ユーリアが会いに来た!

イシヤマ マイマイ

龍王議会人軍北方国境警備隊 ノルトウィントとベッコウ

 広大な宇宙のどこかに浮かぶ、青い海に包まれた名前を忘れられた星。その海に浮かぶジョテーヌ大陸の広大な大地は、永い歴史の果てにそこに生まれた人と龍は、南北の大国と中央の大霊峰を境に大きく四つの勢力に分かれていた。

 大陸の東には商才に長けた人々が五つの国を興し、互いに謀略を巡らせていた。大陸唯一の島国『東威』もこの地域にある。

 大陸北方の広大で過酷な環境の大地には大陸最大の宗教国家『境界騎士団領』が東方、西方地域に睨みを利かせていた。

 その大陸西方は遥か昔から無数の国家が興りと滅びを繰り返していたが、ついに大霊峰の麓を領有する軍事国家『レイヴン王国』が盟主となる連邦が誕生した。

 そしてそのレイヴン王国と同盟を結び連邦の成立を後押ししたのが、大陸南部を遥かな昔から支配する人と龍の国の共同体である『龍王議会』である。大陸全土の国で用いられている暦『龍暦』は、龍王議会の頂点に立つ始原龍たちが定めた時代区分である。

 それら四つの地域の緩衝地である、大霊峰と呼ばれる山脈に囲まれた場所に『聖地』があると言われている。大霊峰には龍王議会に所属しない黒龍が住み、聖地を守るように大霊峰へ踏み入る人々を追い返し続けていた。

 そしてこの状況から、連邦の西部で一部の国家が独立しようと起こした独立戦争が勃発し、さらに三年の月日が流れた第五龍暦二千百三十年九月二十日、龍王議会の聖地国境監視塔から物語は始まる…



 龍王議会領北半分の大半を占める広大なアハト平原、その北端の大霊峰の麓の小さな崖の上に石造りの、高さ十二メートル程の小さな円柱型の塔が立っている。

 塔の屋上には胸壁が設置され、武装は無く、簡易的な木製の物置と、塔と同じく石造りの台だけがだけがあった。そして中央に置かれたその台の上に、大きな灰色の亀のような白龍が鎮座していた。

 塔の屋上から昼間の太陽に照らされたアハト平原を見下ろしている白龍に、階段を上がってきた若い男が声を掛けた。

「ベッコウ、飯だ。あと見張る方向が逆だろうに」

 男は声を掛けながら手に持ったパンをベッコウと呼んだ白龍の顔の前に差し出した。ベッコウは待ってましたとばかりにパンに齧り付く。男は龍の鱗をかたどった龍王議会の鎧を纏い、腰には幅広の片刃の龍の爪から作られた龍剣を差していた。兜は着けておらず、日に焼けた肌と黒い短髪が健康的な青年だ。

「そうは言うがな~大霊峰側を見張っていても暇で暇での~」

 パンを飲み込んだベッコウが口を開いた。男はその言葉を聞きながら物置の中から双眼鏡と軍式の狙撃銃を取り出した。簡略だが龍王議会兵の一般的な装備だ。

「ノルトも好きじゃろ~ここから見える平原の景色とアハトの街が」

 ノルトと呼ばれた見張りの男、ノルトウィントはまあなと軽く答え、ベッコウとは反対方向に向き直り、双眼鏡を構えた。

「じゃいつも通り、そっちは頼んだ」

 ベッコウも分かったと答える。ノルトは眼前の広く、高みまで続く大霊峰の監視に入った。これがノルトとベッコウの一日、もう三年も続く変わらない日々だ。


 龍王議会は圧倒的な力を持つ龍が統べる国であり、他国との戦争は龍が行い、龍は領内での人の戦闘を禁じてきた。領内の人々は龍達に守られて暮らし、穏やかに平和に暮らしてきた。それが許されるほど龍の力は絶対的なものだった。

 しかし第五龍暦二千年代に入り西方・東方両地域で機械化された兵器が投入され始めると、龍の戦力としての優位性は揺らぎ始めた。航空機は登場した初期の段階こそ龍に劣る機動力だったが、三十年ほどで龍と同等の機動性を獲得し、今では龍を遥かに上回る速度で大陸中を飛び回っている。

 戦車は龍のブレスで溶け、砲撃で鱗に傷すら入らない程度だったのが、長時間のブレス攻撃に耐え、当たれば一撃で飛ぶ龍を叩き落す移動要塞と化していた。人間の兵器は龍を超えようと進化を続けてきた。

