龍王議会採掘都市アハト知事 カドとチルム

 東の空から微かに注ぐ日光が、龍王議会領北部のアハト平原とその中心にある都市を照らし始める。『採掘都市アハト』には二基の一際高い塔がある。一基は『採掘都市』の名前の由来である、三十年ほど前に建てられた、街の中心部に掘られた巨大な縦穴への昇降機。そしてもう片方の塔が、より高い、古くから街の北西部に立つ時計塔である。二基の塔が照らし出されていく様は、見ているだけで希望が湧いてくるように感じられた。

 それと前後するように家々の煙突から、南へたなびきながら煙が出始める。都市の殆どの建物は石造りで、北にある大霊峰から毎晩吹き下る霊風で冷まされた街を温めるように、人々は毎朝暖を取る。そうして目覚めかけている街の広い道を、年配の男が一人で歩いてゆく。たっぷりと蓄えた髭に、何年使い続けているのだろうか、頭にはぼろぼろのニット帽を被っていて、太い眉毛に少し垂れた目、皴が多いその顔は初めて見た人にとっても親しみやすそうだ。ニット帽と同じく古びた作業着を着ていてその腹は出ているが、両腕と首の筋肉は太く、その身のこなしは、年季の入った手袋をつけて右肩に背負った大きな工具袋の重さを感じさせない程だ。

「カド知事!おはようございます!」

 歩いていた年配の男の背後から元気な声が響く。挨拶をしてきた身軽な格好で道を走ってきた男の名前を、カドと呼ばれた年配の男は知らない。カドは振り向き、左手を上げておはようと返す。身軽な男はカドの持つ工具箱より大きな長いバッグを背負っている。この格好だけで、その男が毎朝都市内の掲示板に新聞を貼り出してくれているのだとわかった。身軽な男は颯爽とカドを追い抜くと、時計塔前にある掲示板に、慣れた手つきで新聞を張り出すと次の掲示板へ向けて走っていく。

 カドが時計塔の前に着いて、男の差って言った方向を見ると、すでに男の姿は遥か遠く、元気に走る後姿が小さく見えるだけだった。掲示板の新聞は今日も綺麗に貼られており、カドは遠くの後ろ姿に軽く会釈して時計塔へと入っていった。

 時計塔の広い一階部分はその街の『議場』も担っている。だが、カド知事は時計塔に入ると一階を素通りし、上階へとつながる階段を上り始めた。その足を止めることなく二階、三階…と上り続ける。そして最上階まで辿り着いた。

「おじい…おそい」

 時計塔の最上階には時計の機関室があり、その真下に釣り鐘がある。一日の始まりを告げ、坑道の最深部まで聞こえる音を奏でる鐘を鳴らすのも、カド本人の昔からの慣習だが、知事の仕事になっていた。そしてその鐘のところでカドを待っていたのは、年齢は十に満たない程の小さな女の子だった。

「おお、おはようチルム」

 チルムと呼ばれた赤髪の少女は、一つの電球が照らす機関室の、釣り鐘の下で一人待っていた。釣り鐘が風の影響を受けないように密閉されており、風がある外よりも暖かさがあった。お古の作業着を子供用に仕立て直された服を着ているチルムは、毎朝採掘孤児院を抜け出しては、動き続ける時計の機関と止まったままの釣り鐘を眺めていた。

 カドは手袋を鐘の近くに常備してある専用の綺麗なものに付け替え、鐘の音を抑えるための耳栓をチルムに渡そうとした。その時、塔の外から奇妙な音が聞こえてきていることに気が付いた。岩と岩が擦れ合うような、嫌な音。

 カドにはその音が、坑道が崩落する直前の音のように聞こえて背筋が凍り付いた。チルムも音に気付いているようで、不思議そうに天井へ続く梯子を見上げた。機関室には巨大な時計の機関を整備するためにいくつもの梯子が伸びているが、そのうちの一つ、時計の上にある見張り台へと続く古い木の梯子だ。

