トゲトゲの蝶

@chased_dogs

トゲトゲの蝶

 あるところに美しい蝶がいました。あまりの美しさに、皆誰も彼も蝶を追いかけました。

「ヘェーヘェー、なんて綺麗な蝶だ! 俺はお前を啄みたい!」鳥たちは執拗に蝶を食べようと追いかけました。蝶はそのたび、ふわりと羽ばたいて、鳥の爪と嘴とから逃れました。

「やあっ、なんて美しい翅だろう! 捕まえて標本にしたい!」人間たちも蝶を捕まえようと追いかけました。蝶はそのたび、ふわりと羽ばたいて、人間どもの手や網から逃れました。

 蝶はそのたび思いました。こんなに追いかけ回されて、死ぬような思いをするのなら、綺麗な翅など持つのではなかった、と。


 蝶はとうとううんざりして、誰からも追いかけられないような、そんな生き物になりたいと願いました。と、その拍子、とつぜん蝶の身体が眩い黄金色の光に包まれました。そしてすうっと光が消えると、蝶の翅には夥しい数の長い棘が生えていました。

 棘の生えた蝶は喜び上がりました。「なんてことだ、願いが叶った!」

 喜びのあまり、後先も考えず飛びました。「ハハ、愛おしい棘よ! お前のなんと醜いことか! ハハハ!」

 それを見た人間どもは、「ややあ、恐ろしい蝶がいるぞ!」「トゲの生えた蝶がいるぞ!」

 などと言って気味悪がり、蝶を捕まえることはありませんでした。

 鳥たちもトゲトゲの蝶を見ては驚きました。「ややあ、なんと恐ろしい生き物だろう!」「トゲの生えた蝶なんて、恐ろしくて食べられない!」

 鳥たちは興味を失って、どこかへ飛んでいきました。

「ははあ、これはいいぞ!」と蝶は喜びました。もう誰も自分を食べたり、捕まえようとはしないのですから。

 蝶は自由気ままに飛び続けます。このままだったら、どこまでも行ける。そんな気持ちに溢れていたのです。


 蝶が空を飛んでいると、突然、何かに引っ掛かり、身動きが取れなくなりました。よく見ると、棘の一本が、蜘蛛の巣の糸に引っ掛かっていました。

 プンプンプンプン……、蜘蛛の巣が小刻みに揺れます。巣の主が蝶に気づいたのです。

「ヘヘェ! コイツは驚いた、トゲトゲの蝶だぁ!」

 蜘蛛は涎を散らしながら言いました。「やあ、蜘蛛くん。こんにちは」

 蝶は内心、焦りましたが、落ち着きを装って言いました。蜘蛛は相変わらず涎を垂らし、吸い込まれるような八つの目で蝶を見つめています。「どうも御客人、こんなところに何の用で?」

「いや、何ということはない。ただ気の向くままに水を飲み、飛んでいたのだ。概して蝶とはそういうものだ」

「ヘェ、そうなんでございますね。いえ、いいんです。気になったもんですから、ハイ」

 蜘蛛は何かに納得し、しきりに頷きました。「ところで」と蝶が切り出します。「この糸を解いてはくれまいか? 棘が引っ掛かっているのだ」

「いいですとも。ところで旦那、その引っ掛かってる棘の一本を私に恵んじゃ貰えないですかい? いや、味がどうしても気になるんでさ」

 蝶はもちろん乗り気ではありません。「きみ、俺が普通の蝶々に見えるかい?」

 蝶は言いました。

「いいえ? 見えませんとも」

 蜘蛛は答えました。

「そうだろうとも。普通でない蝶を、いやこの際なんでもいいが、生き物を食べたいとは思うかい? 思わんだろう?」

「そうですかい? 私ぁその棘の一本を食べてみたいんですがね!」

 蝶は無数にある棘を見上げました。一本だけならば。そう思い、そして小さく息を吐くと言いました。「分かった。一本だけだぞ」

 蝶が言うが早いか、蜘蛛は棘に飛び付き、蝶の翅から引き抜いてすっかり食べてしまいました。蝶は棘が引き抜かれる痛みで気が遠くなりかけましたが、全身に力を込めてなんとか堪えました。「食べたね。それではさようなら」

 フラフラしながら蝶は飛び始めます。とその時、後ろから蜘蛛が掴みかかりました。無数の棘が刺さるのに、蜘蛛はものともしませんでした。

「お待ちなせ! お待ちなせ! 棘がこんなに美味しいなんてこと黙ってるなんて、旦那ぁ意地が悪いですぜ。一本だけなんて言わず、もっと恵んで下せえ」

 蜘蛛は強引に蝶を引き寄せると、次々に棘を抜いては食べていきました。「痛い! 痛い! 痛い!」

 蝶は悲鳴を上げますが、蜘蛛は構わず棘を食べていきます。

「まだこんだけあるんです! 直に生えてくるんですから、もっと恵んで下せえ」「痛い! 痛い! 痛い!」

 蝶は悲鳴を上げますが、蜘蛛は構わず棘を食べていきます。とうとう最後の一本まで食べられてしまうと、蝶はすっかり元の美しい蝶に戻っていました。痛みのあまり、蝶はぐったりとして動きません。

「棘の下にこんな美しい翅を隠してなさるとは、旦那ぁまったく意地が悪い! ますます好きになっちまいますぜ」

 蜘蛛は八つの目を爛爛に輝かせ、蝶の身体に噛み付きます。蝶が朧げながら死ぬことを覚悟した、そのときでした。

「やあっ、蝶が蜘蛛に食われているぞ! 可哀想に、助けてやらなくては!」

 人間がやってきて、蜘蛛を引き剥がしました。哀れな蜘蛛は、勢い余って手足が千切れてしまいましたが、人間はそんなことは気にしません。蝶が潰れてしまわないよう包み込むように持つと、そのまま安全な場所まで運んでくれました。

 蝶は、人間の手の中にいて気が気でなかったですが、身体が動くようになるまで、ジッとしているしか仕方がありませんでした。


 それから、また飛べるようになった蝶は、すっかり以前のような暮らしをしていました。鳥が来ればその嘴を、人間が来ればその網を、ひらりと掻い潜り、一目散に逃げるのでした。逃げるたび、蝶はすっかり疲れ果ててしまいましたが、それでも蝶には、もう二度と棘の生えてくることはありませんでした。

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