 龍王議会は人間の兵器の有用性を認め、領内の人々に武器を持つ権利を与え、龍とともに国を守る軍隊を作らせた。しかし龍王議会とそれ以外との人々の技術水準の差は比べ物にならない程に開いていた。

 龍王議会は技術力の差を埋めるために、他国の協力を必要としていた。


「のう~ノルトや~シュタルトは元気かの~」

 おしゃべりなベッコウは任務中でも私語を絶やさない。普段は適当に返すノルトもシュタルトの名が出て口を開く。

「親父か、元気じゃない時を見たことないな…元気だろ」

 シュタルトはノルトの父親で、龍王議会の生きる英傑と言える人物でもあった。シュタルトは今年で六十近い年配の男だが、三十三年前の龍王議会とレイヴン王国の同盟締結の決め手を作った功績者だった。そしてこの年になっても龍王議会人軍大将として軍を率いている。

 成人前から当時の龍王議会の体制に疑問を抱いて国を出て大陸中を巡り、同じく大陸を巡っていた王になる前のレイヴン一行と意気投合し、共に旅した。レイヴンが王位継承の争いに巻き込まれると龍王議会の議長を言いくるめて国を挙げてレイヴンを後押しした。

 結果としてレイヴンが王位を継ぎ、龍王議会は念願の人の国との同盟締結を成し遂げられたのだ。

「もう三年も経ったんじゃ~たまには会いたいの~」

 ベッコウは任務に就いて約三年間、一度も監視塔を出ていない。ベッコウに限らず龍は時間の感覚が人とは違う。三年という時間も大した時間ではないはずだが、この言葉はベッコウの心ではない。

「…まあ、何かあったら流石に俺に連絡が来るだろ」

 ノルトの重たい呼吸と共に吐き出された言葉は、雄大な大霊峰の山肌へと吸い込まれて消えた。


 聖地側の監視塔には、第四龍暦の最後の龍王議会議長が聖地へと向かう前に最後の夜を過ごしたという伝説がある。それから二千年以上も経ってなお、古めかしい石造りのまま保存されているのは、歴史保存としての意味合いもあった。

 ノルトはその議長『テュルク』の伝説が好きだった。そうでもなければ左遷も同然のこの監視塔の任務に自ら立候補したりはしないだろう。始原龍たちの言葉では龍暦の境には全ての生き物が突如として正気を失い死にゆく『毒の時代』と呼ばれる災厄が起こるのだという。当時の議長だったテュルクは人々を毒の時代から救うために、光り輝く石を手に大霊峰の先にある聖地へと向かい、龍王議会のみならずジョテーヌ大陸中の生命を救ったのだという。龍王議会と敵対的な国ではあまり知られていないが、大陸全土で語り継がれる英傑譚だ。ノルトが監視塔に持ち込んだ数少ない私物の本でもある。

 二人の監視任務は三年間、ほぼ変わらないサイクルで続いていた。大陸西方地域との国境線では一触即発の状態が続いているが、この監視塔にその緊張が伝播してきたことはない。

 日が沈み始めた。監視しているのかおしゃべりしているのかわからないベッコウの監視任務は一度終わり、いつものように眠りについた。夜目が利かないベッコウには夜の監視は難しい為、ここからはノルト一人の任務となる。ノルトは日が頼りにならなくなる前に夕食のパンと干し肉を食べきり、月明かり以外が暗闇に包まれても双眼鏡を構えて監視を続けた。

 レイヴン王国製の軍用双眼鏡には暗視機能も付いており、未だに普通の望遠鏡を自作するのが精一杯な龍王議会の人々にとって魔法のような代物だった。それ以外にも銃は龍王議会製だが、中の照明弾や機械兵器を麻痺させる電磁波を発生させる雷光弾はレイヴン王国製だ。

 しかし龍王議会がそれらレイヴン王国製の武器を最後に入手できたのは二年前、それ以降はレイヴン王国製の新しい兵器は入手できなくなっていた。


 三年前の西方国境で龍王議会と睨み合う『革命同盟』の起こりについては、龍王議会の人々は詳しくは知らない。連邦に対する不満を持った国々が密約を交わして反旗を翻したとも、連邦と対立する北方の境界騎士団の介入があったとも伝わっている。

 レイヴン王国という盟主に支えられた西方の巨大連邦『ラインハーバー連邦』は、その起こりから約三十年間平穏を保ち続けていたが、独立した大陸西端を根拠とする革命同盟派と、レイヴン王国が中心の旧ラインハーバー連邦とに分裂した。

