黄龍 コガネ

 その日もその龍、コガネにとって、この二千年以上続くいつも通りの朝の始まりだった。コガネは朝日をより効率的に浴びようと高空を飛行していた。龍の中でも屈指の飛行能力を誇るコガネは、独り広大な平原の上空で、眼前の大霊峰を見下ろしながら、風を翼で受け滑空していた。

 コガネは突然滞空し振り向いた。自らの羽ばたきと風切り音以外に岩同士が擦れるような不気味な音と何か、綺麗な、しかも人間の声が聞こえてきたのだ。飛んでいる最中に人の声を聞くのは、暦を超えて数千年を生きてきたコガネにとっても珍しく、しかしだからこそ最近のことのように思えた。今の人間が飛行機械を完成させて二百年程、以前人の声を聞いたのは数年前だったか、それとも数十年前か、その龍はあまりに長く生き、時間というものを気にしなくなっていた。

 あの時の人間は満面の笑顔で、実に楽しそうに私に向かって手を振っていたと、コガネは懐かしみ、あの時のように誰かが私に手を振ってくれないかと、独り辺りを見渡したのだ。

 しかしコガネが見た光景は、過去の記憶のどれとも違っていた。朝の色へと変わりゆく空を切り裂く黒いナイフのような、巨大な影。コガネが聞いた不気味な音と綺麗な人間の声は、明らかにその影が発しているものだった。高空を飛ぶコガネのさらに上空を南北に縦断していくその影を見上げながら、しかしコガネは確かに人間の声を聞いた。感じた、と表現する方が正しいのかもしれない。その言葉はかつてその龍に空で語りかけた人間と一致していたから、人間の声だと思ったのかもしれない。

 『見つけた』と…


 第三龍暦の終末期に生まれたコガネは、自分が生まれた広大なアハト平原の、名の主のことを知りたかった。アハト平原の『アハト』とは、第一龍暦に実在した龍の名前だという。当時、龍は現在と異なり龍王議会領だけでなく、大陸全体に生息していたという。

 龍王議会の歴史書には、アハトは大陸南方全体を支配した巨大で飛べない龍だったと伝えられるが、全てを知るはずの始原龍達は歴史を詳しく語ろうとしない。コガネは第四龍暦の間、大陸中を飛び回りアハトのことを知る龍を探したが、第一龍暦のことを知る龍はやはり始原龍達だけだった。

 龍の持つ歴史の曖昧さと始原龍達の固い口に業を煮やしたコガネはついに、アハトを伝える人間の書物がないかを探し回り、人間の歴史家達に情報を求めた。当時の人々は自分達より遥かに長生きなのに、さらに遠い過去のことを尋ねてくる巨大な龍に不可思議な縁を感じ、共に歴史を研究し始めたのだという。

 その人々の中で最も熱心な人間が『テュルク』だった。テュルクは誰よりも優しく、コガネの昔話や考察を楽しそうに聴き、それ以上に楽しそうに自らの考えや知識をコガネに語ってくれた。面白いものを発明したと、役に立つもの立たないもの、様々なものを見せてくれたのだ。


 コガネは採掘都市アハトの縦坑道前広場を飛び立った。頭から尾の先端まで百メートルはある巨体がいとも簡単に浮き上がるのは、コガネの体が見た目ほど重くないことと、鱗の表面の温度を自在に変化させて周囲の気流を変化させているからだという。コガネはかつてテュルクからそう聞いたことがあったが、自分自身でそのような面倒なことを行っているという自覚は無かった。飛び立った広場では、先程まで語り合っていたカドに、孤児のチルムが駆け寄っていくのが見えた。

 アハト平原はジョテーヌ大陸で最も広い平原であり、大陸南方を広く領有する龍王議会の北側を、西方地域との国境線の川『龍の尾』の上流から、東方地域との国境線の山脈『龍の首』の大霊峰との付け根まで東西に横断している。コガネは第五龍暦に入ってからは毎日、アハト平原の空を飛び続けていた。第四龍暦の最後に、一番の理解者となっていたテュルクが大霊峰を超え『聖地』へと渡り、コガネのアハトへの探求は滞った。語り合える相手がいなくなったのだ。

 現在の人間は今を生き、未来へ生き残ることしか考えていないようにコガネには思えた。人軍を率いるシュタルト将軍もアハトを発展させたカド知事も、コガネにとって信頼に足る人物であることは確かだ。

 だが人々を率いて未来へと進み続けている彼らを、自らの探求心だけで立ち止まらせるのは、躊躇われてしまうのだ。かつてコガネにアハトのことを教えてくれなかった始原龍達も、このような心情であったのかと、コガネはただ回想するのだ。

 しかしコガネはそれ以上、悠長に回想することは出来なかった。

「…戦線を抜けてきたか」

 太陽が直上を過ぎてしばらくたった。コガネはアハト平原の遥か高空から大霊峰の峰を見下ろしていたが、微かに光を反射する何かに気が付いた。それは西方から大霊峰を伝う様に、低空を高速で飛行している。龍ではないその速さでその正体を理解した。コガネは一度、滑空する体を起こし滞空姿勢に入った。コガネも第四龍暦を生き抜いた龍であり、人間と戦うのはこれが初めてではなかった。既にその眼光は鋭く、低空の敵に向けられていた。西方戦線を突破してきた革命同盟軍の飛行型『リム』だ。

 五機かとコガネは相手を観察するが、コガネが予想していたよりもその動きは速かった。コガネはすぐさま急降下を開始する。リムの機動力を見るに、敵が都市に接触する前に戦闘に入るには一刻の猶予も無かった。都市の防衛戦力では到底敵わぬと、コガネは落下するようにほぼ鉛直に降下していた。コガネは全力で叫ぶように、腹から喉に掛けて力を籠める。そして十分に届く距離に五機のリムを捉えた瞬間、その口を開いた。

 青い五機の飛行型リムの正面にコガネのブレスが炸裂した。しかし五機のリムは即座に散開しブレスを回避する。奇襲攻撃の失敗を悟ったコガネはブレスを吐き終え即座に急降下から上昇へ転じたが、ほぼ同時に三機のリムがコガネを追う様に上昇する。急降下で速度を稼いだコガネの上昇力は凄まじかったが、上昇するにつれて瞬く間に三機のリムに距離を詰められる。速度と高度の優位を保とうとコガネは連続して牽制でブレスを放ったが、リムたちもコガネの思惑を見切っており、多少の被弾を恐れずに高度を上げ続けた。コガネの視界の隅にはアハトへと直進し続ける二機のリムの姿が映っていたが、コガネにはもう残りの二機を相手にする余裕は無くなっていた。

(防衛の人軍も少しは役に立ってもらおうか)

 高度で追いついた三機のリムはコガネを取り巻くように展開し、一斉に射撃を開始した。リムの左腕に一体化された銃から発射された弾丸はコガネに着弾すると、黒煙を伴い炸裂した。コガネの金色の鱗には傷すらつかず、実際コガネには痛みも無かった。コガネは一声吠え反撃しようと一機のリムに狙いを定めた。しかし、直後にバランスを崩し、コガネは空中でふらつきながらブレスを的外れな方向へと放った。二千年以上飛び続けてきたコガネにとって、飛行中にこのようにバランスを崩すのは初めての経験だった。そしてバランスを取ろうと失速したコガネへ向けて、さらに炸裂弾が次々と撃ち込まれた。

(何が起きた…!?)

