、ハッチを開けて外に投げるからね!」
ユーリアの力強い言葉に、テュルクは笑顔で答える。
「その言葉遣いも、違和感が無くなってきましたね」
そして答えを待たずに線石の中へと戻った。ユーリアは心を研ぎ澄まし、青いリムが接近する瞬間に始原龍議場の屋根を蹴り、空へと飛び上がった。同時に操縦肢から体を取り外す。
不意を突かれた青いリムはブレードでも炸裂弾ですらも攻撃することが出来ずに、ユーリアの下を通り抜けていった。その瞬間にユーリアは操縦席のハッチを開け、台座から抜き取った線石を空へ向けて放り投げた。フィフス・ウィングは自動バランス制御で体勢を立て直し、屋上へと着地する。
ユーリアは操縦肢に戻ると、空に輝く線石を見つめた。
「『ホログラフィック・リム<タクスィメア>』展開開始!」
テュルクの澄んだ声が、戦闘音に混ざって青い空に響いた。その言葉に反応して、線石の光の線が線石から溢れる様に伸び始める。それは素早く、綺麗な形を形成しながら複雑に絡み合い、瞬時にその姿、光の線で造られた『リム』を完成させた。人型には違いないが、各部位の装甲の厚さはこの場にいるどのリムよりも厚く、機体自体が一回りも巨大であった。背中や腕、脚からは翼のような突起物が伸びており、それらが機体本体以上に機体を大きく見せていた。
「『ホログラフィック』展開完了、『ホロフィウム』展開開始」
その言葉が発せられると、リムを形作る光の線という線から薄い半透明の膜が広がり、機体を形作った。機体は半透明であり、操縦肢に当たる場所にはテュルクの線石が、機体の外側からでも確認出来た。そしてその機体は、空中に浮いていた。
「『ホロフィウム』展開完了、『ホログラフィック・リム<タクスィメア>』展開完了!」
テュルクが線石から姿を現して高らかに宣言し、ハイマートを襲う白い機体、ソティラヴィア機へと向き直った。一部始終を見ていたソティラヴィア機は、龍王達の追撃を躱すとテュルクの機体<タクスィメア>と向き合った。
「王国の飛行型リム、か…名前を叫んでいた気がするが…」
ソティラヴィアはその半透明な大型の機体と向き合うと、その奇天烈な姿に思わず口元を歪めた。まるで光で造られたかのようなその姿は、太古のリムの亡霊のようでもあり、決して人の手の届かぬ領域から見下ろす神のようでもあった。
「我々が持たぬ技術か…面白い!」
ソティラヴィアはハイマートと龍王達を捨て置くと、現れた半透明の機体へと突撃した。銃器は使わず右腕のブレードを展開して、反撃を警戒しつつも極限まで速度を上げてゆく。半透明の機体は、空間に磔にされたかのように微動だにしない。
そしてブレードを振り始めた瞬間、ついにその機体は動いた。ソティラヴィア機を上回る速さで機体を回転させて刃を躱す。ソティラヴィアは速度を落とさずに振り抜き、機体を胴体部分で捻じらせ左腕の炸裂弾を放った。そして炸裂弾はタクスィメアの右脚に当たり、何にもぶつからずに通り抜けた。
「ほう…」
それを見たソティラヴィアが感嘆の声を上げる。タクスィメアは体勢を立て直すと、瞬間的に加速してソティラヴィア機の背後に迫った。
「ソティラヴィア将軍!」
ゴルドウィンが叫び、上空のタクスィメアへと炸裂弾を放つが、機体に当たったはずの弾は何事も無く貫通し、空へと消えていった。しかし、動きが止まりかけたゴルドウィン機に始原龍議場屋上から光線が射出され、それを間一髪で回避しつつもゴルドウィンはユーリアとの戦いに戻らざるを得なくなった。
「貴様如きの助力は要らぬ!任務を遂行せよ!」
ソティラヴィアは速度をさらに上げて振り切ろうとするが、タクスィメアの加速性能はソティラヴィア機を上回っていた。ソティラヴィア機が空に残す光粒子エンジンの軌跡を辿る様にタクスィメアは着かず離れずの距離を保ち、敵機が直線的に逃げ始めた瞬間を狙い、背面と右腕の翼状の光の銃から一斉に光線を射出した。