 カドは鐘を鳴らす準備を止めて、その梯子を飛びつくように上り始めた。梯子は激しく軋むが、カドとチルムの体重ぐらいは支え切った。

「おじい、どうしたの?」

 不思議そうなチルムも不安がってカドの後に続く。

 チルムの声は聞こえていたが、カドにとって決して無視できない音だった。梯子を上り切ったカドは天井の蓋扉を開けて見張り台へと飛び出した。

 カドは真っ先に街の状況を確認した。不気味な音が響き続けている街を見下ろし、街の地下に広がる坑道の大崩落で街が壊れていないかと、そんな不気味な予感があったが、街はいつも通りの様子に見えた。道行く少ない人影が、何故か時計台を見上げているように見えた。

「おじい…あそこ…」

 遅れて見張り台に出たチルムはすぐに音の正体に気付いた。カドはチルムの指さした方向に振り向くと、その不気味な音の正体に気が付いた。

「なんじゃ…あれは…」

 南の空を覆い尽くすような巨大な影。それはゆっくりと街の上空を北上していこうとしていた。カドとチルム、そして早起きな住民たちが皆一様にそれを見上げていた。

 その日、カドは初めて時間通りに鐘を鳴らさなかった。


「我が友よ、今日は難儀な日のようだな」

 同日の正午。街の中央にある『縦坑道』の周辺には、昇降機以外に建物は無く、広場のようになっていた。そこにあるベンチに座るカドと、カドと共にこの街を見守り続けてきた龍の『コガネ』が隣り合って座っていた。隣り合ってはいるが、コガネは鼻の先から尻尾の先まで百メートルはある巨大な金色の飛龍で、建物に細身の尻尾や翼が当たらないように、器用に座っている。

「鐘を鳴らすのも遅れたからのう…」

 カドは早朝の巨大な影のことを考えないようにしていた。わからないとわかっていることを考え続けるよりも、やらなければならないことをやることを優先した。しかし不安な住民たちがあれは何なんだと朝から殺到し、それに対して全くわからないと答えて、いつも通りの仕事に戻らせるのは、なかなか骨の折れる仕事だった。さらにカドを悩ませたのはそれだけではなかった。

 龍王議会人軍が街へ派遣されたのだ。今朝の巨大な影が現れるのと時を同じくして、北方の監視塔から緊急事態を示す信号が送られてきたためだという。それについての情報提供を求められたが、カドにとってそれは寝耳に水であった。派遣された軍の駐屯手続きも重なり、カドは午前中から忙殺されていた。

「年寄りには大量の書類仕事はきついの…」

 カドは深くため息をついた。

「人軍の兵士たちも悪気があったわけではなかろうて」

 コガネは慰めるように優しく語り掛ける。陽光を受けて輝くその金色の鱗は若干眩しいが美しく、不安を紛らわせてくれる魅力があった。

 派遣されてきた人軍は街の城壁に駐屯している。城壁にはいくつかの塔が建っており、そこだけ石造りではなく、不思議な光沢のある素材で造られている。アハトは龍王議会最大の鉱石産出地であり、防衛力の強化が必要だと考えた人軍司令部が、予算の着く限りで同盟国であるレイヴン王国の技術を借りて、城壁の塔の部分だけを作り替えたのだ。完成したのは今から二十五年前だ。

「あんな銃で西の兵器と戦えるとは思えんがの…」

 カドは三十年ほど前にレイヴン王国へと留学したことがあった。龍王議会にとって初めての『外の国』の協力者が持つ技術は、自分たちが何を学びに来たのかすらわからなくなる程の衝撃をカドたち留学生に与えた。カドがわからないことにあれほど真剣に取り組んだのは、それが最初で最後だったのではないかと思えるほどに、カドは五年間がむしゃらに、採掘に必要だと思われる技術を学び続けた。