 黒煙に包まれたコガネは羽ばたき逃れようとしたが、その意思に反してその巨体は落下を始めた。即座に飛行能力を失っていると悟ったコガネは、翼を大きく広げ滑空姿勢に入った。敵に狙われている状況でのゆっくりとした滑空は反撃もできず格好の的であったが、炸裂弾の雨を耐えながらコガネは平原へと着地した。

「なるほどな…龍の弱点に随分と詳しいようだな…!」

 コガネは撃ち込まれている弾丸が、炸裂時に黒煙と共に高温を発していることに気付いた。そしてテュルクが教えてくれた龍の飛行方法についての話も思い出し、苦々しげに自らの無知さを呪った。敵は龍の周囲の気流を操る飛行方法についても解析し、それを封じる兵器も開発していたのだ。龍は龍暦が始まってから一万年以上人間に対して優位であり続けてきたが、それがもはや逆転するときに来ているとコガネは悟った。しかしならば戦い方を変えればよいと、コガネは地表へ急降下した。

 平原へと激しく降り立ったコガネは、即座に最も近いリムへブレスを照射した。回避されても力を貯めてはブレスを放ち続けた。敵の弾はもはや戦闘の役に立たないであろう翼で受け止めた。黒煙で視界が遮られる中での戦いは、機動力を失ったコガネに圧倒的に不利だったが、微かに見える上空のリムに対してブレスを吐き続けた。ブレスが直撃してもリムに効いている感覚は無かった。変わらずに飛行し続けるリムを見上げながらブレス対策も完璧かと、コガネは憔悴を隠し切れない。

 それが決定的な隙となった。視界が黒煙で遮られる背後に急降下した一機のリムが、右腕に格納されていた刃を展開した。コガネは刃を展開する音でやっと背後に接近したリムの存在に気付いたが、コガネが振り向くより早く、その刃が振り下ろされた。


「…説明、大変そうだな」

 ユーリアは静けさに包まれた操縦席の中で呟いた。採掘都市アハトの北門の外に、黒光りする一機のリムが跪く形で留まっていた。北門の方を向いたそのリムの視線の先には、街を防衛しているのであろう龍王議会人軍の兵士が数十人集まり、そのうちの一人、恐らく部隊長と思われる男がノルトから事情を聞いていた。ノルトの足元には白い亀のような龍のベッコウもいるが、欠伸をしているところを見るに説明はノルトに任せきっているようだ。

 ノルトがどのような説明を行っているのかはユーリアには聞こえていない。最初は集音機能を使い盗み聞きしていたのだが、格上の人が来るたびに何度も同じ説明をさせられているノルトが可哀そうに思えてきて、集音機能を切って無視することに決めたのだ。

 北方国境監視塔でノルトと出会ったユーリアは、龍王議会領内を移動する際の道先案内人としてノルトを同行させた。監視塔を空けるわけにはいかないとノルトは最初こそ反対したが、案内人の有無にかかわらずリムに乗ったまま龍王議会首都へと向かうとユーリアも譲らず、余計な混乱を避けるためにノルトは近場の都市であるアハトへの案内と、そこの防衛人軍への事情の説明までを了承した。

「リムの武装は『見せてない』から大丈夫かと思ったけど、そんな単純じゃない…か…」

 ユーリアは操縦席で足を組む。ヘルメットには操縦席から延びる配線が接続されており、リムの頭部にあるカメラの視覚をヘルメット内部に映し共有していた。そしてしばらくの静寂ののち、別の女性の声が操縦席に響く。

「…ねぇ、もう少しカメラで周囲を見渡してくれないかしら?今の龍王議会領を少しでも知っておきたいの」

 澄んだ美しい声だ。澄んだ声は操縦席の正面、光輝く物質で満たされた台座の上に設置された、光の線が入った箱から発せられていた。澄んだ声の主の姿は見えず、ただ箱の線が静かに波打つように輝いていた。

 ユーリアはその声に応じるように首を左右に動かし、平原と街の城壁を見渡した。城壁は要所要所がレイヴン王国の技術で補強されているようだが、それ以外は石造りのままで、このリム一機で容易に突破できそうなほどに脆く見えた。

「龍王議会領には来たことなかったけど、本当に技術が遅れてたんだな…」

 城壁の上の兵士達も二人が乗るリムを警戒しているようだが、装備は肩に担いだ長銃が共通で、それぞれ変な形の剣や斧を腰に差し、監視塔にいたノルトと殆ど変わらない。澄んだ声が答える。

「首都まで行かないと分からないけれど、王国よりも百年単位で遅れているようね…こんな街、攻撃を受けたらひとたまりもない…」

 アハトの城壁をそう評して、澄んだ声は黙った。再び静けさに包まれる操縦席。ユーリアは再び視線をノルト達の方へ向けた。城門に集まる兵士達の警戒はある程度解けたのか、リムに向けられている銃口は少なくなっていた。

 そしてノルトが部隊長と敬礼し合い、城門を通る部隊長を見届けてから振り向いて、ユーリアの方を見上げた。口をパクパクと開いているのを見て眉をひそめるが、ユーリアは集音機能を切っていたことを思い出し、慌てて集音機能と拡声機能を立ち上げる。

「ごめん、あまりに長くて通音全般的に切ってたから、もう一回お願い」

 ノルトは肩をすくめるが、特に嫌な顔一つせずに再び話し始める。

「アハトの防衛部隊長に事情は分かってもらえた、この後知事に正式に会えるように取り計らってくれた」

 その言葉にユーリアは思わずよかった、と呟く。ノルトが続ける。

「ただ会見の場は街の『議場』だから、リムに乗ったまま街に入れるわけにはいかないから降りてくれ、だそうだ、リムの重さで街の道路が壊れるらしい」

 その言葉にユーリアに少し躊躇いが生まれる。同盟国だからと国境を越えてきたが、レイヴン王国は三年前から『外』との交流を断っており、龍王議会が今も王国の味方であるとは限らないのだ。

 王国から龍王議会との同盟関係の再締結と、革命同盟に対するレイヴン王国・龍王議会共同での宣戦布告を命じられて、ユーリアが単身でその任務に応じたのは、任務と同時に与えられた黒い『リム』の力に頼ってのことでもあった。

 操縦席でユーリアは言葉に詰まった。また操縦席が沈黙に包まれたが、それを破ったのは誰の声でもなかった。集音機能が遠くからの微かな爆発音を捉えたのだ。

 はっ、とユーリアがその音に気付いた。外でノルトも気付いたようだ。

「西北西方向よ、起動させて!」

 ユーリアは澄んだ声に従い、操縦席両側の手すりを思い切り上方へ引き上げる。それがこのリムの起動コードになっていた。

 起動コードを受け付けた手すりは、ユーリアの胴体を抱きしめるように操縦席から持ち上げる。そして操縦席の後部から大きく展開された『操縦肢』に、四肢を伸ばして接触させる。展開されていた操縦肢は、ユーリアの四肢を確認すると四肢を包むように閉じ、その体を固定した。操縦席に澄んだ声が響く。