ソティラヴィアはそれを機体を捻り、急減速しながら躱すと、右腕のブレードを突撃してくるタクスィメアへ向けて振り下ろした。
その刃はタクスィメアの眼前で止められた。タクスィメアの右手に現れた光の刃が、ソティラヴィア機の右腕の刃を受け止めている。タクスィメアが右腕を振り切り、ソティラヴィア機は弾き飛ばされ、回転しながら始原龍議場へと降下してゆく。タクスィメアもそれを追って急降下を開始した。
ユーリアは上空から突撃してきたゴルドウィン機と対峙していた。なりふり構わずに近接戦闘を仕掛けてきたゴルドウィン機の左腕を接近される前に破壊したものの、屋上へ降り立ったゴルドウィン機の右腕の刃を躱し切れずに、展開していた光の銃を破壊されていた。
ゴルドウィン機は刃による攻勢を緩めることは無く、ユーリアは辛うじて躱し続けていたが止まることなく後退させられていた。飛行型リムとはいえ、リムの元来の戦場である地上でその動きが鈍ることは無く、ユーリアが機体性能で優位に立っているわけではなかった。
(近接用の武器が無いと、格闘技だけでは勝ち目が…)
ユーリアは言葉を発する余裕すら無くなっていた。ユーリアも訓練されているとはいえ、ゴルドウィンも革命同盟軍の歴戦の兵士であり、その動きは年を重ねても鈍るものではなかった。
ユーリアは自らが扱うことが出来る武器を考える。愛用の刀しか思い浮かばないが、それを展開したことは無く、しかしそれ以上に迷っている時間も無かった。
(心の中で、武器を取る私と『フィフス・ウィング』を創造する…)
ユーリアは集中して刀を構える自分を想像しようとするが、ゴルドウィン機の猛攻がそれを許さない。絶え間ない攻撃を躱し、受け流し続けて既に始原龍議場の中央まで後退させられていた。ユーリアは自らの実戦経験の無さを悔やんだ。武器の持ち方や扱い方は訓練で行ったことのみしか知らず、瞬時に思いつくことが出来る武器の構えを、この戦闘の中で成立させられずにいた。
(防御か攻撃をしながら武器を展開できればいいんだけど…)
その時、ユーリアは一つの方法を思いついた。龍王議会領に入ってから、そのような場面があったことを思い出してその様子がはっきりと想像できた。あとはその状況を作るのみだった。
(相手を跳ばせなきゃいけない…どうにかして…!)
後退し続けていたユーリアはここで前に出た。腰を下ろしながら瞬時に間合いを詰めて、さらに両手を着いて体勢を低くし、敵機の足めがけて激しい回し蹴りを放った。ゴルドウィン機は跳び上がり、攻撃の手を緩めないようにそこから斬り降ろしへと繋げた。
(来た!)
ユーリアは回し蹴りの体勢からしゃがみの体勢に入り、右手を腰部左へと回すと右腕を振り抜きながら跳び上がった。その右腕にある刀を、振り下ろされる相手の刃を受け止めるさまを想像しながら。
フィフス・ウィングの右手の中に瞬間的に光が現れ、たちまち黒い刀がその姿を現した。生まれたばかりの刀はゴルドウィン機の右腕の刃を受け止め、重量と力で勝るフィフス・ウィングが、その機体ごと刃を弾き飛ばした。
「ぐぉっ!?」
ゴルドウィンは突然現れた刀に驚き、力任せに弾き飛ばされた。少し離れた場所に着地すると、二機は間合いをそのままに対峙した。刀を構え直したフィフス・ウィングは微動だにせず、ゴルドウィンもその隙の無さにこれまでのような攻勢を取ることが出来なくなっていた。
互いに動けぬ時間は唐突に終わりを告げた。
「防御壁だ!ゴルドウィン!」
通信が終わるよりも速くゴルドウィンは防御壁を展開し、その直後に直上から無数の光線が着弾した。始原龍議場の屋上で激しい爆発が起こり、ユーリアは刀で煙を切り裂いた。
防御壁とゴルドウィン機は健在だった。光線が着弾した屋根も、焦げた程度で形状は維持されていた。ゴルドウィン機と背中合わせになる様にソティラヴィア機が舞い降り、タクスィメアが距離を置いたその正面に着陸する。ゴルドウィンらの通信機にソティラヴィアの声が入る。