 革命同盟軍は独立宣言と同時にラインハーバー連邦に対して宣戦を布告。両軍は同型の主力兵器の戦車や戦闘機、そして拡張人体型兵器『リム』を戦線に投入し続け、連邦軍は開戦時の戦線を維持した。しかし革命同盟軍は開戦から一年後に、新兵器の航空機動型フライト・リムを戦線に投入し制空権を奪うと、各地の戦線を突破。さらに少数のフライト・リム部隊で大陸内陸のレイヴン王国首都を強襲した。

 この時を境にレイヴン王国からの龍王議会に対する一切の通信が途絶えた。同時に国内の他国民を、外交官含めて国外退去させた。同盟相手の龍王議会はおろか、連邦の他国に対してもそれは同様だった。さらにレイヴン王国全軍は突如として戦線から撤退し、残された連邦軍は成す術もなく撃破され、連邦側の国家は次々と降伏していったという。そして革命同盟軍はレイヴン王国領へと迫った。

 龍王議会もこの異常事態の実態を把握するべくこのタイミングでレイヴン王国領へとシュタルトら精鋭を送り込んだ。しかし彼らが持ち帰った「調査の限り王国内のいかなる場所にも人は確認できなかった」という情報は、さらに事態の異常性を増しただけだった。

 そしてシュタルトがレイヴン王国から帰還した三日後、革命同盟軍がレイヴン王国全土を制圧し勝利宣言を大陸中の国々に対して布告した。こうして三十年以上続いたラインハーバー連邦は消滅し、革命同盟が西方地域を支配することになった。


 そして今、革命同盟と龍王議会の国境地域では、互いの主力軍が睨み合う状況が半年以上続いていた。

 監視塔には大霊峰から下ってくる風が毎晩吹き付けていた。アハト地方は『霊風』と呼ばれるこの冷たい風のため、昼夜の寒暖差が一年を通して激しく、伝説ではこの霊風を凌ぐために賢いテュルクは逸る気持ちを抑えて、この監視塔で一夜を過ごしたのだという。しかしその風の中でもノルトは監視任務を怠らない。眠るベッコウを背後にひたすらに見張りを続けていた。

 シュタルトは革命同盟の後ろ盾を北方の宿敵である境界騎士団と視ており、もし連邦が敗北した場合に龍王議会への侵攻は不可避と考え、三年前の開戦時から国境の防備を固め始めた。ノルトは父親の行動力と洞察力に伝説のテュルクを重ねて見ていた。

 テュルクとは第四龍暦の最後に龍王議会の議長に就任していた人物であるが、二千年以上前の人物であり、伝説で語られる内容以外は性別を含めて殆ど記録が残っていない。その時代の生き証人である龍たちもテュルクという人物に特別な敬意を払っており、伝説以上の活躍をしたと語りはするが、人物については語ろうとはしない。語るのはただ、人の身でありながら龍王議会の議長に選ばれるほど慕われており、同時に優れた科学者であったという。龍たちはどれだけ訊かれてもテュルクについて、それ以上の話をすることを拒んだ。