「起動完了、動いて大丈夫よ!」

 ユーリアは頷き、リムもそれに呼応して頷く。ユーリアはリムを立ち上がらせながら西北西方向へ振り向かせる。そして音源を確認するとカメラの望遠機能で拡大させる。突然立ち上がったリムに外のノルト以外の兵士たちは驚き、銃を構えたが、リムの向いた方向の光景を視認すると全員の表情が凍り付いた。 

 そして街の方角から鐘の音が響き渡った。

 彼らの視線の十数キロメートル先の空で、金色の巨大な龍と飛行する三機の青いリムが上昇しながら交戦していた。そして三機のリムとは別に平原の低空を滑るように接近してくる二機のリムの姿も確認できた。ユーリアは五機のリムが三年前に王都を奇襲してきた機体と似た形状だと気付いた。

 ユーリアは素早く、箱に向かって聞く。

「接敵までどれぐらい掛かる?」

「何もしなければ街まで五分も掛からないわ、見た目は違うけど、王都を襲撃した機体と同じ機動力なら…でもあの龍は…」

 澄んだ声がすぐに答えた。その声には確かな焦りが混ざっている。

 頷いたユーリアは、今度は外のノルトへ向けて叫ぶ。

「ノルト!私は敵を足止めするからさっきの偉そうな人に報告して!」

 ノルトは急な言葉にも動じず、ただ素早く頷いて部隊長の後を追い街へと入っていった。城門前に取り残されたベッコウが慌ててノルトの後を追う。

「ノルトや~ワシを背負っていかんか~い…」

 ベッコウのゆっくりとした声を残し、ユーリアの黒いリムは敵機へ向けて駆けだした。平原の土を抉るように蹴り飛ばしながら、龍王議会にあるどんな乗り物よりも速くユーリアはアハト平原を駆ける。

 北城門前ではカメラの望遠機能を使わないと確認できなかった敵影が等倍でも確認できるようになった頃、澄んだ声が報告する。

「接敵まであと一分、ホログラフィック展開するわ」

「敵の足止めも目的だから連射できるやつで頼む!」

 即座にユーリアが答える。ユーリアがこのリムに乗り始めてまだ四日目であり、操縦する本人でも全ての機能を把握しきれてはいなかった。

 特に武装に関しては実質的にこれが初戦闘であり、常に全ての武装が『格納』されていることもあって全く把握できていなかった。

 しかしそれを澄んだ声の箱が完璧に補佐していた。

「了解!『ホログラフィックウェポン・サブマシンガン』展開開始」

 澄んだ声と同時に駆ける黒いリムの右手に光の線で銃身の短い銃が形成される。ユーリアは現れた光の銃を右手で掴んだ。澄んだ声が続ける。

「『ホログラフィック』展開完了、『ホロフィウム』展開開始」

 光の線が徐々に光を強め、一際輝いた直後に黒光りする銃が実体化された。ユーリアは操縦肢越しに銃の感覚を確かめる。

「『ホログラフィックウェポン・サブマシンガン』展開完了!」

 澄んだ声が少し高らかに宣言した。

「『この手の武器』に安全装置は無いから、狙って引き金を引くだけよ」

「了解!」

 ユーリアは平原の土を抉らせ、リムを急停止させながら照準を合わせると空の敵に向けて発砲した。明らかにユーリア達に向かって来ていた二機の青いリムはそれを回避し、二機同時に左腕から炸裂弾を放った。ユーリアの黒いリムは停止行動中であったため回避できず、炸裂弾が直撃する。

 操縦席が激しく揺れ、ユーリアの言葉にならない悲鳴が響く。ユーリアにとって初めてのリム同士の戦闘であり、被弾による衝撃に慣れていないのだ。

「ユーリア!大丈夫よ、機体の損傷はないに等しいわ」

 澄んだ声がユーリアを励ます。その言葉に反応するように視線を正面に戻すユーリア。カメラを遮る黒煙を抜けると、通り過ぎた二機のリムが後方上空を旋回して再び迫ってくるのが見えた。

 ユーリアは弾を広範囲にばら撒くように、銃の照準を上下左右にわざとずらしながら撃つ。敵機に数発命中したが、バランスを崩すこともなく装甲を多少へこませただけで有効打にはなっていないようだった。

「弾が直撃してもよろけない…飛行の仕方が私達のリムと違う、この銃ではすぐには落とせないわ!」

 澄んだ声が叫ぶ。直後に接近した二機が再びすれ違いざまに炸裂弾をユーリア達に浴びせた。視界を妨げる爆煙は厄介だが、黒光りする装甲には傷一つ入っていない。撃ち合いではユーリア達に分があった。ユーリアはすれ違った二機のリムの背に銃撃を浴びせる。

「向こうの弾も無限じゃない、浪費させれば街は守れるだろ!」

 ユーリアも自らの作戦を叫ぶ。しかし二機の青いリムも自分達の不利を察していた。回避行動をとりながら上昇した。そして標的をアハトの街に戻し、再び直進を始めた。ユーリアは二機の進路に向けて銃撃を行うが、街へ直進する二機を見て無駄を悟って発砲を止めた。

 直後、背後から地鳴りと龍の咆哮が聞こえた。振り向くと金色の龍が遠くの平原に着陸し三機の青いリムに囲まれて、集中砲火を受けているのが見えた。

「助けるか!?」

 ユーリアは輝く箱に向かって叫ぶ。

「いえ…龍はそう簡単には死にません、街を、守りましょう…レイヴン王国の為にも」

 澄んだ声が答えた。悩んだ末の答えだということはユーリアにも理解できたが、自分達の目的の為にも街へと振り返り、全速で走り始めた。

「後で助ける、奴らを叩き落せそうな武装を選んでおいてくれ」

「ええ…」

 ユーリアの言葉に澄んだ声が振り絞るように答える。同時にリムの右手に握られていた銃が光の粉になって消え、現れた時の逆再生のように機体の中に消えていった。

 青いリムに少しずつ引き離されていくが、それでも地表を走るどんなモノとも比類出来ない速さで、黒いリムはアハト平原を駆け抜けた。

 黒いリムがもう少しで城壁にたどり着くタイミングで、二機の青いリムは城壁を超えた。

「二機が街に入った、私も街に突入する!動きが止まったら武装展開して!」

 ユーリアに悩んでいる暇はなかった。三段跳びの要領で城壁の塔に向かって飛び、着地するまでの一瞬で都市内の地形を把握する。城壁の上の兵士達は青いリムに向けて銃撃していたが、飛び上がってきた黒いリムに気付いて慌てて進路上の塔から離れた。

 ユーリアは兵士達など意に介せず、街中の様子を観察した。街の中央から城壁の塔まで比較的広い道路が伸びていた。そして二機のリムが爆撃したであろう時計塔が黒煙を上げて時計が外れ、その下のまだ人がいる広場に落下しようとしていた。

 黒いリムは勢いを殺さないまま塔の屋上を蹴り、広い道路を滑るように駆け抜けた。道路を形作る石材がリムの足に抉られ、吹き飛ばされて道路脇の建物を直撃していたがユーリアは気にしない。時計塔前広場まで直行すると少し残った速度を時計塔に機体を当てて強引に止め、落ちる瓦礫を右腕で阻止した。