 その時、カドはレイヴン王国の兵器も知ることになった。今の龍王議会人軍の兵器で、三十年前のレイヴン王国製戦車や航空機に適うとは到底思えなかった。

「いざとなれば我々龍軍が動くのだ、人が心配することではない」

 コガネはそう言うと首を上げて、こちらへ向かって広場を走ってくる小さな人影、チルムを見た。カドもチルムに気が付く。

「おじい…と龍のおじい、こんにちは」

 チルムの礼儀正しい挨拶に、カドとコガネもこんにちはと挨拶を返す。

「では私は一度平原を見回ってくるとしよう、午後も仕事を頑張ってくれ」

 コガネは飛び立ち、チルムと入れ替わるように広場を後にする。カドは、はっはっはと笑顔で返し、チルムは恥ずかしそうに手を振って見送った。

 カドにとって昼間にこうして広場にいることは珍しくなかった。広場で昼食をとり、街の人たちと話し、心配事や要望を聴き出すのも仕事の内だと思っているのだ。ただコガネとチルムとは、ほぼ毎日会話するようになっていた。

 チルムがカドの顔を見上げて再度口を開いた。

「今日も…王国のお話、聞かせて」

 チルムは毎日、カドがレイヴン王国へ留学していた頃の話を聞きたがった。カドが面白おかしく話をするのもあるが、毎日欠かさずカドの隣に座って話をするようにせがむのだ。日によっては孤児院の子供たちと一緒のこともあるが、今日は一人だ。

「そうじゃな…今日は『機械の巨人』の話でもするかの」

 カドはチルムと血縁があるわけではない。それでもチルムのことを特別に気に掛けてしまうのは、チルムの両親が亡くなった坑道の事故が原因だった。

 龍王議会がレイヴン王国と同盟を結び、人軍を立ち上げた頃はレイヴン王国から入ってくる技術と、それを実現させる為の大量の資源が必要であったが、王国と比較してあまりにも技術面で劣る龍王議会では、資源の大量採取もままならなかった。しかしそれでも、これ以上軍事的に遅れを取らない為にも資源の採取は遅らせることが出来ず、細々と地下の鉱物資源を採掘していた小都市アハトは議会領中から人手をかき集めて地下坑道の大規模化を行った。

 技術面で稚拙な龍王議会での大規模坑道の開発は、坑道を崩落させながら掘り進んだといっても過言ではなかった。特に留学していたカドが戻り採掘技術が飛躍的に進歩するまでは、大なり小なり崩落事故が起こらない日の方が珍しかった。

 留学から帰ってきて悲惨な現状を知ったカドは、坑道を掘削・補強する技術を伝えてそれを徹底させた。信頼を得て知事に着くと必要な機械や設備は惜しまずに王国から取り寄せ、とにかく事故を減らし、また人軍の要求する鉱物の量が多すぎると、軍と真っ向から対立した。さらに、亡くなった採掘員たちの子供を預かる採掘孤児院も開いた。

 そうして技術面でも労働環境面でも劇的に改善されてきたアハトの大坑道だったが、五年前に第十二層目の坑道を掘り始めた際に大規模な崩落が起こり、掘り始めた第十二層とその直上の第十一層の一部の坑道が崩落した。その事故で死亡したのがチルムの両親だった。

 その崩落事故以来、採掘員の死亡事故は起こっておらず、チルムは街の採掘孤児院最後の孤児と言われている。カドが仕事の合間を縫ってチルムと毎日話してあげるのは、彼女に対する贖罪と自らへの戒めでもある。

 彼が今話している『機械の巨人』の話は、彼が王国へ留学中に見たリムから着想を得て作った物語だ。体の不自由な人を助けていた機械の巨人が、戦争に巻き込まれて周りの人々の願いを受けて戦い、戦争が終わった後にその力を恐れた人々から心臓を抜き取られてしまう。しかし、かつて機械の巨人に救われた人が自らの心臓を差し出して機械の巨人が生き返り、再び体の不自由な人々を救う為に生きる物語。話自体は短く簡潔なものだったが、龍や大霊峰など身近なものを交えて話し、チルムに楽しんでもらおうという工夫に溢れていた。