「ここでの戦いに、最早勝算は無い…だが」
遠くの方で激しい爆発音が響いた。ユーリアとテュルクが二機の相手をしている間に、他の四機が首都の主要な建造物を破壊して回っていたのだ。爆発音が聞こえた方角から四機のリムが接近してきていた。
ユーリアとテュルクの注意が四機の方角へ逸れた瞬間、ソティラヴィア機が炸裂弾を屋根へと連射した。辺りが黒煙に包まれ、ユーリアとテュルクが黒煙から脱出した時には二機は既に上空へと飛び立ち、海上へと逃れようとしていた。
「敵の援軍が到着する…他の都市の奇襲部隊が一部しくじったらしい…」
ソティラヴィアの言葉通り、首都から北方向の空を埋め尽くす無数の飛龍が飛来するのが確認できた。ゴルドウィンは悔しそうに呻きながらも、隊員達へ向けて号令を発した。
「全隊員に告ぐ!作戦の主目的は達成された、即時撤退せよ!繰り返す!主目的は達成された、我に続き作戦本部まで撤退せよ!」
隊員は承諾し、ソティラヴィアは黙認する。無言のソティラヴィアの怒りに燃える瞳は、テュルクの駆るタクスィメアへと向けられていた。
革命同盟軍首都奇襲部隊が逃げに徹したことで機動力に劣る龍王議会の追撃は頓挫し、ここに龍王議会首都奇襲戦は幕を下ろした。戦闘時間は三時間程の小規模なものであったが、首都のインフラと工業生産能力、食料生産能力は大打撃を被った。また首都と直結している龍王議会最大級の港も破壊され、国内外からの物資の海上輸送も困難となった。
首都防衛軍も人軍・龍軍共に大打撃を受け、戦闘に参加したほぼ全ての飛龍が何らかの損傷を受け、人軍は防衛兵器の殆どを失い、約半数が戦死、重傷とされた。
龍王議会軍側がこれだけの被害を受けながらも、革命同盟軍側の機体と兵員の損失はゼロであり、その戦力の差をまざまざと見せつけられる形となった。首都での実質的な敗戦は、龍王議会軍の戦意を削ぐには十分な戦果であった…しかし、これは第五龍暦における龍王議会の歴史の転換点ともなった。
戦闘が行われた夜、再びリベルティーア議長ら龍王達とユーリア、テュルク、クレスが『ペルセヘルの記憶』の前に集合していた。フィフス・ウィングも片膝を折る形で鎮座しており、場の雰囲気は重々しかった。
ここにいないヒューゲルはハイマート城で戦災にあった人々を癒すために城の広間と食料を提供し、そして自らの指揮で演奏会を行っていた。ノルトは昼の戦闘で右肩を脱臼して、治療を受けているらしい。ベッコウはノルトと共にいるそうだ。
リベルティーアは場に揃った人々を見渡すと、深々とユーリアとテュルクに頭を下げた。
「こんな深夜にしか時間を作ることが出来なかったことを深くお詫び申し上げる…龍王議会が置かれている現実は非常に厳しいと言わざるを得ないが、それでも私達『龍』は降伏を選択することは出来ない…」
リベルティーアの噛み締めるような言葉には、ユーリアも同情せざるを得なかった。相手が聞く耳を持たずに龍の殲滅を掲げている以上、敗北は龍の種としての死を意味する。
「レイヴン王国からの援軍である二人がいなければ、今日の間に龍王議会は再起不能なまでに敗北を喫していただろう…二人の勇戦に国を治める龍王議会議長として、最大限の礼を尽くすことを約束しよう」
そして頭を上げたリベルティーアに、ユーリアは微笑みながら頷き、テュルクは頭を下げた。この時ばかりは、ヒストフェッセルも何も言わなかった。
「私達は同盟通りに助太刀しただけ…お礼は戦後でいいから、早く昼の続きをやりましょ?」
ユーリアは昼間よりも態度が軟化していた。外交用の態度を使う必要性は、最早無い。テュルクは頷き、巨大な線石『ペルセヘルの記憶』を見て語り始めた。