「不法侵入で悪いけど、非常事態だから許してね?」

 ユーリアは瓦礫を腕から退けると自らが助けた髭を蓄えた老人と、子供に語り掛けた。住民を救助して今後の龍王議会領内での行動と交渉に、ある程度の有利が働くように考えての行動だった。多少ぶつかってしまった時計塔から人々が慌てて飛び出して、街の中央に向かって逃げ出した。

「『ホログラフィックウェポン・レールガン』展開開始」

 澄んだ声が事前に言われていた通りに武装を展開する。先程展開したものよりも明らかに大きな武装が光の線で立体的に描き出される。

「『ホログラフィック』展開完了、『ホロフィウム』展開開始」

 光の線が太くなるように輝きを増し、黒いリムの右腕に直接装着されるように、黒光りする巨大な銃器が実体化した。

「『ホロフィウム』展開完了、『ホログラフィックウェポン・レールガン』展開完了」

 ユーリアに助けられた二人は呆けたように、しかし驚きに満ちた目でその様子を眺めていた。その様子を見てユーリアは自然と微笑んだ。

「ユーリア、いつでも撃てますよ!」

 輝く箱の澄んだ声でユーリアは再び街へ向かってきた二機の青いリムへ振り向いた。

「それじゃあ、叩き落としますか…!」

 もはや手加減はしない。ユーリアは青いリムの胴体上部、迷わず操縦席に向けて狙いを定めた。

 キキーンと、甲高い音が響いた。ユーリア自身も初めて聞いた、レールガンの連射音だ。二発の間髪入れない速射だったが、二発とも吸い込まれるように操縦席を貫いた。

 旋回してきた二機の青いリムはまだ城壁を超えていなかった。城壁の外に落ちて視界から消えた二機の断末魔の叫びとなる爆発音が、アハト平原に響いた。

 狙い通りに敵機を撃墜できたことにユーリアも思わず頬を緩める。


「ユーリア…レイヴン王国第五子ユーリアか!」

 発砲とほぼ同時に外から聞こえてきた言葉を思い出して、ユーリアが先程助けた二人を見下ろすと、ユーリアからの返事を待つように老人が姿勢を正して黒いリムを見上げていた。しかしリムの頭部カメラと目が合うと、ハッとしたように口を開いた。

「失礼した、私はカド!ここ採掘都市アハトの知事として議会から自治を任されている者だ」

 カドの言葉にユーリアはこれは好都合だったと、満足げに頷いた。まさにこの街で話を付けようと思っていた人物だからだ。ユーリアも言葉を選びながら話し掛ける。

「その通りです、私、ユーリアのことをご存知ならば話が通じて助かります」

 輝く箱は話さない。静かに二人のやり取りを聴いている。

「先程そなたは自ら不法侵入だなどと申し上げたが、心配は不要だ」

 カドは一緒にいた子供を逃がしながら言葉を続ける。

「私とアハトの民は龍王議会とレイヴン王国は強固な同盟関係にあると考えている」

 ユーリアは会話相手を考えて、一瞬右腕の武装を解除するべきかと考えたが、まだ龍を襲っていた三機が残っていると解除せずにカドの話を聴く。

「そして敵を撃墜したところを見るに、レイヴン王国も同様に考えてくれているのだろうと思う、この街を訪れてくれたことを歓迎しよう!」

 カドの一連の言葉にユーリアは少し安堵する。少なくとも龍王議会領を訪れた理由の一つに関しては心配しなくともいいようだ。

 ユーリアも口を開いた。

「カド知事とアハトの人々の心遣い感謝申し上げます、しかし敵はまだ城壁の外に残っているのを確認しています」

 北門の方角からノルトがベッコウを背負って走ってきたが、言葉の終わりを待つかどうか悩んでいる様子だ。ユーリアはカメラでノルトを確認しながら続ける。

「革命同盟軍を撃退し龍王議会を守るのは、私が王令で龍王議会を訪れた理由とも重なりますので、事後で申し訳ないのですが領内での戦闘の許可を頂ければと思います」

 ユーリアはこの手の、権力者としての会話が苦手だった。経験がないだけではなく、特殊な出自と歩んできた人生が、ユーリアを王族からかけ離れた存在へと育て上げていた。

「りょ、了解した、我々の武装では先程の敵に適わぬようだから、むしろこちらから頭を下げてでもお願いしたいところだ」

 カドは話し終えると、ベッコウを背中から降ろしたノルトに視線で合図した。それを受けてノルトはユーリアとカド両方に聞こえるように話し始めた。

「現在都市の西北西約一キロメートルの平原で黄龍コガネと革命同盟軍と思われる飛行型リム三機が戦闘状態で、残念ながら黄龍コガネが重傷を負わされ明らかな劣勢、すぐにでも敵機が都市へ向かって来ます」

 その報告と同時に、街に連続する発砲音と爆発音が響いた。ユーリアとノルトの反応は素早かった。ノルトは何も言わずにカドに敬礼し、ベッコウを背負って音のした方角へ走り去る。


 カドは、走り去る亀のような龍を背負った若い兵士の背中に敬礼した。

「私も兵士達と共に迎撃に当たります、知事は避難を」

 黒いリムからユーリアの声が響くと、カドが返事をする間もなく黒いリムも爆発音が響く方へ去ってゆく。瓦礫が散らばる時計塔前広場にはもうカドしか残っていなかったが、広場から延びる細い路地からチルムが駆け寄ってきた。

「チルム?!坑道まで逃げろと言っただろう!」

 カドは語気を強めて言ったが、チルムは泣きそうな顔でカドに抱き着いた。

「だって…おじいがあの黒いのに殺されちゃうかもって…」

 カドはチルムの頭を撫でながら説明した。

「黒い巨人は味方だよ、安心しなさい…一緒に坑道まで避難しようか」

 カドは内心は焦っていたが、あくまで優しく、落ち着かせるようにチルムに言い聞かせた。既に住民の大半は坑道への避難が済んでいるようで、広場にも広場から延びる道にも人影は疎らで、皆爆発音に怯えながら地下の坑道へつながる街の中心部にある昇降機の方へと向かっていた。

 カドも腰をかがめてチルムの両肩を軽く二度叩いて勇気づけると、その手を引いて一緒に昇降機へ駆け出した。チルムも必死でカドについていく。

 その時、二人の上空を青いリムが左腕から炸裂弾を放ちながら、二人が走る道を横切るように高速で通り過ぎた。道を挟む建物に切り取られた細い空には一瞬しかその姿は映らなかったが、道の両側の建物に直撃した炸裂弾の爆風と細かな瓦礫が二人を襲った。

「うおおおおおっ!」

 カドは恐怖に負けないように雄叫びを上げ、広場でやったようにチルムをその体で抱きしめて庇う。熱風と瓦礫がカドの背中を襲い、二人は吹き飛ばされた。道に黒煙が広がったが、青いリムが起こした風が黒煙を吹き飛ばした。

 チルムはカドの呻き声を聞き、自分を弱々しく抱きしめる腕から体を起こした。道沿いの建物は多少崩れ、炎が上がっていた。道には建物から飛び散った瓦礫が散乱し、まだ爆発音は続いていた。

「おじい…起きて!」

 チルムがカドの肩を両手で揺する。カドは呻きながら瞼を開き、目の前のチルムの顔を確認すると体の痛みを耐えて笑顔を作った。知事が長年着こなしていた作業着は背中の部分が大きく破れ、そこから除く大きな背中は血に塗れていた。