「…龍と戦える人なんて怖い、でも乗れたらおもしろそう」

 チルムはカドの話をよく聞いていた。カドも昔の、留学中の話をするのは自分が若返るようで思わず熱を入れて話してしまうのだ。時計塔を見上げるとそろそろ孤児院のお昼休みも終わる頃で、カドは立ち上がり、埃を払う。

「チルム、そろそろ孤児院に戻りなさい。今日も話を聞いてくれてありがとう」

 カドはチルムに優しく語り掛ける。

「うん、でも一回時計塔に行ってから帰る!」

 チルムは笑顔でお礼を言うと、広場から走り去っていった。話に夢中なカドは気付いていないが、この光景は街の人たちにとっても和やかで、密かにその光景を眺める人たちもいた。

 しかし今日は話が終わったのを見計らって、カドに話しかけに来る作業員がいた。カドと対照的で背が高く、髭がない険しい顔。服装から採掘現場の監督官であることが分かった。カドはすぐに仕事の顔に戻り、現場監督官に話しかける

「何かあったのかね」

 現場監督官は頷いたが眉間の少しの陰りから少し戸惑いが見られた。

「はい、ただ説明するよりも知事に直接見てもらった方が早いかと。縦坑道の第十六層、最深部です」

 現場監督官は知事のことを信頼しているが、カドも現場の作業員たちを信頼していた。カドはわかったと頷き、監督官と共に昇降機へ入っていった。

 採掘員達は昼休みの時間であり、休みなく働き続ける昇降機も、今は短い静寂を奏でていた。監督官が操作盤を触ると、目を覚ました昇降機が微かに金属の軋む音を放ちながら動き出す。二人の乗る昇降機が地下へと下がって行き、何層もの行動を素通りした後に、その異様な光景が闇の中に浮かび上がってきた。

「これは…いつからだ」

 マスクを通したくぐもった声。カドは縦坑道の最深部にたまっている蛍光色の液体を見て監督官に問いかけた。視線の先の液体は静まり返っているが、暗い坑道の底を怪しく照らし出している。

「昨夜の作業終了時に異常は見られなかったので、恐らくは深夜から今朝に掛けてかと…」

 監督官の言葉に偽りはなく、事実カドは毎晩採掘現場に出向いては採掘員に激励を飛ばしており、昨夜も例外ではなくこの現場を見ていたからだ。

「最初に仕事に入った作業員から報告を受け、私も始業直後に把握していたのですが午前中の知事は多忙そうでしたので、こちらの判断で大気中の毒物の検査を行い、第十六層の作業中止命令も出しておきました。検査の結果、大気中から毒物は検出されませんでした」

 現場監督官はそう言い、事後報告となったことを詫びた。カドはそれを了承し、さらに液体を眺める。明らかに発光しているそれは、液面は静かだが、液中は明らかに流れがあり、複雑な光の線を壁に映し出していた。

「今朝の巨大な影に続いてこれか…液体自体の調査は行っているのかね」

 カドの質問に監督官は静かに頷いた。

「はい、しかし完全な究明には時間が掛かるとのことでした」

 カドはわかっていたという風に頷く。監督官はさらに続ける。

「なにぶん、有毒物質の有無だけならアハトで行うこともできますが、構成物質の究明となると議会都市の施設を使うしかないため、輸送だけでも時間がそれなりにかかります」

 カドは右手で髭を撫でながら微かに唸った。これが何なのか、今考えても仕方がないことはわかった。これから自分がやるべきことをカドは素早く考え、監督官に質問をする。

「…この液体について知っている人数はどれぐらいいるのかね」

 カドは今朝の巨大な影と坑道に現れた謎の液体が、住民の不安を煽ってしまうのではないかと考えていた。西方の国境では人龍の主力軍が革命同盟軍と睨み合っている。開戦直前ともいえるこの時期に、領内で不穏な出来事ばかり起きては敵に付け入る隙を与えかねない。