 龍たちはその理由をこう語った。

「伝説を知りすぎると、今と未来の可能性を奪うことになってしまう」


 東の空が微かに赤らんできた頃、ベッコウが目を開いた。

「ノルトや~」

「おはよう、じゃあ俺は寝るぞ」

 ベッコウが起きるとノルトが寝るのはいつものことだったが、ベッコウがそれを制した。

「ノルト、耳を床につけてみるんじゃ」

 ノルトは迷わず右耳を床に着けた。呑気な日常を送っている二人だが、行動の速さとお互いの信頼関係は軍人らしく、三年間の監視任務でより強固になっていた。

 ノルトは微かに大地が揺れているのを感じた。何か、重量のある何かが大地を揺らしている。その足音の正体を考え、目を見開いた。

「足音…『リム』か…?」

「おそらくなぁ~」

 立ち上がったノルトは緊張感を持って双眼鏡を構える。聖地側より西側、大霊峰の山なりを注意深く見つめた。しかし見つけられず、再び耳を立てる。足音は近づいてきていた。

「方角はわかるか」

 ノルトは双眼鏡を構えながらベッコウへと聞き返す。

「おそらくじゃが、テュルクの道方面じゃ」

 ノルトはすぐさま大霊峰側を確認した。東方から差し込む日光が、荒れた山肌に陰影を描き出している景色の中に陰から陰へ、光を切り裂くようにそれは動いていた。

「…あれか」

十秒程して大霊峰中腹を駆け下りている人のような影、拡張人体型兵器リムを確認した。リムは監視塔へ向けて直進している。

「確実に監視塔に気付いているな」

「わしにはまだ暗くて見えんがの~」

 台座の上でようやく旋回を終えたベッコウは緊張感なく呑気に答えた。ノルトは照明弾を銃に装填した。

「もうこっちの場所がバレてるのなら…ベッコウあそこだ」

 そう言うと同時に上空へ照明弾を撃ち出した。照明弾はリムと監視塔の直線上の上空で起爆し、監視塔とさらに遠くのリムを照らし出した。リムは照明弾に気付き、一瞬歩みを止めたが再び監視塔へ向かって駆け始める。その反応を見てノルトは銃をその場に置くと振り返り、駆け出した。

 ノルトは塔内へと降り、毎日寝るボロボロなベッドの隣、小さな木製の台に置かれた通信機の電源を入れた。日々の報告を行う異常無しのボタンと、非常事態用の緊急ボタンのみが付いたあまりにも簡易的なものだが、材料含めて全てを龍王議会内で作った純粋な国内製だった。押されたボタンに応じた通信内容が、龍王議会首都の軍本部へと即座に送られるようになっている。ノルトは迷わず緊急ボタンを押した。通信成功のランプが光り、屋上へと駆け上がる。

 屋上に戻ったノルトは胸壁に身を隠し、続けて雷光弾を銃に装填する。迷いなく手を動かしながらも、その口からついに溜息がこぼれた。足音は直接聞こえるまでに近くなっていた。足音が監視塔の前で止まる。

 次の瞬間、ノルトは胸壁の凹みから身を晒すと同時に眼前のリムに向けて雷光弾を発射した。一瞬、しかし激しい青い雷が着弾点のリムの胸部で発生した。近くで見るリムは黒に近い藍色の、真鍮のような輝きがあった。右手側からの太陽光と、リムの後方で未だに空中に留まる照明弾の逆光がより機体の黒さを強調していた。

 ノルトは発砲に続けて腰の龍剣を抜きながら胸壁に足を掛けるとそのまま飛び出し、動かないリムの頭部めがけて渾身の力で振り下ろした。龍王議会には目の前に立つ巨大な兵器を作り出す技術力は、まだない。しかし龍の体の一部を龍の炎で鍛えて作り出された『龍剣』は、あらゆる金属や石材を両断する、原始的な武器だが龍王議会製の武器で唯一他国に対抗できる武器でもあった。


 突然、リムの胸部に穴が開いた。その穴はリムの操縦室へ出入りする為のハッチであるが、当然ノルトとベッコウはそんなことは知らない。そこから飛び出てきた人影がノルトとリムの間に割り込み、ノルトの振り下ろされる龍剣を、右手に持つ刀で受け止めた。ノルトとベッコウはその時初めて人が乗っているのだと理解した。ノルトと人影は互いに弾き飛ばされ、ノルトは屋上に着地し、リムの頭部に着地した人影を見据え龍剣を正面に構え直した。人影も刀を同様に構え直す。人より五感が鋭いベッコウには、相手の構える刀が大気を震わせているように感じられた。

 ノルトはその人影を観察する。着ている鎧も頭部までヘルメットで覆い尽くすもので、その質感がリムの装甲と同じである。そしてヘルメットの分も含めても、その人影は小さかった。

 ノルトが鎧の人影について考察していたその時、鎧の人影が出てきた胸部の穴の内部から声が聞こえてきた。

「双方、剣を収めてください」

 その声は霊風のように澄んでいて、ノルトは思わず視線を声の方へと向ける。鎧の人影もその声に従うように刀を収めリムの内部へと戻り、再び出てきたときその手には刀ではなく、蒼く光る線が描かれた箱を持っていた。光る線は波打つように輝き、枝分かれしながら箱の下部から上部へ伝い、幾何学的な模様を描いていた。

「龍王議会の方ですね?私達に戦闘の意思はありません」

 箱から聞こえてくる澄んだ声を聞いて、ノルトは自我を取り戻したように慌てて龍剣を腰に収めた。その様子を見た鎧の人影は箱に手を添えた。カチッっと音がすると、箱の上に蒼白い半透明の女性の姿が現れる。ホログラムだが、龍王議会側の二人には何かの魔法にしか見えなかった。