「チルム、ありがとう…大丈夫だ、早く、避難しよう…」

「知事ー!」

 街の中央の方から男の大声が響いた。カドとチルムが大声に顔を向けると、採掘現場監督官が必死の形相で駆け寄ってくるのが見えた。

「知事!チルムちゃんも無事で良かった!知事、肩を貸します、早く昇降機へ」

 監督官は切迫した表情でカドに右肩を貸す。カドは背中を広く負傷していたが、痛みに耐えて立ち上がる。チルムもカドの右手を握りしめて一緒に歩く。カドはチルムだけでも先に逃がしたかったが、チルムが素直に言うことを聴くとは思えなかった。

 その時、上空を再び青いリムが通り過ぎたが発砲はしておらず、胴体部分がひしゃげていて、飛んでいるというよりも吹き飛ばされているようだった。そしてその機体が視界から消えて数秒後、一際大きな爆発音が響いた。

「ある兵士からユーリア様について報告を受けました」

 監督官がカドに状況を説明する。

「彼女が敵を撃墜してくれています、今を耐えればアハトはひとまず守られます」

 監督官が知事を勇気づけるように声を掛ける。三人が街の中央の広場に入るのとほぼ同時に、はるか後方で再び大きな爆発音が響いた。三人が振り向くと、歩いてきた道の先の時計塔に青いリムが墜落して燃えていた。

 時計塔は半分以上崩れ、もはや修繕も不可能だということは、子供のチルムでさえ理解できていた。都市の『議場』も併設されていた時計塔の惨状を見たカドの体から一気に力が抜けて倒れかけたが、監督官とチルムが必死に支える。

「おじい…頑張って!」

「知事、『議場』はまた作ればよいのです!知事の都市計画と坑道への避難指示のおかげで人的被害は軽微です、状況が落ち着けば私達が、何度でもこの街を作り直しましょう!」

 チルムと監督官がカドを勇気づけ、監督官はカドを引きずるように再び歩き始める。カドも言葉こそ出なかったが、時計塔に背を向け昇降機を目指して歩みを進める。

 しかし次の瞬間、青いリム最後の一機が飛来し、昇降機へ炸裂弾を放った。


 昇降機にはもう他の人はおらず、カド達三人が地上に残った最後の住民のようだった。アハトの昇降機は金属の骨組みと動力機関が剥き出しの無骨な作りだが、頂上部が飛行船の発着場になっていた。昇降機から直接飛行船と積み荷を積み下ろし出来るように、周りの建物よりも一際高く作られていた。

 その昇降機が炸裂弾を受けて、三人の目の前でゆっくりと倒れるようにへし折れていった。四本の骨組みの内三本が炸裂弾の着弾地点で完全に消し飛び、残り一本の骨組みは金属質な悲鳴を上げながら縦坑道側へ倒れ込み、地上に顔を出していた昇降機の上半分が地下へと消えていった。

「アハトの…柱が折れて…」

 三人は言葉も無く立ち呆けていたが、カドがついに口を開いた。カドは絶望していた。監督官に支えられているからこそ立っていられたが、その監督官も口を自然に開いたまま折れた昇降機を見つめていた。

「ねえ!早く、逃げないと…」

 泣きそうなチルムの言葉に、ようやく二人の大人は気が付いた。そして昇降機を諦め、縦坑道に沿うように降りてゆく非常階段へ向けて歩き始めた。街中では黒いリムと上空を飛ぶ青いリムとが激しい銃撃戦を繰り広げていた。


 ユーリアはカド知事と別れた後、再び城壁の塔に飛び乗り、飛来した三機の青いリムへと攻撃を行っていた。武装はそのままで街へ飛来した三機のリムを狙い撃った。

「三機とも街に来たってことはさっきの龍は…」

 ユーリアが右腕のレールガンを発砲しながら輝く箱に話し掛けた。カメラから送られてくる三機の映像を見ながら、龍を見捨てた罪悪感に、多少なりとも心の一部が麻痺してしまった感覚に陥っていた。

「…大丈夫よ、『コガネ』…あの龍はそんなに弱くないわ、きっと生きてる」

 澄んだ声があの龍の名前を口にした。ユーリアはもちろんそれが本当の名前かどうかを判断できないが、疑う理由も無かった。

「『コガネ』っていうのか…いい名前だな、知り合いだったのか?」

 三機の青いリムが城壁を超えて街の上空に侵入した。先程の二機と違いしっかりと回避行動をとりつつ極端に低空飛行を行い、ユーリアが狙いを定めづらいように動いているのは明らかだった。しかし三機の目的はユーリアではなく都市の破壊にあるらしく、低空飛行しながら炸裂弾を街へ撃ち込んでいた。

「ええ…とても賢くて、強い龍だった…何度も話をしたの、もう二千年以上昔の話だろうけど、コガネとのお喋りはとっても楽しかった…」

 澄んだ声はまるで初恋の話でもするように語った。ユーリアは澄んだ声がこういう話をするのは珍しいと気付き、無意識の内に操縦に力が入った。息を一瞬止めて発砲すると、ようやく狙った一機の胴体を撃ち抜いた。胴体はひしゃげて腕部と脚部の動きが止まった。

 撃ち抜かれたリムは衝撃で吹き飛ばされ、反対側の城壁にぶつかり爆発した。

「やっと一機…」

 ユーリアは言葉少なく、次の一機を見極める。全部で五機の部隊だったが、一機だけ明らかに動きが違うのがわかっていた。機体は同じだが操縦の練度が明らかに違う。その機体はリムにとって決して広くない道路に入って飛行しているのだ。城壁からでは弾が外れることを考えると撃ち下ろすわけにはいかなかった。

 ユーリアは練度の低い方に狙いを定めた。武装に差がない以上、数を減らし街の被害を減らす方が優先だと思えた。輝く箱もユーリアの集中力を感じて黙った。ユーリアは街の中央に向かって直進する敵機に発砲した。弾は右腕部を撃ち抜き、青いリムはバランスを崩した。そして体勢を立て直そうと上昇した所にもう一発撃ち込んだ。弾は胴体を直撃し、機体は力を失ったように時計塔に墜落した。

「最後の一機…引いてくれないかな」

 ユーリアはそう口にしたが、既に機体を塔から街の道路に下ろして相手に向かって駆けだしていた。塔に乗っていては射撃による街への被害は免れないと考えてのことだったが、この隙をついて最後の青いリムは街中心部にある昇降機を爆撃した。

 ユーリアもすかさず建物を僅かに上回る程度に飛び上がり敵機を狙い撃ったが、敵機の反応も早くレールガンの弾は城壁を超えて平原の空へと消えていった。不快な金属音と共に、背の高い昇降機が折れる様子が街のどこからでも確認できた。

 ユーリアは少しでも見晴らしの良い場所を目指して街の中央部、縦坑道の広場へと出た。リムが大の字になっても入ることが出来る広さの縦坑道は、深く、底が見えないはずだったが、今は暗い穴に小さく光が見えている。地形を把握する為に見渡したのだが、その光景に思わず息をのんだ。