「私と知事、それと報告を行った採掘班の作業員八名に、大気中の検査と液体の採集を行った検査官二名、そして採集した大気と液体を保管している保管庫の警備兵二名です」

 監督官はすらすらと答えたが、少し歯切れ悪く続ける。

「しかし、この光は第十一層からも視認できる為、実際はもっと多くの作業員に知られている可能性があります」

 カドはしばらく髭を撫でながら考えていた。しかしすぐに、確証はないが、一つの結論に至った。

「…隠し通すのは不可能じゃな、ならば公表するのは早い方がよい、か…」

 隠し通すには坑道を三割以上封鎖しなければならない。しかし龍王議会が置かれている開戦直前という状況がそれを許さなかった。それに見えなくしたとしても、坑道の三割が封鎖されてはそれだけで不安を煽ることにもなる。

「住民への公表はこの後すぐに行うこととする、仕事中の作業員たちへの周知は任せてもよいか」

 カドの指示に監督官が頷く。二人ともこれからの大仕事を思い、拳を握って気合を入れる。そして二人でいつも通りに息が合ったことを笑った。

 その時、地表から鐘の音が響いてきた。


 チルムは時計塔の見張り台に来ていた。広場でおじいの話を聞いた後にここへ来るのはチルムの日課となっていた。彼女は街を見下ろして道を歩く人々や走る車を見るのも、縦坑道がら上り下りを繰り返す昇降機の動きを見るのも、広大なアハト平原を見渡すのも、遠くに見える大霊峰の黒い山肌を眺めるのも好きだった。

 しかし今日は街の様子が少し違う。理由は明白で、街の北側の大門が閉じ、その内側に兵士達が集結しているからだ。見張り台からは門の外で何が起きているのかはわからないが、兵士達が右往左往しているのはよくわかった。

 アハト平原の遥か上空で、鱗を輝かせながら飛行しているのはコガネだろう。成長した龍は殆ど食事を行わなず、鱗に光を浴びることでエネルギーを得ているとされている。しかし龍は人と比較するとあまりにも長命で、個体による体格や形状も全く異なることから、人が龍について研究を行ってもあくまでその個体のことしかわからず、龍という種族全体については何も分かっていない。

 チルムは一年程前にカドからその話を聞いた時、龍というものに興味を抱いた。とりわけアハトの街に住むコガネに対して、おじいを含めた街のみんなが黄金色の龍であること以外に何も知らないということをその時初めて知り、子供ながらに衝撃を受けたのだ。

 チルムはそれから毎日、時計塔の見張り台に上るようになった。アハト平原を縦横に飛び回るコガネを眺め、何かわからないかと観察を続け、ただ飛び回っているのだということ以外わからなかった。

 しかしチルムは今日も観察を続ける。ただ飛び回っているコガネと同じく、ただ観察しているだけだとしても、それを止める気にはならなかった。

「あれ…他の龍…?」

 チルムはコガネから西北西の空に五つの影が浮かんでいることに気が付いた。アハトを出たことがないチルムにはわからなかったが、西北西は西方地域との国境地帯である。五つの影はコガネよりも低い位置を飛んでいるようで、アハトへ向かって近づいて来ていた。

 チルムは見張り台に常備してある望遠鏡を構えた。城壁に塔が完成してからはお役御免となったが、旧式の装備はそのまま残されていた。

 チルムが覗き込んだ望遠鏡は、五機の青い拡張人体兵器『フライトタイプ・リム』を映し出したが、チルムにはそれが何なのか、わからなかった。ただ、おじいが今日も話していた機械の巨人のように見えた。

「青い機械の巨人…」

 チルムは望遠鏡をのぞき込みながら呟いた。その瞬間、五機のリムが散開し、上空からの光の筋を回避した。

 チルムは望遠鏡から目を離すと、まだ小さな陰に見える五機のリムとその上空、光の筋、ブレスを放ったコガネの姿を確認した。五機の内三機のリムはコガネに向き直り急上昇を始めたが、残りの二機は再びアハトへ進撃を始めた。