「前回にもお話した通り、この線石を使えばかつての龍王議会首都の中心部『ステラ・トロヌス』を再現することが出来るでしょう…ですがこの線石には、足りないものがあります」
テュルクの言葉にヒストフェッセルが口を開く。
「ふん…もったいぶらずにそれが何かを言えばいいものを…用意できるものなら用意する、出来ぬものなら諦めるまでよ」
その言葉も昼間とは打って変わって協力的であり、龍王として現状を憂いている点ではリベルティーアと同じであった。テュルクはその言葉に頷き、続ける。
「それは動力源である『光線液』です、それが尽きていたら、どんな線石もただの石と同じです」
「その『光線液』とやらは、龍王議会では手に入らないのだろうか?」
リベルティーアの問い掛けに、テュルクは俯き、答える。
「分かりません…『光線液』は聖地の『光線の大穴』から産出されていましたが、採取機能を持つ観測所を…私が落下させました」
後半を申し訳なさそうに話すテュルクに、リベルティーアは軽く頭を押さえ、ヒストフェッセルは鼻を鳴らした。しかしテュルクは気を取り直して話し続ける。
「ですが『光線液』は、ジョテーヌ大陸の地下を水脈に乗る様にして流れていたことが解っていましたから、その分布図のデータを入手できれば、龍王議会領内で採取できる場所が判るかもしれません」
その言葉にヒストフェッセルが反応する。
「ふん!どうせその分布図とやらの場所が判らぬから、そんな曖昧な言い方しかできんのだろう?」
その言葉にテュルクは再び頷く。ヒストフェッセルは溜息混じりに続けた。
「ふん…その様子では、この『ペルセヘルの記憶』とやらに都市の設計図が保存されているなどという話も信用ならんな…」
しかしその言葉には、テュルクははっきりと首を振り否定した。
「この線石に『ステラ・トロヌス』の設計図が保存されているのは間違いありません…ユーリア、フィフス・ウィングを起動してください」
「…あ、はいっと!」
突然の指示に反応が遅れたが、ユーリアは慌ててテュルクの線石をその場に降ろすとフィフス・ウィングに飛び乗り、瞬時に起動させる。
黒いリムが立ち上がるのを確認すると、テュルクは更に指示を与える。
「では『光の銃』(コミティス)を展開してください」
ユーリアは言われるがままに展開を開始する。集中しているが故にテュルクのように言葉を発しないが、破壊される前の完璧な状態でリムの右手に現れた。テュルクはその出来に満足そうに頷くと、次の指示を与えた。
「ではその銃で『ペルセヘルの記憶』を撃ってください」
その場にいる人全員がその言葉に耳を疑ったが、ユーリアは考えるよりも早く行動していた。そして撃ちながら慌てて尋ねる。
「え?撃ってよかったの!?」
そう言った瞬間―――
巨大な線石が光線を吸収して、微かな輝きを取り戻した。そして巨大な線石から塔の外へ、光の線が伸びてゆく。塔を飛び出した光の線は海を目指し、枝分かれしながら様々な立体を描いてゆく。
海岸から続く階段を。階段の先にある踊り場を。そのさらに先に立つ大きな扉を。その扉を守る巨大な壁を。巨大な壁は丸みを帯びながら広がって塔を造り、幾つもの塔が複雑に入り組んだ形に伸びていく。
その塔はあまりにも巨大で、ついに始原龍議場の高さを越えた。リベルティーア達は塔を上り、窓からその様子を眺めていた。ユーリアもフィフス・ウィングを飛び降り、テュルクの線石を拾って皆の後を追い、その幻想的な光景に目を奪われた。
それはペルセヘルと見た光景。光の線がそれをさらに幻想的に彩り、彼が残した記憶をより美しく魅せていた。
光線で描かれた『ステラ・トロヌス』は、それを見た始原龍議場の人々の心を瞬く間に癒し、明日への希望となって勇気付けた。
その光の海上都市は一時間と持たずに消滅したが、最早その存在を疑うものなどいなかった。