 その時、視界の端に動く人影を見つけた。先程助けたカドと子供、そして作業員風の男の三人だ。カドは作業員風の男に左肩を担がれ、子供はカドの右手を握っている。三人はユーリアを見上げているが、その足を止めることなく必死に縦坑道へ向かって歩いていた。その進行方向には縦坑道を下ることが出来る階段が見えた。

「坑道へ逃げ込むのね…ユーリア!」

 澄んだ声が叫ぶのと同時に、青いリムが縦坑道の反対側の城壁を超えて一瞬で間合いを詰めてきた。右腕から刃が飛び出しており、すれ違いざまにユーリアに向かって振り上げられる。

 ユーリアはリムの体を捻らせ紙一重で避ける。そして無理矢理右腕のレールガンを敵機へ向けて発砲した。

 しかし青いリムは右腕の刃を建物へ突き立て強引に百八十度方向転換しながら弾を回避し、全速力でユーリアに突進した。強引な姿勢で攻撃したユーリアは突然の反転攻勢を回避し切れなかった。

 青いリムの突進を受けて黒いリムが縦坑道へ向かって押し込まれる。カド達三人は階段に入った直後だった。

「ユーリア!足を延ばして飛び上がって!」

 澄んだ声が焦りを隠さずに叫んだ。操縦席に響いた声に反射的に反応し、ユーリアはリムの足を全力で伸ばし地面を蹴り飛ばした。縦坑道の淵がその衝撃で崩れ、黒いリムが深い穴を背面で飛び越える。

 対岸の建物に頭から突っ込む形で着地したユーリアは、急いでリムを起き上がらせ敵を探したが、敵にもう戦いの意思はないのか、上空へと退避した後だった。右腕のレールガンを放つが、敵機の回避行動を捉えることはできなかった。

 最後の青いリムは西北西の空へと消えていった。

「逃げた…のか?」

 ユーリアは遠い空へと消えてゆく機体を眺めながら呟くように尋ねた。

「恐らく弾切れだったのね」

 澄んだ声が答える。その声には悔しさが滲んでいた。

「今の奇襲で私達を落とせていたのなら、まだあの右腕の刃で暴れるつもりだったのでしょうけど…」

 澄んだ声の解説を聞き、肩を落とすユーリア。その時、カメラに映る人影を見て違和感を感じた。

 縦坑道にある階段の途中で、一人両手を手すりについてうなだれている作業員風の男。その近くにカドと子供の姿は無かった。


「急げ、巻き込まれるぞ!」

 カドとチルム、そして監督官は黒いリムが交戦している傍らで、急いで階段へと向かった。カドにもチルムにも言葉を発する余裕は無く、監督官は二人を力の限りリードしながら走った。

 階段に入った瞬間、空を青いリムが通り過ぎた。反射的に三人は身をかがめた。強風が三人を襲ったが、爆撃は無かった。もう弾が尽きたのかもしれないと、監督官は考えていた。

「早く第一坑道まで下りますよ!」

 監督官が叫んで二人を立ち上がらせる。しかしその瞬間、強烈な地響きと共に坑道の上を黒いリムと青いリムが組み合う形で通り過ぎ、さらに強烈な風が三人を襲った。カドが叫んだ。

「チルム!」

 そしてその激しい地響きと強風で、三人は手すりの向こう側に投げ出された。監督官は咄嗟に左手で手すりを掴み、右手でカドの左手を掴んだ。カドの右手は投げ出されたチルムの手を掴もうとした。

 だがカドの手は届かなかった。チルムはカドを見つめながら、なにも言葉を発することも無く、深い縦坑道の底へ落ちて行った。監督官は息をのんだ。カドが呟いた。

「チルム…」

 その瞬間、カドの全身から力が抜けていった。監督官は必死にカドの左手を掴んでいたが、カドの左手からは力が抜けて、監督官の右手をすり抜けていった。

「カドーっ!」

 監督官が友の名を叫んだ。その声は友に届いたが、返事は無く、ただ暗い穴とその底に微かに見える怪しい光だけが視界を埋め尽くしていた。



 太陽がアハト平原の果てに沈もうとしていた。平原に横たわっていたコガネは、夕焼けの眩しさに目を覚ました。大きく息を吸うと、高空を飛んでいるときに聞く冷たい風の音が響き、首から空気が漏れるのが感じられた。

(無様なものだ…)

 声も出せずに、コガネはただ冷静だった。その全身は酷く傷ついていた。首と腹、背に複数箇所、二度と癒えることは無いであろう深く大きな傷口が刻まれていた。右翼は半分ほどのところで切断され、右脚も付け根の部分で抉られるように傷つけられていた。もはや飛ぶことも歩くこともままならない状態だった。

(現在の人の『技術』を甘く見すぎたか…いや、『心』を見誤ったのか…)

 かつての、第四龍暦の人は龍と共に生き、技術も龍と共有していた。コガネはその過程で多くの素晴らしい人と出会った。しかし大陸全土の戦乱の後に『毒の時代』が訪れ、第五龍暦になると龍王議会は領内の人が高度な技術を持つことを禁じた。

 龍王議会は他国との接触を拒み、龍は人を支配した。コガネも始原龍達の言葉には逆らわず、人々をただ見守り、それで満足していたのだ。

(私も知っていた…人が技術から創り出す兵器を…その恐ろしさを…)

 だからこそ龍王議会は人に技術を持たせなかった。コガネ自身もそれに従い、代わりに人々を守ると誓ったのだ。だが、なぜ守ろうと思ったのか。

(彼女が…毒の時代を生き残っていたならば…あるいは…)

 コガネは第四龍暦の、最も充実した生活を送っていた時代を思い出す。あの時代を経験していなければ、命を賭して戦うことは無かったのかもしれない。共に語り合える人がいることを知ってしまったからなのだ。

 コガネはそれを答えにして、夕焼けの空を見上げながら再び瞼を閉じた。


 近くで重く土が踏まれる音がした。コガネが瞼を開くと、黒い空に白い満月が浮かぶ星空が広がっていた。冷たい風が平原の草を揺らし寂しい音を立てている。風に運ばれる草に誘われるように視線を下ろすと、十メートルほど先に月明かりを反射する黒いリムが、今まさに膝を折って動きを止めるところだった。コガネは一瞬警戒し牙を剥いたが、その傍らに立つ人軍の兵士と小さな白龍、北の監視塔の二人を見て警戒を解いた。

 リムの胸の上部が開き、中からリムと同様に黒光りする鎧に全身を包んだ人影が現れた。シルエットから女性であることはわかったが、それよりもその人影が持つ輝く線が入った箱に気付き、目を奪われた。

(その箱は…第四龍暦の…)

 コガネはその箱に、その箱を彩る線に確かな見覚えがあった。しかし朦朧としている意識の中、それが何なのかを思い出せずにいた―――彼女が出てくるまでは。

 鎧の人影が箱の一部を指で押すと、箱の線の輝きが増し、箱の上に半透明の女性の姿が映し出された。その人物を、コガネが見間違えるはずも無かった。

(テュルク…!)