 コガネと向き合う三機のリムの左腕が展開し、腕に内蔵されていた銃が一斉に発砲した。コガネは巨体をくねらせ回避しようとするが、弾はコガネの周囲で炸裂し、コガネの姿が爆炎に包み込まれた。

 チルムははっと見張り台でたじろいでいた。コガネはすぐに爆炎から飛び出してきたが、鱗に傷があり、反撃で放ったブレスも三機には当たらず、さらに激しい銃撃を受けていた。

 チルムは街を見下ろした。城壁の兵士達が上空での戦闘に気付いて慌てているようだったが、それ以外の街の住民達は全く気付いていないようだった。そうしている間にも二機のリムは近づいてきていた。

 チルムの呼吸が荒くなり始めた。チルムは子供だが、目の前で何かひどいことが起きて、これからさらにひどいことが起こりそうなのだと直感的に理解していた。誰かに、おじいに気付いてもらわないといけないと思った。

 チルムは急いで見張り台から降りる。古びた木製の梯子は勢いに軋むが、チルム程度の重さは支え切った。急いで、しかし慎重に梯子を降り切ったチルムは、素手のままで釣り鐘に繋がる金属の舌を力の限り揺らした。

 おじいが鳴らすような綺麗な音ではなかったが、大音響の鐘の音がアハト中に響き渡った。


 鐘の音を聞いたカドは、監督官と共に急いで地表へと戻ってきた。昇降機から降りてすぐに時計塔へと向けて走り出そうとするが、同時に微かに連続して響く爆発音に気が付いた。それは採掘の音ではないことはすぐにわかった。そしてカドを探していたのだろう、兵士が転がるように駆け寄ってきた。

「知事!報告です!革命同盟軍が正午過ぎに我々龍王議会に宣戦布告を行い、西方国境線にて戦闘が発生しているとのことです…!」

 息を整える時間も惜しいという感じの兵士の報告を受けたカドは、目を見開いて監督官と顔を見合わせた。そして険しい顔で兵士に話しかける。

「その情報は確かか!」

「はい!議会都市からの正確な報告です…!」

 カドは一瞬考え、次の言葉をつづけた。

「先ほどの鐘の音はそれを知らせるものだったのか、直ちに全住民に避難勧告を出す!兵士達は全住民を掘り尽くした第一坑道から第五坑道までに避難させるのだ!その為の整備し切った坑道だ!敵はすぐにここまでくるぞ!」

 カドは西方の兵器にも詳しく、敵の戦闘機や噂の飛行型リムが強襲を仕掛けてくることを予見していた。カドの怒鳴るような命令に、兵士は踵を返して止めてあった軍用車に乗り込み、北大門の方へと全速力で去っていった。

 カドは監督官と別れて小さな公用車に乗り、時計塔へと急ぐ。有事の際は鐘を鳴らし、都市内各区の代表者を時計塔へ集め、彼らに知事が指示を出して住民全体へ伝えていく手筈になっていた。カドは急いで時計塔を目指した。

 昼間の日が照りつける時計塔前の広場には、既に多くの人たちが集まっていた。不安げに会話していた人々はカドの姿を見るや話を止めて静まった。その中にチルムがいたが、カドには先にやることがある。カドは大きく息を吸い、目の前の人々に語り始めた。