第五龍暦二千百三十年九月二十四日。龍王議会はこれまでの方針を改め、レイヴン王国との関係を強化する方向でユーリア王女と同盟締結に合意した。人軍の兵器の取引や技術の共有、そして相互の防衛協定の強化を盛り込んだ内容であったが、詳細はレイヴン王との連絡が取れてから詰めることとなった。
ユーリア達はレイヴン王と連絡を取る為の線石を運ぶ、第三軍団所属の連絡部隊の到着を待った。
時は少し戻り、首都決戦と同時刻―龍王議会領北部採掘都市アハト。
六つの煙が上がっていた。しかし煙は全て都市城壁外北西部に集中しており、その全てが元は飛行型リムだったのだろうと思われた。原型が無くなる程ひしゃげており、装甲は溶解し内部の回線と装置は焼き尽くされていた。
都市の城壁には龍王議会人軍の防衛軍の他に十二機編成の黒いリムの部隊が配置され、常に銃を構えて周囲の警戒に当たっていた。空には黒く巨大な武装飛行船が滞空し、砲台が常に周囲を警戒している。そしてそのリムと飛行船には共通する紋章があてがわれていた。『三つ首の狼』を描いた紋章…レイヴン王国第三軍『サードビースト』の紋章である。
そしてその武装飛行船内部で、アハトの知事代理である元現場監督官クシェイルが、長く黒い机を挟んで第三軍団長『サードビースト』との会談に臨んでいた。レイヴン王国軍の軍団長は、コードネームとして軍団名を名乗るのが習わしとなっており、サードビーストもそれに漏れずに軍団名を名乗っていた。サードビーストは背は高くも低くも無いが整った顔立ちをしており、引き締まった身体つきをしていた。
軍団長とクシェイルの二人以外には、レイヴン王国軍の軍人三人しかおらず、一人は軍団長のすぐ隣に、残りの二人はクシェイルの左右に微動だにせずに立っている。そして三人全員が第三軍の紋章を軍服の胸に刻んでいた。サードビーストの隣に立つ、眼鏡を掛けた男の軍人が口を開く。
「では今後も我々がアハトの防衛に当たる代わりに、今後はアハトから採掘された資源の一部を『適正な』価格で我ら第三軍団へ融通するということで、よろしいですね?」
その言葉には有無を言わせぬ威圧感があり、クシェイルは一筋の汗を額から流しながら頷いた。眼鏡の軍人はその反応に笑顔を返す。そしてクシェイルの左手側に立っていた美しい女性の軍人がクシェイルの目の前に置かれている書類を受け取ると、サインがあることを確認してサードビーストの元へと運ぶ。入れ替わる様に眼鏡の軍人がサードビーストがサインした書類をクシェイルの前へと運び、クシェイルがその書類の内容を確認して、はっきりと頷いた。
「ではこれにて『商談』は成立ということで…互いに実りのある契約が結ばれたことを喜びましょう」
眼鏡の男の言葉にクシェイルは立ち上がると、互いの手を固く握りしめた。サードビーストはその様子を笑顔で眺めながら立ち上がり、同様にクシェイルの前へと歩み寄り握手する。
そしてクシェイルはもう一人の可愛らしい女性の軍人に連れられて、その部屋を後にした。
クシェイルが出て行った部屋で、眼鏡の男が口を開く。
「勝手に他国の自治都市と交易を始めちゃって、大丈夫なんですかね?」
その言葉に、サードビーストは閉まった扉を見つめながら、ただ微笑むだけ。
眼鏡の軍人に代わって、美しい軍人が言葉を続ける。
「でも『独立』の保証はやりすぎなんじゃない?龍王議会と一戦交える気?」
その言葉には微笑んだまま、瞳を閉じて答える。
「龍王議会など恐れることは無い、俺達は自らの利益を最大化する為に行動する」
そう言うとサードビーストは自らの席に戻る。二人の軍人はその姿を振り返って見つめる。
「俺達は龍王議会から独立する自治領を守る、自治領の民はその対価を支払う…」
二人の軍人もその言葉に頬を緩める。
「龍王議会の争奪戦だよ…どうせ滅ぶ国なら、俺達『同盟国』が支配するべきだろう?」
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