「テュ…ル、ク…!」

 コガネが死力を尽くしてその女性の名を呼んだ。輝く箱から現れた女性、テュルクは眼前に横たわっているコガネの瞳を見つめ、体の前で優しく合わせた両手に思わず力が入った。そして一歩一歩近付いて行く。ノルトはコガネの言葉に多少驚き、ユーリアとベッコウは静かにコガネとテュルクを見守る。

「コガネ…」

 テュルクはコガネに優しく話し掛けた。その幽霊のような体は、コガネの横たえられた頭に触れられる距離まで近付いていた。

「遅くなって、そして、助けられなくて、ごめんなさい」

 コガネはその懐かしい、優しく、澄んだ声を聴くと霊風に冷やされた体に熱が灯るのを感じて、思わず微笑んだ。かつて共に生きた時代にも、こうして満月の下で語り合うこともあったなと、コガネの記憶が次々と呼び覚まされていった。

「二度と…言葉を発することは無いと…思っていた…その声を、聴くことも…」

 コガネが瞬きをすると、瞳から大粒の涙がこぼれた。月と星の光を受けて輝く大きな水滴を、テュルクは右手で拭ってあげようとしたが、水滴は右手を通り抜けてそのまま平原に落ちる。

「これは、奇跡…なのか…テュルクよ、お前は生きているのか…」

 テュルクは瞳を閉じて、一呼吸置いて頷いた。そしてコガネの瞳を見つめて口を開いた。

「私は、もうこの世界にはいません」

 テュルクの言葉にコガネは驚き、そしてテュルクとはこういう人だったと、思い出される数々の記憶に再び微笑み、涙を流した。

 テュルクもそのコガネの様子を見てかつてと同じように微笑む。

「ですがこうして貴方と話をすることが出来ます、『線石(ライン・ストーン)』を通じて、貴方達と会話することも出来ます」

 彼女の澄んだ声と言葉は、風に揺られる草の音が耳に入ってこなくなる程に、コガネの集中力を引き出していた。

「貴方が、私が生きている時と同じように感じているのなら、私はまだ生きているのでしょう」

 そう言うとテュルクはその身をコガネに寄せる。立体映像の彼女の体ではコガネに触れることは出来ないが、コガネはテュルクの熱を、感触を思い出すことが出来た。

「テュルク…君の、話はいつ、聞いても、驚かされるばかり…だ…君は…生きているのだな…」

 コガネがそう答えると、テュルクは小さくありがとう、とコガネだけに聞こえるように呟いた。コガネは頷き、ユーリア達の方へと視線を向けた。

「後ろにいる、二人…兵士は、ノルトだな…黒い鎧は…誰だ…?」

 コガネの問いにテュルクが口を開く。

「彼女はユーリア、私をここまで連れてきてくれた人です」

 紹介されたユーリアがヘルメットを外して礼をした。夜空に合う黒髪が風になびく姿は、龍の目にも美しく思えた。なるほどと、コガネは瞳を閉じて何かを考え始めた。テュルクはさらに言葉を続ける。

「彼女にはこの世界にいない私の代わりに、次の『毒の時代』を超えてもらいたいんです」

 テュルクとコガネはしばらく身を寄せ合っていたが、やがて決心したようにコガネが首を上げた。テュルクが驚き、傷を心配してコガネの頭を見上げる。コガネが口を開いた。

「もう、そんな時、代に…なって…いた、のだ…な」

 コガネが牙を剥くように口を開くと、上顎の最も大きな牙が少しずつ、抜け始めた。

「コガネ…!」

 テュルクだけではなく、後ろで待つユーリアとノルトも驚き、息を呑んだ。ただベッコウだけが黙ってその様子を見つめている。

 コガネはテュルク達など意に介さぬように、大きな牙を抜き切った。牙は平原に落ちて、重い音を立てて突き刺さった。コガネは一呼吸置いて、続けて落とした牙にブレスを吐こうとしたが、首の傷が深く、激しい痛みに悶えた。テュルクが止めようと口を開くが、それよりも先に、彼女の後ろから別の声が響いた。

「コガネよ、その体で無茶をするものではない」

 年老いた声。テュルクが振り返ると、声の主であるベッコウがゆっくりと歩き始めていた。距離は十メートル程だが、ベッコウは三十秒以上かけて、落ちた牙の近くまで歩いた。

「『龍剣』を造るのじゃな」

 ベッコウの言葉に、まだ苦しそうなコガネは頷いた。ベッコウは何も言わずに、抜け落ちた大きな牙に向き合った。テュルク達がその様子を固唾を呑んで見守っている。

 そして大きく息を吸い、その目を大きく見開くとさらに大きく口を開き、白く輝くブレスを吐き出した。ブレスは牙を直撃し、牙に纏わりつくようにその表面を竜巻のように流れて覆った。月明かりだけの平原にそれはとても眩しく、しかしその場にいる全員がその美しい光景を眺めていた。

 その白くまばゆい光が一際大きくなった時、大きな牙はその姿を変え始めた。牙自体が白く発光し、徐々にその大きさが縮んでいった。そしてその姿が輝きに飲み込まれて見えなくなると、ベッコウはようやくブレスを吐くのを止めた。 

 渦巻いていたブレスが消え、辺りが再び月明かりに照らされた時、そこに牙は無く、一本の剣が平原に静かに突き立てられていた。ユーリア達はその剣を言葉も無く眺めた。

 諸刃で幅広のその剣身は白く金属光沢があり、剣身に掘られた二本の細い溝からは、その内側の金色の芯が見て取れた。鍔は刃と同じく白色だが小さく、石のような素材で出来ている。柄は黄金色で丸みを帯びた凹凸が螺旋状に入っており、龍の尻尾が絡み合っているようにも見えた。そしてコガネの瞳のような丸い琥珀のような柄頭が月明かりを反射して輝いていた。

「うむ、上出来じゃろうて」

 ベッコウはそう語り、龍剣の出来栄えを満足げに眺めてから視線をコガネへと移した。コガネは瞳を閉じて口を開く。

「無骨な…剣だな、だが…感謝する…」

 そして瞳を開き、視線をテュルク、そしてユーリアへと向けた。二人もコガネの瞳を直視する。

「これを…本当はテュルク、へと託し、たかった…だが…テュル、クは…剣を持てぬ、のだろう?」

 テュルクは頷く。コガネは視線をユーリアへと向ける。その視線にはコガネの全ての力と感情が込められているように、ユーリアには感じられた。それでもユーリアはその視線から決して目を逸らさなかった。

「なら、ば…テュルクが、期待す、る、ユーリア、とやら…貴様に、この剣を…託そ、う…」

 コガネの声が徐々に弱々しくなってきていた。テュルクが心配そうにコガネを見つめる中、ユーリアは平原に突き立てられた龍剣へと歩み寄った。そして口を開く。

「私はレイヴン王国の人間だ、武器なら後ろの『リム』もある」

 コガネの瞳を確認するように強く見つめ返した。そして続ける。

「私がこの剣を持って、本当にいいんだな?」

 コガネはふっと、笑う様に息を吐き出した。

「その機械、仕掛けの巨人が…いつ、まで動くかも…わからぬ、本当、の危機の、中では…己の…力で、戦う、ことに…なる」

 ユーリアはコガネの言葉の真意に気付いた。コガネはこの機体を見たことがあるのだ。きっと、テュルクがまだこの世界にいた時代に。

 コガネは吐き出すように続けた。

「持って、行け…『毒の時代』を…越え、る為に…」

 そしてコガネは口を閉じ、ユーリアと見つめ合った。草がなびく音がしばらくの間響き、ユーリアは静かに龍剣に右手を伸ばし、その柄を握った。ユーリアが右手に力を込めると、剣は軽々と音も無く平原から引き抜かれ、少しの土が宙を舞った。