「諸君、先程鐘の音を聞いたと思う」

 人々の顔を見渡しながらカドは言葉を続ける。

「先程の鐘の音は住民達に非常事態を知らせる為のものだ」

 人々は静まり返ってカドの話を聴く。空からはまだ爆裂するような音が小さく響いてくる。

「感づいている人もいるかもしれないが、西方の大国、革命同盟が我ら龍王議会に対して宣戦布告を行い、西方国境地帯で既に戦闘が始まっているとのことだ」

 人々が息をのむ。一人の若い男が不安を口にした。

「戦況は…どうなっているんですか」

「そこまではまだわからん、しかし確実に言えることがある」

 カドは即座に男の質問に答え、さらに続けた。

「ここアハトは龍王議会にとって失うわけにはいかない重要な鉱物資源の産出地であり、敵が国境に近いこの場所を見逃すはずもない」

 カドは一度言葉を切る。

「私が敵なら例え兵を失うとしても開戦直後に特攻を仕掛け、都市機能を停止させようとするだろう、だからこそ私はそれを前提とした行動を、全ての住民にとってもらいたい」

 今度は年配で上品そうな女性が口を開いた。彼女は南区の長だ。

「以前から知事が用意して下さっていた『全住民の坑道への避難計画』の実行ですわね、お安い御用ですわ」

 カドは頷いた。集まっている人の半分ぐらいは計画のことを知らないようだが、計画名で分かるようにしてあったのが幸いした。

「既に兵士達には誘導の指示を出している!ここに集まっている人達でより一層の計画の周知と混乱の緩和に助力して、迅速に行動してもらいたいたい、私からは以上だ」

 カドは頷き、話を終えた。人々の顔には戸惑いもあったが、決心したように各々が足早に広場を離れていった。

 話し終えたカドのもとにチルムが駆け寄った。思わずカドに抱き着くチルムの手は、鐘の舌を直接握ったせいで黒ずんでいた。カドは素早く事情を察した。

「チルム!お前が鐘を鳴らしたのか」

 頷くチルムにかがんで視線を合わせるが、チルムが今にも泣きだしそうな顔になっていることに気が付いた。カドは心配そうに視線の高さを合わせ、安心させるように出来る限り優しく尋ねる。

「どうしたんじゃ…?」

「おじい!コガネが…コガネが…」

 チルムはそう言うと西北西の空を指さした。ここからは建物に遮られて、青空以外に何も見えないが、ほぼ同時にその方角から城壁の兵士のものと思われる銃声が響いてきた。

「まさか…」

 カドが呟いた瞬間、二機の青いリムが上空を通り過ぎざまに時計塔へ炸裂弾を撃ち込んだ。時計塔に直撃して炸裂する。カドもチルムもそれ以上に言葉を発することもできず、落ちてくる瓦礫を見つめた。

 しかしカドは本能的に、チルムを庇う様に覆いかぶさった。爆音と地響きが二人を襲った。二人には時間が止まったかのように感じられたが、実際に瓦礫は二人に落ちてこなかった。落ちてきた瓦礫は二人を避けるように落下した。

 チルムを庇う体勢のまま目を開いたカドは、自分達が日陰に入っていることに気が付いた。

「不法侵入で悪いけど、非常事態だったから許してね?」

 若い女性の声が聞こえた。カドとチルムが恐る恐る顔を上げると、影の正体がそこにいた。

「『ホログラフィックウェポン・レールガン』展開開始」

 続けてまた違う、澄んだ女性の声が聞こえてくる。同時にその陰の正体は立ち上がる。黒光りする巨人、拡張人体型兵器『リム』の姿。その右腕に光の線で出来た銃が姿を現した。

「『ホログラフィック』展開完了、『ホロフィウム』展開開始」

 澄んだ声が謎の言葉を続ける。光の線が徐々にその光を強め、リムと同じく黒光りする銃が実体として現れた。

「『ホロフィウム』展開完了、『ホログラフィックウェポン・レールガン』展開完了」

 二機の飛行型リムが旋回してアハトへと舞い戻ってきた。左腕の銃は確実にアハト市内を狙っている。黒光りする地上のリムが、空の青いリムへと銃口を向けた。

「ユーリア!いつでも撃てますよ」

 澄んだ声が響く。ユーリアとは中に乗っている最初の声の持ち主の名前だろうかと、カドは考えていた。その名前にどこか聞き覚えがあった。そしてその声が再び響く。

「それじゃあ、叩き落しますか…!」

 美しいが明らかに好戦的で獰猛な声。しかしついにカドは、その名前を思い出した。

「ユーリア…レイヴン王国第五子ユーリアか!」

 キキーン、と甲高い音が繋がって聞こえた。カドがその甲高い音が黒いリムの銃声だと気付いたのは、二機の青いリムが都市の城壁外へ落下した爆発音を聞いた時だった。

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