 しかしノルトは直感で綺麗だと感じ、その女性に見惚れていた。

「おお~…幽霊かの?」

 ベッコウが平然と口を開いた。見惚れていたノルトは、その言葉でようやく美しいどころではない状態だということに気が付いた。半透明の女性はベッコウの言葉に微笑んだ。

「確かに皆さんからは幽霊、と言えるのかもしれませんね」

 半透明の女性の声はその姿を通して聴くと、心が安らぎ、ノルトの心は平静を取り戻していった。しかし、目の前の二人はリムに乗って大霊峰を超えてきたのだと警戒し直し、彼は今の状況を理解しようと口を開いた。

「おれ…私はこの塔で監視任務に就いている龍王議会の兵士、ノルトウィントだ。お前たちは…何者だ」

 なるべく平静に誠実に、しかし最後の語気を強めて二人に問い詰めた。ベッコウはその言葉にさらに大気の震えが強まったような気がしたが、空から聞こえてくる巨大な岩を擦り合わせるような不気味な音で、実際に大気が震えているのだと気付いた。

 ノルトの言葉を聞いた奇妙な外見の二人は互いに一瞥し、頷いた鎧の人影がヘルメットを外した。その中から黒い短い髪と整った若い女性の顔が現れた。そしてノルトとベッコウを正面から見据えて口を開く。

「私はユー…リ…」

 ユーリアはノルトから南の上空へと視線を移し、言葉が止まった。半透明の女性も同じ方向を見つめている。大気の震えと不気味な音はいよいよ大きくなり、目の前の二人を警戒していたノルトもついに振り向き、上空を見上げた。そしてそこに音の正体を見た。


 ジョテーヌ大陸の南海の上空から巨大な、巨大としか言いようのない何かがジョテーヌ大陸へ向けて飛来していた。それは黒く、所々に入った曲線が、紫色に不気味に輝いていた。その速度は高高度の遠さ故に、そして巨大すぎるが故に遅く見えたが、相当な速さのはずだ。さらにそれは…

「生きている…」

 半透明の女性が呟いた。それは全身を上下にくねらせながら、空中を泳いでいるようにも見えた。そして岩を擦り合わせるような低い不気味な音に混ざり、聞いたことのない、高い音も聞こえてきた。ノルトにはそれが、仲間と共に歌う龍の咆哮に似ているように感じられた。

 巨大な何かが近づいてくるにつれ、不気味な低音より歌声のような高音の方がより鮮明に聞こえるようになってきた。その場にいる三人と一頭は、ただ巨大な何かが飛来するのを見つめ続けた。見ていなければならないと、本能的に感じていた。

 それは進路を遮る雲を貫きながら進み、ついに大陸の上空、そして四人の上空へと差し掛かった。空を覆わんとするほどの巨体が上空を南北に縦断し、地上にも強風が吹き始めた。そしてそれの姿が大霊峰の向こう側へと見えなくなるまで、四人はただそれを静かに見つめ続けていた。

 そしてそれは大陸中の人々も同様だった。

 その巨体故にジョテーヌ大陸中の龍と人間がそれを見た。殆どの人間は四人と同じくただ見つめることしかできなかったが、ある龍はそれに近づこうと力の限り羽ばたき、ある人は飛行機を飛ばして接近を試みた。カメラを取り出し、出来うる限り多くの写真を撮った人もいた。ある信心深い者は世界の終わりだと恐怖で絶望を叫び、他の信心深い者は神が降臨したと呟き泣いて喜んだ。

 それは長い時間をかけて大陸を飛び越え、北の海上へと通り過ぎて行った。


 大霊峰の向こうに巨大な何かが見えなくなった後も、四人はしばらく大霊峰を見つめていた。不気味な音と歌声が聞こえなくなった頃、最初に言葉を発したのはベッコウだった。

「いや~…二千年以上生きてきたんじゃが~一番デカかったのう~わしもああなりたいのう~」

 普段はノルトが何かしら会話を続けるのだが、今のノルトには応えるだけの余裕がなくなっていた。いつの間にか日は、巨大な何かが通り過ぎた上空から降り注ぎ、かなりの時間が立っていることを物語っていた。ノルトは何から考えればいいのかわからなくなっていたが、思い出したように目の前の鎧の女性に声を掛けた。

「君は…誰だ」

 鎧の女性もまだ名乗っていなかったことに気付いた。ノルトとベッコウに向き直って口を開く。

「私は…私の名前はユーリア!」

 気高い、綺麗な声だった。さらにユーリアは続けた。

「レイヴン王の第五子。父王の命令で革命同盟に対抗する、新たな盟約を結びに来た!」

 第五龍暦二千百三十年九月二十一日、この日ユーリアとノルトは出会った。

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