 月光を浴びて輝くその剣はやはり美しく、その場にいる全員が引き抜かれた龍剣に見惚れていた。

「…コガネよ、感謝する」

 ユーリアがそう言うと、コガネは話は終わりだというように息をつき、瞳を閉じた。ユーリア達はしばらくコガネを見つめていたが、コガネが眠りについていることを確認すると、静かにリムへと戻った。

 ユーリアがリムの前でテュルクを線石に戻そうとしたとき、テュルクがちょっと待って、と制止した。テュルクは振り向き、静かに口を開く。

「おやすみなさい」

 そしてユーリアにありがとう、とお礼を言うと、線石の中へと戻っていった。


「ノルト、貴方はどうするの?」

 リムに乗り込もうとするユーリアを見上げていたノルトに、当のユーリアが話し掛けた。ノルトはベッコウを背負ったままその問いの真意を考えたが、分からずに素直に答えることにした。

「このまま街に戻って復興と監視任務に就くつもりだ、北の監視塔は無意味だと理解できたからな」

 その返答にユーリアは肩を竦めた。満月を背後に、跪くリムの肩に立つ、左腰に龍剣を挿したユーリアはそれだけでも絵になるなと、ノルトは呑気にそんなことを考えていた。

 しかしユーリアの口から続けて告げられた言葉に、ノルトは真剣にならざるを得なかった。

「アハトを守る防衛部隊は敵のリム二機に対してほぼ無力、かつアハトを守っていたコガネは三機のリム相手に敗北して瀕死の状態…」

 その言葉には、明らかに挑発的な響きが含まれていた。

「そしてその五機の敵機を退けた味方のリムは、これから龍王議会首都へ発ってしばらくの間は戦線に参加しない」

 ノルトは既に嫌な考えに辿り着いていた。ベッコウも小さく溜息をついていた。同じ答えに到達したようだ。ユーリアは静かに、だが確実にノルトの答えを待っていた。

 ノルトは観念して辿り着いた答えを口にした。

「…もう一度同規模の攻撃があった場合、アハトは壊滅、街に戻ると俺も死ぬ…か」

 パチパチパチパチ…と風の音に紛れて乾いた音が聞こえてくる。ユーリアが胸の前で小さく拍手をしているのだ。

 そしてノルトの答えに、ユーリアは首を少し横に傾け微笑んでいた。優しい笑顔だったが、その意味を知るノルトは不気味ささえ覚えた。

 ユーリアは拍手を止めると、真顔で口を開いた。

「私も、貴方達以外、街の人達全員を助けられたらそれでいいと思ってるの」

 優しそうな言葉だったが、表情は暗く、目つきは鋭かった。

「優秀な指導者を失ったばかりの街にそんなことを言ったら、要らぬパニックが起きてしまう」

 ユーリアは冷たく言い放った。しかしここで再び微笑む。今度の微笑みはまだ、本当に優しそうに見えた。

「でも貴方達が街に戻らずに、私達と一緒に来てくれれば、私は龍王議会領内ではいろいろと助かるし、確実に貴方達を助けられる」

 ユーリアの言葉に嘘も冗談も無いだろう。平原に立つノルトと見下ろしているユーリアの間を冷たい風が吹き抜けている。

「見捨てろ、ということか?」

 ノルトがやっと吐き出した言葉に、ユーリアは首を左右に振った。

「『見捨てる』のは助けられる力を持つ私だけ、貴方達が街の人達に出来る事は『一緒に死ぬ』か『自分が生き残る』かのどちらかだけ、もう一度襲撃があれば、アハトの街は壊滅する」

 言葉の内容は平原を吹き抜ける霊風よりも冷たいが、この言葉も正しかった。日中に見た敵軍の力を前に、ノルトも人軍の部隊も、まるで何も出来なかった。

 返せないノルトの代わりに、ベッコウが口を開いた。

「お主らが街を見捨てる方針を取るということは、今アハトの街を見捨てる方がより多くの人々を救うことに繋がるだけの確信がある、ということに間違いはないかの」

 ベッコウの言葉にユーリアの目つきが和らいだ。ノルトはベッコウの言葉にユーリアの表情を伺った。ユーリアは不敵な笑みを浮かべて口を開いた。

「私が龍王議会首都へ到着して同盟を結べば、聖地で出撃を待つレイヴン王国軍を援軍に向かわせられる」

 ユーリアの言葉に、ノルトは一応の反論を試みる。

「だがレイヴン王国軍は負けただろう」

「今の王国軍は革命同盟軍に負けない、昼の戦いがその証拠だ」

 ユーリアは間髪入れずにノルトの反論を封じ、言葉を切ってノルト達の返答を待った。アハトでの戦闘の後に、リムを使って街に墜落した敵機を平原へ運んだり、大きな瓦礫を片付けたりで時間を掛け過ぎた。テュルクの頼みだったとはいえこれ以上、時間をこの街に費やすことは出来なかった。

 しばらくの間があった。風が弱まり草葉の音が小さくなった時、声が響いた。

「かつ、て…テュルク、も、龍王議会の…人軍、を率い、て…第四龍暦の…終末戦争を、戦った」

 言葉の主、コガネは瞳を閉じたまま語り始めた。誰に語り掛けているのかは分からないが、ユーリアとノルト、ベッコウがコガネに視線を移す。

 コガネはさらに続けた。

「テュルクも…乗って、いたのだ、機械の…巨人に…」

 コガネは瞳を開き、ノルトを見据える。

「この戦は、避けられ、ぬ…負けては…ならぬのだ…我々に、選択肢は…無い」

 コガネは深く息を吐いた。その口元の草が揺れ、ささやかな音を出す。

「私より、強き者が…お前を求めて、いるのだ、従うがよい…」

 コガネは瞳を閉じながら呟くように言い、そして沈黙した。

 ノルトにも分かっていたのだ。今はユーリアの言葉を信じるしかないということも、自分達に力が無いことも。それでもコガネに言われるまで決断できなかったのは、自分自身の現状に、諦めのような結論を出してしまっていたからなのかもしれない。しかし、今のノルトの周りには、強き者達がいてくれた。

 ただ、一度息を吐き、ノルトはユーリアを見上げて口を開いた。

「その巨人、俺とベッコウも乗れるのか?ベッコウは結構重たいぞ」

 ユーリアはその言葉を聞いてリムの胸部から飛び降りた。そして、満月の逆光で見づらいが、左手を腰に当てて右腕を差し出し微笑んだ。

「当然、時間が惜しいから早く乗れ!」

 それからしばらくの後、月明かりに照らされる広大なアハト平原を、南へ向けて駆け抜ける巨大な人影があった。黒く闇に紛れるそれは、大きな足音を立てながら大霊峰から下ってきた霊風に乗り、どんな生き物よりも速く駆けた。

 そして夜明け前にはアハト平原を抜け、その先の森林地帯に入った。足音が徐々に小さくなり、夜が明ける頃にはアハト平原は静けさを取り戻していた。平原は静かで、鐘の音が響くことも無かった。

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